帝王院高等学校
決して交わらない二人が旅に出ました。
「一度だけ、追い掛けた事がある」

誰にも話した事はない。
夏の日。その日は天気が悪かった。夕焼け空は暗く分厚い雲の向こう、日差しは遠い。

何を、と。
言葉ではなく眼差しで問い掛けてきた男から目を逸らし、透明な駒を掴む。

「探し出して見つけたその日に」
「誰を」
「背へ声を掛ける前に世界は雑音で埋め尽くされた。何を叫ぼうと何ら意味をなさない」
「そうかそうか、俺様の疑問に答える気は更々ねぇってか。デカい独り言だなぁ、帝王院。チェック」
「鳴り止まぬ警報器は大気を貫いた。降りてきた遮断機に阻まれ、その背は車窓が刻むパラドックスの向こうに消える」
「大体判った、探してた奴を見つけたものの話し掛ける前に踏み切りに邪魔されたって訳か。テメェの地獄耳にゃ凄まじいフラストレーションだったろうよ、お気の毒に。…ちっ、猿真似野郎」
「我が名を知らんか、ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ。キャスリングは私の真骨頂だ」

盤上の端、存在感のなかったルークと王を入れ換える。
日向のルークと睨み合いになったが、日向が神威のルークを跳ねる事はなかった。

「どれ、私を跳ねるが良い」
「互いの塔が全滅するだけだろうが。どの道、ステイルメイトが見えてる。んな糞下らねぇ罠に引っ掛かるか、馬鹿が」

先の手でも考えているのか、日向は頬杖をついて、眉間に皺を寄せている。

「お前ほど聡明な男が、何故ファーストなどに誑かされたのか。今を以て尚、理解に苦しむ」
「はっ、そりゃ俺様が聞きてぇ。好いた腫れたなんざ、どっかが馬鹿になっちまわねぇと出来ねぇもんだ。自覚しろ、今のアンタも立派な馬鹿男だってな」
「長年、側で俊を見ていて尚も気が変わらんとは、お前ほどの哀れな雄も居るまい。いっそ清々しいまでの羅患だ。誇れ」
「そうだろう、そうだろう。こんだけ患ってるこの俺様に気づきもしねぇどっかの馬鹿犬を、近頃じゃ視界に入れただけでぶっ殺したくなっちまった。良いか帝王院、先人からのアドバイスだ。心して聞け」
「良かろう、聞いてやる」
「全身の腱ぶった切って動けなくしちまえば飼い殺せるかも知んねぇなんざ考えんな、仕事中にネットでチェーンソーを検索し始めたら人間が終わるぞ」
「検索したのか」
「はっ、何回履歴削除したか記憶にねぇな」

漸く日向の駒が動き、神威のポーンが一つ消えた。
眠たげな欠伸を噛み殺したつもりらしい日向の目尻が潤んでいる。未だ窓の向こうは真っ暗だが、時間はそろそろ早朝に近い。

「一つ聞いて良いか」
「何だよ」
「背が伸びたから告白すると勇ましく宣った事を覚えておるか」
「忘れろ」

年明けの事だ。
二葉が耳打ちしてきたので、退屈凌ぎについていく事にした。

「あの時、怒り狂ったファーストに俊の遺言を聞かされた」
「テメェらがわらわらついてくるから逃げられたんだろうが!」
「そう、逃げられた。そなたも、私も」

沈黙した日向が髪を掻き毟る様を一瞥し、馬の駒を掴む。
日向の賢者を跳ねれば、盤上の輝きが増した様に思えた。少し、わざとらしいほどに。

「飼い主が消え、ファーストは暴挙の限りを尽くした。単身で2年Fクラス40人相手に暴れ回り、紫水の君の手で戒められるまで、実に六時間。バレンタインデーだったな」
「…」
「哀れ、そなたはその六時間の間、飼い猫を愛でるのに勤しんでいた。余所の犬の粗相など知った事ではないとばかりに」

