帝王院高等学校
おたくのパンドラの箱はどんな味?
「ちっ、まさか本当に何も知らされていないとは…。とんだ下っ端と言う事か!」

下着一枚で喚く様に泣き崩れている男に背を向け、艶やかなショートブロンドを額から掻き上げた女は、ミント掛かったアルカディアブルーの双眸に苛立ちを滲ませた。
そもそも背が高い彼女の片足、パンプスのヒールが片方だけ紛失している。しなやかな脚が伸びるスカートは若干乱れ、女性にしては筋肉質な太股が晒された。

「お、おい、アレク。お前、本当、頼むから落ち着けって…」
「馬鹿者!これが落ち着いていられるか!立てファッキンアメリカン、まだまだ尋問は終わってないぞ!」
「あああ、アレク…!そんな大股広げて靴を脱ぐ奴があるか!見えるぞ!色々お前、見えたぞ!白のレースとか…!」
「ショーツの一枚や二枚で何を騒いでいる!貴様は判っているのか高坂向日葵!あの男はクリスの息子、夫に限らず、私の日向まで殺そうとしたのだぞ!」

牙を剥き出し、獣の如き形相で怒り狂う妻から顔や首を激しく引っ掛かれながら、組長は何度も頷く。

「判ってる、お前の怒りはちゃんと判ってっから!後は俺らに任せろ、何でこんな事…ああ、もう、アレク!暴れんなって!」
「手を離せひま!殺す、こやつらは一人残らずこの世から消し去ってくれる!」
「おま、落ち着けって!お前はヤクザか!そうかヤクザか…!畜生、日本で殺人なんか起こすな!お前は女王の犬だったか?!」

傷だらけの男が怒鳴る様に口にした言葉で、般若の形相でワンピースを振り乱していた女の目に、理性が戻った。
妻の体から力が抜けた事を悟った夫は嘆息一つ、言い過ぎたと呟く。

「…悪かった、今のはそう言う意味じゃねぇ。けどお前は、そう感じちまったよな。許してくれ」
「………いや、言われても仕方ない。私が大人げなかった。すまないひま、もう、我を忘れたりしない。私はライオネルハウンドではなく、ダンデライオン、慎ましい大和撫子だ」
「…おう、頼むぞ。お前が本気で暴れて、止められる組員なんざうちにゃ居ねぇからな?」
「判っている。…そうだ、クリス。…嵯峨崎夫人は?」
「シャワーを浴びてる。あちらさんも、随分暴れたみてぇだな」

ゲストルームの外れ、物置兼用の狭い部屋は凄惨な有様だ。
何があったのかは知りたくもないが、戸口でにこにこしている眼鏡の男に聞くのは躊躇われる。高坂のトラウマを刺激する男だ。

「小林君、…じゃない、小林さんの方か。すまない、日本人の男性は未だに見分けるのが苦手だ」
「クリス様は小林君が付き添ってるのでご心配なく。落ち着かれた様ですね、やはり我々では力不足でした。旦那様の手ずからでないと、ねぇ?」

真顔だと神経質そうに見える男の、昔から変わらない愛想笑いに舌打ちを噛み殺す。今でこそ上等なスーツと撫で付けられた髪型で騙されそうになるが、この男の人格は最悪だ。

高坂向日葵が在学中だった頃、五歳年上だった彼は風紀委員会で五期連続局長を務めた。
体育科のスカウトが連日の様に押し掛けてくるほど武道全般に優れ、当時中央委員会会長だった一学年下の嵯峨崎嶺一と顔を合わす度に毒舌の応酬、殴り合う事も少なくなかった様に記憶している。叶の出である事は周知の事実だったが、苗字を嫌っていた男だ。

「アレク、お前も着替えてこい。宮田が用意してきた。お前が暴れてっから、アイツら心底心配してたぞ」
「…そうか。良し、ゲストルームに簡単なキッチンがあったな。何か摘まめるものを用意しよう」
「良いって、朝になったらホテルに移るから。もうそんな時間ねぇし、少しは休めって」
「寝るのは不安だ。寝ている間にまた日向に何かあれば…今度は今回の様にいかないかもしれない」
「…判った、食材は運ばせる。あ、無理すんなよ」
「有難う、ひま。愛しているよ」

引っ掛かれ血が滲む頬を労る様に撫でた妻が、伸び上がって頬にキスを落とした。満更でもない気持ちで出ていく背を横目に、戸口でにこにこしている眼鏡は敢えて見ない様に努め、泣き崩れている男の背を蹴りつける。

