帝王院高等学校
屠られし虚無より蘇る刹那の讒言
「一時間17分」

パーカーのフードを目深に。
浮かない程度のサングラスは、薄い色合いのレンズ。

何処にでもありそうな安い造りのラブホテルから外へ出て、ほんの数歩。タクシーへ乗り込む背中とは真逆の方向へ歩き始めた時、電信柱に背を預けた男がバイクに股がったまま声を放った。

近頃めっきり肌寒い末秋に、肌が殆ど見える様なざっくり編まれた七分袖のセーターとタイトなレザージーンズを纏う男の頭は、ヘルメットの中だ。
隠しきれない存在感は大型バイクと共にその男から滲み出ていた。気づかない振りで通り過ぎようとしたが、目の前で口を開いた男を無視するほど面倒な事もないだろう。
無免許ではないのかなどと言う皮肉など言う気にもなれない。

「なあんですか、怪しいヘルメットのひとー。ハゲてるならメットよりヅラがオススメだよお?」

182cmの神崎隼人より少しばかり背の低い、黒地に二本の赤い斜線があしらわれたフルフェイスをゆったり外した男の、深紅の眼差しが射抜いてくる。
およそ一般的には存在しない、明らかにカラーレンズだと判るその双眸が、こうも似合う男もそう居ないだろうと思った。たった数ヶ月、仕事と喧嘩に明け暮れたサマータイムはとうに終わりを告げている。

「呼び止めといてスルーとか、ちょー萎えるんですけどー」
「何も言えねぇから言葉に困ってんだろうが、察しろ。他人の空似・見間違え・百歩譲って男装・一万歩譲ってバイト、捻り出した選択肢のどれもを裏切りやがって」
「はあ?…ああ、成程ねえ。自分とこの犬が盛ってた相手が雄犬でえ、驚いちゃったんだあ?あは、百歩譲るまではよいと思うけどお、現役モデルの副業なんて学業以外有り得なくなあい?」
「馬鹿抜かせ、テメーの本業は高校生だろうが」
「お勉強なんてお馬鹿さんがやる事ですー」

一歳差とは思えない貫禄に嗜虐心を燻られない事もないが、容易く勝てる相手ではない。今の所、弱点は皆無だ。
今では弱味を探るつもりはなくなった。利益を求めず己が思うままに生きる享楽的な人間に、計算で敵う筈もないのだ。

「…お前まで男も女も見境なしかよ。とんだ尻軽野郎を拾ったもんだ」
「やだー、このひと嫌味言う為に待ってたのお?誰と一緒にしてんのか知らないけどお、ストーカーチックで迷惑ですー」
「デケェ男がブってんじゃねぇ、女々しい上に気色悪い」
「パパはかわゆいって言ってくれたもんねえ」
「総長に通用すっからって、俺に通用すると思ってやがったのか?…はっ、俺も舐められたもんだ」

嘲笑う様に唇の端を吊り上げた嵯峨崎佑壱の、長い深紅が舞う。空っ風がフードの隙間から入り込み、首筋がヒヤリと冷えた。

「テメーが腰振った相手の素性、判ってんのか」
「振ったのはどっちかってゆーとあっち?騎乗位ってあんま好きくないんだけど、たまにならよいよねえ。楽だしー」
「お前の性癖なんざ知らん」
「そんなにさっきの奴が気になんのお?貸してあげてもよいけど…なんて、冗談だよー。怖い顔しないでよねえ」

他人事ながら、寒くはないのだろうかと考える。寸足らずの袖から伸び出た腕は隆起しており、褐色の肌は見ただけで硬質的だ。柔らかさなど欠片もないのが、触らずとも判る。
レザーに包まれた太股の太さにしても、同じ男として比べる気にもならない。

「ただのミーハー野郎だよー。最近カフェの近くウロチョロしててうざかったからあ、害虫退治〜?みたいなー。カナメがヤキ入れて追っ払うってゆってたの。あんな細っこい子に、酷いよねえ?」
「害虫なんざ放っとけば良い。いつ俺がテメーらにンな事を頼んだ」
「あ、ついでに、尻軽ってやつー?話し掛けた二時間後にはあ、ホテル行ってたからねえ。一回目はここじゃないホテルだよ?プールつきの部屋があってねえ、紹介しよっか?」
「…はぁ。後でメールしろ」
「おっけー」

