帝王院高等学校
ノスタルジックは苦めの味付けです!
下手に勘違いをした庶民ほど、面倒なものはない。
ひたひた近づいてくる足音を暫く放っておいてみれば、気づかれていないとでも思ったのだろう。彼は戸口から顔を覗かせ、奇妙な笑みを滲ませた。

「見ぃつけた」

狂気に濡れる眼差しが、下弦の月の形で笑んでいる。
定められたレールに逆らうから、そうなるのだ。

「嘘吐き魔法使い見ぃつけた。あはは!お前さんさえ居なくなれば、僕は本物の俺になれる」

作り物は意思を得て、オリジナルへの嫉妬を覚えた。そうしていつしか己こそが真実なのだと勘違いし、勘違いを現実に変えようと願ったのだ。

「…寸分の狂いなくシナリオ通りか」
「ねぇ、最後に魔法を掛けてよ。ピエロのドレスを、カボチャのパンツにさ。だって王子様の正装はズボンじゃないと」
「必要ない」
「君は騎士になりたかったんだろ?あはは、Kの騎士。馬鹿みたい、王様が騎士になりたいだなんて」

跪けと、子供は吐き捨てた。
勝ち誇った表情で、何を勘違いしているのか。
庶民がポーンに変化し、騎士にでもなったつもりなのだろう。

哀れ。
哀れ。
哀れな。

「…え?何でお座りしないの?ほら、跪けって言ってるの。跪けよ、ほら!」
「何故お前に従わなければならない?」
「何故って…どうして効かないんだよ!」
「王が産み出し守り育てた秘術を知るのが、お前達だけだと思ったのか?」

奇妙な笑みが、徐々に歪んでいく過程。
彼は間違えた。全てを。定められた脚本の通りに、全てを間違えたのだ。

一つの狂いもなく。

「魔法使いだから、だろ」
「俺は魔法使いじゃない。一人に仕える、一介の騎士だ。塔の呪縛から解き放たれ、貫く矛を捨て、馬へと成り下がった、knight」
「K…知ってる、それは、神の騎士…。だから、それは、」
「I am a Kaiser-night noir.(俺は皇帝騎士)」

やっと、判ったのか。
やはりただの子供だった。使い捨てのポーンにすらなれない、真っ先に捨てられる、哀れなクイーン。何にも変われない、最強にして最弱の、手駒だ。

「お前の役目は終わった。岐路は、とうに過ぎている」
「いや、だ。俺は王子様になるんだ。俺はっ、」
「Close your night.」

表情を削ぎ落とした人形じみた顔が、くるりと背を向けた。

「夢から目覚めよ、幼子」

ひたひたと遠ざかっていく足音が鼓膜を震わせる合間に、呟いた台詞はただ、一つ。

「俺の魔法が効かないのは、一人だけだ」

赤い、赤い。
文字の羅列を指で辿りながら紡ぐ言葉の色は、何色?

















Re start: Continue New episode
 救いのない現実の継続






「糞が、此処もロックされてやがる」

幾つめか、校舎中央宮一階をほぼ一周してから、最後のエレベーターパネルに表示されたエラーに舌打ちを零す。
他校生徒に、一般客、不特定多数の人間が訪れる間は、解放しているフロア以外の往来は基本的に禁じられていた。最重要領域である中央委員会執務室フロアへの立ち入りは、役員である高坂日向すら難しいのが現状だ。

二葉からエレベーターを解放してあると聞いていたが、どうも再びセキュリティが敷かれている様だ。あの帝王院神威が、わざわざ『階段で』と指定しただけはある。
無駄だと判っていて、校舎で最も広い中央宮を一周してしまった己の悪足掻きを今更悔いても仕方ない。

「…最低二時間弱。糞ほど面倒臭ぇなぁ、マジで」

ただでさえ面倒なシステムに侵入し、解除指示を出すくらいなら確実な道を選ぶべきだ。そんな事は判っている。
但し、階段で最上階のフロアへ向かうには、8階・9階の最上学部エリアのセキュリティゲートを解除せねばならない。あの忌々しい、嵯峨崎零人が勝手に再構築したセキュリティが敷かれてある、大学部エリアだ。

