帝王院高等学校
決して一つにはなれないお腹と背中!
「そんな無理をしなくて良い。…美味しくないでしょう?」
「あら、やだ。美味しいわよ。当然でしょ、アタシの可愛い奥さんが握ってくれたお握りなんて、とんでもないご馳走だわ。そうよね、コバック」
「はい。とても美味しいですねぇ、高坂夫人のお握りは。遠野先生、お茶のお代わりはどうですか?」
「すみません、お願いします」
「ま、アンタ達にはクリスのお握りなんて勿体なくて食べさせらんないけど」
「レ、レイ…」

頬を真っ赤に染めて、頻りにこちらを窺ってくる妻は、人目がなければ今すぐにでも抱き締めたいほど愛らしい。
疲れ果てた表情の医者と秘書を横目に、目の前に置かれた皿に並ぶ不格好な握り飯の最後の一つを掴み、口紅で汚れるのも構わず食らいつく。化粧を落としても良いと言った妻は、化粧を落とすのももどかしいので先に食べたいと言えば、ほんのり微笑んだ。

「そう言えばあの子、あのアレクセイ=ヴィーゼンバーグの義妹にしては、似てないわねぇ」
「レイは公爵に会った事があるのか?」
「一度だけね。アレクセイが爵位を継いだ時だから、40年近くなるかしらねぇ。子供の時の記憶だから朧気だけど、下品なパーティーだった気がするわ。キランキランしてて」
「ふふ。君が嫌いそうな感じだ」
「30代で亡くなったんだけど、彼が生きてたら還暦前かしら。18歳で国を捨てて叶に入り込んだ時は流石に問題になったわよ。こっちのメディアは黙ってたけど、イギリスのパパラッチが一誌だけ掲載してね。すぐに潰された」

一粒たりと残さず完食し、指まで卑しく舐めてから、手を合わせる。そんなにお腹が空いててのか、などと呆れ半分を装う妻は、甲斐甲斐しくウェットティッシュで指を拭ってくれた。

「あ、妻からメールが3件も届いてた…」
「おや、羨ましい限りですね、奥さまからのメールなんて。男やもめには女性からのメールなんて、」
「コバック、アンタの携帯光ってるわよ」
「何と!…おや、迷惑メールでした。残念」

秘書が肩を落としながら「迷惑メール通報」と呟き、ポチポチと携帯を操作しているのを横目に、家事が苦手な妻が唯一得意とするフレーバーティーの香りに息を吐く。

「サワーな香りね、柑橘とはちょっと違うかしら」
「石榴だ。アリーは石榴が苦手らしくて、韓国土産の石榴酢を頂いたよ。本当は息子さんへのお土産だったそうだけど」
「石榴?…本当、綺麗な色ね。普通のアッサムが、ローズティーみたいに鮮やか」
「だろう?私はこれが、昔から好きなんだ」
「苺だと思ってた」
「果物はどれも好きだよ。日持ちするし、料理が出来ない人間でも、美味しく食べられる」

目を丸めれば、吹き出す声が聞こえてきた。
キッと睨めつければ、そっぽ向く秘書と医者が見える。確かにあの不格好な握り飯を見られている今、下手に妻を庇えば、恥をかくのは当の愛しい人だろう。
少し握りすぎて固くなっただけで、塩でコーティングし過ぎていただけで、海苔が何故か濡れて貼り付けられていただけで、喉元過ぎれば消化するのは同じだ。と言っても、妻の手料理だから食べられたのだと、嵯峨崎嶺一は心の中で呟いた。

本音を言えば温かいフレーバーティーより、水をがぶ飲みしたい所だが、そんな本心は欠片も匂わせない。愛妻家の耐性はこの程度の障害では負けないのである。
多分。

「クリスを見てると、何だか死んだ父さんを思い出すわ」
「ふふ。君はいつもそれを言うな」
「世界一不器用な男だったもの。何をやっても逆効果で、見てる私が恥ずかしくなるくらい。あんなヘタレは何処を探しても居ないわよ。ねぇ、コバック」
「そうでしたか?会長はお父上にそっくりで、男前に育ったではありませんか」
「レイはお義父様に似ているの?」
「ええ、生き写しですよ。髪も瞳も、全て」
「やぁだ、それは私が死に際に知らされた事じゃない。アンタは知らないでしょ、カツラ被ってた時しか」
「おや、そうでしたかねぇ?」