同じホテルは立て続けに使わない主義だとてらいなく宣えば、佑壱は眉を跳ねて『俺もだ』と返してくる。その答えは、想定外だった。
仲間内の評判では、面倒見が良く、料理の腕はプロ級、手は早いが、短気ではない。女々しい事が何より嫌いで、女の顔はどれも同じに見えるが口癖で、歴代彼女の共通点は、年上だけ。

カルマで最も経験人数が多いのではないかと囁かれるほど、以前は女遊びが酷かったらしい。らしいと言うのは、それを隼人が見た訳ではないからだ。
曰く、フェミニストのシーザーは女と猫が絡むと狂暴になると言う。カルマの実質トップと言えば、頻繁に野良猫や捨て猫を拾ってくる事は知らぬ者が居ない事実だが、隼人はまだ、彼が本気で怒った光景を見た事がない。たった2ヶ月余りでは、当然だろうか。

「お前の馬鹿さ加減に頭が痛くなってきた。その尻軽害虫野郎は、高坂の親衛隊長だ」
「へえ」
「その様子じゃやっぱり判ってやりやがったな。つくづくタチの悪い餓鬼だ」
「なーに?ABSOLUTELYとは揉めたくないって事?あは。お兄ちゃんが総長なんだっけ?眉毛と唇の形以外、笑えるほど似てるもんねえ」
「ゼロが仕切ってたのは去年までだ。今は違ぇ」
「ふーん?何だか煮えきらない顔。あ、そっか。今年カイチョー替わったんだっけ?海外から来たガリ勉野郎がいきなしカイチョーとか、マジ受けるよねえ。学園の質、落ちすぎ」
「全科目満点の帝君だぜ。俺やテメーよりずっと優秀だろ」
「あっは。ねえ、サブボス。金髪チビと猫被り眼鏡、誰が一番面倒?何にそんなビビってんのお?」

半分は皮肉だ。
隼人とて、叶二葉と高坂日向を知らぬ訳ではない。特にあの叶二葉に至っては、いつか殴ると言う目的がある。完膚なきまでに潰されたが、負けたつもりはなかった。
シーザーを初めて見た時に得た圧倒的な陶酔感に比べれば、あの程度の敗北は一時休戦の様なものだ。いつか必ず復讐を。

「ガリ勉」
「…冗談でしょ?」
「二年Sクラス大河朱雀。お前の元クラスメートの実家、知ってるか」
「まあね、それなりに知ってるー。ユーヤ君のイトコでえ、アイツこそ男も女も見境なしの精子じゃん。隼人君がお仕事頑張ってる間も種蒔きに忙しいみたいだしねえ。種蒔き過ぎてえ、風紀インチョーにボコボコにされてえ、あは、死にかけてんでしょお?ちょー受ける」
「表向きにはな。何でその大河が黙ってると思う?」
「…何が言いたいわけ?」
「今のABSOLUTELYには関わるな。悪い事は言わねぇ、アイツとはもう会うな。高坂にバレて突っ掛かってきたら、俺が間に入ってやっから」

理由はともかく、関わりたくないと言う言葉は嘘ではないらしい。敵のアジトに等しいカフェカルマへ足繁く通ってくる高坂日向に対して、頻繁に追い返そうとしたり怒鳴りあげたりしている佑壱を何度も目にしたが、此処まで悲痛な理由がある様には到底見えなかった。
初耳中の初耳だ。舎弟の不始末の責任は取ると言わんばかりに真っ直ぐ、迷いのない目で見つめられ、隼人は唇を噛んだ。

「いつもなら責任転嫁なんて男らしくないって言いそうだけど、どんな心境の変化?」
「誰しも逃げ道はあるもんだ。ヘドロまみれの排水だって、暗渠の先で真水に生まれ変わる」

恐らく佑壱自身の問題が前提だろうが、他人の尻拭いを買って出るなど、気が知れない。


「どうするかはあ、自分で決める」

負けず嫌いの虫が騒ぎ始めた。
天邪鬼は承知している。料理だってそうだ、何度要らないと言っても食べさせようとしてくる熱意、端的に執拗な押し付けに諦めた節があった。どうせ従わなければならない事など判っているのに、逆らわずにはいられない。この感情は自分でも意味不明だ。