「ちっ。さっきゼロの奴から指輪抜いときゃ良かった」

宣いながら、仕方なく非常階段を目指した。メインの螺旋階段では、幾つもの階段を迷路の様に経由せねば、そもそも上まで進む事すら出来ないのだ。
一つの階段は三階まで、一つの階段は途中で離宮に繋がれた渡り廊下まで、と言う様に、まともに続いているものはない。

それもこれも、中等部・高等部・最上学部それぞれの進学科クラスを有する中央キャノンの基本的なセキュリティである。
この幾重にも仕掛けられたセキュリティを破り、悪事を働こうとする者が居るのだから、中央委員会に掛かる負荷は減る事はないだろう。風紀委員会で対応出来るのは、最低条件、対象が生徒である場合に限られる。
テロリストなど論外だ。

「光王子!光王子ではありませんか!」

己の運の悪さと悪足掻きによる時間のロスを嘆いても、現状は何ら変わらない。高坂日向17歳の腹の中で苦々しいものが唸ったとしても、彼の口許に浮かんだ嘲笑に頬を染める下級生は脳内で光景を補正しているだろう。
自分の存在が「糞うぜぇ」と思われている事など気づきもせず駆け寄ってくる様を見れば、明らかだ。

「よう、誰だ?」
「は、はい!二年Sクラス、中曽根ですっ。こんな夜更けにお会い出来るなんて、信じられません…っ」

こっちは会いたくなかった、とは、決して言わない。
間が悪い事に一つ年下、それも進学科と聞いて日向の脳裏に浮かぶのは、こんな時でさえ暑苦しい赤毛なのだ。我ながら忌々しい。
若干乱れているシャツの襟元に気づいたが、わざわざ指摘してやる事はなかった。
何処の誰とこんな時間にこんな所で密会していたかはともかく、欲求解消が済んでいるのであれば、見て見ぬ振りをして欲しいものだ。何故話し掛けてきたのか。勿論、己の親衛隊の生徒だった場合に備えて、そんな事は口が裂けても言えやしない。

「そ、そんな事より、光王子様っ。紅蓮の君とお付き合いなさっているなんて噂が流れている事を、ご存じでしょうかっ」
「あ?知らねぇよ」

勿論、知っている。
それも日向が佑壱からどうこうされているなどと言う、嵯峨崎佑壱にとっては濡れ衣に等しいスキャンダルだ。佑壱の手前、否定はしているものの、日向的には放置したい噂でもある。
少なくとも、佑壱ファンの馬鹿男共は、日向の名を聞いただけで戦意を喪失するだろう。本気で二人が付き合っていると思っている生徒は少ないだろうが、だ。

悲しい事に、日向の記憶にある佑壱はほぼほぼ常に、牙を剥き出しているか、鼻白んだ不細工な表情だった。まともな笑顔など見た事もない。
無論、幾ら抵抗されたら長期戦になるからと言って、ひょいひょい殴ったり骨を折ったりすれば、好かれる筈がなかった。

然し言わせて貰いたい。切実に。
あの体力馬鹿に長期戦を挑まれて勝てる自信が、残念ながら高坂日向にはないのだ。全く。過去に数回長期戦に発展し、二時間殴りあった時は本気で死を覚悟した事がある。カルマナンバー2を仕留めるには、日向の体力がマックスの時に早々終わらせるしかない。経験論だ。

因みに、カルマナンバーワンの男に限っては、理論上、全力だろうと勝てはしない。
とあるチームと三時間ほど暴れ回った挙げ句、息を切らして倒れ込む男らにシーザーは、不思議と言わんばかりに首を傾げて宣ったのだ。

『どうした?』

背後に彼らと同じく疲れ果てた四天王を従えて、流石の佑壱でさえ息を乱しているにも関わらず、まるで読書でもしていたかの様な風体で、乱れ一つなく。

『まだ、演奏は始まっていないぞ』

暴行を浴びた野良猫が倒れていた。
真っ先に猫を苛めていた男らへ飛び掛かっていった男は、嬲る様に一人ずつ、死なないギリギリまで痛めつけていく。何時間も、何時間も。
パトカーのサイレンに反応した数人が逃げ始める中、躊躇わず傷め続けていた銀髪に、やめろと叫んだのは赤毛だった。

