帝王院高等学校
真夜中の清須会議で感極まるにょ
初めまして。
唐突ですが、今まで心に貯めてきた物語を、文字にしたいと思います。自分を曝け出すようでとても恥ずかしいけれど。

密やかに、誰の目にも留まらなくても、形にしたいと思ったから。



ある夏の日に、一つの出会いがありました。
そしてまたある夏の日に、二つ目の出会いがありました。



織物を紡ぐ様に、時間を紡ぐ様に。
全ての物語を宙へ還そうと思います。















「浮気、っつーか」

痙き攣った男が仰け反る様に背凭れへ背を預ける。いつも自信に満ちている眼差しは何かに怯えている様に思えた。

「あー…何と言ったら良いか、だからその、これはそんなんじゃなくて…」
「修飾した言葉は要らないぞ」

目を閉じていた男が片目を開き、静かに隣を見やる。ただそれだけで、嵯峨崎佑壱の脳内を駆け巡っていた幾つもの嘘は、露と消えたのだ。

「俺はただ聴いているだけだ。ありのままの現実をあるがままに語ればイイ。なァ、イチ。お前のプライオリティは、逃げる事だったか?」
「…」
「逃げたら駄目だって言ってるんじゃない。嘘を吐くなとも言わない。ただ、知りたいだけだ。責めるつもりはない。少しも。ただ、俺を信じるも信じないもお前の自由だ」
「約束してくれますか、総長」
「する」
「何も聞いてないのに快諾かよ!」

鋭い犬歯が牙を剥く。
真っ先に腰を浮かした隼人の肩を押さえた俊は真っ直ぐに佑壱を見つめたまま、唸る鼻先へ己の鼻先を押しつけた。

「二度と黙って居なくなるんじゃねぇぞ!出来るのか?!ああ?!テメー、今更出来ねぇなんざほざいたら、」
「だったら命令してやろうかァ?テメェ、黙って聞いてりゃ俺を怒らせてェらしいな、イチ?」
「はは。そうだよ、それでこそアンタだ。…餓鬼の癖に大人の振りしてんじゃねぇ!」
「弱い奴ほど噛みつきたがる」

全員が目を見開いた。
口を開いているのは佑壱と、彼に睨まれた俊の筈だ。けれど今の声は、俊のものではなかった。明らかに。
知っている声だ。だから嵯峨崎佑壱は信じられないものを見る目で飼い主を見つめたまま、瞬きを忘れている。

「さっきから誰に口聞いてんだ餓鬼ぁ。どうせまた逃げんだろう?勝ったつもりで負け続けてる癖に認めるのが恐ェんだよなぁ?俺はテメェなんざ敵じゃねェんだよ餓鬼、ガタガタ抜かすな弱虫野郎」
「っ、んだとコラァ!」

バキッと耳障りな音が響いた。
椅子から滑り転げた高野健吾は表情をなくし、脊髄反射で立ち上がった神崎隼人は佑壱を殴り付ける前に腰を掴まれた。
呆然と己の拳を見つめている赤い眼差しは何を考えているのか。今目にした光景が把握出来ない錦織要は目を見開いたまま、滴る赤を見ている。呼吸も、忘れて。

「…今のはどっちを殴ったんだ?」
「っ」
「俺は殴れないのに、日向なら殴れるのか?」
「違っ、」
「だから俺は言えなかったんだ。お前が純粋に慕ってくれるから、本物の兄弟になったみたいに喜ぶから、俺が本当は年下で弱い男だと知ったらきっと、悲しむと思ったから」
「俺の、所為…?」

佑壱の拳を避けず受けとめた男は切れた唇の端を指で拭い、今にも飛び掛かりそうな隼人の腰を引き寄せた。灰色の眼差しを眇めて佑壱を睨み付ける隼人の殺気が、他の生徒らを怯えさせている。

