帝王院高等学校
エキゾチックでマーブルな心模様
「こんばんはあ、臭い息吐いて地球を汚してる豚共」



それが現れたのは月が綺麗な夜だった。
早いお月見には最適な晩夏の夜、商店街は夏祭りで賑わっており、カフェはバータイムを臨時休業して、皆で銭湯に行こうと盛り上がった後だ。

商店街に昔からある古い銭湯は、老いた店主が夏バテしたと言って休業札が揺れていた。そのわりに祭りのイベントブースでマイクを握り、豪快に演歌を鳴らしていた老人が店主に似ていた様な気もしたが、突っ込むだけ無駄だろう。

使わせてくれる代わりに店番を替わってやると申し出たのは、目に痛いきらびやかな金髪を黒く染め、近頃コーヒー臭が体臭となりつつあるカフェカルマの店主である。
銭湯が休みだと知って絶望にくれた40名オーバーの子供らに、若干呆れていた様にも思えた。何にせよ、その中で最も絶望にくれたのは、最も偉い男だった訳だ。

「太郎ちゃん、俺は…俺は心から感謝しておりま」
「『す』が家出してますね、ファーザー。はいはい、銭湯に入浴剤を持ち込まない」
「えっ」
「しかも銭湯にバブ一個って無理がありますよ、ファーザー」

ヤンキーだろうがヤクザだろうが、他の銭湯では入れて貰えないゲイバーのニューハーフだろうが、お金さえ払えば快く受け入れてくれる風呂屋の親父は、然し祭りと聞くと必ず病気で店を閉める悪癖があった。
風呂掃除してくれるならタダで良いと言われていたが、円滑なご近所付き合いには甘えは大敵である。風呂屋の常連客が風呂上がりに一杯引っ掛けようと、バータイムのカルマに顔を出してくれる事もあったからだ。お陰様でバータイムに限って若い客は全く来ないが、それもまた寂れゆく商店街で生き残る術である。

「じいさんから鍵預かってきたからには、全員から当然料金を徴収する。それと、常連客が覗いたら断らねぇからそのつもりで」

仕事着であるコックコートを改造したシャツを脱げば、彼の私服はかなりロックだ。世界中の石が趣味と言うだけに、御影石の岩肌柄のシャツと大理石チックなストレッチパンツを纏う榊雅孝は、上下共に柄で揃えているにも関わらず何故か似合っている。

「ケチ榊ケチ榊!(´Д`) 俺ら社割利かねーの?オメー番台代行っしょ?家族割りがあんだろーがよ!( ´Д`)σ)Д`*)」
「あるわけねぇだろうが、人様の店を使わせて貰ってんだぞ。文句言うならお前だけ外で待ってろ」
「中学生は一人200円かよ。おいケンゴ、風呂上がりにパックの青汁飲んでも一人320円だぜ?安くね?」
「「「やだ〜、俺ら高校生は大人扱いで300円なんですけど〜!コーヒー牛乳飲むと400円なんですけど〜!」」」
「…あー、煩ぇ。裸で踊るな健吾、女風呂覗くな阿呆三匹。女風呂も今夜は男風呂で貸し切りだ」
「眼鏡の癖に風呂屋の親父気取りやがって〜!」
「いや〜ん!俺のチンコ見てんじゃねーよ!」
「これだから餓えてる医学生って奴は〜!医学生の癖に絆創膏使えっつーの!」

子供らの騒がしさに眉間を押さえた男は、今朝の仕込みで切った指先に巻いていたセロテープを剥がしつつ、笑顔でいらっしゃいませと宣った。正規料金以外は認めないらしい。

「水仕事やってるのに絆創膏なんか貼ってられるか。オーナー、大人しいと思ったら何やってんですか」
「あ?鏡の前でテメーの筋肉確かめねぇで、何を確かめるっつーんだ。ふ、今夜も俺の背筋力は神憑ってんな…」
「そそそ総長…!夏祭りなのでお着替えは俺とお揃いの浴衣をご用意しましま…ブフッ!」
「そこで鼻血吹いてる馬鹿を水風呂に放り込め」
「は〜い、副総長命令なんでカナメさん許してね〜」
「カナメさんの財布から200円貰うからね〜」
「うっわ、この人の財布、一円玉から一万円札まで、全部十枚ずつ入ってるんですけど〜!お金持ちー♪」

