帝王院高等学校
結ばれた誓いの発端
永遠に続くと信じていた密かな誓いが壊れるのは、一瞬だった。
数多の嘘で雁字搦めだった全ての過去を、唐突に投げつけられた気分だ。
何故このタイミングで、などと。
縋る様に宣った所で、現実と過去の全てを受け入れる余裕などない。

「ざまあみろ」

そう勝ち誇った声音で牙を剥く男もまた、脳裏で同じ様に混乱していたのだろう。嘲笑う様に細められていた眼差しが解け、何が起きているのか判らない様な表情だ。

今、世界には理性も本能もなかった。
たった今、嘲笑う唇から毒を吐いたばかりの男は、自分が何を言おうとしていたのか忘れたと言わんばかりに忙しなく瞬いて、何度も唇を震わせている。

けれど。
欠片ほどの濁りなく純粋な殺意を秘めて、言葉は刃として全身を貫いたのだ。魂の破片も残さず、砕く様に。



「俺が死ぬ時、…お前を連れていく」

呼吸とは何だった?
願いとは何だった?
圧倒的な引力を前に一切の抵抗が無へ還る刹那、

「逃げられると思うな」


ああ。
思い出して、しまった。

(魔法が解ける様に)
(一切の容赦なく)
(最早、捧げる言葉など何もない)



「お前は最初から、俺のものだ」

血を捧げる前に与えられた、罪の始まりを。



















Record from first: Dear our promise.
 結ばれた誓いの発端








「…さて、無駄話が過ぎたかの」

父親を連れた東雲村崎が部屋を出ていくのと同時に、それまで世間話を続けていた白衣が声を潜めた。
風呂に入ると言って東雲親子に続いて出ていった学園長の姿もなくなると、自分だけが浮いている様に思えてならない。

「東雲教諭だけならまだしも、叶の子には聞かせられん話がある。師君、いや、灰皇院当主たるお主にも、聞いて貰いたい。朝まで懸かるかも知れんが、よいか?」
「はい。僕は…聞いてもいいなら、是非。こちらも窺いたい事ばかりありますから…」
「察するに、ステルスの内情ではないか?そうだのう、手始めに…本社が何処にあるのか、気になっておるのでは?」
「えっ」
「はっは。若いのう、師君は皇子より嘘が下手だ」

見た目は同年代にしか見えない男の言葉に閉口する。
恐ろしいほどの若作りだと今更嘆いた所で、慣れる他なかった。指摘された通り、疑問はそんなものだ。今更知った所で何を企んでいる訳でもない。ただの好奇心だ。

「大陸の半分が我らの領域だ。南の果てはアルゼンチン、北はシアトル。カナダとの国境付近から、例えて…巨大な十字架だろうか」
「十字架?」
「西の果てはサンフランシスコ、東の果てはニューヨーク。マンハッタンに表向き証券会社として事務所を置いてあるが、所詮はランクDの名無しよ。我らランクAには会う事も許されない、お飾りの経営者が運営している」
「…あの、ステルシリーってそんなに広いんですか?勝手に想像したんですが、日本列島が入りそうですよねー?あはは…」
「さて、面積は同じくらいではないかのう。先日戻ったばかりだが、儂の知るエリアは少ない。そもそもセントラルは、常に広がり、不要となれば消えていく」

言葉足らずなのだろうか。
説明の大半が理解出来ないので勝手に想像するしかない様だと半ば諦めた時、咳払いが聞こえた。

「理系の自己満足だな、シリウス。やはり君も、オリオンと同じく、教師には向かない男だ」
「好き勝手言いおって…。ならばネルヴァ、研究室に籠り切りだった儂より特別機動部長だった師君の方が、セントラルには詳しかろう。どれ、疑問に答えてやるがよい」
「…全く、何十年暮らしていたんだね。君は活動範囲が著しく狭過ぎると、何度も言った筈だがね」
「今更嘆いても時は戻らんぞ?…おお、大人しいと思ったら、寝たのか」

白衣の言葉に目を向ければ、先程まで学園長が座っていた窓辺のロッキングチェアで目を閉じている金髪が見えた。瞼を閉じても人間離れした美貌はそのまま、絵画の様な光景だ。

