帝王院高等学校
わんぱくに育てが親心☆
「我々には光を感じる能力がある。私には貴方の顔が見える。貴方の感情が手に取る様に感じられる。我々には音を感じる能力がある。私には貴方の声が聞こえる。貴方との会話には、共通した言語があれば良い」

枕元に古い聖書、ブランケットの上に十字架。
無人のベッドから離れた窓辺の椅子に腰掛けた男は、シャワーで温めた体が冷える事にも構わず、足元のバケツに差した花束を見下ろした。

「なのに何故、我々はコミュニケーションに怯えるのだろう。ヘレンケラーは奇跡を起こした。けれど恵まれた我々は、奇跡には巡り会えずに居る」

何を焦っていたのか。
深夜の花屋に駆け込んで作らせた有り合わせの花束は、時間外のチェックインに対応してくれたホテルコンシェルジュの一言がなければ、一晩シングルルームを飾っただけで役目を果たしていただろう。
お祝い事ですかと愛想笑いで尋ねてきたホテルマンに曖昧に頷けば、彼らは甲斐甲斐しくバケツに張った水を運んでくれた。お陰様で短命な切り花も、一晩程度であれば何とかなる。

「…これは何と言う漢字だろう。スミス教授に、漢字も習っておくべきだった」

何も考えずに飛び乗った飛行機は何のトラブルもなく、いや、一度だけエアポケットにはまった覚えがあるものの、無事目的のグリーンアイランドへ着陸した。
上空からは美しいオリンピアグリーンに見えた島は、陸に辿り着くなり烟る程のコンクリートジャングル。想像していたよりむさ苦しい狭小空間に犇めくビル群は、苦手なニューヨークよりまだ酷い。

「こんな国のそれもハイスクールで学んでいるなんて、物好きにも程がある。愛しい君の頭の中には、数式だけが漂っているんじゃなかったのか…?」

観光客向けのWiFiで接続されたタブレットを操り、試行錯誤の末に表示された検索結果を指で追いながら、その傍らに置いている写真へ微笑み掛ける。古い写真だが、手元にはこの一枚しかない。

「叶:カナエル、夢を叶える、DREAMS COME TRUE、アーティスト?…良く判らないな、アジアンの名前は」

数年間で集め続けた資料を広げたテーブルは酷い有様だ。
役に立たないタブレットをベッドへ投げて、大切に持ち上げた写真の下、テーブルクロスと化している資料を手で掻き分ける。ばさりばさりと数枚落としてしまったが、構う事はない。

「あった。京都、T2トラジショナル。…フミヒト=カノー。何度見てもそっくりだ。これが血か…」

大企業を統べる若き取締役として、一人の日本人が大きく特集された雑誌の切り抜き。これを初めて目にした時は、余りにも似ていたので見間違えた程だ。IQ200オーバー、メンサ会員でもあると書かれてある。

「ミッドナイトサンはメンサを馬鹿にしていた。…カノーと読むのか。兄弟の有無…流石にプライバシーまでは記載しては、ん?」

実家は茶道を営んでいるとの表記を認め、立ち上がった。放り投げられたまま沈黙しているタブレットを手に取り、覚えたばかりの名字と茶道のキーワードで検索を掛ければ、勤勉な機械は望みを素早く叶えてくれる。便利な世の中だ。

「十口流家元、叶冬臣。待て、この名は何処かで…」

慌ててパスケースに仕舞い込んだ会員証を確かめて、思い出した。

「あれか!思い出した、30年前に五歳でIQ300を叩き出した、神の子!何だこの兄弟は、だとしたらミッドナイトサンは…三男?とすれば、カエサル=ルークの『セカンド』とは、どう言う意味なんだ?」

