帝王院高等学校
膾炙せしめたる真実の首魁
「私の眼を盗んでこんな場所にかくれんぼなんて、良い度胸じゃない」

ガンッ、と言う音ともに衝撃が走った車体。
眠る事など出来そうになく、キャンピングカーの簡易ベッドで丸まって眺めていた携帯から弾かれた様に顔を上げれば、フロントガラスの向こう側に、自分と同じ顔を見たのだ。

「リ、リン?!」
「開けなさいよラン、このまま蹴り割られたくなけりゃ…ね」
「む、無茶だよ!だってそれ防弾ガラス、」

ガンッ。
起き上がりながら痙き攣れば、再び車が派手に揺れた。ボンネットに乗った片割れが、振り上げた足を何度も叩き下ろすのを認めベッドから跳ね降り、ロックを解除する。
見ていた筈なのにそれでもまだガンガン蹴り続けている音から逃げるように飛び降りて、ボンネット側まで走った。

「良い加減にしてよラン!怪我したらどうするの!」
「は?こんなもんで私が怪我なんかする訳ないでしょ、誰だと思ってんの?」
「…あのねぇ…」

頭が痛い。
彼女は確実に母親似だろうと溜息一つ、あれほど蹴られて無傷なフロントガラスを確かめて、ボンネットから飛び降りた体躯へ向き直る。

同じ身長、同じ顔、同じ長さの短髪。全てが同じ、双子の姉妹。考え方が変わったのは、いつからだったか。今はもう思い出せない。

「アンタ、何やってんの」
「…リンが来いって言ったんでしょ」
「は?オタクが忙しいっつった癖に」
「っ、やっぱり来たかったの!リンはファーストの追っ掛けで忙しいと思ったから、一人で!」
「私に下らない嘘なんか吐いたら殺すわよ」

片割れが投げつけてきたタロットカードが、頬を掠めた。
同じ身長、同じ顔、同じ長さの短髪、なのに同じではない、中身。人見知りで、一人では他人と満足に話す事も出来ない自分と違って、彼女は快活だ。
恋もする、行動力もある、いじいじ落ち込んだりなどしない。だから自分とは違うのだと、深層心理で痛感していた。

だから逆らえない。
だから少し睨まれただけでもう、震えが止まらない。泣きたくないのに泣いてしまう。

「泣くくらいなら嘘なんか言うんじゃないわよ。…ったく、誰に似たんだか」
「だ、だってぇ…リンが恐い顔するからぁ…」
「別に怒っちゃないわよ。この車レンタカーでしょ。アンタ一人じゃないのは判り切ってんのよ、何企んでんの?」

声に呆れが混ざる気配に目元を拭い、片割れが撫でているキャンピングカーを見やる。今気づいたが、車体の上に小さなドローンが乗っていた。いつも使っている、偵察用の無音ドローンだ。
これで見つかったのかと気づいて、ならば会話までは聞かれていない筈だと一縷の望みを得た。

「ラン、アンタ…」
「別に企んでる訳じゃ…」
「まさか…でもそうよ、有り得るじゃない、双子なんだから…」
「え?」
「もしかしてアンタまで佑壱様狙いなんじゃ?!」
「ぜっ、全然違うよ!私あんな人好きじゃない!」
「あんな人ですってぇ?!」
「あわわ、ごごごごめん、今のは口が滑った…!」

キハと名乗る女性がイギリスに現れたのは去年だが、自分はともかく、片割れは彼女を信用していない。
近寄るなと念を押された事を思い出し、彼女の事を此処で言うのは憚られた。当然ながら二人きりの姉妹で騙すつもりなどないが、それでも、わざわざ怒らせる必要はないだろう。

「本当にそんなんじゃないんだって。ただ………ひ…日向君が、心配だったんだ…」
「はぁ?何でアンタがベルハーツなんかの心配、」
「好きだから…っ」

きっと、叫んだ自分は真っ赤だろう。

「………は?」
「だから好きなの…!初めて会った4歳の時からずっと………続きは中で話すから、来てっ」
「ちょ、ラン」

鳩が水鉄砲を喰らった様な顔で動きを止めた片割れの手を引き、開け放したままのドアから車内へ乗り込んだ。時間帯が時間帯なので人は居ないと思いたいが、地下駐車場の中だ。
自分の大声が異常に響いて、恥ずかしさが増すばかり。