「そうだ。お前の所為。俺は悪くない。お前が負うべき責めの所為なのに俺は殴られた。ただちょっと、ピナタの真似をしただけなのに。お前の所為。俺は悪くない」

真顔で宣った俊の台詞に、熱り立っていた神崎隼人は眉を寄せ、佑壱から目を逸らした。そして、己の腰を捉えている俊の目を見たのだ。

「全部お前の所為だろう?なのにどうして怒るんだ。どうして殴るんだ。俺が俺じゃなかったら、殴れるのか?それは何故?総長だから?兄弟ゴッコに付き合ってやったからか?一人ぼっちになりたくなかったからか?」

こんな事を言う男だったか、と。
注意深く窺っても、隼人には俊の感情が見えない。ただでさえ表情の薄い男だ。意思の強い眼差しは真っ直ぐ佑壱を見据えて、淡々と呟いている。

「ちょ、待てや総長!今のは総長だって悪いっしょ?!(´Д`) あんな完璧な声真似であの台詞はねーべ?!ユウさんが可哀想っしょ!」
「そ…そうですよ!幾ら総長でも今のはあんまりです!」

健吾と要が異議を唱え、隼人は息を吸い込んだ。無意識に呼吸をしていなかった自分に気づいたが、状況は変わらない。総長を殴ったと言う現実が受け入れられないのか、真顔で自分の右手を見つめている佑壱は哀れだった。確かに、可哀想だと思った。けれど、

「うっさい。今ボスが言ったことってさあ、何か間違ってんのお?」
「っ、お前は何も知らないだろうが!ユウさんにどんな事情があるかも、総長が入った頃の事も!口を挟まないで下さい!」
「あは。そうだよお。そのとーり、隼人君は後から入ったんだし、そもそもカルマぶっ潰すって思ってたもんねえ。知らないよお?だから何なの?そりゃ事情は良く判んないけど、二十歳のバースデーだって馬鹿騒ぎして去年の8月18日にボスが来なかった事も、成人式に乗り込むなんて言ってさあ、年明けにボスが居なくなっちゃった事も。ちゃんと、知ってるけど?」

隼人の言葉で、ゆっくりと。嵯峨崎佑壱は赤い眼差しを己の主人へ向けた。

「俺の所為、ですか?俺の所為で消えるしかなくなったんですか…?」
「さァ、俺には判らない。記憶がないから」
「な、んで…」
「俺はお前の何だった?飼い主か?総長か?兄か?どれにしても結局、ただの他人だ」
「違う!俺らは家族だ!アンタがそう言ったんだろうが、総長ぉ」
「殴れもしないのに?」
「ぅ、え?」
「イチの拳骨は痛い。カルマで知らない者はいない。でもそれは、俺にはなかった。殴るぞと言われても、殴られた覚えがない。なァ、イチ。日向なら殴れるのに、俺は駄目なのか?言いたくない台詞で修飾しないと、駄目なのか?」

判った、と。
嵯峨崎佑壱は目を見開いた。遠野俊の言葉の意味がやっと、この場の誰よりも先に、判ったのだ。

「そうか。…嘘は、やっぱ、ねぇわな」
「どうしてだ?」
「総長に嫌われたら俺、めちゃくちゃ辛ぇんス。そ、総長、高坂の真似なんかしないで下さい…ぐすっ、俺の事が嫌いでもちゃんと、自分の言葉で言って下さい…ぐすっ」
「うん。ごめん。全部、嘘だよ。お前は何も悪くない。嘘吐きは俺で、叱られるのも俺で、なのに誰も叱ってくれないから、どうしても。お前じゃなきゃ駄目だったんだ、イチ」

隼人の腰から手を離し、椅子から立ち上がった男は佑壱の膝に腰を下ろした。キャー!と言う黄色い悲鳴が響き、シュンイチだのユーシュンだの囃し立てる川南北緯は恐るべき早さでシャッターを切りまくる。連写だ。記者会見に負けないフラッシュだ。

「苛めてごめんねィ、お母さん。でも叱る役は、お前にしか出来ないだろう?」
「う、あ…は、はい…」
「やめてえええ!!!ボスー!ボスー!サービス過剰だよお!うえん、うえええん!!!やめてえ!お願いだからあ!やだあ!ばかあ!」

