帝王院高等学校
起きたら眠れる森にはいられません!
「ああぁ、眠たい…」

長い欠伸が零れ落ちるのと同時に、にらめっこしていた書面から顔を上げれば見るともなく飛び込んできた時計の針。窓の外は真っ暗で、思わず口がのし掛かってきた眠気を教えてきた。

「…私の恋人は数学だけだよ。君達は美しくも残酷に、人間の欲求を刺激する」

再び襲ってきた欠伸を噛み殺しながら積み上げた参考書の背表紙を指で叩き、点滅している電話機のボタンを押す。留守番電話にさえ気づかない集中力は、死ぬまで直らないのだろう。貴方は一つの物しか見えないのね、と。妻に投げ掛けられた台詞だ。

「ああ、校長のバースデーパーティー。もうそんな時期が来たのか、早いな…」

学者はコーヒーの味など求めない。
業務用の量だけは無駄に多いインスタントを適当にカップへ放り込み、いつ水を替えたかすら覚えていない電気ポットの湯を注ぐ。口をつければ余りにも濃く、湯が足りないとポットのボタンを押すが、今ので水が切れていた。

「サマータイムは本来賑やかなのに、この時期は駄目だ。進級と卒業で生徒が近寄ってくれない…」

私は寂しがりやなのに、などと宣いながらコーヒーを啜った男は、濃すぎたカフェインのお陰か眠気が去った事に気づく。とは言え、切れた集中力はそうそう戻らない。
先程まで齧りついていた書物を見返す気にはなれず、デスクで沈黙している携帯へ手を伸ばす。どうせ滅多に鳴らないものだと思いながら画面を見れば、珍しくメールが数通届いていた。

「Oh、私を気が利かないと罵って勝手に出ていった恐い女から脅迫状だ。何々?…はは、またカエサルに無視されたのか。無理もない、馬鹿娘があの子に何をしたのか知らないからね」

返事を返す必要もないメールだ。
末尾まで読んだがそれだけ、次のメールを開く。

「…テイラー、君は本当に馬鹿だよ。何故消えかけている傷を自ら抉る様な真似をするかな?スミス教授は理数外での君を理解出来ないよ」

何度も帰ってこいと留守録を残した相手からは、『愛が花咲いた頃に帰る』と言う、何とも文学的なメッセージだ。いつになるのか全く判らない。

「二度と帰ってこないなんて事は、はは、自殺だけはやめておくれリチャード=テイラー教授。学会が近いんだ、忘れてたら進退問題だよ…」

頭が痛い問題ばかり起きる。
気に入っていたお取り寄せプディングが、材料費の高騰で数量限定になってしまうし。実店舗はニューヨークだ。ケンブリッジからは歩いては到底行けない距離である。

「大体、ワサンボンって何なんだ。日本の砂糖はそんなに高級品なのか。無理もない、円高が…いや、ドル安が悪いんだ。輸入に頼ると為替に泣かされる…違う、ワサンボンに泣かされるんだ。あの優しい甘さのプディングは、三ヶ月待ち…」

発狂しそうだと溜め息一つ、ゲロ不味いコーヒーにお情けのガムシロップを放り込んでから、ホットにはグラニュー糖だった事を思い出した。とことん自分には生活能力がないと思い知らされる。


「…カエサル、本当に帰ってくるのか。珍しく疲れた声だった気がするのは、思い過ごしだと良いんだけどね」

たった2年少々会っていないだけで、何十年も離れていた様な気になった。それ以前にも、何年も会えなかった事はあるのに。


可哀想な子だった。
ほんの僅かな自由さえ許されていない。
大人に振り回されて、今では皇帝か神か。畏れられ崇められきっと、人間として扱ってくれる者は少ないだろう。

まだ親の保護があっても良い年齢だ。
世界の命運を担ぐには余りにも若い肩だ。


「やめよう、娘の親権を手放しておいて孫の安否を気遣うなんて建設的じゃない。キング=ノアに意見する勇気なんてなかった癖に」

娘が産まれた時の事は覚えている。初めて喋った言葉がパパだった事も、物心つく前から酷い人見知りで、家に帰った時には笑顔で飛びついてきたものだ。あの子はパパっ子だと皆から言われた記憶もある。可愛かった。
けれど現実は、そんな可愛い娘が物心ついた頃にはもう、離婚していた。新しい家族が出来た嬉しさよりも、立場を得て広がった新しい仕事に心を奪われたからだ。