「ちょっと…待って、アンタ、今の本気…?4歳って、イギリスに行く前じゃない…」
「…そうだよ、日向君が誘拐されて向日葵おじさんが怒鳴ってるの見た時。私おじさんが凄く怖くて、泣いてた…」

高坂日向は、物心ついてすぐに英国へ連行された事がある。
首謀者がヴィーゼンバーグ当主に近い人間だった事もあり、単身イギリスに乗り込んだ高坂向日葵の怒りたるや、筆舌に尽くし難いものがあった。

当時、マダムヴィーゼンバーグの最愛の孫だった、リリー=ヴィーゼンバーグが死んで間もなくだ。
叶貴葉と言う、亡きヴィーゼンバーグ公爵に唯一産まれた女子は、血も涙もない鋼鉄の処女と謡われた女公爵が、自ら触れた初めての子供だった。血は繋がっていないと言え、可愛がってきた息子の忘れ形見ともなると尚更だろう。

「でも日向君は泣かなかった。…それ所かたった半月だったのに、ロボットみたいなクイーンズイングリッシュ喋る様になってたって、後から聞いたよね…」
「…虫酸が走る話するんじゃないわよ、私達は女だからマシだったけど、ベルハーツは男。何されてたか判ったもんじゃない」

然しその愛しい孫が亡くなったと聞き、嘆いた公爵は叶との縁を一時的に切った。同時期に産まれていた二葉の名を公爵が知った頃には、既に二葉は中国へ渡った後だ。

二葉を手に入れるのは難しいと判断したヴィーゼンバーグは、仕方なく日向へ目をつけた。既に青年期にあった叶冬臣と叶文仁では、手懐けるのは無理だと考えたのだろう。
跡継ぎに焦った公爵の周囲の人間は、当時5歳程だった日向を誘拐し、監禁した。女公爵からの命令ではなく、私利私欲が理由だ。

虐待に等しい彼ら曰く『学習』は、幼い日向にどんな影響を与えたのか。父親と叶の尽力により帰国した高坂日向は、以降数年に渡り、日本語に支障を来した。
壮絶なトラウマによるものである事は想像に易い。たった半月に満たない日数で、それまで幼いながら流暢に話していた母国語を忘れると言う心の傷は、如何なものだったのか。

「可哀想だと思ったんだ。だから日向君が自分からイギリスに戻って、ひねくれたのは無理もないんだよ…」
「はぁ?私アイツから尻軽アバズレ女って呼ばれてんだけど?」
「リンは日向君と喧嘩ばっかしてたけど、日向君、私には怒ったり怒鳴ったりしないよ…」
「無視されてるだけでしょ、アンタ大人しいから。悪い事は言わないわ、ベルハーツなんてやめなさい。そうだプリンスルークは譲ったげるわよ、そっちになさいよ。私はほら、佑壱様以外考えらんないからさ…」
「っ、ほら…!そうやって、リンに言ったら馬鹿にされると思って言えなかったんだよ…っ」
「ば、馬鹿にしたりしないわよっ。何なの、大体そう言う大事な事は教えなさいよ、双子なんだからさぁ!」

怒った様に怒鳴った相手に怯み目を瞑れば、ガシッと抱き締められる感覚を感じた。恐る恐る瞼を開けば、目の前に茶色の髪の毛が見える。
二人で染め合った、甘いキャラメル色の、毛先が。

「私にとってはただの偉そうなヤリチンだけど、アンタにとっては王子様なのよね?!」
「う、うん…」
「本当にっ、ごめん!私何も知らなくて、今までベルハーツの悪口ばっか言ったわね…!嫌だったんでしょ?!ほらっ、殴って良いわよ!」
「殴んないよ、リン。わ…私こそ、今まで言えなくて…ごめん、ね…」
「良いの。…隠さなきゃなんなかったの、私の所為だもんね。気づいてあげられなくて、本当にごめん…」

身を離した自分と同じ顔が、潤んだ眼差しで微笑む。
嘘は言っていない。けれど隠し事はしている。



「アンタの恋、応援するからね、ラン」


じわりと胸が痛むのは、罪悪感だろうか。



(それにしては、酷く甘い痛みだ。)

















Record of an unknown: The true criminal offense has come
 炙せしめたる真実の










「おい、北部の水量計、何か可笑しくないか?」

併設されている宿舎から、日勤メンバーがちらほら姿を現している中、一人が声を出した。
リブラ食堂から三食運ばれてくるグランドゲート内に食堂の様なものはなく、施設内カメラ映像は管制室以外のモニタにも写し出されている。