いつも集会で使っているそれほど広くもない公園は人だかりが出来ており、騒ぎが落ち着くまでは暫く外には出ない方が良いだろう。ただでさえカルマの人気が加速してきた頃で、度々ミーハーな女子らが商店街が騒いでいる事が、先住民への迷惑になっている気配があった。
見た目はともかく礼儀正しい嵯峨崎佑壱と、商工会の集まりも嫌な顔一つせずに毎回参加している榊雅孝の両名は、マダムからも男性陣からも信頼が高い。その所為か直接被害を訴えられた訳ではなかったが、要らぬ火種は早々に消しておくべきだと、近頃カフェカルマは日中にカルマメンバーが集まる時は、臨時休業になっている。

「皆、今夜はお父さんのお財布に任せなさい。夏休みに遊ばず働いた結果、今日と言うお給料日を迎える事が出来ました!」
「「「え?!」」」
「総長の財布、まさかのガマグチなん?!(°ω°)」
「流石は総長、小物類の拘りがパネェぜ」
「い、いけません総長…!総長の料金はこの俺が…!幹部である錦織要がお支払い致します!判っていますね榊、総長の料金は一番高い金額を取りなさい」
「正規料金以外は認めないと言ったろうに…」

今夜は夜だが、バータイムの常連らも流石に今夜は姿を現さないだろうと考え、火を落とした訳だ。
アルコールの匂いを纏って現れた白スーツの男は、何処で手に入れたのか大輪の花束を抱えて現れた。早い話、そんな男が居ては商売にならない。

「40人分のお風呂料金とお風呂上がりのジュース料金、しめてお幾らですん?」
「ファーザー、オーナーが恐ろしい目で俺を睨んでるんで、支払いの話は夫婦で話し合って下さい」
「イチが睨んでるのはいつもの事だ。振り返りたくない石になる」
「俺はメデューサじゃねぇっスよ、総長」

ガマグチから一万円札をしゅばっと取り出した男は、クレジットカードを取り出した赤毛に怯んで腰が引けている。番台の前で終わらない支払い戦争は続いていたが、銭湯にカードスキャナーがなかった為に、無事総長の奢りで纏まったらしい。

「太郎ちゃんも後でゆっくり温まるのょ。あと太郎ちゃんはオロニャミンCを飲みなさい。いつもお疲れ様です」
「有難うございます。所でファーザー、オーナーが号泣してますのでどうにかして貰えませんか」
「この世は所詮現金が強い…。俺は…俺は使えない男なんだ…ぐすっ」
「はいはい、泣いてないでコーヒー牛乳を飲みなさい。色がイチに似てるぞ?」
「俺は…ミルクセーキが飲みたいっス」
「さーせん、此処のお風呂コーラZEROが見当たらないんですがァ?」
「そりゃありませんから」
「な」

全裸で膝を抱えている嵯峨崎佑壱を、風呂の常連の年寄り達が取り囲み、何故か股間を拝んでいた。風呂と言う風呂が鮨詰め状態だが、いつもは閑古鳥が鳴いていると言う銭湯の珍しい盛況っぷりに、常連客は満更でもない表情だ。

「おっちゃん、水鉄砲でツボ刺激してやろっか?これ威力ハンパねぇから、昇天するかもな」
「お、おおおぅ、はふ…。良いのぉ、肩甲骨の辺り、もっと強めに頼む」
「おっちゃんパネェ!おいおい、常連客のシゲじい侮れねぇ感じなん?えっ、元ヤクザ?!」
「違う違う、わしは元焼肉屋のアルバイト…おおぅ、良いのぉ、水鉄砲ぱないのぅ…ふぅ」
「『何でも屋』の清子さん、あの若さで子供が居るって噂があるの知ってっか?(;´艸`) あの巨乳が他の男に汚されてたなんて、俺は信じないぞぇ!(;ω;`)」
「オメー、清子さんナンパするつもりだったのかよ。抜け目ねーな」

古い銭湯を埋め尽くすむさ苦しい男共は、常連のおじさん方の邪魔にならぬよう、女風呂を解放して楽しげだ。たった二時間の番台代行で心身共に疲れ果てたのか、榊は墓石カタログを顔に乗せて半分寝ている。

