帝王院高等学校
踊る!歌う!疾走最前線♪
「…ふぅ」

ああ、良い仕事をした。
スラックスのファスナーを引いた男は艶かしい吐息を零し、ベルトを締め直しながら突き刺さる視線の方向へ振り返る。

「立ちションはこそっとしたい所だが、見られたまんまでも出せるもんだ。俺に何か用があるんだろう?出ておいで」

がさりと、雑木林から数人が姿を現した。
明らかに友好的な表情とは言えない黒服の男らが判るだけで三人。未だ暗さに慣れない目では、彼らの体格の良さだけは判った。

「畏れながら、この男達が尾行していました。お気づきでしたか?」

その内の一人が、人の様なものを投げつけてくる。
どさりと地に落ちた人影を見つめ屈み込んだ俊は、その顔を覗き込みながら抱えていた太陽を抱き直した。敵意は見えないが、それにしても友好的ではない。

「…酷い怪我だな。どうしてこんな事を?」
「先にお答え頂きたい。貴方のお名前を」
「抱いておられる少年、山田太陽でしょう?この男は、その少年を尾行していたものと推測します」
「組織内調査部が何故その少年を尾行するのでしょう。ご存知ですか、陛下のご意志を」

次から次へと、まるで機械人形の様に彼らは口を開いた。感情を感じさせない声音だ。明らかに普通ではない。
さりとて、太陽を抱えたままどうしたものかと目を細めれば、少しばかり、彼らの肩が震えた様に見えた。

「人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗るもんじゃねェのか?イチが聞いてたら怒るぞ」
「…貴方は浅はかにも、ファーストを近くに置きすぎた。禁忌の子の魂胆をご存知ではない」
「クライストはファーストを使い、反逆を企んでいます。我々は貴方を救う為に参りました」
「どうか、我々の元へお越し下さい、マジェスティ」

一人が手を差し出してくる。
一人が太陽を奪おうとした。
一人が崩れ落ちた男を踏みつける。


ああ、空は暗い。



「跪け、愚か者が」

腹から絞り出した声に、黒服の男達は片膝をついた。
惨めに崩れ落ちなかっただけ立派だろうが、今の状況では素直に誉めている場合ではないだろう。

「困ったなァ。おーい、タイヨー、タイヨーちゃん。…此処は逃げるが勝ちかしら」
「伏せろ!」

鋭い声に悩まず伏せた俊の腕から、太陽が滑り落ちた。
大した高さこそなかったものの、顔面から落ちた太陽はお陰様で意識を取り戻したらしく、呻きながら飛び起きる。

「何事…?!」
「すまんタイヨー、落とした」
「落とした?!ちょ、何がどうなってんの?!ここどこ?!」
「あまりそっちには寄らない方がイイ、その…俺のアレが乾いてないから…」
「は?!」

俊の描いた水溜まりを踏みそうな太陽を、ひょいっと抱えたカルマ総長は瞬いた。黒服達を取り囲む様に、夥しい数のスヌーピーが佇んでいる。

「ヒィ!ス、スヌーピーの霊が出たァアアア!!!」
「はい?…あ、フォンナートさんだ」
「ご無事ですかご主人様、…と、シーザー!えっ、シーザー?!何で素顔なんですか?!俺へのサービス?!」
「スヌーピーさんスヌーピーさんあっちにお帰り下さい、ごめんなしゃい…」
「あちゃー、俊、それコックリさんと間違えてるよねー」
「とにかく、煙草吸ってたらご主人が落ちてきたと聞いて、居ても立ってもいられず参上しました!後は俺達エルドラドにお任せをっ!」
「「煙草?」」

声を揃えたチキンと平凡を余所に、うじゃうじゃ増えるスヌーピーの群れが黒服へと突進している合間に、カルマの総長は逃げようと親指を立てた。さっき出したばかりなのに、真夜中のスヌーピーにビビってもうチビりそうだ。足が震えている。

