帝王院高等学校
充電切れは若者もロボットも即死します
人に聞かれない場所に行くと言われ無言で付き従った先、生徒は入れない時計台内部の螺旋階段を暫く登り、一番初めに見えたのは巨大な歯車だった。

「凄い音」

スコーピオには、エレベータが殆どない。
学園創設時には建てられていたと言う塔が、老朽化していた為に新たに改築されたのが35年前であると、学園史に記録が残っている。

「1880年、この時計は時を刻み始めた。私の伯母に当たる、帝王院雲雀が産み落ちた記念に」
「えっ?」

がらりがらりと廻り続ける歯車部屋には、最上階へ続く階段があった。最上階へは少数人乗りのエレベータがあるが、車椅子を必要とする帝王院隆子と、彼女のエスコート役の叶文仁が乗り込んだ為に残った者は階段を使う事になったのだ。

先頭を進むブロンドの手に引かれ、叶冬臣が用意した杖を片手にゆっくり階段を踏み上がった学園長は、やや息が弾んでいるものの、表情は穏やかだった。
今の機械化文明にそぐわない歯車、その音に支配された世界には、レトロな雰囲気に似合わない機器類が犇めいている。

「此処ではろくに話も出来ん。帝都、先に上がれ。私は冬臣の手を借りる」
「疲れたのか駿河」

俊より若干背が低い学園長を覗き込む理事長の身長は、太陽が見上げなければならないほど大きい。エレベータに乗り込んだ文仁も恐ろしい背の高さだが、ほぼ同じだろうと思われた。
見れば見るほどに神威に似ている理事長が、学園長に対して暫く何か話し掛けている様を横目に、ぼーっと歯車を見つめている俊の手を掴む。

「俊、歯車の音って凄いねー!外からは判んないから、完全機械だと思ってたよ!」
「そうか」
「あっ、理事長が行っちゃう!行こ!」

大声を出さねば、自分の声すら聞こえない気がする。
屋根裏に似た歯車部屋から、簡易な造りの螺旋階段を登っていく金髪を認め、太陽が俊の手を引けば、軽い仕草でそっと手を離した俊は真っ直ぐ、学園長の元へ歩いていった。
精密機器が収まっていると思われる箱の様なものに腰掛けていた学園長は、目の前の孫を見上げ目を丸めると、暫くして淡く微笑んだ。同じく話を聞いていたらしい冬臣も笑い、話が聞こえなかった太陽は螺旋階段を前に見守るしかない。

「あ、」

屈み込んだ俊の背に、果たして学園長は少し恥ずかしそうな表情で身を委ねた。体調が万全ではない祖父の為に孫がおんぶを申し出たのだと、そこで太陽は漸く理解したのだ。
微笑ましい光景に微笑んだ太陽は、階段の途中から下を見ている理事長を見上げ、何となく誇らしい表情を浮かべた。

どうだ、左席委員会会長は心優しいのだ、と。自慢せんばかりに。
然しそんな山田太陽の親心?を、理事長は理解してはくれなかった様だ。何故ならば彼は、何処までも無表情だった。いっそ清々しい程に。

「俊、先に行きな。学園長が落っこちたら困るから、俺は後ろから行くよー」
「ん」
「ふふ。山田君が支えきるとは思えないから、私はその後ろをついていこうかな」

太陽の耳元でわざとらしく囁いた男の足を、左席委員会副会長はそっと…激しく踏んだ。
目を丸めている冬臣以外は気づいていないだろう。背負いながらも軽快に階段を登っていく俊の背を追って、太陽は笑顔で階段へと足を踏み出した。その後ろを苦笑いを浮かべた叶家長がついていく。

ペンションで良く見るロフトの様な造りなのか、階段を登った先もまた、歯車の音で支配されていた。
機器類と歯車の他には何もないだだっ広いスペースのまだ上、スコーピオ屋上よりまだ高い位置にある羅針盤の裏側は、簡易エレベータ1基の小さな自動ドアと、立ち入り禁止と書かれた大きな扉があるばかり。
豪華な彫り装飾がなされた扉は、まるで美術館の作品の様にも見える。

