帝王院高等学校
エキサイティング☆シェイカー
「安くて美味しいそうですよ」

笑顔の男の荒んだ目を、今でも覚えている。

「そりゃあ、最強じゃねぇか。」

だからどうしたと鼻で笑うには、この国には余裕がなかった。一つも。




祖母と言う単語を辞書で調べたのは、この国で暮らし始めて、二度目の女王聖誕祭を迎えた頃だ。
円高だと言う理由で酔っ払いをリンチしている黒髪を見たが、昨日はユーロ安と言う理由で不倫していた議員を脅迫していた。何にせよ、人の怯える表情で愉悦を感じる様なヒトデナシだ。

「Where’s the fire?(そんな早足で何処行くの?)」
「…Jesus.(糞が)」

無視に限ると判っていたが、遅すぎたらしい。
いや、そもそも逃げられる筈がなかった。この狭い、ロンドンの屋敷では。

「グッモーニン、金髪野郎。キラキラキラキラ鬱陶しい頭だなぁ、あ?ぶっ殺されてぇのか」
「In English.」
「Good morning, I am dead tired very well. Please give me your love. I am full of you, darling.(とても疲れているので、愛を下さい。私の中は貴方でいっぱいなんですよ、ダーリン)」
「Oh, honey. That will be the day.(ハニー、そりゃ勘違いだ。忘れろ)」

日が傾いてきた窓辺の向こうはサンセットスカイ、タンジェリンに蜂蜜を落とした様な淡いオレンジだった。
グローブ越しに掴んだハンカチで乱雑に頬を拭う男から、生臭い血の匂いさえしなければ、黄昏を背負う二葉の姿は教会のマリアに劣らなかっただろう。

「あ、腹鳴った。ちっ、馬鹿なナンパ野郎にランチ奢らせようと思ったら飯の前に俺が食いたいなんざほざきやがって、糞ペドが。議員じゃなかったら全殺しにしてやったものを…」
「半殺しにはしたんだろ」
「前歯を全インプラントに替えてやっただけですよ、歯医者が儲かったでしょうねぇ。うふふ、効果的に経済が回る種明かしです」
「…どんな拷問だそりゃ」
「聞きたいですか?」
「You go ahead and bounce at once devil.(取り急ぎ巣に帰れ悪魔)」
「一切れのケーキを、公園を散歩する様に租借する」
「朝飯前って事か。人間性を疑うぜ」
「例えば、高坂君」

五冊目の辞書を奪っていく、黒のグローブ。
食事の席では白い手袋を纏う従弟がこれを着けている時は、ろくな事がない。どうせ、汚れても判らないと言う理由だろう。色は隠せても匂いは隠せない事を、本人が一番良く判っている。

この男にも、答えのない葛藤はあるのだろうか。

「私を殺せるのは神でも悪魔でもましてや、添加物に塗れたジャンクフードでもない」

二葉の黒い手が、辞書の初めのページを開いた。
ぱらりぱらりと幾つか捲って、アルファベットの一番目を示す単語の羅列を指でなぞる。


「Angel」

同時に、カリフォルニアロールなどと書かれた汚れたチラシを差し出してきた。何処に隠していたのか、随分、血生臭い。

「イギリスのチラシじゃねぇな」
「ええ、朝日新聞に入っていました。六区に新しくオープンした、アメリカンスタイルのお寿司屋さんだそうです」
「逆輸入かよ」
「おやおや、たった二年で見事に語彙が増えましたねぇ。勤勉で大変宜しい」
「…で?ロサンゼルスに用でもあるのかよ」
「天使を喪失した街なんてロマンティックですねぇ。ネバダならまだしも、幾ら近かかろうと娯楽のない街には用などありません。ラスベガスでルーレットでも回して来ましょうか」

黒ずんだチラシを触る気にはなれなかった。
鼻を近づけなくても匂う血の匂い、読める漢字と読めない漢字に折り合いをつけながら盗み見た広告の隅に、ワラショクモールと書いてある。だから何だと言う話だ。

「気持ち悪い言葉遣いしやがって…」
「何か言いましたか?」
「別に」
「お祖母様がお望みなのですよ高坂君。そうですねぇ、枢機卿レベルは無理だとしても、最低限、英語と日本語のバイリンガルは成立させないとならない。君の英語は口汚いのレベルを越えてますよ、ご存じですか?」
「知るか」
「男として育てられた叔母上の身を思えば、留学を名分に他国を点々としていた彼女の言葉が混ざってしまったのは、まぁ、仕方ないとして…」

