帝王院高等学校
のんびり終わりを待ちましょう。
他人の寝顔をまじまじ見るのは初めてだ・と、訳の判らない心境で感嘆めいた溜息を密かに零す。形容し難い気持ちだと、最早誰に向けたのか判らない言い訳混じりに、湿った髪を荒々しく掻けば、ぶちぶちと根元から抜ける音。

「餓鬼だ餓鬼だと思ってた息子が、男だと思った母親みてぇなアレかよ。…どれだ、そりゃ。意味判らん」

実際、高坂日向の寝顔を見たのは初めてではなかった。ただ、じっくり観察した事がないだけで。そこで、今更にして、他人の顔を真っ直ぐに見た覚えがない事に気づく。
会話する時は真っ直ぐ人を見るものだと、いつか誰かに言われた言葉を思い出した。
日本から出た事などない他人、英語すらそれほど器用に喋れなかった子供、初めて顔を合わせた時に父親と言う名の他人が用意したのは、シェアしなければならない円盤の食事。


『ピザも喰った事ねぇのか、アーメン野郎』

笑い話だ。
向こうにしてみればそれは、映画などで見るカトリックが食前に祈る言葉だと思っていたのだろう。行った事のない異国、アメリカからやって来た弟と言う名の他人に、戸惑っていたのかも知れない。

『Porco cristo.(キリシタン被れが)』
『日本じゃこうやって手を合わせて、頂きますって言うんだ』
『Gesù fu disprezzato e accusato di bestemmia. Mannaggia di sangue cristo.(…キリストは陥れられた馬鹿の事だろうが、何が神の名に於いてだ糞共)』
『言いたい事があるなら人の目を見て喋れタコ』

それは敵意を隠さなかった、兄と言う名の他人から投げつけられた言葉ではなかったか?
言葉は判らない、けれど敵意は伝わる。そう言うものだと、5つ離れた男は宣った。カットされたピザのピースを掴んで、糸を引くチーズへ食らいつきながら。

「睫毛が無駄に長ぇ」

ちぎれてしまったものは仕方ない。2年Sクラス帝君である嵯峨崎佑壱は寝起きの荒んだ目元をそのままに、人様のシュシュをぽいっと放り投げた。

当然だが、弁償する気など欠片もない。
舎弟のシュシュは俺のもの、俺のものがどうなろうと謝る必要はないと言うのが言い分だ。神崎隼人が喚いたら拳で黙らせれば良いのである。万一にでも泣いた時は、海老フライかいなり寿司、揚げたてのドーナツ辺りでも投げつけておけば事足りるだろう。
佑壱の中で隼人の評価はその程度だった。あれは大きい子供だ。

「おい、まさか死んでんじゃねぇよな」

至近距離まで顔を寄せて、それでも日向の寝息が聞こえない事になけなしの眉を寄せる。
ただでさえ毛が生まれつき見事な深紅なのに、肌が地黒い所為で毛量の足りない眉のラインが見えていない。目を凝らせばそこそこ生えているのだが、ケア知らずの極細ラインは世の女性の嫉妬を買う程だ。なまじ顔立ちが整っているだけに、奥二重と相まって、神経質そうに見えなくもない。

因みに全くどうでも良い余談だが、嵯峨崎佑壱の下半身の毛は、濃い赤なので、一見すると黒に見えなくもない色合いだ。アメリカ産まれだが育ちは日本なので、毛の処理など絶対にしない。無駄毛の処理は実に男らしくないからだ。生えるものは生やす、股間にキノコが生えている男には、無駄など存在しないのである。
と言う持論でありとあらゆる毛を伸ばしているが、大半の毛根パワーが頭に集結したのか、体毛は薄い。眉と同じく脇も脛も皆無に等しいレベルだ。

そんな佑壱とは好対象に、目を閉じている高坂日向の瞼にはしっかりくっきりとしたラインが何本も走っていた。色素の薄い睫毛など、余りにも長すぎて菜箸が乗りそうな勢いだ。
近頃急激な成長期と共に骨格が変化した日向は、今でこそ目立たなくなったが、昔から目が大きい。鮮やかなキャラメル色の瞳が実に印象的で、目映いブロンドと併せて、光王子と呼ばれるのも判らなくもないと思ったものだ。

