帝王院高等学校
導かれし者の遺した軌跡
近頃連絡が少なくなった若き友を、心配した訳ではない。
そう己を納得させながら山奥の学園を見据えた男は、煉瓦造りの校門に唯一許された、物々しい扉へと足を進ませた。

「帝王院学園本校へようこそ。ご用件は?」
「駿河は何処だ」
「は…?」

厳めしいゲートの傍ら、待機所と思わしき小窓から顔を覗かせた警備員の表情に緊張が走る。ああ、これだから人間との会話は面倒臭い。
掛けていたサングラスを外し、男は息を吸い込む。

下がれ愚か者

動きを止めた警備員を静かに睨んだまま、門を開けろと囁いた。夢うつつの様な表情で頷いた他人が開けてくれた門を潜り、サングラスを掛け直す。

「…亡き殿の声を記憶しておいて良かった。然し、呆れるほど愚かしい学校を造りおる。テーマパークか、此処は」

広い庭園の向こう、膨大な敷地が広がっていた。
遥か彼方に見えるは塔なのか城なのか、国を間違えたのではないかと思ったが、踏み出した足並みは止めどない。

「こんな馬鹿な事をやってのける奴は、我が家の恥だけだと思っていたが、どうも間違いだった。亡き父の幼馴染みだけあり、鳳凰公も考えなしとは。…嘆かわしい、こんな馬鹿げた主人に最近まで従っておった冬月が、断絶するのは当然の摂理だわ」

ぶつぶつと呟きながら、ずんずんと歩き続けた男は、ややあって一匹の犬を見たのだ。静かな眼差しで真っ直ぐ見据えてくる対の双眸は、艶やかな金色。

「ほう、儂が侵入者と気づいたか。賢い番犬を飼っている」
「…」
「例えるとして、貴様が今の雲隠当主だ。前大殿の時代に断絶したそうだが、二人共余所に嫁がせるとは酔狂が過ぎると思わんか」
「…」
「く。…二人所か、家ごと失った儂が言えた義理ではないとでも言いたいか?」

吠えるかと思ったが、犬はついぞ吠えなかった。
犬と言えば尻尾を振るものだと思っていたが、地に垂れた短めな尻尾は力ない。

「駿河は何処に居る?もう丸二年連絡を寄越さん。我が家のくたばり損ないが、駿河を使ってステルスに接触した事を許した訳ではない。…然し万一、儂の為に駿河が脅されているとすれば、本意から反れる」
「クゥーン…」
「同じ皇の身として、力を貸してくれんか、新しき友よ」

頷く様に小さく鳴いた犬が、尻尾を下げたまま歩き始めた。何だと尻尾の根本を見やれば、キラリと光る金属が見える。

「主、洒落たものを着けているな。然しその尾では支えきれんだろう。どれ、見せてみろ」

人の言葉が判るのか、並木道の途中で方向を変えた犬は、花の豊かな庭園で動きを止めた。気づいてはいたが、やはり、尾が付け根から変形している。脇腹にも古傷がある様で、毛の下にケロイドが見えた。

「…人の仕業か。相変わらず、人とは惨い事をする。だから儂はナイトを日本へ返すなと言ったのだ」
「クゥーン」
「ナイトもまた、人に殺された。飲酒運転の日本人から殺されたのだ。………慈しむ心を…」

指輪は変形した骨にぴたりと嵌まっている。
外してやる前に再び動き始めた犬を追えば、森の中にその深紅の時計台は佇んでいたのだ。

「お待ち下さいキング様!今日は私とお食事を共に、」
「寄るな女。私を誰だと思っている」
「も…申し訳ありません…」

ああ。
その声を忘れた事などない。その顔を忘れた事などない。そのブロンドも、そのダークサファイアも、ただの一度として忘れた事などないのだ。

(それこそが冬月の運命)
(血に受け継がれてきた性)
(決して忘れない能力)
(だからこそ、)



「…キングだと?笑わせる」

少しの差異も見逃しはしない。同じ顔、同じ声、けれど双子だろうと全てが同じではない。個体が違えば、感じ方も考え方も違うからだ。

ああ、罪深い話ではないか。
きっとあれは、冬月が犯した罪だろう。けれど逃げ出した自分に、嘲笑う権利などあるか?

