帝王院高等学校
高等部自治会に定休日はございません!
「何の騒ぎだ…」

慌ただしく駆けていく警備員を認め、閉め切っていたカーテンへ手を掛ける。仮眠とは名ばかり、タオルケットを羽織って船を漕いでいる自治会役員は高等部一名だけだ。
初日に一日働いて貰った最上学部自治役員は昼まで来ない為、8時以降の活動が認められていない中等部役員も含めて、この時間は待機人数は少なかった。

東條清志郎が、リブラ西棟と並木道に沿って走る水路の間に仮設されているテントに顔を出した時、珍しく自治会長である西指宿の姿があった。
珍しい事があるとは思ったものの、働いているのかと思えば無論そんな事はなく、一人で寝るのが嫌、などと言う下らない理由だ。これは疲れ果てていた役員仲間から聞いた話である。

普段から全く仕事をしない西指宿に、『仕事して欲しい』と思っていても直接言う事のない高等部自治会役員は、つい最近元副会長が過労で倒れたばかりだ。

基本的に進学科の生徒から指名される自治会役員は、仕事と学問を両立出来る人間でなければ務まりはしない。どちらかに偏れば、降格するか役員を辞退する羽目に陥る。
そのどちらも選べなかった健気な副会長は現在高等部三年生だが、窶れた体を推して職務継続の意思を示したものの、クラスメートであり中央委員会会計である叶二葉に『役立たずは解雇』と笑顔で一蹴され、結局罷免に等しい辞任へ追い込まれたのだ。

彼は西指宿のセフレでもあったが、辞任以降、西指宿から逃げ回っているらしい。会いたくないのか、会わせる顔がないのか。どちらにせよ、中等部時代から断り続けてきた自治会職を東條が受ける羽目になってしまったのは全て、西指宿麻飛の所為である。
これだけは断言出来るだろう。

「起きろウエスト」
「うう〜ん。…やー、もう無理だって…7発は」
「一生寝ていろ」

東條は表情が殆ど変わらない鋭利な美貌で西指宿の座っていたパイプ椅子を蹴りつけ、素知らぬ顔で警備員らが駆けていった方向を見た。
夜間巡回要員だろうが、そろそろ交替時間だった筈だ。グランドゲート方面に戻っていく姿を見掛けたのはつい半刻程前の話だが、その時の足取りとは真逆に、並木道を校舎方面へ駆けていった彼らの表情は深刻そうに見えた。

「イースト、今蹴った?」
「起きたのか」
「つーか蹴ったろ?」
「起きてたのか。だったら気づいたと思うが、校舎で何かあったのかも知れない」
「シカトっスかイーストさん」

自治会長の癖に、自室に戻らずこんな所で寝ている方が悪い。東條の分厚い顔の皮の下の心の声に気づいたのか否か、欠伸を噛み殺した西指宿はやる気のない顔で背を丸めた。

「放っとけよ、何かありゃその内連絡がくんだろ。何もかんも自治会に面倒押しつけられて堪るか、阿呆らし」
「それは何もかんも押しつけられた人間の台詞だ。まるで真面目に働いている様な事を言うんだな」
「そりゃもう、働きましたとも。麗しのマスター命令で閣下の手となり足となり…」
「自治会長閣下は珍しく機嫌が悪いな」
「会長っつったって、陛下とは似て非なる使いっ走りだっつーの。こんなに面倒な肩書きだって知ってたら、」
「それでもお前は選んだ」

東條の呟きに、パイプ椅子の背凭れを抱いていた西指宿は猫背で息を吐く。

「目的の為なら手段を選ばない。それがお前だろう、ウエスト」
「目的ってなぁ…。人の弟をそんな言葉で飾るなや」
「自分が耐えれば全てが丸く収まると考えた事がある。俺とお前は似てる。…覚えてるか、初めて話し掛けてきた時にお前が言ったんだ」
「自分から話し掛けた相手で抱いてないのはお前と帝君くらいなもんだから、そりゃ忘れようがねぇわ。お綺麗なロシアンが下ネタ上等の変態野郎だって知ってたら、」
「男の中身なんてそんなものだ」
「むっつりすけべ。桜ちゃんの前では絶対言わねーんだろ?」
「桜は弟みたいなものだ。当然だろう」