携帯を胸元へしまいながら愛想笑いを浮かべた秘書は、わざとらしく音を発てて茶を啜った。まがりなりにも茶道の家に生まれておきながら、ティーバックの煎茶しか淹れられないのだから、この男も妻と大差ない。未だに三食外食か、溺愛の惣菜で生活している。
数多い愛人が手作り料理を振る舞ってくれる方が、圧倒的に多いだろうが。

「会ってみたかったな、レイのお義父様に」
「そう?ま、祖父さんくらい歳が離れてたから、生きてたら百歳越えてるわよ。今頃何してんのかしらねぇ、天国で」
「きっと、お義母様と仲良くしてらっしゃるよ」
「…どうかしら。でも、そうね。父さんが死んでからのお母様は、とても優しかったから。幸せで居てくれると、良いわね…」
「幸せに決まってる。私達の様に」
「そうね、クリス。ああん、もう、ぎゅーってしたい!えい!」
「ははは。こら、皆が見ているよマイローズ。君は時々、幼い子供みたいだ」

真っ赤な顔で目を逸らしたうぶな医者の傍ら、頬杖をついた秘書はわざとらしく羨ましいと宣った。

「はぁ。遠野先生、独身のナースと女医さんを紹介して頂けませんか?そうだ、先生も一緒に合コンしましょうよ。私の周りにはCAしか居なくて」
「ええ?!いやいや、一応、妻子が居ますので…」
「子供なんて親が居なくても勝手に育ちますよ。ね、合コンしましょうよ」
「コバック、それ以上お世話になってる遠野院長を困らせたら、アンタクビよ」

全く良く言ったものだ。ベッド以外で、女を抱いた事などない癖に。




















『裏切り、ですか?』


寝物語を覚えているかい。
…覚えている筈はないね、総ては淘汰された物語の破片。


私は自らの脳に、実に様々の人生を記憶として紡いできた。ほんの些細な興味から、ほんの些細な人への愛から。
そうしていつしか溢れる程の破片が、一つの物語として産み落ちたその時に、私は私と言う『個』を淘汰したのだ。


何と業深き人の生か。
人は自らのカルマに縛られ、血にカルマを刻み、子々孫々へと背負わせていく罪深き獣。

(私は絶望した)(私は真の神を見限った)(私は新たな私に刻まれた『全』の業を抱き、)




(いつか、宙へと還ろう。)




『それは裏切られた奴が悪い。
 弱いから、脆いから、愚かだから、…情けねぇ奴に従う人間なんざ居ない。自業自得だ』

その子供の血に刻まれたカルマを私は知っている。
(愛に満ちた男の遺伝子と)
(愛に餓えた女の強い願いと)
(愛に苦しんだ男のささやかな希望と)
(愛に嘆いた女の、生きる為に必要だった最後の光)

『裏切らねばならないだけの、理由があるのではないですか?理由もなく裏切るなんて、馬鹿がやる事ですから』

その子供の血に刻まれたカルマを私は知っている。
(愛を求めた女の僅かな希望と)
(愛を知らぬ男の秘められた渇望と)
(見返りを求めない男の想いと)
(ただただ静かに見守るだけの男)

『さぁ、…他人の気持ちなんか誰にも判んねーぜ。縁がなかったんじゃねーっスか?』

その子供の血に刻まれたカルマを私は知っている。
(互いの愛を信じ希望へと旅立った二人の祈りと)
(愛に溢れた女の儚くも強い願いと)
(失った愛を抱いたまま、最後の希望に縋る男)
(子供は誰よりも早く羽化した己に戸惑ったまま)

『裏切りたくて裏切る奴ってさ、居るんかな?多分さ、それが今より良くなるって思ったから、踏み切ったんじゃねーかな?…判んないけど』

その子供の血に刻まれたカルマを私は知っている。
(夢を追い掛けた果てで漸く過去を振り返った男の後悔と)
(愛故に豊かな期待を抱いて、それを失った女の苦悩と)
(期待された事のない子供が抱いた淡い尊敬と)
(他人の期待が如何に勝手なものか知っている絶望)