何冊だろう。
屋敷の英和辞書は、もう全て読んだ。覚えているいないは別にして、目を滑った幾つかの単語が脳に刻まれている筈だ。たった二年、たった五冊。

「…あと、何ヶ国だよ」
「どうかしましたか?ああ、お腹が減ったんでしょう。この国の料理は、ブレッド以外食べられたものではないのでねぇ。まぁ、腹が膨れれば何でも構いませんが」
「おい」
「はい?」
「赤毛のピエロのハンバーガーはどんな味だ?」
「ああ、安くて美味しいそうですよ」

日本では何かにつけて生肉だのほざいていた従弟が、慎ましくスコーンで腹を満たす光景は見飽きていた。
唖然とする老婆の前でさえ笑顔で、前菜もメインディッシュにも手をつけず、付け合わせのパンだけ齧るのだ。悪びれもせず。

「そりゃあ、最強じゃねぇか」
「アメリカ人の合理的な性分が反映されてますねぇ。安くてうまいとなれば、安い賃金でも人間は喜びを見出だす」
「それもあれかよ、経済が回るってか」
「高くて不味いステーキと、安くて美味しいハンバーグ。君はどちらを選択しますか?」
「ピエロ一択だ」
「私も賛成します」
「あ?」
「外側のバンズしか食べませんので、ピクルスとハンバーグはあげますよ。ああ、それと」

薄汚れたチラシはダスターに、ドッグイヤーだらけの辞書は本棚に。それぞれ片付ければ、窓の外はオールブルー。グレーを混ぜたネイビーブルーに染まっていた。今夜もまた、きっと寒い。

「私の記憶では250言語でした。なので、あと、248の言葉を覚えたら良いんじゃないですか?」
「………お前は何ヶ国語喋れんだよ」
「拙いものも合わせれば、12ヶ国程度ですねぇ。辞書など読むより、色んな国の女性に手を出した方が早いのではないですか?そうそう、アメリカへ渡ったばかりの枢機卿殿下は、あらゆる国の教育係を呼び寄せて部屋に籠り、ほんの一週間でファーストの知識を越えたそうです」
「嘘だろ」
「あの紅眼に命じられて逃げられる者は余りにも少ない。今は、君より明るい金琥珀で、益々お美しいですよ」

人気のない廊下を選んで歩いていく背を追い掛けて、ネイビーブルーに踏み出せば、埃臭い大気に包まれた。血生臭い屋敷よりはマシだと、溜め込んでいた息を吐き出す。

「『容貌の造詣差異など興味はない』だの何だのほざきそうだな」
「要領は悪い癖に、変な所で器用ですねぇ、君は。今の、余りにも似ていたのでゾッとしましたよ。うっかり殺してしまうかも知れませんので、声を真似る時は気を付けて下さいねぇ」
「悪魔が」
「そう、ネイキッド=ヴォルフ=ディアブロ。イギリスに負けず劣らず頭の固い狼の国の軍人を、調教するのが私の役目」
「…バレんなよ」
「ヴィーゼンバーグに、ですか?バレませんよ。邪魔でしかない公爵の肩書きなどお断りです、私は公務員なので」
「公務員?」
「そう、グレアム政権の」
「おっかねぇ…」
「なので物好きな君の為に、イギリス以外のヨーロッパを統治しておいてあげます。いずれ君が王の椅子を手に入れたその時は、悪魔が天国への階段を開いて差し上げましょう、王子様」

賑やかな人通り、話し掛けてくる大人達を流暢な英語で断っていく二葉の背を横目に、肩を抱いてきた酒臭い大人を仰ぎ見た。


「人間風情が気安く触ってんじゃねぇ、殺すぞ」

寄せられた唇の迷いなく殴り付け、呆然としている男の足を蹴り払う。踏みつけた頭をアスファルトへ擦り付ければ、背後で笑う気配がした。

「おやおや、おっかない。勉強の合間に護身術を叩き込まれ、寝る間も惜しんで暗殺術の予習を怠らない君に、キスを求めるなんて…馬鹿な人間が居たものです」

耳障りな悲鳴に『黙れ』と呟いた。
震えながら口を閉ざす男の耳元に唇を寄せ、己の名を告げれば、恐怖で最早言葉もない人間は言葉にならない悲鳴を飲み込もうと必死だ。

「この街で平和に酒が飲みてぇなら、女王の獅子には手を出すな」

家紋はライオン、この国でその意味を知らぬ者などいない。
行きましょうと背を向けた二葉を追い掛けながら、取り出したハンカチで左手を拭う。汚れたハンカチはもう、要らない。