「つまらんシンフォニアを産みおって、龍人め…」

最早全ての事情を把握した。
自分に出来る事などない。全てから逃げ出した己には今、守るべき家族があるからだ。



「悪かったな友よ。儂は家へ帰る。駿河の事は、主に任せた」


神仏に問う。
それこそが我が犯した罪だったのだろうか・と。

天に召す偉大なる父、母、出来る事なら天へ召されていると願いたい伯母、この身に流れる血で繋がった先人へ、問う。
あの時、家族を選んだ私が、間違っていたのだろうか。





「俊江先生…」

湯気を発てるコーヒーカップが冷めていく最中。
降り積もる前の雪は満月の下、広大な病院の敷地ごと、傍らの独身寮さえ濡らしていく。

「秀皇」
「こんな時間に、ごめん。でも他に、行く所がなかったんだ」

あの時守った家族に、あの時見捨てた友の子供が震えながら抱きつくのを見ていた。まるで、他人事の様に。



「…また、俺は間違えたのか、ナイト」

ぎしりと軋んだカップの取手が折れると同時に、黒い液体が足元を濡らした。ああ、黒、黒とは夜でありノアである。


亡き父なる母、亡き我らが神、今一度この目の届く所に舞い降りて、正しき道を示してくれないか。
(父なる母、遠野夜人)
(我らが神、レヴィ=グレアム)
(私はどうしても今、貴方達に会いたい)


いつか優しい伯母が夫を殺す所を見た。
(轟々と燃え盛る火焔の中央で)
(そうして幾らかの金と)
(甘い甘い飴玉を握らせてくれた優しい伯母の)
(深紅に染まる手が最後に握らせたのは、)



『酷い伯母さんでごめんなさい。許してね、龍一郎ちゃん』


(血で染まる、鈍色の刃)




祈りはなく、
(縋る様に願うばかり)
希望を夢見る事は忘れた。
(それは記憶と共に)

私が初めて殺したのは、優しかったもう一人の母。
(いつか結婚するのであれば)
(伯母の様な人が良いと幼心に願ったものだ)




『頼みがあるんだ、龍一郎』
『タツルだけならまだしも、イトナさんまでシなせてしまうなんて…』
『オレをコロしてくれないか、リュウイチロウ』




望みを抱き、
(過去と決別し今を得て)
快活に育ってくれた娘の代わりに泣く子が存在する。
(道を誤ったからだ)






「おのれ…!シンフォニア計画を産み出したのは、この俺ではないか…!」

許して欲しい。
許して欲しい。
知っていた癖に見て見ぬ振りをした。
(愛しい)(愛しい)(大切な家族よりずっと)(私はあの子を愛していた)

「ハーヴィ…ハーヴィ…ハーヴィ…嫌だ、俺はお前を憎みたくない…!」

森羅万象に息吹く真なる神仏に願い奉る。


私は罪を犯した。
 (血に濡れた伯母の手に包まれたまま、伯父の血で濡れた刃で、彼女の腹を貫いた感触が忘れられない)

私は罪を犯した。
 (助けてくれと嘆く父であり母だった敬愛する人に、永久の眠りへ誘う注射の針を刺した感触が忘れられない)

私は罪を犯した。
 (この手は罪で汚れ、愛していると捧げてくれた愛しい人の愛を受け入れる事など、出来なかったのだ)

私は罪を犯した。
 (それでも尚、手放した愛を乞う様に未練がましく、罪を犯し続けてしまった)



罪は何度も。

健気に努めてくれた妻を裏切り、己の遺伝子を改造して創った子、密かな企みの名は『Type Sinfonia Eden』。その頭文字を取り、TSE・俊江と名付けたのだ。
私は己の罪の意識から目を逸らし、娘を愛でる妻の幸せそうな顔を見る事も出来ず、けれど翌年何の企みもなく己の息子が産まれた時に、己の罪を知らされた。けれどそれから目を逸らし、娘の遺伝子を以て、失った人を取り戻そうと足掻き続ける。


罪は何度も。

私の元へ子羊は現れた。まるで、哀れな私の為に神が遣わせた光明ではないかとさえ思えた。
若い娘の望みは『神の子』を産む事。それと同時に、日本人の子を産む事。我が友の子とは、何と悍しい話だろうか。



