帝王院高等学校
山田太陽は言いました、汝出番を寄越せよと
小鳥の名を持つ女は、
 蝶よ花よと愛されて、
  愛豊かであるが故に羽ばたいた。


(自由を手にしたその鳥は)
(籠から飛び立ち何処へゆく)

(かごめ)
 (…かごめ)
(籠の中の鳳凰は)
 (いつ) (いつ)   (出やる)



「右の頬を叩く者には左の頬を差し出せよ。憎むなかれ嘲るなかれ。我らは神の子であり星の民である。主は禁忌を犯したアダムの子にさえ慈悲深く、汝、如何なる時も隣人を愛せよ・と、仰った。…これは異国の神の記録に、俺が書き加えたものだ」
「…何故ですか?」
「恨むには気力が必要だからではないかと、俺は思う」

赤い赤い、土の塊を煉瓦と言うらしい。それは赤でもあり、茶でもあり、橙でもある。鋭い毒の尾を持つ蠍は、血を吸って真紅に染まった。

だから山奥に建てられたこの塔は、蠍の宮と呼ばれている。
罪深きはヒバリの犯した愛と言う名の罪。

「陽炎」
「はい」
「お前はきっと、賢い」
「それは違います。俺は字が書けない。書こうとも思わない。殿の為に死ぬべき雲隠に、学問は不要だからです」
「ならば俺は、俺の為に死ぬ者を待っているのか」

産まれてすぐに赤い鳥、彼は愛され愛され大切に、赤い赤い山奥宮へ隠された。
姉の様に彼もまた、何処かへ飛び立つのではないかと。愛深き両親の悲しみが為した、不自由。

「鳳凰の名を与えられながら、俺は此処から出る事が出来ない。戦が熾烈化したと言う。我が国は幾つもの命を失ったのだろう。引き換えに他国の民を傷つけている」
「それは違い、」
「けれどそれら全て、この窓の向こうの話だ」

彼はいつも窓の外を見ていた。
彼の元へは何人もの教師が現れた。けれど徐々に来なくなっていった。
日本は今、学問よりも争いを尊んでいるのだ。祖国の為に、神たる天皇の為に、命を捧げよと。死ぬ事が産まれ落ちた意味であると。

「八重の桜が散った。雨が止んだ。夏がやってくる」
「はい」
「今年の台風は幾つやってくるだろうか。海からやってくると言う船も、空からやってくると言う鉄の翼も、台風が遠ざけてくれれば良い」
「どうしてですか?遠ざけるより、駆逐した方が良い」
「何故殺さねばならない。肌の色、瞳の色、髪の色は違えども、血の色は皆、同じだろうに。っ、」
「手当てを」

彼は時々指を切る。
誰もやってこない静かな宮で、何度も何度も同じ本を読むからだ。

「…ごらん、陽炎。お前と俺の血の色は同じだ」
「はい」
「お前が俺の所為で何処へも行けないのであれば、くゆる陽炎の如く姿を消しても構わない」
「どうしてですか?」
「何故ならば人は、一つの例外なく自由であるからだ」

彼は愛されていた。
彼は守られていた。
私の神は天皇などでは決してない。それが罪だと言うのであれば、この国に血の雨を降らせる事も躊躇わないだろう。

「俺は若様の狗。犬は、繋がれるもの」
「…やはり、お前は俺よりずっと賢い。俺はもうすぐ18になる。今はそれをただ、待つばかり」

彼の声は良く通る。
彼の声は自分以外が聞いてはいけないらしい。
逃げた小鳥の所為で閉じ込められた大鳥は、紅蓮の炎を溜め込んで、静かに時を刻み続けているのだ。



「汝、隣人を愛せよ…」

彼は囁く様に繰り返した。
それはまるで、己に語り聞かせるかの様に。





(彼が漸く自由を得た数年後)
(新たな争いが始まりました)
(小さな島の小さな国は)
(己が井の中の蛙である事など知らず)
(重ねた勝利に酔い痴れて)
(奪い、)
(奪われ、)
(傷つき、)
(傷つけて、)


(とうとう隣人を愛せないままに)



(日出国は徐々に、敗北へと堕ちていったのです。)








血を見ると安堵する。
強く優しかった母の流した赤を思い出すからだ。

血の匂いを嗅げば生を実感する。
戦争は祖国から幾つもの命を奪っていった。


殺されたから殺すのだ。そこには同情も慈悲もない。
他国の民は神仏を知らないらしい。日本には太陽と言う名の神と、台風と言う名の守り神、そして八百万の仏が宿っている。