「うわー、…すごっ」

その扉の前で、車椅子の人と文仁の姿があった。
骨董品や美術品に興味がある訳ではないが、それでも感嘆せずにはいられない豪華な扉に、思わず呟いてしまった太陽の声を聞いたのか否か、夫人は淡い笑顔を零す。

「いらっしゃい、皆さん。私の所為でごめんなさいね、くたびれたでしょう?」
「待たせたな、隆子。体はどうもないか」
「ええ、大丈夫です、帝都さん」

螺旋階段の下り口と歯車を見下ろせる手摺、エレベータ乗り場から一本の廊下はそれほど長くはない。その証拠に、太陽が階段を登り終わる頃には既に二人の姿は見えていた。
理事長と俊の背が寄っていく方向に、太陽もまた顔を引き締めてついていく。

「俊ちゃん、お祖父ちゃんをおんぶしてくれたのね」
「…ん」
「有難う。旦那様、嬉しかったでしょう?」
「…私は良いと言ったんだが、俊がな。そうか、もう15歳か。大人を背負える歳なんだなぁ…」

どうやら背負われている時から、全学園長が泣いていたらしい。全学園長なので、夫人もまた、慎ましく滲む目元をハンカチで押さえていた。
いや、ハンカチだと思ったが文仁のネクタイだ。痙き攣っている文仁の顔を盗み見た太陽の内心は、リオのカーニバルである。いいぞもっとやれ。

然しカーニバル太陽ですら引くほど、大粒の涙を流している帝王院駿河は、孫の背に張り付いたまま震えている。降りる気配は一切ない。彼もまたカーニバルなのかも知れなかった。
息子(35歳既婚)が盛大な反抗期なだけに、孫(15歳独身)の優しさに、年寄りは白旗だ。

「駿河、部屋の鍵を」
「ん」

どうも俊の背中に頬擦りをしている学園長は、理事長の言葉に顔を上げる事もなく、ポケットから乱雑に取り出した鍵の束をポイッと投げた。理事長は空かさずナイスキャッチだ。

「駿河、どれが鍵だ」
「全部だ。12の鍵は時計回りに星座を表している。言われないと判らんとは、グレアムも知れたものだ。ばーか、ばーか」

成程、帝王院一族と言うのは総じてマイペースらしい。
こんな人の目に当たらない『開かずの間』を開く重要なものを、パジャマのポケットに入れるとは、何事だろう。文仁のネクタイで鼻を噛む夫人もまた、かなりのマイペースである。

「理事長、この部屋って何ですか?」
「歴代大公を祀る、帝王院史が刻まれた部屋だ」

邪魔にならないよう、離れた位置から太陽は扉を見やった。
鍵穴らしきものが確かに複数見られる。両開きになっている扉の、それぞれ片側ずつ6個の鍵穴があった。言われてみれば、それぞれの扉に六種類ずつ、星座を示す様な装飾がされている。

「と、言われている」
「言われている、って?理事長は入った事ないんですか?」
「ふふ。太陽ちゃん、困ったお顔が大空ちゃんにそっくり」
「あはは、…一応親子なんで」

左側の扉の上部には魚、右側の扉の上部には羊。
魚の下には水瓶らしきものがあり、成程、その装飾は扉の中央に施されたそれぞれの鍵穴に対応している様だ。右側の扉にある一番上の鍵穴は、牡羊座の鍵に対応しているのだろう。パズルの様に。

「私は旦那様に嫁いだ時に一度、入れて頂きました。あの時は陽炎さんが教えてくれたのよね…」
「かげろうさん?」
「良く覚えていたな、お前…」
「あら、忘れられませんよ。女にとって夫婦が契った日は、誕生日よりも大切なものなの」
「そう言うものか」

