帝王院高等学校
血圧が上がったり下がったり異文化交流!
「なんてこと」

聞き覚えのない、女の声だ。
いや、やはり、聞いた覚えがあるかも知れない。

「キンキラでにゃあの、見てみぃイールさん。どえらい事件だがや!我が家に王子様がござらした!」
「ママさん、プリンスベイビー、ハグして下さい」
「ハグ…私に抱いたれて?あかん…コホン。なりません、こんな皺だらけの鬼ババでは、触れませんよ。何たってこの子は、王子様だで…」
「ママさん、ハグ。ベイビー重くて、落ちちゃいマス?」
「おわっ、おっとっと、ぎゃーっ!危なっ!!!…ふぅ、ふぅ、貴方っ、何で可愛い赤ちゃんから手を離したの?!」
「フー。赤ちゃん3750グラム、パネー」
「ぱねぇ?!そんな日本語を教えた覚えはありませんよ!」

一つは母親の、声だ。
夢に出てくるなんて、何年振りだろう。

「本当にまぁ、どえらい男前になりますよ。零人さん、アンタは嶺一が産まれた時にそっくりだにゃあ」
「レート、レーチにそっくり、栗二つ?」
「…はぁ、それを言うなら瓜二つでしょうに。イールさん、老い先短い鬼ババは、おみゃあの将来が心配で…」
「おぎゃー!おぎゃー!」
「あらら、おむつ?」
「Oh、おみゃー!ZERO, please shout again(ゼロ、もっかい言ってごらん)、おみゃー」

こんな記憶はない筈だ。
亡き母は確かに発音こそ下手だったが、日本語を喋っていたのだから。
(ではこれは?)


夢とは、己の希望を具現化する事があるそうだ。

(だからきっとこれも、そうだろう)
(然し得られる希望とは何だ)



「かごめかごめ。
 籠の中の鳥はいついつ出やる。
 夜明けの晩に鶴と亀が滑った。

 …後ろの正面、だーれ?」

花の蜜の様な匂い。
きっとそれは、庭に植えられた椿だろう。祖父母の仏壇を今も尚、あの花が飾っている。朧気な記憶の祖母が唯一愛した、花。

「ご覧下さいな、旦那様。醜い私の元に、玉の様な王子様を賜りましたよ。肌も白く、凛々しい眉、眼差しに走る二重の何と見事か。まるで昔の貴方様を思い出しますわ…。だけどこの見事なお髪の色は、隠さねばならないそうです。まるで、いつかの旦那様の様に」

パチン、パチン、と。
遠くから響く軽快な音。

「ねぇ、旦那様。心を病んだ罰でしょうか。家の為に頑張ってきたつもりでしたけど、私には何一つ残らなかった。お父様の愛も、貴方様も、…知らぬとは言え、我が子に対してしでかした行いの、どれほど血も涙もなかった事か。
 …鬼の所業、旦那様を鬼と蔑んだ罰でしょうね」

これは、祖母の声だろうか。
彼女の記憶はない。祖父の事は勿論、全く知らない。では何故、こんな夢を見るのか。

「この世に最早、思い残す事などありましょうか。貴方様は穢れた女を妻に、母に、そして祖母にして下さいました。…旦那様。そろそろお迎えにいらして下さいな。貴方様に連れていって頂けるのであれば、紅蓮地獄でも構いませんよ、陽炎様」

やはり、少しも覚えていない。これが妄想からなる夢なら、作家になれるのではないだろうか。
母親が死んだすぐ後に、祖母は天へ召された。二人が同じ病だったと言う事だけは、知識として記憶している。あの頃は母親の死に耐えきれず、祖母の事など気にも留めなかった。