「え?ちょいと待って、ほんと何が起きてるの?あっ、あの人生きてる?!」
「息はあった。何かの組織の人らしい」
「ヤーさん?!何でヤーさんが…あっ、まさか光王子が俺に仕返しを…?!」

何が何だか判らない山田太陽はパチパチ瞬いたが、あっさりやられていくスヌーピーを見やり、笑顔で頷いたのだ。

「うん、逃げよ」
「良し来た」
「とりあえず教室に逃げ込めばイチ先輩が何とかしてくれる!筈!」
「さっきの所まで戻るんだな?」
「エレベーターに乗り込めばすぐだよ、すぐ」

スヌーピーの飼い主はスヌーピーをあっさり見捨て、スタコラと部活棟へ逃げ込む。

「あれ?!何で開かないの?!」

ぽちぽちと連打したエレベーターが中々開かないと貧乏揺すりしている太陽の肩を叩いた俊は、エレベーターパネルの階数表示を指差した。
パネルには一つも点灯していない。

「壊れてるんじゃないか?」
「えっ?!」
「お待ち下さい、マジェスティ!」
「我々の元へ!」

あれほどの数のスヌーピーを倒したのか否か、何人かが追い掛けてきた。悲鳴を上げながら涙目で俊に抱きついたコアラ平凡は、びたっと動きを止めた童貞にぐりぐりと頬擦りする。

「きたきたきた、しゅーん!逃げてー!」
「…」
「俊?!ちょいと、俊ちゃんや?!」

俊の首に腕を回した太陽は涙目で無反応な俊を覗き込み、光一つない漆黒の双眸に太陽を真っ直ぐ映した男は、ちゅっと吸い付いたのだ。

ぐちゃぐちゃな表情の、太陽の唇に。



「大丈夫だ、俺に任せておけ」

かちんと凍りついた山田太陽の呼吸が止まっている。コアラポーズのマネキンの様だ。
然し跳ねる様にリノリウムを蹴りつけた黒髪は凄まじい早さで階段を掛け上がり、凍っている太陽の背をあやす様に叩きながら、呟き続けた。

「今度は失敗しない。約束は必ず果たすから」

何度も、何度も。
まるで睦言の様に甘ったるい声で、



「俺はお前の騎士になる。…だから、もう歌わなくてイイよ」

その言葉の意味が、太陽には少しも判らなかった。























「教室がどうなってるか、サーバーは把握してんのか?」
『お母さん、クロノスにはご質問が大変難しいです。すみませんが他のご命令にして下さい』

涙混じりのアニメ声に、嵯峨崎佑壱は目を吊り上げた。

「警備にも繋げない、ましてやクラウンにも繋げない、把握すらしてない、ってか」
『うっうっ、愚図で短足で地味でCPUの半分がBLで構成されているクロノスの特技は、一度保存されたBL辞書をHDDが壊れない限り覚えている事くらいです。役に立たないシステムですみません、クロノスに首があったら吊ってお詫びしたい所ですが、手も足も出ません。何せクロノスには手も足もありません。とんだ短足システムなのです。来世はイケてる足長システムに生まれ変わりたいです。一年Sクラス801番、クロノ=ス』

どうやら左席システムの正式名称はクロノ=スらしい。
属性はヘタレ攻めらしいが、恋しいクラウンスクエアの人工知能に恋愛感情など登録されていない為、ナンパしても返事がないと言う。

「クロノ君はクラウンさんが好きなんだ?」
『素晴らしいご質問です、サー野上クラス委員長。ク=ラウンさんはクールでインテリジェントなシステムです。何度ラブ電子レターを送信しても読んで貰えません。クラウンスクエアでは三日開かれなかったメールは血も涙もなく削除されてしまいます。常々マスタークロノスに愚痴を聞いて頂きました。残念ながら、クロノスに自棄コーラは飲めません』
「自棄になったらいけないよ。クロノ君も一年Sクラスの大事な仲間なんだからね?」
『うっうっ、かたじけない。お礼にクロノスは鼻歌を歌います。持ち歌は校歌しかありませんがお聞き下さい。