「…愚かな女だ。本気であの複製を、ハーヴィだと信じている」

私は既に人ではない。(あるのは心臓だけ)(心はない)
弟の存在と引き換えに産まれ、伯母の命と引き換えに生き残り、二人の神を殺したのだから。(あるのは罪の記憶だけ)(人の裁きはない)

亡き父の願いを叶えたかったのだろうか。
医学を学び、白衣を纏い、それなのに私は、止まった神の心臓を再び動かす事が出来なかった。絶望に暮れた夜人に希望を与える事も出来なかった。それは全て、私が罪人だったからだろうかと。


けれど私は娘が流す血を初めて目にした時に、漸く、自分が犯した本当の罪を知ったのだ。



「俊江先生!しっかりして下さい!っ、大変です院長、予定より早く俊江先生の陣痛が始まりました…!」
「バイタル低下、意識レベル弱、早くして下さい院長ぉお!」

ああ。
誰か、あの子を助けてくれ。あの子とあの子の腹の中で鼓動を刻む、まだ見ぬ孫を、助けてくれ。


(それは誰だ)
(この世に神など居ない)
(神は死んだ)
(お前は誰一人助けられなかっただろう?)
(だからまたお前は失う)
(冬月龍一郎)
(穢れたオリオン座)
(お前には何も出来ない)
(人を騙し研究に没頭した救えない獣)
(助けてくれなど烏滸がましい)



(これが神の下した裁き、なのか?)




「退きなさい、龍一郎!」

意識のない娘を前に、為す術なく立ち竦む私はその時初めて、それまで慎ましかった妻の叫びを聞いたのだ。

「俊江!これ、俊江!アンタは母親になるんだよ、だからこれくらいで諦めるんじゃないよ!私はアンタを、そんな弱虫な娘に育てた覚えはない!」

神はそこに居たのだ。そう、いつも母は強かった。
大人しく優しかった伯母も、父と共に命を落とした美しい母も、男の身でありながら母親代わりとして育ててくれた、彼も。

「しっかりなさい、貴方!それでも外科医の端くれですか!」
「あ…ああ…」
「出産なんてものは多かれ少なかれ大変なの!そこでうじうじされちゃ邪魔で仕方ないから、あっちに行ってて頂戴!」

小児科医で、幾らか外科を囓った程度、まして産婦人科の経験などある筈もない妻が、きびきびと指示を出しながら、何度も何度も娘の名を呼んでいる。


何度も、何度も、何度も。
まるで、私が犯した罪の数だけ消し去る様に、声の限り。



「初めまして坊や、私が貴方のお祖母ちゃんよ。…あらら、可愛いおちんちんがついてるわ」

そうして私は新月の夜、東の空が黎明に迎えられる間際に、余りにも控え目な産声を聞いた。

「良く頑張ったね、俊江。誉めてあげる」
「へへ。…たりめェだろ、母ちゃんの娘だからねィ」

赤子を抱き上げ微笑む妻の表情の、何と気高く、美しかった事か。

































「これから何処行くんだ。この、何だ、ハンサムウィングとやらは…」
「ファントムウィング」
「名前なんかどうでも良い!ああ…あそこの看護師は、ボンキュッボンの粒揃いだったのに、残念なり…」

空飛ぶバイクの傍ら、サイドカー宜しく車椅子のまま連結されている仙人、否、107歳の老人は悔しげに宣った。

「ボンキュッボンとは?」
「ホモには不要な知識だ。知る必要はない」
「了解した」

バイクに跨がりハンドルを握る男の白衣がパタパタ靡く朝五時、背中に背負ったもう一人の老人は眠っているのか目を閉じたまま、微動だにしない。

「ヤト。私には些細な疑問があるのだが、機会がなく聞きそびれていた。尋ねても良いだろうか?」
「あ?」
「オリオンがアーカイブへ入力していない為、判断出来ない」
「何だ、俺の若い頃の顔で神妙な事を言いやがる。ケツが痒くなるだろ、はっきり言ってみろィ」
「ヤトの母親は貴殿を産んですぐに亡くなり、戦時中空襲で焼き払われた病院ごと、当時院長だった父親は命を落とした。祖父母と共に。以上が保有データだ」
「ふん、嫌な事を思い出させよる餓鬼め。親父が死んだのは空襲の半月後、背骨が折れてて虫の息でな、当時の医療では打つ手がなかった。あれは俺が15歳になる頃で、自立するまでは、残った立花方の親族に育てられた」
「ヤヒトとお前は、年が離れていたな?」
「それがどうし………あー、判ったぞ、それか…」