「おーい、村松のおっさんは死んだのか?」
「おお、村松の旦那はさっき津軽海峡冬景色歌っとったぞ、この真夏に」
「良い男が番台で寝とるのぅ、拝んどこ」
「今夜は男だけ無料解放らしいぞぃ。祭りで女房も孫も出掛けて一人だもんで、儂も一人寂しく一杯やりにきたんだ。何やら賑やかでええのぅ」
「おー、カルマが集まっとるのか」

常連方は無料と書いた紙を番台に張り付けているので、実際は雄共の無法地帯だ。祭りで賑わう外とは違った意味で、こちらもまた騒がしい。

「何ですかあれ、電気風呂って書いてあります。総長、危ないのであそこには近寄らないで下さい。感電しますよ」
「ヒィ!感電?!」

学園外はカフェかラブホしか知らない錦織要はけたたましく、風呂上がりには低周波と言う言葉を真顔でググっていた。
総勢40人以上で背中を流し合う意味不明なイベントで、銭湯のタイルと言うタイルは泡まみれ、ただでさえ大学に通う暇もなくカフェを切り盛りしている榊は寝起きの荒んだ表情で、風呂上がりのジュースを舐めている子供らを横目に「マジか」と漏らした。

結局、風呂掃除を始めた榊を手伝って数人が残り、幹部らには掃除などさせられないと追い出された残りの一行は、腹が減ったと銭湯でこさえた温泉卵を貪りながら凛々しく宣ったシーザーに誘われるまま、閉店ギリギリの屋台を冷やかしたのだ。
九時を回って閉めている屋台を覗けば、お代は要らないとあちらこちらから貢がれて、大量の荷物を抱える羽目になった。カルマが誇る食欲魔神総長は涎に沈まんばかりの勢いで、仕方なく一行は人気がまばらないつもの公園で夜食を楽しもうと足を向けたのだ。



「「あ?」」

が、ミルクセーキで夢見心地だった嵯峨崎佑壱が鬼と化すのは早かった。何やら人だかりがあると思えば、酷く派手な人間が雁首を揃えているではないか。
金地に赤い刺繍が施された詰襟じみたジャケットを羽織り、ジャングルジムの頂点に腰掛けていた金の仮面を被った金髪を見るなり、佑壱もその男も、動きを止める。

「おいおい、小学生がジャングルジムに上ってやがる。何時だと思ってやがる。とっとと帰って寝ろ蒙古斑猫」
「はっ、剥けてねぇ中学生がほざくな蒙古斑犬」
「んだと?!やんのかコラァ!」
「上等だ、負けて吠え面掻くなゴルァ!」

いつもの喧嘩が始まった。
遠い目で抱えた焼きそばをベンチに並べながら、健吾と裕也は他人の振りをする。どうせ焼鳥の屋台で焼き上がりを待っている俊が戻れば、何事もなかったかの様に仲の良い振りをするに決まっているのだ。

「おやおや、元気が宜しいですねぇ、嵯峨崎君」

然し、今回は違った。
小憎たらしい男が、貴公子宜しく黒のロングコートで身を包み、青銅の仮面を押さえながら笑ったからだ。

「テメー高坂、何でコイツを野に放ちやがった!」
「何で俺様の所為なんだよ!知るか!」
「仲良しですねぇ、二人共。学園外ではそんなに仲良しだったんですか。昨日は顔を合わすなり殴り合いが始まって、私達風紀委員会がどれほど困らされたか…」

少しも困った風ではない二葉の台詞に、カルマのみならずABSOLUTELYも沈黙している。日向と胸ぐらを掴み合っている佑壱を形ばかり宥めている西指宿と川南は、私服のお陰か年齢より大人びて見えた。

「総長に負けた癖にニヤニヤしてんじゃねぇ、失せろ。何かこの辺百合臭ぇな!帰るぞ健吾、裕也!総長はどうした!」
「雁首揃えて何だと思えば、祭りで騒いでやがった口か。はっ、餓鬼らしいじゃねぇか嵯峨崎。真っ直ぐ帰ってしょんべんして寝ろ、オネショすんなよ」

怒りの余り夜空を見上げた佑壱は、綺麗な月を見た。心が洗われる様な月だと笑みを零し、日向へ殴り掛かったのだ。西指宿と川南ではもうどうする事も出来ず、二葉の隣に控えている東條に至っては見向きもしない。
にこやかな二葉は缶紅茶を優雅に啜り、再び仲良しさんですねぇ、と宣った。