私は全てを知っている。
私はいつもお前達を見守っていたよ。
(それが如何に無慈悲であろうと)
(それが如何に自分本意であろうと)


(全て寄越せ)
(物語を一つ残らず捧げよ)

(苦しみも悲しみも憎しみも)(対の腕に抱きしカルマを)
(積み重ねていつか道標となる)(高き宙への架け橋として)


(その時この手は、宇宙に染まるのだろう。)




『ずっと信じるのってさあ、疲れそうだよねえ。だから、くたくたな人間には出来ないと思うよお。裏切れるんだったら、きっとまだ元気なんだねえ。…よいねえ』


けれどいつからか、姿なき誰かが嘲笑い続けた。
その声は囁き続けるのだ。
(愚かなだけだと)(哀れなだけだと)(蔑む様に)(労る様に)



『お前は誰を裏切ろうとしているか、知っているかい』

私は愛を以て愛する全てを守りたかった。
(ああ)(それはいつからだった?)

『弱い癖に神になったつもりか』

(違う、私は)

『所詮お前は舞台の袖で躍り続けるマリオネット』


(私は)





『俺はお前の名前を知っている。何故ならばお前は、一つとしてお前ではないからだ』










The endress episode: One for one.
 決してつにはなれないパラドックス




いつからか、私は何処までが私であるのか、その境さえ淘汰していた事に気づいた。
そして彷徨う様に人々の群れの中、道標を失い、止まない雨に打たれ続けたのだ。

巣を持たぬ猫が鳴いている。
寂しい、寂しい、冷たい、寒い、抱き締めて欲しい。

(それは誰の声だ)
(ああ・キラキラと)
(キラキラ・と)

(夏の雨は妖しく煌めい・て)



「珍しいものを見た」


ああ、私は貴方を知っている。
ああ、私は貴方に会いたかった。
(けれどそれは今ではなく)
(貴方と言う月に相応しい夜へと生まれ変わり)
(一切の救いを必要とせず)
(与えられた対の足で歩き始めた時でなければならなかったのだ)


(庇護を必要とする子供ではなく)
(貴方を守れる刃を握る騎士として)



「泣いているのか」






ああ、それなのに。

美しき人よ、
私は貴方と比べて何と醜いのだろう。


美しき人よ、
貴方は何処であろうと輝き続けるエクスターナルギャラクシー。

比べて何と、見窄らしい我が身よ。



私は誰だ。
私は誰だ。
私は誰だ。
私は誰になりたかった?


(キラキラと)
(ドレスを纏う踊り子が)
(狂った様に嘲笑い続けている)
(愚かな)
(浅はかな)
(そうして腹の奥底で初めて)

(声もなく嘆くその声を、聞いたのだ。)







『…約束を覚えているかい。醜い俺が愚かなお前と交わした、幼い約束を。

 俺は知っていた。
 己の愚かさ、醜さ、脆さ、浅はかさ、全てをあの日から理解していた。

 それでも無駄に足掻き続けたのは、人の起こす奇跡に期待してしまったからだ。
 何故ならば俺は、己が人間だと信じたかった。



 けれど、己を信じ続けるのはとても疲れるんだ、遠野俊。』



私は私が壊れた瞬間を知っている。
(あの時、私と言う個は淘汰された)
(そうして残ったのは私のものではない物語の全て)
(それは私ではない私として脱け殻となった私を支配した)


(私は愛しい子達のカルマをこの身に背負い、)
(静かに死に逝く運命)
(静かに紡いだ物語を再生している)
(一人きりのシアターで)
(辿る末路を知る映画を終焉まで一人)


(何故ならば)(この物語を描いたの・は)



私はキャストなどでは、












「…緑の匂いがする。人の笑う声がする。希望に満ちた、春の匂いだ」

俺は今、非常に興奮している。
誰にも望まれず描いた物語を、自らの手で壊してみようと思ったからだ。

「風は歌い、桜は躍り、見窄らしいポーンは決して馬にはなれないまま、積み上げてきた全てを無へ還す。それはまるで桜吹雪の様に…。醜いオタクがそっと地味に控えめに己の吐く息が世界を汚す罪深さから眼鏡を逸らし、そっと見上げれば其処は紛れもなく中世ヨーロッパでした、ポンジュース。…あらん?何か違う?」
「もしかして、ボンジュール言いたかったみたいな?」
「そう、それだょそれ!」