『総長、もう良いでしょ。…そろそろ病院連れてかないと、本気で不味いっス』
『病院?』
『ほら、生きてたんですよ。あの猫』

騒然としている繁華街の端、人気の少ないコンビニの前で。
汚れた三毛猫を躊躇わず抱き上げた男の威圧感を覚えている。忘れる筈がない。
ミルクティーのペットボトルを舐めた二葉が、青銅の仮面の下、変な男と呟いた。西指宿と東條は無言だっただろうか。


それと、あの男も。


「どうなんですかっ、光王子!」
「………あ?何?」
「っ、だから紅蓮の君とお付き合いなさっているのは、デマなんですよね?!」
「それか」

どう答えれば適切か考えた。
いつもより寝た筈だが、思考がうまく纏まらない。認めたくはないが、此処の所、ずっと側にいた赤毛が居ないからだろうか。

「俺様が誰とどうなろうが、テメェには関係ねぇだろう?」
「な、」
「忘れたのか、つまんねぇ我儘ほざいた奴は除籍する決まりを」
「そ…それ、は…」
「抱けっつーから抱いてやってるだけだ。何を勘違いしてんのか知らねぇが、テメェ如きがこの俺に愛されるなんて、本気で信じてる訳じゃねぇだろう?」

目に見えて傷ついた表情を浮かべた下級生に、罪悪感などない。慣れたのだろうか。いや、始めから、憎しみしかなかっただけだ。
他人を平気で傷つける様な者を、幾ら傷つけても構わないと。身勝手な持論で、罪悪感から目を逸らしているだけ。

「失せろ、規則に従えない餓鬼に用はねぇ。目障りだ」
「っ!…も、申し訳…」

涙を浮かべた顔に、あざといとすら思った。
我ながら、人としての道徳観に欠けていると思う。だがそれだけだ。逃げる様に駆けていく背を追うつもりはない。

「…うぜぇ」

誰を傷つけようが、構わなかった。
いつか毎日話し掛けてきたクラスメートを、危険に晒すのではないかと心の何処かで気づいていた癖に、守ってやれなかったあの日から。

他人がどうなろうと構わないと、思ってきた。

「どうでも良いんだよ、糞が…」

卒業し、英国で王子のチケットを手にさえすれば。
長生きの呪いを掛けられた女公爵を失脚させ、皇帝の呼び名を持つ男さえ手に入れば。

彼の側に必ずあの狼はついてくる。この目の届く範囲に、生涯飼い繋がれるのだ。
そうして餌に真紅の血を混ぜて、彼の中の血肉が少しも残らずこの血で入れ替わったら、天使であれど天国へは戻れはしない。


「…二葉とどう違うんだっつーんだ。救えねぇ」

その為には幾ら犠牲を払おうが、構わない。























余りにも長い、話だった。
恐らく本人的には話し終えたつもりなのだろう男は、暫く沈黙した後に、作り物めいた美貌で最も印象深い眼差しを細め、目を窓辺へ向けた。
そこに佇んでいるのは、途中からやってきた白衣の男だ。

「やはり私の説明では判り難いか?」
「いや、師君にしては頑張った方だろう。…全く、久し振りに良く喋ったのう、ナイン」
「ああ。少し、喉が乾いた」
「どれ、儂が甘いハニーレモンでも淹れてやろうかの。面白い顔で何を黙っているネルヴァ、目を開けたまま寝とるのか?」

人間離れした美貌の理事長よりは圧倒的に人間臭い、この部屋の中で最も精悍な顔立ちの白髪は力なく首を振ったが、言葉はない。
彼もまた長い話の途中に別室から戻ってきたのだが、理事長が淀みなく語り続けている光景に面食らったのか、一言も口を開かずに聞いていた。