「…って、イールさん。さっきから何やっとんの?」
「ママさん、高枝切り鋏デース!固いの、高いの、バシバシ切れマース☆」
「や、やめなさい…!貴方は心臓が弱いでしょう?!こら、イールさん、」
「ヒャッホー!楽し〜☆」
「なっ、それは伐らなくて良いんですよ…!ああッ、何て事、自慢の私の椿がっ…!嶺一っ、嶺一ぃいいい!!!おみゃあの嫁、即刻この名古屋から叩き出しゃあ!」
「ママさん、怒るとどえりゃー皺が増えまするにゃ?」
「やかましゃあコラァ!おみゃあ表に出やぁ、このすっとぼけ茶髪が!!!」
「ママさん、そんなに怒ると眉毛が抜けるにゃ?顔が真っ赤?ママさん、日焼けし過ぎですにゃあ?」
「生まれつきで悪かったなぁあああ!!!!!おみゃー、ちぃとみゃあ茶髪だで調子に乗っとったら、どえらい地獄見せたるよ?!」
「はーい!見たいデース!」

何処かで誰かが笑う声がする。
密やかに、密やかに、そこだけまるで、別世界。



「…女とは常に元気で羨ましいと思わないか、零人」

ああ、何だ。
そこに居たのか、大切な弟は。

繁る椿の枝葉に隠れ、声もなく、微笑んで。
(それにしては少し)
(大人びている気がする)

(雰囲気が)


「真に大切なら、どうしてお前は傍に居ない?

 俺は欲した。欲するままに奪った。そこには慈悲や同情など存在しない。捨てねばならぬのであれば捨てた。家名も家族も邪魔だと感じた一切を、俺は選ばない。

 俺を人は鬼と呼ぶ。歳を取らぬ俺を、人の血を欲する俺を、そこには慈悲や同情など存在しない。在るのは恐怖ばかり。

 俺はあれが欲しかった。
 弱くも強い、あの幼い手が。血に濡れたこの手を躊躇わず掴んだ、あの優しい手が。そこには慈悲や同情など存在しない。

 俺は俺の大切なものを傷つけた全てを消してきた。そこには慈悲や同情など存在しない。


 全ては屠る事の敵わない、陽炎の如く揺らぎ続ける、欲のあるがままに。」



その声は囁いた。
まるで父親の様に、まるでぐずる子供を嗜める母親の様に、一言。






「起きろ零人」
「…あ?」

ぱちりと目を開き、辺りを見渡した。
隣のベッドから聞こえてくる豪快な鼾に目を向ければ、間接照明の僅かな光に照らされた、眼鏡の様なものが見える。

「あれ、脇坂さん?…いや、ねぇな。まさか寝言で俺を呼んだりしてねぇよな、恐ぇ」

見た目は叶二葉に匹敵するほどインテリなだけに、この鼾には閉口した。光華会にこの人ありと言うほど知られた高坂組長の片腕、都内繁華街で脇坂の名を知らぬ者はないだろう。

「つーか、何で寝かされてんだ俺…」
「それはねぇ、君が間抜けにも寝ちゃったからだよ?」

すぐ近く、有り得ない程の距離から聞こえてきた声に振り返った。
恐らくスコーピオゲストルームだとは予想していたが、窓辺に置かれたベッドで寝ていたらしい嵯峨崎零人の耳元、その声はヘッドレストの辺りから聞こえてくる。

「おはよう、裏切り者のゼロ。起きるとは思わなかったけどねぇ」
「…テメ!思い出したぞ糞アマぁ…」

やはり、壁とベッドの間に、その姿はあった。
背後にはカーテンが靡く窓、その向こうには小さなバルコニー。外から入ってきたらしい黒髪は、その隙間から覗くサファイアを瞬かせる。

「僕を利用しておいて、自分は知らんぷり。邪魔になったら皆に捕まえさせるなんて、君って最低な男だねぇ。でもそんなに必死なんだって、微笑ましくて笑っちゃう。うふふ」
「俺はテメーみてぇな悪趣味な女、信用しねぇ口でな」
「酷いな、どうして?ナイトは信用してくれた。疑ったりしなかった。だから裏切ったりしない。なのにアキは僕を裏切って、二葉を選んだの」

