帝王院高等学校
いつでも本気で攻めていけ!
一つ、一つ、一つ。
砕け散ったパズルのピースを、幾つかのパーツごとに組んでいく。

一纏まり、また、一纏まり。


断片的なピースから、朧気に浮かび上がる形が脳を占めていく。


これは誰だ。
(恐らく自分だ)(判っている)
それならばこれは、何を切っ掛けに形成されたものなのか。
(それだけが判らない)(ヒントはある)

(きっと壊れてしまったのだ)
(だから壊されてしまったのだ)
(剥き出しの心へ刃を甘んじて、)


(何て脆弱な本能だったのか)



(そして最後に残った欠片が、自分なのだ。)



「驚かせてごめん」

苦笑いは噛み殺した。
自分のその表情は、人を怯えさせると知っている。

「帝王院神威。俺の父親が、最初に授かった男の子だ。この学園に残してきた事をずっと後悔していた」
「…俊は最初から知ってたのかい?カイ君が義理のお兄さんだって」
「顔は知らなかった。でも名前を聞けば判る。帝王院学園に帝王院姓の生徒は、そう多くない」
「多くないも何も、神帝陛下だけさ。だって俺らは彼を神様だと思ってきた。学園長の孫、理事長の息子、貴族で海外の実業家でもあって。でも、知ってるのは皆、そのくらい」
「貴族?実業家?」
「何だ、それは知らなかったんだねー」

へらりと笑いながら組んでいた腕を解いた山田太陽が、持ち上げた足で反動をつけ、跳ねる様に椅子から飛び降りた。眉間に皺、と囁いた太陽の指が俊の額の下を撫でる。

「えっと、何だか皆、冷静になれって方が無理な顔だねー。神崎と高野はともかく、錦織は深呼吸した方がいい」

真顔で固まっている要の目の前に隼人が手を伸ばし、ひらひらと手を振ったが、要は反応しなかった。難しい表情で黙っている佑壱は未だ背中に緑色を背負ったまま、その背後でオロオロしている加賀城獅楼は顔色が悪い。

「あ、あの、お、おれ…帰ったほ〜が?」
「加賀城君、残念だけどお前さんは既に巻き込まれてしまったんだよ。逃げられると思ってるのかい?」
「ひっ」
「…な〜んてね。ま、不運だと思って諦めてよ。色々大変なんだよー、今。知ってると思うけど、今の俊は14歳だし」
「えっ?14歳って、総長が?何でだよ、総長は15歳じゃないの?8月生まれだし…もしかしてほんとは14歳だったの?!えっ、それだったら外部受験受けられたのって、有名なスキップってやつ?!」
「いいねー、加賀城君のボケボケな反応嫌いじゃないよー」

呑気な太陽の頭を隼人が叩いた。
混乱の果てに「総長すげー!」と叫んだ獅楼は無言の佑壱から蹴られ、真っ青な顔で黙り込む。
ロボットダンスの様な動きで深呼吸した要はふらふらと座り直し、円周率7桁辺りで顔を覆った。

「総長が…陛下の隠し子だったなんて…」
「あは。うん、全然落ち着いてないよねえ、カナメちゃん。隠し子じゃない、オトート。それも血が繋がってる可能性の方が低い、赤の他人率99%のねえ」
「神崎の言う通り、俊とカイ庶務の血縁関係については火曜サスペンスさ。今日は日曜日だけど」
「タイヨウ君、会話の端々からジェネレーションギャップを感じさせてっしょ(;´Д⊂)」
「おいおい高野君や、何でも素直に言っちゃうお前さんの事も嫌いじゃないよー?でも次は頭突きだから。」
「スいませんm(__)m」

笑顔の太陽に睨まれた健吾は佑壱の背中に回り、背負われている裕也を剥ぎ取る。細身の健吾より体格の良い裕也は豪快な鼾を発てており、加勢に入った数人掛かりで床に転がされた。

「悪ぃ、助かったっしょ(ノД`) ったく、何があったか知んねーけど、靴の裏が糞汚れてやがるぞぇ。脱がせとくか…」
「変わらないね、藤倉君は」
「寝てる時は幼く見えるよな、藤倉君は」
「やべ、ズボンも何か汚れてね?脱がせ脱がせ(´▽`)」
「えっ?わ、悪いよ高野君!」
「そうだよ高野君、下着は男のデリケートな所だから!」
「ああー!…藤倉君、見た目に反して結構派手なんだ…」