嵯峨崎佑壱が懲罰棟に放り込まれたのは、くたびれた表情の日向が執務室に戻った時だ。日向の寵愛を平等に受けた光炎親衛隊は大人しく、日向宛のチョコレートを仲間内で分けあったと言う。
高坂日向の甘味嫌いを知らぬ者は親衛隊には居ない。

「さて、通常一月は独房に放り込む所を、誰かが書類を書き換えていた。あのセカンドにそんなミスが有り得るものか」
「悪かったな、中央委員会副会長権限だ。文句があるなら日々真面目に仕事しやがれ」
「見えた」
「あ?」
「17手で俺の勝ちだ」
「何を馬鹿な事、」

眉を寄せた日向が盤面を気怠げに見やり、弾かれた様に起き上がった。
ソファが軋む音、先程まで投げ出していた足を降ろし、頬杖をついていた腕は水晶盤を抱える様に掴んでいる。

「嘘だろ…」
「何だ、他に手があるか?150以上の手を想定したが、俺が勝つ確率は81%、ステイルメイトは18%、残り1%は俺の想定していない戦法が存在した場合。だが、時間を許せば俺は再び新たな手を想像するだろう。お前が一つ動かす度に」
「…」
「久し振りに興味を得た。だが、此処までだ」
「…敗因は、テメェの好奇心を擽っちまった所かよ」
「敗因?お前は余りにも嘘が巧い。そうだろう、ディアブロ?」

ソファへ背を沈ませた日向が髪を掻き上げた。
負けた割りにはそれほど表情は暗くない。寧ろ、何処か晴れやかにさえ思える。

「お前の総合点は常にセカンドの一点下だと噂されている。知っているか」
「はっ、下んねぇ事をほざく奴が居たもんだ」
「だが私は知っている。そなたの点数は常に、一期前の某帝君が取得した点数だ」

日向の唇に浮かぶ嘲笑に首を傾げた。
全く、可愛いげのない猫だ。いや、猫などではない。百獣の王ですら怯える、金色の悪魔だ。

「嵯峨崎佑壱、前期選定考査総合点986点。高坂日向、後期選定考査総合点、」
「ああ、しっかり覚えてんぜ。自分の得点だ。986点ってな」

二人共、既に盤上には興味がない。

「ワンクッション置かねぇと、怪しまれるからなぁ。丁度良い頭の体操だと思わねぇか?つまんねぇ試験で適度に手を抜いて、採点を予想する。設問ごとの得点は開示されねぇから全部推理だ。俺様と二葉の遊びみてぇなもんでな」
「成程。セカンドはファーストより常に一点高く、そなたはファーストと同じである事。それがルールか」
「…退屈で仕方ねぇんだよ、毎日。仕事浸けじゃねぇとやってらんねぇ、テスト中でさえ頭ん中に居座られてやがる。どうせ手に入りやしねぇのに期待する。身に染みてる癖に」
「ほう」
「日本時間の4月5日産まれ。向こうじゃ4月4日、『幸せの日』だ。天使過ぎて泣ける。8月18日には毎年デカいケーキ焼いてくれんだぜ、嘘みてぇだろ。可愛すぎて胃が痛む」
「お前が砂糖菓子を喰わぬ事を知らぬ親衛隊は居ない様に記憶しているが、ファーストには覚えて貰えなんだか」
「馬鹿言え、俊が喰ってくれる。問題ない、胸焼けするだけだ」

どうも半分寝ているのではないだろうか。自虐的な台詞を凄まじい笑顔で宣う日向の目は、涙ぐましいほど知性的だ。

「俊と同じ誕生日だったな」
「羨ましいか」
「いや。俺は4月3日生まれだが、本国の時間では4月2日だ。時差が半日以上存在する。然し4月1日よりはマシだろう。何より、同級生の誰よりも早い訳だ。大人な俺は羨ましがる事などない」
「ちっ」
「お子様め、昔はビーフジャーキーを辛いだの固いだの臭いだの宣っておった癖に」
「馬鹿言え、俺様の好物はビーフジャーキーだっつーの。好きな果物はスイカな。しっかり覚えとけ」
「幾ら賢かろうと、獅子など飼うつもりはない。俺の目の前で寝るな、剥かれたいか」
「ふは!テメェに俺様が抱けるのかぁ、不能野郎?『カイちゃん、浮気しちゃ、めーょ』」

