帝王院高等学校
デッドオアアライブが帝君冥利☆
「…最愛の妻の葬儀の場で唯一、この鳳凰の元へ朗報がやって来た。久方振りに、皆の顔を見る事が出来た事を心から感謝する」

まるで眠っている様にしか思えない美しい遺体の傍ら。
棺桶の中で静かに眠る妻の頬を愛しげに撫でた男は、彼の自慢でもあった艶やかな黒髪を真っ白に染めて、彼こそ死人の様な表情をしている。

「やはり私には、父の血が流れていた。怒りに我を失う、獣が如き猛禽の血だ」

それは俺が狐だからだろうか・と。彼は囁いた。

「始祖、帝王院天元は人ならざる外道の力を以て、時の帝の寵愛を得た。正体は妖怪か獣か、平安以降、江戸に至るまでの家系図は残されていない。残っているのは帝王院の家紋、正十二芒星を記した衣だけだ」

一昨日まで穏やかに笑っていた帝王院舞子は、通夜を経て火葬を待つ。迷う事なく、彼女が神の元へ召される前に。
その穏やかな死に顔を認めた誰もが呆けた表情で、黄昏に染まりゆく空の下、小高い丘に建つ社で息を詰めている。

「陽空(はるあき)」
「はっ」
「陽炎(かげろう)」
「…此処に」
「糸遊(しゆ)」
「はい…」
「刹那(せつな)」
「何と…何と惨い事がありましょうか。我ら明神がお側にありながら、お舞の方様をみすみす死なせてしまうとは…」
「不忠(ふさただ)」
「………心より、お悔やみを」
「龍一郎」
「泣いている暇があれば、背徳には相当の罰を与えるべきだった」

漆黒の髪、濃い茶の瞳は髪と同じく黒に見えるほど印象が強い。

「大殿自らの手を血で染めさせたのは、我ら皇の罪だ」
「何を…っ、裏切った冬月の餓鬼が!」
「見苦しい真似はやめんか刹那!…叶もだ、隠し針から手を離せ。これは榛原陽空の名に於いて命じる」
「くっく、苦労なさるな、榛原小父殿。お主こそ、この俺を疎ましく思っているのだろうに」

眉間に皺を寄せ、眩しげに右目を眇めた男は外した眼帯を乱雑にポケットへ突っ込むと、傍らに連れていた雰囲気のある長身の男を指差した。

「愚かしい家名である冬月が犯した裏切りを、今更購う為とは言えんが、大殿への目通りに相応しい土産を連れてきた。許しを頂ければ、御前へ」
「…良いだろう。古い友である龍流の息子とあらば、お前は私の息子にも等しい」

刺々しい視線には構わず、深々と主人へ頭を下げた冬月龍一郎は、帽子を目深に被っていた男へ異国の言葉を投げ掛ける。中国語の様だ。


「初めマシテ。我の名は、大河白雀」

片言の日本語を口にした男に、全ての視線が注がれる。彼のその美貌は、余りにも帝王院鳳凰に似ていたのだ。

「如何がだろう、大殿に良う似ておられると思うが」
「…そうか、姉上の子…私の甥か。龍一郎、良く連れてきてくれた」
「勿体ないお言葉、痛み入る」
「中国語を使うようだが、白雀、姉上はご存命だろうか?」
「去年この男の母親、叶雲雀殿は亡くなった。大往生だったそうだが、夫の叶芙蓉は十年以上前に亡くなっていたと聞いている。悪いが、大河氏は日本語を殆ど忘れている様だ。聞きたい事があれば、俺が翻訳しましょう」

暫く、彼らの会話は続いた。
鳳凰より幾らか近く若い大河白雀の言葉は殆どが中国語だったが、それまで死人の様だった鳳凰の浮かべた笑みは、彼を慕う全ての人間に束の間の安堵を与える事に成功している。