眼下は漆黒の大海原、然し少しも怯えていない豪快なサイドカーの人は、持ち込んだ煎餅をばりっと囓る。未だに全ての歯が自分のものだと言うから、鬼ではなく化け物だ。医者が別の意味で匙を投げる健康さが自慢らしい。

「確かに、夜人は俺の実の弟じゃねぇ。つっても他人じゃねぇぞ?弟じゃないだけで、…あー、でも、夜人は知らない筈だがな」
「やはりそうか」
「正式には、夜人が俺の叔父に当たる。俺の祖母さんは俺が産まれた頃に不慮の事故で亡くなって、祖父さんは死ぬ前、結構の年の離れた看護婦と再婚してたんだ。夜人はその嫁さんが産んだ子供だが、二人共うちの病院で働いてたからよ。俺が兄貴代わりに育てた…構ってた?みたいな感じ。でもその辺は曖昧にしとけよ。ほら、男は少しくらいアクエリアスな方が、」
「ミステリアス」
「…ま、そんなアレよ」
「アレとは何だ?」
「ヒーリングで理解しろ」
「難しい事を言う。ヒーリングとフィーリングは似て非なる言語データだ」

真顔で首を傾げた白衣に、煎餅を囓りながらそっぽ向いた男は、見えてきた街の明かりを覗き込む。

「あれは都心…?貴様、こんな目立つハンサムで都心を領空侵犯するつもりか!」
「ファントムウィングはあらゆるレーダーに感知されないステルスシステムだが、無論、目立つ事はしない」
「どうだか…アメリカ人は信用出来ん。ギブミー猪口!ギブミーお猪口!」
「おちょこ?」
「…まさか貴様、オリジナルである俺諸共、ボケた龍一郎を殺すつもりか!何て奴だ!」
「私のメモリーにその命令は記録されていない」
「当然だ馬鹿野郎!幾ら義父を敬わないツンデレでも、俺の息子だぞ!起きなさい龍一郎!お前はこんな奴を『神』と呼ぶのか!だったら俺を『父』と呼べ!おい、龍一郎ぉおおお」
「ヤト、大声を出すと人に気づかれる」
「すまん」

お口チャック。
新しい煎餅で唇を叩いた年寄りは、暫く沈黙を続けたが、我慢出来なくなった様だ。

「お前は無口でつまらん!お前の頭を残しつつ、人格を変えろ!」
「だが私に内蔵されているキャラクターは、ヤトの他には…」
「誰でも良い!楽しくお喋りしたいんだもん!」
「了解した。データをアーカイブに一時保存、モード側転、コード:フェニックス」

つんつん跳ねる前髪を掻き上げた男の瞳が、ダークサファイアから黒へと変わる。途端に目付きを変えた白衣は、一切の表情なく静かに、見つめてきたのだ。

「久しいな、夜の王」
「…ふん、その忌々しい無表情、俺の面じゃなかったらぶん殴ってやった。気分はどうだ、陽の王さんよ」
「日本が未だに我が帝王院のものである事に安堵している。この国は、夜より太陽が似合うからだ」
「ちっ。龍一郎の野郎、設定年齢幾つで登録しやがった…」
「我が名は帝王院鳳凰、45歳」

失敗したと天を仰いだ年寄りは、ぽろりと煎餅を膝の上に落とし、嘆かんばかりに顔を覆った。

「勘弁しろよ、そりゃ一番最悪な頃合いじゃねぇかァ」
「お前は108歳になるのか。その皺で大根をおろせそうだ」

誰が大根おろし器か。
怒りで震えた年寄りは、然し相手が機械である事を思い出し、必死で耐えた。ミラクルだ。還暦を過ぎた頃から怒りっぽくなっていただけに、奇跡的な忍耐力だった。