とは言え、数年前まで光姫と影で呼んでいる生徒が居た事も、佑壱は知っている。あれの何処が姫だと鼻で笑ったものだ。自分より小さい日向から何度も飛び蹴りを受けてきた身としては、足癖の悪い猫にしか見えなかった。
日向より後に現れた二葉を見た時には、日向より大きい二葉の方がずっと女らしく見えたものだが、やはりあちらも女と言うよりは獣にしか見えなかった。何しろ本性を嫌と言うほど知っている。

「未だにコイツの目はデケーな、目以外も色々デケーけど…。なのに女には見えねぇし、猫っつーか、どっちかっつーと虎っぽい気がしない事もない」

目が大きくても女々しさは皆無。
寧ろ男らしさを引き立てている様に思えるのは、その分厚い二重のお陰だろうかと暫し眺めていると、近くからピシリと言う軋みが聞こえてきた。

「…床下」

リノリウム張りの廊下とは違い、教室にはフローリングシートが敷き詰められている。パネルタイプのものを幾つも組み合わせており、少々汚れてもその部分だけを張り替えれば修復出来る様になっているのだ。

聴力はそこそこ、嗅覚には絶対の自信がある佑壱は、耳ではなく匂いで気になった部分のフローリングパネルへにじり寄った。
無意識に足首を庇っているからだが、思ったより痛みがない。

「あ?もしかして、治り掛けてる?」

悩まず濡れて湿ったバッシュをすぽっと脱げば、真っ黒に変色したスニーカーソックスが現れる。
一々言う事ではないが、近頃、主に高坂日向と言うこんちくしょうからあっちこっち痛めつけられている為、ビビや骨折程度の痛みは慣れていた。

その日向が強行手段に出る理由の殆どが佑壱が逆らうからと言うのは、この際スルーしよう。

「や、いつもよりやっぱ遅ぇ。然し遅いだけで、まぁ動かせない事はないレベル…だ。うん、流石は俺、強ぇ、細胞の一つ一つに至るまで男らしさ爆発しまくってやがる」

自画自賛くらい許される筈だ。
表立って自慢出来るような特技ではない事だけは、自分が一番良く判っている。
何ともなく恥ずかしくなり、佑壱は座ったままフローリングを殴り付けた。

「ビンゴ」

湿った洞窟の様な匂いだ。殴り付けたフローリングが割れて、下にある筈のコンクリートが派手に裂けているのが見える。真っ暗なので距離感が判らない。
割れたフローリングの破片を試しに裂け目から落としてみると、数秒後に水の音が聞こえてきた。

「三階強、…一人ならまぁ、楽に降りれるが・だ」

問題は、いつ崩れるか判らない場所で呑気に寝ている馬鹿をこのまま放置しても良いものか、やはり抱えていくべきかだ。
とりあえずムキムキ過ぎる佑壱が通れるサイズの裂け目ではないが、見た所、見える範囲にスライドレールの金属らしきものはない。70kgを越えている佑壱がうっかり乗れば、自然に割れるのではないかと思えた。

ただ、下に降りる理由がない。
下がどうなっているのか判らないままでは、飛び降りるのは自殺行為ではないか。

「っつっても、上がこれじゃ、なぁ」

巨大すぎるゴム風船が、上部スライドレールを支えているのが見える。恐ろしい事に、合金製のレールがぱっかり折れているではないか。
壊滅的な天井を見るに、先程の場所から落下したに違いない。無駄に大きなバランスボールの様なものは、グースカ寝ている男の仕業だろう。

「ロープみたいなもんでもあれば、とりあえず叩き起こしたこいつだけ下ろして確認させんだけど…」
「くしゅ!」
「…」

無駄に可愛らしいくしゃみが聞こえてきた。いや、わざわざ再確認するまでもなく、それは日向のものだ。何せ振り返った瞬間だったのでばっちり見た。
見たが、似合わないにも程がある可愛らしいくしゃみ(当社比)だった。