「ちっ、手が汚れた」
「大丈夫ですよ、ハンバーガーは汚れた手でも食べられる様に、ペーパーで巻かれています」
「そう言う問題じゃねぇ。…ちっ、気安く触りやがってカスが」
「そうですねぇ、君は潔癖性ですもんねぇ。自分の手袋でさえ、シャワーを浴びた後は触れないなんて病的ですよ?」
「ふん。テメェもとっとと風呂入れ、匂う」
「お風呂なんて三日四日入らなくても困りませんよ」

片目を眼帯で覆う悪魔は曝した蒼い眼差しを眇め、笑みを浮かべた。

「尤も、女王ですら汚いと宣いそうな天使主義者の君は、許せないのでしょうが」

かつて灰色の街には、黒い悪魔を噛み殺した獅子が居たと言う。
名はヴィーゼンバーグ、爵位は公爵。



「やはり君は暗殺者には向かない。司令塔であるべきですよ、王子様」

家業は女王直属の、特殊部隊総督だ。
























「記憶はナマモノだ。時と共に薄れ、時には擦り変わる。牛乳がチーズになるように、そうなるともう、元には戻らない」

かつり、かつり。
爪先で床を叩く、音。貧乏揺すりに似ていると錦織要は微かに眉を潜めたが、どちらかと言えば、時計が刻む音に似ているのかも知れない。
音階で例えるなら、『ソ』、だった。

「人の生き様は外見に現れる。初対面で大体の人柄、話せばほぼその人となりを俺は理解した。意思の強さは目に、優しさは目元に、労りは口元に、どう装うが、隠せはしない」
「人相学かな?」
「本能に近いと思う」

落ち込んでいる佑壱の方向を凄まじい目で睨み続けている隼人は、星柄のシュシュで女々しさに拍車を掛けていた。

「ハヤト?」
「………ふあ?何?」
「そこまで辛い顔をするなら、座ったらどうですか」

何を考えているのか、要の隣で空気椅子に励む男は震えている。うっすら滲む額の汗が哀れだ。

「…ほっといてよねえ。男の子には色々あんの、女顔の誰かさんには判んない色々がー」
「まずは摂取カロリーを減らせば良いのに…」
「はあ?」

眠り姫の表情で男らしい鼾を放つ健吾にブレザーを掛けてやった要は、考える事を放棄する。揚げ物か甘いものかで腹を満たしきる隼人の思考回路など、判りたくもない。

「………意味判んねー、クソが…」

眠気の余りやさぐれているらしい隼人は普段の言葉遣いも忘れ、佑壱を凝視しながら呪詛を呟き続けていた。目を開けたまま寝ている健吾を何となく見られず、膝に乗せた健吾の瞼を手で閉じてやる。
意味もなく疲れた。

不協和音。
ざわめく他人の声に紛れて、トントンと。
その音だけは酷く心地好い。彼が奏でた音だからだろうか。

メトロノーム、速度はゆったり、ワルツ調。
踊るように、囁くように、眠る鼓動のように。


「…ccarezzando(カレッツアンド)」

宥める様に、愛おしむ様に、労る様に。
とんとんと己の膝頭を右手で叩いた。暫くピアノには触れていない。一人部屋の自室にシンセサイザーを備えているが、ほんの息抜き用のインテリアだ。

「Eguale(エグアーノ)」

健吾の瞼を閉じた時に置いた左手の下で、何かが動く気配。起きたのかと手を離せば、長い睫毛に縁取られた瞼は閉ざされたまま、唇が僅かに開いている。
寝言にしてははっきりとした声音だったと思ったが、膝に乗る頭は無意識下による重みを教えていた。