「やはり神への手紙は届けて貰えんか、龍一郎」
「幾ら大殿の命であろうと、既に死んでいる者に会わせる事は不可能だ。俺に出来る事など高が知れている」
「…夜の王への恩を返せない事だけが気掛かりだが、致し方ない」
「夜の王?」
「我が最後の友、名を遠野夜刀と言う。お前が遺体を連れ帰った遠野夜人は、彼の叔父だ」
「…」
「夜刀は夜人の名付け親であり、私より些か若いが、大学在学時の同期だった。我が国で五本の指に入る遠野総合病院の院長のコネクションで、夜人の死因と失踪後の行方に突き当たったそうだ」

中国からやってきた帝王院と叶の血を継ぐ男は、美しき叔母の最期の姿を前に跪き、暫く黙祷を捧げた。彼らを見守っている面々は一様に口を閉ざしたまま、何とも言えない表情だ。

「その様子では知っていたのだろう。無論、お前が立花病院へ潜り込んだ理由は、無関係だったのだろうが」
「…お人が悪い。ご存じでありながら俺を見逃しておいででしたか」
「よせ。敬語が苦手だった龍流の子だ、楽に話すが良い。あれは聡明な男だったが、人を疑う事を知らずに死んだ」
「左様、恥ずかしい限り。我が家は身内同士で潰し合った。裏切り者には相応しい末路だ」

裏切り者が二人も揃っていれば、仕方ないのかも知れない。
冬月も叶も、帝王院から離れた家名だ。

「お前の母である糸魚(いとな)は、そこに控えている糸遊の義理の妹だった。尤も、糸魚は高森前伯爵が引き取った親戚筋の娘だ。野盗に襲われ両親を目の前で殺された糸魚は心を病み、僅か4歳で己の名も両親の顔も忘れたそうだ。…そうだな、糸遊」
「はい。哀れな娘でした。私は高森様に嫁いで間もなくでしたから、我が子の様に接しておりましたわ。…恐ろしい過去を忘れたかったのでしょう。本名を受け入れなかったあの子に、糸魚の名をつけたのは私の夫ですの」

実年齢が判らない美貌の女は、豊かな赤毛を巻き上げた白い肌に刻まれた赤い唇に、微かな笑みを浮かべる。

「不思議そうな顔をするのね、冬月龍一郎。何も可笑しな話ではないでしょう?雲隠は代々女ばかり、灰皇院の中でも特に短命な家です。私は13歳で高森様へ嫁ぎました。亡き俊秀公に嫁いだ桐火様は、私達兄妹の叔母に当たる方」
「…それで父より随分若い」
「お前よりはずっと年上ですわよ。大殿と十離れているだけで」

鋭い眼差しが眇んだ。
獰猛な女の様子に眼差しを細めた鳳凰は、彼女に真っ向から睨まれて尚怯んだ様子のない龍一郎へ目を向ける。

「夜の王へ興味があらば、お前の身柄を引き渡してやっても良い。龍流もまた、遠野と同じ医者を目指した男だ。父親の意思を継いでいるお前であれば、夜の王も気に入るだろう」
「…」
「そうしてお前が話せると思ったその時に、遠野夜刀へ夜人の話をしてやって欲しい。老い先短い老い耄れの、最期の頼みと思って頷いてくれないか、龍一郎」
「…御意。仔細心得ましてございます、殿」
「もう一つの気掛かりは、我が子、駿河だ」

帝王院鳳凰の言葉は、眠る妻へと向けられた。
身内だけの葬儀に息子の姿はない。彼は今、高等部生徒を導く中央委員会会長として、最後の仕事に励んでいる。夏を待って引退すれば、卒業を待つばかりだ。

「然し最早この俺に、人としての感情を宿す資格などなかろう。…榛原陽空、嵯峨崎陽炎、高森糸遊、小林刹那、冬月龍一郎。俺はお前達を決して忘れない」

軈て、世界は啜り泣きで包まれた。
帝王院を守り続けてきた忠実な皆が、解き放たれる時が来たのだ。

「加賀城本家は、家長である加賀城瑞季が琉球に追放された事により断絶したも同然。瑞穂の実兄であるあの男は、妹とは違い、賢い男だ」

線香代わりのキャンドルは、甘いものを好んでいた送られ人の好物であるチョコレートの香りを漂わせている。死ぬ間際まで少女の様な無邪気さで微笑みを絶やさなかった、帝王院舞子の喜ぶ声が、今にも聞こえてくる様だ。