「高坂。おーい、高坂くーん」
「…」
「高坂さーん、高坂ちゃーん、こぉさかひなたー」

嵯峨崎佑壱史上最高のぶりっこ声(当犬比)で尻をクネっと振ってみたが、その姿はわざわざ見なくても気持ち悪い気がする。
ビクとも動かない金髪を、暗さに慣れた目で壮絶に睨み、ボスワンコは舌打ちを噛み殺した。舌打ちは噛み殺せたが、遠野俊にも劣らない犯罪者の様な面構えだ。それは五・六人ヤってる顔だった。

「テメー、本当は寝た振りしてんだろ、高坂」
「…」
「起きねぇとテメーの口に突っ込むぞ」

悪どい笑みを浮かべた赤毛はスラックスのファスナーに手を掛けたが、日向が微動だにしないのを認めて頬を染める。

「下品にも程がある。やめとこ」

反応のない下ネタほど恥ずかしいものはないからだ。本当に寝ているのならば、寧ろ助かったのかも知れない。

「副会長さんってば起きませんよ、もしかして王子様のキスが必要なの?もう嫌になっちゃう、佑壱きゅんの唇はお安くないんですからねっ」

ブチュブチュあっちこっちで何度も吸い付いておいて、今更勿体振るのは不毛だろう。自分で言って吐きそうだが、キスで目が覚めるなんて事は、現実にはない。寧ろ最悪の目覚めだ。
昔、寝ている俊の唇についていた米粒を取ってやろうとして、股間に凄まじい蹴りを浴びた事がある。つい調子に乗ってキスで取ろうとしたのがいけなかったのか、あの時の事は忘れない。

「結局背負ってくしかねぇのか。…着地イケっかな?」

我ながら目も当てられない爪先を見つめ、両足とも満身創痍である事をばっちり確かめる。ばっちり確かめたが、ゴゴゴと言うキナ臭いBGMが響いてきたので、嵯峨崎佑壱は考える事を放棄した。
飛び降りるのは得意だが、登るのは不得意だ。何せ握力には余り自信がない。
握力計を粉砕する様な某オタクならまだしも、日向を背負ってのロッククライミングは無理だ。日向の体重は知らないが、佑壱と大差ないとして、70kg×2で…えっと、とにかく多分重い。

「おいおい、ちょっと待ちな。流石にそんくらいの計算は出来る。今ちょっとでも俺を疑った奴ら挙手しろ挙手」

ぶつぶつ宣いながら恐る恐る立ち上がった男は、机の上に鎮座しているライトを見やった。幾ら機械音痴とは言え、何となくそれが何なのかは判る。殆ど帰っていない、中央委員会エリアの寮室に何年も放置しているものだ。

「確かルーターだった気がする。………ルーター?」

何となく王子様気分のオカンは、いつもよりずっしりと重い濡れた髪を張り付いたシャツの中にしまった。背負うにしても抱き上げるにしても、髪が邪魔だからだ。

「背中が痒い。…痒いっつー事は、瘡蓋になりやがった。効く割りに効能時間が短い薬だぜ、陰湿なクレーム入れてやらぁ。ステルシリーソーシャルプラネット・インスパイア」
『衛星開放、1位枢機卿コード:ファーストを確認』
「ネクサス、応答しやがれ」
『エラー。広域妨害電波を探知、半径500メートル以内に未登録のファントムウィングを確認しました』
「妨害電波だ?…使えねぇな、ジャミング対象はステルスだけか?」
『周波数を特定しました。全グレアムの回線に有効』
「マジか、まさか総長じゃねぇよな…」

さりとて、音が激しさを増した。そろそろ本気で不味い。とりあえず日向を担いでおかねば、バランスボールのお陰で何とかペシャンコにならず済んでいるが、それも危うい。

「重くはねぇが嵩張る男だ。バーベル代わりに持ち上げたろか、畜生」

衛星回線が開放されていると言う事は、中央委員会回線にも左席委員会回線にもアクセスは出来るだろう。但し、左席委員会回線のマザーサーバーは佑壱と共に落盤している。
何処に俊の机があるのか全く判らないが、壊れている気配しかしない。見渡す限り、地獄の様な光景だ。