「皆からママ扱いされてさあ、本気で親になったつもりなわけ?笑わせないでよねえ、アンタも皆も全然他人じゃん。何でO型って押し付けがましいの?ほんとやだ、マネージャーのババアもO型なんだよねえ。…面倒臭っ」
「血液型なんか気にすんのかテメー、糞小せぇな」
「あは、チビなお宅より大きいけど?どいつもこいつも馬鹿みたいに騒いで食べて飲んで寝て、でも最後には別の家に帰ってくの。それって何て言うか知ってる?サブボスの髪の毛とおんなじい、赤の他人ってゆーんだよお」
「別居中の家族なんざザラに居るだろうが。反抗期は判ったから、言う事を聞け」
「アンタ文系だけ毎回満点なんだってねえ?ボキャブラリー多かったりすんの?論破出来ると思ってる?」
「わざわざンな面倒事するかよ。言葉なんざより力だ、効率が良い。その程度テメーの軽薄な頭でも判るだろ」
「さあ?隼人君の脳味噌はドロドロに溶けてえ、きっとアンキョってとこに流されてっちゃったからあ、今頃お水になってるかもお」

話は終わりだとばかりに目を逸らし、星がちらつき始めた茜色と群青のグラデーションに染まる空を見上げた。薄い色合いのサングラスとは言え、スカイブルーのレンズ越しの秋空は、何だか無機質に思える。
白熱灯に慣れると蛍光灯を白々しく感じる様に、乾燥した気持ちになった。

「良いかハヤト、俺にも考えがある。いつまでも捻くれてっと、今回の件、総長の前で高坂に頭を下げるぞ」
「な…に考えてんの?嘘でしょ?」
「本気と書いてマジ、真剣と書いてもマジだ。俺の取り柄は馬鹿真面目です」
「嘘つけ!目ぇ逸らしてんじゃんか!」

背中に投げつけられた言葉へ振り返る。
そんな事をすればなし崩しに、全てがあの男へ知らされてしまう。あの男を前に隠し通せる自信が、隼人にはなかった。自白しろと囁かれたら恐らく、応えてしまう。

「ボスは関係ないの!当てつけはやめてよねえ!何ビビってんのか知らないけど、要はバレなきゃよいでしょ?!」
「ABSOLUTELYの実態はクラウンマスターの近衛兵だ。高等部の奴らは大体知ってる」
「…クラウンって何?」
「マジェスティは常に皇帝を指す。中央委員会会長、ランクS。0でも1でも2でもない、Xの」
「0と1は何となく判るけど、2とイクスって何?」
「順番みたいなもんだ。…頼む、俺は戻りたくない」

がばりと頭を下げた男の長い髪が垂れ下がり、頭頂部に幾つか散った白いメッシュに複雑な色をしている空から、影が落ちた。
また、全身を撫でた黍嵐に体がぶるりと震える感覚。僅かに粟立つ肌が痒い。

「中央書記の癖に職務放棄してんのって、それが理由?揉め事起こしたら連れ戻されるみたいな?」

曖昧に頷いた男を見やり益々煮え切らない気持ちになったが、詰めた息を吐き出す。ちりっと乾いた唇に痛みが走った。

「別に答えなくてもよいけど、だったらそっちも今日の事ボスには絶対に言わないで」
「何でだよ?お前の手癖の悪さなんざ今更、」
「カナメだってユーヤだってアンタだってやってんじゃんか。…何で俺だけ駄目なんだよ、意味判んね」
「あ?…まさか」
「やっと判ったあ?害虫の目的はボス。ただでさえ毎日ストーカーが押し掛けてくるっつーのに、オージを餌に近づいてくるかも知んないわけ」

隼人がカルマに足を運ぶ度に、王冠のクッションの隣にはあの金髪が座っている。色素が薄い元々の髪色が気に食わず、更に色を抜いている隼人のそれとは違い、天然物の色合いは何と艶やかな事か。
見る度に苛立ちを煽ってくるが、隼人と比べれば大人と子供ほど身長差がある為、イマイチ手が出ない。