本音で言えば、父親になった実感などなかった。
多かれ少なかれ、男は恐らくそんなものだろう。言い訳として、あの頃はまだ若かったのだ。世間体、向上心、結婚の理由など思い出せもしない。
それなりの恋愛をした様な気もするが、余りにも昔の話だ。まともに帰ってこない夫に愛想を尽かし、妻は恋人を作って、離婚後にその男と再婚した。娘は恐らく新しい父親を本当の父親だと思っていただろう。それくらい、あの子は幼かった。

「歳を取った…かな。変に昔の事ばかり思い出す」

それなりの育ちだった妻と結婚する為に得た教授の地位が、家族を築き、そして家族を奪っていったのだ。
娘が死んだと聞かされるのと同時に現れた天才は、朧気な記憶に残る娘より大きかったが、それでも小さかった。けれど、娘の様に笑顔で顔を染めて飛びついてくる様な事は、ただの一度もないままだ。

「帰っておいで、ルーク。嫌なら全て捨ててしまえば良い。爵位を捨てても君は、ノアアリエス(黒羊)なんかじゃ…」

携帯が音を発てる。
余りにも珍しい事だと目を見開いて、握っていた携帯を視界まで持ち上げた。

「ん?…エテルバルド?何だ何だ、何があったんだ、こんな時に何故あの男からっ?」

久し振りに見た名前に痙き攣ったが、鳴り響く着信音は途切れる気配がない。出たくない名前だ。
何せこの男は、年下の癖に大学院時代同期だった。笑えるほどのスキップであっという間に博士号を取得し、ドイツ人特有の嫌味を何度も何度も吐き捨てたからだ。時間にルーズな自分が悪いのだろうが。

「あーあー、出たくない…出たくないけど、電源を切ると呪われそうだ…。………もしもしMr.エテルバルド、こちらブライトン=C=スミスです…」
『君は相変わらず人を待たせる男だね、どうして3コール以内に出ない?』
「そ、それは、こちらにも手が離せない事情がだね…」
『サマータイムのそちらは夕方だと思うが、成程、私のコールに出たくなかったのかね?全く困ったものだね、これだからルーズなアメリカ人は…。君にカエサルの名は相応しくない、今からでも改名すべきだと思わないかね、のろまビリー』
「………のろまはやめてくれないか、カミュー=エテルバルド」
『捨てた昔の名をわざわざ持ち出す君が悪いとは思えないのかね、のろまビリー。だからいつまで経ってもハーバード如きの教授崩れなのだよ』

今すぐにでも電源を叩き切りたいが、臆病者には余りにもハードルが高過ぎた。用件はまだ出ていない様だが、本題を聞きたくない。
ボサボサの煤けたブロンドを掻いた男は見るともなく天井を仰ぎ、幾つか蛍光灯が切れている事に気づいた。

「君の名字は発音が難しいんだよ。フ…フジヤマだっけ?」
『藤倉だ。君は私を馬鹿にしているのかね』
「滅相もない、僕らは同期じゃないか!そりゃ君の方が若いし、男女問わずモテたものだが…。コホン。………それで、フジキュラ氏、ご用件は?」

受話器の向こうから微かな「プ」と言う音が聞こえてくる。
ああ、思い出したくない過去を思い出した。それはこの男が人を笑う時の、あの音だ。




















余りにも微かな気配、気づいたのは本能に近いだろう。
気づいていない素振りでわざとらしく別方向を見つめながら、我らが一年Sクラスの存在感が薄い担任は頬を掻いた。

「よーし、こっち異変なーし。ほな朝ご飯にしよか。お腹空いたわー」

少しわざとらしかったかと、計らずも大きな声を出してしまった口元を無意識で押さえる。
どうもこう言う想定外に対して上手い立ち回りが出来ないらしい。生来の性格と言うのは、頭で考えて直るものではないのだ。

「………少なく見積もっても、三人っちゅー所かいな」

校舎東側裏手、ブルーシートで覆われ通行止めになっている部活棟方面に背を向けて、東雲村崎はジャージのポケットに両手を突っ込んだまま、中庭へ続く静かな渡り廊下を貫く様に突っ切った。
普通科・体育科の領域である第二キャノンから、中央キャノンへと伸びている一階の通路は、ペデストリアンデッキ造りになっている。
学校にはまず珍しいだろうが、駅前などで見られる大型歩道橋の様なものだ。一階部分は高架下となり、三階部分が渡り廊下になっている。そのまま表の改札口方面まで伸びている高架は、第三キャノン、第四キャノンの渡り廊下と同流する広域遊歩道だ。