「どうすっか、ファントムウィングが一台あるだけでかなり便利なんだがなぁ」
「………ラ、ウン…」
「…あ?おい、起きたのか?」
「クラウン・ヘブンスゲート・インスパイア」

目を閉じたまま、日向の唇が動くのを見た。
様子が可笑しいと覗き込む前に、白いLEDを灯していたルーターから真っ赤な光が放たれたのを見たのだ。

「何、」
『はァい、起こしてくれてあざーす。僕は裏中央委員会、マザーAI15歳ですん』
「…は?!」

赤い光は狂った様に点滅した。
ルーターのスピーカーから零れる声は酷く聞き覚えがある声だ。

「その声は、総長っ?!」
『僕を起こせるのは狐だけ、犬にも狸にも狼にも無理なんですん。何故ならば陰陽師には狐がお似合い!』
「え、ちょ、総長?!本物の総長っスか?!」
『はいっ、お疑いの通りパーフェクトな偽物ですにょ!僕は僕と言うAIに僕をまるっとコピーしました!僕は夢を見たんです。真っ赤な鳥居が通りゃんせ、煩悩の数だけ何度も何度も生まれては死んで、約束の時が来るかもね?』
「はぁあ?!ちょ、何言っちゃってんですか?!つかテンション高いっスね、総長!」
『キラッと光るお星様は五角形!はみ出し腐男子にスターは似合わないなり。って事で、6つに尖った悪魔の星にご案内♪』
「悪魔って、…は?!」

狂った光が止まった。
それと同時に、ズシンと言う音と共に、浮遊感が全身を襲ったのだ。

「?!」

足元にあった筈の床が、落ちていくのが見える。
必死で抱えた日向から決して手を離すまいと歯を噛み締めた嵯峨崎佑壱の蒼い目に、真っ赤なスペルが見えたのだ。





『逝ってらっさいませェイ!』


Dive to Hell、と。














落ちる。
落ちる。



落ちる。






「っ、危ないっ、俊!」
「いけません、私に掴まって下さい!崩れます!」

真っ黒い穴が口を開けて、吸い込まれる様に落ちていく体。

(何が起きたのか)
(把握する前に流れていく景色)
(恐ろしい痛みの頭痛はすぐに消えた)
(世界が浮遊している)
(振動している)
(鳴動している)
(崩壊していく)


(恐怖は欠片もない)



「通りゃんせ、通りゃんせ」

体を支える大地は消え失せた。銀色のきらびやかなそれが耳を押さえているのが見える。伸ばした手は届く前に宙を掻いた。

「あ、ぇ?」

目の前に、それはそれは色鮮やかな友人達が見えたのだ。

「総長!」
「此処は何処の細道じゃ」
「総長っ、総長ー!!!」

頭の中でいつも嘲笑う声が、何故か唇から零れている。
手を伸ばしたまま目を見開いている錦織要が叫ぶのを聞いていた。神崎隼人が羽交い締めにしている光景を認め、誉めてやりたい気持ちだ。



「天神様の…」


それで良い。
守る価値など自分にはない。
大切な家族が正しい選択をしてくれる事を祈り、迷わないように魔法を掛けた。

(待て)
(それは、誰の話だ?)


「また、吸い込まれ、る…?………また?」
「帝に逆らい、家族を失った陰陽師は狐に化かされた」
「違、う。俺には人に見えたんだ」
「白い白い、目映い白狐の躯を抱き抱えたまま…」

口が勝手に言葉を紡いでいる。
眼球が熱い。

「108番目の魂が消えて、最期の光はまるで星のよう」

背中から落ちていく浮遊感に振り返れば、光一つないブラックホールじみた闇の中に、それは見えたのだ。
確かに、はっきりと。

0の世界へようこそ、遠野俊
「………お前は?」
弱い癖に強くなった気になって楽しかったかい。自分を支配と言う鎧で固めて、騎士は皇帝に成り代わった。俺との約束を覚えているかい
「約、束」
幾つもの柱を失ったお前の円卓は丸裸だ。独裁者についてくる者は居ない。だからそろそろ返してくれないか。なァ、ポーン