「だがどう足掻いても、舞子の家は潰せない。亡き義父義母は、舞子を心から慈しみ育て上げた素晴らしい方だ。その家を潰す事で、駿河に舞子の死の真相を知られる事を避けたい俺を、甘いと思うか陽炎」
「…全ては御心のままに」
「俺を間違っていると思うか、糸遊」
「宮様の為される事に、間違いなどある筈もない」
「俺は王ではない。陽空、灰皇院最後の長であるお前には、最後まで迷惑を掛ける」
「おやめ下さい。殿が自ら手を下す必要などなかったのです。…ご命令とあらば、この私が加賀城を地獄に突き落としてやったものを!」

優しい顔で妻を撫で続ける男は、その時既に、この世の人ではなかったのだろうか。

「畏れながら、舞子様の恨みは終わっておりませんわ、宮様」
「…可憐」
「心優しく美しい方を、この様に惨い姿に陥れた加賀城は、一人残らず殺してしまうべきです。私にお任せ下さい」

長い長い、彼女の背丈よりも長いだろう黒髪を豊かに結い上げた女は、皆無に等しい眉の下、冷たい印象を与える一重の双眸に凍える嘲笑を落とす。

「西の果て、野蛮な米軍に虐げられている琉球の民諸共、追放された加賀城を一掃してご覧に入れましょう。鳳凰様、舞子様、お二人の悲しみはこの私、嵯峨崎可憐が命に替えても果たしてみせますわ」
「舞子は全てを許すだろう」
「…いいえ、舞子様の悲しみは瑞穂と瑠璃子が死んだだけでは終わっておりません。お優しい宮様の手を汚さずとも、のうのうと生き残った山梨の残党も、舞子様の葬儀にすら姿を現さない加賀城敏史も、この私めの鉄翼で、跡形もなく消し去ってご覧に入れます」

彼女は微笑んだ。

「私は鳳凰様と舞子様に、身に合わぬ愚考と存じた上で、本日まで憧れておりました。私が航空業界へ手を出した理由は、灰皇院の皆様が『空』へ焦がれるそれと何ら変わりません」

忌々しい彼女の人生で唯一、出会ったその日からまるで姉の様に、親友の様に、ひたすら優しく微笑み続けてくれた大好きな人の遺体を見つめ、娘が母親を慕うかの様なあどけない表情で。

「私は灰皇院ではありませんが、舞子様を慕う一人の人間として、お別れの贈り物を捧げたいのです。…どうか、卑しい私にご命令下さいませ、宮様」
「お前が手を出してはならん」
「っ、宮様…!」
「『可憐さんは名前の通り可憐な女の子なの、私の妹になってくれないかしら』」

鳳凰の台詞に目を見開いた女は、震える唇を噛み締めながら、膝を崩した。溢れ出る涙を呆然と両手で押さえ、何が起きたのか判らないと言わんばかりの目は揺れている。

「舞子の妹にそんな惨い命令を下せる程、俺は堕ちていない。何故ならば舞子の妹たるお前は、この鳳凰の妹も同然だからだ」
「あ…あああ…う…ぁあああ…っ」
「今宵限りで、お前達に課した鎖を解き放つ。虚ろなる蝉が、自由に飛び立てるように」

彼の言葉を心の何処かで覚悟していた者達は、嵯峨崎可憐の慟哭が響き渡る中、諦めに似た表情で目を閉じた。

「二度と俺を主人と思ってはならない。
 二度と己を犠牲にしてはならない。
 二度と家族で争ってはならない。
 今宵、空蝉に最後の命令を下す。俺の大切な家族である皆が、幸せであるよう」