「ねえ」
「…何ですか?」
「穴って、一つ空くと広がってくよねえ」
「は?」

いつまで耐えるのか、腕を組み、膝を曲げたまま今にもコサックダンスを踊りそうな体勢で口を開いた隼人を見上げ、眉を寄せる。何の話だと思ったが、口にはしない。

「始まりと終着点が判んない。疑問は山積みなのに、どっからどこまでか全く判んない。広がってるのか、既にボロボロなのかー。…どっちだろうねえ」
「ユウさんの話ですか?」
「え?」

目を丸めた隼人が要を見やった瞬間、尻から崩れ落ちた。

「何をしてるんですか、お前は」
「…あは、想定外の単語が出てきて驚いた、っぽい?」

油断した本人が一番驚いているのか、目を丸めている。見ていた数人が顔を逸らし肩を震わせていたが、呪いを込めて睨み付ける隼人は膝が笑っている為に立てないらしい。

「足…足が…痺れたあ…」
「似合わない事をするからでしょう」
「今ので一万カロリーくらい使ったよねえ。カナメちゃん、膝貸して」
「ちょ、おいハヤト!」
「あは。軟らかいんだねえ、股割き余裕じゃんかー。正常位向いてるんじゃない、カナメちゃん〜♪」

健吾ほどではないが体の柔らかさには自信のある要の片足を勝手に奪い、図々しく頭を乗せてきた隼人に要の顔が殺気を帯びたが、気づいている癖に知らない振りをした隼人は目を逸らす。
神崎隼人は眠たいのだ。そして足が笑っているのである。大爆笑だ。

「マジ、ケンゴの鼾うっさいんだけどお。つーかカナメちゃんの膝固過ぎて萎える。もっと柔らかいのがよい」
「殺すぞ」
「あっは、何なのー?猿と隼人君の扱いがあ、不平等なんだけどお?もしかして隼人君のジェラシー求めてるわけえ?あは、プラトニックじゃあ、あげないよ?まずは一発ヤってから考えてあげるー」
「馬鹿な事ばかりほざいてないで、少しは真面目にしなさい。大体、お前とケンゴは違う」
「はあ?なにが?足の長さ?経験人数?どっちも隼人君の圧勝だと思うけどねえ」
「此処に」

俊が剥ぎ取ったボタンの下、晒された胸元にはクラスメートから借りた膝掛けを掛けた。その布越しに健吾のみぞおち辺りを指差せば、要の膝の上で向きを変えた隼人の目が、そこへ向かう。

「狼の咥えるタクトに沿って、深い傷があります。腹部の怪我は皮膚移植と普段日に当たらない部位だった為、一見しただけでは判らないくらい薄い。日焼けすれば益々判らない程度」
「それが関係あるって事は、カナメがやったわけ?さっきの話じゃそんな感じじゃなかったけどねえ?」
「…この傷は俺が付けたんですよ。軽蔑したでしょう?」
「判り易い顔してんねえ、わざとかなー?あは。ユーヤがわざとらしくカナメちゃんと喋らない意味があ、判ったかもお」
「はっ。流石ですね、気づいてたんですか。無関係を装っていたなら、最後まで貫けば良いのに」
「シカトしてあげてたでしょ、今まで」
「興味もない癖に、良く言う…」
「別に、言えば聞いてあげたかもよお?言わなかったのはそっちじゃん」

気まずげな沈黙、招いたのは自分だった。
折角結って貰った髪が崩れるのも構わず、固い固いと嘆きながら膝に頬を擦り付けてくる頭の上に、要は手を翳した。
身長差の割に、小さい頭だ。流石はモデルと言った所か、ムカつく事に。

「…ちょ、頭蓋骨握り潰す気じゃないよねえ?」
「は?………ああ、気づかれましたか」
「こっわ!カナメ、ちょっと人としてのお勉強やり直した方がよいよ。隼人君はそう思うよ」
「お前には言われたく、」

はたりと、錦織要は口を閉ざした。
突き刺さる視線に眉を寄せ見渡せば、全員がこちらを見ている。息が荒い北緯など、至近距離で一眼レフを構えており、俊と佑壱は指を組んで何処ぞの司令官じみたポーズでこちらを凝視していた。
頬に汗が浮かぶ佑壱は小刻みに震えていたが、他の面々は大なり小なり、頬を染めている。何かを期待している表情だ。