おはよう、やっと会いに来たよ、我が友よ。
(君は私を覚えていないだろう)
(何故ならば君のカルマは私が奪った)
(けれど今の君はとても寂しい顔をしているね)
(それはきっと、背負うべき業を無慈悲に奪ってしまったからだ)

(幼い私はそれが愛だと信じていた)
(人の願いを叶える事が慈悲であると信じていた)

(愚かな話だろう?)
(初めから知っていた癖に、まるで偽善者ではないか)
(けれどそれは違う)
(私は私の欲の為に皆から物語を奪ってしまった)
(そんな私が幸せになる筈もないのに)

(私は私がどうなろうと構わなかった)
(私は愛しい人の元へと続くチケットが欲しかっただけだ)

I am Sacrifice-transformer.(私は藁人形)
この身に与えられた名のままに、ST、愛しい白銀(Silver)へ乞う、旅人(Traveller)。






「落ちておいで、海より蒼いこの星へ。落ちておいで、流星群に流されて溺れる様に、俺の大切なお月様」

私は偽善者などではない。
私は己の欲の深さを知っている。
だから私は私が愛する全ての子供を笑顔で染めた暁に、貴方を絶望で染めてしまおうと思ったのだ。


「楽しい?幸せ?退屈?
 …だけどそれは今日まで。だって僕ってば罪深い腐男子ですから、カイちゃんの周りから全部の人を遠ざけて、全部の人を幸せにして、一人ぼっちにしてあげる」

ああ、期待に満ちた匂いがする。
哀れな理性を閉じ込めて、脆弱な本能を閉じ込めて、凍える冬を越えてきた。

一人。
いつも一人。
寂しくて、悲しくて、辛くて、助けて欲しくて、ああ、けれどそれら全てが楽しくて堪らなかった、私。

一人。
いつも一人。
愛しい子供らのカルマを奪い、子供らの為に我が身を犠牲にして、そうして愚かな人間共は、私を神の様に慕うだろう。

神である私が全てを手放したその時に、歪んだ歯車が動きを止めてしまったら、貴方は私を哀れだと思ってくれますか?
人が貴方を神と呼ぶのであれば、私は貴方の慈悲を静かに待つばかりの人形のまま、刃を研ぎ澄ませ続ける。



「感動的な開幕を」

やっと二人の歯車が回り始めたね。
やっと貴方を人へと堕とす為だけの、私の物語が始まったんだ。








(私は今日初めて、主人公。)

















「んの野郎…!起きろっつってんだろ!!!」
「…あ?」

帝王院学園高等部自治会長である西指宿麻飛に、選択肢など存在しなかった。全ては人使いの荒い副会長が原因だと唸った所で、やはり選択肢などない。
自治会長権限で駆けつけた北寮最上階、玄関先で取っ捕まえてきたコンシェルジュに真っ先に鍵を開けさせたのは、中央委員会役員四室の、たった一部屋だったのだ。

やっと起きたらしいと安堵の息を吐いた瞬間、西指宿の体は砂の上に叩きつけられた。

「………煩ぇ、人の部屋に勝手に入って来やがって…」
「っ、い…!絞まってる!ちょ、殺す気ですか…?!」
「迷わず死ね」

恐ろしい美貌が、恐ろしい力で首を絞めてきた。
この程度予想通りとは言え、これが考えられる最大唯一の安全牌なのだから、楽ではない。

「ア、アキが大変なんです!」

漸く起き上がった男の恐ろしい目に睨まれ、西指宿は悲鳴を噛み殺し叫んだ。我ながら馬鹿な事を宣ったと思ったが、背に腹は変えられない。

「そう言う事は先に言いなさい。行きますよ、道中話を聞きます。簡潔に且つ的確に状況を述べなさい」
「はーい…」

まさか山田太陽は一切関係ないなどとは、口が裂けても言えまい。
然し帝王院神威の部屋をノックする勇気もなければ、嫌われていると知らされたばかりの高坂日向の部屋をノックする勇気もまた、西指宿にはなかった。