「おい鳳凰。貴様、まずは笑ってみろ」
「…笑う?何故可笑しくもないのに笑わねばならない?」
「煩ぇ、そんなんだからテメェいつまでも独身なんだぞ!」
「な」

見事の一言だ。
アンドロイドとは思えない本人そっくりな反応を認め、遠野夜刀は満面の笑みを浮かべる。昔と全く同じ状況だ。

「金と名声で寄ってくる女に愛想尽かして、お前は外国に逃げた。くっくっく、本気でお前を好きになってくれる女性なんて何処にも居ねぇ。なァ、モテない帝王院鳳凰さんよ…」
「…」
「良い年して熱海で一目惚れしたお姫様に声も掛けられないウブなお前を、この遠野夜刀が懇切丁寧に指導し、舞子ちゃんゲットに繋がったんだぞ!忘れたのか!舞子ちゃんは良かった、こう…尻がきゅっと上がってて…」
「アーカイブにその様な記録はない」

空中を両手で揉んでいるスケベな年寄りに、冷静なツッコミは届かない。

「良いか、モテモテだったこの俺が、お前に恋のイロハを教えてやらなかったら、お前は結婚は愚か、子供も授からず死んでたんだ。………あらん?それだと俺の曾孫も産まれてなくね?それってきっとやばくね?」
「曾孫…メインアーカイブデータ確認、そうか、俺の孫はお前の孫と子を成したか。世には、想像にもつかぬ面映ゆい事が起きる得るものだ」
「そこは激しく喜ぶ所だろうが!良いか、腹一杯空気を吸い込め!そんで腹の底から笑ってみろ!」
「何故だ」
「んなもん、理由なんかねぇ!命令だ!」
「…そうか。命令であれば承知した。何故ならば俺はお前のアンドロイドであるからだ」

くぇーっくぇっくぇっ、と言う奇妙な笑い声が響き渡ったが、幸いにして上空うんメートル地点だったお陰で、それを聞いた者は居ない。

「所で鳳凰、ハンサムは何処に向かってるんだ?男爵のデータ共有してんだろ?」
「我々は帝王院学園へ向かっている」
「あ?」
「直近の最新データが残る場の方がより効率が良いと、CPU:レヴィは判断した。何故ならば遠野龍一郎は死んだとされ、家族の元へは戻せない。何故ならばそれこそ遠野龍一郎の願いであり、我らの曾孫の意思でもあるからだ」
「うん、じーちゃんが間違ってた。やっぱさ、口数が多ければ良いってもんじゃないね、全然粋じゃないよね。逆に苛々してぽっくり逝きそうだもんね」
「む。『粋』と『逝き』を掛けたのか?」
「皆まで言ってくれるな!モード流転、コード:俺!」

無表情が崩れ、自分と同じ顔をした男の口元に笑みが浮かぶ。

「よう俺、元気そうだな。おいおい、機械がとうとう飛んじまってら、信じらんねぇ。…飛行機って恐いよな、鉄の塊が飛ぶんだぜ?体内の核とオイル、うっかりチビりそう。所でこれ、何処に向かってんだ?とうとうあの世?」
「しまった、データ共有を忘れとった!…仕方ない、そのまま帝王院学園へ向かえ!これは飛んでるのではない、夜空を歩いているに過ぎん!何たって俺は夜の王、遠野夜刀であるァ」
「はいはい。つーか帝王院学園と言やぁ、あの鳳凰が作った学校だろ?何でまた?」
「えぇい!何で何で言うな、お前らは知りたがりの子供かアンドロイド共!俺は先生は先生でも教師やないで、お医者やで?元気が取り柄なシルバーを、もっといたわりなはれ!」
「何で関西弁やねん」

何処までも元気な年寄りへ、アンドロイドの冷静なツッコミと溜息が突き刺さった。












一方、自分の父親が機械として生まれ変わっている事など露知らず、帝王院学園学園長はひよこを浮かべた湯船で、すっかり逆上せていた。

「俊…じーちゃんはもう、駄目かも知れん…」
「じーちゃん、水飲める?」
「ああ…俊…。我が帝王院の事は、任せたぞ…」
「じーちゃん、あーん」
「ぐびぐび。…ぷはッ。生き返ったぞ俊、じーちゃんを助けてくれて有難う」
「ん」

そりゃ湯船でフライドチキン喰ってりゃ、逆上せもする。
冷めた眼差しで脱衣場に寝かされた学園長を一瞥した太陽は、運ばれてきた浴衣…ではなくバスローブを広げ、痙き攣った。

「見覚えがあると思ったら、これって購買に売ってる奴と同じだー」
「おや?バスローブはお気に召さなかったかね?私が若い頃は、私服と言えば着物しか持っていなかったから、こう言う洋風なものに憧れたものだけど」