この為、同じ高さにある中央キャノンの正面玄関から離宮へ回り込む事が可能だが、渡り廊下から中へ入る場合、シューズクロークのある昇降口が遠くなる事がネックだった。
基本的に大半の生徒は改札口を通り、中央キャノン地下からそれぞれの校舎一階にある昇降口へ向かうのだ。基本的に中央キャノンは、中等部・高等部の各進学科の教室と、最上学部の幾つかの学部と、大学院のゼミが点在している。

最上学部にもまた、進学科制度に似た優遇制度が存在した。毎年定数が決まっている帝王院学園大学院へは、最上学部在学時に優秀な成績を修めた者だけが進む事が出来る。但し本校の場合は、だ。
各地に分校・キャンバスがあり、そちらの大学院は一般の大学院と同じく、希望入学や試験入学も取り入れていた。それでも未だに女子生徒が全体の2割程度で、数少ない女子在校生からは意欲的な販促を求めると言う抗議が毎年聞こえてくる。


「…阿呆後輩が、余計な仕事増やしてからに」

今回の新歓祭で一般客を受け入れた最たる理由は、現在本校最上学部首席である嵯峨崎零人の意見からだ。
高等部卒業時まで一貫して帝君を維持した零人の偏差値は80を越えており、内部進学とは言え、本人が最難関である総合学を希望した為、本校在留は確定的だった。帝王院学園最上学部の総合学科の定員は通年150名未満、選択したカリキュラムに応じて、4年から6年の在学期間が適応される。

全時間帯のカリキュラムが選択可能で、一般教養以外は24時間好きな時間帯に講義を受ける事が出来る。提携校の過去の講義の録画も閲覧可能で、中等部・高等部とは違い、入試時点の成績と進級時の成績だけを重視する為、留年はあっても降格はない。
故に中央キャノンの一部エリアに軟禁状態であっても、生徒ごとに割り振られた端末だけで授業が受けられる為、煩わしい講堂移動などはない。その仕組みを知っている全国の秀才らが滑り止めとして受験しているが、年々総合学科の偏差値は上がっている。

経済・経営学を希望した零人は最短の4年間で、今年が最後の年だ。
女生徒も少なからず存在している最上学部を取りまとめ、高等部以下の男子生徒との接触を避ける為に、最上学部自治会は責任が付きまとう。最上学部生は基本的に中央キャノンから外へ出る事はない。
否、外に出さないようにすると言うのが正しいだろう。


圧倒的な支持を受けて入学当時から自治会長を努めてきた零人には、最上学部生徒の希望を精査し、上院である理事会に発言する権利があった。
アンダーラインのお取り寄せを許可して欲しいと希望があれば考慮し、現在は学園のシステムを利用したホットラインで注文が出来る様になっている。

元々、女子生徒の受け入れを想定していなかった為に、中央キャノン内には男子寮しかなかったが、生徒の希望があり数年前に山の麓に女子寮も建設した。
と言っても、まともに帰っている生徒がいるのかは怪しい所だ。最上学部生徒は学園の保護下にはない為、自由恋愛である。彼氏の部屋で同棲、ずっと中央キャノンから出てません、と言う女生徒が少なからず存在している事を東雲は知っている。


選挙権を認められた18歳以上の大人に、あれこれ言うだけ野暮だ。
判ってはいるが、幾ら広い中央キャノンのフロアの幾つかを独占しているからと言って、たまには外に出たい。つーか男子校が見たい、歩き回りたい。
そんな女生徒らの熱烈な申し出に、自分の卒業を前にして断り続けるのが面倒になったらしい嵯峨崎零人は、とうとう理事会に進言したのだ。

せめて新歓祭の間は、外出を自由にしてくれと。
この間、女子生徒らは主に保護者や在校生徒の親族に女子が居れば最上学部を案内し、女子学生の獲得を目指す。今後生徒数が増えれば学園にとっても有益で、むさ苦しい学部に女子が増えれば生徒も喜ぶと言う、正に一石二鳥だ。
その代わり、トラブルがない様に教職員は勿論、最上学部自治会も走り回る事になった。ただでさえ若い男ばかりの敷地に、見慣れない女性が歩き回るのは毒だ。

