帝王院高等学校
容赦なく貫き、交差するもの。
人の足ばかりを集めていた殺人鬼。
何の理由もなく、子供を殺し続けた殺人鬼。
己の母親の死体を標本にして、大切に隠していた犯罪者。

およそ普通ではない人間の成れの果てが鮨詰めにされた監獄の、著しく劣悪な衛生環境を知らしめる、土埃の匂い。

「そなたらは何故、産み落とされた」

さんざめく罪人の群れを、躊躇わず突き進む足に足音はない。煌々と灯る深紅の双眸が、無機質な鉄の塊から覗いている。

「そなたらは何故、此処に囚われている」
「そんなのはぁ、人の作った法律を破ったからだぁ。ひゃーっはっはっ」
「理由なんてないんだ、お前の血が見たいなんて理由あっちゃ駄目なんだぁ。はぁ。…なぁ、首、切らせてくれよぉ…」
「母さん…母さんに会いたい…。冷たい母さんを抱き締めて僕の体温で温めて…そうじゃなきゃ、眠れねぇよ!出せぇえ!俺を此処から出しやがれ糞野郎!」

カツリと、薄汚れたコンクリートを仮面が跳ねた。
正常な判断力を持つ者などこの場には居ない。そう、一人として。

「そなたらはサイコパスと位置付けられた、意思を持つゴミだ。幾つもの書類審査を通過した暁に、その寿命は尽きる。死刑執行と言う法の定めに従って」

然し罪人の誰もが、その囁きに言葉を投げ返す事も、ましてや殺意を向ける事も、ない。

「ならば今、この場で全員が死体と化したとて、私を咎める者は居ない。私を咎める法もない。それは何故か?それは私が、十番目であるからだ」

現実味のない深紅の双眸が漂っていた。
背後に巨大な満月を背負い、

「人は本来、何の価値もなく産まれる。獣は本来、喰われる為に喰らう。せめてもの慈悲だ。そなたらは皆、私に捧げられた贄として価値を得るが良い」

助けてくれと誰かが叫んだ。けれど戸口に並ぶ看守の誰一人、その声に反応する事はない。



「私はそなたらの無意味な人生に興味がある」











赦なく貫き、交差するもの。











「役なき者の足掻いた軌跡を、斯く語るが良い」
























軽いステアリング、ホイールが停止してサイドブレーキを引き上げる音と共に、運転席の女がサングラスを外す。引っ掛けていただけのシートベルトを外しながらドアノブに手を掛ければ、肩を掴まれる感触。

ああ、化粧臭い。
抱いている間は汗の匂いで紛れたが、熱が冷めれば現実に戻る。

「待って。忘れ物よ」
「…あ?」
「育ち盛りの坊やに、良いものあげるわ」

カサリと音を発てた紙袋を片手に、運転席から身を乗り出してきた女の唇を受け入れる為に口を開いた。

「キスと、おにぎり」

随分遊び慣れた女だと口の中を這い回る他人の舌の感覚を追い、唇が離れるのと同時に不味いと呟く。口紅の味だ。

「狙ってたキャプテンが帰航するって言うから差し入れるつもりだったのに、その前にアンタに捕まっちゃったから」
「何が捕まった、だ。人の買い物を邪魔しやがって…。二回り離れた餓鬼に乗るほど溜まる前に、抜きやがれ」
「一回りよ!失礼しちゃう、私まだ27なんだけど」

海外線のキャビンアテンダントとして活躍している女は、入社した時からの付き合いだ。尻が軽すぎる所を除けば悪い女ではない。ただ、同僚からは煙たがれている様だ。妻子のあるパイロットとの不倫が原因で謹慎していた事もあり、今や婚活に勤しんでいるらしい。
独身のパイロットへの差し入れ予定だったと言う、手渡されたビニール袋の中を嗅いだ。

「うっわ、化粧臭ぇ」
「ちょっと、それは酷いんじゃない?本当、口を開けば子供なんだから」
「13の餓鬼にヨガってた奴の台詞たぁ、説得力が違ぇぜ」
「総長チワーッス!」
「総長お疲れ様っス!」
「総長ー!そちらの美女、どなたっスか?!」