それこそ正に王者たる慈悲の言葉を以て、彼こそ実の親から繋がれて育った男は、愛するが故に家族を手放したのだ。





「罪深き帝王院の贖罪は、この俺一人の命で終わらせる」





















「死ぬのは二人だけですよ」

悍しい台詞とは反して、晴れた朝の空は澄み渡っている。
明日から5月に入る兆しの如く、見事な五月晴れだ。

「な、にを…言ってるんで、す?冗談ですよね…」
「勿論、君にだけ辛い思いをさせたりはしませんよ、榛原君。取引は常に等価交換でなくてはならない」
「………僕に、断る術はないんでしょ?だったらとっとと本題に入っ、」
「叶二葉と帝王院秀皇」

言葉を遮る様に、叶守矢は囁いた。
それだけで世界が時を止めた様な錯覚、聞いてはならない話を聞いたのだと今更理解した所で、選択肢はないも同然だろう。

「ああ、勘違いしないで下さい。私個人として、二人には何の恨みもありません」

傾き掛けていた生家の会社の為とは言え、学生時代に父親を陥れた事がある自分が道徳を説ける立場ではない事を、山田大空は自覚していた。
とは言え、やはり今の状況には言葉もない。

「帝王院秀皇が死ぬ事により、グレアムが動かざる得ない状況を作ります。そして彼を殺した犯人がヴィーゼンバーグ公爵家であれば、セントラルは特別機動部を出動させるでしょう。皇帝直属の犬にして、暗殺部隊に等しい悪魔を」
「…」
「グレアムと古くから因縁のあるヴィーゼンバーグが潰えると同時に、我が叶から一人の若者が消えます。龍の宮は絶望するでしょう。でもそれはほんの一時。悲しみに暮れる私達の元に、失った宵の宮に入れ替わり、明の宮が戻ってくるのです」

この男は何を宣っているのだろう。
話の後半は殆ど理解出来なかった。確かに小憎たらしい子供だとは思うが、だからと言って叶二葉の死を望んでいる訳ではない。親友である秀皇を殺すなど以ての外だ。有り得ない。こんな話、鵜呑みにする筈がない。

「………それ、帰れない可哀想な子供、でしたっけ?貴方が本当に考えてるのって、その子がどうとかって話じゃないですよね、叶先輩」
「おや?どう言う意味ですか、榛原君」
「想像でしかないんですけど、貴方の本当の目的は多分、グレアムから神の血を消す方だ」
「…おやおや、勘が良い事で」

叶一族には致命的な欠点がある。それこそが最たる長所とも言えるだろうか。
一度決めた主人に最後まで尽くす、灰皇院で最も忠実な家名。己の命を石ころ同然に扱う家で、彼らの神は常に、己の主人ただ一人なのだ。

だから帝王院俊秀は、娘を奪った叶の裏切りを許さなかった。彼は悲しみの余り全ての皇から慈悲を捨て野へ放とうとしたが、妻である雲隠桐火の決定により、叶一族を帝王院の聖地、京都に追放する事で怒りを納めたのだ。
そうして帝王院俊秀は、二度と大切な家族をなくすまいとこの土地に帝王院の屋敷を建てた。産まれて間もない息子を赤い塔に監禁し、成人するまでそこに閉じ込めたのだ。

「前学園長はお姉さんの雲雀さんから手紙を貰ってました。駆け落ちは彼女が言い出した事だった。だから前学園長は叶を呼び戻そうとした」
「そうです。然しその時にはもう、体の弱い叶桔梗が産まれていました。住み慣れた土地を離れるには、彼女は余りにも脆かった」