 いと遠ければ〜、光煌深き頂きに〜我在りて〜。
 天上の恵み乞う、久遠の荒野を〜抱いて往く〜嗚呼〜。
 我らが母校よ〜〜〜貴く天上帝の慈悲近し永劫ぞ帝王院〜♪』

ちっとも鼻歌ではない。がっつり歌だ。
どんなシステムだと呆れた錦織要は眉間を押さえ、佑壱とは反対側の廊下へ出た。使えないシステムに期待するだけ無駄だろう。

『ご静聴有難うございまっする』
「気は済んだか」
『はい、お母さん。どうぞご命令を』
「モードチェンジに失敗した。理由は電子経路の浸水じゃねぇかと考える。とりあえず外に出られたら何でも良い、策はねぇか?」
『クロノスは血も涙もない機械なので人命レスキューは出来ません。詳しくはシステム開発者にお問い合わせ下さい。0901231…』

無言で壁を殴り付けた佑壱の隣で、高野健吾は悲鳴を飲み込む。然し教室内から響いてきた悲鳴は、神崎隼人のものだ。

「ちょ、隼人君のケー番バラすのやめてえ!クロノスに隼人君のプライバシー登録したの誰ー?!」
「はっ、システム開発者とか(笑)」
「てめ、ユーヤ!括弧で笑うなあ、ばかー」

そろそろとスラックスを穿いた藤倉裕也は立ち上がり、廊下の繋ぎ目を調べている要の背を一瞥した。それに気づいた隼人が無言で顎をしゃくる。

手伝え、と言っている事は何となく理解したが、素直に隼人の言う事を聞くのは抵抗があると頭を掻けば、丁度振り向いた健吾と目が合った。

…流石に今のはわざとらしかっただろうか、などと。目を逸らした後、跳ねる心臓を押さえても意味はないだろう。
健吾が話し掛けてくる前に、結果的に隼人の言葉通り要の元へ足を向けた藤倉裕也の動きはぎこちない。

裕也の不審な動きに気づいた健吾は呆れ半分の表情で、肩を竦める。それには、にやつく口元を押さえた隼人だけが気づいた様だ。

「おいカナメ、何か判ったんかよ」
「…聞きたいですか?八方塞がりだと言う事だけは確かです」
「生き埋め路線じゃねーか」
「阿呆な事を言ってる暇があるならユウさんを手伝って来い、邪魔ですよ」

可愛くない。
こんな男の何処に惚れる要素があるのかと、藤倉裕也は真顔で考えた。

「副長、試したのは左席回線だけっスか?」
「クラウンも固有回線も、ぶっちゃけステルスの衛星回線も繋がんねぇ。パーフェクト密室だ」
「総長と山田が居なくて良かったスね。最悪、死ぬのはオレらだけっつー事だぜ」
「死なせやしねぇよ」

右手が血だらけであるにも関わらず、廊下の壁と言う壁を殴って進んでいく佑壱は、恐らく壁の柔らかい部分を探っている。止めても無駄だと判っている健吾は痙き攣りつつも、教室へ飛び込んで生徒らに何やら指示を出した。

「箒とか椅子とか、使える道具を掻き集めろし!いざとなったら壁掘って外に出るしかねーかんな!(ノД`)」
「任せたまえ」
「我ら天の君率いる一年Sクラス!今こそ団結するのさ!」
「「「おー!!!」」」