「Don't move!」
「その言葉は聞き飽きた。俺は女は苦手だが、男は嫌いだ。唯一の例外は、帝であられる殿だけ」

耳障りな銃声、鼻につく硝煙、火薬の匂い。
何度となく鉛の玉が体を貫いた。痛みは我が身の生と共にある。

「雲隠に寿命以外の死はない。何故ならば俺は鳳凰にまつらう紅蓮の片翼。俺は姿なき蜃気楼。人の世にあり人成らざる者」

腕の中でゴキリと、音を発てたのは他人の骨。
手を離せば重力に従って落ちていく異国人は、二度と起き上がらなかった。

「殿へ刃を向けた者は全て屠る、ただそれだけに生きているからだ」
「…面白い事を言うな、貴殿は」

それは音もなく現れた。
それはまるで雲間に隠れた月の様にひそりと、まるで蜃気楼の様に。

「貴様もアメリカの民か」
「いや、私はイギリスで産まれた」

見事な白だ。まるで銀にも見える。
艶やかなプラチナブロンド、向けられたダークサファイアの瞳は妖しげな煌めきを帯びて、地獄の中を歩く。

「いぎりす?………殺す理由が…ない…?」
「いつの時代も、人は愚かな争いを繰り返す。祖国を離れ、長く他国を巡ってみたが、国の大小は関係ない。人は人の血を好む。貴殿の様に」

彼は所々日本語を話していた。
大戦が始まりもう何年経ったのか、この国へ足を踏み入れて今まで聞いてきた他国の言葉を、ある程度は理解している。

「俺は俺の大切なものを奪っていった人間を許さない。日本の民は一人残らず大殿のものだ。我ら帝王院に牙を剥く者は一人残らず処分する。そこには同情も慈悲もない」
「撃たれた様だが、貴殿からは死が見えない。生に執着するのであれば、ついてきなさい」

歳は同じか、やや上か。
ある一定の年齢で成長を止めた我が身と、他人を比較しても仕方ない事は理解している。
雲隠は成長が早く、老化が遅い。理由は鬼の末裔だからだと聞いている。

「俺に何の用だ異国の民」
「私はパラサイト。大陸に巣食う、寄生虫だ」
「寄生虫?」
「見た所、私と歳は変わらない様だが、君は幾つだ?」

大陸へ足を踏み入れてすぐに、数を覚えた。
どの国でも数える数は同じ。言葉が少し違うだけ。簡単だ、聞いて覚えれば良いだけだ。

歌う様に吐き捨てた異国の言葉で、美しき寄生虫は眼差しを細めた。

「…その若さで武器を持たず戦場へ挑むとは、勇ましいものだ」
「俺は子供ではない。狗だ。だから人を殺す事を躊躇わない」
「死神の様に?」
「です?」
「Death、死に逝く者を導く神」
「それは死神」
「死神と言うのか。また一つ、知識を手に入れた」

もくもくと登り続ける煙が、空を分厚い雲で覆う。
曇り空は好きだ。雲隠に良く似合う。晴れの日も良い。白い雲が際立つ青空に、太陽が輝く様の何と美しい光景だろうか。

「お前は変だ。が、悪くはない」
「そうか」
「殿は仰った。汝、隣人を愛せよと」
「モーセの五書、レビ録。日本でもそれを知る者が居るのか」

あの美しい国を汚す者は一人残らず殺す。
どちらが善悪など関係ない。どちらも善で悪だ。奪われれば奪い返す、その繰り返しはどちらかが滅びるまで続くのだろう。
敗北とは死を指すのだ。大人は誰もがそう言った。負けてはならないと言った。けれど他国の民すら愛した慈悲深い彼は、きっと心を痛めている。

「この港はサンフランシスコと言う。太陽港だ」
「愚かな。太陽の慈悲を受けるのは日出国の民だけだ」
「いずれ生き残った方が、好きに語れば良い」

ならばこの手で、彼の代わりにこの大陸を破壊しよう。一人残らず全て淘汰した暁に、真の平穏はやって来るのだ。

「…祖国は決して負けない」
「私はこの戦いで、どちらの国が勝とうと敗れようと興味はないよ。興味があるのは、優秀な人間の種の保存だけ」
「種の保存…」
「我が家は、禁忌の領域へ踏み込んだ罪で滅びた。人を人とも思わぬ生体連金術で、女王の犬を甦らせた翌日、我が家は火の海に消えたのだ」
「どうやって甦らせた?死んだ犬は二度と起きない。そこの人間共の様に」
「触れてはならない神の領域に触れた時、私は人の世界から追放された。私を人と呼ぶ者はもう居ない」
「ならばお前は何だ」
「神の成り損ないだろうか」
「神」
「そう、死神。神に逆らい流されたノアの民。人の領域から逸脱した黒の一族。許されざるバロン、グレアム」