くすくすと微笑む夫人のたおやかな手が、彼女の目前の扉を撫でた。首を傾げる太陽を横目に、学園長が呆れ混じりに漏らす声。

「私も此処には、一度として足を踏み入れた事はない」
「この部屋の鍵は帝王院を継いだ者しか手に入れられんのだ、ばーか、ばーか」

大人げない学園長は孫に乗ったまま、鬼の首を取った表情でビシッと指を指した。夫人は益々ころころと笑う。
人差し指で人を指してはならないと思っているのか、学園長が立てた指は中指だ。尚更悪い。然し理事長はアメリカンではないので、全く気にせず、鍵の束を使い幾つかの鍵穴へ差していった。

「む。開かんぞ駿河、私を騙したのか」
「鍵の順番が違うからだ。12本の鍵は、定められた順に解錠しないと機能しない」

勝ち誇った表情の学園長の台詞に、理事長は無表情で肩を落とした。無表情だがガックリと肩を落としたので、誰の目で見ても落ち込んでいるのが判る。
ネクタイを夫人に奪われた文仁の元へ近寄った冬臣も、これには流石に呆れたのか、笑みを忘れて哀れみの眼差しを理事長へ注いだ。

「…畏こくも、ステルシリーファンド前会長が振り回される光景を目の当たりにする日が来るとは、想像だにしませんでした」
「駿河は意地が悪い。益々似てきた、龍一郎の所為だ。30年前の駿河は、大人しかった」
「あの時は少しばかり緊張していただけだ!おのれキング、いつの話をしているのか!俊の前で俺の価値を落とす話はやめろ!」
「学園長、怒ると『俺』になるんですねー」

もう既に俊の背中から降りていない学園長の評価は、山田太陽の中で、ただ下がりなうだ。これ以上下がる事はないと、慈悲の表情…と言う名の冷笑を浮かべたドSの的外れな台詞に、学園長は頬を染めた。

「良い機会だ。俊、じーちゃんと一緒にやってみよう。お前はいずれこの帝王院を統べるかも知れん。帝都、鍵を俊に」
「ナイトはグレアムが頂く予定だが、…仕方あるまい。駿河、私の手を噛むな。それは食べられない手だ」

残念そうに俊の背から降りた学園長は、理事長へ手を差し出した。無表情だが残念そうに見える口振りで鍵の束を手渡そうとした理事長は、然しその手を学園長に囓られている。
ほとほと呆れた太陽は叶兄弟を見上げたが、文仁からは睨まれ、冬臣からは目を逸らされた。サドは相容れない様だ。

「鍵の順番は登録した本人だけが記憶するしかない。今回はじーちゃんが登録したものだが、いずれお前がこの鍵を手にした時、好きなものに登録しなさい」
「父ちゃんが先?」
「秀皇、か。あれはもう違う世界に生きている。無理に家督を継がせるつもりはないぞ。…安心しなさい」

太陽から見れば、俊もまた理事長に劣らず表情がない。
然し血が通う学園長には些細な孫の変化が判るのか、ヘタレ疑惑を拭い去る大人の表情で目元を緩めた。

「っ、な…」
「おやまぁ…」

鍵の束を受け取った俊は淡く微笑み、文仁が僅かによろめく。
何度も目にしてきた太陽ですら、吹けない口笛を吹きたくなる『神の笑み』だ。カルマを代表するシーザーの笑顔は伝説の様に語られ、知らぬ者は居ない。
冬臣の目が見開かれている様を横目に、太陽は頬を叩いた。親友に何度も見惚れている場合ではないだろう。己の面食い加減が嫌になる。

「ふ、笑うと父上に似ているな。お前の曾祖父様だ、名を鳳凰と言った」
「じーちゃん」
「どうした?」
「大好きだ」

学園長は懐かしいものを見る眼差しで微笑みながら、一つの目の鍵穴を示す様に魚座の位置を指差したまま、動きを止めた。
鍵の束から魚のモチーフを探した俊の台詞は、学園長でなくとも把握するのに時間が懸かるほど、さらりと吐き捨てられたのだ。