警備室に繋がっている無線機に反応はない。
他校生が増えた事による気疲れもあるだろう、普段から数多くの雑用を片付けている自治役員の表情は暗く、西指宿が起きている手前、東條が仮眠を勧めた役員が徐々に目を覚ましていくのが判る。
背凭れを片腕で抱いたまま頬杖をついた西指宿は、そっぽ向く東條を奇妙な笑みで一瞥し、長身の背後、船を漕ぎながら起きていようとしている役員らを見やった。

「おーい、朝まで俺とイーストが此処を任されてやっから、オメー部屋戻って寝てろ」
「え?でも王呀の君はどうせサボるでしょ…?」
「コラ、書記。オメー、何やかんや俺への当たりが強いぞ。会長は敬いなさい」
「あ、すいません」

元副会長が三年生だった為、東條が副会長職に収まった今、高等部自治会は二年生ばかりだ。予算の組分けは中央委員会が賄っている為に、自治会には正式な会計は存在しない。
会長、副会長が高等部部活動の予算申請案を取りまとめ、会長の承認印を捺されたものだけが下院である中央委員会会計の元に回されている。なので事実上、自治会役員は三役で回されているが、仕事量が多いのでそれぞれに補佐役指名権があった。西指宿の正式な補佐役は川南北斗が登録されているが、形ばかりだ。北斗が手伝ってくれる事と言えば、叶二葉が却下を下す前に「この予算申請は無効」と各部活動へ書類を叩き返す事くらいである。

叶二葉の指名を以て副会長に就任したばかりの東條に補佐役は居ない。また、二年Sクラス四番の優等生でありながら、部屋の隅の埃より存在感のない書記もまた、補佐役を指名していなかった。
なので西指宿がサボれば、必然的に空気レベルの書記がその命を削って働くより他ない。
そんな彼から西指宿が敬われる方が難しい話だが、元副会長が西指宿信者だった事もあり、色々諦めている様だ。

「僕の事は気にしないで下さい…。部屋に閉じ籠っちゃうとどうしても眠れなくなるので、此処でひっそりと山田君の吐く息を吸っていたいんです…」
「は?」
「あ?」

東條と西指宿は、書記の呟きに目を向けたが、タオルケットを肩に掛けたまま深呼吸を繰り返している書記は、ぽやんとした表情で何処ぞを見つめていた。
ぼそぼそと平凡攻め気高い…などと宣っていたが、東條にも西指宿にもその言葉の意味が判らない。所詮進学科の生徒は大半が何を考えているのか判らない生徒ばかりなので、クラスメートでありながら親しくしている生徒は居なかった。初等部からの持ち上がりである西指宿と東條の二人も、ABSOLUTELYと言う接点がなければ普段話し掛ける理由すらない。

「二年も三年も、教室なんざ大人しいもんだよな。御三家で教室に顔出してるのって、マスターくらいだろ?」
「少なくともマジェスティは一度として出席していない筈だ。サブマジェスティは…高等部では一度も出席していないと思うが、それがどうした?」
「一年の教室、最近煩ぇなと思ってよ」
「ああ。…確かに」

現在のSクラス配置は、エレベーターホールまでの階段を挟み、同じフロアの廊下延長線上に二年と一年の教室が並んでいた。
ただでさえカリキュラムがシビアな進学科では、移動教室は戦場の様なものでもある。その為に教室のあるフロアから短い螺旋階段を降りた先に、数多くのエレベーターが並んでいるフロアがあり、各特別教室へ生徒達はそのエレベーターを利用している。

中央キャノンからは一定のフロアにある渡り廊下で、各離宮へ繋がっていた。それぞれ空中廊下は特別教室のフロアに渡されており、一般クラスのあるフロアには繋がっていない。
中央キャノン側のセキュリティゲートを通過する為、進学科の学籍カードを携帯していなければ通れない完全セキュリティだ。

つまり中央キャノンへの立ち入りが許されている、進学科の生徒だけが通行可能のセキュリティゲートは至る所に存在する。一般クラスの生徒は勿論、教師ですら、セキュリティ許可カードを携帯しなければ通行不可だ。