男の背に従って、地獄の砂浜を歩き続けた。
祖国と同じ海とは思えない。何隻もの戦艦が浮いている海の上は、灰色だ。
哀れな国。星条旗を掲げる夜の国。この国に太陽の慈悲はない。太陽が微笑むのは常に、日出国だけなのだ。

「…此処は?」
「忘れ去られた鍾乳洞の入口だ。私はこれを見つけたその時に、パラサイトへ名を変えた。…もう暫く歩けるかな?」
「何処へ行く」
「死神の楽園へ」
「楽園?これがその入口?」
「…どうやら私は魔法を見ているらしい。君の胸元の銃創が、みるみる塞がっていく」

暗い、暗い、大穴が口を開けていた。
言われるまま胸元を触れば、乾いた己の血が粉を吹いている。

「掠り傷はすぐ治る。撃たれても玉を抜けば問題ない」
「そうか。貴殿もまた、人の領域から逸脱しているのか」

楽園は、空ではなく地の中に在ると言う。
鬼には似合いの場所ではないかと考えた。どうせどんなに愛した所で、誇り高い王は手に入らない。このまま死んでしまった方がきっと、あの方の為になるのかも知れない。


女は苦手だ。(すぐに壊れる)(強かった母の様に)
女は苦手だ。(すぐに壊れる)(若い外見のまま死んだ叔母の様に)
女は苦手だ。(あの人を閉じ込めた)(憎らしい雲雀)

男は嫌いだ。(雲隠は女系で続いた)(ならば俺は唯一の汚点)
男は嫌いだ。(下らない野望で奪う)(争う)(同情を知らない)
男は嫌いだ。(奴らは常に血を求めている)(今の)(この俺の様に)


「…鳳凰を知っているか、異国の神」
「ほうおう?その単語は記憶していないが」
「不死鳥、死なぬ永劫輪廻を許された紅き鳥の名だ」
「ああ、…フェニックスだ。それなら知っている」
「翼が片方折れたとしても、変わらずに空を舞えると思うか」

死神は曖昧に首を傾げた。

「どうだろう、煙に覆われた我が祖国の空は低かった。霧深い空を見上げた事もなければ、飛ぼうと思った事もない」
「日本の空は美しい。空を見上げぬ民はない」
「そうか。私が一度立ち寄った時は、日が悪くハリケーンで港へ近寄れなかった」
「やはり、台風は奪うばかりではないのか」
「?」
「…殿の仰った通りだ」

ああ、愛しい人よ。
間もなく我が国は占領される。間もなく我が国は地獄と言う名の自由を得る。そこで民は何を見るのだろう。願う事なら変わらずに、燦々と照らしたもう陽光を、見上げている事を。



貴方の元へ帰るには、私の手はもう、汚れすぎていました。
主よ、愛する権利など何処にあると言うのでしょうか。












交響曲第 番:The Last requiem.
 去り際の鎮魂歌





私の描く脚本に、奇跡など存在しない。
人は私を魔法使いと呼んだ。目の前で起きている事を理解出来ないと、眼差しだけで強かに伝えてくる。

私の描く脚本に、偶然など存在しない。
ただの一瞬たりとも狂う事のない歯車よ、疾く廻りて、永遠たるや輪廻を紡げ。



聴こえているかい。
私の紡いだ鎮魂歌が、そう、子守唄の様に。

聴こえているかい。
お前へを地上へ落とす狂想曲が。今はただ、夜に抱かれて眠っておいで。


約束を覚えているかい。
優しく愛に満ちたお前は、愛されるままに積み上げてきたその無垢な愛で、愚かにも。浅はかにも。救い難い程に、憐れにも。



(哀れな子よ)
(歪んだ星の子よ)
(お前は私の名を知らない)
(私は地平線であり水平線であり引力であり重力)