「魚、あった」

マイペースな男は、皆の異変に気づいているのか居ないのか、魚座の鍵を解錠する。呆然と突っ立ったまま震える指先で順番に鍵穴を指していく学園長は、六つ目の鍵穴を指差す頃にはもう、片手で顔を覆っていた。
彼の指の隙間から零れ落ちる滴の意味に、気づかない人間は居なかっただろう。

15年と言う時を越えて、いや、息子が消えてから実に17年余りの時を経て、漸く孤独だった支配者は、家族の愛に触れたのだ。

「じーちゃん、次は?」
「ああ、すまん、すまん、じーちゃん歳を取ったみたいだ。どうも涙腺が弱い。…後はそれぞれ、時計回りに、三角を描くよう開けてくれ」
「判った。あ、じーちゃん」
「何だ?」
「さっき校舎の窓を俺が壊した。ごめん、弁償する。毎月3300円の分割払いでイイ?」
「何と!コラ、俊。壊したら、めッ!…だぞ?」
「ごめんなさい」

泣き疲れた顔をゴシゴシ擦りながら、鼻の下を盛大に伸ばした学園長は孫の頬をブスブスと突き刺した。何が「めッ」なのか、どう見ても叱っている態度ではない。デロデロにいちゃついているだけだ。
学園長の貰い泣き攻撃で瀕死だった太陽は、夫人の目がある事を逆手に取り、叶文仁のスーツの裾を掴んでブフーッと鼻を噛んだ。素早く蹴り掛かってきそうな文仁は、苦笑いしている冬臣から首根っこを掴まれ、悶えながら怒りを飲み込んでいる。

大人は大変だ。

「俊、開いた?」
「最後の一つで終わりだ」
「正十二芒星なんて、魔方陣みたいだねー」

魚座から始まり、幾つもの三角形を時計回りで描く様に、四つの三角形を描いた最後の鍵穴は、水瓶座だった。
学園長は3月3日生まれなので、魚座である。毎年その日には学園長聖誕祭が開かれる。聖誕祭と言っても平日であれば授業があり、休日だとしても進学科には関係ない日だ。

その日は毎年、全校生徒にお菓子が振る舞われる。
リブラ四棟の中央、小さな噴水の前で特設テントが作られ、生徒はそこでケーキやカナッペなど、用意されている様々なお菓子を食べたり部屋へ持ち帰ったり、楽しい日だ。
特にいつも餓えている体育科、工業科の生徒はその日を心待ちにしており、学園長聖誕祭の日に限っては、悪さをする生徒は居なかった。

その日その場所に、SクラスもFクラスもない。
甘い香りに支配され、紅茶、コーヒー、帝王院財閥の子会社に留まらず協賛企業からも支援を受けて、実に様々なプレゼントが用意されている。
太っ腹な振る舞いは保護者の支持を得て、個人的な寄付を名乗り出る親も数多い。衣服や生活雑貨なども、ビンゴゲームの景品で配られている様だ。

欲しいと名乗り出る事を躊躇わせない様に、貧しい事は悪ではないと言わんばかりに、ゲーム方式で生徒らを集めれば、一部の一般家庭を見下している生徒の目を逸らせる。
それに気づいた時、太陽は帝王院学園に対して抱いていた価値観を変えた。決して派手なばかりではない、親の様な優しさに。

金持ちの子息ばかりではない学園で、一般家庭の生徒も餓えず暮らせるのは、そんな暖かい支援があるからだ。
ビンゴゲームに外れはなく、ビンゴを名乗り出た生徒から好きな景品を選べる仕組みになっている。配布されたカードの数だけ必ず商品があるのだ。

SクラスもFクラスもない。
一度だけ、太陽はビンゴゲームに参加した事がある。欲しいものは特になかった。次々に名乗り出た生徒らが笑顔で景品を選ぶ中、漸く当たった太陽は景品コーナーから手袋を選んだ。
その時、悔しがる声が聞こえてきたのだ。

見れば、工業科の作業着を着ていた生徒だった。
初等部六年生だった太陽からすれば、当時高等部の作業着は大人に見えたものだ。彼は工場の演習で度々手袋を駄目にしていたそうで、周囲の友人から「残念だったな」などと宥められている。