容赦なく裕也のスラックスを放り投げた健吾は、黒地にピンクの水玉柄のボクサーパンツを無言で指差す。
口を覆ってそっぽ向いた要は涙目で肩を震わせており、佑壱は力が抜けた様に長い溜息一つ。

「…あー、Shit。真面目に悩んだ俺が馬鹿みてぇじゃねぇか、畜生。おい健吾、服は投げんな。畳め」
「うひゃw…ウィース(;´艸`)」
「イチ先輩ってほんと、見た目はヤンキーなのに中身は主婦ですねー。これで手が早くなかったら嫁さんにしたい」
「あ?寝言は寝て抜かせ山田、この俺がお前なんぞの嫁だと?八つ裂きにすんぞテメェ…」
「あはは、何か今の光王子に似てた!」
「ちょ、サブボス?!死ぬ気?!」

ケラケラ笑い飛ばす太陽の肩を鷲掴んだ隼人は、恐ろしい表情をしていると思っていた佑壱が微妙な表情である事を認め瞬いたが、マイペースな太陽が教壇へ向かって歩いていくのに従って手を離した。

「ちょいと黒板借りるよ、白いけど」

俊が名付けた通称黒板、ホワイトボードの前で太陽はマーカーを握る。赤縁眼鏡二人が素早く書いていた文字を消し、太陽は礼を言った。

「錦織も高野のお陰…って言うか、藤倉の水玉パンツのお陰で落ち着いた様だし、このまま朝まで左席委員会緊急会議を執り行いたいと思う」
「は?」
「…あのさあ、21番君はあ、脈絡って言葉知ってるー?」
「はいそこ2番君、俺は天下の左席副会長であるぞ。もっと繊細に扱って!ナイーブな15歳!傷つき易いお年頃!」
「あは。もう黙れ?」
「そんな意地悪言っちゃっていいのかい?今からあの話をするんだよ、俺は」
「あの話だと?」

呆れ果てた隼人の代わりに、佑壱がなけなしの眉を跳ねる。同じく話が見えないらしい俊は存在感を消し、北緯が緊張した表情で差し出してきたプリントへ目を遠し始めた。

「いい質問ですよー、1番先輩」
「誰が1番先輩だボケ」
「イチ先輩、ツッコミがつまんない」
「な」
「俊、お手本を見せてあげて!」
「…え?」

男同士の余りにも危うい写真ばかりをレイアウトした紙を真顔で眺めていた俊は、顔を上げて首を傾げる。何かを期待した表情の太陽と、難しい表情の佑壱、同情した表情の隼人は見えたが、話は全く見えない。

「1番君、何を読んでるんだい?」
「キィが撮った写真」
「はぁ。…駄目だ駄目だ、お前さんは俺の俊じゃないやい。そこはハァハァしながらBLって即答するとこ!」
「びーえる?」
「ボーイズラバーさ!」

ちょっと違う。
佑壱以外の心の声が重なったが、鼻息荒く自信満々な山田太陽はツッコミ待ちの若手芸人が如く目を輝かせ、


「判った」

こくりと頷いた俊を認め、壮絶に不細工な顔で沈黙する。
これには流石に佑壱を含めたほぼ全員が眉を寄せ、今更、遠野俊の中身が自分達の知る帝君とは違う事を思い知らされたのだ。だからと言って何が出来る訳でもなく、また、何が言える訳でもない。

「つまんない。お前さん、つまんない男だね」
「ごめん」
「それが本当のお前さんかい?」

太陽の言葉に、全員が目を丸めた。
言われた遠野俊本人は真っ直ぐ太陽を見つめたまま首を傾げ、恐らく、と。囁いたのだ。

「俺は俺を俺だと思っている。恐らく前の俺も俺を俺だと思っていた筈だ」
「判り難いね」
「でもそう思わされているとしたら、」
「お前さん以外にそんな事が出来る奴なんかいるのかな?」
「待って、時の君…じゃないや、山田君!」
「出来た…!」

弱気なクラス委員長が挙手と同時に立ち上がり、それと同時に、今の今まで誰よりも大人しかった赤縁眼鏡三号、武蔵野千景が椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がった。
余りの勢いに、近くにいた健吾が仰け反り、転がっている半裸の裕也を踏み潰す事態に陥ったが、激しく咳き込んだ藤倉裕也その人はごろりと寝返りを打ち尻をボリボリ掻いて再び鼾を奏で始めた為、ダメージは皆無に等しい。