私を迎えに来ると言ったのだ。










「…ん?」
「は、は…っ、なあ、に?どうしたのお?」
「今、何かが光った様な気がして…」
「はあ?」

世界は漆黒に包まれている。
明るい時には気づかなかったが、目では気づかないほど緩やかな下り坂になっている様だ。

どうせなら痛みが麻痺するほど深い傷であれば良かったものを、下手に掠った程度だからこそ痛いと、神崎隼人は舌打ちを噛み殺し、呑み込んだ。
隼人の舌打ちは、いつもニコニコしているからこそ威力があると、何度も指摘された事がある。カルマに入ってからは舌打ち一つで恐ろしい拳骨が飛び、加えてガミガミ説教コース確定だ。馬鹿らしくて逆らう気にもなれない。

「結構歩いたけど、真っ暗だねえ」
「光王子閣下は、第四キャノンまで行けば明るいと仰ってました。きっともう少しですよ、星河の君」
「いやー、バッテリー切れてるか、最悪浸水で壊れてる可能性も高いと思うけどねえ。教室が停止してからあ、三時間近くなる訳だからさあ」
「確かに…。教室を動かした所為で漏水したとして、僕らの教室が堰の代わりになっていたんじゃないかなって思うんです、僕」

潔癖なまでに服装の乱れや食事のマナーに煩い男を、カルマでは皮肉を込めて『お母さん』と呼ぶ。潔癖な割りには小さい事を気にしない男はそれに対して、一度として怒った事はない。
パパと呼ぼうがママと呼ぼうがオッサンと呼ぼうが、だ。近頃は突っ込みを覚えた様だが、その実、内心は何とも思っていない事には気づいていた。

「だからたった一時間程度で水没するなんて、」
「あは。流石はいんちょ、馬鹿じゃないねえ。隼人君の推測ではあ、ずっと漏水してたんだと思うよお」
「やっぱりそう思いますか?」
「12年前くらい、学園長が入院する前らしいけどお、30年にいっぺんやってる水道管の取り替えがあったんだってえ。その時、理事長が今の設備に切り替えたって資料、残ってたー」
「へー」
「部活棟の下に水道管があったのは、20年前に今の第二・第三塔が出来たからからだねえ。中央塔は未だにあっちこっち建築してるし、一昨年18階に増えたばっか。だから理事長はあ、将来的に動かせる上下水道システムにしたかったんじゃない?」

恐らく名前に拘りがないのだろうと、隼人は目測を立てている。その理由までは未だに判らない。舌打ちに関して、嵯峨崎佑壱と言う男の最大のライバルである高坂日向が関係している事は、わざわざ考えるまでもないだろう。
あの男の舌打ちは最早高校生のそれではない。高校の制服を着た、ただのマフィアだ。

「ヴァルゴ並木道の下が、メインパイプラインなんだと思う。敷地の南北で二本のパイプが分かれてるんだけど、あそこは動かせないんだろうねえ」
「地下遊歩道は散歩した事があるので知ってます。丁度水路とは逆側、ヴァルゴ並木道に沿って大きな管が通ってるんですよ。フェンスで仕切られていて、何だか工場の中を歩いてるみたいな雰囲気で…」

悔しいが二歳離れているだけで、身長はほぼ同じくらいの日向は、隼人よりずっと老けている。大人びているとは言わない。老けているのだ。
同じく昔から老け顔の佑壱と並ぶと、ナチュラルカラーのコントラストが目に痛い。キランキランの金髪と、ゴテゴテの赤毛がぎゃんぎゃん口論している光景は、帝王院学園名物の一つだ。わざと止めないで眺めている生徒すら居る程に。

寧ろ、止めても無駄だと知っているからかも知れない。アーメン。

「詳しい図面までは流石に知らないけどお、懲罰棟が浸水したってのが何か関係してるかも知んないねえ。ほら、ヴァルゴ庭園の外れにあるからさあ。あそこもある意味迷宮だし。帝王院七不思議の一つ?」
「確かに。それで旧配管に繋げるしかなかったんですね。割れた配管を見たんですが、あんなに太いボルトが何本か曲がってました。まるで無理矢理接続した、みたいな」
「部活棟なら、少しくらい漏水しても構わないって事だろうねえ。せめて新歓祭が終わるまでは、修理工事引き延ばしたかったんじゃない?」
「成程………あっ!ほら、あそこっ!ね?!光りました!」
「わあ、ほんとだあ。光った…っつーか、天井から何か突き出てる?」

微かな光が、隼人の前方、頭上から漏れている。
怯えた野上が力を込める感覚に、痛みを耐えた隼人は暫く悶えた。
負傷した隼人を案じて手を貸してくれているのは判るが、野上が掴んだ隼人の腕を抱き込むのはやめて欲しいものだ。肩が動く度に脇腹の皮が突っ張って、切れた傷が開こうとする様な感覚は堪らない。