「何か聞きたい事があらば、言ってくれるか。私の両親はヨーロピアンだが、育ての親は今話した通り日本人のヤヒトだ。この20年近くは日本語を使ってきたつもりだが、根底には英語が根付いている。生粋の日本人には理解に適さない言葉があったやも知れん」
「いえ…大丈夫です、お話は全て理解したつもりです。僕なりに、です、が」
「感謝する。…疲れただろう、休むか?」
「やー、眠気なんてぶっ飛びました。図々しい後輩は目を開けたまま寝てるみたいですけど」

ソファの隣、護衛兵宜しく張り付いていた東雲村崎は真顔で硬直したまま反応がない。第三者の立場であれば自分もそんな反応をしたのだろうと考えながら、八つ当たり宜しく村崎の高い鼻を摘まんでやった。
爪が肉に食い込む、感触。

「…アンタええ笑顔で何してくれるん、しっかり起きとるがな。少しは整理させてくれてもええんちゃう?」
「似合わない関西弁やめてくれない?丸刈りにしたくなるからさー」
「…ああ…。理事長、こない恐ろしい人にあんな話してもうて、ほんまに良かったんですか?これ幸いに弱味握られて、後から脅されますよ?…いった!」

失礼な後輩の足をテーブルの下で踏み潰し、山田家の肩身が狭い大黒柱は前髪を掻き上げる。

「鵜呑みにしないで下さいねー、脅したりしませんから」
「そうされた所で、今の私には何の力もない。そなたの望みを叶えられるかは、些か計り兼ねる」
「くっく。ナインに冗談は通じんぞ、若人達よ」

笑いながらカップを運んできた白衣は、テーブルの中央に飾られた果物籠からレモンを掴み、ナイフで器用にスライスし、一枚ずつカップへ落としていった。
立ち上る湯気と共に柑橘の香りが漂い、身構えていた肩から力が抜けていく気配。

「師君が一番酷い顔をしておる様だの。どれカミュー、師君がローズティーを好むのは承知しているが、今はレモネードでも舐めよ。どうだ、匂いは良かろう?」
「…レモネードに失敗する要素はないだろうに」
「師君らも召し上がれ。東雲子息は気丈だが、父君は呆けておられるのう」

揶揄めいた保険医の台詞に振り向けば、ロッキングチェアーに揺られながら目を閉じている学園長の隣で椅子に腰掛けたまま、東雲財閥会長は凍りついていた。目を開けたまま気絶しているのではないかと思わせるほどに、見事なマネキン振りだ。

「そっとしといて下さい…。すいません、うちのおとん、許容量越えた事態に思考停止したんやと思います。仕事以外は基本的に何も出来ん人なんで…」
「はっは、男など大半がそんなものだ。のう、ネルヴァ。師君が昔、龍一郎に言った言葉を覚えておるか?」
「私がオリオンに?そんな事、あったかね」
「私は覚えているぞシリウス。『神はやはり二物を与えないのか』と、ネルヴァは言った」

湯気を発てるカップへ蜂蜜を大量に追加している金髪が、ダークサファイアの眼差しを瞬かせた。

「父達が死ぬ、数日前だ」

部屋は甘い甘い、蜂蜜とレモンで支配された。
痛いほどの沈黙を破ったのは、ドアをノックする音だ。

「すみません、盗み聞きするつもりではなかったのですがねぇ。いつまでも外で待っている訳にはいきませんので、…宜しいでしょうか?」
「遅かったな。そなただけか?秀皇はどうした、冬臣」
「陛下は自室へお籠りに。飼い犬の墓石がなくなっていた為、お心を痛められたのでしょう」
「え?なかった?」

見れば見るほどに同級生とは思えない貫禄を匂わせる和服に問い掛ければ、肩を竦めた男は困った様に首を傾げた。

「ええ。私も確認しましたが、貴方の仰っていた場所には何もありませんでしたねぇ。自治会役員に尋ねましたが、彼も知らない様でした」
「そんな馬鹿な!昼に僕がこの目で………って、あ、もしかして…」
「おや、やはりご存じでしたか。念の為、うちの者に調べさせました。時間が懸かったのはその所為です」
「…あっちゃー。そう言えばうちの奥さんが、中央委員会の性格悪そうな眼鏡に頼んでた様な気がしてきた…」
「おや?私が聞いた話では、中央委員会の女神と名高い私の末の弟が石碑の場所を移し、掘削指示を出したそうですがねぇ」
「あははははは、女神だって?うちの可愛い息子に汚い手を出したどっかの馬の骨野郎なんか、ノミのうんちみたいなもんだよ、叶君」