嵯峨崎佑壱は真顔で遠野俊のケツを揉んでいるが、背後に回った神崎隼人からこめかみをグリッグリにされても滴る鼻血を拭わない。

「総長、やわこい…」
「ふ。鍛え抜かれていない俺の尻の半分は、鶏の唐揚げのコラーゲンで出来ている」
「総長、俺は間違ってました。俺が悪かった。高坂の石膏ばりに固いケツをどうのこうの出来る訳がなかったんだ…」
「ちょっと、ちょっとお!いつまで揉んでんのっ?!ケンゴ!てんめー、ボーッとしてないでこんの変態ぶちのめすの手伝いやがれえ!」
「(°ω°)」
「ケンゴ?!ハヤト、ケンゴの息がない!しっかりして下さいケンゴ!ケンゴ!」
「総長、一生幸せにします」

彼の人生最大の凛々しい顔でオタクの尻を揉みながら、カルマ副総長である赤毛は宣った。
呼吸をしていない高野健吾の頬を叩きまくる錦織要は髪を振り乱しながら佑壱へ振り向き、青褪めた神崎隼人は遠野俊の耳を慌てて塞ぎ、川南北緯と嵯峨崎佑壱の鼻血のどちらを止めるべきか悩む野上クラス委員長は混乱の余り意識を手放し、

「遠野俊さん。俺と結婚して下さい」

二年Sクラス帝君、嵯峨崎佑壱のプロポーズは、混乱極まる一年Sクラスでしめやかに執り行われたのだ。


人生初のプロポーズを受けた一年Sクラス帝君は晴れやかな笑みを湛え、



「男同士は結婚出来ないんだぞ、イチ」

さらっと振った。























何事だと藤倉裕也は珍しく目を瞠った。
三匹の合図と共に飛び出してみれば、気絶している様に見える加賀城獅楼の背後にぴったりと張り付いた山田太陽が見える。
そのまた背後に、オレンジの作業着が三つ並んでいるではないか。

「おやおやおやおや、とうとう君まで私の邪魔をするおつもりですか、一年Aクラス藤倉裕也君」
「あ?」
「そうだとも、お前さんもここまでだー!無駄な抵抗はやめて、魔王の巣に帰りなさい!」

どう見ても分が悪い集団の真ん中、獅楼と作業着に挟まれたチビが何やらほざいている。
状況は知らないが何故だか聞かなくても判る様な判らない様な、カオスな状況に裕也は片手で顔を覆った。良く見れば、作業着のまだ後ろに、金髪のゴリラと金髪の猿が見えるではないか。
ソフトモヒカン気味なゴリラとそのゴリラに張り付いている猿に見覚えがあった裕也は、真っ直ぐ目を向け、視線に気づいた二人に顎をしゃくった。
テメーらが何とかしろと言う合図だ。

然し正しく意味が伝わっているらしい二人はぶんぶんと頭を振り、冗談ではないと目を吊り上げている。
行け、行かねば殺す、とばかりに睨みを強めたが、裕也も恐いが二葉はまだ恐いらしいヤンキー共は、ひたすら首を振った。

「あー、マジ使えねー」
「ふ、藤倉!や、ユーヤきゅん!君に決めた!俺の為に魔王を倒しておくれ!」
「山田、オレを巻き込むのは良くないぜ?オレと山田は、他人以上友達未満だろ?」
「おや、それでは他人同然ではありませんか。ハニー、私とハニーは恋人以上伝説未満ですが、これから共に伝説を作りましょう。はい、おいで」
「やだー!何か鼻息荒いし目が血走ってるし、藤倉ぁあ!お前さんしかいないんだ!つーかこれ総長命令って事で宜しく!俺を!助けておくれ!」
「総長代理、無理っス。オレら全員ぶっ殺された後に連れてかれるか、オレら全員ぶっ殺された後に連れてかれるか、どっちかっス」
「あはは、一文字たりとも違いがないよねー」

裕也は躊躇わず太陽の首根っこを掴み、ずるずると引き摺った。青褪めた太陽の代わりに安堵の表情の作業着とヤンキーが見えたが、構う事はない。

「おや、ハニーがドナドナされてきますねぇ。さしもの私は牛飼いですか?」
「あー、500円で良いぜ」
「500円?!えっ、俺の価格?!ちょいとユーヤきゅん、ユーヤきゅん?!本気かい?!お前さんは俺をワンコインで売るってか?!」
「じゃー、540円?」
「消費税含んだだけやないか〜い!」
「困りましたねぇ。小銭の手持ちはないんです。カードでお願いします」