行事中は帝王院学園が雇用しているシェフやウェイターが休暇となる為、敷地内全域で正規雇用の食堂は機能していない。
お陰で夜勤・日勤共に、警備員の食事は各々用意するしかないのだ。アンダーライン内で国際科が出店契約している多国籍料理か、工業科の生徒がアルバイトがてら出店している屋台、または街まで降りて…等、彼らは休憩時間を調整して買い出している。

宿舎と警備室の中間に、テレビが置かれているちょっとしたホールがある。敷地内映像を流すモニタも天井付近に敷き詰められており、24時間灯りがついていた。
此処でテレビを見たり寝るまで寛いでいたり休憩したりと、従業員は半ば家族の様に暮らしている事もあり、勤務時間ではない人間が異変に気づいて警備室に顔を出す事など日常茶飯事だ。

今もまた、日勤の人間が勤務時間にはまだ早いこの時間に、ビニール袋を抱えて管制室の戸をノックした。

「テレビ観ながら朝飯喰おうと思って出てきたら、偶々ホールの水量モニタが目に入ってさ。…あ、これ昨日買ったのり弁だけどお前らも喰う?」
「えっ、のり弁?マジマジ?!後で金払うよ!」
「うおー!外の弁当なんか何ヶ月振りだろ。金は勿論払うけど、貰っても良いのか?」
「馬鹿、金なんか良いって、丁度三つあるから分けようぜ。昨夜仕事明けにこれ買って戻ってきたら、工業科の子がたこ焼き差し入れしてくれてさぁ。結局こっちは喰わなかったから冷凍するか悩んだけど、のり弁に餓えてる奴は俺だけじゃないと思った訳よ。レンジ使うぜ〜」
「「兄貴!」」

カメラ監視班のメンバーは、基本的に管制室から出る事はない。トイレも簡単なキッチンもあるこの部屋の中で、勤務時間を消費している。
交代まで暫くあるものの、休憩時間はとっくに終わっているだろう夜勤組二人はほかほかに湯気を発てる弁当を掻き込みながら、器用にモニタを操作した。

「ありゃ?北部が南部の5倍くらい水吐いてる。計器トラブルかな」
「確か、懲罰棟がシステムダウンしてるんじゃなかったか?ほら、引き継ぎ日誌にも、アンダーライン南西地下三階のバルブ分配部が封鎖されてるって報告が上がってる」
「あ、それ書いたの俺だ。白百合が旧エリアに残ってた昔のバルブを連結させて、断水の危機はないって寸法よ。相変わらず頭が切れるよなぁ、白百合様…。お綺麗で仕事も出来る18歳なんて、のり弁で喜んでる俺には眩し過ぎるぜ」
「忍びねぇけど、そりゃ違いねぇ」
「言ってる場合か。古い水道管だからどんな不備があっても可笑しくないって事だろ?大体、生活圏の南部水道量より北部水道のが量が多いって、これ明らかにトラブル起きてんじゃねぇか」

警備員らに気の休まる瞬間などない。
ただでさえ他校生徒や来賓を預かっている今、無事に祭典が終わるか否かは、彼ら帝王院学園セキュリティの手腕に懸かっているのだ。

「とりあえず警邏隊に無線入れて、調べさせとくか」
「っ、ごちそーさん!ふはぁ、ご飯にデカい海苔敷いただけで、御馳走喰ってる気になるの何だろうな。もう俺、毎日のり弁喰えるわー」
「弁当屋までもう少し近けりゃ、配達してくれんだろうけど。しょっちゅうしょっちゅう弁当買いに車出す気にゃなれねーわ。山降りるまで、20分は見とかなきゃなんねぇもん」
「あら?何だ、北部警邏隊の無線が入んねぇぞ。可笑しいな…」
「何?とうとう無線まで壊れたか?散々だな」
「他の奴らは繋がんねーの?電話してこようか?」
「あ、や、繋がった」

先に弁当を食べ終わった二人の目線は、箸を咥えたまま忙しなく無線のボタンを押している警備員の膝の上に注がれている。椅子の上で胡座をかいている彼の弁当は、半分程残っていたからだ。