「近頃は趣味の昼寝をしてない。こやつなりに気を張っておったのだろうの」
「陛下に向かってコヤツなどと…」
「固い事を抜かすでない。我らルーク=ノアにリストラされた旧世代ではないか。キングの銘を失ったナインは、ただのハーヴェスト=グレアムだ」
「然し…」
「残り僅かな人生で、旧友を漸く友と呼べる日が来た。もうよいではないか?」

様々な感慨が滲む声音だ。
幼い頃から共に育った相手を神と呼ばねばならなかった彼には、どんな葛藤があったのだろう。名実共に王であり神だった男は、まるで無防備に瞼を閉じ、揺られている。

「すまんな、年甲斐もない口論を見せてしまった。レモネードをナインに取られてしまったな、温かいミルクでも飲むか?」
「どうぞお気遣いなく。僕も秀皇とは喧嘩してばっかなんですよー。そもそも自分の会社なのに経営権放棄して、僕に押し付けてくれたんです。何言っても『お前に任せる』しか返ってこないんで、社員は秀皇をただの課長だと信じきってましてね」
「おお」

愚痴は一つ零れると止まらない。
慌てて口を塞いだが、聞いていた二人は揃って苦笑いを零した。

「成程、やはり秀皇様は陛下に似ておられる。30年前はこましゃくれた子供だと思ったが、陛下が気に入られた訳だ」
「龍一郎の娘を妻に迎える様な豪胆さを秘めておったとは、思い返すに天晴だわ。あの時、儂は皇子の血にしか興味がなかったからのう。何故ナインがロードを日本へやったのか、理由が判らなんだものだ」
「…オリオンの手紙を、陛下は手に入れたそうだよ」

話が切り替わったのは判った。
同一人物に対して呼び名が幾つもあるので混乱しがちだが、二人の中では通じているらしい。
これが奇人天才だらけのステルシリーかと微かに嘆息し、ならば相手が悪すぎたと、今更青ざめる。若気の至りとは言え、恐ろしい相手を敵視していた様だ。

円満とは言えないまでも、敵対関係が解消されただけ、僥倖だろう。

「と言っても形あるものではない様だ。真実か虚偽かは正す術がない、けれど陛下は信じておられる。二度と会えないものと覚悟した彼が、生きていると」
「何にせよ、我が兄、龍一郎が存命であると仮に仮定しよう。全ては、最悪な末路に繋がる」
「シリウス。君の遠き甥が、困惑しているのだよ」

理事長秘書の言葉に瞬いた。
苦笑いを零した白衣は困った様に頭を掻き、卓上IHヒーターで温めたミルクパンに、瓶に残った全ての蜂蜜を落とした。

「…師君の祖父君は、若くして亡くなられた。灰皇院宗家が帝王院から離れたのは、その為だ。知っておるか?」
「いいえ。お恥ずかしながら、僕は14歳の時に実家とは縁を切りましたから。父は婿養子でしたけど、父方の祖父母が同居していたので、母方の親族は記憶がありません」
「帝王院は代々聖人君子ばかりだが、特に今生の大殿は人がよい。ロードのしでかした過ちは儂であっても腹に据えかねるものがある」
「ですね。僕もそう思います。勝手に居なくなった僕らを、学園長が無理に連れ戻す事はありませんでした。一度も。俊江さんのお父様をご存じだったなら、知らなかった筈がないのに…」
「龍一郎であれば、儂らにも見えない何かが見えておったかも知れん。短気な男だが頭の回転は頗る良かった。IQ200を超えていたナインを馬鹿だの役立たずなど宣えたのは、後にも先にもあれだけだ」
「IQ200なんて、僕如きには想像も出来ませんよー」
「そこのぶっきらぼうな男が180の天才児だった。それが今や、子育ても四苦八苦しておる凡人だわ」
「君が言えた義理かね」
「ほっほ」

神崎隼人はすぐに思い浮かぶが、藤倉理事の息子はうすぼんやりとしか思い浮かばない。無言で蟹を焼いていた緑色を辛うじて思い出すが、顔形は曖昧だ。大人しい少年だった覚えはある。
何せあの時は、愛する魔女…もとい妻が盛大にぶちギレた直後だったので、色々混乱していたのだ。