騒がしさに眉を寄せ、舌打ち一つ。
助手席のドアを閉めるのと同時に振り返れば、傷だらけの三人が並んでいた。また何処かで喧嘩でもしたのだろうか。

「あら、こんにちは、坊や達。佑壱のお友達?」
「餓鬼ナンパしてないで失せろ、職場の有能な五本袖でも引っ掛けとけ。三十路越えたら、女は早いらしいぞ」
「…はいはい、アンタこそ口の悪さ直しなさい。顔だけの男なんてモテないわよ」
「セックスだけの女よりはマシだ」
「可愛くない!もう、そこも好きよ。またね、佑壱」

降りたばかりのベンツが走り去る光景には目もくれず、赤い髪を掻いた男は携えていた紙袋を駆け寄ってきた三人へ投げつける。化粧臭いビニール袋ではない方だ。

「総長の彼女、幾つっスか?」
「ひゃー、ベンツ乗ってた」
「何か全部エロかったっ」
「アイツは彼女じゃねぇ」
「「「またまたぁ」」」

サンマルシェと書かれた紙袋の中身は、有名洋菓子店のものだ。この辺りでは空港の中にしかなく、取り寄せにも対応していない為、食べたければ足を運ぶ他ない。
真夏も真夏、7月半ばにバイクを転がすには距離があり過ぎるのでタクシーで乗り付け、洋菓子店から出た所で彼女に捕まったのだ。お陰様で、嵯峨崎佑壱の買い物はそこで終了した。他にも狙っていたスイーツや土産物があったのに、だ。

「自称27歳、俺の知る限り二年前から増えてねぇぞ」
「えっ?」
「何で増えないの?」
「美女は年取らねぇんじゃん?」 
「揃いも揃って馬鹿が、付き合ってもねぇ女の歳なんざ知るか。送ってくれるっつーからついてったのに、エンジン掛ける前に俺に乗りやがって…」
「乗っ?!」
「エ、エロ!」
「爛れてる…!総長パネェ、ヤリチン!」

お陰様で焼きたてのプリンは冷めきっている。売られた喧嘩は買わない訳にはいかないと、幾ら広目のシートとは言え、立体駐車場の片隅で二発は無理があったかも知れない。

「けっ。騎乗位は楽だが…女に見下されんのは、好きになれねぇ」

食べる気が失せたと嵯峨崎佑壱は不機嫌顔で再び舌打ちし、ダメージ加工を施されたサマーセーターの袖を捲り上げた。

「何だこりゃ、全然片付いてねぇ!コラァ、今月中にある程度整えとけっつっただろ!要と裕也…あー、ユーヤはどうした。健吾は居ねぇ方が捗るが…」
「あ、皆さん修学旅行っスよ」
「初等部六年は三泊四日、全員参加が基本っス」
「総長も去年行ったでしょ?」
「あ?俺ぁ、んなもん行ってねぇぞ。…確かあの時は、どっかの女の家で寝てたんじゃねぇか?覚えてねぇ」

うわ、最低っスね、と。
土産の紙袋を遠慮なく広げながら宣う舎弟気取りの新参者を横目で睨み、漸く外のウッドテラスが形になってきた店舗へ足を踏み入れた。

「あー、彼女欲しー」
「高等部に進んだら堂々と外出許可取って合コンしてぇんだ、俺…」
「もし光姫より可愛い子が居たら、結婚しよ」

恋だの愛だの、腹の足しにもならない話で良く盛り上がれるものだ。誰が美人だの誰が何だの、他人を評価する前に己を磨く方が余程効率的だと何故判らない。
その上、あの糞生意気な上級生の名を聞いてしまえば、佑壱の表情は益々歪む。

高坂日向。
現中等部二年Sクラス三番。祭美月、叶二葉に並ぶ御三家として最大規模の親衛隊を有する、中央委員会現副会長。
一度外に出ればABSOLUTELY副総帥としてよりは、関東の極道を纏め上げる光華会高坂組組長の長男としての方が有名だと思われる。

佑壱の肩口に目線がある様な痩身小柄な癖に、抱きたいランキングなどと言う、冗談じみた投票で連続一位に君臨している癖に、だ。
毎朝、日向は薄暗い内から寮の周囲を走っていた。
四棟からなる寮の外周は、一周およそ800メートルはある。それを小一時間ストイックに走り続けているのだから、朝食の準備の片手間にバルコニーから覗き見た事のある佑壱が思うに、日向はただの「姫」ではない。

「ちょ?!そそそ総長っ、箒が!」
「あー!また総長がぶっ壊した!今度は箒!」
「おーい、新しい箒あるー?」

苦手だからとは言え、日向の顔を思い出すのと同時に、床を掃いていた箒の柄を折ってしまったのは完全に自分のミスだ。気まずげに無言で折れた箒をゴミ袋へ放り込み、息を吐く。