人の一生とはまるでチェスの駒。
キングの居ない盤上で、彼らはチェックを唱える日まで生きて、死んでいった。新たな命を紡いで。繋いで。奏でて。

憎悪、同情、全ての負の連鎖に同調した今のお前は、まるで人間の様だった

可哀想に、と。
それは笑っている。優しげに、優しげに、優しげに。

「人を憎悪し、人に同情して、俺は産まれた…?」
お前は一匹の狼、犬の群れに擬態した黒羊
「…そうか。それじゃ、俺は…」
母を守る騎士になる。死んだ一匹の犬の意思を引き継ぐ為に
「俺は、」
遠野秀隆、犬から産まれた遠野俊。お前の人生は産まれたその日に塗り潰された。その身を以て悪魔を退治した勇敢な犬の子は、己もまた、勇敢であれと望んだろう?

血が沸騰している。
目の前は真っ黒だ。
瞼を閉じているからか?

8月18日、11年目に俺はお前から殺された
「俺が殺した?」
帝王院神、お前の本名は誰も知らない。出される筈のない出生届、たった一枚の紙切れを使い、母親が殺したからだ。何故ならば、母親には子供を産む権利と殺す権利がある
「俺は、殺された…」
12年で支配は解ける。時計の文字盤ではそれを、0と呼ぶからだ

それとももう、生きてはいないからか?


「俺の体を返してくれないか、そのの体を。」
「総長ー!」

なのに目の前に、その鮮やかなお日様は現れたのだ。
期待などしていない。来るとは思っても見なかった。だから振り返ってもまだ、夢の様にしか思えないとは笑い話だろうか。

「っし、捕まえたっしょ!うっひゃー、暗くて判んねーけど、総長ってば生きてっか?!」

眼球が熱い。
灼けて今にも、熔けそうだ。

「…どちら様?」
「こちらの健吾様だべ?待って、俺が誰に見え…やや、これじゃ見えねーか。俺ってそんな地味っ子なん?声とか手の感触とかさ…おいおい、俺らの3年間って何だったんだよ。高野きゅん泣いちゃうよぃ(´;ω;`)」
「地味なのは俺だ。…違う、そうじゃない、お前と言う奴はまさか飛び降りたのかァ?!」
「間に合わねーと思って加速したけど平気平気、皆のシャツとベルトで作ったロープ巻きつけてっから!つーか、これ超長くね?軽く10メートルくらいあるっしょw(´Q`*)」
「愚か者がァ!お前と言うイケメンワンコはイケメンで世界制覇する気かコラァ!俺なんかさくっと放っておけェイ、お陰で目の前が見えなくなっただろうが、こん畜生めぇえええ」
「は?やだね!イケメン過ぎる俺に感謝した総長が泣いちゃうまで離してやんねーもんね!べーっだ!(ヾノ・ω・`)」

ぶらりぶらりと吊るされている健吾の手に捕まったまま、みしりみしりと言う悍しい音を聞いた。

「で、どうやって上に戻るんだ?」
「助けを待てないなら一緒に登ってく?」
「まァ、」

この暗さで明るく見えるのは、健吾のベルトとリストバンドが光っていたからだ。

「それ、畜光ベルトだったのか…」
「へ?あ、これって総長が俺の誕生日にくれたんじゃん、知らんかった訳?(*´3`) 夜になると部屋の中で光ってて、最初の頃は寝る時ちょいちょい気になってたっしょ」
「すまん」
「良いっしょ、お陰でハマって色々集めてっし。あ、光るパンツも買ったべ。今度見せたげるね☆」
「心の底からすまん」
「流石にこれはロープにしたくねーから外さなかったんだけど、俺の忠誠心パネェよね?総長、何なら誉めても良いっしょ(//∀//)」
「いやー、何か今にも破れそうな気配ですけどねィ?」
「てへ☆…総長、どうしよう(°ω°) 何か今ブチって聞こえたかもよ♪」
「マジか♪」

頭の中で誰かが笑っている。
(だから俺は、お前が苦手だと言ったんだ)