悪魔が、と。
無意識に片目を細め、粗野な笑みを浮かべている男の顔を一瞥した。

わざわざ『負けてやった』腹癒せか、嫌がらせが直接的だ。

「喉から手が出るほど欲した希望の為に、わざとらしい演技までするとは、変われば変わるものだ。昔のそなたは嘘の吐けぬ、純粋な子供だったのに」
「愛しい天使に嘘が吐けんのに、何でテメェらに気を遣う必要があんだ。カス共、嵯峨崎の爪の垢を飲め。…いや、まず先に俺が飲むから、テメェは犬の糞でも喰ってろ。テメェに嵯峨崎の爪の垢は勿体ない」
「何を宣っているか判っているのか?」
「嫌だなぁ、帝王院会長。勿論判ってますよぉ、本気で俺様の頭イカれてんじゃないですかぁ?」
「そうらしいな」
「ちょっと嵯峨崎に会ってくる。我慢出来ねぇ」

立ち上がった日向を目で追い掛ければ、出入り口ではなく真っ直ぐに自分のデスクへ進み、パソコンを覗き込んでいる。
他人事ながら哀れなものだと呟いて、ブレザーのポケットから取り出したプラチナプレートをチェス盤の上へ放った。

「それが会うと言うのか?」
「やべぇ、身体測定のデータを改めて見たら嵯峨崎の胸囲が俺より10cmデカい。ちっ、やらしい体しやがって…」
「そこの頭が悪い独り言をほざいている副会長、裁判沙汰になる前に戻ってこい」
「はっ、俺様がンなヘマすっか。万一俺のデスクトップに嵯峨崎が近寄ってみろ、爆発するぞ」
「だろうな。あれは生きる電磁石の様な男だ。血が濃い所為で、帯電効率が良すぎる」
「何でエアフィールド君はこんなに可愛いのにルーク君はあんなに変態なんだろう。血縁って時に無情」
「希望のチェックメイトだ、受け取れ」

漸くディスプレイから目を離した日向が、凄まじい目付きで振り返る。真っ赤なディスプレイはまるでホラー映画の様だが、わざわざ近づいて確かめるまでもなく、映っているのは従弟だろう。

「好い加減、何を企んでるか吐いたらどうだ」
「何が知りたい」
「それだよそれ、…今更ンなもん寄越しやがって、何だっつーの」
「見ての通り、ABSOLUTELYプレートだ。お前には渡していなかった。無論、そなたの意思を尊重したまでの事だ。仮の社員証は藤倉裕也の手にある」

物好きめと囁けば、日向の眼差しが泳いだ。彼の打算など聞く前から知っている。今更それをどうだと言うつもりはない。

「卒業後、正式にアメリカへ渡るつもりがあるならお前を二位へ上げるつもりだ。この期に及んで、ファーストに知られたくないなどと宣う必要もあるまい?」
「面の皮が厚いにも程があるぞテメェ、人の不幸を喜んでねぇか?」
「大人しく家業を継ぐつもりであれば、英国と戦争か」
「…今更嵯峨崎に知られた所で益々毛嫌いされるだけだ、どうにでもしやがれ」
「何にせよ今の元老院に先はない。左元帥たるセカンド、右元帥たるファースト、どちらも砕かれる」
「何をするつもりだ、テメェらは」
「ランクAを全て上がらせた。今のセントラルは名実共に無人だ」
「…はぁ?本気かよ、何で今頃…」
「オリオンを捕らえる為だ」
「年寄り一人にそこまでする必要があんのか」
「遠野龍一郎」