この世は謎で満ちている。
呟いた台詞に解決案など提示されはしない。独り言は独り言として、それ以外の何物でもないからだ。

「ああ…神よ、私にせめてケルベロスの200分の1程の言語能力があれば、思考の迷宮で眠れぬ夜を送る事もなかったのに…」

所詮、数式の魅力に犯された左脳主義者には、形が違うだけで脳が拒否してしまう漢字を覚える事すら、難しい。アルファベット26文字の合理的な世界で生まれ育った身としては、ひらがな、カタカナ、その上漢字までも操る日本人は変態だ。頭が可笑しいとしか思えない。ドMなのではないだろうか。

「これでは日本語を覚えるだけで何年懸かるのか知れない。英語圏で暮らせばそんな無駄を省いて、色々な数式を覚えられるものを」

他国の教育を哀れみつつ溜息を零し、どさりとベッドに転がる。背中に十字架の固さを認めて跳ね起き、罰当たりな事をしたと胸元でクロスを切った。

「愚かしい神の従僕を慈悲深くお見守り下さい。父なる神の御名において、アーメン」

朝までほんの少し。
チェックアウトの11時までは数時間。どうせ眠気には期待していない。ハイキングの前の子供の様だと思わなくもないが、掛けたままだった眼鏡を外し、形ばかり目を閉じた。

「…これは試験とは違って赤点は許されない。伝えるべき言葉を選んでおくんだ、リチャード=テーラー。国語が苦手だなんて言い訳にはならないぞ…」

胸元には十字架と、愛しい人の写真が一つ。
数えた素数は7桁を迎える頃、流石に飽きてしまった。


今はただ、1秒1秒が酷く長く感じられる。



















「何をするかと思えば」

もう駄目だ。
大粒の涙を振り撒きながら重力に従っていた山田太陽と、無表情で大粒の鼻水を垂れ流し続けた遠野俊が祈る間もなく死を覚悟した時、地上まで数メートルの位置で二人は停止した。

何処からか呆れた様な声が聞こえてきた気もするが、放心している太陽は俊の腕に掴まってぶらんぶらんと宙に揺れ、目をカッ開いた主人公は凄まじい表情で自分の頭上を見ている。

「タイヨー、どうも俺の背中が何かに捕まってるらしい。もしかしてアレだったら大変な事になってしまうと思うんだ。俺の代わりにちょっと上を見てくれないか」
「………えへへ、俊。上?上は…何にもないよー」

校舎の三階の窓が近くに見えた。
現実逃避するには余りにも難しい状況で空中に浮かんだまま、涙目の平凡は言われるまま上を見た。何もない。ただただ、腕を伸ばしている親友が空中に寝そべっている様な姿が見えるだけだ。

「しゅ…俊や?」
「はい」
「俊のお腹が見えてるね?」
「っス、背中のシャツが何かに引っ掛かってるっつーか、もうこれ誰かに捕まってる気しかしねェっつーか、自分色々ギリギリっス。背中がスースーするっス」
「何そのヤンキー的丁寧語。俺には俊の後ろに人の腕が見えるっす」

特に怖がりと言う訳でもない太陽は血の気を失い、震える唇で何とか微笑みながら両手を合わせた。太陽の腰を辛うじて捕獲していた俊の手の力が弱まり、スポーンとすっぽ抜けそうな太陽の胸元で俊が捕獲し直せば、二人から同時に安堵の息が漏れる。
そのままゆっくりと下降していく感覚に二人は硬直したが、残り1メートルあるかないかの高さまで降下するのを確認し、迷わず飛び降りた。

華麗に着地した主人公の隣、尻から落ちたご主人公様は声もなく尻を押さえて悶えている。

「ハッハー、驚かせた様で申し訳ない」

やはり、誰も居ない所から声が聞こえてくる。
尻餅を付いたまま声の方向を睨む太陽に素早く抱きついたチキンは小刻みに震えており、人間バイブレータと化した。体中の体液と言う体液が垂れ流れ、足をもじもじさせている所を見るに、チビりそうなのだろう。
然しプロチビラーである太陽が、背後に俊を庇う様に立ち上がれば、169cm細身の平凡に真顔で張り付く176cmの図が完成した。これがカルマの総長であるのだから、嵯峨崎佑壱が見たら絶望していたかも知れない。