気づきそうになってしまった『何か』から目を逸らした要は、隼人の頭の上から手を離す。
途端に『あー』と言う落胆の声が鼓膜を震わせ、真顔の俊の足が小刻みに震え始めた。今度は『ド』だ。何処となく不安を煽る、大型バイクのエンジン音に似ている。

「母さん」
「………あ?」
「俺は何故か、左胸が痛い。こう…ムカムカ?ムラムラ?とりあえず苦しい。何故だろう」
「あ、え、は?!しっ、心臓っスか?!」
「物理的なハートではなく、精神的なハートだと言わせて貰えるか。今、俺の心は震えている。ぶっちゃけ除細動モードだコラァ、やっべーぞ」
「ちょ、貧乏揺すりだと思ったらまさかの痙攣スか?!しっかりして下さい総長…!おい誰かっ、AED持ってこい!」
「いやー!お気を確かに天の君!」
「天の君が死んでしまったら、左席委員会はおしまいですよぉ!いやー!お医者様はいらっしゃいませんか?!」
「起きて下さい時の君!天の君が、天の君がー!!!」
「ぎりぎりぎりぎりぎり」

不協和音。
余りの雑音に要は頭を抱えた。けれど膝が震えている気配に片目を開けば、要の膝に顔を埋めている隼人の背中が震えている。

「…ハヤ、」
「あー、もー、マジ煩くて寝てらんねーっしょ」

ぼふりと、隼人の背に頭を乗せたオレンジが、黒目を瞬かせながら欠伸を発てた。小刻みに震えている隼人には構わず、至近距離で一眼レフを構えていた北緯にピースサイン一つ。

「総長、ハヤトとカナメはカップリング不成立っスよ。カナメはユーヤとアレだから、ハヤトは仕方ねぇ、俺が抱いてやんよ(´・ω・`) ほれ、まずは勃起するまで舐めろ」
「てんめーの口にぶち込んでやろうかあ、馬鹿猿。退きやがれ、暑苦しい」
「はん、天下のスーパーモデルもこの程度かよ(´Д`)」

ああ。
要は再び頭を抱えた。カルマで最も喧嘩っ早いのは健吾だが、カルマで最もプライドが高いのは隼人だ。つまりこの二人が顔を合わせて、和やかだった覚えがない。

「はあ?今をときめくスーパーモデルだっちゅーの。世界に羽ばたく期待のスーパースターだっちゅーの。羨ましけりゃ、後10cm背を伸ばしてから掛かってきてくんなーい?猿なんかあ、敵になんないんですけどお?」
「うひゃひゃ、男の癖に風呂でタオル巻いてんじゃねーべお子様ランチが。オメー包茎だろハヤト(´°ω°`)」
「あ?…誰が包茎だとお?上等だ猿が、てんめーの口に入るかどうか試してみっか、ああ?!」
「はっ、オメーこそケツの穴広げてみろや。どうせ恥ずかしがって脱げやしねーんだろうが、女子力満点かよ?脱がないとエッチ出来ないんでちゅよ〜?お子様なハヤト君は知らなかったんでちゅか〜?(´艸`)」
「今すぐ脱げテメェ糞猿があっ、S字結腸掘り出してやるあ!」

同時にベルトへ手を掛けた二人は、立ち上がった要がそれぞれ喉を鷲掴み事なきを得た。


「…馬鹿共、貴様らの尻穴に片腕ずつ突っ込んで、腐り果てた大腸を使い物にならないようにしてやりましょうか?」
「「すいませんでした」」

俊の耳を慌てて塞いだ嵯峨崎佑壱は、痙き攣りながら息を吐く。
目玉焼きも焼けない要に豚肉を縛らせると、何故か亀甲縛りになる事を知っているからだ。ド変態にも程がある。

「ったく、テメーら巫山戯け過ぎだ。いい加減にしろ健吾、お前もだ隼人。総長の前でお粗末なもん見せたら、叩き殺すぞ」
「そ、粗末じゃないもん!ユウさんに負けないもん!隼人君のは世界に羽ばたく立派な奴だもん、馬鹿あ!」
「あ、そう言や、風呂入ってねーからチンカス溜まってっかも。さーせん、副長(´・3・`)」
「馬鹿はテメーらだ馬鹿野郎、要。」
「ラジャー」

佑壱は笑顔で要にゴーサインを出した。
要からベルトを剥ぎ取られそうな二人が泣きながら土下座するまで、残り数秒。



























寝ているの、だろうか。
(ならば何処で)