全ては、帝王院雲雀に忠誠を誓った叶芙蓉が、雲雀に言われるまま姿を消した為に。

「…ペースメーカーが入ってたそうですね、貴方の義姉さんは」
「私の父は兄である芙蓉の尻拭いで、老いた両親に幼い頃から跡取りを求められていました。然し妻の元には娘しか産まれなかった。当時は今程知られていませんでしたが、奥さんが不育症と言う悩みを抱えていた。仕方なく父は芸者に私を生ませた」
「跡取りとしてですか?でも先輩は、」
「仕方なく作らせた子など、育ててくれただけで奇跡ですよ。実の母は私が生まれると、叶に譲る事を躊躇った。私は産まれたばかりだったので仔細は知りませんが、最後は大金と引き換えだった様ですねぇ。そんな女の子供を父が見下すのも無理はない」
「大人の勝手に巻き込まれただけじゃないですか。もし貴方がそれに責任を感じているなら、それは間違ってます。だから、」
「それなのに、血が繋がっていない義母と姉だけは私に優しかった。母屋で暮らす彼らの邪魔をしないように、私は離れで暮らしていました。産まれた時から寝て暮らしていた姉は、広い母屋でいつも一人」

聞かない方が良い。同情しても、人質の無事と引き換えに親友を殺す事など出来はしない。判っているのに、やはり人質が気に掛かり口には出来なかった。逃げた所で、仲間と妻の身に危険が迫るだけだ。

「二人きりの姉弟だからと言って、父が居ない時は義母が作ってくれるおやつを囲んで、私は姉と話す時間を許されました。花が好きだった彼女は茶道より華道がしたいと言っていた。けれどある時、義母が亡くなりました」

姉弟が姉弟である為に必要だった人が居なくなり、二人の楽しい時間は消えた。隠れて母屋の姉の元を尋ねると、妻を亡くし絶望に暮れていた父が、姉に乱暴を働いている所を目撃したのだ。

「目の前が真っ暗になりましたよ。未遂でしたがねぇ、流石に妾の子が父親を殺そうとしたのは不味かった。丁度その頃、君が言った様に帝王院鳳凰様からお許しを頂いていた事もあり、私だけが帝王院学園へ追いやられたのです」
「そうだったんです、か…」
「姉の事が心配で生きた心地がしなかった。あの男から何をされているのか、毎晩毎晩考え続けて、漸く高等部に進んだ。その頃には学園を抜け出して実家へ戻る事など、当然容易でした」

然し心配していた父娘の間に、あれ以来トラブルはなかったらしい。然し引き換えに、彼女の元には金髪の恋人が居た。

「父への怒りがその男に移り変わっただけ。大人になっていた美しい姉から、零れんばかりの笑顔で結婚を考えていると言われた私の気持ちが判りますか?」
「単にシスコンだったんでしょ」
「ええ、許されるなら犯してしまいたいくらい愛していましたが、勿論、手など出してはいません。私は父とは違い、妻と娘を間違えたりしない」
「アンタには娘は居ないでしょ」
「ムカついたので手当たり次第の女に手を出していたら、姉達より早く子供が出来てしまいました。叶の跡取りになどなる気は毛頭なかったので仕方なく卒業を待って婿養子に入りましたが、浮気癖が直らない所為で、ほんの数ヶ月で離婚した訳です」
「これに関しては完全に僕が言えた立場じゃないだろうけど、アンタ最低ですねー」

揶揄めいた笑みを浮かべ外を眺めていた男は、写真を胸ポケットへ差し込んだ。その表情からは、先程の恐ろしい提案が嘘の様に穏やかさしか感じない。
だとすれば、やはり、そうなのだろう。

「やっぱり、小林先輩は嵯峨崎先輩の為に今回の事を計画したんですね」
「…勘が働きすぎる人は幸せになりませんよ」
「人質って言ってますけど、本当は巻き込まれない様に遠ざけてくれようとしてるんじゃないですか?実の息子に危害を加えるなんて、流石に俺だって考えた事もないですから…」
「ふふ、私がそんな善人に見えますか?」