「我ながらこれは名作の予感!」
「え、あの、武蔵野君?」
「あっ、野上クラス委員長!見て、出来たんだよ!ああっ、山田君も…天の君も、見て下さい!」
「ふへあ?」
「良し、見るぞ。俺はボーイズラバーを覚えたからな」

凛々しい…凛々し過ぎて最早恐怖以外の何でもない極悪面が、恐ろしいオーラを撒き散らしながら立ち上がる。
腰を抜かした佑壱は意味もなく格好良いポーズで汗を拭ったが、佑壱が何故片膝をついたのか判らない太陽は微妙な表情だ。寧ろ平然としている太陽の方が異様な状況だが、当の山田太陽だけが理解していない。

「む。すんでれら?」
「はい?…ほんとだ、スンデレラ?」

スケッチブックを覗いている俊の手元を覗き込み、太陽もまた眉を寄せる。燃え尽きた表情の武蔵野は心あらずの表情で遠い何処かを見つめており、話し掛けても反応がない。修羅場明けの漫画家の様な風体だ。

「む。庶民育ちのスンデレラ(15歳独身)は、継母イチコと二人の義姉ハヤコとカナコにねちねち苛められていた。…イチコ?ハヤコ?カナコ?…ん?」
「どのくらいのねちねちかと言えば、デヴィ夫人が若手女優に吐く毒の801倍(当社比)だった?」

俊と太陽は、スケッチブックにびっしりしたためられた文字を目で追いながら、朗々と読み上げる。教室内は静寂で包まれ、健吾と北緯は揃って佑壱と隼人と要の三人を見やると、何を想像したのか、無言で崩れ落ちた。小刻みに震えている。
判っていないのは獅楼だけだ。

「毎日苛められ心に傷を負っていたスンデレラは、ミカドイン城が毎年行っている15歳以上対象の全国模試を受ける事になった…か」
「何かこれお前さんがモデルっぽくない?」
「俺だったら苛められて心に傷を負ったりしないぞ?」
「あー、苛められたら喜びそうだもんねー」
「お前は俺を知り過ぎだぞタイヨー、まさか本当に俺達は…」
「えっと、全国模試でまさかの一位になったスンデレラは、天才しか通えないミカドインハイスクールに入学を許された。おー、いぇーい」

何故か頬を染めている俊を余所に、ある意味で天才的な発音を披露した山田太陽の「ハイスクール」「Oh yeah」は嵯峨崎佑壱の心を感電させる。
嵯峨崎佑壱が17年生きてきた中で、太陽より酷い日本人など見た事がなかったからだ。銭湯の常連な白髪のおっちゃんより酷い。

「マジか山田…」
「はい?何ですかイチ先輩?」
「然しスンデレラは、全国模試で二番三番だった義姉の嫉妬と継母の怒りを買い、入学金を支払って貰えず、制服も買って貰えず、着の身着のまま放り出されてしまった。もう帰る家は何処にもない。しがないサラリーマンの父は万馬券を夢見て競馬場に引きこもり、家は継母に乗っ取られてしまっていたのだ」
「え?お父さん、とんだろくでなしだねー?今までスンデレラが生きてこれたのって逆に継母のお陰っぽくない?」
「スンデレラは継母の唐揚げが大好きだったが、泣く泣く徒歩でミカドインハイスクールへと旅立った。因みにミカドインハイスクールは家から徒歩10分だった」
「ちっか!」

既に笑い崩れていた健吾と北緯に続き、太陽も崩れ落ちた。
ちらほら笑っている教室内は、物語の冒頭で武蔵野に対する喝采が沸いている。

明らかにシンデレラパロディーの話は次の様に続く。
帝君だったスンデレラは無一文で学園生活を送り、同じクラスの義姉にねちねち苛められつつも、中央委員会会長に見初められたが、実はスンデレラは中央委員会のライバルである左席委員会の隠れた会長だった。
中央委員会会長に見初められたのは、変装したスンデレラによる、真夜中のパトロール中だったのである。
まるでロミオとジュリエット。

この辺りで佑壱は吹き出したが、嵯峨崎佑壱の脳内で神威がジュリエットと化した為である。作者のイメージとは違うと思われるが、気づいた者は居ない。

何やらかんやら紆余曲折の末に、パトロール中に主人公がうっかり落としたガラスのガマグチ財布(重量50kg)を、首に下げて走り回れる怪力を持つのはスンデレラしかいないと判り、中央委員会会長は一年帝君にプロポーズした。