振り向いたまま話を聞いていた日向の目が、見開かれた。流石に想像を越えていたのか、息を呑む音が聞こえる。

「冬月龍一郎。残ったデータではランクA、特別機動部長、コード:オリオン。ネルヴァの前の第一秘書だ。今の技術班の顧問でもあった。だから未だに技術班は、特別機動部の傘下にある」
「…冬月かよ」
「聞き覚えはあろう?」
「祖父から昔な。…榛原に関しては、他人みてぇなもんだ」
「判っている。西指宿が政財界に在るのは、高坂の力添えがあったからだ。どちらにせよ、明神・冬月共に、崩壊した家名だ。東雲・加賀城は盟友ではあるが、灰皇院ではない」
「灰皇院の本家は榛原だろ」
「『灰原』、彼らは歴代空を名乗っている。お前とは比べるべくもない程だ、高坂日向」
「比べる?どう言う意味だ、そりゃ」
「灰皇院黎明、灰皇院暁、灰皇院蒼穹、灰皇院晴空、灰皇院大空」

一歩、また、一歩。
近づいてくる日向を真っ直ぐ見据えたまま、歌う様に。

「灰皇院太陽。幕末以降、帝王院の家系図に残る名は灰皇院晴空までだ。40年程前にお祖父様が財閥を継いだ頃には既に、晴空は故人だった。残された妻と娘は実家へ戻り、名を変えている」
「YMD、旧ヤマダテクロノジー初代会長の一人娘だな」
「ああ。旧姓山田絹恵、榛原絹恵の娘の名は、榛原美空」
「…宍戸優大が婿入りした相手だろう?」
「お前の親族だ」
「榛原優大と榛原美空の一人息子は、榛原ヒロキ。それしか知らねぇ」
「大空と書いてヒロキ、榛原大空は14歳で榛原から除籍されている」

目の前にやってきた日向の指が、盤上のプレートを掴むのを見た。

「現姓は帝王院大空。戸籍上、お祖父様の三番目の息子だ」
「…ある程度想像はしてたがな。アンタの義理の叔父って事だろ」
「ああ」
「キングの義弟で36代中央委員会会長、帝王院秀皇の義弟でもある」
「そして山田太陽の実父であり、株式会社ワラショク代表取締役社長だ」
「ふはっ、帝王院の家系図は滅茶苦茶じゃねぇか…。だったら俊の義理の叔父でもある訳だ」
「そうなるな」
「阿呆ほど面倒臭ぇ」
「つまり俺と俊は従兄弟であり兄弟でもある」
「それに関しては考えんな、頭が可笑しくなるぞ」

違いないと頷いて、傍らに置いていたポテトチップスの袋を持ち上げる。腕ごと突っ込む勢いで手を差し込み、取り出した一枚を齧る。
ぱきりと、軽快に割れる音。

「キングの母親はマチルダ=ヴィーゼンバーグだ。血など遥かに薄いとは言え、お前の義理の祖母の叔母に当たる。日本もイギリスも大差あるまい」
「…確かにな。だったら俺様と嵯峨崎も、糞程遠い親戚って訳だ。良いな、多少気分が高揚してきた」
「俺とも親戚だが?」
「俺様とテメェは他人だ。一生赤の他人でしかない、同じ制服を着てるだけの異種民族だ。酸素吸うな、寧ろ酸素を吐け人外野郎」
「どう言う道理だ」
「この『希望』は何に使える?」
「何なりと」
「言質」
「構わん、好きにしろ。権利を手にした悪魔がどう行動するものか、些か興味がある」
「ちっ、悪党だな、テメェ。自分は傍観者気取りか」
「最早手段を選んでいる暇はない。使えるものは幾らでも使う。駒は多ければ多いほど良い、数の有利だ。それに於いて、お前は最低条件をクリアした」
「駒が駒を集めるたぁ、笑わせる。何が最低条件だって?」
「俺の全てに興味がない」
「…くは、違いねぇ」