頭の中でカチリと、まるで歯車が噛み合う様に、線と線が繋がる音がした。

「やっぱテメー、叶の…」
「ねぇ、君は弟が可愛い?僕の弟は本当に可愛いんだよ。…ああ、違うや。きっと可愛いと信じてたんだ。だって僕が名前を考えたんだよ。だから僕があの子のお母さんなんだ。それなのにどうして、誰も僕を選んでくれないの」

しんと、風が止むと同時に静寂は訪れる。
零人の首を恐ろしい早さで掴んだ女の、右腕から与えられる圧倒的な力は明らかに、人のものではない。

「の、野郎…!」
「シナプス接続エラー、操縦者の意思に反しています。…煩い、僕は僕だけで良い、人間は黙ってて」

何が起きているのか。
完全に人を超越した力に、絞められた首の骨を捩じ切られそうな危機感に必死で逆らいながら、女の口から零れる無機質なマシンボイスを聞いていた。

「シナプス接続エラー、AI識別信号断絶、停止命令を受信しました。黙れ!僕の体を乗っ取らないでよ!」

まさか。まさか、まさか。
これと同じものを何処かで、見なかったか?

「勝手だ…!人間なんか皆、消えてしまえば良い!アキだってもう要らない!」

黒い鼠の群れ、こそこそと囁き合う同じ顔、同じ声の子供達。あれはいつ、何処だったか。
(駄目だ)(目が霞む)(肺が空っぽだ)(目の前が暗い)

「もうすぐ僕が本当の僕になれるんだからっ、邪魔しな、」
「おおっと、するなって言われるとしたくなるのが極道ってなもんでなぁ?」
「っ?!」
「っわ、ごほっ」

拘束から解放された瞬間、ベッドの端から転げ落ちた零人は打ち付けた背中を痛がる暇も惜しく、弾かれた様に起き上がった。
見れば、肩でズレた眼鏡を押し上げている男が、艶やかな黒髪を容赦なく鷲掴んでいる。

「っ、の、僕に触らないで…!」
「女相手に…容赦ねぇな…」
「これはこれは情熱的な嬢ちゃんだ、でもベッドの使い方を間違えてるぜ?ベッドっつーのはな、女が男の首を絞める所じゃねぇ」

獰猛な笑みを浮かべて暴れる体躯をベッドへ押し付けた男は、躊躇わず馬乗りになったまま零人を見下ろしてきた。

「おいおーい、ボケッと見守ってんじゃねぇよ後輩。オメェ、此処で俺に公開レイプさせるつもりか?」
「わ、脇坂さん…っ、助かりました!マジ神!」
「嵯峨崎財閥の御曹司じゃなかったら、寝た振りしたがな。…あ?この餓鬼ぁ、動きが止まってねぇか?今の内に捕まえるぞ」
「ス!」

流石は極道、得にならない事はしないらしい。
礼は後で考える事にして、己のベルトを抜き取った零人は、脇坂が絞め上げた細い手首を固く縛りつけた。

「人が寝てる所に忍び込むたぁ、ふてぇ事をしやがる。…工業科で鳴らした俺でもやばかった。つーかこの女、親父の前で尋問する筈だった女だな?」
「そうです。俺もさっき目が覚めたばかりで、何が何だか…」
「寝てた…って、親父?!そうだ親父が居ねぇ、おい、親父はどうした?!」
「だから判りませんって!とにかく今は、」
「強制命令違反により自動制御を展開します。モード反転、コード:アナスタシオス」

縛りつけた女から、無機質な音声が漏れる。
跳ね避ける様にベッドから飛び降りた脇坂の背に庇われながら、零人は目を見開いた。

「な、んだ、コイツ…!おい御曹司、これ人間じゃねぇのか?!」
「確証はないですが、恐らく」
「マジかよ…!」

革製のベルトが、引きちぎられる音の、何と恐ろしいものか。
ゆらりと人間の動きとは思えない奇妙な動きで起き上がった体が、乱れた黒髪の下、透き通ったサファイアを滑らせた。