負けた訳ではない。
蹴り飛ばされただけだ。受け身は取った。怪我もなかった。だから、負けてはいない。ただ、自分より小さい相手に見下されたのは、あれが初めてだったから、それだけだ。

「…やべぇ、女々しい。いかん、この思考方向は男らしくねぇ気がする」

中等部一年帝君として進級してすぐに、中央委員会書記として実兄の零人に指名されてしまった佑壱は、高坂日向に会いたくないが一身で、未だに帝君部屋に居座っていた。
セキュリティ面で不安だから役員エリアの部屋に住めと零人からは言われ続けているが、たった一度その部屋で朝食の準備をした時に日向の姿を見てしまい、以降は同級生らと同じフロアの帝君部屋で過ごしている。と言っても、此処最近は町中のマンションが拠点だ。

「総長、テラスは掃除機使ったら駄目なんスか?」
「学外の先輩からメール来たっス。補習終わったら駆けつけるって」
「うー…外マジ暑ぃ。冷凍庫使えたらアイス買ってくるのになぁ…」
「お前らテラスは後回しで良い。来週、発注しといた園芸業者にグリーンカーテンやらせっから、どうせ汚れる」

確かに暑い。
もうじき四時だが、日はまだまだ高かった。滴る汗をシャツで拭い、ゴミ袋を片手に店内へ入った。へろへろとついてくる舎弟らはいつから居たのか、熱中症寸前の顔の赤さだ。日焼けしたのかも知れない。

「んな事より、明日新しいサーキュレーターと冷房機が届く。業者が作業し易い様に、今日は足場だけ作っとけ」
「うっわ!やっとクーラー来た!」
「マジっスか!夏場で工事予約取りにくいって言ってたのに、やった!」
「厨房は先に完成してるし、残りはカナメさんが格安で見つけてきたテーブルと椅子が届くのを待つだけっスね!」

倒産寸前まで営業していたクラブの内装は、そっくりそのまま残されていたが、佑壱はその一切を処分した。目標の喫茶店にそぐわないからだ。
お陰様で倹約家の副総長の顰蹙を盛大に買い、邪魔な内装品は処分ではなくフリマに出すだの、欲しい人に持っていって貰うだの、何やかんや時間は懸かったが、経費0…どころか若干プラスでほぼ全て片付いた。処分を頼めば数十万単位で経費が懸かってきた所だったが、流石である。

佑壱がどうしてもこだわった厨房用品にはコストを懸けたが、それ以外のカウンターテーブルだの座席セットだのは、全て要に任せた。
お陰様で当初の予算の半分で済んだのは良いのだが、本当なら梅雨明けには完成予定だった日程が大幅にずれ込んだ。

業者に頼めばコストが懸かるので、出来る限りは自分達でやる。
満面の笑みで提案した要にノーと言える人間など存在しなかった。いや、ただ一人、ボスだけは否定出来たのだろう。然し目をキラキラ輝かせて誉めてくれと言わんばかりに宣った要を前に、佑壱は諦めたのだ。
信じた道を突き進むB型を前に、幾ら言葉を飾り立てようと無意味だと判っていたからだ。主に叶二葉と言うトラウマが原因だろう。あの男には言葉が通用しない。一切。

昔、二葉には理解できないマイナー言語で悪口を言った事があったが、「何かムカついた」と言う理由で腕の骨を折られた事がある。
見事なまでに晴れやかな笑顔で他人の腕を折ったのだ。あの男は。

その叶二葉の従兄だと言うのだから、高坂日向が見た目通りの人間ではない事など明らかだ。そもそも二葉の身内だと知っていたら、日向に近寄ったりしなかった。
少なくとも、男子校なのに何だあれメチャクチャ可愛い奴が居る、などと我ながら阿呆らしい理由で話し掛けて蹴り飛ばされる破目に陥った世知辛い過去は、なかっただろう。と、信じたい。

「あれ?総長、そっちのビニールはお土産じゃないんスか?何で捨てるんスか?」
「あー、おにぎりっぽいのが見える!勿体ない!」
「もしかしてさっきのエロい彼女の手作りっスかっ!」
「これは食いもんじゃねぇ、ゴミだ」

梅雨が去り、暑さが強くなってきたばかり。冷房が使えない改装中のテナントの中は、外より幾らか暑さを凌げた。
押しつけられたビニール袋をゴミ袋へ直接放り込めば、背後で不満げな声が上がる。