神威が昼寝の場所を変える度に、何時間も探し回るのは日向の役目だ。神威を見つけた日向が取る行動は常に一つ、叩き起こし、今すぐ働けとただ、怒鳴るだけ。
それだけだ。

「俺様が守るのも殺すのもテメェじゃねぇ。…ったく、もっと早く開き直っておけば良かった。それこそテメェみてぇに形振り構わず張り付いとけば、少しは上手く行ってたかもな」
「お前ほどの男であっても、悔いるか」
「そりゃ山程悔いてるぜ、秒刻みで後悔ばっかだ。後悔のない人生を歩める奴が居るなら会ってみてぇもんだ、そいつは何処かがイカれてやがる」
「セカンドは何と言っていた?」
「…お得意の千里眼か?地獄耳か?」
「何、推測は至極易い。俺に事後連絡で山田太陽を連れ出した仔猫は、日本に未練があろう。それこそ、大陸へ戻る事を承諾するとは思えん。星条旗に刻まれるのは文字通り『星』、引き替えに日本国旗は潔い。たった一つの『太陽』だけだ」
「そんだけ判ってて、さくっと二葉をクラウンから除籍してりゃ世話ねぇぜ。刺されても文句は言ってやるなや」
「戻らねばそれでも構わん」
「あ?」
「風紀名簿までは見ておらんか」
「テメェ」

再び自分のデスクへ張り付いた日向が、片手でマウスを握り締め、片手でキーボードを叩いた。感情が行動に出る男だと目を細めれば、すぐに金髪が振り返る。

「…つまり、学園の名簿から消えてんのはアンタだけって事かよ」
「俺は五歳で大学院を卒業している。今更、高卒の資格など何になる?」
「何にもなりゃしねぇだろうよ。判ってて帰国したんじゃねぇのか」
「そうだな」
「人格崩壊者が、偽善者振りやがって…」

呆れ混じりの台詞に、笑った。
勿論心理的なものだ。表情は一つとして動いてはいないのだろう。曰く、表情筋が死滅しているそうだ。

「少々、この国に長く留まり過ぎた。セカンドほど使える人間などそうはおるまい。手離すには些か惜しいが、仕方ないだろう。生徒の幸せこそ、中央委員会会長たる俺の責務だ」
「似合わねぇ事をほざきやがる。いつから聖人君子に目覚めたか知らねぇが、…アンタも十分帝王院の人間だって事だな。それとも、俊に感化されたか?」
「感化?」
「俺様の知る限り、俊は優し過ぎた。頼まれたら断らない、お人好しにも程がある男だ。知らねぇだろ、俊はホスト時代初日で当時のトップを抜いた」

耳慣れない単語に動きを止めれば、鼻で笑う気配。

「ふは!ざまあねぇな、ノア=グレアム。無表情の内側が、俺様には透けて見える。精々考えて、精々悩め。8区にゃ未だにシーザーのストーカー女がうようよしてる。テメェなんざ相手にもされねぇよ」
「…俺はお前の様なヘタレではない。迸る愛を迸るまま迸らせ、許可を得た。それに引き替え、愛しているの一言も言い出せないとは何事だ?それでも俺様攻めの端くれか」
「攻め攻め煩ぇ、腐れが。いつからBLに染まりやがった糞会長が」
「俊が愛らしく薦めてきた。まずは読めと。次に感想文をしたためろと。最終的には描けと。次から次に新しい扉が開いていく。興味を失う暇がない」
「成程、あれは人間じゃねぇ、本物の神様だ。だからアンタの好奇心を根刮ぎ持ってっちまったんだろ、見透かされてんだよ。アンタも俺様も、所詮、シーザーの盤上って事だ」

組んでいた足を解き、盤上のキングを指で弾いた日向の顔は笑っている。嘲笑なのか自嘲なのかは判断が難しい。或いは、そのどちらもだろうか。

「…何しても許すんだろうよ。『覚えてない』『だから何もなかった』『二度目の初めまして』」
「全てを水に流せ、か」
「遠野龍一郎の件も込み…だったら、流石に恐ぇなぁ」