きらりときらびやかなプラチナカードを取り出した叶二葉に、太陽は絶望した。せめて百万ならと考えたが、万札を露天風呂に投げ入れた過去のある魔王相手に、少々値段を吊り上げた所で無意味だろう。


ああ、このまま売られてしまうのか。
何と優しさの欠片もない男だ。
こんなホウレン草頭に頼んだ自分が間違ってた。
美形は優しくない。
二葉は金で俺を買おうとする。
何て奴だ。
540円で俺を好きにするつもりだなんて。

せめて、もう一声。


「誰がホウレン草頭だよ」
「では五億四千万ドルでは如何ですか?」

どうやら太陽の心の声はしっかり口から出ていたらしい。
裕也から首根っこを掴まれたまま、見えないタグをつけた牛(太陽)として、肉屋(二葉)に買われるのを待つしかないのか。何て肉付きの悪い牛だろう。

「うっうっ。藤倉…信じてたのに…!俺をカルビとして見てたなんて…!」
「あー、カルビとして見た覚えはねーけど、人間を迂闊に信じるもんじゃねーぜ。白百合、カードスキャナーがあるとこまでついてくぜ。しっかりきっちり540円受け取ったら、山田をやるよ」
「判りました。もう暫くの我慢ですね、良いでしょう。…ふふ、待ち遠しいですねぇ、可愛らしい子牛ちゃん」

ぞくり。
二葉の猫撫で声に怯えた太陽は裕也に張り付いた。裕也から顎で呼ばれた作業着三匹は、裕也が囁いたカルマにしか判らない台詞に目を見開き、にやっと笑う。
楽しい事が大好きな高野健吾隊にとって、それは大層楽しい招待状なのだ。

「コイツらが出してる屋台にスキャナーがあるんで、そこまで行くぜ。シロ、そいつら連れてこい」
「うぇ?!あっ、レジストだ」

気絶から復活した獅楼は、恐ろしい裕也に命令されるままにレジスト二匹を掴まえ、先を行く作業着についていく二葉と裕也の背を追った。
途中、アンダーラインから近道すると呟いた裕也に、二葉は笑顔で応じたが、エレベーターの移動を知らない他のメンバーは理解していない様に思える。絶望した山田太陽はドナドナを歌っており、焼き肉は嫌だと繰り返し呟き続けた。ならばトンカツなら良いのか。

「おや」

アンダーラインへの入り口から階段を降りた先、二葉が何やら操作したエレベーターに全員が乗り込んだ瞬間、二葉が首を傾げる。裕也に捕まったまま遠くを見つめている山田太陽は無反応だが、裕也は眉を潜めた。

「あ?動かねーな、もしかして定員オーバーかよ」
「そのまさかですねぇ。なので他の皆さんは降りて下さい。私はハニーだけで良いんです」
「駄目だぜ、金払う約束だろ。金貰うまで逃がさせねーぜ」
「困りましたねぇ、君は疑い深い」
「オレらは先に行くから、アンタはそこの人質と後から来いや。おい、レジスト共」
「「ふぁい?!」」
「白百合を逃がさずに連れてこいや。540円回収出来なかったら、テメーら皆殺しだぜ」

真顔の裕也に熊さんとその舎弟は頷いた。
仕方ないとエレベーターを降りた二葉は手袋越しに、汚いものを掴むかの様にレジスト二匹を掴まえ、うっとりと太陽を見つめる。現実逃避に勤しむ山田太陽はやはり遠くを見つめていたが、裕也の握力からは逃げられそうになかった。

「じゃ、工業科まで来いや。先に行ってるぜ」
「はいはい、それまでハニーを預かっていて下さいねぇ。傷などつけたら、全員、殺しますよ?」
「あー、了解」

開閉ボタンを押した裕也の背後で、獅楼は太陽に同情した。
そのまた背後でレジスト二匹に手を振っている作業着三匹は晴れやかな笑顔で、閉まりゆくドアの向こう、藤倉裕也が浮かべた笑顔にレジストは絶望したのだ。