「んの野郎…!眉間撃ち抜いてやる!」
「銃は不味いですって、脇坂さんっ」
「………んぁ?うっひょう!大変だ、僕らの寝室に見知らぬ男が二人も忍び込んでるよっ、桔梗ちゃん!」

何処に隠し持っていたのか、般若の表情でピストルを引き抜いた脇坂を羽交い締めにした零人の前で、ズテン!と尻から落ちた女は、カサカサとゴキブリじみた動きで遠ざかっていく。

「「………あ?」」
「オーマイガっ!撃たないで、撃たないでー!僕には三人の子供と愛するワイフが居るんですよねぇ!…そう、可愛いんですよそれがもう、妻に似てしっかりした長男と、妻に似て美人な次男と長女に囲まれた僕ぁ、幸福者だなぁ」

によによ、だらしない笑みで相貌を破壊した女は、もだもだと床を転げ回り、先程までとは明らかに違う男の声で「ハッピー」と叫んだ。

「…何だ、これ」
「…さぁ、何ですかね?」

無言で目を見合わせた脇坂と零人の表情をどう形容するべきか、言葉が見当たらない。
がばっと起き上がった黒髪は、目の前の自分の前髪を不思議そうに眺めて、またもや腰を抜かしている。

「ええ?!僕っ、家族を愛する余り黒髪になってまーす!オーマイガっ、神様有難う!かたじけない!」
「「…」」
「所でお二人さんはどなたですか?遊びに来て下さったなら玄関から来て欲しかったです。でもこれもまた、和の心」

しゅばっと立ち上がった女は、男の声でキリッと宣い、サファイアを細めて微笑んだ。

「どうですか、我が家のお茶を飲んでいきませんか」
「オメェ、何者だ?」
「うっひょう!これは面目ない、アピールタイムが済んでいなかったとは露知らずアイムソーリー、和の心、京都へお越しやす」

いや、ここ東京だけど、と言う突っ込みは、何故だか憚られた。
ぺこっと頭を下げた黒髪は、目の前の前髪を嬉しそうに弄りながら、スキップ混じりで戸口へ向かっていく。
不味いと足を踏み出した零人につられて脇坂も足を踏み出したが、

「そうだ、僕は十口流家元見習いのアレックス=叶と申します。やっぱり知りたいので、お二人さんのお名前を教えておくれやす」
「アレックスだぁ?…つーか、叶?お前、叶の人間か?!だったら何で俺らを襲いやがった!」
「脇坂さん!ひとまず落ち着いて下さい、…怯えてますんで」

極道の睨みと恫喝で、再びゴキブリと化した黒髪は、ゲストルーム備え付けの小型冷蔵庫の影に身を隠した。

「こ、恐い…!うわぁん、冬ちゃーん、パパ恐いよぉう!うわぁん!」
「「…」」

無言で目を見合わせた脇坂と零人の表情をどう形容するべきか、やはり今を以て、言葉が見当たらない様だ。




















「マジで中に副長が居んのか?!五階から一階まで隈無く探したぞ?!何でいつもと構造が違ぇんだよ、自分の学校なのに道が判んねぇ!本当に此処は帝王院学園なの?!あたし不思議の国のアリスだったりしてー!」
「ウメっち、あたしもう走れない…!このままじゃお腹の中の赤ちゃんが…っ」
「マツっち、俺の背中に乗るかい?1分500円で良いYO」

頭痛を覚え眉間を押さえて、目眩に耐える様に息を吐く。
少し目を離せば、またもや漫才を始めている奇抜な作業着三匹を横目に、少女は階段から駆け降りてきた白い作業着の男を見た。