「誰だい?!幽霊なら迷わず成仏していいから!なんたらー、かんたらー、天に召したまえー」
「タイヨー、それじゃ貞子の呪いの連鎖は立ち切れないっス」
「貞子だって?今の男の声だったけど、女の人なの?」

女性慣れしていない山田太陽は、おろおろと狼狽えた。
幽霊だったらどうしようと若干怯えていたものの、色々パニックになり過ぎているのだろう。オカルトへの恐怖より、女性に対する照れが勝った様だ。

「いや、男です。っと、あ、そっかー。ステルスモード切って、これじゃ僕らの姿が見えてないわ」
「了解」

新たな男の声も聞こえ、流石にこれは幽霊じゃないと気づいた太陽は目を丸め、俊は益々目をカッ開く。B型のBはビビりのBだと震えながら再確認しているチキンは腰が抜けており、乙女座りで震え続けた。コイツはもう放っておこう。

「おわ!」
「ヒィ」

何もなかったエントランス改札前に、一台の自動車が現れた。それを目撃した太陽が反射的に後退れば、後ろに張り付いていた俊の股間を派手に踏んでしまう。
足の裏の感触に目をひん剥いた太陽は慌てて足を離したが、声もなく悶えている背中の震えは、恐らく恐怖ではなく痛みだ。

「ご、ごめ、ごめんねー、俊…」
「お、おっけー…グフッ」
「俊?!…そ…んな、俊が…死んだ…なんて…」

パタリと倒れた遠野俊に、山田太陽は目に浮かぶ涙を拭っていそいそと立ち上がる。
主人公を鮮やかに殺したのは太陽だが、キッと自動車から顔を出している金髪を睨んだご主人公の怒りは、爽やかに他人へ注がれた。注がれた本人がそれに気づく程、爽やかに。

「よくも、よくも俊を…!」
「いや、いやいやいや?待って、何だコイツ、自分が踏んどいて僕の所為にしやがった。こんなんありなの?待って、何処に訴えたら良いの、これ?」
「お前さんは何者だ!事と次第によっちゃ、許しはしない…!」

ばちばちと、ダークマターの放電を始めた男は、今の自分の台詞にゲーマー心でも擽られたのだろう。ラスボスを前にした勇者の様な表情と、獲物を狙う獰猛な獣の様な目を爛々と輝かせ、恍惚めいた笑みを浮かべた。

「喰らえ!必殺、クロノスライン・オープン!」
『はーい、お呼びですかご主人公様〜?』
「ごめん間違えた」

やはり、RPGの様に格好良くはいかない。
魔法など使えない太陽は場にそぐわないアニメ声にニヒルな笑みを浮かべ、目元を押さえた。今度隼人にお願いして、必殺っぽい何かを登録して貰おうと思っている。何処で使うのかは未定だ。

「ハッハー。もう良い?」
「すいません、危ない所を助けてくれて有難うございました。俊は死んでしまったけど、」
「タイヨー、俺は生きてるぞ?」
「やっぱり生きてました」

股間の痛みからあっという間に復活した俊から肩を叩かれ、太陽は晴れやかな笑顔で頭を下げた。
呆れているのか、頭を掻きながら降りてきた金髪の男はすらりと背が高く、まるでモデルの様に足が長い。

「僕が言えたもんじゃねーけど、アンタらメチャクチャだなぁ。これだから日本は面白い。な、ナイト様」
「内藤だと?」
「俊は黙ってなさい」
「はい」

お洒落なサングラスを掛けた男が、俊に手を差し出す。ギッと目の力を強めた主人公は、然し太陽に叱られて素直に口を閉ざした。お口チャックが合言葉だ。

「ナイトってことは、ステルシリーの人?もしかしてさっきの人達の仲間だったりします?」
「さっきのって?」
「俊を連れてこうとしてた黒服。とぼけないで、仲間なんでしょ?」
「知らねーよ。僕は父親に頼まれて巡回してただけ、ステルシリーと僕に、直接の関係はないよ」
「とぼけちゃって…。判った、俺にも考えがある」