考えもしなかった台詞に瞬く。やはり、高坂日向は面白い男だ。

「姿を消したかと思えば、今度は記憶を消すとは、斯くも酷い仕打ちがあろうか。俺に抱かれた事を忘れて、違う男を漁るつもりならば…」
「どうするっつーんだ人格崩壊者。アンタは捨てられたんだよ、いい気味だ。何せシーザーと言えば、神帝様をただの人間にした本物の神様だ。認めろよマジェスティ、完敗だろう?」
「…ああ。初めから勝つ見込みなどなかった。何をするつもりだったのか、今となっては思い出せもしない」
「何も考えてなかったんだろ」
「同じ場所に立てば判るのではないかと考えた。髪を切り、一人称を変え、それでも判らないままだ。何故消えたのか。何故『裸の王様』なのか。未だに」
「あ?」
「何度考えても答えなどない。あの時あれが俊だと知っていれば、私は、それでも尚、探しただろうか」
「本気で知らなかったのか?シーザーの正体を、アンタ」
「…だからそうだと言っている。疑問は式典を迎える前、此処へ俊を招いた時に得たものだ。お前は今座っている正にそこで、親衛隊を押し倒しておったな」

気まずげに黙った日向から目を逸らし、立ち上がる。
テーブルに広げたチェスセットと、ソファに鎮座させた食べ掛けのスナックはそのままに、窓辺のデスクへ。

「遠野俊。外部生に会うつもりなどなかった。名を聞けば判らぬ筈もない」
「存在は知ってたっつーのか。12年前かよ」
「…そう。その時シュンと言う子供が居る事を知った。遠野俊江の戸籍に婚姻歴はない。無論、出産歴もない。父上が隠したのだと推測するのは、容易だった」
「キングの追跡を嫌ったとして、何で今頃…」
「恐らく、想定外」
「俊の個人行動だってのか?」
「それ以外どう説明する?…俊もまた、帝王院学園を選択するつもりはなかった様だ。だが、他の選択肢がなかったのだろう」
「待てや、判る様に説明しろ。そりゃ誰に聞いたんだ」
「本人から、先程」
「俊から?」
「今のではない。先月の俊だ」
「はぁ?」

デスクトップが起動し、ディスプレイが表示される。
俊の大失敗にも程がある動画を再生する前に、ブラウザを起動させた。

「俊には戸籍がない。…通学履歴を探しても見つからない筈だ。幼稚園、小学校、都内全ての履歴を探らせたが、見つかったのは鷹翼学園だけだった。鷹翼は、」
「東雲財閥の傘下」
「…親しい友もなく、幼馴染みもない、鷹翼中学入学式で生徒挨拶をした生徒の出席日数は三年間で20日程度、入学試験以降、目立った成績ではなかった。ならば何故、帝王院学園への願書申請を当時の担任が許したのか」
「…出来レースじゃねぇか。待てよ、だったら、」

薄型のディスプレイを掴み、回転させる。
目を見開いた日向を眺めながら、掴んだディスプレイの縁を指で叩いた。

「昨年まで十年、連続で全国模試一位だった人間が居る。学年は俺と同じ、現在高校三年生。名は、ミカドインシン」
「っ、な」
「見えるだろう。『帝王院神』、俺と一字違いだ。どう思う?シン。誰かに似ているとは思わないか、副会長」

随分、面白い顔だ。元が整っているだけに落差が笑いを誘う。

「だから俺は一度だけ模試を受けた。一昨年だ。その時の試験結果は、一位に帝王院姓が二人並んだ。帝王院神威、帝王院神。50音順にな」
「何処までも暇な奴だな、アンタはよ」
「その翌年から帝王院神の名は消えている」
「欲出して逃げられた訳だ」
「ああ。そうと知った年の8月18日、長い残暑に許された束の間の干天慈雨だった。俺が殴られ罵られた日だ」
「殴られたって、俊に?去年…そうか、だからあれから変だった訳だ。テメェ、何したんだゴルァ!」
「お前と一緒にするな。俺は俊に手を上げた事などない」
「信じられるか!」