教室内に悲壮な人間は居ないらしい。
勇ましい勝鬨の声に目を合わせた佑壱と裕也は、呆れ半分、笑みを滲ませる。

「テメー、今頃惜しくなってんじゃねぇか?」
「今のSクラスは寝てる暇がなさそっス。後期まで我慢だぜ」
「悪かったな、色々」
「何がスか?」
「お前が高坂…いや、俺のバックアップだなんて、考えた事もなかった。少し考えりゃ判りそうなもんだが」

バキリ。
耳障りな音に目を見開いた裕也は、無言で佑壱の右腕を掴み、その五本の指を映し込む。

「っ、ユウさんが死んだ!」
「違ぇ、壊れたのはこっちだ馬鹿。俺がこの程度で死ぬかよ」

酷い有様だが、裕也の腕を振り払った佑壱と言えば飄々と、足元の何かを蹴った。どうすれば佑壱が死ぬのかひっそり考えた裕也は佑壱の背中を眺め、もしかしたら不死かもと呟く。かなり本気の表情だ。

「おい隼人。防災警報器の中身、直せっか?」
「はあ?何、まさかぶっ壊すつもりー?」
「他に何だと思ってんだ?機械相手に、この俺に出来る方法は、見守るかぶっ壊すかしかねぇ」
「開き直っちゃった!うわあ、清々し。やだねえ、働き者のルンバを怖い目で睨みながら、小姑宜しく後から雑巾掛けしちゃう人の切実さが滲み出てますねえ」
「壁に埋め込んであんだろうが、これ」

教室を見つめたまま肩を竦めた佑壱に、意図を悟った要が足早に寄ってくる。
因みに隼人がスポンサーから貰ったルンバは、三日で動かなくなり、壊れたとほざいた嵯峨崎佑壱によって捨てられた。ただの充電切れだった事は、佑壱以外の全員が知っている。

「成程、内蔵した機械部分を取り除けば、残る壁は他より薄いって事ですか。破壊する事が出来れば、可動域の隙間に出られるかも知れないと仰るんですね。流石ですユウさん」
「ああ。今やこの教室は、左右の廊下を挟んで巨大な箱みたいなもんだ。モードチェンジシステムの正式名称は『方舟』」
「方舟?」
「ノア、…此処まで複雑なシステムを組んだのは、当時9歳だったルークだ」

冷めた表情で警報器から離れた佑壱と入れ替わり、健吾率いる一年Sクラス部隊は、扉の壊された真っ赤な警報器の中を覗き込んだ。
何処の教室にも設置されている救急箱や工具類を掻き集め、ああでもないこうでもないと相談を始めた即席オレンジ隊は、最終的に健吾が蹴り壊すと言う方向で纏まった。

が、裕也に『阿呆か』と吐き捨てられ、再度話し合いを始めている。

「つっても、ブースごとの四方にレールがついてるだけってな。壁の裏も天井も、床下も。いつもならモノレール宜しく、高圧電流が流れてるごっついレールがついてる訳だ」

幸いな事に、床に満ちていく水が帯電している気配はない。ショート対策に、メイン電力が落ちたのだろう。

「何にせよ電流が止まってんなら、レールの隙間を縫って外に出られる。最悪、ダストシュートの中にでも入り込めば、ゴールは判ってんだろ?」
「うひゃひゃ、ハヤトと俺の得意技っスよ!(´ε`*)」
「あほー、一緒にすんなあ、馬鹿猿コラー」

立派なシステムだと皮肉げに吐き捨てた佑壱は、血だらけの手で髪を適当に縛り上げた。隼人から借りたシュシュは酷い有様だが、流石にそれを咎める者はない。

「単にレールがついてる部分は分厚いから、壊すのは無理って言いたいんしょ?(´`*) どの辺りにレールが走ってるかも判んないもんな」
「ええ。その点、警報器を埋めている部分に、レールはない。壁の裏から電力を引いている筈なので、レールを流れている電流の分配器か変換器か、何にせよそう大きなものではないでしょう。多分、家庭用コンセントサイズですよ」