なのにその中央キャノンが近頃賑やかだった。静かな二年Sクラスで気づかない生徒は居ない。

「理数カリキュラムにしか出ねぇ帝君が、あの糞煩い騒ぎを放置してるのも変な話だろ。誰が言ったのか、一年Sクラスの生徒が集団行動してるってな。んな事がある訳ねぇと思ったが、隼人がヴァルゴ庭園でおフランスマナー受けてるの見た時は、引っくり返るかと思った」
「烈火の君の授業か…。再来月、二年選択授業を二時間受け持つそうだ。興味があるのか?」
「まさか。何でフレンチでピザが出るんだよ、カナッペならともかく。前総帥の悪ふざけは今に始まった事じゃねぇってな」
「だったら羨ましいのか」
「…さぁ、どうだろうな。何とも言えねー、先月まで話し掛ける隙もないくらい徹底的に俺を避けてた隼人が、今じゃ変質者を見る目を向けてくる訳だ。胸熱で股間が滾るだろ?」
「判らなくもないな」

表情一つ変えずに宣った東條は本心だろう。
変態めと心の中で呟いた西指宿は背を伸ばし、深呼吸をした態勢で目を閉じている書記を一瞥した。微動だにしない所を見るに、どうも寝ている様だ。器用である。

「お前と違って俺のは純粋なブラザーラブだ、判るか?本当に判ってんのか?え?」
「変な絡み方をするな」
「俺は知ってたぜ?いつまでも幼馴染みの枠から抜け出せねぇどっかの変態が悶々としてた事も、機会を窺う為に離れた事も。…危険から遠ざけたかったっつーのは、強ち嘘でもないだろうけどな」
「だからお前と俺は似ているんだろう?」

身を屈めた東條が西指宿の耳元で囁けば、自治会長はコンタクトレンズを外しながら呆れた表情だ。

「外は乾燥すんな。日中も20度あるかないかの山間部に、糞寒い変態が棲息してやがるってんで、益々冷えるったらねぇわ」
「Огромное спасибо acaхи.(有難う麻飛)」
「Пожалуйста!(どういたしまして) 少しも誉めてないけどね、清志郎君」

腕時計の習慣がない西指宿は東條の手首を掴み、自分の目元へ引き寄せた。近視の西指宿は度入りカラコンを使用している為、外すと途端に視界が霞む為だ。
然しそんな彼らを、瞑想から覚めたらしい自治会書記が凝視している。凍りついた様な表情ながら、ハァハァと息が荒い。吐いた息が白く濁る程に熱も帯びていた。

「成程、書記はяойщикуだったか…。………総長にお伝えしないと…」
「何か言ったか?」
「いや」

もう五時前かと西指宿は腕を伸ばし、表情こそいつも通りだが目付きが異様な書記に気づくなり、手でしっしと払う仕草をする。大人しく立ち上がった書記はふらふらと、夢うつつな足取りで北棟方面へ去っていき、仮設テントには西指宿と東條だけが残された。
勤勉な風紀委員の休憩スペースでもあるが、用意されている軽食や飲み物が殆ど減っていない所を見ると、自治会役員以上に扱き使われているのかも知れない。

何せ不眠不休で名高い白百合の組織である。哀れな話だ。

「やっと邪魔者が居なくなった。…お前、誰が居るか判んねー所でシーザーの名前出すなや」
「お前の事だ、どうせ知っているとは思ってた」
「だったら俺が告げ口するかも知んねーとは思わなかったん?」
「心から紅蓮の君を愛してるお前には出来ないだろう?」

東條の手首を掴んだままだった西指宿から手を離した男は、他人には決して見せない粗野な笑みを浮かべた。ニヤニヤと凡そ真面目な図書委員長らしからぬ表情で、冷たさを感じさせるホライゾンブルーは歪められる。
痙き攣った西指宿は微かに頬を染め、白旗とばかりに両手を挙げた。

「…マジで本当オメーだけはいつか泣かしてやる」
「報われない男だな。せめて後ろから眺めていたい健気な想いは判らないでもないが、初等部五年だったか?初めての調理実習で紅蓮の君の作った味噌汁に感動したお前は、気障なプロポーズであの人の髪にキスをして、」
「余計な事は思い出すな!」
「お前が触った髪を、彼は包丁で切り落とした」
「………誰か俺を殺せ…」
「良かったなウエスト。お陰で翌年には烈火の君に目をつけられて、中等部に進級するなり中等部自治会長に大抜擢だ」

肩を震わせながら長テーブルに座った東條は、西指宿にしか見せない本来の姿で足を組み、ブレザーの内側へ手を入れる。取り出した煙草を咥え、躊躇わず火を着けた男は煙を吐き出しながら、きっちり絞めていたネクタイを弛めた。