「マスターが連結した水道管がトラブったらしくて、かなり広範囲で浸水してんス。第四キャノンは全滅、第二キャノンは水際でセキュリティ発動したみたいで、」
「それでは山田太陽君が溺れたんですか?!」
「はっ?!…あ、は、はい、多分?」
「人工呼吸は私が向かうまで勿論待機させてますよね?!」
「え、いや、あの、それは…行ってみないと判んない、かなぁ?」
「急ぎますよ!」

ああ、我らがABSOLUTELY幹事長、叶二葉よ。
今よりお前が扱い易いと思った事はない。何てチョロいのか。チョロ過ぎて貴方の将来が心配です。
山田太陽の名前でこうもやる気になってくれるなら、何でも言っちゃおうか。西指宿麻飛は、悪戯心が与えてくるむず痒さに、そっとほくそ笑んだ。

「そこでアキは泣きながらマスターの名前を呼んでて…」
「なんと言う事でしょう…。だから私があれほど警護すると言ったのに…。直ちに藤倉裕也を指名手配しなさい、あの男はこの私自ら抹殺します」
「は?藤倉?えっと、アイツはアキを庇ってマフィアに餌食になった………ら、面白ぇかな?」
「藤倉などどうでも良いのです!ああ、ハニー!私のハニーの呼吸が止まっているなんて…!」
「………俺、止まってるなんて言ったっけな?…いや、やっぱ言ってねーな。…ま、いっか…何とかなる…」
「すぐにふーちゃんが人口呼吸をして差し上げますからねぇ」

後悔する事を理解して自らの首を絞める西指宿麻飛は、一時の愉悦の為に『山田スペクタクル』を開演した。
寝起きだからか異様にテンションの高い叶二葉が浴衣姿で全力疾走する様を、皆がポカンと眺めている視線は、何と気持ちが良いのだろう。

「ちょ、マスター?!何処行くんですか、そっちスコーピオっスよ?!」
「何を馬鹿な事を、ハニーの元へ真っ直ぐ向かっているんです!ハニーはこっちに居る気がします。こっちから湯上がりハニーの匂いが…」

などと心の中で笑ったのがいけなかったのか、浴衣姿で走っていく男が目の前から消えていた。慌てて振り返れば、ヴァルゴ庭園方面へ突き進む阿呆が見える。

忘れていた。
あの男は、低血圧だったのだ。

「何処行っちゃってんの?!さてはアンタ寝惚けてんな?!部活棟はあっち!はいはい、空気匂っても何の匂いもしねーから!こっち!」
「くんくん…。変ですねぇ、私の高ぶるハートがハニーの湯上がり卵肌スメルに反応してるんですが…」
「んな訳ねーだろ!アキは死にかけてるんだぞ!アンタの人口呼吸がなかったら、死ぬぞ?!」
「…はっ!そうでした、何をしているんですかウエスト、さっさと案内しなさい!アキに万一の事があったら殺しますよ」

繰り返すようで何だが、これでも中央委員会役員では文句なしに扱い易い男なのだ。叶二葉は。少なくとも、西指宿にとって。

「ん?何故でしょう、中央キャノンからもアキのスメルがする様な…」
「だから部活棟っつってんだよ!馬鹿かアンタは!」
「おや、君如きに見下されるとは私も落ちたものです。ふぅ、山田太陽君が無事でも君は殺す事にします」

然し他の役員に比べたら、の、話である。




















「おい、生きてるか?」
「…まー、辛うじてだけどねえ」

日向が覗き込んでいた僅かな裂け目が、大きく裂けて吹き飛んだ。
崩れ落ちたコンクリートの瓦礫を踏み締め、日向が居る位置より若干低い所に転がる背中を覗き込む。
散らばったスマホは無惨に焼け焦げており、神崎隼人が腕の中に抱き込んでいる野上の眼鏡にもヒビが入っていた。

「テメェ、何やったんだ」

隼人にも野上にも構わずずかずかと瓦礫を踏み越えた銀髪を横目に、日向は手早く隼人のシャツを脱がす。傷こそ深くはないが、聞いた通り、隼人の左脇腹から血が滴り落ちていた。