「大変だ皆ーっ!何か変な白人が居たぁ!しかも三階の窓から入ってきたーっ!」
「変な白人とは失礼な言い回しだね〜♪陽気で明るいメキシカン、事件の匂いを嗅ぎ付けて参上しました☆」
「あっ、アンタ…!」

まさか人前に現れるとは思ってもみなかった男が、パーカーにジーンズと言う普通の出で立ちで立っている様を見つめ、目を見開く。あれは、佑壱専属の部下ではないか。

「お〜や?プリンセスヴィーゼンバーグの半分が、こんな所で何してんのかなー?」
「誰が半分よ!失礼しちゃう!アンタだけなの?」
「君の英国のお友達は不審な女を探してるよ、真面目にね♪…んー、ネイキッドの肩の荷を下ろす為に殺しに来たって訳じゃなさそうだ」
「当然よ!何でこの私がヴァーゴなんかの為に佑壱様を殺さなきゃなんないの!アンタ、此処でぶっ殺すわよ!」
「キャッハー、カモン!女に殺されるなら武士の本望でーす♪」

ああ、吹き飛ばしたい。
迸る少女の内心を余所に、ポカンとしているオレンジ三匹の視線に気づいた自称武士は、タタタンと軽快なステップで彼らの元に近寄った。

「HEY、トリプルボーイ。カルマのイケてるボーイ方とお見受けしました。自分は四年前から入った口の新人メキシカンです、何卒宜しくお願いしてね♪」
「え、ユーは誰?」
「ユーはユウさんの知り合い?」
「あー、センキューベリマッチ、ハーワーユー、ディスイズアッポーペン?」
「ソーリー竹林の兄貴。拙者、手持ちのピコ太郎がないでござる」
「「「うぉ!通じた!」」」
「イェーイ♪」
「遊んでないでとっとと佑壱様を探しなさい!」

頭に来たついでに、エレベータ脇の階段の昇り口にある掃除道具入れの戸を蹴れば、鉄製とは言え微かにめり込む。ビクッと飛び上がった作業着三匹を余所に、ぼりぼり頭を掻きなから手を挙げた男は、指を立てた。

「そう、そこ。気が合うねプリンセス、うちで一番賢いネクサスもそう言ってる」
「はぁ?」
「シャドウウィングの熱感知センサーで、一周ぐるっと回ってきたんだ。だけどこの建物の何処にも、人の気配はない」
「そんな筈ないわ!私は佑壱様の傍に偵察機を置いたの!GPSが此処を示してる!ほら、今だってタブレットに履歴が残ってるわ!」
「だから言ってるじゃん、これだからイギリス人って頭が固い。ほら、そこ退いてプリンセス」

つかつかと扉へ近寄っていった男が、凹んだドアを開く。
ある筈の下り階段の代わりに、大地震でも起きたかの様に、無惨な惨状が広がっている。

「な、んだ、こりゃあ?!」
「ちょ、鈴木呼んでくる!」
「おいおい、もしこの中に人が居るとしたら、幾ら何でもヤベーんじゃねーの?!こんな所でうちのユウさんは何してんの、まさか買い物?!嘘だっ、幾ら何でも部活棟にワラショクはないだろママン…!」
「ママン♪マスターは赤毛のママン♪」
「佑壱様だけじゃないわ!アンタ達の仲間も居たわよ!ほら、女みたいな顔した、羽根ピアスつけてる奴とか!ああ、あとヘラヘラしてるモデル!あれもアンタ達の仲間でしょ?!」
「キョエエエ、それがマジだったらカルマ大ピ〜ンチ!!!総長に連絡しねーと!でも連絡先知らねー!」
「案ずるなタケっち!俺も知らねー!」
「ソーリー兄貴×2、俺もシーザーの電話番号は知らないってか知りたくない♪」