けれど、彼らの諍いは錦織要の怒声と共に終了したのである。



「あは。臭い息で地球を汚してる豚共はあ、生きてる意味ねぇよな?」

灰色の瞳を眇めて笑う、パーカーのフードを被った男の台詞が響いた。






















「あ、小林さん、おはようございます」
「おはようございます、山田社長」

同じ様な顔立ちに同じ様な口調、それでも慣れ親しんだ友人とは違って、何処か緊張してしまう相手だ。三十代など彼からしてみれば子供に見えるのだろうと考えながら、山田大空は座り込んでいた体を慌てて起こした。

「お一人ですか?」
「あれ?下で小林さんと秀皇を見ませんでした?」
「若君にはお会いしていませんが、守義は今頃、愛する奥さんの所ですよ」
「一ノ瀬見つかったんですか?!」

朗報に目を輝かせ弾かれた様に立ち上がって、唐突に違和感に気づく。
常務の姿が見えない事は、自分達の他には学園長しか知らない筈だ。スコーピオを出る時に顔を合わせた叶兄弟には勿論話していないし、嵯峨崎嶺一とは時間が時間だっただけに、会っていない。彼らがゲストルームに居ると言う話は、ワラショクの小林から聞いた話だ。

「どうかなさいましたか?」
「あ、いや…えっと」

違和感はあるものの、直接的に聞いて良いものか躊躇われる。疑っている様で変な話だと思われるのは、幾ら家族同然の専務の実父であっても避けたい。

「僕らが一ノ瀬を探してる事、何で知ってるんですか…とか、思ったり。もしかして専務が相談したとか?」
「あれが私に?まさか」
「ですよねー…」

産まれてこの方まともに顔を合わせた事もない父親に、あの他人には一切容赦しない男がわざわざ相談するなど、少し考えれば有り得ないと判る。
学生時代もそうだ。母方が明神、父方が叶と言う灰皇院の血で産まれておきながら、小林守義と言う男は帝王院秀皇の言いなりにはならないと明言していた。最初にそれを宣言したのは、彼が初等部二年、秀皇と大空は学園に入学したばかりの時だ。
産まれた時から学園の敷地で暮らしていた秀皇の友人として、都内に実家がある大空は度々学園を訪れた。母方の祖父の時代に交流が途切れてしまっていた帝王院財閥と榛原の関係は、そこで復活したと言えるだろう。

秀皇が学園に入るのは決定しており、大空は秀皇と居たいが為に帝王院学園を希望した。
両親は一人息子の早い自立に暫く不服そうだったが、父方の宍戸は帝王院財閥の傘下企業でもあったので、帝王院学園へ進む事そのものに文句があった訳ではないだろう。見合い結婚のわりには仲の良い両親だったが、どちらも世間知らずの気があった為に、大空の曾祖父が創設した会社は傾いていってしまったのだ。


外界から離れて暮らしていた大空が実家の惨状を知ったのは、中等部に進む頃だった。当時一学年上の帝君だった小林守義から知らされなければ、のうのうと暮らしていたに違いない。

小林は秀皇の催眠に掛からない珍しい男だったので、これまで数十年に渡り友人関係が保たれてきたが、全てが完璧だった秀皇に比べ、好き嫌いが激しく、下半身もだらしない大空は目が離せない存在だったのだろう。
気づいた時には母親化していた小林は、事ある毎に大空の世話を焼いたものだ。社長である父親を罷免し実家との縁を自ら切った時、人知れず落ち込んでいた大空のフォローを献身的に買って出てくれたのも小林で、人の感情に鈍い秀皇は余りにもいつも通りだった。

何をしてもすぐにバレる大空とは違い、学園中にセフレが存在したにも関わらず、秀皇の悪事は小林にバレていない。小林が秀皇に興味がなかった事もあるだろうが、帝王院秀皇とはそう言う男なのだ。
幼馴染みの淡い恋心など気づきもしない、幼馴染みにセフレが居ようと怒りもしない、心配すらしない、そんな男だった。天才肌とは得てして何処か欠けているものだと思う。

あの男の血を引いているわりに、息子の俊は初々しく育ったものだ。どの角度から見ても野暮ったい童貞少年にしか見えないのだから、安心して太陽を任せられると言うものだ。
親に似ず初々しく育った太陽も夕陽も、出来ればあのまま育って欲しい。
性格こそ自分に似たが、童貞を拗らせ過ぎた次男の未来はともかく、妻そっくりなドライめの性格に育ってしまった長男は、大人しめの慎ましい奥さんを貰って、のんびり暮らして欲しいと思う。