「何だテメーら、ブツブツほざきやがって」
「捨てるくらいなら欲しいっス」
「手作りおにぎり食べたいっス」
「エロ彼女の手で握ったおにぎりなんて興奮しかしないっス」
「めでたい奴らだな。ネイルばっちり決めてる女が、この糞暑い中、車内に少なくとも半日以上放置した握り飯なんざ、ゴミ通り越して毒だ、毒。…おい。拾い食いなんかしてみろ、ぶっ飛ばすぞ」

剥がれた天井から、換気扇の中身とコードが覗いている。
垂れ下がった業務用サーキュレーターのコードが揺れていた。強い、ニスの匂い。微かなコーヒーの香り。
埃避けの青ビニールシートを被せられたカウンターテーブルの向こう、倉庫から箒を手にやってきた男が見えた。175cmの佑壱より、まだ上背がある男だ。

「ども。お疲れ様です、オーナー」
「おう、土産持ってきた。…糞が。口の中、口紅の味がしやがる。何か飲みもんあるか。アイツらにも何か冷たいもん用意してやってくれ」
「っと、冷凍庫に試しでストックしといた氷ならありますけど…さっきアイツらにジュース飲ませたんで、ミネラルウォーターくらいしかないですよ?」
「ああ、それだ。昨日入った冷蔵庫の調子はどうだ?」
「まだコード繋げただけなんで、何とも。完全に冷えきるまで中身は入れられないでしょ…っと、さっきコーヒー淹れたの冷やしてたんですが、飲まれます?」
「こないだみてぇな糞不味いもん飲ませたら、今度こそぶっ殺すぞ」
「少しはマシになった…と、思いたいですね。ま、アイスコーヒーは味が誤魔化せる筈なんで」
「はっ、確かにホストは、酒の入れ方とボトルの入れ方以外、知る必要ねぇわな」

まだ一ヶ月。未だに手際は良くはないが、随分様にはなってきた。

「ケンゴがフリマで仕入れてきたグラス、まだ洗ってないんで。カップでも?」
「何でも良い。流石に今日は、外の暑さに当てられた」
「最高気温38℃だそうですよ。猛暑日」
「天気予報なんざチェックしてんのか」
「一応、新聞で」
「マメなこった」

たった一ヶ月前にこの場で、ヤクザに囲まれていたとは思えない。半ば巻き込まれた男は取り囲まれ殴られて、最終的に、あの男に救われたのだ。

「あらま、見事に取っ手が粉々…」
「…悪い。中身は大丈夫だろ、飲む」
「や、流石に入れ直しますよ。怪我は?」
「あると思うか?無傷だ」

然し、思い出す度に握り潰す癖をどうにかするべきだろう。

「お前こそ怪我、まだ治らねぇのか?」
「俺のは頬骨が折れてんですよ?完治は当分先です」
「ふん、俺なら三日で治る」
「んな無茶な!くはは。光華会の若の胸ぐら掴んだり、極道相手に英語で怒鳴り散らしたり、…本当出鱈目ですね、貴方」
「馬鹿猫がカルマの活動区域で調子乗ってたから、灸を据えてやったまでよ」

元クラブの名残はもう、何処にも残っていない筈だ。これからログハウス風の喫茶店に作り替え、増えた仲間達の居場所になる。

「総長!コーヒーゼリー食べて良いっスか!」
「このプリン焦げてる粗悪品っスよ!クレーム入れますか?!」
「さっきから携帯が鳴ってるっス!また女っスか?!」

ああ、煩い。
佑壱の表情を認め乾いた笑みを浮かべた男は、頬に貼ったガーゼを掻きながら、ニスの真新しい一枚木のカウンターにコーヒーソーサーを置く。これは騒がしい三人の舎弟が、力を合わせて自作したものだ。

「ほーら、オーナーがキレる前に落ち着けよ三人共。お前らオーナーより年上なんだろ?」
「ミヤビの癖に話し掛けんな、お前なんかメヤニに改名しろ眼鏡男子が!勝ったと思うなよ!」
「そうだそうだ、ユーヤさんにチクるぞ!ミヤビの癖に女と歩いてた癖に!見たんだからな!」
「総長ぉ、彼女居ねぇっつってたのにとんだ詐欺っスよ!彼女何人居るんスか、怒らないんで教えて下さいよ」