「あは、何かさあ、カメラっぽくない?」
「僕にはただの棒にしか見えませんけど…」
「ハヤトさぁあああん!!!」
「いやぁあああっ、ハヤトぉおおお!!!」
「私の声が聞こえるっ?!貴方のお母さんよぉおおお!!!」

恐らく凄まじい声が、頭上から落ちてきた。
恐らく、と言うのは、叫び声と思われるその声が、かなり小さいからだ。あの微かな穴から届いているのであれば無理もない。これほどの静寂でなければ、聞こえなかっただろう。

「えっと、今のって…?」
「知らない。隼人君には関係ないと思う。さ、早く行こ」
「何?何?!何か言った?!」
「『凄く恐かった早く助けて』って言った?!」
「間違いねぇ、確実に言ってた!」

言ってねぇ。っつーか、一言も被ってねぇ。
神崎隼人はこれ幸いに鋭い舌打ちを零したが、間近の野上がビクッと飛び上がっただけだ。躾に煩い佑壱お母さんには聞こえていない。
と、思いたい。

「…あーあ、鬱陶しい馬鹿に助けられるなんて、隼人君も落ちたもんだねえ。ひっそり死にたい…」
「え?!駄目ですよっ、折角助かったんですから!」
「このスーパーモデルを看取るのが地味なクラスいんちょなんて、マジ最悪なんですけどお。はあ。せめて最期は、ボスのお膝でゴロゴロしながら死にたかったあ…」

隼人の愚痴に困り果てた野上は沈黙したが、愚痴を零すだけの体力が戻ったと言う事だ。緊迫した状況の中、視界最悪で走る事もままならず、二人共焦っていた。

「星河の君、何か聞こえませんか?」
「あーね、多分掘るんじゃない?ちょっと離れた方がよいかも」

ゴリゴリと言う地響きの様な音と、車のバックサインに似た電子音を聞きながら、壁に身を委ねていた隼人は野上の腕を引く。
然し隼人の足元で、カサッと言う微かな音がした。動きを止めた隼人は見えない足元を見やったが、当然、見える筈もない。

「何か今、カサカサってした?」
「え?…あっ、こっちからカサッて聞こえた様な!」
「やだあ、ラストサムライなのお?こんな時にラストサムライが出ちゃったのお?嘘お、ドン引きなんですけどお」
「ラストサムライ?…って、何ですか?」
「コード:G」
「へっ?!Gコードって、VHS?!」
「人間が全滅しても生き残る最強種族、お母さんがプチッと潰すと大惨事。あは。内臓がさあ、飛び出ちゃうんだよねえ…」
「っ!」

ホラーテーラーと化した隼人の囁きに、クラス委員長は眼鏡ごと飛び上がった。何だその悍しいホラーは。いつからこの物語はホモの垣根を飛び越え、ホラーに切り替わったのか。
野上には全く判らなかったが、またもやカサカサと言う音を聞き、がしっと隼人に抱きついた。もう怪我がどうだの構ってはいられない。

「せせせ星河の君!居ます!何かが確実に居ます!ラストサムライ、Gコードがっ」
「下水だが普通の水だか知らないけどお、ぶっ壊れた所為で眠ってたサムライがあ、目覚めちゃったのかもねえ。隼人君は無理だから。スーパーモデル故に、ラストサムライと戦っちゃいけない側のイケメンだから」
「どうすれば良いんですか?!」
「…カナメちゃん呼びに行こっか。平然と踏み潰してくれるよ」

カルマでゴキブリと戦えない戦士は、幹部では隼人だけだ。
幹部以外では総長だけと言う、ハイパーチキンな遠野俊を除けば、方法は何であれ、退治する事は出来る。
佑壱の様に目には見えない早業で、蝿タタキごと木っ端微塵に粉砕する最強オカンも居れば、冷血な表情で見下しながら踏み潰す女王様、暫く観察して『うわ、マジ全体的にキモいぜ』と宣いながら脱いだ靴でバシッと叩き殺すマイペース、無駄にアクロバティックな宙返りから笑顔で踏み潰す馬鹿も居る。

健吾の宙返り殺法は75%の確率で外れるので、事実上4匹に1匹しか倒せない技だ。隼人はコードGを発見しても、絶対に健吾にだけは頼らないと決めている。
健吾しか居ない時は自分で倒し、最後の処理を健吾にやらせるのだ。何故ならばモデルは手を汚さないのである。