太陽はそれを、おずおずと差し出した。目を丸めた作業着らは、初等部の太陽に首を振る。
大きな声で悔しがるから後輩に気を遣わせるんだ・と、怒鳴る生徒は呆れ顔で、やたら申し訳なさそうに太陽に頭を下げた先輩は欲しかった筈の手袋を受け取らず、傷だらけの手で太陽の頭を撫でたのだ。

『良いんだよ。そいつはきっと、お前の所に行きたかったんだ。ごめんな、気を遣わせて』

自分が高等部へ進むと、途端に工業科は荒くれ者ばかりだと言う目で見てしまっている。
けれどあの時、あの場所で、苦労を物語るかさついた手で撫でてくれたあの人は、悔しさなど一つもない兄の様な表情ではなかったか?

『あの、でも、俺、ほんとに手袋要らないんです。もう春だし、部屋から出ないし…!』

太陽は大人の様な高等部生に、酷くたどたどしく口を開いた覚えがある。最後は押し付ける様に手袋を渡した。彼らは笑顔で有難うを合唱し、太陽を抱き上げ、幼子にする様に高い高いと、囃し立てたものだ。

六年生だった太陽は恥ずかしさに瀕死だったが、余程その手袋は良いものだったのだろう。食堂でお礼をすると言われたが、太陽は首を振った。
給食制度の初等部は体調管理も含めて、寮の中以外では食事を禁じられている。成長期を促す為か、3時と食事後の8時におやつの時間も決められていた。
それ以外に、中等部・高等部の寮内への立ち入りは禁じられている。それを破れば当然叱られるし、それを促した中等部・高等部の生徒は懲罰だ。

『だったら何か壊れたもんねぇか?腕時計とかパソコンとか、何でも直してやるよ』
『何でも…?』
『おう、お兄さんに任せとけ!工業科に直せないものは、病気だけだ』

太陽はその時、当時愛用していたゲーム機の調子が宜しくない事を思い出した。読み込みが甘く、時々フリーズしたりディスクを読まない事も多い。
壊れ掛けているそれを騙し騙し使い続けて来たが、中等部まで我慢しようと思っていた。進級祝いと言う名分がないと、ケチな母親の財布の紐は弛まないからだ。いつからか、父親の顔は殆ど見ていない。

『プレステか。良し、今から持ってこいよ。明日直ったら持ってってやるから』

入院中の学園長の身を案じる者、はたまた学園長に感謝する者、お菓子がなくなるまで笑顔で見守っている学園長代理の隆子夫人と、和やかに談笑している生徒。
その群れを掻き分けて、部屋まで駆けていった太陽は半信半疑だった。どうせ直せやしない、下手をすれば今度こそ本当に壊されてしまうかも知れない。そう疑ったが、おずおずと差し出したゲーム機は翌日、見事に生まれ変わった。

初等部フロアであるアンダーライン内にある、寮監室に預けられていたゲーム機を受け取った太陽は、部屋に運び入れたそれを起動して呆然としたものだ。
見事に生まれ変わったそれは、さくさくと動いた。滑らかに、一度も止まらず。繋いだままだったコントローラーも、手入れしてくれたのだろう。カクカク変な音を発てていたボタンが、新品の様に機能した。

太陽は己を恥じた。
そしてたった数歳離れただけの先輩に対して、心から憧れたものだ。
中等部へ進む頃にはゲーム機の仕組みを把握し、壊れても自分で直せる技術を得た太陽は、何度となくあの時のお礼を言いたいと作業着を探したが、とうとう彼らは見つからなかった。ただでさえ生徒数が多く、授業時間も違う。名前を聞いておかなかったのは、失敗だ。

寮監督にも尋ねたが、初等部の生徒と先輩の接触を良しとしない監督の教師は、お礼は手紙で書きなさいと諭した。
縋る様に感謝の気持ちを書いた手紙は、教師が直接渡してくれた様だが、幾ら待っても返事はない。