起きているのだと思う。
(けれど体は動かない)



何かが羽ばたく音がする。
恐らく、鳥だ。明らかにこれは、虫のそれではない。



「………が、見つからない?…そんな馬鹿な事が…」

誰かの声がする。
羽ばたく音の合間に、密やかな声。

「…判りました。それでは、吾はこのまま部屋に籠ります。お客様を預かっていますので。…ええ、下手に表へ出るよりは安全でしょう。少なくとも、Fクラスの大半はそれなりの立場を有した子息ばかりです。あちらも、迂闊には手が出せない筈」

ひそひそと、それは囁いた。
ばさりばさりと羽ばたく音の合間に、香りたつそれは、茶の匂いだろうか。
香ばしい、ほうじ茶に似た匂いがする。

体は動かない。
羽ばたく音ばかり。何度も、何度も。

「万一あの李が捕らえられたとすれば、汝らでは到底敵わない相手です。敵が誰にせよ、…汝ら心なさい」

いつか。
ばさりばさりと、封筒を咥えた犬を見なかったか?

「良いか。ナイト様の計画が崩壊する事だけは、避けねばなりません。当然、ユエには悟らせぬよう。…ふふ、吾が祭家にあれに従う馬鹿など居ないでしょうがね」

安いコロッケを喜んで食べた黒い毛並みの、誰かと同じ名前の、犬を。土と草に汚れた体躯で、けれど咥えた封筒をしっかりと届けてくれた健気な犬は、赤い首輪をつけていた。

「愚かな父の所為で、吾ら祭が四家のはみ出し者である事は明らか。大河から除籍されてしまえば残るものなど何もないのに…吾が父ながら、愚かな男です。辛うじて始末されずに済んでいるのは、ナイト様のお力があってこそ」

野良犬だったと言う割には大きな、野良犬だったと言う割には賢い顔をした、それは、誰?

「ただの人である事を望むあの方を、汚れた神にはさせません。吾はあの方に大きな恩があります。帝王院もグレアムも知った事ではない。…判りますか?あの方の『耳』が、青蘭を見つけて下さったのです」

くるくると、何かが微かに鳴いている。
ああ、これは、鳩だ。

「同じく、大河社長もナイト様の命には逆らえません。レッドスクリプトの通り、今日まで朱雀に危険はなかった。それら全て、13年前に与えられた神の恩恵なのです」

ばさりばさりと羽ばたく音の正体は、鳩だったのか。
ならば何故飛ばない?
ならば何故羽ばたく事をやめない?

「…吾が死んでも、祭には青蘭が残る。それと同じく、李がルークと替われば良い。実の弟を殺し、己だけが生きる事を許された汚れた神など、吾は認めません…」
「…ぁ」
「兄は弟の為に、命を懸けねばならないのです。すぐに李の居場所を、………?…ああ、いえ。何でもありません、後は任せましたよ」



ああ、あの時、誰が泣いていた?
大切な弟が死んでしまったのだと、誰が、泣いていた?


(誰があの子を傷つけた)
(誰があの子を追い詰めた)

(見つけ出して怒鳴り散らかしてやりたかった)
(殴り付けてやりたかった)

(だって泣いている)

(あんなに自信に満ち溢れた気高い男が)
(子供の様に、泣いている)



(助けてくれと、声もなく。)



『それは罪じゃない』

囁く声が聞こえてくる。
ばさりばさりと羽ばたく音は同じ場所から、飛び立つ気配はない。

『ただの物語だ』

慟哭を聞きながら、ただ、背を撫でるしか出来なかった時に。大きな体躯の子供を抱き締めて、ただ、泣くのを耐えるしか出来なかった時に。
何も、してやれなかった、いつかの寒い夜に。

『誰も悪くない。覚えているから辛いなら、忘れてしまえば辛くない』

誓ったのは、何だった?





『Close your eyes』



ああ、思い出した。(どうせまた忘れてしまうのだろう)



(産まれたばかりの幼い子供に)
(強くあれと、悲しい声音で囁いた人)

(武士のように)
(騎士のように)



(誰よりも強くあれとあの人は、黒い毛並みの犬と同じ名で、囁いたのだ)





「………ごめんねィ、俊…」


そしてまた、忘れてしまうのだろう。



全てを押しつけたまま


←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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