ばちばちと、ドS同士の火花が微笑ましげに散る。
他人の振りをするべきだと理解した東雲村崎は優雅にレモネードを啜り、吹き出した。これはレモネードではない。蜂蜜にレモンを浮かべただけの、温かい蜂蜜だ。

これに蜂蜜を追加していた理事長は何者だろうと目をひん剥いたものの、豪快にカップを煽った理事長は、カップの底に残ったとろみの最後の一滴まで飲み干し、どことなく満足げに見える。

「東雲先生。君の考えている事は手に取る様に判るのだがね、指摘しても無駄だよ。そもそも陛下は、甘党ではない」
「う、え、は?!あれで?!これに蜂蜜入れてはりましたけどっ?!あれで甘党やないてごっつい無理ありますよ、藤倉理事!」
「いやいや、ネルヴァが言うのは本当の話だ。ナインがああなったのは、殆ど儂と龍一郎の所為だわ」

一杯では物足りなかったのか、じっとカップを見つめている金髪を認め、山田大空は自分のカップをそろそろと理事長の前に差し出した。素早く顔を上げた超絶美形はぱちぱちと瞬き、ぺこりと頭を下げる。

そしてまた、ドパドパと蜂蜜をぶち込んだ。
先程までたっぷり満たされていた蜂蜜の瓶はもう、底つき始めていた。

「儂ら双子は甘党でのう。戦後間もなく砂糖は高級品だったので、そう頻繁には手に入らなかったが、時折舐める大粒の飴玉が何よりもご馳走だった。その高級品が、海を何日も駆けて渡った先の大陸には山の様にある。儂らはアメリカの地へ降り立ってつくづく思ったものだ、日本とは何と小さい島国だったのかと、のう…」
「夜人の料理はどれも評判が良かったが、卵焼きだけは評価が分かれた覚えがある。夜人を溺愛していた父が、その卵焼きだけは最後まで否定的だったのを覚えているか、シリウス」
「ああ、勿論だとも。儂も龍一郎もレヴィ陛下を心から崇拝しておったが、あれだけは信じられんかった。あの伊達巻じみた卵焼きの甘さだけは、今でも忘れられん。何故あんなに美味しいものを、レヴィ陛下は頑なに食べなんだのか」

成程、甘党なのは理事長ではなく、保険医兄弟の方らしい。
睨み合っていたドS達は不毛な争いに終止符を…打ってはいないが、一時休戦で一致したらしく笑顔でソファに座った。
仲が悪いなら離れれば良いものを、何故同じソファに座るのか。ドSの考える事など、愉快な一年Sクラス担任には判らない。判りたくもない。

三人掛けとは言え、大の男が三人並んで座るのは如何なものかと、立ち上がろうとした東雲村崎は然し、真ん中に座っている男の笑っていない目に見据えられて、浮かした腰を落とした。

「神は二物を与えん。当時八歳かそこらの子供に言われた台詞は、純粋に、刺さっただろうのう。ネルヴァ、師君は初め龍一郎が苦手だったろう?」
「何を馬鹿な事を…。私は昔も今も、オリオンを尊敬している。双子とは言え、君とは似ても似つかないのだよ」
「人体の急所を全て覚えている癖に、米の研ぎ方も知らん様な龍一郎と一緒にされたくないわい。師君は兄上に大層な夢を見ておるが、龍一郎は儂のコートにアイロンを掛けて燃やした事がある。あの夜人が龍一郎に家事の手伝いをさせず儂に手伝わせた本当の理由は、龍一郎が研究に精を出せる様に…などと言う綺麗事では、決してない!」

話している内に色々な記憶を走馬灯の様に思い出したのか、徐々に声を荒げていった白衣は、最後は怒鳴る様に宣った。二杯目の蜂蜜を飲み干した、否、舐め干した理事長はこくこくと頷き、唇を舐める。