「子育ては大変ですよねー。うちも長男は手が懸からない代わりに家じゃ殆ど喋らない一人遊びが上手い子で、お小遣いあげる時くらいしか部屋から出てこないんですよ」
「隼人も昔は小銭を握って駄菓子屋に飛んでいったものが、いつからか自分で小銭を稼ぐようになってしまってのう。人様の山で松茸だの筍だの勝手に栽培して売りに行ってしまうので、致し方なく、山ごと一帯を買い取る羽目になったわ」
「山ごと?!」
「お陰様で馬鹿娘が家を売った所で、土地は儂の名義だ。築百年は優に超えていた古民家など、大した値では売れなんだろうて。ほっほ、馬鹿な娘だ。ほっほ」

悪い笑みを浮かべ豪快に笑い飛ばした白衣は甘そうなホットミルクを啜り、まだ肩を震わせている。顔も知らない彼の娘に同情したが、育児放棄したと言う話は聞いていたので、自業自得だと思わなくもない。

「然し今の今までナインに危害を加える事もなく、己の殺意を封じる為に学園から離れておったのだろう。まがりなりにも養子の籍を与えた帝王院帝都を消す事は、躊躇われたのか」
「見事に話が転びましたねー」
「言葉遊びは脳トレになるんじゃ。どんどん好きな事を話していくとよい。ネルヴァはこう見えて、お喋り好きな男だ」
「え?!嘘ですよね?!」
「私が喋るのは何か変かね?」
「ほんとなんですか?!」
「ほっほ。無口な龍一郎に毎日話し掛けていたのは、このネルヴァくらいだ。ナインもまた無口だったからのう。今でこそ息子との会話にも悩む有様だが、これの奥方もまた、良く喋るご婦人だったわ」

未だにキャラが掴みきれない理事を横目に、からから笑っている保険医を見やった。疑う訳ではないが、イマイチ信用出来ない男だ。何となくチャラい。

「然しシリウス、君の持つ不動産は勿論、冬月名義ではないのだろう?私は学園の外れに構えた屋敷も、ドイツの屋敷も保有する別荘等、一切をリヒトの名義に書き換えているが」
「顔見知りの『名無し』の名義だ。知っての通り、日本国籍の儂は死人だぞ?」
「あの!それなんですけど、だったら何で龍一郎さんは結婚出来たんでしょうか?だって戸籍がないのに」

呑気な年寄りの会話には率先して口を挟まないと、終わりが見えない気がする。食い付かんばかりに挙手までして発言すれば、甘そうなホットミルクを舐めている白衣の隣で、エメラルドの双眸を瞬かせた男が頷いた。

「私が知る限り、叶が冬月の籍から消した殆どの人間は、新たな名を得た様だ。シリウスは双子と言う事もあり、生後間もなく死んだ事にされていた。全ては、世間知らずな父親の目を欺いた、義理の兄の仕業だった様だ」
「えっと…?」
「オリオンの戸籍は残っていたのだよ」
「ほれ見た事か。ネルヴァ、師君も教師には向かんわい」
「す、すいません!僕の理解力が足りなくて!」
「だったら君が説明したらどうだね。老いた糖尿患者など目も当てられないのだよ」
「おお、おお、チクリと言うようになったの。平成の世では双子や三つ子は寧ろ喜ばれるだろうが、昔は嫌われたものだ。特に古い家では縁起が悪いなどとつまらん迷信に踊らされ、嫡男以外は隠される事が多かった」

つまり、太陽だけ残して夕陽は捨ててしまう。
そう考えて眉を寄せた親馬鹿は、幾ら可愛いげのない次男だろうと、親としては可愛い子供だと鼻白んだ。

「屋敷が燃え落ちるのと同時に冬月は消えたが、処刑公表されたのは伯父夫婦だけだ。伯母がどう死んだのかは知らん。儂と龍一郎は、家を出て数日後に遠野夜人と出会い、海を渡った」
「すいません、その辺りは少し調べさせて貰いました。僕の友人に叶の外縁が居まして…」
「小林守義かのう?傾国の美姫と名高かった美しき叶桔梗、その腹違いの弟、叶守矢が婿入りにしたのは聞いている。尤も、間もなく離婚したそうだが」
「はい。小林先輩が物心つく前には、離婚してたそうで」