希望が見えてきたと、皆の表情は明るい。

「ドライバーとペンチがあんだろ、警報器はとりあえず普通に取り外せや。万一警報が鳴っちまったらどうすんだ、死ぬぜ?」
「死ぬかよ!(;´ω`)つ」
「でもあれ煩ぇだろ」
「確かに軽いトラウマだけどよ…(´°ω°`)」
「藤倉君も高野君も、火災警報聞いた事があるの?」
「はっ。まさかピンポンダッシュって奴?!二人共、ワルだね!」
「違ぇってwピンポンダッシュなんて知ってんのかよw」
「爆破テロの時に聞いただけだぜ。クソうるせーからよ、ビビりのハヤトがチビっちまうぜ」
「ユーヤ、聞こえてますけどお?」
「聞こえる様に言ったんですけど?」
「きーっ!何なのコイツ、さっきからずっと隼人君に敵意があるわよおッ!」

睨み合う隼人と裕也を、要と健吾が宥めた。
苦笑いを噛み殺している要は健吾を思わしげに見やり、裕也の腕を引っ張りながら、健吾もまたそっぽ向いて笑いを噛み殺す。

「オレをパンイチにしやがって、どーせオメーがケツ使うつもりだったんだろ。痔になってたら慰謝料ぶん取るからな」
「誰がてんめーの汚い尻なんか使うかあ!穴は間に合ってますー!カナメちゃんの小尻で間に合ってますー!」
「オメー、カナメなんかに勃つのかよ。ドMだぜ?」
「言葉のあや!殴られたいわけ?」

裕也と健吾に、先程までの険悪な雰囲気など欠片もない。裕也が隼人に絡む理由も、恐ろしく下らないものだろう。単に裕也は、隼人に八つ当たりしているだけだ。他の理由などない。
今や、笑顔で拳の骨を鳴らしている要の足元で、金髪と緑は揃って正座させられた。

「まーまー、カナメ、仲良くしよーぜぇ?こんな時くれぇさ、暴力はやめとこ?(;´艸`)」
「ケンゴ、お前が甘やかすからこんな時まで調子に乗るんですよ、この馬鹿共は。一度叩き潰しておくべきです。逆らわなくなるまで」
「総長居ねぇと本性隠す気ねーな!(°ω°)」
『テンションアップを確認、クロノスはヒーリングミュージックを演奏したいです。レリゴー!』

陽気な左席システムは、頼んでもいないのにボサノバ調の曲を奏で始める。全員が沈黙し、意味もなく天井を見上げた。
何処かで誰もが聞いた事のある曲、だ。チェケラチェケラ騒いでいるアニメ声の機械音声はノリノリで、全ての視線が隼人に注がれた。システム開発者の仕業だと思ったからだ。

「副総長、これってアレ?(°ω°`)」
「君が代だな」
「こんな激しいラップ調の君が代なんてあんのかよ、踊り出しそうだぜ?」
「ハヤト、俺は時折お前の頭の中を疑ってしまいます。どの面でこんなシステムを組んだんですか?」

心優しいカルマ仲間に、可哀想な者を見る目で見つめられた神崎隼人は胸を張る。無駄に良い笑顔だ。

「隼人君はこのよーなプログラムは書いておりません。…信用がなくない?何なの、ママまでそんな目で隼人君を見るの?ねえ、どーゆコト?」
「すまん隼人、お前にしては斬新且つ懐古的なチョイスだと感心してたんだ。別に『コイツ一人で国歌をリミックスして喜んでやがったのか、育て方間違えた』なんて思っちゃいねぇよ、少ししか」
「あは。泣いてもよい?」
「冗談だ。テメーの仕業だなんざ思ってねぇ、んなハイセンスな事をやってのけるのは、あの人だけだ。…ったく、才能の無駄使いってな」
「お陰様で何人か踊っちゃってるけどねえ。状況判ってんのって感じい」