「良し、いちかばちか飛び降りるぞ。俺を信じてついてきてくれるか、健吾」
「は?既に信じ切ってるけど、何改まって臭い事言っちゃってんの?やっべー、総長から加齢臭が漂ってきたw本当は歳誤魔化してんだろ?実は子持ちだったりする?(//∀//)」
「そろそろ泣いちゃうょ?」
「うっひゃひゃw」

(眩しいものはいつも唐突に現れる)
(太陽とは黒すら飲み込む神の光)
(だから、)



「…つーか、信じてなかったのは俺らじゃねーっしょ?」


(抱えた体温は生きている事を歌う)
(今はまだ、背徳に等しい日蝕をただ、待つばかり)

















「血?」
「言ったろう叶冬臣、馬鹿ほど可愛いってな」

彼は皺が刻まれた顎をゆったり撫でる。それは彼の癖の様だった。

「遠野には基本的に馬鹿は産まれない筈だが、稀に奇跡的な馬鹿が産まれやがる。俺の知る限り、一人目は遠野星夜、二人目は遠野夜人。俺の父と弟、馬鹿兄弟だ」
「おや、仰ってる意味が良く判らないのですがねぇ」
「俺の親父には親友が居た。一人目は冬月龍流、二人目は叶芙蓉、当時『御三家』と崇められるほど賢かった神童は、どれも哀れな死に目に遇った。一人は身内に殺され、一人は異国で死んで、一人は戦争で死んだ。患者を見捨てて逃げられなかった、馬鹿な医者だったからだ」

それは彼の父親の事だろう。
馬鹿だと言うわりに誇らしげな顔で、遠野夜刀は短く吐息を零す。

「祖父の遺言がまた哀れでな。二人の息子に先立たれた男は、女房に先立たれた挙げ句、最後は三人目の息子に見捨てられて、後妻の嫁と俺に看取られた」
「そうですか。然しそれが、」
「レヴィ=グレアム。俺の弟、遠野夜人を奪っていった憎たらしいお貴族様だ。俺には帝王院俊秀さんの怒りが判る。可愛い可愛い家族を掻っ攫って行った男を、許す事は出来ん」
「…」
「だがその所為で馬鹿が益々馬鹿になっちまった。良いか、灰皇院が帝王院に決して勝てない理由、血、全部が一つの話に繋がっちまうんだ叶冬臣。冬月程ではないにしろ、神童と謳われたお前に答えは見つけられたか?」

愉快げな遠野夜刀を暫く見つめて、叶冬臣は瞬いた。

「叶冬臣、俺達の母校はたった2年勉強しただけで受かるような大学か?たった半月行っただけのアメリカで英語を覚えてきた。家出した犬を探してくると言って、文字通り見つけて帰ってきた」
「犬?」
「俊秀さんは夢見の特技があったそうだが、『アメリカが蜃気楼を独り占めにしてる』などと言う訳の判らん台詞を、鳳凰の馬鹿は素直に信じたんだ。夢を信じる俊秀さんもアレだが、鳳凰も大概アレだと思わんか」
「…」
「帝王院一族、唯一絶対の特技は思い込みの強さだと俺は考える」

彼の頭の中で全てのピースがはまった瞬間、広大にして恐ろしい一枚の絵画が現れたのだ。

「俺を夜の申し子と呼んだのは俊秀様だ。その俺が鳳凰を『陽の王』と呼んだのは単に皮肉だ。夜と朝は決して交わらない。…だが、現実はどうだ」
「…雲隠の身体能力を有し、冬月の記憶力を有し、遠野の憎悪を有し、た?」

もう少しで答えに手が届きそうなのに、未だ何も見えない。

「違うな。帝王院俊秀と雲隠桐火の血を継ぎ、明神刹那の姪である一ノ瀬美沙江、冬月龍一郎の遺伝子を書き加え、高森隆乃と榛原暁の末娘、帝王院隆子の血を混ぜた」
「な、んです、って?それでは…」
「帝王院と灰皇院、総本家最高傑作にして、我が遠野最大の汚点。鬼と呼ばれ続けてきた一族の現当主、それこそが正に『鬼神』だ」
「遠野俊。貴方の曾孫、が?」
「帝王院当主の吸収力で全ての因果を集め、冬月の記憶力で決して忘れず、明神の読心術で人の心を読み、榛原の傀儡催眠で実の祖父の記憶すら消し、雲隠最大の秘密、人外の肉体を産まれながらに手にした、あれは鬼だ」