「白百合ばりの猫被りやがって…」
「お前みたいな馬鹿と気が合う訳ないと思ってたが、お陰で助かったぜウエスト。近頃、俺が直接肌に触っても桜は気にしない」
「ああ〜、可哀想な桜ちゃん!お前に喰われる前に俺が優しく抱いてやったのに!」
「無理無理、ティーンズノベルで顔を真っ赤にする桜の頭の中に、欲望の二文字はない。だから平気で俺の膝に座る。…健全な青少年の耐性が何処までのものか、賭けるか?」
「賭けになんねーだろ、それ」
「確かにな」

吹き出した東條は、咥えていた煙草を口元から外しながら噎せ込み、それでもまだ笑っている。
初めてこの男の正体を西指宿が知ったのは、東條が教師を組み敷いている所を見た時だった。それまで色恋沙汰からは程遠いと思っていたクラスメートが、煙草も酒もセックスも日常の一貫だと知ったのだ。あの時の衝撃たるや、言葉にならない。

「大体、嵯峨崎が俺に目をつけてたら良かったんだ。何でお前なんだよ、どんな汚い手ぇ使いやがったチート野郎」
「単純だ。お前はサブマジェスティに嫌われ過ぎてる」
「はぁ?いつ俺が、あの人に」
「マスターの時の君贔屓は有名だから知ってるのは当然として、気づかないのか?高坂さんの眼」
「目?」
「中一であの人が現れた時に、彼は真っ先に俺の所へ来た。家が家だから仕方ないとは言え、あれは俺への牽制じゃないと思う。簡単な挨拶に引き替え、『西指宿はどいつだ』からの話が長かった。根掘り葉掘り、お前のスリーサイズまで教えたぞ俺は」
「おいおい、おいおいおい?!ちょっと待て、そいつぁ、もしかして…?!」
「お前は贔屓されてるんだウエスト、お陰様で中央委員会から回ってくる仕事量が他の自治会よりも圧倒的に多い」

笑みを止めた東條は他人事の様に吐き捨て、肩を竦めた。呆然とそれを眺めていた西指宿の顔から血の気が引き、今や真っ青を通り越して透明だ。

「お前がサボる所為で尋常じゃない仕事は全て他の役員が肩代わりさせられる。副総帥からのお前への異常な贔屓に、気づいていないのは当の王呀の君だけ。判らないのか?どうしてお前の通り名が『王呀』なのか」
「判らないも何もあれは俺が西指宿だからだとばっか…」
「総理に一番近い政治家の息子だから、か。幸せな奴だ」
「…」
「お前の通り名は光炎親衛隊の奴らが口にし始めたのが発端だ。光王子がお前に目を掛けてるから、『王子』の『牙』で王呀」
「冗談じゃねぇ、それが本当だったら俺は…」
「俺からしてみれば、王子に『牙を突きつけられた』王呀の君?」
「嘘だろぉ…」

がっくりと肩を落とした西指宿に、東條がアスファルトへ落とした煙草を踏み消しながら笑う。いつもの鉄面皮が嘘の様に、揶揄めいた表情だ。

「俺、あの人の事マジ尊敬してたのに…」
「報われないなウエスト。ノーサが常々お前を『苦労知らずの糞ボンボン』と言っているが、流石に庇ってやれない」
「そんな大事な事は言っとけや!何だよ、嫌われてんならマスターにだと思ってたぞ俺ぁ!」
「白百合が嫌っている人間が居るとすれば、陛下と時の君以外の全員じゃないのか?」

踏み消した煙草を躊躇いなく水路へ放り投げた東條に慌てて立ち上がった西指宿は、暗い水の中へ落ちていったフィルターを探す。残念ながらとっくに流れていったのか、目を凝らしても裸眼の西指宿には見えない。

「おま…煙草は灰皿に捨てろよ…」
「確かに育ちが良いお坊っちゃまの台詞だな」
「人前じゃ落ちてるゴミを拾って慕われてる清廉潔白な清廉の君の言葉かよ、それが」
「清廉潔白?…はっ、紅蓮の君曰く、俺はリッジバックらしいぞ。ライオンを追い払う犬だそうだ」
「ライオンねぇ…。サブマジェスティは金獅子って呼ばれてるよな」
「そこまで期待されると困るな。俺は紅蓮の君の犬じゃない。ただ、総長に従わない訳にも行かないだけだ」
「何でだよ」
「お前だって俺に隠している事の一つや二つ、あるだろう?例えば、高坂さんの縁戚だとか…」
「親戚っつーのもおこがましいくれぇ、他人だよ。お陰様で嫌われてる事にたった今気づいたレベル」