笑う顔には覇気がない。彼もまた、悩んでいるのかも知らないと思った。少なくとも人質に危害を加えるつもりはないものと思われる。但し、勝手な思い込みだ。

「十口は結束が強い家だって聞いてます。榛原にしても冬月にしても、小林専務から聞いてる明神にしたって今じゃバラバラ。未だに本家と分家が固まって暮らしてるのは、叶だけだって話じゃないですか」
「そうですねぇ。雲隠・明神に至っては、亡き鳳凰公の命令に従って、家名そのものが消えました。最後の当主が他家に嫁いだのでねぇ」
「それについては俺なんかより、貴方の方が詳しいでしょ?だって嵯峨崎先輩は、世が世なら雲隠の当主だったんですから」
「雲隠は女の家でした。男が生まれるのは稀で、だから嵯峨崎嶺一が産まれた時、彼の母親は認めなかった」
「認めなかった、って」
「彼は女として育てられました。仕方ない事なのです。嵯峨崎会長は、父親が連れてきた子」

何を言っているのか判らず、大空は動きを止めた。漸く愛人の子なのかと思い至ったが、それは早計だった様だ。

「嵯峨崎可憐は子供が作れない体でした。卵巣は機能しているのに子宮が壊れていた。彼女の夫は、妻を母にしてやりたいが為に、異国の神を呼び寄せました」
「異国の神…?まさかグレアムですか?」
「恐らく。駿河学園長を苦しめる羽目になったのは、嵯峨崎会長の父親が犯した罪。会長は未だ、それを悔やんでいます」

俯き加減で眼鏡を押し上げた男の表情が、歪んでいる様に思えた。























「ふ、二葉先輩…二葉先輩っ。こ、怖い…!」

人生で初めてバイクに股がった山田太陽が、珍しく受けっぽい台詞を吐きながら叶二葉の背中に張り付いている。出発しようとエンジンスターターを押した二葉は肩越しに振り返り、余りの現実に頭がついていかないのか、真顔で瞬いた。

「お、俺、俺、ヘルメット怖いです…!ヤトじいみたいな帽子みたいなヘルメットがいいです!顔がすっぽり嵌まる奴は、重いし暗いし怖い…っ!」

ガタブルガタブル、今にもチビりそうな太陽は狭所恐怖症なのかも知れない。学園内でこそ目立たないものの、一般家庭よりは裕福な家に生まれた所為で、狭い所を何より愛している遠野俊とは異なっている様だ。

「うぇっ、う、浮いてる…!やだやだ怖い、落ちちゃうよー!」
「大丈夫ですよ山田太陽君、そんな事には絶対になりません」
「ぜっ、絶対?!約束するっ?」
「…」

混乱している太陽はフルフェイスのヘルメットを被ったまま、ズレた目隠しから涙目を覗かせ、仔猫宜しく二葉の背中にしがみついた。過去に此処まで二葉が太陽から求められた事などあっただろうかと、無言で天を仰いだ叶二葉の瞳は若干潤んでいる。

「良いか皆、無理せず気をつけるんだぞ。何が起きているのか判ったら、すぐに戻って来る事。深入りはしない、良いか?」
「皆に何かあったら、私達はその方が辛いわ。俊ちゃん、太陽ちゃん、大丈夫?」
「が、学園長、学園長代理!大丈夫ですっ、左席委員会に…この山田太陽に任せて下さい…っ」

感極まっている二葉の細い腰をぎゅっと抱き締めたまま、細い体躯に大きなヘルメットを乗せている太陽はヘラッと笑った。言っている事は男前だが、その尋常ではない震え方を見るだに、帝王院駿河・隆子夫婦の心配は加速するばかり。

「天の宮様、やはりヘルメットを被られた方が宜しいかと。東雲のおじさんが若様にぴったりなヘルメットをご用意しますので、少しお待ちを」
「おじさん、俺は守られるより守る男になりたい。何故ならば俺はテークンでありサセキ会長、生きるか死ぬかの男に産まれたからだ」
「な、何と勇ましいのか…!お流石でございますぞ、俊の宮様!この東雲、畏れ多くも若様を息子の様に思っておりますれば、涙で前が…っ、前が見えませ…っ!」
「ぷはーんにょーん、ゲフ」