ノイズをBGMに、開いた携帯へ目を落とした。
海の画像と空の画像、砂に埋もれた巨乳のオレンジとフレッシュグリーンが写っている。

「ブフッ」

どんな顔でこれを撮影したのか、耐え切れず吹き出してしまった口元を覆いながら、怪訝げに見つめてくる四人へ携帯の画面を見せた。

「カナメからのブレブレ写真、テメーらの喜ぶ巨乳が写ってるぞ」
「うわ…ケンゴさん、小6とは思えない匠の技っスね…」
「砂で乳首をここまで精巧に作り出すとは…」
「ユーヤさん、グラサン似合うっスね。マフィアにしか見えねーっス。これマジで小6っスか」
「何にせよ良かったですね、楽しんでるみたいで」

窓ガラス待ちのバルコニーから吹き込む風が、湿気もニスの匂いも拐っていく。額から滴る汗が頬を滑り、顎から落ちた。

「日焼けした餓鬼共が戻ってくる前に、片付けちまうぞ」

酷く暑かった、夏の日。
























潔癖とは難儀なものだ。

久し振りにクレヨンじみた口紅を味わったと苦々しく唇を拭いながら、凪ぎ払う勢いで執務室のドアを開いた。
近頃目線が変わらなくなってきたブロンドを視界に入れるなり、叶二葉は躊躇わず笑みを浮かべ、地味なピンクベージュで汚れたハンカチをダストシュートへ投げ入れる。

「おはようございます、愛しい高坂君。貴方の愛を熱望している哀れな仔猫に、アールグレイの口付けを下さい」
「悪いが、俺様は喰えねぇもんは口に入れねぇ主義でな。そこで暇を持て余してる帝王院にでも頼め」
「おや?」

日向のネクタイを掴み引き寄せれば、日向が持っていたバインダーで二葉の唇は封鎖された。呆れ顔の日向が顎をしゃくった先、コーヒーを啜りながら足を組み替える長い銀糸が見える。
その存在感に未だ慣れない役員らは彼の背後に整列し、人形の様に動かない。

「これはこれは、ご機嫌よう神帝陛下。本日も大変お美しいですねぇ、私には劣りますが」
「ああ、そなたは常に愛らしい黒猫だ」

日向以外の役員から、感嘆の息が漏れる。
見た目だけなら儚げな二葉と、極稀に目撃される理事長と瓜二つだと噂されている生徒会長は、並ぶと笑えないほどに似合っていた。
きらびやかなプラチナブロンドはいつ見ても毒々しい程に煌めいていて、二葉の黒髪とのコントラストは神憑りめいている。

「時にセカンド。綻び始めた梅が如く、そなたの唇はいつも以上に色づいておる様だ」
「おや、念入りに拭いたつもりだったんですが、取れてなかったとな?高坂君、ふーちゃんの潤いリップを優しく拭って下さい。勿論、舌で」
「欲求不満か二重人格会計、シャンプーの匂いがする様だが?」
「中等部理事が浮気をしたそうです。乗り込んで見えられた奥様のお相手をしている内に、何故かあっちのお相手をする事になりましてねぇ」

どっちだよなどとは、誰一人突っ込まなかった。

「最終的には笑顔でお帰りになられましたよ陛下、誉めて下さいませ」
「相も変わらず慈悲深い事よ。大儀だ、セカンド」
「ですが、クレヨンの味がする口紅であっちこっちキスマークを付けて下さいましたので、丁寧に洗ってきました。殺菌もばっちりです。なので高坂君、口直しのキスを下さい」
「全力で断る。副会長命令だ、仕事しろ」
「陛下、高坂君が私にキスしてくれません。叱って下さい」
「高坂。そなたこそ随分、胸元の厚みが減っている様だが」

神威の台詞に痙き攣った日向のブレザーへ、二葉は素早く手を伸ばした。抵抗する気がないらしい日向の胸ポケットに指を入れれば、折り畳まれた避妊具が出てくる。

「残高2枚ですか。これは今朝、私が差し上げた極薄ちゃんですよねぇ、高坂君。確か5枚1組だったと思うんですが」
「…放っとけ」
「えぇ?私もまだ1枚しか使っていないと言うのに、既に三人で試したんですか?だって君、」
「黙れ」
「何処ぞの尻軽俺様男は、遅漏で有名なんですけどねぇ、高坂君!頑張らないとエレクトしない癖に、起立したらしたで頑張らないと出せない不感症ですもんねぇ、高坂君!あはは、あははははは!」
「黙れと言ってんだろうが、鬼畜が!」

