帝王院高等学校
煌めく夜空に4989なエセホスト!
カタン、と。
壁全体が音を発てた。

「…どうしてだろう」
「はい?」

モーターが回る音が微かに聞こえてくる。
エスカレーターよりまだゆったり、空間が動いている気配。重力負荷を感じさせない、まるでモノレールの様な。
呟いた台詞に首を傾げた男は、返事がない事に文句は言わなかった。哀れなほど従順に、名を呼ばれただけの犬の様に。

「形が浮き上がるにつれて面白味がない事に気づいていく。だとしたら俺は、俺ではないのかも知れない」
「…」
「俺は全てを知っていた。けれどそれが間違っていたとすれば…」

外に、月はあるのだろうか。
唐突に思い当たったが、確認する術はない。モーターの音は雑踏の中で微かに。
床を宥めるよう爪先で蹴っていた足を止め、伏せていた目を上げる。

「この部屋にはどうして窓がないんだ?」

囁いた台詞に、反応したのは一人だけだ。
従順に待ち構えていた彼以外にはどうも聞こえなかったらしい。そうだろう、以前からそうだった。
努めて誰にも声を聞かせない様に、普段から小声で話す癖がある。人の耐性がいつ出来るのか、いつも不安だった。

おいでと呼んでも決して近づいてこない気紛れな猫だけが、自分を人間に近づけてくれるのだ。

「それは単に、…馬鹿げた保険です。この学園の進学科は贔屓なんてもんじゃねぇ、カビが生えた特権階級の象徴だ。羨まれる分、憎まれる」
「そっか」
「席順が階級順なんですよ。このクラスだけ別ですけど…例外中の例外だ。今までンな事一度も有り得なかった。でも今は、」
「変わらないものなんてないさ」

ああ、お腹が空いた。胃の中が空っぽだ。
無理をし過ぎている。頭の中と口で吐く言葉が真逆だった。体が獰猛に唸り続けている音がする。

「イチ」
「はい?」
「本当は、初めてお前が俺に我慢しろって言った時、嬉しかったんだ」
「え?」

我慢しようとも。
いつも一生懸命美味しいものを用意してくれるワンコがそう言うのであれば。けれど時々その目を盗んで、つまみ食いをする事があるかも知れない。

その時はどうか、母親の様に寛大な心で。

(ピースが一つずつ)
(失った物語へと導いていく)


「でもお前の拳骨は痛くない。いつか本気で怒るお前を見てみたいなァ、イチ」
「…いつも本気っスけど?」
「またまたァ」

叱って呆れて笑ってくれれば、良いと思う。

(まただ)
(また、答えがそれへ近づいていく)
(何故だ)
(それは、本当の自分から掛け離れている)
(誰が壊したのだ)
(誰が押し付けたのだ)
(これは、自分じゃない)


「天の君、カルマ特集ページのレイアウトを見て頂けますか!」
「インタビューなども予定しています!宜しいでしょうか!」
「テメーら俺らを何だと思ってやがる。大体気安く総長に、」
「イイよ。楽しそうだ」

意気地無しの泣く声が聞こえた。
そしてその声は、空腹を訴える唸りに似ている。





(この物語を描いたのは、誰だ。)






















死の定義は誰しも代わり映えしない。
幾ら取り繕ってみても、呼吸が止まり思考が停止しただの肉片となり、生涯が終わるだけだ。

多くは死を恐怖の対象として捉えている。
望んで死ぬものなど存在しない。例え自ら死ぬ者であろうと、そこに至るまでの経緯が、せめてささやかな幸福で彩られていたとしたら、一線を越える事はなかったのではないか。
恐怖を遥かに凌駕した絶望に襲われ、彼の人は生に見切りをつけてしまった。そこに些かの救いがあれば、生の執着を淘汰などしなかった筈だ。

死を受け入れるにはどうするべきかと考えた時、眠りが最も近いのではないかと考えた。人は死に慣れる為に眠るのだ。誰かが唱えたそれこそ、真理に最も近い理論ではないかと。