毎回、総長の見えない所で健気な嫌がらせをしている佑壱を意に介さず、それこそ健気に毎回やってくる。あれがABSOLUTELY副トップだと言うのだから意味不明だ。明らかに叶二葉の方が上に思える。

「オージに足開いてるアバズレの癖に、シーザーに会わせて欲しいとかほんと舐めてんのって感じ。ケンゴは乳しか興味ないし、ユーヤは何考えてんのか判んないし、カナメもアンタも女追っ払えばよいと思ってんでしょ?男子校育ちの親衛隊持ちの癖に、危機管理能力ってもんがなさすぎなわけ」
「…悪かったよ、気づかなくて」
「最初の方はボスボス煩かったけど、最近はそうでもないからあ、飼い慣らせて来たって感じかなあ。…ボスがあんなん相手にするわけないっつーの、身の程を知れゆるまんが」
「おい本性出てんぞ。にしても、無自覚過ぎる総長のエロフェロモンどうにかなんねぇのか。よりによって今度は高坂の親衛隊…」
「もう仕方ない事なんですよお、ボスを見てるとお、モテまくってるこの隼人君までもムラムラしてしまいますしい」
「マジか」
「ちょー本気と書いてマジ」

言うつもりはなかっただけに恥ずかしくなり、道端に落ちていた小石を蹴ったが、小石ではない様だ。何度蹴ってもなくならないので目を凝らせば、踏まれて汚れたガムだった。

「会うなって言うなら会わないけどさあ、他の方法あんの?あのオカマ野郎の行動把握しとかないと、後々面倒になんない?あの強烈な親衛隊の隊長なんてさあ、目を離した隙に何するか判んないと思うけどねえ」
「…他の方法っつったって、飼い主は高坂だ。奴に責任取らせるにしても、ただ総長に会いたいだけって言われたらどうしようもねぇだろうが。そもそも俺は高坂に死ぬほど嫌われてる。これを期に立場が弱くなるのは御免だ、あんなドカスチビの言いなりになるとか死んでも有り得ねぇ」
「だからあ、バレなきゃよいんでしょー?バレないと思うけどねえ」
「んな簡単に、」
「オージって、ローテーション組んでるんだってさあ」
「ローテだぁ?何のだよ」
「エッチする相手。見た目に似合わずあっちが凄いからあ、親衛隊の数が未だに一番多いんだってえ。サブボスの親衛隊はゴリラしか居ないよねえ、大違い」
「俺に親衛隊なんざない」

ぼすっと腹に投げ込まれたヘルメットを条件反射で受け取り、顔を顰めた。何と言う馬鹿力だろう、肋骨が折れる所だった。冗談ではない。

「最近また入隊希望の数が増えて、隊長なのに全然相手にして貰えなくて溜まってたってほざいてたよ?ハヤトハヤト鬱陶しいからあ、マジ途中で二回萎えたもんねえ」
「テメーの粗末なチンコはいずれ俺が切り落としてやる。…本当にバレねぇだろうな。どんな奴にしろ、そいつは高坂の恋人に近い。叶にすら負けたお前に高坂の相手は無理だ」
「あんなチビにそこまでビビるの?」
「榊が抵抗出来ねぇまんま袋叩きにされてる所を、奴ぁ一人で収めたんだ。日本最大組織っつっても遜色ねぇ、関東ヤクザを纏め上げる光華会の跡取りだって判ってんのか?」
「ヤクザとか社会のゴミじゃん、消えたらよいのに」
「必要とする人間が存在する限り、消えやしねぇ。特に人間なんつーもんは数が少ないものを保護する傾向にあるからな」
「ふーん。たまには普通の事言うんだねえ、おったまげー」