「龍一郎は、不器用だった。メスを握り鮒は捌けるが、包丁で鯖は捌けなかった。私が初めて龍一郎に愛を告げた日、書庫の文献を読み耽る余り数日寝ていなかった龍一郎は、常になく荒んだ目付きで宣ったのだ」
『尻の穴を貸せと言うなら好きにしろ。但し、俺の読書を妨げるな』

無表情で宣った金髪に、世界は沈黙した。
実の弟である保険医すら言葉もないのか、顔を覆っている。

「龍一郎に人を思いやる心など皆無だった。傷ついた私はこう返したものだ。『尻の穴など何に使う?』と」
「…陛下、流石の儂も呆れて物が言えんぞ。もう良い、龍一郎兄の話しは終わりだ」
「だがシリウス、私の生殖機能が不能だと判った時に龍一郎はこう言った。覚えているだろう、『ただでさえ役立たずなのに下まで役立たずとは、信じられん!』だ。私は、傷ついた」
「………そうだったか?無表情だった様に記憶しておるがのう…」
「書庫か研究室か執務室か、どちらにせよ一日の大半を仕事に費やしていた龍一郎が女遊びを覚え、寝室に戻る事もなく。五日振りに顔を見合わせても、挨拶すらない。私がどれほど心を痛めていたか。龍一郎は酷い男だ」

余程な人物だったのだろう。
無表情で淡々と語る理事長は小刻みに震え始め、ぽてりと椅子から崩れ落ちた。

「えっ、えっ?!」
「陛下、貧乏揺すりはおやめ下さい。慣れてらっしゃらないのですから」
「すまん」

素早く立ち上がった秘書から抱き起こされる。秘書は頑張って抱き上げようとしたのだろうが、自分より大きい理事長を前に諦めたらしい。

「村ちゃん、手伝ってあげなよ」
「えっ、俺?!…はいはい、理事長、掴まって下さい。ソファに座った方がええんとちゃいます?」
「手を煩わせてすまない」
「…何でお姫様抱っこやねん」

一年Sクラス担任は諦めた。
薄々気づいていたが、どうも理事長は痛い子らしい。自分より小さい男から抱き上げられる事に一切抵抗がない所を見ると、極度の天然なのかも知れなかった。世間知らずのレベルではない。

「冬月せんせ、違ったらすいません。理事長て、めっちゃ天然ですよね?明らかに灰皇院…つーか神帝とは似てへんっつーか」
「そうかのう?儂は今のルーク坊っちゃんを知らんので、比較対象は儂と龍一郎くらいだが…後はそこのカミューか?顔に似合わず、ネルヴァは天然だのう。のう、陛下」
「ネルヴァは顔が怖い」

保険医に振られた理事長は真顔で宣い、ソファの真ん中に座らされてドSに挟まれながら、もにょりもにょりと身を揺らした。どうも、あれが貧乏揺すりのつもりらしい。

「ナイン、ネルヴァが真顔で傷ついておるぞ。顔に関しては、龍一郎が一番怖かったろう」
「…そうだ、龍一郎が一番強面だった」

ぱちっと目を開けた、理事長に並ぶ天然疑惑のある帝王院財閥会長はしゅばっと立ち上がり、揺りかごが揺れるのと同時に崩れ落ちた。頭を抱えた東雲村崎はダサジャージのズボンを引き上げながら、呆然としている学園長に手を貸す。

「足場が安定してへん所でいきなり立ったらあかんですよ、学園長。せんせは昔から顔に似合わず、落ち着きがなさ過ぎでっせ…ほんま…」
「然し、私は帝都ほど世間知らずではない。下手な貧乏揺すりをやめろ帝都、貧乏揺すりは…こうだ」

クネクネと身を揺らし始めた学園長に、理事長が一ミリほど目を見開いた。

「あはは、…叶君。貧乏揺すりって、あんな感じだったっけ?」
「さて、私の知らぬ間に変化したんですかねぇ」
「…ネルヴァ、師君が止めてやれ。歳も近い事だし」
「最年長である君が止めろ」