自虐的な台詞を吐いた西指宿は不貞腐れ、脱力した表情でギコギコと椅子を軋ませた。西指宿が高坂日向に憧れている事は、何となく東條も気づいていただけに、同情しない事もない。
普段から二葉の玩具扱いを受けている西指宿に、日向が同情している事も判るが、日向が二葉を止めない所を見るに、嫌われていると言うよりは放置されていると言った方が適切かも知れない。

「それと同じ様に、東條は遠野の親戚なんだ。母親の従姉妹が遠野家に嫁いだ縁で、天の君の従兄弟でもある西園寺学園の生徒会長は、数少ない日本での俺の身内」
「それであっちの会長と面識があったのか。…その事、上は知ってんのか?」
「調べれば判る事だ。聞かれもしない事をわざわざ報告する義務があるか?左席副会長代理だった俺に紅蓮の君が声を掛けてきた事を、高坂さんは知っていた筈だ。だからその俺がABSOLUTELYに入りたいと言って、すんなり受け入れた」
「ゼロさんが許可したからじゃないのか?」
「ブラコンの彼が俺の正体に気づいていたら、紅蓮の君の写真を撮ってこいと言ったと思わないか?でも俺は一度も言われた事がない」
「…じゃ、サブマジェスティは知ってて放置してたっつー事か」
「あの人がカルマの拠点に頻繁に顔を出す所為で、俺は仲間から仲間だと知られてさえ居ない。一度だけ総長と会った時にカフェへ顔を出した事があるが、つい一昨年の話だ。『太郎』だと思っていた店長が榊さんだと知ったのは、ほんの昨日」

目を丸めた西指宿は眉を寄せ、話が理解出来ていない。
肩を竦めた東條は苦笑い一つ、音を発てた無線機に目を向け、テーブルに乗せていた腰を下ろした。

「はい、高等部自治会副会長、東條です。どうかされましたか?」
『こんな時間に申し訳ありません。警備室より夜間巡回班からの緊急連絡をお伝えします』
「お願いします」
『北部上水道から水漏れが発生しています。確認した所、緊急措置として連結した旧パイプが広範囲で破損している模様。ティアーズキャノン地下通路が水没している事が判明しました』

事務的な声音ながら、警備員の早口からは急を要している事が判る。座っている西指宿にもその声が聞こえている為、立ち上がる気配に東條は無線のマイクを握ったまま振り返った。

『地下電子回路ショート、非常電源に切り替わっているエリアは確認しただけで第四キャノン一・二階、第五キャノン全域、第二キャノンへの浸水は、直前でセキュリティシャッターを起動させ対応しました。然し、地下が浸水している第四キャノンのシステムダウンも秒読みだと思われます』

各校舎の地下には、様々な仕掛けがある。
全生徒が登校時に通過するエントランスゲートは、改札を通過する度にクラス分けを認識し、進学科はそのまま一階の昇降口へ通されるが、一般クラスの生徒は中央キャノン地下一階に広がっている遊歩道へ送られる仕組みだ。
その遊歩道は、校舎の地下に蜘蛛の巣状に張り巡らされている。生徒だけではなく教師や業者も使っており、丁度校舎から寮まで続いている水路の真下に、非常通路を兼ねた地下道があった。

工業科のアルバイトがダストシュートに詰まったゴミを片付けたり、クリーニングを運んだりする時にも使われており、普通の生徒はまず知らない学園の裏事情でもある。
その地下には外に電柱がない代わりに、高電圧が流れる電線が通っていた。膨大な電力を必要とする可動式校舎は、その電線から流れる電流を建物の全域に設置されたレールに流しており、ルービックキューブの要領で稼動する。

つまり校舎内は常に何処かのエリアに空間があり、くるくると場所を入れ換えているのだ。通常、その空間部分は地下に当たる。稼動している時だけ、地下に移動に邪魔なエリアが下ろされる仕組みでもある。
その地下道が封鎖されたとなると、ショートしブレーカーが落ちただけでは済まないだろう。幸いにも被害はどれも最大電力を誇る中央キャノンではなく外側の離宮の様だが、万一中央キャノン地下まで浸水が続けば、地下五階まで存在する中央キャノンの内情が外に漏れてしまう恐れがある。