騒がしい一同を余所に、ガコンガコンと重いコンクリート片を手で取り外していた男は、暫くして頭を掻いた。
大災害レベルだ、人の手ではキリがない。

「弱ったな、これは♪対外実働部は基本、偵察と企業スパイが仕事だもんなー♪力仕事なんてマスターにしか出来ないんだなー♪」
「ヘイ、陽気な外人の兄ちゃん!どうしたら良いっすか?!」
「流石に重機は入れねーし、どの辺りに居るか判んねーから、掘るに掘れないし!どうしたら良いかプリーズ教えてちょ!」
「おーい!鈴木呼んできたぞー!」
「あわわ、また一般の人が増えてる〜っ。こらっ、三年三馬鹿トリオ松竹梅!お前達は何で次から次に問題を起こすんだよ〜っ」
「落ち着きなさい!」

ドカン!
階段を塞ぐ瓦礫を足で蹴り飛ばした女の怒声に、男らの股間が縮まった。キリッとわざとらしく顔を引き締めた男らは股間を押さえたまま、決め顔で固まっている。

「人手が足りないなら呼んできなさいよ!さっき言ってたけど、この下には地下道があるのよね?!」
「は、はいっ!並木道から続く階段で、他の校舎より1フロア近く高い作りの中央キャノンからは、時計回りに全ての校舎へ続く遊歩道がありますっ」

厳つい体格の教師はしゅばっと手を挙げ、ビビりながら宣った。

「それだったら、此処から少し離れた所を掘りなさい。そこから地下に降りれば、佑壱様を助ける事が出来るかも知れないわ!まだ無線が切れて30分くらいだから!」
「し、然し他のお客様の目もありますのでっ、目立たない部活棟以外での作業は…っ」
「はぁ?!それ誰の命令よ、理事会?!まさかプリンスルークじゃないでしょうね!」
「命令がないから動けないんですよ〜っ。中央委員会にも理事会にも連絡が取れないんです〜っ、多分アンテナが壊れてるんです〜っ」
「何で?!今すぐ何とかしなさいよ!それが無理ならアンタが責任取れば良いんじゃないの?!」
「ひ、ひぃ、そんなぁ…」
「判った、俺が責任取ろう」

そこへ、冷静な声が割り込んだ。
胸ぐらを掴まれ睨み付けられていた教師は半泣きで、見ていた男らは己の股間が第一、助ける気配もなかった。

「中央委員会への連絡は、今何とかしている。それまでは、自治会が承ろう」
「アンタ…確か、ヴァーゴの所の下っ端じゃない。ウエストだがイーストだか」
「高等部自治会副会長、東條だ。…少し前から話は聞かせて貰ったが、嵯峨崎帝君がこの下に居るのは確かなのか?」
「確かよ。佑壱様を、私の偵察ドローンで尾行してたの。映像が届かなくなったのは大体30分前。直前の様子が知りたいなら、観なさい」

とんでもないストーカー発言を平然と暴露した女を前に、東條以外の男は沈黙を守る。いつの間にか外国人の姿がないが、それを気にしている者はない。

「…浸水が酷いな。鈴木先生、念の為ですが第四キャノン周辺で掘削開始して下さい。外に集めてきた風紀委員を配備していますので、校舎周辺は第三者の立ち入りを制限しています」
「あ、有り難い…!ではすぐに始めます!」
「作業は万全を期して頂けますか。紅蓮の君は賢い方なので、自力で脱出している可能性も0ではないと思います」
「了解です、先に中を確認してから本作業に入ります。それでは。行くぞ松竹梅、工業科の腕の見せ所だ!」
「鈴木の癖にやる気とかキモい〜」
「鈴木先生たまにはカッケーじゃん」
「うまくいったら焼肉奢ってね〜」

東條にグッと親指を立てて行ったカルマ三匹に、微かに頷いた東條は、一人で瓦礫を掘り出している背に息を吐く。地盤の地下だけでなく、既に一階がこの有様であれば、いつ建物ごと崩れても可笑しくはない。
連結式の渡り廊下も既に撤去が始まっており、部活棟は孤立している。万一を懸念してだ。