しゅばっと携帯を取り出した太陽は、訝しげな表情の金髪を見つめ唇を吊り上げた。

「二葉先輩に助けて貰おっと」
「それだけは勘弁して下さい!」

凄まじい表情で土下座した金髪の悲鳴に、怯んだ太陽は無意識から俊へ抱きつく。二葉はそんなに恐れられているのかと今更ながら瞬いて、太陽は息を吐いた。
車の中には運転手らしき男の他にもう一人、年配の男が見える。先程から気づいていたが、降りてくる気配はない。

「判った、二葉先輩には掛けません。そんな事より、俺らを捕まえる気はないんですか?」
「それは本当にない。全くない。って言うか、僕こう見えて最上学部一年、最上階自治副会長だから」
「へ?最上階の副会長?それって、烈火の君の?」
「そうそう、そのゼロは僕の親戚。僕らの亡くなったお姉さんが、ゼロのお母さんってこと。だから彼は僕らの甥」

にこり。
サングラスの下、微笑んだ唇から敵意は感じられない。

「って言っても、17歳だからホントは高二なの。君らの一つ年上だよ〜ぉ、左席副会長サン」
「えっ、じゃ、スキップですか?すごっ」
「誉めてくれてアリガト〜」

落ち着いて彼の話を聞けば、透明になれる不思議な車で巡回中、偶々屋上に居た二人を見つけ、落ちるのを目撃した為に助けてくれたそうだ。

「何か、ほんと色々すいません。さっきも言った様にいきなり追い掛けられて、気が立ってて…」
「いーよ、判ってくれたら。にしてもこんな所に二人で居るのは不味いからさぁ、寮まで送ってあげる。乗りなよ」
「え?でも…」
「後輩が遠慮しないって」

サングラスを外した男は目映いばかりの美貌で、明らかに一般人離れしていた。何処かで見た様な気がすると思った太陽は、有り難く乗せて貰おうと一歩踏み出して、腕を捕まれたのだ。

「有り難い申し出だが、俺は貴方達を信用していない。だから断る」
「えっ?ちょ、俊?!」
「行こう、タイヨー」
「ちょちょちょ」

ずるずると引っ張られていく太陽は、俊と遠ざかる金髪イケメンを何度も何度も見比べ、俊の力の強さに最後は諦めたらしい。何度か頭を下げて、引かれるまま歩いていく。



「信用がないんだぁってさ、オトーサン」

それを愉快げに見ていた男はサングラスを胸元に差すと、最後まで黙っていた車中を覗き、甘ったるい猫撫で声で囁いた。

「あれが陛下が御執心のナイト様?雰囲気はあるけど、背も普通、顔は比べるべくもない。…ま、ノコノコついてくる様な餓鬼よかマシ?あんな餓鬼の為に、俺はこんな時間に呼び出されたのか〜ぁ」
「…監視に決まっている。お前は目を離すとろくな事をせん」
「馬鹿じゃねーの、ルーインを見つけるまでは大人しいもんよ?だぁってさ、俺が興味あるのはオニーチャンだけだもん。ふふ…俺からルーインを遠ざけてさぁ、ろくな死に方出来ると思わないでね〜ぇ、オトーサン?」

ケタケタ、恵まれた美貌を狂った笑みで染めた長身はそのまま車に背を向け、別れの挨拶もなく去っていく。
ひょろりひょろりとまるで蛇の様な歩き方に眉間を押さえた老人は、撫で付けた白髪が乱れるのも構わず、シートへ深く背を委ねた。