「ボーイズラバーエンドか」
「まっ、待って俊、まだ続きがある、みたいだよー」

中々笑みが止まらない太陽が震える指でスケッチブックを捲り、


「そこで天の君の正体を明かすんだ」

遠くを見つめたまま、武蔵野は恍惚めいた吐息を漏らす。
沈黙した太陽は下がり気味の眉を寄せ、黙っている佑壱らを見回す。何事だと眉を潜めるカルマを眺め、沈黙している俊の小脇を突いた。

「…いいのかい?」
「何がだ?」
「これ、左席会議の議題そのものなんだ。お前さんは生前…って死んでないか。記憶をなくす前、カイ庶務扮した神帝陛下に宣言したのさ」
「宣言?」
「左席委員会が勝ったら中央委員会をリコールするって」

太陽の台詞に、教室内がざわめく。
噂では聞いていたがやはり真実だったのかと混乱に陥った生徒らの中、その場に居合わせた隼人と佑壱は難しい表情で黙り込み、健吾は頭を掻いた。

「ありゃ本気だと思ってなかったのに。…カナメ、あんま驚いてなくね?(´・ω・`)」
「良い機会だと思っただけです。白黒、はっきりさせるには」
「どっちにつくか、って?(´▽`)」

含みのある健吾の台詞に、錦織要は目を細める。
然し息を吐きながら頭をゆるく振り、否定を呈した。

「俺は既にカルマを選びました。どちらにせよ今更、あちら側に戻るつもりはない。楼月の期待に応える為などと、幼い考えで洋蘭に従ってしまった事を、とっくに後悔していました」
「そんだけ良い息子だったって事っしょ。だから今のカナメは親父より力をつけたんじゃね?(*´Q`*)」
「買い被らないで下さい。今は美月が黙らせているだけですよ…。洋蘭の恐ろしさが長年染み付いている楼月は、俺を陛下に側近にさせようと企んではいますが、無理でしょうね。大河から保険を押し付けられている」
「保険?」
「デスサイズ」

健吾と要の話を地獄耳で聞いていた佑壱が、諦めた様に吐き捨てる。

「大河…いや、祭には、か。生きる死神の鎌が居るっつーのは、知ってる奴は知ってる。あれに関しては俺ですら良くは知らねぇ。…ただ、不気味な男だ」
「ユウさん、ソイツの事、何か知ってんスか?(;´艸`)」
「初等科の頃から知ってるが、奴は昔から顔を晒した事がねぇ。高坂や叶ですら関わってんのを見た事がねぇ、何せ奴は中等部からずっとFクラスだ」
「Fクラス?!」
「えっ、Fクラスだなんて…!」

佑壱の台詞で青ざめた生徒らは怯え、隼人が肩を竦めた。

「李上香。あのやろー、ボスをラウンジゲートから誘拐した事あるよねえ?」
「えっ?ちょいと俊や、そんな事あったの?!」
「ごめん、覚えてない」
「おい隼人、テメー、何処で掴んだネタだそりゃ」
「たまーに、警備室のデータにハッキングしてんの。やだなあ、外部生がボスだって判ってすぐにい、ちょっとだけボスの行動をチェックしただけだってえ。あは」

笑顔の隼人には悪気の欠片もない。
きょとりと首を傾げている俊に皆が同情し、佑壱は無言で隼人を殴った。

「ストーカーよりタチ悪ぃ事してんじゃねぇ!」
「だ、だってえ…」
「で、李がラウンジゲートから総長を何処に連れてったのか判ってんのか?」
「当然じゃん。だから隼人君もちょっとは不思議だったんだけど、ボスが怪我してる風でもなかったしい、自力で逃げたんだって思ったのお」
「あ?」
「祭美月のお城」

保健室か、と。要が呟いた。
一般の生徒は殆ど知らないが、離宮の保健室を祭美月が占拠している話を知らないFクラス生徒は居ない。工業科の工場や教室から比較的近い場所にある為、普通科の生徒が足を運ぶ事もない場所である。

「李と祭相手に無傷だったんスか?!兄貴、アンタはやっぱ凄過ぎる、デカい男だぜ畜生…!」
「イチ?泣いてるのか?」
「俊、良く判んないけど無事でよかったねー。祭先輩は美人だけど雰囲気があって、近寄る生徒も親衛隊もないんだよ」
「そうか」
「その場に俺がいたらお前さんを拉致らせたりしなかったのに…」