「こちら警備室、北部水道計に異常水量発生。付近で動ける人員は確認願い、…あっ、コラ、それ俺のちくわ天!」
「うま」
「お主もワルよのぅ」
『ちくわ天だとぉ?…お前らのり弁喰ってんじゃねーよっ!…勿論、俺の分もあるよね?』
「「「その件につきましては…ごめん」」」
『覚えてろよッ、裏切者が!』

おかずを取られた警備員の目に涙が滲んだ瞬間、無線の向こうから悲痛な声が響いた。



















柔らかい肉を貫く痛み。
こちらを真っ直ぐを映した、麗しい色違いの瞳が見開かれる光景を見ていた。

(ああ)
(やっと)
(目が覚めた)

ごらん。
滴るこれは、赤いだろう。

(ああ)
(やっと)
(真実を全て、思い出した)

ああ、…愛しい人よ。
たった今、貴方は荊の牢獄へ堕とされたのだ。

(可哀想な子)
(貴方は唯一の生贄)
(悪魔へ捧げられる白羊)



おいで。
狂った羅針盤は、何処に隠れても貴方だけを指している。




(まるで刺すように)






罪の名前を知っているかい。















「あ」

ガンッ、と言う音が、それまでと少し違った。
賑やかに踊っていた者達がピタリと動きを止めると、ひょこりと顔を出した男の高い鼻先は、黒く汚れていたのだ。

「来て下さいユウさん!ほんの少しですが、貫通しました!」
「おう、マジか。流石だな」
「…うっそーお」

誉めてくれと言わんばかりに笑顔を弾けさせた要の報告に、佑壱は少々目を瞠る。その隣の隼人の驚きと言えば、少々所の話ではない。要の顔が汚れている所など、見た事がないからだ。
要に近寄っていく佑壱を追う様に廊下へ飛び出した隼人は、要と入れ替わる様に屈み込んだオカンの背後から覗き込む。奥にぽっかり空いた小さな穴を見るなり肩を落としたのは、敗北を認めたからだろう。

「あは。確かに穴だねえ。ちっこいけど」
「お前に馬鹿にされる謂れはありません死ね」
「馬鹿にしてないって。ほらほら、お鼻が真っ黒だよお、カナメちゃん」
「触るな変態」

途中から遊んでいた様にしか思えなかったが、ちゃんとそれなりの成果を上げている。労いを込めて要の鼻先の汚れを拭ってやった隼人は、ぱしんと手を叩かれた。想定内だ。

「変態…誉め言葉として受け取っとくにょー。つーか右手は大丈夫ー?持ち難いドライバーだったからさあ、赤くなってなーい?」
「俺がこの程度でこの俺が怪我なんかする訳ないだろ。大体、もう少し間口が広ければ、こんなコンクリート素手で壊せるんだ」
「ワオ。半端ないモンスター発言だねえ、カナメ。ほんとかっこよい」
「何、お前が素直に誉めるなんて気色悪いな…。利息は負けませんが?」
「あは、それは判ってますー。でもこれじゃ、向こうがどうなってんのか良く判んないよねえ?もうちょっち頑張って」
「はっ、言われなくても判ってますよ」

佑壱の背後で一悶着した二人は、廊下のダンサーの視線に気づいた。にやにや、にまにましている生徒らに何故か健吾と裕也が混ざっており、ハヤカナだのカナパヤだの、これ見よがしに囁いているではないか。
突っ込みを放棄した隼人の隣で、青筋を浮かべた要が口を開く前に、立ち上がった嵯峨崎佑壱が口にした言葉は『退いてろ』だ。

素早くその場を離れた要と隼人は、踝程まで浸かっている足元を同時に見下ろした。

「うっわ、なんか早くない?いつの間にい?!…今んとこ、教室は大丈夫そうだけどさあ」
「確かに早い、と言うより、勢いが増していますね…」

教室への浸水被害を案じ、戸口の下部20cm程をガムテープで何重にも封鎖しているとは言え、それにしても廊下単位の浸水が早すぎる。まさか向こう側の廊下もかと教室を覗き込んだ隼人は北緯に指示し、反対側の廊下を覗かせた。