天然老人二人以外の全員が目を見合わせ、そっと逸らす。どうも此処には天然しか居ないらしい。

「ネルヴァはナインを心から崇めておるが、そこが天然の謂われだわ。儂らステルスの上層部は、とかく世間知らずの集団だった。地下に籠り外を知らず、生活に関する一切を、侍従や機械が代替してくれておったからのう」
「あ…そうだ、あの、素朴な疑問なんですけど、答え難かったら返事は要らないんで、聞いてもいいですかねー?」

のほほんと片手を上げたワラショク社長の隣で、クネクネダンスの練習を始めていた金髪は鷹揚に頷いた。頷きながら、傍らの腹黒魔王の着物の袖を凝視している。

「構わん、今更何を隠す必要もない。必要とあらば私はグレアムの一切をナイトに渡す覚悟がある。…冬臣、そなた、土を触ったのか?」
「土、ですか?いえ、触った覚えはありませんがねぇ」
「そなた、ブラックジャックを娶るつもりの様だが、本気ではあるまい。良い機会だ、私はそなたに幾つかの疑問がある」

質問をしたのは俺なんだけど、と、乾いた笑みを浮かべるドSは元クラスメートを笑顔で睨んだ。高等部時代計った様にいつも三位だった男は、席順で山田大空の後ろの席だったのだ。
付き合いの長さは、初等部から高等部一年までの、十年程。

「叶冬臣君、実現こそ一年間だったけど、当時御三家として共にキャーキャー言われた仲だ。お前さんも隠し事があるなら、言った方がすっきりするよ?」
「おやおや、私に隠し事などありませんよ、時の君。麗しい白百合様に於かれましては、下々の話など必要となさらないでしょう?」

ばちばち。
東西忍者の頭目が笑顔で睨み合う間で、クネクネダンスをマスターした金髪は立ち上がった。何処となく晴れやかな眼差しで、クネクネ揺れながら学園長に近寄っていく。
一年担任と保険医がドン引きしながら見守っていたが、秘書はそっと目を逸らした。心が受け付けなかったらしい。

「見ろ、駿河。確かに私は貧乏を知らんが、為せばなる」
「少しばかり貧乏揺すりが出来た所で勝った気になるな老害が。…仕方あるまい、写メとやらを撮ってやろう」
「SNSとやらに掲載するが良かろう。そなたは友達が居らんからな」
「何だと!お前にも居らんではないか!」
「龍一郎が見つかればまた増える。そなたもシリウスもネルヴァも、友人だろう。相違ないか」
「む。むむ…。だが、神威はもしかしたら龍一郎の娘の子かも知れんとなると…私はどうすれば良いのだ。俊にじいちゃんと呼ばれてみたい…」

入学願書をしれっとパチっていた学園長は、もっさり眼鏡で映る孫の願書に頬擦りし、男前な顔立ちを崩す。それぞれオタクを知るドS共は微妙な表情だが、突っ込む者はない。

「あはは。ま、いっか。死んだ振りをする理由は判ったし、向こうから仕掛けてくるまでは動きようがない訳だ。ゆっくり、色んな話を聞こうかな」
「おや、気が長い方ですねぇ。昔からは想像も出来ない」
「大人になったって事だよ。…君は、変わらないみたいだけど?」
「ご冗談を」
「榛原の話は消えてるよ。僕には子供は居ない筈だからね」

叶当代の密やかな笑みを横目に、彼もまた、笑みを滲ませた。

「認知していない子供との親子関係の証明には、遺伝子検査しかないだろ?けれど父親である僕は、今現在、死んでる」
「前言を撤回しますよ。貴方は変わらず、…ひねくれてらっしゃる」
「君よりは可愛いさ。…目的は知らないけど、痛い目に遭いたくないなら、邪魔はしない事だ。君が一番判ってるんだろ?榛原との姻戚を結んでも、得をするのは叶じゃない」
「判りませんよ。我らには引き継がれなかった支配者の能力を、利用したがっているのかも知れませんからねぇ?」
「あはは。無理だろ、僕の声はお前さんには効かなかった。だから帝王院の姫を連れて、君の大伯父様は国を離れられた」
「…良いのか悪いのか。それにしても、貴方の力は私には効かないそうですが、他は判らないでしょう?」

喰えない男だ。お互いに。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!