怒鳴りたいのはこちらの方だ。引っ掻き傷程度なら佑壱以上の早さで消えてしまうとは言え、好きな相手に手を上げた人間が存在すると知って、腹が立たない訳ではない。

「話し掛けただけだ。お祖父様の見舞いの帰り、濡れそぼる黒髪を見た。烟る驟雨の最中、あれだけが目に写った。まるで見つけてくれと言わんばかりに」
「…マジ気色悪い。惚気は余所でやれ」
「すまんな」
「アンタ本気で自分の会社ぶっ潰すつもりかよ。何兆の金が吹っ飛ぶか、当然、判ってんだろうな」
「俊の為であれば安いものだ」
「…いっぺんで良いから言ってみてぇ台詞じゃねぇか、今だけ尊敬するわ」
「シリウスの研究室から奪われたデータの内容はともかく、以前から学園内に妙な動きがある。バイオジェリーの脱走についてもシリウス本人に戒告を与えたが、あの男がその様なつまらん失態をするだろうか」
「何でかんでも溶かすネズミ、ネズミの国に行きたがってた嵯峨崎が喜びそうな…って、そう言や、下水処理施設の電子系統がイカれたっつー報告が上がってたな。送水管の分配バルブに有機溶剤の塊が詰まって、バルブごとヘドロ化して溶けてたっつー話だ。何か聞いてるか?」
「いや、何も。いつの話だ」
「確か昼過ぎだ。溢れ出た水が、地下三階の三分の一を水没させたらしい。異常に気づいてセキュリティが発動したが、旧エリアは構造的に隙間だらけだった所為で、コンクリートの裂け目から浸水が続いてる。二葉が急遽、新エリアの可動域を動かして暫定的な水路を作ったらしいが、今考えてみると、それも出来過ぎな話だよな…」

痙き攣っている日向を横目に、片手でキーボードを叩く。気になるなら直に調べれば良いだけだ。
この時間ならば、邪魔もない。

「行くぞ」
「は?」
「設定した。これより執務室は懲罰棟最下層、シャドウウィング格納庫へ降りる」
「本気か?!」
「チェスはお前の所為で飽きた。眠気もない。会長命令だ。黙って暇潰しに付き合え、高坂副会長」
「殺すぞテメェ」
「潔癖症のお前には辛いか。ふん、その程度でファーストの尻の穴が開けるのか?」
「嵯峨崎の穴は慎まし…じゃねぇ、本気で嫌だ、何で俺様が下水道なんざ見なきゃなんねぇんだよ…」
「『頑張れ日向』」

日向の顔が余りにも哀れだったので、善かれと思って嵯峨崎佑壱の声真似をしてやれば、若干頬を染めた副会長から凄まじい睨みを浴びた。

「…嵯峨崎は名前で呼ばねぇ。そこは『頑張れ高坂』にしろ。それと嵯峨崎は俺様を見下さない。上目遣いにしろ」
「注文が多い男だ。俺はお前より背が高い、諦めろ」
「テメェの物真似はクオリティが浅ぇんだよカス、やるならとことんやれ。『カイちゃん、もう帰ってネンネしましょ』」
「『おやおや、高坂君ともあろう方が、高々地下が恐くて泣き言とは大変テリブルですねぇ。大丈夫ですよ、私が誠心誠意お守り致しましょう』」
「ぶち殺してぇ…」

うす塩ポテチが大量に投げつけられる。
それが目に染みる事は判ったが、とりあえず返す言葉は一つだけだ。

「コーチャよりコーラが飲みたい、淹れろ」
「犯すぞテメェ」

何と言う俺様なのか。流石は俺様副会長だ、痺れる。

←いやん(*)(#)ばかん→
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