「班長、こっちはそっちより少ないかも…」
「かもって、もー。よい、隼人君が自分で見るよお、もー」

どうやら居眠りをしていたらしい北緯は、寝入りだったからか足取りも覚束ない。半分寝ている様な声に呆れた隼人は、ガムテープの障害を軽々跨いで教室に乗り込んだ。

ドカンドカンと、何度か立ったまま警報器の奥の壁を蹴りつけた佑壱は、再び中を覗き込んでは立ち上がり、また蹴りを放ち始めた。
高過ぎる佑壱の腰よりまだ低い位置にある壁を蹴り抜くには、奥行きがあり過ぎるのだ。182cmの彼が立ち上がれば当然の事ながら中は見えないので、蹴っては屈み、蹴っては屈みを繰り返している。

編み込まれた赤毛の頭は後ろからだと女性にしか見えない事もあり、様子を窺っている皆は固唾を飲んだ。
拳に劣らず、その蹴りの重みは、争い事とは縁のない生徒にさえ判った。ドライバーで殴っていた要の音も凄かったが、副総長を張るだけはある。今にも壁が吹き飛びそうな音だが、敵も天晴、中々崩れてはくれそうにない。

「要、お前が一撃喰らわしてくれたお陰で大分脆くなってる。ヒビ入れといたから、後は頼むぞ」
「はい、任せて下さい」

数分蹴り続けたお陰で、要が覗き込んだ壁は大きな亀裂が入っていた。佑壱への尊敬と同時に、彼の爪先は大丈夫だろうかと一瞬心配になったが、今は頼まれた事を優先するべきだと、錦織要は己を納得させる。

「ユウさん。あっちよりこっちの廊下のがあ、やばめかもー」
「つー事は、こっちに上水管がある確率が高いっつー事か」
「下から染みてるから、多分この空間が踏み潰してんじゃないかと思うんだけどさあ。もし踏み潰してなかったら、悲惨だよねえ?」

言う割りにはヘラヘラしている隼人の台詞に、暫く何かを考え込んだ嵯峨崎佑壱は窓辺に腰掛け、片足を組んだ。そのまま教室内を覗き込み、寝ている生徒らを起こす様に窓を拳で数度叩く。

「おい、教室に居る奴は必要なもんだけ纏めろ。下手したら、全員で脱出しねぇといけなくなるかも知れねぇからな」
「え?何で…?」
「寝惚けてんのかナミオ。テメー二年だろうが、後輩の前で大口開けて欠伸してんじゃねぇ」
「…はい」

佑壱に睨まれてもまだうつらうつらしている北緯は、基本的に決まった時間に寝る習慣があるので、今夜はいつもより起きている方だ。週末の集会でも零時を回る頃には眠り、課外授業までには学園へ戻っていく優等生が、川南北緯である。

「おい、起きてっか」
「大丈夫…バイク乗ったら目が覚める…」
「殴るぞ」

佑壱と同じく普通二輪免許を取得しているので、地下駐車場の駐輪スペースを借りて、愛車を保有していた。しれっと大型バイクを保有している佑壱は、勝手に零人の名義を使っている。当然ながら、俊には内緒だ。
誰よりも寝起きが悪い事をそれなりに自覚している赤毛は、自分の事を棚に上げて拳を固めた。利き手ではない左手の拳骨でも十分痛いので、一発喰らった北緯は頭を押さえて屈み込んでいる。

「要がぶっ壊したら、お前と健吾が先遣隊で出ろ」
「え、何で俺…」
「体格と判断力トータルでテメーらが適任だ、それまでに目ぇ覚ましてなかったら絞めるぞコラァ」
「…起きた。今度こそしっかり起きた。あんな痛いの、一発で十分だって…」

佑壱と二人だけの会話は、クラスメートらしく親しげな口調の北緯は慌てて首を振った。
大人しくすやすや眠っている獅楼を起こしに掛かった北緯は、同じく起きる気配がない疲れた獅楼の頭を強めに叩いたが、彼は益々背を丸め、熟睡態勢である。

「ユウさん、シロは此処に置いてく?」
「そのまま寝かしとけ、そいつはカルマ追放だ」
「すいません!起きてますっ!」

満更冗談ではないらしい副総長の台詞に、夢心地だったらしい加賀城獅楼は飛び起きた。
ブリーチにブリーチを重ねてカラーリングしている赤毛の下、狸に似ていると言われた事もある丸い瞳を見開き、光の早さで佑壱の足に縋りついている。