「…神の姿はないか」
「だがあれは東雲の関係者だ…」
「あの程度であれば監視は一人で良いだろう。任せた」
「了解」

何にせよ、お陰様で、学園のあっちこっちに女性を見掛ける。
東雲の在学時にはまず有り得なかった事だ。ただでさえ人が多い中、不審者だけを見抜くのは中々に難しい。例え今のように見抜けたとしても、人気のない場所へ『わざわざ引き付ける』必要があるのは、どう考えても面倒だ。
ドイツ語如きで内緒話をしているつもりになられても困る。普段ダサジャージを着ている薄給の教師でも、元中央委員会会長である。



「此処でええか」

延々と続く高架下、賑わっている第三キャノンより向こうには近寄らない。
丁度中央キャノン改札口の脇、植え込みの木々が連なっている人気のない場所へ入り込み、気配がついてきている事を確かめてポケットから手を出した。

「っ、し」

喋る暇なく、つまりは呼吸を止めて一息に。
一歳から軍式トレーニングを叩き込まれ、現在に至るまで五億回以上死にかけてきた東雲村崎は、振り返るのと同時に、獣の様な早さで背後の人間を地面へ叩きつけた。

悲鳴を出させないように的確に口を押さえ、もう片手で相手の喉を押し付ければ、喋れない上に呼吸困難に陥る。
今更じたばたと暴れようが、背骨を叩きつけられた衝撃で相手の抵抗力は格段に落ちた。腹の上に乗り上げれば、動く事もままならない。

そう、目の前の男の様に。

「良いか、今から俺が訊ねた事以外は喋るな。力加減間違えて殺しそうだから無駄に動くな。人様の母校で好き勝手動き回られると、困んだよ」
「…っ!」
「さて。俺が誰だか判ってて尾行してくれたんだよな、アンタ。我ながら見事に見覚えがないんだが、狙いは何?近頃少なくなってたのに、まさかまだ俺を殺したい奴がいた?」

東雲の声音は明るいが、表情は冴え渡っている。

「俺は表向き長男やないで。…もしかして東雲幸村の戸籍謄本は見てない?そんなら何処で俺が後継者やて漏れたんやろ、やっぱ弟を守る言うて学園内までは隠してなかったからやろか?」

血の気が通っていない様にも思える無表情は、下らないジョークを飛ばしてはカラカラと笑っているいつもの彼ではなかった。

「何で何も喋らへんねや…あ、絞め過ぎですか?最近、のびちゃんだの嵯峨崎弟だの、化け物ばっか相手してきた所為で加減が判らなくなって来てるわぁ。困った困った、堪忍してな」

気を失っているようなので喉からは手を離してやったが、フリだと困るので口は塞いだまま、腹の上から退くつもりもない。

「勘弁してや、死なん程度に絞めたし。…俺は、紫遊と違うて人殺しやないし」

困ったと言う割りには表情を変えず、東雲は履き古したスニーカーサンダルを片方だけ脱いで、中敷きを引き抜いた。中には、金属の輪っかが一つ。

「セントラルライン・オープン」
『コード:ムラサキを確認。お久し振りです、村崎』

ポケットに突っ込んでいたスマホから、無線イヤフォンを通じて声が聞こえてきた。サーバーをスマホに移行しておいて良かったとは思うが、回線は勿論、使えない。

「おう、久し振り。早速で悪い、凍結解除してくれんか?」
『エラー。貴方は自由になりたいと言って私達を捨てたのに』
「捨てた訳やない」
『貴方が望むまま貴方を凍結したのは、』
「我儘なのは判ってるって。頼む、電力が落ちてんの」

ぎしりと、東雲の肩が軋んだ。
茶掛かった黒目の瞳孔が目に見えるほど拡縮を繰り返している。

「久々にキレそうでやばいねん。…このままだと陛下もマスターも見つけられん、他にも守ってやりたい奴らが、そらぎょーさんおる。アイツらにはこれ以上、迷惑掛けたないんや」

脳裏に浮かんだのは、執事気取りの副会長と会計。
漫画が好きだった関西弁の書記は、白いブレザー姿のまま、時を止めている。

「俺の所為で何人に迷惑掛けた?中央委員会会長なんて肩書きだけだった。俺は皇子とは違う。逃げ出して遊び呆けて喧嘩して、…巻き込んで、また逃げて。これじゃ書記から絞め殺されるて、ほんま」
『貴方は全てのしがらみから解放されたのです。今後後継者は「恭」で一致するでしょう、貴方の影武者は「簡単には殺されない立場」を得ています。そして、シユが貴方の希望通り動くとは限りません』
「俺は俺を信じてるよ?きっと、大切なもんは何も変わらん」
『…了解。それでは回線と共に仮面を開放します。一度捨てた本当の自分へ戻り、精々「化け物」と呼ばれて泣くと良い』
「はは、せやな。俺が泣く時は、真っ先に笑ってええから」
目を閉ざせ