けれどそれもまた、生きる者の想像でしかない。

些細な好奇心は死に最も近い眠りを求めて、今も尚、真相を求めている。
結局の所、真実は誰にも理解出来ないのだろう。


人が生きている間は、どう渇望しようと。
絶対的に得られないもの。


『オールミッション、コンプリート』

エンタキーを叩いて間もなく、アニメ声だった機械音声が無機質なアナウンスへ擦り変わった。
許された制限時間は20分。予測値だ。実測ではないので、それより早く破られる危険性はある。

「ファーストを特定せよ。リング、カード、あらゆる反応で最も実態に近いものを掬え」
『了解、ワーナーズセキュリティ抗体の上書きを継続。クロノスサーバーよりウィルス放出増大、ステルシリーラインへの侵入を探知しました。排除開始…99%、一次排除完了』

窓の向こうも、ドアの向こうも、暗い。
網目状に幾重にも区切られた廊下に挟まれた部屋は、どちらの壁も廊下に面している。その廊下にもまた窓がない為、外の景色を窺う事は出来ない。

『緊急着信、マジェスティクロノスより入電を確認しました。直ちに削除しますか?』
「…良かろう、開け」
『セーフモードで受信データの展開………在籍コード:マジェスティクロノスの音声データを確認。データ更新日時は4月25日。同時にクラウンマスターファーストの行動履歴より現在地を推測しました。エリアS101、現在第二キャノンを旋回しています』

ディスプレイに校舎を模した図面が写し出される。
緑の点滅を繰り返す光が、ゆっくり稼働していた。生徒には縁のない業者搬入経路を辿り、エレベーターに接続を繰り返し、同じ場所には留まっていない様だ。正規の場所からこの数時間で随分遠くまで動いている様だと通過経路の履歴を目で追って、息を吐いた。

その一角だけ、あてどもなく彷徨っている様にしか思えない。

「一年Sクラスの教室だな。手動でモードチェンジを継続するとは、一人二人の手腕ではあるまい。…俊自らが操作しているのであれば可能だろうが、斯様に浅慮な振る舞いをするのか」

それぞれの教室、特別教室、講堂にはカメラが設置されている。
Fクラスや国際科の様な、通信制クラス向けにカリキュラムを実況放送したり、録画する為のものだ。セキュリティも勿論、兼ねていた。然し放課後は警備室からの指示で停止する為、今現在、カメラは動いていない。
佑壱が俊と共に行動している可能性は低くはないだろうが、逃げているにしては不毛な行動だと言うより他なかった。幾らセキュリティを敷こうが、神威の権限の前では無意味だと判っていない筈がない。

何せ佑壱は、既に自分が会長登録されている事など知らない筈だ。

「現状の俊をあれが受け入れるか否か、どちらにしてもファーストが本気で逃げるのであれば、既に学園内にはおるまい」

愚かだとは思うが馬鹿ではない従弟の行動を幾らか予測し、個人行動ではない事は理解出来た。佑壱にとって他人の存在は、単に足手纏いだ。
だから愚かだと言っている。彼は一人でこそ完全なのだ。

媚びず、誰にも従わず、自由こそが最も似合う傲慢さこそが己のアイデンティティーだと、何故気づかないのか。誰よりも自由に餓えている癖に。

「耳の良いファーストには、スピーカーを開けば気づかれるか」
『ガーデンセキュリティカメラをライブ映像で展開します………エラー』
「ほう」
『カメラ設置位置に生体反応。映像が確認出来ません。教室内に複数のID反応を探知、反応は全て一年Sクラス在籍生である事を確認しました』
「…俊と山田太陽のカード反応はない、か。後輩を集めて何を企んでいるのか。…左席両名、それぞれのリングは?」
『コード:サブクロノスのリング反応はリブラ、コード:マジェスティクロノスのリング反応はスコーピオ内部に確認』

完全だと思われたシステムにも、こうして穴はある。携帯する事を義務付けられた学籍カードも、身につける指輪も、そのどちらも所持していない生徒を探す事は、事実上、不可能だった。

「ファーストの回線を強制的にセントラルサーバーに接続させておく。時間は懸かるだろうが、時間は限られている。私の一時的な回線が左席に呑まれる前に、高坂・嵯峨崎両名の保護者の現在地、並びにジェネラルフライアの行動を追跡させておけ」
『了解』
「少々面倒だが、致し方あるまい。…ステルシリーセントラルスクエア・イノセントオープン」
『コード:マジェスティルークを確認。ご機嫌よう、我らが神皇帝陛下』