他人事だからそれで済むが、たった双子だからと言う理由で闇に葬られた張本人の気持ちは、如何ばかりだろう。

「聞いているやも知れんが、龍一郎を冬月最後の当主として、叶はその行方を追っていた。だがその時既に儂らは遥か海の向こう。結局見つからず、冬月に誓いを課した」
「誓い?」
「ああ。叶にもまた命じられた、罪人の証の様なものだ。伯母には子はなかったが、父の従兄弟やらは名を変え生き残った。彼らの枷は、空蝉の証を嫡男に残す事」
「空蝉の証…って、まさか…」
「師君は父親から聞いたか?」
「…待って下さい、でも、それじゃ…」
「榛原の姫と、我が冬月の分家筋が結ばれるとはのう。ふ、何の因果か。だが血は限りなく薄い。遠い親戚など他人の様なものだ」
「そう、ですね…」
「師君の母親方の親族に、高坂がある。それは?」
「それは、はい。知ってます。と言っても、かなり遠縁ですよね…」
「だろうのう。師君の両親は見合い結婚だが、仲人は高坂だ」
「はっ?!」
「高坂の当主、高坂向日葵とは無関係だのう。彼の母親の従兄弟だか再従兄弟だかが、師君の父親だわ。知らなんだか?」

もう遠いのか近いのか、意味が判らない。
聞けて良かったとまでは思わないが、そんな話を高坂から聞いた覚えはないので、もしかしたら彼自身も知らないのだろう。
何にせよ、他人と言っても不都合はないだろう。家同士の付き合いは一切ない。

「高坂自体は遥か昔から任侠道を家業にしているが、そのお陰で、冬月から逃れた分家の隠れ蓑になった。西指宿に嫁いだ者も居た様だが、冬月とは無関係の、使用人だった女だのう。父の乳母だった家政婦の娘で、父とは姉弟同然に育ったと聞いている」
「駄目だ、許容量を越えました。十口、明神、冬月、榛原…元は一つだった灰皇院が、こんなにバラバラだなんて…」

叶や冬月に至っては、明治時代頃には既に除籍されている。
榛原の跡取りとして聞いていた話では、幕末と同時に平凡な生活を求めて出ていった者が多かったとされていたが、極端に言うと、帝王院のお膝元に残った人間の方が少なかったのかも知れない。

「明神は家業が立ち行かなくなって消えた家ですが、冬月は…その、どちらかと言うと稼いでらしたんですよね?その、戦争が始まるまでは…」
「その様だの。祖父までは稼いでいた様だが、父の代で財産を失う瀬戸際だった。それこそ、父が伯父に殺された要因だわ」
「財産目当て、って、事ですよね。大体は知ってます」
「金に汚い男でのう。儂の母は、性格はともかく顔だけはそれはもう美しかった。引き換えに、伯母は真逆で、行かず後家と笑われておったらしい」

何となく喉が乾いたと思った瞬間、大人しいと思っていた男が近寄ってきた。貫禄を感じさせる精悍な美貌で静かに差し出してきたのは湯気を発てるコーヒーで、自分のものを淹れるついでにお裾分けをしてくれた様だ。

「有難うございます」
「年寄りの長話は疲れるだろう」
「誰がジジイじゃ、オジジと呼べ。ジジイは好かん」

ぷりぷり頬を膨らませている保険医は、然し目は笑っている。しれっとコーヒーを啜るエメラルドの瞳はそっぽ向き、相手にはしていない様だ。

「父には姉の他に、後妻が生んだ腹違いの弟がおった。人格はともかく経営手腕はあった伯父に信頼を寄せていて、無計画な父を疎ましく思っていた様だった。その叔父は父と伯母とは年が離れていて、あの頃はまだ、十代だったのではないかのう」
「確か…火事の後に亡くなってます。難病だったそうですね」
「そう、その為に父は、弟の病を直そうと医学を学んだ。最終的には家財を擲って、診療所を始めると言い出したのだ。然し当然の事ながら、伯父も叔父も反対した」
「流石に、そこまで究極だと僕でも反対しますよ…」
「叔父は父に噛みつくだけだったが、伯父は他人だ。幼いながら扱い難かった龍一郎を嫌い、儂を陥落させようと企んでおった。父に対する嫌がらせが、結果的には毒殺へ向かったのも、戦後の混乱に紛れて龍一郎が育つ前に家を乗っ取りたかったからに違いない」
「不服そうだね、山田社長。私の銃を貸そうか?」
「ええ?!」
「すまない、冗談なのだよ」