目から火花が出るほど痛い、強烈な拳骨を喰らった。
抱えていたフルフェイスの重みがなくなって、視界が黒に染まる。

「ちょ、」
「昼メール送ったが、どうせ見てねぇんだろ。全員集合だ。今日は昼に商店街掃除で掻き集めた落ち葉とゴミを燃やすついでに、焼き芋を喰う」
「焼き芋???」
「総長が歩道橋の前で困ってた婆さんを助けて、山ほど貰ったんだとよ。…馬鈴薯」
「じゃがいもかよ」
「馬鈴薯はともかく、芋の話を聞いてスイートポテトでも作ろうかと思ったら、焼き芋をお望みだと。俺のスイートポテトは焼いただけのさつま芋に負けたのか、畜生」
「ねえ、男臭半端ないヘルメット勝手に被せて何処に乗れって?さっきからこの袋何だろって思ってたけどお、中身さつま芋じゃん」
「しっかり抱えて乗れ、テメーは掃除サボった罰だ、焼き係に任命してやる。拒否権はない。総長命令だ」

今晩はエビカツの気分だったとぼやけば、焼き芋は食後のデザートだと説明された。それならば拒否するつもりはないと渋々股がったバイクが震動を始め、やがて走り出す。

途中でパトカーに追い掛けられて芋を幾つか落としてしまい、二発目の拳骨を喰らった。ノーヘルで真っ赤なロン毛が渋滞中の国道を嫌い歩道を堂々と駆け抜ければ、お巡りさんが発狂しない筈もない。
今はただ、明日のニュースの芸能面に載っていない事を祈るばかりだ。


「ハヤ、唐揚げを食べるとカサカサな唇があっと言う間に艶々になるぞ。大変だカナタ、この唐揚げは剥がれた衣すらうまい」
「総長っ、それは破れたキッチンペーパーですよ!」
「ユーヤン、ポテトサラダのハムだけ残すとは何事だ。そこは俺が涙を飲んで食べてあげよう、あーん」
「総長、甘やかしてんじゃねぇっスよ!好き嫌いすんなユーヤ、やんのかコラァ!」

ポテトサラダと唐揚げと言う、ご飯のお供には余りにも心許ないディナーに沸き上がる男共の中、神崎隼人14歳は心のデスノートに嵯峨崎佑壱の名をしっかり書き込んだ。心の油性マジックでしっかり、だ。

エビカツのソースがハニーマスタードだった事は、生涯許さないだろう。






















「ユーヤさん、何してんの?」
「オメーみてぇなお子様には理解出来ねー、高尚な作業だぜ?高尚過ぎて、見てても判んねーだろうが落ち込むなや」
「…落ち込んでないっ。何にもないとこ掘ってるだけじゃんか!」

スマホのライトを当てている加賀城獅楼は眠たげな目を擦りつつ、切ない溜息を零した。ブレザーのポケットから掴み出した胡瓜を一口齧り、片手にスコップを持った男は緑の瞳を細め、

「ふー、疲れたぜ。おっさんには辛い作業だ。シロ、代われ」
「えっ?待って、これほんとに何してんの?!おっさんって、おれら同級生だよねっ?」
「うっせー。耳元で喚くなや、殴りそうになんだろうが」
「…蹴ってから言わないで」

尻を蹴られた獅楼は不満を隠さず、ぶつふつ文句を吐きながらスマホとスコップを取り替える。ヤンキー座りで胡瓜をボリボリ貪っている藤倉裕也に、これ以上何を言っても無駄だ。ベジタリアンな中年にしか見えない。

「はぁ、結構この土、固いなぁ…。っつーか、どこまで掘ったらいいの?」
「知るかよ」
「えっ?」
「んなもん、何か出るまでだろ。黙ってそこ掘れやワンワン」
「おれ犬じゃな………犬だった。カルマのワンコだ」
「大丈夫だぜ、オレも犬だ。仲間だなシロップ、仲良くしよーぜ」
「仲間は普通蹴ったりしない…」
「あ?」
「何でもないです」

裕也がほんの数分掘り進めた場所を、獅楼はひたすら掘り続けた。こんな所を風紀にでも見つかれば大事だが、その場合、裕也に脅されて仕方なく…と言う予定だ。
大体、在校生の何人がこんな所に足を運んでくるのか。幾つもの塔が重なる校舎の裏、庭と呼ぶには草木の繁った場所には、恐らく日中も日が差さないと思われる。部活棟が立ち並ぶ、校舎で最も短い離宮塔を背後に、BGMはボリボリ。

「あー、静かだな。繊細なオレのハートが泣いてるぜ」
「繊細の意味知ってる?」
「…意外に毒舌だな。殺されるか慰謝料払うか、今選んでも構わねーぜ?」
「すいませんでした」