機械音声が人間の声に変わる。
凄まじい早さで演算を繰り広げるディスプレイから目を離し、鼓膜から近い位置で聞こえてきた声音に眉間を押さえた。

「…ノイズが耳につく」
『衛星回線を解放されるほどの緊急事態の様ですが、お変わりなく喜ばしい限りです。中央情報部へようこそ、マジェスティ。ご命令は?』
「私の回線を閉鎖した。悪いが、今現在そなたのサーバーにアクセスを試みているラインがあるだろう?」
『やはり陛下の悪戯でしたか。ご心配は不要です。セントラルセキュリティを前に、侵入成功を果たした者は居ない』
「元老院が動いた様だな」
『…』
「答える必要はない。ノア崇拝は社訓でもある」
『申し訳ございません。陛下よりお役目を賜った中央情報部でありながら、全部署の監察が不足しておりました。組織内調査部に実態は確認出来ませんでした。区画保全部のサブマスターが行方を眩ませています。特別機動部管轄特務班の班長以下30名のランクBも休暇申請を受理されており、』
「もう良い」

演算を続けていたディスプレイに、ウィルスチェック終了と表示された。大袈裟なほどのセキュリティチェックを通過したデータは、純粋な動画データだったらしい。
ほんの数分ほどのデータを、幾らか躊躇ってから、再生する。

『元老院の現長老は、キング=ノアを崇拝する、旧特別機動部サブマスターです』
「ああ」
『シンフォニア計画を反対していた男でもあり、姿を消したマスターオリオンを崇拝し、後継のシリウスを憎んでいた。シンフォニア計画の指揮者であるシリウスが、アダムとイブを造り、』
「少し、黙っていろ」

ピアスから零れる雑音が、スピーカーの音を掻き消している。音量を上げて、パジャマ姿でうろうろと彷徨っている黒髪を眺めた。

『ほぇ。えっと、もう喋ってもイイのかしら…。あにょ、遠野俊15歳独身です!…ふぇ。ほんとに録画してるにょ?地味平凡うじ虫オタクなんか録画したくもないってお気持ちは、痛いほど感じておりますん』

うろちょろと落ち着きがない俊の背後は、寮の部屋ではなかった。本棚に圧迫された狭い部屋にはベッドと机がある。お情け程度の出窓にも本が並べられており、殆どが漫画の様だった。

『えっと…最近、頭の中で誰かの声が聞こえるにょ。一人じゃなくて、どんどん酷くなってるなり。夜になると偉そうな不良さんに叱られて、満月の時は偉そうな不良さんの代わりに優しい人が出てくる気がするんざます。でも、新月はスコンと記憶がないにょ。カナタは満月で性格が変わるけど、それとはちょっと、違うみたい』
「…そうか」

会話など通用しない事は判っている。
お情け程度の出窓の向こう、桃色の何かが映り込んでいた。一度足を運んだ遠野家の庭に、立派な桜の木が植わっていた事を思い出す。あの激しい雨の中、裸同然だった木には花弁など残っていなかった。
ならばこれは、それより前の映像だろう。

『えっと、来週高校入学です』

ささやかな疑問はすぐに答えを得た。

『本当は帝王院学園以外にしたかったけど、ホモホモしい気配しかしないので欲望に負けたにょ。もしイケメン俺様会長が健気受け副会長とお外でチュッチュしてたら…入学式の前に死んでしまうかも知れません。その時は誰か泣いてくれますか?ちょっと詩人なオタクです』
「俺に高坂を凌辱しろと言うか。…知らんとは言え、無慈悲な男だ」

クネクネと悶えているパジャマはカラフルな原色の黄色で、赤と青と緑のストライプが交互に入っていた。
シンプルな黒縁眼鏡は顔のサイズに合っておらず、フレームも太く、それ故に、眼鏡が自重で落ち掛けている。