「ひっ」
「よう、ステルシリーの下っ端らしいな。…日本で悪戯なんざしやがって、どうなっても文句は言えねぇよなぁ?」
「ひ、ひ、ひぃ!」
「怖かったろ、俺の嫁さんは。ああ見えて、元はテメェらステルシリーがドーバーを方舟で逃げる羽目になったヴィーゼンバーグの人間だ。それも、一時は次期公爵とまで言われてた。…最高な女だろ?」
「ぐっ」
「物欲しそうな面ぁしてんじゃねぇよ、おい。俺の嫁さんだぞ?テメェ如きが満足させてやれっと思ってんのか、あ?」

腹を蹴りつけ、無様にも吹き飛んだ男の急所を手加減なく踏みつけた。泡を吹いて動かなくなった男に肩を竦め、ぞろぞろと入ってきた組員らに背中を向けたまま片手を挙げる。

「連れていけ。此処に置いとけば面倒だ」
「はい、親父」
「西の暴動の裏が取れました。どうも最近、大阪で力をつけてる餓鬼が居るそうです。どうもそいつらに、手を持て余してるそうで…」
「はっ、そんで数稼ぎに東京までスカウトに来やがったっつー事か。馬鹿にしやがって。まぁ良い、関西のお守りまでしてられっか」
「っす、適当に追い払っておきますぁ」
「おう。まだ何があっか判んねぇから、屋敷には最低限待機させて、テメェらは明けたら用意した場所に散れ」
「「っす!」」

きびきびと言われるまま出ていった組員らを見届け、散らかった物置に息を吐いた。

「面倒掛けたな。クリーニング費用はこっちで持つ。嵯峨崎会長にも帝王院会長にも、俺から話をつけとくからよ」
「承知しました。業者の手配はお任せ下さい」
「ああ、…頼みます、小林センパイ」
「ふふ。初等部の頃から脱走ばかりしていた問題児が、変われば変わるものですねぇ」
「いつの話してんスか、アンタ」
「いえね、感慨に更けているんですよ」
「年寄り臭ぇ」
「そうですねぇ、お互い、歳を取りました。…なんてね」

戸口から出る瞬間、掴んだドアノブを回す前に視界が暗転する。



どさり、と。
崩れ落ちた後輩を笑みの形で歪んだ双眸で一瞥し、男は胸元から携帯電話を取り出した。

「…おや、起きていたんですか?困った子ですねぇ。ええ、やはり一人くらい人質の予備が必要だと思いまして」

物置の端、シーツの取り替え時に使われる大型のワゴンを転がし、ドアの隙間から外を見遣る。人影はない。
スピーカーに切り替えた携帯電話を胸元のポケットへ差し入れ、沈黙している長身を抱えた。それなりに重い。

「息子の嫁は大人しくしていますか?大人しそうな見た目に反して抵抗だけは一人前の困った子で、手が懸かるでしょう?」
『大丈夫だよ守矢おじさん、キハさんの薬で、今は大人しくなったから』
「そうですか。ではラン、下で待っていて下さい。今から転がします」

ワゴンに取り付けられた袋の口を縛り、ダストシュートを目指して廊下へ出た。

『ねぇ、これで本当に、自由になれるの…?』
「大丈夫ですよ。計画が成功すれば、ヴィーゼンバーグの権威は失墜します。お前達を縛る力がなくなり、君の王子様も自由になれます。これは、その為の仕込みですからねぇ」
『…うん。じゃあ、待ってる』
「ではまた」

通話を終えた携帯電話を閉じ、重いワゴンを押す。
面倒だと思わなくもないが、もう暫くの辛抱だ。

「…姉さん、今の叶に巣食ったしがらみは、もう少しで消えます。待っていて下さい」

がらり、がらり。
見えてきたダストシュートのリネン側へ、ワゴンを押し付ける。先端を押し込めば、かぱりと内側へ押し込まれたカバーの向こう、暗い暗い蛇の道が口を開いた。
何処かのドアが開く音を聞きながら、躊躇わずワゴンの中身を押し込んだ。滑り落ちていく大きな袋を眺め、押し込んだワゴンを引く。