スイマーから生まれたとほざく工業科三匹は、親が呼んでるから帰ると宣い、帰っていった。オメーら煩いから要らね、などと引き留めなかった裕也に引き摺られた獅楼に、拒否権など勿論ない。

行事中はルームメートに気を遣い、部活棟で寝泊まりする体育科の生徒も多く、離宮の窓にはポツポツと光が点っていた。
校内の飾りつけやイルミネーションの設置などで連日肉体労働を強いられた彼らは、各施設で利用可能なチケットを手に、一時のリフレッシュ中だ。

そんな中、獅楼の親戚が所属するバスケット部が、こっそりバーベキューしている場面に遭遇した。

何処で用意したのか、カセットコンロを囲む体育・工業科の数人は、食後のクレープを楽しみながら恋ばなで盛り上がっていたらさい。獅楼は気づかなかったが、Fクラスの生徒も混ざっていた様だ。
体育科には部活動は必須科目だが、それ以外の生徒は任意で各部へ入部する事が出来る為、普通科やFクラスの生徒が仲良く会話している光景も決して珍しくはなかった。ただSクラスやFクラスの生徒の数は、あからさまに少ない。

そんなささやかなお楽しみ中だった彼らを、藤倉裕也は真顔で脅迫した。
食べ尽くされた肉類のパックが散乱する傍ら、工業科の畑から収穫したと言う野菜袋に残った、胡瓜とトマトを手に入れた裕也の代わりに獅楼は頭を下げまくり、ここまで辿り着いたのだ。
その際、工業科の生徒からスコップを取り上げた裕也が何を考えていたのかは、未だに判らない。本人も判っていないとほざくのだからお手上げだろう。

「暇すぎて寝そうだぜ。何か話せや。ゴシップと恋ばな以外で、オレのお勧めは歴史ネタだ」
「鳴くよウグイス」
「アウト。オレの守備範囲は安土桃山〜江戸まで、桓武天皇はストライクゾーンに入ってねー」
「ストライクゾーンって…。気になってたんだけど、それマヨネーズつけなくて美味しいの?」
「うめぇ訳ねぇだろーが。育ち盛り舐めんな」

全く、どう言う事だ。
相変わらずカルマ四天王にまともな男は居ない。獅楼が思うに、佑壱以外は変態だ。裕也と健吾と隼人はただ怖いだけ。初等部時代は記憶にはないが、中等部時代は話し掛けた事もない。
要に至ってはカルマに入ってから恐ろしくなった。四天王にまともな男は居ない。大事な事だから何度も言っておく。

「ユーヤさんは偏食過ぎるよっ。肉類あんま食べないし、」
「オレの母親は、吸血鬼の末裔の知人の隣人の町内会長の親戚の行きつけの居酒屋の常連の顔見知りだったからよ、トマトジュースと薔薇ばっか喰ってたな…。懐かしいぜ」
「はいはい、絶対嘘。その無理がありすぎる設定、赤の他人じゃん」
「オレがいつ嘘なんか吐いた。オレは今初めて嘘を吐いたんだぜ?」

確かに、裕也は何を食べようとうまそうな顔はしない。いつもの事だ。食べると言う行為に執着がない様に思える。
基礎代謝が良すぎるのか、頻繁に腹が減る健吾や早食いの隼人は我先に皿へ手を伸ばすが、裕也に至っては余り物をもさもさと齧っている様な印象だ。

「はぁ、それがもう嘘。焼き肉は食べた後で吐いてるよね?しじみの味噌汁は飲むのにホタテは嫌がるし、彼女は次々変わるし…」
「オメー、しじみの底力舐めんな。あれスゲーぞ、身を穿ってたら寝るの忘れちまうんだぜ?しじみの魅力の前じゃ、女に振られるなんて小さい事だぜ」
「そんで寝過ぎ」
「人間の三大欲求言ってみろや」

ごしごしと袖で拭ったトマトを齧り、藤倉裕也はぼそり、『酸っぱい』と呟いた。途中から裕也の手にあるスマホのライトがあちらこちらに彷徨っており、獅楼の視界は真っ暗だ。
闇の中で欠伸を発てた男が、飽きている事を教えてくる。