冗談には聞こえなかった白髪を凝視したが、殆ど表情が変わらない彼は静かにコーヒーを啜った。若干眉が寄っていたが、コーヒーは好きではないのかも知れない。この薄さだ。

「既に死んでいる男に腹を立てるのは無益だよ。万一生きていたなら、そうだね。眉間に一発」

淡々と語るドイツ人の表情は、眠たげにも見えるほど普通だった。冗談なのか本気なのは、全く判らない。

「ほっほ。今の儂なら伯父を解剖してホルマリンのプールに投げ入れておったかも知れんのう。一発で殺してしまうのは惜しいぞ、ネルヴァ。師君は気が短い」
「無駄を嫌うと言ってくれないか。合理的は善だよ」

ドS社長は冷や汗を垂れ流した。
シニアの穏やかな世間話がどれほど不穏なものか、何故あそこの超絶美形な金髪はこの空気の中、すやすや寝ているのか。

「心配せんでも、伯父は生きている内に裁かれておる」
「え?」
「龍一郎だわ」

また話が転がったのだろうかと首を傾げたが、呟く様に「流石だ」と言った理事長秘書には意味が判った様だ。

「幼いながら伯父の魂胆に気づいた龍一郎は、父や儂に隠れて伯父に嫌がらせをしていた。父の姉である伯母は気弱だが優しい人で、旦那から暴力を奮われておったが耐えていたがのう。龍一郎が伯父の茶に庭の土を入れたり、布団に虫の死骸を並べたり、哀れなほど惨い仕返しをしておったので、彼女はひやひやした事だろう。それに関しては同情せんでもない」
「…あはは、聞けば聞くほど、龍一郎さんって凄い方ですねー」
「物心ついた頃から変に頭が切れる男だった。龍一郎の悪戯は絶対にバレんのだ。バレた所で、所詮婿養子だった伯父は、父の前では借りてきた猫の様に大人しかった。甥の仕業だと気づいても、言えなんだに違いない」

香ばしい豆の香りを嗅いで、カップに口をつける。いつも飲んでいるインスタントのものとは比べるまでもない風味だが、些か薄い気がした。
言葉は悪いが、アメリカンコーヒーと詐称した出涸らしの様だ。

「どんなお父様だったんですか?えっと、龍一郎さんには余り似てない様な感じですけど…」
「いや、そっくりだと思うぞ?記憶は殆どないが、他人に無頓着で己が信じた道を突き進む所など瓜二つだのう。子供のまま大きくなった様な人間だった」
「へー…。言われてみれば確かに…子供みたいな大人かー」
「引き換えに神経質で人見知りが激しく、何かにつけて疑って掛かる母親は、旦那と子供以外には口を聞かん様な女だった。何度も何度も枕元で言い聞かされたものだ。『あの余所者は信用出来ない』『あの男はいつか我が家に不幸を招く』とな。どうも伯父は、結婚前に母にしつこく迫っていたらしい」
「うわー…どろどろ。陽子ちゃんが好きそうだなー」
「結局、母の言う通りになったのう。母がいつ亡くなったかは覚えていないが、父が殺されたのは覚えている。伯父が毒を飲ませたんだ。それに気づいた龍一郎をあの男は牢へ入れ、飯も与えなかった。だから儂は…あの男に、亡き母が服用していた睡眠薬を飲ませた」

何となく、冷える。
夏が近いのに変だと他人事の様に俯いて、スラックス越しに膝を擦った。遠慮しても無駄だと立ち上がって、勝手にコーヒーサーバーを使わせて貰う。
今度は濃い目の、自分好みで。

「そして、家に火を付けたんだ。殺す気などなかったが、結果死んでもよいと思っていた。龍一郎を救わねば死んでしまう。儂の頭の中には、それしかなかった」
「そんな男は殺せば良いのだよ。私なら、躊躇わない」
「あんな男でも、優しい人だったが器量が悪かった伯母を娶った男だ。あんな最低な男に誠心誠意尽くしていた伯母は、燃え盛る家から儂らを逃がした。随分後に、伯父が刺殺体で発見された事を知ったが、伯母が刺したとは…思いたくなかったのかのう。その辺り、記憶が定かではないのだ。ステルシリーで前陛下の手伝いをする様になった頃、一度だけ龍一郎に聞いたが、兄上は顔色を変えず『奴は俺がぶっ殺してやった』と宣った」
「…」
「儂はあの時、睡眠薬を飲ませたのではなく、刺したのでないかと思った。未だに真実は判らない。伯母は顔立ちこそ恵まれなかったが、ほんに優しい、慈愛に満ちた人だった。だからあの時、伯父を殺したのは儂ではないのかと、のう…」
「多分、違いますよ。きっと、龍一郎さんがぶっ殺したんです」