「外に出てくれるか。最悪、此処は取り壊すかも知れない」
「嫌よ。私一人でも構うもんですか、此処で佑壱様を探すわ」
「然し、この下に居る確証はないだろう。君の行為の善悪はともかく、危険を省みず貴重な情報を報せてくれた事には感謝する」
「礼なんて要らない。アンタも自治会なら、自分の仕事しなさいよ。…例え私が死んだって、困る人なんか居ないんだから」
「君は…」
「え〜っ?死んだら駄目だよ〜ぉ?」

東條は硬直し、我が耳を疑った。
この緊迫した超シリアスな雰囲気に全くそぐわない、ふわふわした声音がドスドスと言う足音と共に近づいてくる。

「ね、ここ危ないからぁ、外に行こ〜?」
「何なの今度は…!良いから邪魔しないでよっ、…痛!」
「あぁっ」

鋭利な破片も構わず柔肌で掴んでいた女の指から、ほんの僅かな血が滲んだ。おろおろと狼狽えながらハンドタオルを取り出した安部河桜は、擦り傷を負った指先をタオルで押さえてやり、ガラッと崩れ落ちてきた瓦礫を笑顔で振り払ったのだ。

片腕で。

「もぉ〜、やっぱり危なぃ。大丈夫だからぁ、ちょっと下がっててくれる?」
「でもっ、」
「さ、桜!寝てたんじゃなかったのか?!何でこんな危ない所に…?!」
「太陽君からぁ、お腹空いたってメールがあってぇ、返信したけど返信出来なくてぇ、…ぅ〜ん、セイちゃん、説明は後で良ぃ?は〜い、左席委員会和菓子係、安部河桜参りまぁす」

のほほんと、微笑んだ男の脇腹がぷるんと弾んだ様な気がする。
何故此処に居るのか理解出来ていない東條は、仁王立ちで息を吸い込む桜の背中を呆然と見つめたまま。


「…セイッ!」

余りにも見事な型の正拳突きで、巨大なコンクリートを粉砕したマシュマロボディーを、リン=ヴィーゼンバーグと共に目撃したのだ。

「ふー…っ。五歳で辞めちゃったから自信なかったけどぉ、まだまだ鈍ってないかもぉ。よーし、もっかい。セイッ!」

ドカン!バコン!
男らしい表情で大量のコンクリート片を量産していく桜の体が、下り階段へ消えていく。

「な…なんなの、あの子…」
「安部河桜、…五歳で極真空手ジュニアチャンピオンになった事もある、俺の幼馴染みだ」
「ひ…人は見掛けによらないの、ねぇ…。とてもそんな風には見えないけど…」
「…そうだろう?たった一度同年代の子供に負けて辞めてしまって、辞めてくれて良かったと思ったんだが」

セイッ!セイッ!と、桜の声が聞こえる度に、東條清志郎は痛む胃を押さえた。昔は自分が殴られている様で恐ろしくてならなかったが、

「セイッ!…ふー。わぁい、やっと踊り場が見えたょ〜」
「嘘っ、早い…!凄いじゃないアンタ、待って、散らばった瓦礫は私が片付けてあげる!そうだ、灯りが要るわよねっ!」
「お願ぃ」

今もそれは変わらない様だ。
…それにしても実家のかしましい姉妹に囲まれた桜は、普段の控え目な口調とは違い、東條には何となく頼もしく見えた。腹立たしい事に。

「凄い、アンタ凄いじゃない!もうちょっとよ、頑張って桜!」
「おっけぇ。あ、リンちゃん、ライトこっちに向けてくれるぅ?」
「良いわよ!佑壱様っ、今貴方のリンがお助けに参ります!」
「ぅふふ。イチ先輩はぁ、優しくてぇ、格好良ぃよねぇ」
「桜、アンタ中々見る目があるわね」

おい、女子会か。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!