中等部三年の時に、漸く太陽は、テレビであの時の彼を目にする機会に恵まれた。
工業大学の生徒が特許を取ったと言う華やかなニュースの中で、あの時の手袋を嵌めた彼は、リポーターに笑顔で答えている。


そうして最後に、彼は言ったものだ。
母校の後輩から感謝の手紙を貰っていなければ、諦めていたかも知れない、と。
だから感謝しているのはこちらだと、晴れやかな笑顔で。


「あーあ、懐かしい事思い出しちゃったなー…」
「どうしたブラックジャック、入らんのか?閉まれば再びロックされるが」
「あっ、行きます行きます」

物思いに更けている間に、ドアを開いてくれている理事長を残して全員、部屋の中へ入ってしまっていた様だ。
慌てて駆け込んだ太陽の背後で扉が閉まり、かちゃりと音がした。理事長の言葉通り、オートロックらしい。

「おわー!」

中はまるで、プラネタリウムの様だった。
屋上より高い所にある、巨大な羅針盤の上部に当たるのだろう。ステンドグラスの様な青い硝子張りの天井には、六芒星の形で透明な硝子部分から空が見えている。

壁に唯一ある半円の窓もまた青く、嵌め殺しで開かない仕組みらしい。透けた半円の向こうに、巨大な12の文字が逆様に見えたので、あれはきっと時計盤の真裏だ。

「凄い、スコーピオクロノスの裏はこうなってたのかー!ふわー、…あっ!学園長の肖像画がある!」
「おや、素直な反応だねぇ。年相応の姿を見られて安心したよ、山田君」
「は、餓鬼臭ぇ」
「…すいません、はしゃいで」

冬臣は揶揄めいた笑み、文仁からは嘲笑う様な笑み。
どちらにせよ、大人しい俊と比較されて馬鹿にされているのだと理解した太陽は、肩を窄めた。すごすごと理事長の背後に回り込み、元々小さい体を丸め、益々小さくなっている。

「俊、天井の星が見えるか」
「ん」
「足元にもまた、あれと同じものがあるだろう?昼間あれから陽が差し込めば、丁度重なった二つの六芒星は、十二芒星を描く仕組みだ」

学園長の声に、天井を見上げた皆が、床へ目を落とす。
歯車部屋の光景が見える硝子張りの床は、恐らくマジックミラーになっているのだろう。下に居た時は気づかなかった。
太陽はこれと言って高所恐怖症ではないが、流石に足元が透けていると驚くものだ。階下が見えているだけだが、極力、硝子部分ではなく床部分を選んだ。

「ほんとだ、天井の柄と、ちょっと角度が違う」
「お昼間は陽が差し込んで、神秘的な青で染まるのよ。なのに床だけは白く輝いて、電気が要らないくらいなの。ふふ、何だかプラネタリウムみたいでしょう?」
「はい!それ俺も思いました!」

成程、確かに床には六芒星の形で硝子が嵌め込まれている。歯車部屋は、その星の形に嵌まったマジックミラー越しに見えていた。
夫人も久し振りに入ったらしく、久し振りだと呟きながら部屋を見つめている。太陽程ではないが、彼女もまた、子供の様に目を輝かせた。

「話の本題に入る前に、我が帝王院に受け継がれてきた話をしよう。本来、後継者である俊以外に聞かせる話ではないが、」
「…随分、賑やかだ」

学園長の声を遮って、空から声が降ってきた。
何だと弾かれた様に見上げた全員の目に、天井から覗く丸い夜空がぽっかりと映り込む。

「なっ、何?!」
「野郎、天窓を外しやがった…?!」
「何者だ、貴様!」

飛び上がった太陽に続き、夫人を庇う様に背中で隠した文仁の鋭い声、同時に初めて聞いた冬臣の怒鳴り声が響く。
学園長は理事長に庇われる形で、背後から呆然と空を見上げていた。先程まで確かにあった筈の巨大な飾り天井のない、藍色の夜空に浮かぶ黒いバイクに乗った、白い布が靡いている。