「コバック、何してんの?」
「奥様方が散らかされた後片付けですよ」

かぱん、と。
蓋を閉ざした音が短く響いた。

「そう、有難う。クリスにも困ったものね、イキイキしてたって?」
「ええ。読書家のクリス様は、前々から読み溜めたミステリーの手法を試す場に飢えてらっしゃいましたからねぇ。特に今は、ハリウッドでサスペンスホラーを撮影なさってらっしゃる。実は殺人鬼の未亡人役は、奥様にぴったりでらっしゃいますよ、社長」
「いやな事言わないでよ。全く、あの監督何考えてんのかしら。アタシのクリスを殺人鬼だなんて…」
「零人さんはまだ?」
「ええ。遠野院長の初見じゃ、副作用なんかも恐らく問題ないそうよ。まだ判らないけど、様子を見て、起きなかったら入院を手配するわ」
「その時は遠野総合病院にお願いするんですね?」
「事が事なだけに、他の手段なんかないでしょ。…ゼロの体を他の病院で調べさせる訳にいかないもの」
「もう少しの我慢ですよ」
「え?」

しまった。
勝手に口が動いてしまった、と。心の中で少しばかり狼狽えたが、表情には勿論、出さない。
昔あれほど手を焼いた後輩は、あの日より草臥れた表情で首を傾げている。

「以前仰ったでしょう?ルークに子供が出来るか、他の候補者が現れれば、零人さんの血が何であれ、関係なくなる」
「…いつになるかしら。まだルークは18歳よ。これから結婚して子供が出来て、何年懸かると思ってんの。気が遠くなるわ」
「大丈夫」
「何が?」
「きっと何とかなります」

ああ、この言葉は何回目だろうか。
随分パサついた髪だと、無防備に流れる深紅へ手を伸ばす。

「昔からアンタって、本当呑気って言うのか何て言うのか…。真面目に頭を痛めてるこっちが馬鹿みたい」
「おや、社長でも悩む事が?」
「どう言う意味だコラァ!」

呆れた様な表情の男は慣れた様子で、嫌がる気配はない。
ずかずかとピンヒールが大股で廊下を闊歩するのを目で追い掛けて、


「おやおや、太股丸出しでもう。…どっちが呑気だっつーの、馬鹿餓鬼が」

キャスターの軽いワゴンを押した。

























「ああ、やっとご連絡頂けましたか社長。はい、こちらはそれなりに大変ですがお気遣いなく。この小林、大空坊っちゃんの為ならエンヤコラ」
『あはは、その調子で頼むよー』
「お任せを」

いつ聞いても素晴らしい声だ我が君、と言う陶酔めいた吐息を零し携帯を閉じた瞬間、男は眼鏡を押し上げた。
人の目を盗み盗み、暗い獣道を抜けた先、上空へ高く聳える巨大な校舎が見える。

「…考えられるとすれば、校舎かアンダーライン」

スーツのポケットへ滑り込ませた携帯から手を離し、苛立ち混じりにスラックスのポケットへ手を忍ばせた。取り出した煙草に火を付け、細く長い紫煙を吐き出す。

「ちっ。ただでさえ卒業してから何年経ってると思ってるんですか、手が懸かる。私から離れるなと言ったのに…」

記憶は当てにならない。
現在のティアーズキャノン校舎は、公表している限り、地上18階建てだ。
最も大きい中央キャノンのみが、他の離宮とは違い高台に建設されている。正面のなだらかな階段を登った先、小さな噴水が置かれた広場のゲートを越えて、エントランスに入れる仕組みは変わっていない。登録された進学科のみが一階の正規のエントランスゲートへ入れるが、それ以外の生徒は階段が敷かれた石畳の内部、地下二階に続くスロープの廊下へ強制的に送られるのだ。

「陛下が隔離していた回線を起動していれば、侵入は容易いとして。流石に最上階には居ないとは思いますが、こればかりは判らない。…はぁ。あの子は本当に、昔も今も私を怒らせる天才ですねぇ。クラウンアウトサイドライン・オープン」
『コード:サブクラウンを確認。お久し振りです、ご用命は』
「小林、…ではなく、一ノ瀬を探しています。GPS反応はない。在学時の写真ではセキュリティ履歴の自動探索も難しいでしょう、何せすれて老けましたから。打つ手なしです。何とかなりませんか?」
『ご命令内容を確認………91%、現在のクラウンラインは一般客入場時に顔認識システムを導入しています。履歴より類似の人物を探索中………100%、一ノ瀬薫に87%類似した人物を特定』