つまりカルマでゴキブリと戦えないのは、遠野俊オンリーワンだった。世知辛い世の中だ。

「せせせ星河の君、早く行って下さいっ」
「あは。行きたいのは山々なんだけどお、何でか動けないんだよねえ。何かにぶつかってるってゆーかあ、…え?今、隼人君の鼻に何か触った?!」

ふにっと言う感触を鼻先に認めた隼人は目を見開き、張り付いている野上ごと後退ろうとしたが、ガシッと何かに掴まれた。

「おふあ?!」
「案ずるな、今お前の鼻に触れたのは俺の唇だ」
「ほへっ?!そ、その声って、神様?!」
「神威様だと?面映ゆい」
「げっ、やっぱりルークだ!いんちょ、ラストルーク=フェインが出たあ!」
「ええっ?!それってラスト陛下の事ですか?!それではラスト以外の陛下は何処に?!」
「ナウな俺は此処だ。左席委員会庶務兼中央委員会会長ルーク=フェイン、親しみを込めて庶務と呼ぶが良かろう」
「うっわ、いつから居たのお?存在感ないんですけどお」
「僕も気づきませんでした!」
「何を言う、俺はずっとお前達の後ろに居た」
「「きゃー」」

姿は見えずとも声は聞こえる、抱き合った隼人と野上が震える闇の中、頭上からまたもや声が聞こえてくる。

「一年Sクラス野上直哉」
「はい?!」
「下がるな、こちらへ来い」

然しそれに答える前に、それは囁いたのだ。
ぐっと隼人の襟が引っ張られる感覚、抱き合っている野上ごと凄まじい力に引き寄せられるまま、二人はたたらを踏んだ。

「ちょ、てんめー何すんの!」
「およそ千は越えている」
「はあ?!」
「そなたは知っているのではないか?バイオジェリーの気配だ」

見えない闇の中、姿なき神威を睨み付けたつもりの隼人は目を見開いた。弾かれた様に野上を抱え込み、天井から差し込む細い一筋の光の下、積み重なる様な黒に漸く、気づいたのだ。


がさり、がさり。
それは闇の中、今の今までそこに居たのだろうか。


「な、に…。嘘、だよねえ…」
「奴らは熱を好む。照明に導かれたか、単に苦手な水が引いたからかは定かではないが、カトルアンダースクエアは、奴らの巣窟と化した」

天井が軋む。
拳大の穴が空き、パラパラとコンクリートフレークが散ってくる。ガサガサと、蠢く悍しい数の不協和音。

「ハヤトさん、聞こえるっスか?!」
「今から此処ぶっ壊すんで、離れてて下さい!」
「危ないっスよ〜!」
「駄目ーっ!今すぐやめさせろ、てんめーらマジぶっ殺すぞ!」
「「「は?!」」」
「…って、陛下がゆってるよお」
「面映ゆい」

先程よりずっとクリアな声が聞こえた隼人は、痛む脇腹に構わず叫んだ。下手に穴を開ければ、この恐ろしい数の黒鼠が外へ出てしまう。
水を掛ければ良いと知っている者が、一体何人存在するのか。ただの鼠だと見向きもしない人間が、一体何人存在するのか。隼人には判らない。

「ど、どうしようかあ、庶務。上から水を流し込ませるとか?」
「一匹残らず蒸発させるには、再びアンダースクエアを沈めねばなるまい。悪いが、下水道への抜け道を開けてきた」
「はあ?!…もしかして、それでこの辺の水が引いたってこと?」
「どうやら引き換えに、噴出した水の引き返しが、お前を襲った様だがな」
「…あの鉄砲水はてんめーの所為かあ!お陰でスーパーモデルの肌に傷がついたんだけどお?!隼人君の慰謝料幾らだと思ってんの?!謝って!」
「金が要るのか。良かろう、無事生き延びれば、払ってやらん事もない」

ああ。
差し込む光を帯びて神々しいまでに煌めくそれが、まるで地中の月の如く世界を照らしている。

「…はあ?中央委員会会長コラ、隼人君を舐めてんの?スーパーモデルの価値はすっごいんだけど、判ってんの?さらっと億行っちゃうにょー。カナメ金融の利息越えちゃうにょー」
「そうか。愛らしい子供の小遣いだ、構わんにょ」

神威の美貌に放心している野上を抱えたまま、神崎隼人は笑顔で舌打ちを打った。
どうせならもっと吹っ掛ければ良かった、と。

←いやん(*)(#)ばかん→
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