「目障りな家があるんです」
「は?」
「私の唯一の支えだった姉を奪い、今度は自分達の尻拭いをさせようとしている」
「すいません、何の話ですか?」

神経質そうに見える顔立ち、シャープな眼鏡が嫌になる程似合う男は、あの小憎たらしい叶二葉に何処か通じるものがある。

「…考えたんですよ。大切なものはどう足掻いても、そう多くは抱えられない。人間には腕が二本しかないのです」
「…」
「家族を陥れようとする家など、なくなってしまえば良い。帰りたいのに帰れない可哀想な子供が居ます。その子が家に帰る為には、何かを捨てねばならないでしょう?」
「さぁ…、僕には理解しかねますねー…」

ざわざわと肌が粟立つ。
古い付き合いの仕事仲間の顔立ちに酷く良く似た大先輩を前に、感じているのはきっと、恐怖に近いものだ。理由は判らない。

「公爵家を丸々消すには、私如きでは力が足りません。それこそ同じ貴族でもない限り」
「…僕は貴族でも何でもない、一介の社会人ですけど?」
「貴方は死んでいるではありませんか。死人が事件を起こした所で、世間が騒ぎ立てる事はない。帝王院財閥の力を以て、なかった事にだって出来る筈です」
「ちょっと待って下さいよ、何だか物騒な話ですよねー?そんな気分じゃないんで、やめて欲しいんですが…」
「ですから人質を用意しました」

彼が胸元から取り出した数枚の写真が、ひらりと向けられる。痙き攣った山田大空の目前に、見慣れた三人の顔写真が晒されたのだ。

「高坂さん、一ノ瀬、小林先輩…」
「今のところ無事ですよ。君の返答次第では新たな人質が追加されるかも知れませんねぇ、榛原大空君」

そうして四枚目の写真が、自分の携帯画面を飾っている人と同じ顔をしている事に、榛原大空は目を見開いた。幾ら名を偽ろうと、榛原家に産まれた一人息子としての過去は消えない。

「灰皇院同士、助け合いませんか。…ねぇ?」
「…それで、僕にどうしろと?」
「単純な話ですよ。ヴィーゼンバーグとグレアムを、この世から一掃したいんです」
「っ、アンタ正気ですか?!」
「ええ。勿論」
「一体何があったんですか!嵯峨崎さんは知ってるんですか?!」
「知る必要はありません。実際、グレアムを消すのは容易ではないでしょう。ただ、今のルーク政権が終わればそれで良いんです」
「何を企んでるか知りませんが、あの子を殺すつもりなら、僕は…」
「いいえ。グレアムがグレアム以外の血に委ねられれば、殺す必要などありません。私は博愛主義者なんですよ、榛原君」

何が博愛主義者だと言ってやりたかったが、やはり親子だ。息子もまた時々ぞっとする様な事を宣うが、その父親もまた、まともではない。
やはり弱ければ身内でも殺してきた十口の末裔だ。普通の思考回路じゃない事だけは、痛いほど感じる。


「大丈夫、死ぬのはたった二人だけです」

彼はそれこそ世間話をするかの様に、吐き捨てた。























「は…」

勝てる筈がなかった・と言う事かと、嵯峨崎佑壱は楽しくもないのに笑った。
何が『簡単』だと思えたのだろう。俊でもなく日向でもないもう一人、最後の選択肢は、初めから選べる筈もないものだったのだ。

きらびやかなプラチナブロンドと深紅の双眸を持つ、記憶の奥底に沈めたそれは、知り得る限り人類最強の生物だ。


「…兄様」
「選択の時は来た。淘汰するべきを選べ、ファースト」

決して勝てない人間と、守ると誓った人間、そうして最後には決して勝てない神。長髪しか知らなかった男の髪は短く、喜怒哀楽のどれとも違う無表情は生気を感じさせない、生ける絵画。
現実でも夢の中でも欠点が見当たらない。勝てる勝てない以前の問題だ。この男が此処に存在している時点で、自分の本当の望みが理解出来た。