「ユーさん、ユーさんっ、嘘ですよねっ?おれを追放しないで下さいっ!何でもしますっ!」
「働かざる者喰うべからずだ。要を手伝ってこい」
「はいっ」

オカンキックのお陰か、要が順調に削り割っていく壁の残骸が廊下に散っていた。足元が浸かる程まで蓄積された水嵩で、教室にもそろそろ水が入ってきそうな気配だ。

「ケンゴさん、おれ、何か手伝う事ある?」
「こっちは間に合ってるっしょ(´3`)d 気持ちは嬉しいけど、流石に今は、水の勢いがパネェからよ(;´∞`)」
「判ったっ。邪魔になるならやめとく。カナメさん、ファイトですっ」

要が掘り出す瓦礫を作業の邪魔にならない様に掻き出している健吾は、裕也が広げているゴミ袋にその瓦礫を放り込む。
獅楼が覗き込んだ先の廊下には、要達を含めても5・6名程しか出てはいない。人が増える度に水嵩が増すので、数分前から少人数体勢に切り替えたのだ。

「中道達、それ何してんの?」
「見ての通りバケツリレーだよ、加賀城君」
「はいはい、バケツ回すスピード落ちてるよお。もっとリズミカルにー」

教室のドアからトイレ用廊下まで、一直線に殆どの生徒が並んでいる。メガホンの様なものを手に、指示を出す振りをしている隼人はヤンキー座りで、獅楼の目からもサボっている様にしか見えない。
相変わらず肉体労働をしない男だ。体だけは立派な癖に。

「やっぱり紙製のガムテープは、何度張り替えてもふやけて外れそうになるんだ」
「それで水入りゴミ袋で封鎖してんのかぁ。でも水がちょっとずつ入ってきてる…」

ドアの間口は人が二人立てば塞がる程しかない。
バケツに水を汲み入れる係の中道と、ちょこまか走り回っている生徒が交互に廊下から水を掬っている。が、減る気配はまるでない。

「助かった後に教室がぐちゃぐちゃなんて悲しいからさ、皆で話し合ったんだよ。せめて教室だけでも死守するって。この教室には思い入れがあるから、皆」
「でもバケツ一個じゃ…井上なんて雑巾湿らせて、それって何往復すっ気だよ。へろへろじゃん」

少しでも足しになればと、数人が廊下の水をコップや雑巾などで掬い、教室を通って反対側の廊下に注ぎ込んでいる。
獅楼はそれを手伝うべく、教室内に使えるものはないか目で探したが、普通科の教室とは若干違う此処には、使えそうなものが余りにも少ない。せめて工業科の教室であれば、手動ポンプなど使えるものばかりだろうが。

「ん?ハヤトさん、そのメガホンって、山田が作った帽子?」
「そーだけど?」
「それだっ」

スンデレラのリハーサル(と言う名の山田劇場)で使用された、簡単に作れるとんがり帽子は紙製だが、ノリノリの太陽が人数分作った為に、教室内のあちらこちらに転がっている。一つでは水の重さにも浸透圧にも負けるだろうが、幾つか重ねれば、バケツ代わりくらいはなるのではないか。
試しに幾つか拾った獅楼は窓から身を乗り出し、床上の水を汲み上げてみる。流石にポタポタ零れはするものの、雑巾を湿らせるよりは圧倒的に効率が良い。

「これならすぐ作れるし、紙とセロテープはいっぱいあるよね?」
「勿論だとも。毎週編集作業に追われている我が一年Sクラスに、ストックしていない紙はトイレに流せる紙だけなのさ」
「最低でも三つ重ねれば使えるのさ。ふやけて使えなくなったら新しいものを作れば良いのさ」

行動の早い赤縁眼鏡二匹は、とんがり帽子型簡易バケツの製作を始めた。皆から尊敬の眼差しで見つめられた獅楼は満更でもないらしく、きびきび指示を出しながら、自身も紙バケツで水を掬い出しては反対側へ吐き出す作業に駆け回る。

「ふん、やれば出来るじゃねぇか」

後輩の頑張りを邪魔する無粋さは持ち合わせていないとばかりに、教室後方へ下がった佑壱は微かな笑みを浮かべたが、すぐにその笑みは歪んだ。
履き慣れたバスケットシューズを一瞬見下ろし、微かに吐き出した吐息は、熱い。


「…やっぱ治りが遅ぇ。っとに、人間って奴は面倒臭ぇなぁ」

不格好な右手を一瞥した時、悍しく軋む空間に気づいたのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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