揶揄めいた笑みを浮かべた佑壱の目前で、働き者の後輩らがテキパキと警報器の中身を取り外していく。すぐに空っぽになった中に潜り込んだ健吾は奥の壁を軽く叩き、耳を押し当てた。

「…何か、モーターっぽい音が聞こえるっしょ。やばくね?もしレールに電流通ってたら、一撃感電だべ?(´・ω・`)」
「その場合はとりあえず穴だけ開いた状態で、回線が開くか試す」
「でも左席の回線は反応してんじゃん(ヾノ・ω・`) それってさ、どっかに総長がアンテナ仕込んでっからっしょ?」
「あは!違うよお、左席システムがこの教室にあるからに決まってんでしょ?」
「は?!Σ( ̄□ ̄)」

佑壱は判っていた様だが、隼人と佑壱以外の全員が目を見開くのが判る。

「ほらあ、机って中に内蔵したパソコンがあるわけでえ。ボスのパソコンが、左席サーバーになってんのお」
「マジかよ!(;´・ω・`) えっ、ユウさん気づいてたん?!気づいててクロノス開いたの?!何の為に?!」
「んなもん、ノリに決まってんだろうが」

ニヒルな笑顔で親指を立てた嵯峨崎佑壱に、世界は笑顔で満たされた。皆が暗い気分にならないよう彼なりに配慮したのだと言う事は、誰しも理解している。





















「まー兄ちゃん、ありがと」
「おー。朝帰りにゃ若干早いが、母ちゃんにバレて叱られない様に上手くやれよ」
「…母ちゃんより兄貴が恐いょ」

とぼとぼと立派な日本家屋へ入っていく小さな背を見送って、榊は車のエンジンを掛け直した。時間は既に三時を回って、そろそろ新聞配達が動き出す時間帯だ。

ゆっくりとアクセルを踏み込み、暗い住宅街を低速で抜ける。
車のヘッドライトが増えるのと同時に国道へ出たのを確かめて、すぐに見つけたコンビニの看板へハンドルを回した。

「いっぺん、武蔵野に連絡入れとくか。画像送って、と」

学生時代はこの時間まで仲間内で集まり、場所を問わず屯していたものだ。あの頃は若かったと年寄りじみた事を考えながら、SNSで画像を送信する。
煙草を買おうとシートベルトを外した途端、握っていた携帯が音を発てた。

「何だ、起きてた?」
『こちとらずっと連絡待ってたんだよ!何だよこの写メ、千景が写ってねーじゃんか!』
「写メは死語だろうが。お前、実は年上だな」
『は?写メが死語の訳ねーだろ、写メは写メだっつーの。んな事より、すんこは上手くやってたか〜?』
「ファーザーは、想像だにしなかった揉め事の渦中だ。俺は仕込みがあっから一度店に戻るが、もう何が何だか判んねぇよ」
『…何だよ?その感じじゃ、本気でヤバい気配か?』
「ガチな」
『どっち関係?』
「俺の家は勿論、俊江さん家も絡んでる」
『はー、マジか。遠野総合病院だもんなぁ…。金持ちには金持ちの悩みがあるってオカンから何度も聞かされてっけど、やっぱ現実にあるもんだ…』

本当にこの男は年下かと若干心配になりつつ、近頃のコンビニはゴミ一つ落ちていないと他人事の様に呟いてみる。勿論、こんな時間に榊の車以外はなく、従業員のものだと思われる原チャが一台、ひっそりと停まっているだけだ。
窓ガラス越しの店内にも、客らしき気配はない。