『本当は…本当の本当は、ちょっとだけじいちゃんとばあちゃんと、話してみたかったのょ。ほんのちょっとご挨拶したらイイにょ』

これは、誰に捧げたものだろう。
とりとめなく喋る口許をじっと見つめたまま、残り少ない再生時間表示を一瞥した。
まるで、日記の様だ。

『だから、えっと、三年生に居るかも知れない兄ちゃんに嫌われないよーに、地味に平凡に生温くBLを眺めながら卒業したいと思ってます』

手汗が気になるのか、カメラの前を彷徨いながら、両手を頻りに握ったり開いたりしている光景には、落ち着きがない。時折大きく空気を吸い込んでは吐く音が聞こえてくるが、あれほどうろついているにも関わらず、足音は聞こえてこない矛盾。

『所詮腐男子にセレブな生活なんて無理中の無理ですし、僕には全く関係ない成人式にイチ達が来ても困るのでお手紙をそっと残してきたけど…それに関しても伏してお詫びする必要があるんではないかなァとか、思ったりしております』

まるで、獣の様だ。
警戒心の高さをひた隠しにして、人に溶け込もうと足掻く、漆黒の。

「お前が詫びる必要などない。ファーストのあれは、全て、俺の過失だ。お前は何一つ悪くなかった。初めから、今も」
『もし兄ちゃんに会えたら、兄ちゃんって呼んでみてもイイかしら。怒ってたら、謝ったら許してくれるかしら…。僕…俺みたいな出来損ないな弟なんて要らないって言われる可能性が99%だとしても、もしかしたら、仲良くなれるかも知れないにょ。その時は、』

カメラの撮影範囲から離れたり、また戻ってきたり、落ち着きのない男はクネりクネりと奇特なウォーキングを披露してから、ビシッと背を正し、ズレた眼鏡を押し上げた。目元は全く見えないが、唇を引き締めた俊の雰囲気は少しばかり凛々しい。
何を言うつもりかと食い気味に眺めるも、再生時間は残り数秒。間もなく、再生終了だ。

『その時は、…とりあえずBLの道へとハメたいと思いました。そんな事よりそろそろ本題に入りたいと思いま』
『陛下…?』

ブツッと映像が途切れた。
それと同時に耳元から雑音が割り込み、帝王院神威は人生で初めてやり場のない怒りを八つ当たりとして発散させる。

一度も座った事さえなかった自分の机を殴り付け、端末が仕込まれている天盤がディスプレイごと吹き飛んだ。ワークサーバー自体は無事なので、画面がなくなっただけだ。システムの演算には不都合はないだろう。

「…旧携帯端末での動画撮影容量など、高が知れているものを」
『陛下、あの?』
「そなたには関係ない話だ。良かろう、誰が何を企んだ所で意味はない」
『はっ。唯一神たるルーク=ノア以外に神と成り得る人間は他に、』
「こうも脆弱にして無垢な子供に、汚れた地中の偶像など押し付ける訳にはいかん」
『マジェスティ?何かお考えが?』
『元老院並びに、姿を消しているオリオンを検挙する。速やかに探索の手筈を」
『畏れながら、仰っている意味が…』
「ナイト崇拝派閥を全て捕らえ、何人たりともこの日本へ立ち入らせるな。この国は、俊のものだ。光の元でこそ映える純黒を、須く思い知らせる必要がある」

弾け飛んだディスプレイは黒く染まり、バチりバチりと火花を散らす端末の底から、カタカタとCPUが稼働する音が響いてきた。

「汚れ仕事は私が賄えば事足りる。自由を求める子供に、枷など必要ではない。…存外、奴らは辿り着けもしないだろう。真のノアは、魔法を使う」
『…魔法?それは一体どんな、』
『システムオールグリーン、クロノス侵食率87%。コード:ファーストへ通信要請を開始します』
「全社員へ通達せよ。一切の業務を放棄し、『上がれ』」
『はっ、仰せのままに!』
「我らが真の神へ近づく事は、ルーク=フェインの銘を以て許可しない」

立ち上がる。椅子が床を擦れる音。
背に何かが触れた瞬間、破裂音が響いたが振り向く事はない。

「どうしてもナイトを地中に誘いたいのであれば、総出で土下座でもするが良い。ノアではなくメアとして、俺の嫁になってくれとな」
『…え?!あの、陛下?!それはどう言う、』
「煩い」

百合の香りが鼻を掠めた。






















「はー…えげつな」

頬を叩いても鼻を摘まんでも起きない後輩から体を離し、仮眠を妨げてしまった大先輩へ目を戻す。学園長夫妻の自室やバスルームなどが並んでいる時計台四階の、ゲストルームだ。