「…その後、ルーク坊っちゃんから連絡は?」
「依然、何も」
「衛星開放と同時に全ランクAに招集を掛けるとは、今度はどんな酔狂を思いつかれたのか…。目を離した私の責任でもある。今暫く、元老院の動向を探れ」
「了解。マスターオリオンは本当に生きているのでしょうか」
「…生きていたのであれば、こんなに喜ばしい事もない。キング=ノヴァとルーク坊っちゃんの二人から捜索を命令されるとは思わなかったが、どちらに報告するかは見つけてから悩む事だ。今は考えたくない」
「そうですね。…ルーシーはどうします?西園寺学園にロイ様が居られる事を知られると、不味いのでは…?」
「あの馬鹿息子の事は放っておけ。…我がアシュレイ家の面汚しめ!」
「ロイ様はルーシーを警戒しておられる筈ですが、何せあのご性格では…」
「ルーインはアシュレイを継ぐ男だ。弟を黙らせる事も出来ん様では、先はなかろうて。…万一があっても男だ、妊娠する事はない」
「お気を強くお持ち下さい、アシュレイ執事長…」
「…うん」

哀れみを込めて振り向いた運転手の台詞に、微かに頷いた男はそのまま静かに涙を押さえ、胸元でクロスを切る。

「崇高なる唯一神カイザールークよ、この哀れな老人の残り少ない人生をお見守り下さいますよう…」
「執事長、やはり少し休まれた方が良いのでは…?」
「…やはりリュシフェルがルーインを拉致する前に、ルーインを監禁しておこう」
「な!然しそれでは余りにも…!ロイ様は西園寺学園の副会長でらっしゃいます、閉会式に出ない訳には…!」
「だがリュシフェルのさっきの言葉を聞いただろう!あやつ、開会式は芸能界の仕事が入っておったから難を逃れたものの、このままのさばらせておけば必ずやルーインを見つけてしまう!孫のゼロの力添えがあったから今まで大人しかったが、あやつ父親を笑顔で呪っていきおった…!」

お父さん息子が怖い!と、沈痛な面持ちで泣き崩れた執事コートの男は、哀れな長男と怖すぎる次男を思ってまた泣いた。

「ルーシーが執事長を殺すなんて、そんな事はありませんよ………きっと…」
「あやつはヤる!中学生の癖にSPを撃って兄を監禁した男だ!私を殺すなんて容易いに決まってるっ!見たかあの気持ちの悪い笑みを!我が子ながら気持ち悪いッ」
「申し訳ありません否定出来ません」
「ルーク坊っちゃんに跪いてお願いせねば、この老体は浮かばれん…!速やかにルーク坊っちゃんをお探しせよ!それが出来ねばルーインをシェルターに隠そう!それしかない!エアリアスの様な悲劇はもう嫌だー!父より先に子供が死ぬ事はもう我慢出来な〜い!うっうっ」
「お労しや、執事長…!お任せ下さい!シャドウウィングに見つけられぬものはありません!浮上します!シートベルトをお締め下さい!」
「頼んだぞ〜ぅ!ぐすっ」

シートベルトをビシッと締めた執事コートの号令と共に、再び姿を消したカメレオン車は飛び立った。



「な〜んか、良い匂いがするなぁ。俺のだぁい好きなぁ、ルーインの匂い。そんな訳ないかぁ。会いた過ぎて幻の香りまでするんだ。可哀想な俺…」

近頃人気沸騰中の元ハリウッド子役は、ふーらふーら歩きながら、ポチポチとスマホを弄ぶ。

「キョーちゃん、こんな時間にロケしてんの?高校生俳優を扱き使い過ぎ〜ぃ、労働基準法ガン無視じゃん、ワロタ。…ハヤトは最近LINE見てなさげじゃん。つまんねーの」

シャープなジーンズのポケットにスマホを仕舞い込み、彼は美貌に欠伸を浮かばせた。近頃立て続けに面倒なアルバイトが舞い込み、睡眠時間を削られていたのだ。

「新歓祭なんて興味ねーし、ネイキッドもベルハーツも俺より頭可笑しいし、月曜まで寝るかぁ」

最上学部エリアにある自治会室の仮眠室を勝手に使っている彼は、真っ直ぐ校舎へ入っていった。
そんな彼の足元を音もなく数匹の鼠が駆け抜けたが、彼はそれに気づかないままだ。





