残念げな太陽の台詞に、隼人は口を閉ざしておいた。俊が確保されたのはラウンジゲートの窓からで、その時その場には山田太陽の姿もあったのだ。然し余計は事は言わない。

太陽の周りに、黒い何かが浮き出ていたからだった。カルマのワンコもビビる真っ黒な何かが。

「ユ、ユウさん、あれ何かなあ?」
「あ?」
「サブボスの黒いの…」
「何が黒いだと?」

どうやら佑壱には見えていないらしい。
否、叶二葉のどす黒いオーラに慣らされたからかも知れない。

「ま、悩んでも仕方ないか。お前さんがシーザーだって判ったら、後悔する奴らが出てくるんだろうなー、あはは。いい気味だねー」
「タイヨウ君、良い性格してんね(´艸`)」
「然し、これは負ける気がしません。ただ武蔵野君、俺の配役をせめて担任に変えませんか?どうして総長を苛める役なんですか、首の骨を折りますよ」
「えっ、ごごごごめ、ごめんなさい…っ。でも錦織君は三番だし…っ」
「だったら武蔵野君、中央委員会会長は俺が演じてもいいよ?もう一人の義姉を桜にして、錦織は木Aとかで」
「木A?待って下さい山田君、木Aなんて配役はありませんが?悪意が見え隠れしてませんか?山田君?」
「うるせー…」

パンツ一枚で寝言を宣った裕也に、太陽へ詰め寄っていた要は瞬いた。

「カナメは底意地わりーから、ハヤトよりえげつねーぜ」

ぷりんとした尻を覆う水玉に目を細め青筋を発てた錦織要は、青褪めた高野健吾の前でピンクの水玉を蹴り飛ばす。

「っ、んだ、よ?!…敵襲か?!」
「何を寝惚けていますかユーヤ、殺されたくなければ撤回しなさい。誰がハヤトより底意地が悪いって?」

まだ寝惚けているらしい裕也は黒い笑みを浮かべている要を前に動きを止め、神崎隼人は心の底からこう思ったのだ。

「あは。…いやー、マジ未遂でよかったあ。穴に押し当てた瞬間意識飛んで死にかけたけどお、未遂じゃなかったらマジ死んでたかもお。あは…」
「神崎?何の話しだい?」
「………若気の至りってやつー」
「ふーん?」

以前、酔っ払った勢いで要を襲いボコボコにされた事があった。
普段は根に持たないだけマシとは言え、金の事だけは何があっても忘れない守銭奴を怒らせる前に返済しよう・と。心の底から思ったのだ。

金の切れ目が縁の切れ目。否、生の切れ目。
至急稼がなければならない様な気がしなくもない。

























「ステイルメイトだ」

まだ幾つか駒残っているが、これ以上は時間の無駄だと高坂日向は吐き捨てた。30手程打ったが、時間は大して経過していない。

盤上に残る駒は、日向がビショップとキング、神威がナイトとキング。
どちらもそれ以外に残ったポーンは一つずつだが、チェックを掛けている神威のルークは日向のビショップで跳ねられ、次巡で日向のポーンを神威のナイトが取っても、次に日向のポーンがナイトを跳ねる。

どちらにせよ、残ったそれぞれの駒では終わりが見えない。三巡同じ形になったままチェックを掛けられず、どちらにせよドローだ。

「つまらん」
「クイーンとナイトを落とすのが遅ぇんだよ。んな駒、とっとと捨てちまえ」
「どちらも落とせん男心だ。そなたには判るまい」
「テメェが恋愛なんざ語るな、臍で茶が沸く」
「例えばこのポーンが、赤毛で赤い首輪をつけていたとしたら」

色違いの水晶駒を並べ直していく合間に、将棋で言う『歩』に当たる駒を一つ摘まんだ神威が囁いた。壮絶に不機嫌な顔で舌打ちした日向は黙り込み、さくさくと己の陣地を整えている。
先程は日向が先攻だったので、今度は後攻だ。

「俺様のキングには赤い首輪がついてる。お高く止まった王様だ、簡単に落とせると思うなよ」
「そなたは希望を見失ったらしい。わざと負けてくれれば良いものを」
「ざけんな、引き分けってだけでも苛立ってんだよ、こっちは…」