「あは。ちょっとスマホのバッテリー改造して、簡単な爆弾作ってみたんだよねえ。思ったより音は凄かったけど、壊れそうな壁じゃなかったら傷一つついてないくらいショボい」
「どや顔でほざきやがって、とんでもねぇなテメェらは。…でもまぁ、馬鹿は馬鹿なりにクラスメート守るなんて、イケてんじゃねぇか」
「きもい、ABSOLUTELYに誉められたくない」
「照れんな」
「うっさい!とっとと仕事してよねえ、中央委員会なんだからあ!」

確かに言う通り、電気による炸裂音の割りに、威力はない。焦げた匂いは野上を庇った隼人の髪が燃えたからだろうが、湿ったコンクリートのお陰で火はない。
混乱と緊張によるものか、放心状態の野上には掠り傷はあるものの、目立った外傷はない様だ。

「良いか、歩けそうだったらこのまま向こうに真っ直ぐ行け。いつこの辺りも壊れるか判んねぇ、出来れば外にこの状況を伝えて欲しい」
「…は、はい…!お任せ下さいっ、光王子閣下!」
「神崎、テメェなら抜け道くらい判るんだろう?」
「まーね」
「立てねぇなんざ、抜かすなよ」
「はあ?立てますー。足もアソコも元気ですー。ちょっと顔がよいからって馬鹿にしないでくんない?隼人君は世界に認められたスーパーモデルなんですう、貴方とは違うんですう」
「はいはい、そんだけ元気があるならとっとと立て。それとも何か、手を貸してやらなきゃ立てねぇのか神崎クン?」

しゅばっと立ち上がった隼人は、瓦礫に足を取られてよろめきながらも、気丈に踏ん張った。若さ故の単純さに鼻で笑い、日向は己のスマホを差し出す。

「第四キャノン越えれば辛うじて照明が生きてる。それまで一本道だが、念の為持っていけ」
「は、はい」
「はあ?んなもん要らねーっつーの。アンタ舐めてんのお?あたしカルマの神崎隼人君ですよ?一本道で迷うほど落ちぶれてないんでー、ばいばーい」

がしっと野上を掴まえた隼人が、ずるずると進んでいく。壁に手をつきながら歩く様を見やり、満更馬鹿でもないと溜息一つ、少しでも長く照らしてやりたかったが、今はそれどころではない。

「おい、帝王院。んな所で何して、」
「動くな」
「あ?」
「ファーストの血の匂いがする」

神威の背を照らしていた日向は、剥き出しのレールを掴み、屈み込んでいる背中の向こうを照らした。光を当てるまで気づかなかったが、足場がない。
無惨に大破した天井の下から、ざばざばと水の音、複数の息遣い、啜り泣く様な声が聞こえてくる。

「…冗談だろ」
「掠り傷だろうと血の匂いはする」
「化け物並みの嗅覚だな」
「何、血の匂いに限るがな」
「そうかよ」

レールから剥がれたコンクリートが、落下している様だ。
些細なライトで照らせる範囲は限られていた。こちらからはそのコンクリートしか見えず、下へ飛び降りるにも、万一その下に生徒の姿があれば大惨事だ。

「嵯峨崎!おい、生きてんのか嵯峨崎!」
「っ、誰か居るんですか?!その声はまさか、」
「テメェ、錦織か。笑える状況じゃねぇか、こっちからはテメェらが見えねぇ。神崎と野上は無事だ!そこには何人居やがる?」
「それ以外、一応、全員揃ってますよ」
「嵯峨崎はどうした?!」
「腕、しか、判りません」
「あ?腕、だと?」
「今の衝撃で天井が剥がれて、落ちたんです」
「…もう良い、把握した」

立ち上がった神威が、踵を返すのを見た。
無意識にその肩を掴めば、赤子の手を捻る様に振り払われる。照らした美貌は地獄の入口であっても神々しく、何ら表情を持たない。

「何してる」
「予想はしていたが、此処に俊は居ない。俺は先に戻る」
「冗談だろう?今の聞いてたよなぁ、テメェ」
「ああ。だがそれがどうした」
「それが中央委員会会長の台詞かテメェ!判ってんのか、今の状況が!」
「だから、それが何だと言っている」

怪訝げに男は首を傾げた。
何の疑問も持たない涼やかな双眸に、危機感はない。


「本気か、テメェ」

血が沸騰するのを止めるには、どうすれば良いのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!