やっと光明が見えた、とは、手放しに喜べない。

「…流石は陛下がお作りになられた万能システム、と言いたい所ですが、成程。噂の神帝と言う生徒は、予想以上に面倒臭い後輩の様ですねぇ」
『カメラ映像の録画された最終履歴を検索します。暫くお待ち下さ………クラウン強制終了』
「強制終了?」
『クロノスケイアススクエア・ATオープン、コード:小林専務へ緊急要請』
「クロノスですって?左席が私に何の用ですか?」
『スコーピオに侵入者を確認。コード:ボスの生体反応が消失、直ちに確認願います』
「待ちなさい、一体何の話ですか」
『マジェスティより音声データをお預かりしています。再生します』

左席にマジェスティなど居ない。
やはり記憶は当てにならないと眉を寄せながら、落とした煙草を踏み消す。中央委員会システムにハッキングしてくる左席システムなど、昔にはなかったものだ。

何せ左席会長は、一匹の犬だったのだから。

『こんにちは。…もしかしたらこんばんはかも知れない』
「陛下?…いや、この声は学園長ですか?」
『俺の予想だと今、ボスが危険に晒されている。そして専務はきっと、常務を探しているのだろう』

良く知る男に似た、けれどそれより若干若い気がする声がポケットから響いてきた。慌てて己の携帯を取り出せば、登録した覚えのない番号からの着信に、勝手に応答している。
ただ事ではないと息を呑み、受話口を耳へ押し当てた。

「もしもし?」
『常務は大丈夫、側に勇者が居るから。…けれどボスと彼は危険だ。まっつんがきっと、悲しむ』
「…本当にただの録音?」
『ピナタが悲しむのは嫌だ。そんな事になればきっと、イチが傷つく。あの子は最初から、優しい子だったから』
「切れた」

結局、何が何だか判らない。
混乱しながらも話を思い出し、校舎を一瞥して、踵を返す。

「学園長が危険だと言うならともかく、ボスとは誰の事ですかね。帝王院学園のボスと言う事なら、判らなくもないですが…」

折角此処まで来たのに、と。
惜しみながらも、信じるしかないかと息を吐いた。舌打ち混じりだ。


「まずは遠野課長を取っ捕まえましょうかねぇ。たまには働かせないと」

どうせこの声には逆らえた試しがない。
中央委員会副会長だった、あの時からずっとだ。























「…あ?」

復旧したサーバーが全てのモニタを映し出した瞬間、高坂日向はその美貌を曇らせた。
何がしたいのか、先程からずっとギコギコ椅子を軋ませて外を見ている無言の銀髪を振り返り、コードレスマウスを掴んで投げつける。

後ろに目があるのか、振り向きもせずにダイレクトキャッチした中央委員会会長は、それでも尚、振り向かない。

「おい、どうなってる。西園寺の奴らが敷地内を徘徊してんぞ」
「夜間外出禁止の定めはない」
「言ってる状況か!判ってんのかテメェ、今はっ」
「奴らの狙いはファーストとセカンドだ」
「…妙に確信めいた事ほざきやがる。つまり、とっくに何か掴んだってのか?」
「痺れを切らした老い耄れ共が動いただけの事よ」
「老い耄れだと?…まさか、元老院?」
「キングの円卓が開いていた。つまらん目隠しだ。…日本政府保有の衛星経由でな」
「…マジかよ。日本には手を出さないっつー話じゃ、なかったのか?」
「この私を欺いたつもりらしい。笑わせてくれる」

普段から声を荒らげる事など皆無に等しい男だ。
幼い頃からの付き合いだが、今以て尚、日向には神威の本音が見えない。

「二葉と嵯峨崎、どっちも潰すなんざ正気の沙汰じゃねぇ。二葉はともかく、嵯峨崎はキングの甥だろうが」
「未だ物言わぬクライストに対する威嚇の様なものだ」
「威嚇だと?何の為に」
「嵯峨崎零人の母親がアシュレイではなく、罪深きイブだからだろう」
「っ、はぁ?!」
「そなた程の男が気づかなんだのか?烈火の君は、名実共にファーストの実兄だ。十年前にDNA鑑定を試した」
「だったらゼロの死んだ母親は何だよ!エアリアス=アシュレイは!」
「何故、イブが我が子に『風』と名付けた考えた事はあるか」
「な…」