最初に勝てたのはやはりマグレに等しいのではないかと、日向は半ば本気で呟いた。今はもう、神威がわざと引き分けに持ち込んでいるのではないかとさえ思う。
過去に三度ほど対局したが、最初以外の二回は引き分けだ。その時の手順に、日向が息を呑んだ事は忘れていない。それ以上打っていればいずれ負けていただろう。

久し振りの対局だが、四度目ともなると頭の中を読まれていても可笑しくはないのではないだろうか。特にこの男の前では、チェスなど格好の自己紹介だ。

「これが最後か。この勝負で俺が負ければ、お前は一生つまらん俺様副会長止まりだ。精々、ファーストへの報われぬ愛を背負ったままマスターベーションに勤しみ続けるが良い」
「左手の世話になるほど酔狂じゃねぇ。昔のテメェみてぇなもんだ、相手は有り余ってる」
「やはり俺様攻めの台詞は潔い。言っておくが俺は童貞だ。俺は15の春から最近に至るまで健全に暮らし抜いたからな」
「あ?」
「三年健全に暮らせば女は処女に戻ると書いてあった」
「何に」
「同人誌」
「本気か」
「冗談だ」
「真顔でか」
「笑顔のつもりだが」
「本気か」
「冗談だ」

日向は真顔で神威のポーンを跳ねた。
まともな会話を望むだけ無駄なのは判っているが、冷やかしているつもりならそれらしい顔をわざとらしく作ってくれ、と、言いたい。言うだけそれこそ、無駄だろうが。

「テメェの表情筋は死滅してる。技術班に整形でも依頼しろ」
「俺の体にメスを入れる物好きなど居らん。以前、俺が顔を焼いた時は、アシュレイが三日三晩キニチ・アハウ像を撃ち抜いたそうだ」
「アシュレイたぁ、テメェの世話係のジイサンじゃねぇか。キニチ・アハウってのは?」
「マヤ文明から伝わる、太陽神だ」
「バルドルみてぇなもんか。…いや、バルドルはテメェだな」
「俺だと?」
「ああ。目映いほど白い、優柔不断な男だって何かの本で読んだ」
「成程、確かにそれは俺だ。散々美しいだの麗しいだのつまらん賛辞を浴びせられ続けてきたが、俊にはあっちにいけと言われる」
「くは!」
「ポッキーのビスケット部分だけ差し出された男の気持ちが判るか。愛らしさに震え上がったぞ」
「ド変態が」
「何故、俊は俺のものにならんのだ。男も女も、少し目を合わせただけで跪くつまらん者ばかりだと言うのに」
「自分のもんになんねぇから欲しがってんだろ?」

日向のクイーンが盤上から消えた。
それと同時に日向のキングはチェックがついたが、待機させていたルークとキャスリングを果たした瞬間、神威のクイーンから遠く離れた盤上の隅へと位置を変える。

「馬鹿が、俺様の嵯峨崎に気安く触んな変態」
「どちらが変態だ。開き直りおって、公開放送してやろうか」
「上等だ。テメェの暑苦しい狂った愛も晒してみるか会長、共倒れ確定だなぁ」
「俺は死なん。元老共を黙らせ、オリオンに真実を吐かせるまでは」
「真実?」
「サラ=フェインは出産前、一度だけシリウスに会っている。その後出産しているが、当のシリウスは俺の出自を把握していない。そんな事があるか?」
「待て、どう言う意味だそりゃ。シリウスのジーサンとオリオンってのは、何か関係があんのか?」
「双子らしい」
「あ?兄弟だと?」
「老人共の話を聞いた。奴ら、俺の地獄耳を忘れたらしい」

微かに神威の声音が笑っている。
眉を寄せた日向は暫く頭を回転させて、頷いた。

「つまりサラが会ったのはシリウスじゃなく、そっくりなオリオンだったって事か。アシュレイの幼馴染みだったサラは、生きていれば36・37歳」
「確証はないが、イブの世話係だったエアリアスが、サラを密かに穴倉へ招いていたとすれば…アダム=ロードとその時に知り合っていても、可笑しくはなかろう」
「サラ=フェインはロードの愛人だった?」
「いや、あの女は最期までロードをキングだと信じていた可能性がある。セントラルの各地に当代ノアの石像が置かれる為、顔を知らぬ者はない。今は俺の石像だらけだ」
「そりゃ、悪趣味だ」
「ああ」
「皮肉だぞ」
「知っている」

盤上の駒は中々減らない。
互いに長考が続く意味は、言わずと知れた事だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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