するりと口から零れた。
目を丸めている二人に苦笑い一つ、

「俊江さんの性格を知ったら誰でもそう言うと思いますよ。彼女は、秀皇と僕が逃げてきた時この学園まで乗り込もうとしたんです。僕らを傷つけた『義兄さん』をぶっ殺すと言って、秀皇が記憶を封じなかったら…どうなっていたか」
「我が姪ながら、恐ろしいのう」
「見た所、そんな過激な女性には見えなかったがね。眼差しはオリオンに似ていたが…」
「俊君と龍一郎さんは似てますか?」
「いや、似ていない。天の君は父君にそっくりだよ」
「確かに龍一郎より皇子似だのう。性格までは判らんが、声は大殿に似ていると思わんか?」
「あ、確かに俊君と学園長の声って似てますね。僕には俊君と秀皇が似てるとは思えないんですけど…」
「龍一郎はどちらかと言えば、儂の孫に似ている。今の儂の顔は元の儂の顔立ちとは掛け離れておるが、儂は垂れ目でのう。龍一郎は真逆に吊り目だが、それ以外は同じだった。双子だからのう」
「あのモデルの?…だったら、龍一郎さんって物凄い男前なんじゃ、」
「「それはない」」
「へ?!」

見事に揃った声に目を丸めれば、白衣は重苦しい表情で黙り込み、灰掛かった白髪の男はエメラルドの双眸を細め、男前が台無しな表情だ。

「私もシリウスの若い頃は覚えているがね、オリオンは…何と言うか、造形の美醜とは掛け離れている男なのだよ。顔立ちは確かに恵まれていた。然し…こればかりは、筆舌に尽くし切れない」
「あれを好きになるのは、余程の馬鹿か天然記念物くらいだ。または怖いもの見たさか…弟である儂ですらフォローは出来んのう」
「ど、どう言う事ですか?!」
「オリオンの服装が、ね。…独特だったのだよ」
「およそ一般人には理解出来ないセンスでのう。虹色のコートだの部屋着なのに真っ白なスーツだの、白衣を着ている時はモテたが、白衣を脱いだら誰もが遠巻きにする様な奇抜さだった」

セルフサービスのコーヒーを真顔で啜ったワラショク代表取締役は、その整った美貌に困惑を浮かべ、レインボーと呟いた。



彼らはまさか、その奇抜な男の孫がレインボーのほっかむりを所持している事など、知らない。


























「何を勘違いしているか知りませんが、ユーヤを性的な目で見た事など一度もありません」

タンコブをこさえた隼人と健吾が、正座させられたまま怯えている。二人の目前、美貌を黒いオーラで染めた錦織要は長い足の爪先で床を何度も弾き、苛立ちを隠していなかった。

「大体、何処からそんな話が出たんですか。ユーヤがこの話を聞いたら気を害しますよ」
「や、煙のないとこに秋刀魚は焼けてないもんさ」
「…は?」

やりとりをハラハラハァハァ眺めている一年Sクラス生徒の中央、落ち着きがない遠野俊の傍らで、山田太陽は鼻息が荒い。
意味の判らない太陽の発言で要は眉を潜めたが、秋刀魚に反応した俊が大量の涎を垂らし『白米』と呟いて溶けた為、嵯峨崎佑壱の悲鳴が轟いた。

「総長ぉおおお!炊飯器さえ、炊飯器さえあれば…!」
「大根おろしは…たっぷり…。ゲフ」
「ちょいと錦織、その辺の事情を詳しく話してごらん。何だい何だい、恋愛から遠そうな顔して藤倉だって?全く、可愛い顔してお前さんって奴は」
「畏れながら山田副会長、悪意が感じられますね」
「所で錦織。…二葉先輩の弱点なんて知りたくないかい…?」
「!」

にやにやしている太陽が要の耳元で囁き、餓死寸前の俊と涙目の佑壱を余所に、

「ラジャー副会長、誠心誠意、詳しくお話しします」
「うむ、苦しゅうない」

錦織要と山田太陽は、近年稀に見る笑顔だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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