ギッと短く戦慄いた背凭れが止まり、ゆらりと回転する。
窓辺を飽きもせず見つめていた眼差しは濃い飴色に変化し、先程までの血に濡れたそれとは印象が変わっていた。

「セントラルの端、苔と鍾乳石で満たされた海底洞窟の中で生まれ育まれたシスタークリスは、孤児や育児放棄された子供達の守りをしながら、慎ましやかに暮らしていた。13歳まではそこから出た事もない筈だ」
「…嵯峨崎の母親は隔離された?」
「そう、そなたにとってのセントラルに近い」
「は?セントラル?」
「先にその穴倉から出た男が居た。通称アダム、キリストを示す『Load』と名付けられたそれは、キングのデュアルシンフォニア…完全複製体」
「…良いのか、ンな話」
「今更、隠す必要はなかろう。そなたは既に、地中へ足を踏み入れている。違うか、ベルハーツ=ディアブロ」
「はっ、違いねぇ」

警備室へ巡回強化を通達し、ブレザーを脱いでネクタイを弛める。理性を繋ぎ止める為の鎧など今は不要だ。起きながらに寝ているのかも知れないとさえ錯覚している。
既に理性などあるものか。

「言っておくが、俺ぁ藤倉をコピーにしたつもりはない。ヴィーゼンバーグの隠れ蓑に、奴の名を借りてるだけだ。下院の仕事も欧州統括部の仕事も、奴に投げた事は一度もねぇ」
「然しそなたはそれを隠しておった。だからセカンドに遊ばれるのだ」
「大体、藤倉はB型だろうが。この俺様の体にそんなゴリラみてぇな血を入れて堪るか。…二葉の考えてる事は判ってる。奴も、ヴィーゼンバーグを欺きたいだけだ」
「藤倉裕也に子種がない事を知った辺りからだろう?正確には片方の精巣がないだけだが」
「何もかんもお見通しかよ。…藤倉本人は知らねぇ筈だ。二葉の野郎、笑顔で『私には子宮があります』なんざほざきやがった」
「アンドロジーナスとはまた、斯くもセカンドに似合う言葉もあるまい。美しき黒猫は、姿形だけでなく、性別まで偽るか」
「その癖、女遊びは派手だと来た。ババアが発狂して何度も奴に男を宛がったが、残念ながら、二葉を抱いた男は居ねぇ。…ああ、一人だけ付き合ってた奴は居たか。二回ヤったら吐き気がしたっつってたがな」
「リチャード=テーラー、量子力学教授だ。…そう言えば、ブライアンから連絡が入っていたか。リチャードがサンフランシスコから海を渡ったと」

冷めきった紅茶を口に含む前で良かった。飲んでいたら吹き出していた事だろう。
他人事ながら滅多にない従弟の修羅場に高坂日向は俯き、肩を震わせた。道理で二葉が不貞寝する筈だと堪え切れない笑みをひたすら耐える。

「ブライアンたぁ、テメェの祖父君じゃねぇか。元気だったか?」
「あれは殺しても死なん男だ。サラ=フェインの父親ながら、娘より素数を愛して妻子を捨てた。然るべくして形成された遺伝子だ」
「自分勝手っつーなら、テメェも母親そっくりっつー事だろ」
「あれは俺を産み落としただけの器に過ぎん。俺の母親は、少なくともサラ=フェインではない」
「そうかぁ?俺様からしてみれば、そっくりだと思うがなぁ」
「メイルークの細胞から日本人女性のものに酷似した遺伝子配列が検出された」
「誰だ?」
「俺は以前、日本人の血は四分の一だと言った事がある。何せ俺には父親とされる男が二人居た。一人は英国人、一人は日本人だ」
「…理事長と、消えた中央委員会会長か」
「そなたは実に賢い男だ。サラ=フェインはイギリスとフランスの混血だった。ならば単純に、日本の血は、あっても四分の一。サラ=フェインと帝王院秀皇の子だとして、半分」
「お綺麗な顔で恐ろしい想像をする事で。いっぺん頭かち割って中身見せてくれよ、インテルでも入ってンじゃねぇか?」