「何者?俺は『者』ではない。充電切れ間近の、アンドロイドだ」
「「アンドロイド?!」」

流石は兄弟、二人の叶の声が重なった。
太陽は視界の端を凄まじい早さで掠めた何かを目で追い、タンタンタン、と言う軽快な足音と共に壁を駆け上がる黒を、ただ、見たのだ。

「あ、やっぱ、じっちゃん。こんな所で何してるんだ?」
「夜の王は移動に飽きて寝ている。お前は誰だ。俺のデータベースに、お前の顔の登録はない」
「夜の王…あらん?こっちは、いや、こっちもじーちゃん?」
「じっちゃん、じーちゃん?それは似て非なる言葉なのか」

何がどうなっているのか、確かに三メートル以上はあるだろう壁を駆け上がり、バイクに飛び付いた俊の声が降ってくる。
これは本当に現実だろうかと放心した太陽は硬直したまま気絶し掛け、たんっ、と降りてきた俊にガシッと支えられた。

「タイヨー、死ぬな」
「しゅ、俊や?人間は飛ばないんだよ…?!」
「飛んでないぞ?飛び降りたんだ」
「違…そうじゃなくてさー、………もういい。俺が慣れるしかないって事だねー、OKOK、ヒロアーキ頑張る」
「俊だと?」
「ファントムウィング」

ふよふよと、立派な漆黒のバイクが降りてくる。
ぽつりと囁いた理事長はつかつかとそのバイクに寄っていき、騎乗の白衣の男を真っ直ぐに見据えた。

「そなた、ステルシリー2億の社員の、誰にも該当しない。ならば何故、対陸情報部保有のそれに乗っている」
「対陸情報部…メインアーカイブにその言葉の登録を確認した。だが、この情報の展開はアナスタシオス以外には許されない」
「Anastasius?(復活?)」
「悪いがコンセントを使わせろ、アナスタシオスの消費電力は高い。だが俺では情報処理が間に合わん。勝手にこの部屋へ入り込んだ賊の罰は、その後だ」

白衣の男は、東雲村前の天然パーマを凌駕するウェーブを描いた黒髪の下、静かな眼差しで吐き捨てる。敵意はない様だが、台詞からは好意的な印象は受けない。

「大殿、こちらへ」
「何なんだ、奴は…!」

叶冬臣が最優先したのは学園長だ。理事長が対峙している白衣の男の目から遠ざける様に、冬臣は学園長を背後に隠し、戸口へ後退さろうとする。
然し、冬臣の背中から顔を覗かせた学園長は、目を見開いたままぽろりと杖を落とし、信じられないものを見る目で震える唇を開いたのだ。

「その声はやはり、父上?」
「そうか、つまりはお前は駿河か。それでは、夜の王を『じっちゃん』と呼んだお前はやはり、俺の…」
「ん?」
「ひー!」

がばっと真顔で両腕を広げた白衣は、太陽は片腕で抱えている俊へ真顔で駆けてきた。
恐ろしい光景がもたらす恐怖に、うっかり悲鳴を上げた太陽の前で、腕を広げたままピタッと動きを止めたそれは、そのまま動かない。

「な、何なの?!何で今こっちに走ってきたのさー?!何で止まったの?!何で?!」
「すまんタイヨー、俺にも判んない」
「龍一郎」

ぽつりと、白衣の背中を眺めた理事長の囁きが落ちた。
涙目で白衣の男の脛をつんつん蹴っていた太陽は、そこで漸く、白衣が背負っている何かに気づいたのだ。

「理事、長?」
「ふわ〜ぁ…。…何だ、煩いぞ」

叶兄弟が見下ろしている先。バイクの向こう側からまた、新たな声が響いてきた。

「年寄りが寝ている側で騒ぐとは、今時の若造共はなっとらん。華麗な技で貴様らの口を縫い付けるぞ!」

ゴーグルとヘルメットを装備した、確実に怪しい人物は、ビシッと叶兄弟を指差したらしい。
残念ながら俊と太陽からは、その腕とヘルメットしか見えなかったのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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