神崎隼人はがっくりと肩を落とした。
あらゆる手段を講じてみたが、場所が悪いらしい。学園の敷地内に建てられた電波塔は、部活棟の裏手にある山の高台にある。電話も地上デジタル放送の電波も全てそこで受信され、敷地内の各端末に送信されていた。

「近過ぎて逆効果って事だねえ…。Wi-Fiは壁は弱いし、4Gの電波すら掴まんない。あは。つーまーりー、打つ手なし!」

パタンとノートパソコンを仕舞う。どうせバッテリー残量もない。アダプターはとっくに取り外しているので、その内死亡確定だ。

「星河の君、無理でしたか?」
「ちょー絶望的。裏山のアンテナの位置が高すぎて、多分木が邪魔してんじゃないかなあ、角度的にー。こっちは地下に突っ込んでるんだっつーの、地下にも届く電波開発しろっつー話だよねえ」
「部活棟は普段から携帯の電波が入り難いって、ちらほら不満があったみたいだよ」
「そんな大事な事は先に言えっつーの」
「ごごごごめんっ」
「もうよいよー。ボスが助けに来てくれるまで大人しく待つもんねえ」

メカニック班は自動的に解散。
教室内に残るメンバーはそれぞれ仮眠を取っていたり、そろそろ危機感に襲われていたり実に様々だが、トイレ用ではない入り口側の廊下に大半の生徒が集まっている為、静かだ。

要が発てているのであろう凄まじい破壊音に隼人は唇を吊り上げ、椅子から立ち上がった。

「ユウさん、電波無理だったあ。学園Wi-Fiも拾えないからあ、左席システムも使えないしい」
「使えねぇな、テメーはよ」
「あは。泣いてもよい?…カナメちゃん、何つー格好してんのお?」

この中で最も背の低い生徒が、床に尻をついて座った時の座高とほぼ同じ高さしかない警報器の空間に、細身とは言え179cmある錦織要が収まるのは難しい。なので四つん這いになった要は、頭から肩に掛けてまで潜り込んでいる。背中から尻までは廊下に突き出ている訳だ。

「誘われてるよーにしか見えないんですけどお」
「せめて高さがもう少しあればな」

廊下にぽっかり空いた空間は、奥行きが30cm以上あるので、あの中ではトンカチを振り抜くのもまた難しい。
腕を振り上げる余裕がないので、壊れたドライバーの先端を握り締めたまま奥の壁を叩き続ける要の苛立ちが、響いてくる音から読み取れた。途中から、諦めモードの要は猫踏んじゃったを弾いている。あの音程は確実に、誰もが知っている猫踏んじゃっただ。

「猫踏んじゃった♪」
「馬鹿猫踏んじゃった」
「馬鹿猫って誰ですかあ♪」
「高坂日向って言います」
「それは貴方の彼氏ですねえ♪」
「笑えるほど嫌われてっけど」
「…駄目じゃん、あんだけ簡単に落とせるとか何とかほざいてた癖に、嫌われちゃ駄目じゃん。アンタ阿呆?」

窓から顔を出している隼人は、廊下に突っ立っている佑壱を冷めた目で見やった。苦虫を噛み殺した様な表情で頬を掻いた男は、手として機能していない丸い右手で隼人の頭を数度叩き、隼人が頬杖をついている窓辺に腰を乗せる。

「俺ぁヘテロだぞ。ホモのスペシャリスト相手にどう立ち向かえっつーんだ」
「男も女も一緒じゃん。どうせ顔と体しか興味ないって。でもそうだねえ、オージさんは顔も体もパーペキだから、理想高過ぎるか、逆に変な性癖ありそうだよねえ」
「あ?変な性癖って何だよ」
「そっちこそ、何か気づかなかったのー?それなりにお色気作戦は試してみた訳でしょ〜?」
「俺なりに頑張った…つもり」
「あは。説得力のなさは、百点」

がっくりと俯いた佑壱の頭を、今度は隼人が軽く叩いた。
佑壱の恋愛経験など隼人に言わせれば0に等しい。毎度向こうから誘われて、好き好きアピールされている内に絆される、典型的な流され男だった。カルマのメンバーであれば誰もが知っている。