冷めた苦味ばかり際立つ紅茶に、香りもへったくれもない。喉へ押し込む様に飲み干し、放りつける様にカップから手を離せば、ソーサーはがちゃんと音を発てた。

「だが然し、今となっては判らん。父親だと思っていた男が今更兄だったと聞かされて、興味が失せた」
「言われたのか?誰に?キングか?」
「そなたの意見を聞こう。どう思う?」
「推測でしかねぇがな、つまりはこうだ。祭美月が大河朱雀より側に置く李上香、奴の顔を見れば疑うまでもない。何せどっかの誰かさんそっくりだ。違いはアルビノじゃないだけ。例えるなら虎と白虎、茶トラとアメショー」
「ふむ。つまり私はアメリカンショートヘアだ。可愛かろう」
「殺すぞ、世界中のにゃんこに謝れ」
「どの面下げて宣ったのか、そなたは判っているか?その面だぞ」
「悪かったな。俺様の前で猫ネタを出すんじゃねぇ…」

神威しか居ない状況下の油断からか、今更ながら、自分がまともではない事を痛感させられた。不幸中の幸いは、麗しき美貌の会長の鉄壁過ぎる無表情だ。此処に来てまだ、帝王院神威の美貌は一ミリも狂わない。化け物だ。

「そなたの狂った目に、ファーストはどう見えている?」
「うさぎ?」
「正気の沙汰とは思えんな」
「ぶっ殺すぞ、何なら語るか?あ?嵯峨崎の可愛さ語ってやろうかテメェ、一日で離してやれると思うなや」
「不思議と興味はなくもないが話したければ俺の従弟にでも話してやれ。あれは単純にして浅はかな子供だ、そなたの暑苦しい愛を知れば『あーん、抱いてぇ、もうボク副会長にメロメロ〜』などと腹を見せるやも知れん」
「…そんな単純な馬鹿犬だったら、五年前にとっくにメロメロにしてる。喜べ会長、俺様はテメェの従弟から心底嫌われてるぞ。顔も見たくねぇってよ」
「顔を合わす度に殴りあっておいて、それを愛と呼ばず何と言う」
「嫌悪」
「見事だベルハーツ=ヴィーゼンバーグ、こうも報われぬリアルBLが身近に在るとは。結婚式には呼んでくれ」
「おう、祝儀弾めよ」

開き直って満面の笑みを浮かべてやったが、神威は無表情だ。
急に恥ずかしくなったが、平気な振りでソファへ転がる。

「…で、自称アンドロジーナスの二葉には子宮こそないが、玉はしっかり揃ってる。引き換えに、先天性遺伝子奇形の研究を進めてる技術班に、セントラルの血や細胞を頻繁に提出させてる訳だ。何の為に?」
「俺の、と言うより、グレアムの為だろう?」
「That's rights. 須く、グレアムの遺伝的な欠陥を補う為だ。可哀想になぁ。モルモット扱いだ。ベジタリアンになれと言われたら慎ましく草を齧り、一日に十時間以上寝れと言われたら寝る。奴は自分が何をしてるのか判ってねぇ」
「傀儡か」
「技術班お得意のな。…余計なもんを遺してくれたもんだな、マスターオリオンって奴は」
「聴いたのか」
「…いや、話だけだ。数時間だけ人を操る曲があるらしいな。データ元はオルゴールだって?」
「ああ。だがあれは、特定の人間にしか効かない」
「共通点は?」
「帝王院の系譜」
「…冗談だろ?藤倉は…マジかよ…」
「冗談であれば良かったがな。キングは愚かにも、ロードにそのオルゴールを持たせた。ロードはそれを悪用し、帝王院駿河の養子として迎え入れさせたのだろう」

確信している声音だ。何を何処までどう調べたのかは聞くだけ野暮だろう。実質地球の支配者に等しい男爵に、出来ない事の方が少ない。
高々日本人の後輩一人どうにもならない男は、それ以外は万能だ。笑えないほどに。

「そのオルゴールは何処にある?」
「…キングが壊したとされるが、定かではない。ケイアスパンドラ、狂王を鎮める鎮魂の音色。一説では人の声だと言われていた様だ。現物無き今、確かめる術はない」
「オリオンってのは生きてるのか?」
「何故そう思う?」
「いや、悪い、気になっただけだ」
「…実に面白い男だ。良かろう、暇潰しに付き合え」

がらりと、神威のデスクの引き出しが開く音。
抱えた白い手が取り出したのは、水晶で作られたチェス盤だった。

「何だよいきなり」
「俺が勝ったら、」

高坂日向にとってパンドラの箱とは、目の前の男そのものだ。



「お前に希望をくれてやる」

一体、何を考えているのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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