漸く、東雲の唇は笑みを象った。
一度目を閉じ、再び目を開いた男は踏みつけていた男を片手で持ち上げ、酷く気怠げに呟いたのだ。

『気分はどうですか、シユ』
「解放の合言葉がいけ好かねぇ榛原大空の声でなければ最高だけど、まぁ、悪くない」
『東雲紫遊、今の貴方は皇の庇護を受けられません。セントラルラインを永久凍結します』
「…勝手にしろ。12年前から俺は帝王院秀皇なんざ見放してる」
『最終演算終了、87%の確率で貴方は己で作り出した東雲村崎を裏切るでしょう』

きらりと、鈍色の指輪が落ちていく。


「惜しいな、100%だよ」

拾う気はない。
回線さえ開けば、もう、アンテナも指輪も必要ないのだ。此処が日本である限り。

「秀皇の所為で俺は殺され掛けた、義眼の癖に見たくもない幻覚が見える、おまけにアイツは未だに寝たきりだ。あの時スコーピオに行かなければ…でももう良い、助けてくれたじいさんには悪いが、復讐の為の犠牲だと理解して貰おう。クラウン・ゲヘナスクエア・オープン」
『コード:サーベラスを確認、ご命令を』
「陛下はどちらに?」
『コード:冥王を検索します』

人間を物の様に抱えた男は獰猛な眼差しの下、唇には笑みを刻んだまま、

『………666%、オーバードライブ。コード:ペルセポネの審判は下されました。タナトスの戒律により、謁見前に試練を与えます』
「判った」
『寛大にして公平である審判者タナトスの審判をお伝えします。朝には朝を、夜には夜を、慈悲には慈悲を、背徳には裁きを、ケルベロスにはサーベラスを。【犬は一匹で良い】』
「死神らしい等価交換だな」

余りにも無慈悲な言葉を投げつけられて尚、表情を変えずに。


「…邂逅の機会は今しかない。元老院が探す神の正体を知る為なら」

然し一度だけ、目を伏せた。























「ちょっと!何処にいるってのよ二人は!」
「煩ぇな、だから判んねぇっつってんだろうが!」

睨み合う赤毛二人に、金髪二人は困った様に目を合わせた。
建坪は50坪あるかないか、然し内部はセキュリティの為に迷宮じみている時計台内部は、開放されている二階エントランスからはメゾネットになっているゲストルームへ続く階段しかない。実質、来客が足を踏み入れられるエリアは極僅かだ。

「入口にも、ゲストルームにもバスルームにもトイレにも姿はなかった。残るは裏庭か、若しくは上層階、最悪、外に逃げられたか…」
「私はこの学園には詳しくないから間違っているかも知れないけれど、此処のセキュリティはそう甘くないでしょう?此処のシステムはルークが構築したセキュリティだって聞いたけど」
「そうらしいな。君の甥には何年も会っていないが、表向き、今のあの子は帝王院夫妻の孫の立場にある。ステルシリー製のロボットとは言え、脇坂がそう簡単に逃がすとは思えない」
「そう思いたい所だね…。今の技術班の責任者は良い噂を聞かない男だ、ネイキッドの目が離れているのを良い事に、議会に回していない研究を行ってるって話もある」

表玄関は石垣になっている一階から正面階段を登るしかなく、一階裏手の勝手口は一階の半分を占める、倉庫と厨房だけだ。
二階の残り半分は、エントランスホールのエレベーターを使い上層階から降りるしかない。中央委員会・左席委員会の両下院役員や理事会役員であるならともかく、権限がない人間や間取りを知らない人間はまず迷う造りだ。土地勘があっても迷宮さながら、隅から隅まで移動するのは骨が折れた。