どぱっと噴水ばりの涙を迸らせた東雲財閥会長に抱き締められた主人公は、ヘルメットが入らなかった自分の頭蓋骨の大きさから目を逸らしたまま、マジで抱き殺される5秒前である。
妻の親族にして幼馴染みである東雲をしょっぱい目で見やった学園長は、空飛ぶバイクをポチポチっと弄っている白衣に目を向けた。

「立花殿、孫を宜しくお願い致します」
「駿河、お前は何を言っている?俺は立花ではない、帝王院だ」
「…何と、父上モードでらっしゃいましたか。俊をくれぐれもお願い致します」
「案ずるな。何故ならばこの帝王院鳳凰、俊の『ひーじーちゃん』なのだ」
「良く判りませんが、判りました。父上、ご武運を」

グッと無表情で親指を立てた白衣に、生前の父親とは全く似つかないのでイマイチ納得出来ない表情ながら、俊の『じーちゃん』も親指を立てる。

「ひーじーちゃん、タイヨーと二葉先生が先に行った。置いてかれる」
「心配せずとも良い、何故ならば俺はお前のひーじーちゃんだ。この帝王院学園はひーじーちゃんが作った学校でもある。此処は一つ、この帝王院鳳凰校長に任せておけ」
「ひーじーちゃん校長先生、宜しくお願いしま」
「鳳凰の宮様と、俊の宮様がタッグを組まれるとは…!大殿っ、この様な素晴らしい光景を見られるとは、正に神の采配でしょうやら!」
「うむむ、私の孫でありながら何と男前に育ったのだ俊…!じーちゃんは、じーちゃんは前も後ろも見えんぞ…!」

鋭い目付きでビシッと親指を立てた左席会長に、主に東雲財閥会長と駿河学園長からけたたましい拍手が湧いた。蚊帳の外、と言うか会話についていけないテラスから覗いている一同は、裏庭のバイクを見守っている。
デート気分の二葉がエンジンを吹かす音と、左席副会長の凛々しい悲鳴が聞こえてきた。先に出発したわりには、時計台の上方から聞こえてくる気がしないでもない。

「所で俊、第五キャノンって何だ?」
「判らない。じーちゃん、第五キャノンって何だ?キャラメルの進化系?」
「何とした事だ、父上も俊も敷地内に覚えがないらしい。このままでは学園内で迷子になってしまう。一大事だ俊、東雲に地図を用意させるから待っていなさい」

ちょっと改築し過ぎて複雑化した学園内で度々保護者が迷子になる為、慌てた学園長の傍らでしゅばっと駆け出した東雲財閥会長は、革靴だった所為で芝生に足を取られて派手にスッ転んだ。
一部始終を意気投合したヤクザと共にテラスから見ていた107歳は、呆れ顔でハーフヘルメットを白衣へ投げつける。

「何をする夜の王、俺がアンドロイドでなければ脳震盪を起こしていたぞ」
「喧しい。鳳凰、勝手に起動しとらんで、俺に替われ。お前は催眠指令以外特に何も出来ん、廉価版のCPUだろうが。お前なんぞに任せていたら俺の可愛いシュンシュンが怪我をするっ!」
「な。お前はこの帝王院鳳凰がその様な失敗をすると思っているのか」
「んなもん、思ってるわボケナスがァ!モード流転、コード:俺!」
「だが断る」
「な!貴様っ、アンドロイドの分際で俺に逆らうつもりかァ!」
「ひーじーちゃん、じっちゃんに替わってくんない?」
「判った、ひーじーちゃん留守番する」

遠野VS帝王院による大人げないにも程があるいさかいは、遠野&帝王院のハイブリットによる主人公がこてりと首を傾げた瞬間に終了した。

「皆が仲良しだと、俺は嬉しい」

目付きがヤクザより鋭い事と頭が大きすぎる事を差し引けば、それなりに可愛い仕草だった様な気がしないでもないからか、帝王院駿河を筆頭に、帝王院隆子、そして二人の遠野夜刀もまた、鼻を押さえたのである。

山田太陽の悲鳴が狂った笑い声に切り替わった気がしないでもないのは、気の所為だと思いたい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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