そしてまた、この男も。


「ま、さか」
「人を迂闊に信じるもんじゃねーぜ、ディアブロ」

叶二葉が手を伸ばした先、無情にもエレベーターは扉を閉ざした。訳が判らないレジストを余所に、腕を振り上げた二葉が殴り付けたドアが派手な音を発てる。

「ステルシリーライン、直ちにこのエレベーターを止めろ!」
『了解、………エラー』
「な、」
『命令が書き換えられています。現在の優先順位は一位枢機卿、権限差異により只今の命令は破棄されました』
「何、だと」
『ステルシリーライン、通信探知。コード:ネイキッドへ通信要請』

怯えているレジストを荒んだ目で睨み付けた二葉は、静かにエレベータドアから手を離した。

「ネイキッド、ね。…藤倉君ですか?この私を騙すなんて、許しませんよ」
『あはは。ごめんね、ネイちゃん。でも先に騙したのは、お前さんじゃんか』
「?!」

何もない天井を見上げた二葉は目を見開き、唇を震わせる。想定外だとばかりに瞬いて、やがて、痙き攣る唇に笑みを刻み込んだ。

「…そう言う事、か」
『命令に逆らえないって、嫌な立場だねー。お前さんなら判るだろ?嫌で嫌で堪らなくても、聞かなきゃならない命令ってのはあるんだ』
「私の薬が効かなかったのは」
『お前さんも同じだろ?俺らはさ、先祖代々遺伝子に刻まれてるんだ。帝王院の為に生きて、帝王院の為に死ぬ。名もない草が名を与えられて、忠誠は揺るがないものになってしまった。ただの影なのに。王にはなれない灰皇院。「皇」は帝王院と共にあって漸く、皇帝になれるんだ』
「ゲームオーバーなんですね?楽しかったですか、私を振り回してステルスの情報を掻き集めるのは」
『全然、楽しくないよ。山田太陽はアンタが苦手だった。変な話だね、俺なのにネイちゃんが嫌いだなんてさ。だから、消えるべきなんだ。でもいいよね、ネイちゃんは僕の事が好きなんだもんね。アキちゃんはね、ネイちゃんのこと、大好きだよ』

目の前に。
ただ今、目の前に。怯えている他人が見えた。決して聞いてはならない愛しい人の声を聞いている、赤の他人が。


『駄目だよ、殺したら。汚れちゃうよ、ネイちゃん』

楽しげに笑う声が聞こえる。
いつからだと考えた。いつからこの声はこんなにも、無機質になってしまったのだろう。

「アキ」
『なーに』
「貴方は誰ですか?」
『僕は僕だよ。ネイちゃんのことが大好きな、アキちゃん』
「違う」
『…え?』
「お前は俺の事なんか好きじゃない」
『駄目だよ、お前なんて言ったら』

頭の中で、安いアイスキャンディーを齧る子供が笑った。棒を滑り手を伝い肘にまで滑り落ちていく緑色の液体を、舐める、小さな舌。


『そんな言葉遣い、ネイちゃんには似合わないから。』


へらりへらりと笑いながら、綺麗だ綺麗だと唆す唇、歯も舌も緑に染まった子供が。記憶の中で笑っている。

ブツリと途絶えたスピーカーは沈黙した。
殴り付けた二人は倒れたまま声もなく悶え、這う様に逃げていく。

「…何が、起きてやがる」

呆然と顔を覆えば、眼鏡がない事に気づいた。ブレザーのポケットが片方だけ重い。温度を失ったコーヒーの重さに従い倒れ込めば、胸ポケットから滑り落ちた眼鏡が床を跳ねる音。

静かだ。何も聞こえない。
目の前が真っ暗なのは、ただ、暗いからだけ、だろうか。


「最初に騙したのは俺の方…」

判っているから反省した。
もう二度としないと誓った。
けれどそれは勝手な自己満足でしかない。
大切に仕舞い込んだ記憶の中で、子供が笑っている。けれどそれは徐々に形を歪め、朧気になっていった。そして再び形を取り戻したそれは、子供ではなかった。