「起きたくねぇのか、死にてぇのか」
「私はお前など必要としない」
「…は。ドM過ぎだろ、それが俺の望んだ言葉だっつーのか」

これより美しい人間など見た事はない。
これより手が届かない人間など見た事がない。
これより無慈悲な人間など見た事はない。
これより欲しいものなど、何処にあるのだろう。

「そなたは全てを手に入れられない。手を差し伸べる全てを業火で喪う運命の元に在る」
「Go to the hell, fucking bro.(出ていけ、兄様)」
「外を知り世俗に塗れ、過去を清算したつもりか」
「I know, I never forget you. Are you finished?(どうせテメーを忘れる事なんざ出来やしねぇ、これで満足かよ!)」
「私と言う過去を淘汰し、一人を選んだ筈のそなたは今、孤独に負けた敗北者だ」

俊、日向、神威。
最早選択肢は選択肢として既に成り立っていない。その内の誰一人として倒せる気がしない時点で、引き算の『1』は文字通り、自分なのだ。嵯峨崎佑壱の『壱』が全てを語っているではないか。

「敗北者、ね」
「選択を」
「負け犬には選ばない権利もねぇのか。訳判らん餓鬼と男からは孫が何だとか言われて、結局全部俺で、高坂は夢の中でもうぜぇし総長からはボコられる…。極めつけにはテメーまで参加しやがって、いい加減泣くぞ」
「選択せよ、ファースト」

マネキンの様に佇んだまま動かない俊と日向を横目に、血を流し続ける左胸を無意味と知って、押さえたまま。心は既に諦めている。
最後の最後にこの男が現れた時点で、最初の選択肢にこの男が入っていなかった時点で、それが全てなのだ。

俊と日向には『捨てられるかも知れない』と言う意識が、深層心理の何処かにあった。けれど神威にはその可能性すらない、捨てられもせず、勝てる見込みもなく、だから。


「は。選ばなかったら、今度はアンタが俺を殺すのか…?」

自分はルーク=フェインになりたかった。
手に入らないならせめて、同じ存在に近いものになりたかった。
(そうして出逢ったのは自分より強い人間)
(気高く慈悲深い、神様の様な『人間』)
(彼を皇帝と崇めれば)
(いつか届くかもしれない)
(遠野俊と言う一人の人間が)
(遥か人の世界から逸脱した、に)

(そうすれば)

(愛されず傷つく事も)(求めて足掻く事も)(手に入れられない現実に喚き散らす事も)(絶望から目を逸らし逃げ出す事も)(後悔ばかり積み重ねていく事すら)(なかった筈だ)(人間でしかないから傷つく)(醜態を晒す)(哀れに虚勢を張る)

「総長が神になる筈だった」
「愚かな事を」
「…それがどうだ、ンな事しなくても初めからあの人はアンタと同じ、唯一アンタに並ぶ事が出来る存在だった訳だ。そりゃ、見ず知らずの外部生にいきなり統率符を与えるのも無理はねぇよな。何せあの人は、ナイトの正統血統、本物のクラウンじゃねぇか」

並んだつもりだったのだろうか。
神威とは違い、話を真っ直ぐに聞いてくれる俊は、まるで肉親の様に暖かかったから対等だと思い込んだのか。そうして神から選ばれた俊に嫉妬して、中央委員会を捨てる事も出来ないまま、左席委員会を名乗る事で逃げていた。
それこそが、見て見ぬ振りをしていた己の本音ではないのか。

「アンタは帝王院を捨てるんだろう?俺にクラウンを与えて、あの人に俺を捨てさせるつもりなんだ。左席委員会会長だけに許された罷免権限で、俺がアンタの代わりにリコールされれば満足なんだろう」
「全ては定められた脚本のままに」
「そうして、あの人はグレアムから解放される。アンタ達は入れ替わるんだ。間違った過去を正して、本当の自分に」

庶民に擬態していた皇帝は『帝』の名に戻り、外の世界を知った神は大地の中へ戻っていく。太陽に愛されなかったアルビノの神、黒の名を持つノアは、地中唯一の月として、地球に巣食う寄生虫の生涯を終える定め。

「…ゼロは解放してやれ。どうせ判ってんだろ、アシュレイのじいさんが元老院を辞めた意味。アンタの世話係に自ら落ちた意味を」

夢の中は自由だ。
生きるか死ぬかなど些細な事の様に思える。


「って、本人に聞けっつー話だよな。…情けねぇ」

絶望の向こう側は、こんなにも晴れやかなのだろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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