「大体、好き好き言われてその気になって、世話焼いてる内にうざがられて振られてんのにさあ。その程度のスキルでえ、良くあ〜んな大御所を落とせると思ったよねえ、って感じー」
「スんません」
「どーせ、いつも殴り合ってる相手だし余裕♪くらいにさあ、思ってたよねえ?」
「…返す返す仰る通りでス」
「猿でも出来る奴やって」

ぽふん、と、包帯で巨大化した右手を空中に伸ばした赤毛が、ガクッと頭を垂れ下げた。見事な反省ポーズを見やった隼人は肩を震わせ、苦笑いを浮かべた佑壱から睨まれる。

「山田が叶を落とすよか、確実に余裕だと思ったんだよ。テメーだって止めなかったろうが」
「隼人君だってそう思ったんだもん。…癖が悪いよねえ、眼鏡のひと。判っててサブボスの悪ノリに乗ってんのかと思えば、そうでもないみたいだし」
「何で?」
「理由は判んないけど、ある意味やっばいかもねえ。サブボスを見るあの眼。…似た様な眼をさあ、知ってるんだよねえ」
「ふーん?」
「ユウさん、身内でしょ?ハリウッドで子役やってた癖に日本に留学してきた物好きのさあ、最近こっちでタレントっぽい事やってるルシファーって奴」
「あー、アシュレイの片割れか。西園寺のヘタレ副会長が、そいつの双子の兄貴だ」
「判る判る、同じ顔してたから即判ったあ」

錦織ミュージックが、今度はチャイコフスキーのくるみ割り人形を奏でた。要の尻の近くで中を窺っていた健吾がいつの間にか踊り始め、じわじわ増えている足元の水をバシャバシャ跳ねさせる。
欠伸を放った裕也は健吾に抱きつかれ、何故かマイムマイムの相方に大抜擢だ。

「そのヘタレ、ルシファーに拉致監禁されて犯されそうになって逃げてきたんだよ」
「らしいな。スーパーのタイムセールのチラシに釣られて、ほいほい媚薬を飲まされたっつー話だ」
「何それ、嘘でしょ?」
「奴は餓鬼の頃から金持ちの癖に変にセコい趣味があったんだ。世界中のスーパーのタイムセールを聞きつけては、勝手に飛行機で飛んでく様な趣味が」
「変な奴。ルシファー、何がよいんだろうねえ…。自分と同じ顔してのにさあ」
「ゼロの母親だった女の年の離れた弟なんざ、俺にとっては他人だ。他人の性癖まで知った事か」

こちらからはケツしか見えない要が騒ぎに気づき顔を出し、踊っている二人を呆れた眼差しで見てから、再び潜り込む。呆れ顔だった割りに、壁の破壊音はチャイコフスキーで続行らしい。

「他人に無関心なのは知ってるけどお、そんなんでオージを理解するなんて無理中の無理じゃん。大体、オージに勃起すんの?」
「聞きてぇか」
「やっぱ聞きたくない」
「懸命な判断だ」

白々しいにも程があるオカンスマイルに、隼人は悟った。勃つものは勃つらしい、と。ママの性事情など知りたくなかった。子供心だ。

「ホモっつーのはアレだろ?女みてぇな細っこい奴が好きなんだろ?あ?」
「はあ?ゲイはどっちかってゆーと、ガチムチのが好きなんじゃないかなあ?その点、ママは百点満点だねえ。ガチムチっつーかゴリムチ。全体的にゴリゴリしてるしい」
「そんな誉めんな、照れるだろうが」

全然誉めていない。
隼人は呆れた眼差しで佑壱を一瞥し、いつの間にかダンスホールと化している廊下に肩を竦めた。廊下の騒ぎを聞き付けた教室内の生徒らも、わらわらと廊下に出て不格好なダンスに興じている。


まるで、不安を取り払わんばかりに。

←いやん(*)(#)ばかん→
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