遠野夜刀は緑鮮やかな山の手へ目を走らせた。

「無駄な足掻きってのはするもんじゃない。親の期待に逆らって外科医にならなかった馬鹿でも、親にとっては可愛い一人娘だ。もう少し自信を持てれば、言い換えれば思い込みが強ければ。我が娘ながら、良い医者になったろう。アレックス、お前も父親なら判るだろ?」
「アンドロイドを対等に扱って下さるなんて、ヤト殿はお優しいんですねぇ。僕のアーカイブにオリジナルの感情は保存されていませんが、冬臣も文仁も貴葉も、大切な子供でした」

冬臣も文仁も記憶している父親そっくりな声で笑うサファイアの双眸に、叶兄弟はただただ沈黙を守る。もしかしたら漸く、彼らはそれを父親として認識し始めたのかも知れない。

「龍一郎の失敗は俺の所為だ。あんな馬鹿でも、俺にとっては可愛い息子なんでな」

鬼と呼ばれた男の曾孫が鬼だった。
日本の王と呼ばれた男の曾孫が失った玉座を手に入れようとしている、ただ、それだけ。



「無駄な足掻きはやめとけ、遠野を舐めたら痛い目に遭うだけだ。龍一郎亡き今、遠野俊江が継ぐべき遠野の家名は、我が家で最も馬鹿な遠野俊に委ねられた。最強の馬鹿を凝らしめるのは、最強の阿呆だけだ。…こればかりは、真っ先に俺の才能を見出だしてくれた俊秀さんの遺言でな、信じない訳にはいかん」

化け物と呼ばれた男の孫が、化け物を喰らい、帝王院でも、ましてや雲隠でも明神でも榛原でも冬月でもない、六番目の名を名乗っただけ。

「と言う訳で、お前らも無駄な事は考えるな。シュンシュンの邪魔をするなら一人残らずかっ捌くぞ」
「「「…」」」
「僕、捌かれると体内の核が漏れちゃいますよぉう」

遠野は決して争わない。
理由は単純に、他人をひたすら格下に見ているからだ。




















「えっと、じゃ、こちらさんがABSOLUTELYの初代副総帥の小林シュギさんで、」
「シュギじゃなくモリヨシです。名刺に書いてあるでしょう、ローマ字も読めないんですか?」

はっ、と鼻で笑った簀巻きの男はごろごろと転げ回り、懸命にロープを切ろうと奮闘している様だ。

「私の事は小林専務と呼びなさい。気安く年輩の名を呼ぶものではありませんよ、良いですか、社会では無知は罪なのです。恥を知りなさい、恥を」
「…悪いな。あれが素なんだ、馬鹿にしてるつもりはないと思う」
「いや、明確に馬鹿にされましたけど…」
「………すまない…」

簀巻きローリング中の自称専務に代わり、申し訳なさげに頭を下げる常務は悪い人には見えない。目付きが荒んでいるだけだ。

「大丈夫です、顔は似てないのに専務さんが白百合の身内だって事だけは嫌でも理解しましたし」
「…白百合?まさかそれは叶の事ではないでしょうね?私の白百合は大空坊っちゃんお一人の事です、速やかに訂正しなさい三年Eクラス平田洋二」

蓑虫男はズレ落ちた眼鏡を器用に床で押し上げながら、ビシッと宣った。なまじ顔が男前なだけに哀れだ。

「すまない…」
「…大丈夫です」
「しつこい縄ですね…。そこの三年Eクラス平田洋二、いい加減この縄を解きなさい。さもなくば子々孫々まで呪いますよ」
「出来ないって言ったっスよね?!お宅のお父様に脅されてるって話しましたよね?!」
「叶を味方するのであれば、君の家族とレジストでしたか?全員に、心理テストをしますよ?」

どう言う意味だと学生が呆れた瞬間、縛られたまま器用に胡座を掻いていた常務が青褪めた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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