「食欲、睡眠欲、排泄欲?」
「入浴、性欲、ニューヨークに決まってんだろ、ど阿呆」
「さいですか」
「さらっと流すなや、オレ泣くぜ?顔文字で泣いてやるから見とけ」

スマホをポチポチ弄った裕也は扱い方が判らなかったのか、真顔で獅楼のスマホを投げた。

「ちょ、おれのケータイ!」
「ここに書いた」

裕也が地面に指で書いた何かを、掘ったばかりの穴に投げ込まれたスマホを拾って照らした獅楼は、会話を諦めた。

「慟哭だぜ」

裕也曰く、号泣の表情が『\(^o^)/』だったからだ。これは健吾にチクるしかない。それ以外に方法が見当たらない。もしくは獅楼が心から愛している佑壱に。それが最善だろう。
俊にチクるのは勇気が要るからだ。

「ユーさんにチクってやる」
「副長は戻ってこねーかも知れねーぜ」
「え?」
「光王子に取られちまったからよ」
「また嘘」

じゅるじゅるトマトを啜る音が響き、ブロッコリーと言う呟きが聞こえてくる。獅楼は無言でスマホを裕也へ押し付け、スコップを握り直した。

「おれ知ってるもんね。ユーさんが光王子と仲良くするのは事情があるんだよっ。だって前からだもん」
「あー?前って何」
「北緯さんがノーサが仕切ってる報道部を辞めたのも、ハヤトさんが光王子の親衛隊と…その、お付き合いしてるのも、ユーさんの為なんだ。…あ、これ言っちゃ駄目な奴だっけ?」
「ホークが報道部辞めたのは、スパイだった時の為の保険だぜ。Aに落ちたのは一回だけで、すぐSクラスに戻ったしな。降格したくねーなら、あれが辞め時だぜ」
「やろうと思えば出来るじゃん。山田だって庶民愛好会に入ってたし、カナメさんも中等部の時ちょっとだけFX研究部入ってたよね?」
「知らね。誰に聞いたんだよ」
「カナメさん」
「意外と情報通だな…」
「中等部一年の時、ケンゴさんが空手部に飛び入り参加して追い払われた事もあった。おれ偶然見たんだ」
「あー…あれか。女に振られてヤケクソになってた時か」
「3日で振られたって物凄く怒ってたよ」
「オレも蹴られたぜ。3日経ったらけろっとしてたけどな」

健吾の怒りが持続しない事は有名だ。
そもそもああ見えて、怒る事がほぼない健吾は大半が怒った振りだ。獅楼は違いが判らないが、裕也は理解している。喜怒哀楽のほぼ全てが、高野健吾の中から欠落しているのだ。

「ユーさんは、ケンゴさんには言いたくないんじゃないかな。カナメさんだって、ハヤトさんには掃除しろとか好き嫌いするなとか命令するけど、ケンゴさんとユーヤさんにはあんま言わないじゃん」
「ただもんじゃねーな。オレの弟子にしてやるぜシロ」
「弟子希望の兄貴達をケンゴさんに押し付けたの、ユーヤさんじゃん。おれはユーさんと榊の兄貴の弟子!」
「そら将来は売れねーホスト確定だ。ヤクザに嬲られてコンクリ浸けにされて…東京湾だな」
「ひ!ユ、ユーさんが助けてくれるからっ」
「馬鹿かよ。助けて貰わなきゃなんねー様な雑魚、副長が助けると思ってんのか?」

瞬いた獅楼は、口を閉ざした。
ぎゅっとスコップを握り、掘り投げた土を一ヶ所に固めていく。

「…ヤクザなんか、おれやっつけるし。諦めが悪いのがおれの長所!ユーさんにそれだけは誉められたんだ、殺されたりしないよっ」
「オメー、実はハヤトの弟子だろ?」
「ハヤトさんだけは絶対イヤ!」
「任せとけハヤトに伝えとくぜ」
「こここ殺されちゃうよぉう!」

スコップで見えない足元を探り探り、何とか掘り進める。

「…あれ?」

もしかしたら墓穴を掘らされているのかも知れないなどと恐い事を思い当たった時、スコップの先が何かに触れた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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