「先に目が覚めたって言う、高坂さんは?」
「…珍しく本気でキレてるわ。あの子も最近色々問題が起きてたみたい。今にも抗争しそうな雰囲気だったわ」
「問題?まさか、一連が繋がってるんじゃ…」
「それはどうかしら。薬が抜け切ってない癖に強がっちゃって、可哀想な程ヘロヘロでね、組員を召集させるって勇ましく出てったきりよ。その辺で倒れてるんじゃない?」

グゴーと言う派手な鼾に、ベッドを見やる。
難しい表情だが静かに寝ている零人の隣、男前な男は眼鏡を掛けたまま豪快に寝返りを打った。

「あれま、えっと…脇坂先輩でしたっけ?」
「昔から修羅場潜ってきた高坂でも無抵抗で眠らされた代物よ。この子も若い頃からヤンチャしてたそうだけど、こうなったら哀れなもんね。アンタがゼロにしたのと同じ、高坂が殴っても怒鳴っても起きやしないわ。グーグー、平和なもんよ」
「まぁ、無理もないですわ。騒いだら学園長が心配しますよって、このまま寝かしときましょう」
「…アタシだって、駿河様に迷惑を掛けるつもりは更々ないわよ。彼には色々と恩があるもの」
「逃がした女の足取りについては、何か判ってるんですか?」
「ゼロと高坂、それに高坂の組員、三人に使われた催眠薬の成分が判らないの。このアタシが頭を下げて遠野病院の院長に検査をお願いしたんだけど、判ったのは、揮発性のガスじゃないかって事くらい」

荷物の様に抱えてきた父親を放り投げる様にベッドへ転がせば、何処からかやってきた執事達が手早く父親を布団で巻いていく。やり方が雑なのは、この際、目を瞑ろう。

「第一保健室の機材が隣の部屋にあったのは、そう言う事でしたか。挨拶もそこそこに出てきて悪い事したかいな…俊江さんには似てへん」
「機材もこの部屋も、高坂の息子が手配したのよ。嫌ね、父親に似ないで、こんな時まで冷静な子なんて、ほんと可愛いげがない。賢すぎてイラっとするわ…」
「はは…。ま、中央委員会の中でも、あの生徒だけは人が良いと思いますよ。少なくとも、ステルシリーとは無関係やさかい。働き者で人望もある。ただちょっと、交遊関係が派手な所がありますね」
「…あ?あん餓鬼ぁ、尻軽だと?」
「尻軽?!待って下さい、それは誤解ですわ!抱かれたいランキング一位の副会長でっせ?!尻軽っつーか、どっちかっつーと絶倫…いやいや、生徒の悪口はあかん」
「………ふー。何でも良いわよ、もう。アタシにも何が起こってるのか全く判んないわ。高坂の息子が佑壱を保護してくれるそうだから、今の所、頼るしかないわね。っと、情けない…」

年齢の割りに引き締まった体躯をドレスで包んでいる男は、化粧を落としていた。嵯峨崎航空の社長でありながら嵯峨崎財閥の会長でもある敏腕経営者の傍ら、時折、オネェタレントとしてメディアにも出ている多忙な男だ。
化粧を落とせば途端に零人そっくりな顔立ちだと半ば感心して、そう言えばと、東雲村崎は瞬いた。

「奥様はどちらに?」
「高坂の奥さんと一緒に、奥のゲストルームよ。小林を二人張り付かせてるから、滅多な事はないと思うけど…。それより、山田の所の小林が問題よ。うちの小林が鬼畜最低男なのはアタシも理解してるけど、親子喧嘩してりゃしないか」
「判りました、うちからも何人かつかせます。氷炎の君は顔見知りですし…何とかなると思いますんで、任せて下さい」
「助かるわ、有難う」

全ての窓のブラインドを下げ、メイン照明は落としたまま、灯りは間接的なものだけ。

「…本当言うとアタシ、山田から協力を頼まれた時に一度は断ったのよ。遠縁ってだけで高坂は快く了解した様だけど、冗談じゃない。だってキング=ノアに刃向かうなんて…アタシの立場じゃ有り得ないもの」
「あー…でしょうね。でも結局手伝ってますやん。何が切欠やったんです?」
「馬鹿で弱くて意気地無しな父親の、罪滅ぼし…なんてね」
「罪滅ぼし?」