「アンタがしっかり見張ってないからよ!大体、アンドロイド相手に脇坂君一人に見張らせるなんて何考えてんの?!学園長方に万一の事があったら、もうっ、何てお詫びすれば良いのよ?!」
「アンドロイドだの何だの言われたって、知らなかったんだから仕方ねぇだろうが!テメーこそ先輩風吹かして、面倒事を何でもかんでも高坂さんに押しつけてんじゃねぇか!」
「なっ、何ですってぇ?!アタシがいつそんな事したって言うのよ!」
「お陰様でとんだ恥掻いたじゃねぇか!高坂が佑壱に血清提供してた事、何でもっと早く言わねぇんだ?!」
「アタシだって知ったのはつい最近だって知ってんでしょうが!」
「知ってたら苛めなかったのに、どうしてくれんだよ!完全に俺が悪者じゃねぇか、高坂怒ってんだろうなぁ、そりゃ睨まれるわな!」
「レイ、ゼロ。仲が良いのは判ったから喧嘩はやめなさい」

手分けして探せれば楽なのだろうが、何があるか判らないので四人固まって歩き回ったが、一階と二階をぐるっと巡っただけでもかなりの時間を費やしたと思われた。

「…ごめんなさい、アリー。恥ずかしい所を」
「ふふ、男同士は何処も同じだよクリス。喧嘩するほど仲が良いと言う言葉もある」

焦りからか派手な親子喧嘩を繰り広げている赤毛二人に、嵯峨崎夫人は眉間を押さえ、高坂夫人は笑みを滲ませる。

「嵯峨崎さん、ゼロ君。そもそも最初に助けて頂いたのはこちらです。佑壱君の輸血がなかったら、11年前に日向は死んでいたかも知れない」
「だからと言って、それからずっと助けて貰ってたのに、あの時、私は貴方の息子さんに酷い事を…」
「レイの言う通りだ。アリー。いや、高坂さん。貴方達にはどれほど感謝しているか」
「弟の為に有難うございます。…その、日向君には今後全力でお礼をしたいと思ってますので…いや本気で…」

三者三様、ぺこりと頭を下げた嵯峨崎らに頬を掻き、日向に良く似た目元を和らげた人は頷いた。

「判りました。では互いに恩を感じるのは終わりにしましょう。…クリス、君からの送金も今後は必要ない」
「………判った。けどアリー、これからも、その…」
「これから私達は友達になろう。クリス、友達の間に過ぎた感謝は要らないね?」
「そうね。有難う、アリー」

美女が抱き合う光景は美しい。
ずずっと鼻を啜るオカマを横目に嫌々ハンカチを差し出した長男は、派手に鼻をかむ父親を殴ろうとしたが諦めた。学園長夫婦の居住区に当たる部屋のドアが、微かに開いていたからだ。

「もうこんな所まで来たわね。まさか此処まで入り込んでるなんて事はない筈よ、引き返さないと」
「けど親父、万一の事があるかも知れねぇだろ。念の為、学園長に事情を話しといた方が良いんじゃねぇか?」
「………それもそうね。お二人にもしもの事があれば、死んでも死にきれないわ」

嵯峨崎零人は横目で固い表情の父親を見やった。
以前から嶺一の、帝王院に対する恩義には気づいていたが、その理由までは知らない。零人を学園へ入学させるのも昔から決めていたらしく、大学院を卒業していた佑壱を来日後に入学させたのも、寮があるからと言う理由だけではない様に思えた。
あの頃は零人が佑壱を嫌っていた事もあり、また佑壱も実家には近寄らなかった為、仕方なくだと思っていたが、数年前からはそれ以外の理由ではないかと思っている。

そうでもなければ、嶺一の加賀城に対する異常な嫌悪の理由が説明が出来ないからだ。
ふと零人が世間話の中で、佑壱の親衛隊隊長の話題を出した事がある。去年だが、勿論、話題の主は加賀城獅楼だ。その頃、零人は獅楼の名前までは覚えていなかった為、加賀城と言う名字だけを出した。

その時の嶺一の表情だけは忘れそうもない。
すぐに佑壱から引き離せと命じられるまま、加賀城の粗捜しを始めたが、見合いの仲人をしている現会長夫人も、婿養子の会長も、息子にして現社長の獅楼にも、マイナスになる様なネタは見つからなかった。
加賀城財閥は一寸の濁りなくクリーンだ。いっそ、病的なまでに。

「失礼します宮様。お時間宜しいでしょうか、嵯峨崎です」
「おお、入りなさい」

少し開いているドアをノックし、返事を待ってからドアを開けた父親の背を静かに見つめながら、零人は目尻を指で揉み解した。
紫外線避けのコンタクトレンズがごわごわする。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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