「どっちかっつーと、俊江さんより秀隆さんが問題なんだけど…」
『ヒデさん?…判ったぞ、それか、俺が何度聞いても教えてくれなかった奴って』
「まぁな。こっちは俺の家が絡んでっから、下手な事は言えねぇんだよ。ただでさえうちの両親、医者の癖に神経性胃炎持ちだからな。ぽっくり逝きかねない」
『遠野総合病院よりヤバいってどんだけだよ。まさか、ヒデさんってヤクザ関係だったりすんの?ただの会社員にしては無駄にイケメンだと思ってたけどよ…』
「元ヤンキーっつー肩書きは一応なきにしもあらずだろうが、ヤクザじゃねぇよ。尤も、ヤクザが裸足で逃げ出すレベルではある」
『マ?』
「マジ」
『ごはっ。…良い、もう聞きたくねぇ。知らんまんまで良い、悪かったな榊チャン』
「そうしとけ、呉服屋の跡継ぎが足突っ込む様な話じゃない。…悪いな、愚痴っちまってよ」

平気な振りを装っていたが、一杯一杯だった様だ。
偶々見掛けた知人に『家まで送ってくれ』と頼まれ、渡りに舟とばかり、これ幸いに逃げてきたのかも知れないと思う。

『山奥のセレブ学園なんて良いのは聞こえだけってか』
「…鬼の棲み家」
『へ?』
「お前もオーナーは知ってるだろ?まだ高二だが、あの貫禄は何だって思った事は一度や二度じゃねぇ」
『レイブンが潰れた時に世話になったんだっけ?』
「実際は助けられたっつーか、なぁ」

ホストクラブの経営者がヤミ金に手をつけ、首が回らなくなっている事を知った。半年も持たないだろうと判って入店した榊が光華会に目をつけられた最たる理由は、『榊』だからだ。
末端の組員はともかく、高坂直系であれば、榊が明神の本家である事は知らない筈がない。

四年前のあの時、日向が取り立ての男らと共に店へやって来たのは偶然だろうが、当時高校生だった榊と比べて20cmは低かった高坂日向の存在感は、他を圧倒していた。

未成年を雇用していると言う理由で、逃げた経営者の代わりに店長が袋叩きにされている光景は、忘れようにも忘れられない。義を重んじる光華会の方針は、倫理から反れた者に粛清を・だ。

「案外、幸運かもな」
『ん?』
「あの店、早い時はこのくらいの時間に閉めてただろ?」
『あー、即クビになった俺が覚えてる訳ねーだろ』
「酒臭い息でフラフラしてると、新聞配達が通る訳だ。真っ黒でな、何度ビビったか」
『…すんこの話かよ。アイツ、小5から働いてたもんなぁ。で、大体毎回、暴力沙汰で辞めさせられんだ。新聞配達辞めた理由知ってっか?』
「いや?花屋は、女性にしつこく迫ってた男をとっちめてクビになったんだろ?ホストは悪酔いした組長を全治三ヶ月にしちまって、自分から辞めたっつってたな。客が怯えて泣いたんだったか…」

女性を泣かせてしまった事を悔いて辞めたと言う話を、佑壱から聞いた。何処から掴んだネタかは、聞くだけ野暮だろう。あの頃、日向と佑壱の仲が暫く険悪だった。店の外で殴り合うのを見た事もある。

『働いてた女子大生に、新聞屋の親父がセクハラしてたんだと。偶々早く配り終えて戻ったら襲われてる場に遭遇して、糞親父の鼻の骨を折っちまったらしい』
「はは!そりゃまた、あの人がやりそうだわ」
『公にしたくなかったんだろ。経営者も女子大生も通報したりしなかった訳だ。でもその女の子が親連れて礼言いに来てたのは、ちらっと見た。馬鹿な新聞屋はそれからすぐに潰れた。良い気味だと思わね?』
「だろうな。…じゃ、仕込みが終わったらまた掛け直すわ」
『おう、あんま悩むなよ。禿げるぞ』
「笑えない冗談はよせ、うちの親父の頭皮がマジでやばい」

帝王院と言う名を頭から消し去る様に父親の髪を思い浮かべた榊は苦笑いを零し、明るい店内へと身を踊らせた。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!