呟く声に聞き返したが、返事はなかった。
肩を叩かれ振り返れば、パジャマを持っている執事達が見つめてきた。今夜はどれにするかと言わんばかりに、ずいずい迫ってくる。鬱陶しさの余り、それぞれ殴ってしまった。

「ああ、宮様…!」
「相変わらず、良い切れでらっしゃいます…!」

頬を染めて喜ぶ変態執事に、村ぱち先生は全身を鳥肌で染める。この気色悪い執事達からは逃げられない。
関西まで逃げたのに追ってきた挙げ句、歴代彼女を小姑宜しくいびりまくり、東京へ戻ってからはいつの間にか執事として収まっていたのだ。頼んでもいないのに。それぞれ中央委員会役員だったほど優秀だった癖に。ああ、鬱陶しい。

「お前ら、嵯峨崎会長と高坂会長の奥さんの警護につけ」
「そんな…宮様、嫌です」
「何故ですか宮様、嫌です」
「しっかり結果残したら、今度ゲーセンに連れてったってもええで?」
「「お任せ下さい紫水の宮様」」

変態共は鼻息荒く部屋から出ていった。
哀れみの眼差しを向けてくる大先輩から目を逸らし、携帯を開く。

「…アンタも苦労するわね」
「お気遣いおーきに。…いきなりアレですけど、帝王院絡みの株、自分等以外に買い戻してるのって、会長はんだったりします?」
「その件についてはノータッチよ。アタシが動けば、気づかれない方が無理な話だもの。山田…いえ、あの我儘お坊っちゃんでしょう」
「我儘お坊っちゃん?」
「アンタの飼い主よ」

東雲村崎がこの世で最も苦手とする男を思い浮かべた。
何せ初対面が宜しくない。初等科に在籍していた当時六歳の村崎の前で、当時中等部のネイビーグレーを纏っていた男はオフホワイトのブレザーを纏う生徒にのし掛かり、まるで獣の様に。

その行為の意味を村崎が知ったのはそれから数年後だったが、あの男は見られている事に気づいても、ただただ冷静に、相手を煽り続けたのだ。

「や、でも、あの人には無理やと思いますけど…」
「どう言う事?」
「ご存じですよね?マジェスティ…やのうて、秀皇先輩はけったいな特技をお持ちです。お陰様で、最近まで夢遊病みたいな状態やったんですわ」
「それについてはある程度理解してるつもりだけど、具体的に帝王院の催眠ってどこまで効果があるの?」

何を今更と思わなくもないが、これが一般人の反応かと不意に納得した。当然の様に受け入れている方が可笑しい話だ。確かに。

「私が知る限り、駿河会長は本物のカリスマよ。本音を言うと、若い頃は憧れたわ。でも、あの人にはそんな変な力なんて…」
「嵯峨崎会長の在学時に今の学園長が就任したんでしたね。ほな信じれへんのも無理はないでしょうが、俺らの代で、秀皇先輩に逆らえる奴なんか居れへんかったんですよ」
「それはあの子に親譲りの雰囲気があるからじゃないの?」
「それはそうや思います。けど十代のケツの青い餓鬼には、あの人の声も目も強すぎたんですわ。耐性あった山田先輩すらあの人に惚れ込んでもうた。自分の意思かそうでないのか、本人にも判ってへんそうです」
「良く判らないわね…」
「困った事に、秀皇先輩が尊敬した相手がおった。その男にゃ一切効かへんかったんです。自分の力が使えてたら学園を追われる事なんてなかった」
「それがキング…いえ、シンフォニア、アダム=ロードって事ね」
「…みたいですね。力が強い代わりに操縦が不安定って言ってましたから、定期的に掛け直さないと綻んでくんです。山田先輩の声も、あの人には耐性があり過ぎた。二人で同時に催眠を掛けて何とか、自分を騙し続けてきたそうですよ」

ああ、何故自分の事の様に熱弁せねばならないのか。
可愛い教え子には苦労を掛けたくないからだと己を納得させたが、恥ずかしさに埋まってしまいたくなっただけだ。


担任も楽じゃない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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