潔癖とは難儀なものだ。
それならまだ男としての能力に欠ける方が余程楽だろうと、二葉は思った。なまじ好きでもない行為が出来るからこそ、苦労するのだ。

「このままでは高坂君が親衛隊達から搾り取られてしまいます。一晩に数十人の女性を侍らせてらした陛下、どうか高坂君のノルマを担いで頂けませんか?せめて週に、5穴くらい」
「試すまでもない些末事よ。愛らしいそなたの願いとて、一度手放した興味は戻りはせん」
「残念ですねぇ。陛下がEDだなんて、ふーちゃんは悲しみの舞いを踊ります。アモーレ!」
「面映ゆい」

二葉のそれはどう見てもフラメンコにしか見えなかったが、日向は見なかった事にした。顔半分を覆う仮面越しに頬杖をついた男は、無駄に長すぎる足を組み替え、コーヒーを啜る。

「心優しく美しくその上踊れてしまう私は、何と罪深い存在なのでしょう。還暦間近のマダムに、ちゃんと出来ました。所で陛下はマダムをお抱きになられた事は?」
「どうだったか、興味のない事は記憶に残っておらん」
「お可哀想に陛下…。認知症の陛下を優しく慰めるのが私の役目、キスしましょう」

黄色い悲鳴に日向は目を閉じた。
明らかに嫌がらせで二葉に吸い付かれた神威は無反応で、並べたカップに注いだ紅茶をトレーごと運ぶ合間も、二葉は神威に張り付いている。長い所の話ではなかった。
見たくないので日向は目を逸らしたままだったが、どうもしっかりがっつり舌が絡み合っているものと思われる。


「いい加減にしやがれ」

頬杖をついたまま二葉の悪ノリに付き合ってやる神威の頭の中は謎だが、流石に長いので、日向はトレーで二葉の頭を叩いた。
中々に、良い音だ。

「危ない所でした。ほんの啄むつもりが、うっかり腰が抜けそうに…。陛下、私の体を狙っていたんですね?エッチ」
「そろそろ手を離さねば、そうなるやも知れんな」

神威の囁く様な声に日向は目を向け、二葉の右手が神威の股間を掴んでいる事に気づいた。成程、急所を握られても無反応で微動だにしないのだから、二葉が自棄になる筈だ。

「陛下のインポが治る日まで我慢します。ぐすん」
「すまんなセカンド。高坂、それは私の分か」
「ああ。コーヒーの匂いは悪かねぇが、紅茶のが幾らか楽しみ方があるだろ。おい、そこで気色悪いダンス踊ってる阿呆、テメェはミルクティーで良いんだよな」
「いえ、ロイヤルミルクティーをお願いします」
「聞いた俺様が馬鹿だった。で、アンタもリクエストがあるなら聞いてやるよ、マジェスティ。ミルクとレモンはどうする?」
「そなたに任せる」

ターンを止めた二葉と日向が目を見合わせ、同時に肩を竦めた。希望がないと言う事は、飲み物にさえ飽きたのだろう。

「ねぇ、陛下」
「どうした、セカンド」
「普通科は夏休みですよ」
「ああ」
「そろそろ外へ出掛けませんか。そうですねぇ、雨の日のお昼時にしましょう。太陽の出ていない時ならお肌が焼ける事もないですし」
「何故だ」
「…学園長の見舞い、暫く行ってねぇだろう?」

日向の問い掛けに、銀の仮面越し、蜂蜜色の眼差しが瞬いた。

「そうか。…次の雨はいつだ、セカンド」
「来週は台風の影響で雨続きですよ。…あ、そろそろ高坂君の誕生日ですねぇ。来週の日曜日、18日です」
「おい、出掛けるのは勝手だが仕事は片付けろ。二葉、テメェも理事に手ぇ出してる暇があるなら、巡回減らせ」

二葉はただの自暴自棄だ。
いつもの様に中等部三年の山田太陽に冷たくあしらわれて、八つ当たり混じりに理事の妻に手を出した。中等部理事の弱味を握れば、色々と融通が効くと言うのもあるだろう。

「はいはい。潔癖な王子様には、私の気持ちなんてお判りにならないのですよ」

二葉は半ば呆れ果てた声音で呟いた。
だったら職務放棄している何処ぞの書記でも引っ張ってこい、などと宣うのは、流石に可哀想だろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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