きょとんと首を傾げた大魔王に、揶揄いの雰囲気はない。然し油断出来ないと疑いの目を向けながら、仕方なく太陽はバスローブを纏った。ぶかぶかだ。

「…すまないね、山田君。Lサイズしか用意出来なくて…」
「お構いなく」

流石に悪いと思ったのか、口元を扇子で隠した冬臣が微かに震えているのを見た太陽は、笑うなら笑えと眉を吊り上げた。

「理事長、まだ入ってる。大丈夫なの?」
「帝都は放っておけ。瓶に詰め直した牛乳が、ヨーグルトになったら出てくる。いつもの事だ」
「え…?お風呂で自家製ヨーグルト…?」
「タイヨー、フユ様がスイーツなデザートを用意してくれてるそうだ」
「フユ様?!お前さん、いつの間に魔王様とそんな仲に?!」
「ふふ。京都の実家で片手間に経営している茶店で一番人気の、抹茶ケーキを用意しているよ」
「「フユ様ー!!!」」

腹は減っていたものの、風呂でのフライドチキンはハードルが高すぎた太陽の口元から、たらりと涎が垂れる。
颯爽とバスローブを纏った俊は袖で太陽の涎を拭ってやり、同時に自分が大量に垂れ流した涎は、パジャマに着替えた学園長から拭いて貰ったのだ。

「隆子、…お前のお祖母さんにも会わせたい。冬臣のケーキを食べて一休みしてから、ゆっくりな」
「じーちゃん、有難う」
「ぐすっ。俊…じーちゃん感無量…!」
「ん!」

ひしっ。
抱き合う帝王院二匹を余所に、抹茶ケーキの単語で二葉から冬臣に乗り換えそうな勢いで、我らが左席委員会副会長は目を輝かせている。

「ごめんなさい。俺、フユ様を誤解してました。腹黒で性根が腐ってる悪い奴だと思ってました。反省してます」
「正直な人だねぇ、思っているだけなら構わないよ。言わなければ判らないのだから」
「でもやっぱり顔が好みじゃないんで、結婚の話はなかった事にして下さいませんか?俺、俺、男前より美人系が好きなんです!」

嘘が吐けない真面目なA型は、嘘が吐けちゃうフユ様A型にぶっちゃけた。それは学園長とその孫がビクッと怯えるほど真っ直ぐ、純粋なまでのぶっちゃけだった。

「なので二葉先輩を俺に下さい!」
「は?」

キリッ。
いまだかつてない眉の跳ね上がり、今ここに平凡は男になったのだと記しておこう。奴は産まれてこの方ずっと男だが、突っ込んではいけない。
然し太陽の瞳にはデカデカと抹茶ケーキの文字が刻まれていた。なので涎が止まらない。

「山田君、君は二葉を…そう言う意味で娶るつもりなのかな…?」
「おいしく頂きます!」

叶冬臣36歳、彼は人生で初めて思考停止した。山田太陽は自分が何を叫んだか理解していない。頭の中はケーキでいっぱいだ。
思考停止した冬臣の代わりに、脱衣場の片隅で寝かされていた次男が顔を上げ、鋭い眼差しを、眉だけは凛々しい平凡へと向けたのである。

「…却下だ却下。何で二葉を嫁にやらなきゃならない。榛原だからって構うか、殺すぞブス餓鬼。鏡見て出直してこい」
「な…!鏡を見たって、顔は変えらんないじゃないですかっ」
「るせぇ、この俺と同じ顔をした二葉とお前なんかが似合うか!叶を馬鹿にしやがって…!榛原が何だ、いつまでも主人面すると裂き殺すぞ!」
「殺す殺すって二葉先輩の顔で物騒なコト言わないでっ、謝ってよ!二葉先輩を侮辱するのは、お兄さんだって許さないからな…!おすわり!!!」
「「「すいませんでした」」」

ぴしり。
揃って土下座したのは、お化けが恐いチキン二匹と、今の今まで太陽を睨み付けていたロン毛だ。ロン毛はともかく、学園長と俊は条件反射ではないかと思われる。
何せ風呂でフライドチキンを貪る程のチキンだ。



「親子とは、こうも似るものか…」

瞬いた叶冬臣は、久し振りに見た弟の旋毛を余所に、独りごちた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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