西指宿が目で告げてきたので頷いた東條は、手の届く位置にあったメモとボールペンを引き寄せ、被害報告を走り書いた。

『現在判明している内、気になるのは第五キャノンの区画が変わっている事です。稼働報告はなく、現在システムダウンしている為に地下の状態が判りません』

東條はすぐに懲罰棟の浸水を思い出した。
アンダーライン地下を通る上下水道のパイプ分配部で不具合が発生したのは、ほんの昨日の午後の話だ。二葉が直ちに上水道を確保してくれたお陰で、その被害は表沙汰にはなっていない。
然し毎年敷地内の各地で工事が行われており、数年前の大規模な拡張工事で最新式の配管に切り替えられていた水道は、本来ならば中央キャノン17階、屋上庭園だけがフロアを支配したエリアに人知れず設置されている高架水槽まで集められ、屋上庭園から斜めに走る水道管だけの渡り廊下を通じて、各離宮の屋上に設置された高架水槽に分配されていた。

二葉の措置により、今は第五キャノンの地下を伝い、中央キャノン地下まで送られている状態だ。下手をすれば校舎全域が断水しているかも知れない。
東條の懸念は、警備員の報告により明確なものとなる。

『旧パイプはアンダーライン三階より、第五離宮の地下部分まで通されており、浸水地点は恐らく第五キャノン地下ではないかと。グランドゲート内の待機要員を走らせて確認しましたが、旧パイプは3本配されていた為、中央キャノンに送られている管には異常は認められていません。然し浸水が確認されていない第三キャノンの蛇口から水が出ていない様です』
「本当ですか?それでは、中央キャノンの高架水槽から水源を確保する必要があると…」
『校舎を封鎖するにしても、我々では判断し兼ねます。学園長代理へご連絡差し上げるにもしても、時間が時間ですからね』

学園長代理である帝王院財閥夫人が、体の弱い方である事は誰もが知っている。品があり柔らかい笑みを浮かべ誰にでも優しい彼女を嫌っている男は、学園内の何処を探しても存在しないだろう。
Fクラスの生徒ですら、スコーピオの電球が切れたと聞いたら我先に手伝いを申し出る程、帝王院隆子夫人は皆のマドンナだ。

「こんな時間に奥さん叩き起こしてみろ、テメーら全員、自治会長権限で解雇してやっからな!」
『は、はい!勿論です!』

そんな夫人のファンでもある西指宿は東條の手にあるマイクをぶん取り、警備員は慌てて同意した。呆れた東條は西指宿が投げてきたマイクを掴み直し、ポールペンから手を離す。

「被害を確認するにしても、この時間ではそちらも人員が足りないでしょう。カバーし切れない区域には、自治役員と風紀委員を向かわせます」
『助かります。被害を確認次第、電力会社へ連絡を入れる予定ですが、下水道が停止している今、地下に溜まった水は人力で掻き出すしか方法はありません。ダストシュートやリネンシューターを通った水が、アンダーラインのベルトコンベアを停止させる可能性をご留意下さい』
「その件については自治会としても把握しています」

画期的な最新システムも、こうなってしまえば不便でしかない。ただでさえ広大なエリアをオートメーションで賄ってきた為、生徒らが普段何も考えず利用しているクリーニングボックスやゴミ箱も、地下を這うベルトコンベアが停止してしまえば回収場所まで届かない。

『畏れながら中央委員会へ直接連絡してみたんですが、どなたも応答頂けなかったもので、取り急ぎ上水管理室へ数名向かわせました。勝手ながら、一時的に全システム停止措置を取りたいと思います』
「お任せします。下院への報告はこちらが対応しますので、ご安心下さい」
『宜しくお願いします』

無線が途切れ、メモを長テーブルに張り付けた東條は携帯を取り出した。

「何してんだ、行くんだろ?」
「第五キャノン地下が浸水していると聞いたろう?裏のアンテナ、電力源は第五キャノンから通った地中のレールだ」
「嘘だろ?セントラルライン・オープン」

西指宿の声に、返ってくる音はない。とんとんと西指宿の肩を叩いた東條は己の携帯を軽く振り、

「見ろ、ウエスト。俺の携帯は圏外だ」
「…そりゃ化け物共が応答出来ない筈だ、どうする?」
「俺は風紀委員を集めつつ、校舎を見てくる。お前はリブラだ」
「何処に居るか判らねぇ中央三役を見つけて来いって?本気か?」
「頑張れ、会長」

にこり。
東條のわざとらしい笑みに、西指宿麻飛は沈黙した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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