『ごきげんよう、白百合サマ。無様ですねー』

頭の中で彼は微笑んだ。
憎まれても煙たがられても話し掛ける事が出来るだけで満足だったのは、いつの話だろう。



人間はなんと、欲深い。




















うまくいった、と。
にやけていた仲間が皆、崩れ落ちるのを見た。

鼓膜を震わせたのはたった一度の口笛。
銀色の指輪が光る右手が伸びてきた。倒れた仲間を気遣う事も出来ずに立っている自分から指輪を一つ奪い、貸してと囁いた。

「シルバーリングに混ざると見分けがつかないよねー、プラチナは」
「…何するつもりだよ」
「あはは、お人形さん。知らなくていい事もあるんだよ」

ああ、またか。
またこの男は、人形扱いだ。いつもいつも日曜日の夜に現れる。人畜無害な顔をして、秘密を隠してあげると唆した。

「ふふ。かわいいだろ、ネイちゃん。俺の為に怒って、俺の為に無関係な人間を痛めつけて。今頃、泣いてるかも知れないね」
「…」
「お前さんが俺を騙すなんて有り得ないのに。ね、藤倉君?頼りにしてるよ、お人形さん」
「オレは人形じゃねぇ」
「そうだね。大河はともかく、お前さんは人形じゃない。内緒にしててあげるよ。…ね?叶と帝王院の血を引くのはお前さんだけじゃなく、」
「ちったぁ、黙っとけや。ベラベラ喋ってんじゃねぇ」
「そんなに従兄弟が大事かい?俺が大河をお人形さんにすると思ってる?」

これは、本当に。
たった先月まで居るか居ないか判らなかった、空気の様なクラスメートなのだろうか。別人にしか思えない。初めて現れた、始業式典の後からずっと。

「気になってる?俺が誰なのか。酷いよね、ネイちゃんまで疑うんだ」
「疑わねー奴が居たら、ただの馬鹿だろ。…ケンゴやカナメは騙せても、ハヤトは」
「そうだねー、冬月は別格かなー。榊さんが明神だってのも想定外だ。本家の人間は耐性がありすぎる。特に榊さんは…耐性が強すぎるよ。遠野課長の近くにいたからかな?多分、かなり俺を警戒してる。でもさ、神崎はどうかな?血は水より濃いって言うからねー、脆い他人の絆より、強いかもねー?あはは」
「何がしてぇんだよ、オメー」
「光王子に効かないのと、光王子の声真似が上手すぎるのが引っ掛かってたんだ。蓋を開けてみれば何て事はない。俺とあの人は親戚同士なんだねー。同じ榛原だなんて、知らなかったよ」
「本家と分家じゃ、他人同然だろ」
「まーね。俺にはとても真似は出来ない。本家の『声』は、そんなものじゃないからね。…お座り」

誰が座るかと思った瞬間には、尻が獅楼を踏んでいた。苦しげに呻く獅楼に罪悪感はあるが、体は抵抗しない。

「何でかなー。藤倉にも多分大河にも効くのに、何で俊には効かないのかなー?声と目、他に何か秘密があるのかなー?貴葉さんも教えてくれないんだよ。あんまり側に置くと俺の声に慣れちゃうから、離れて貰ったけどね」
「くそ、が」
「カルマは意思が弱くて困る。自尊心が高い奴ほど操り易いのに、どいつもこいつも俊に依存してる所為で、意思がない。帝王院の直系はカリスマ性だけで人間を従えちゃうから、狡いよね」

エレベーターのドアが開いた。
静かな廊下に降りていく背を、見ている。

「ね。中央委員会執務室ってさ、何処にあるの?あ、違う、場所は判るんだ。行き方」
「知らねーよ」
「教えてよ、神帝の居場所をさー。悪くない話じゃないかい?ほら、俊にとって神帝は邪魔なんだ。お前さんも憎いだろ?帝王院に巣食った害虫を排除したいだろ?」
「知るかよ。…オメーの目的は何だ」
「…あーあ。お前さんも、慣れてきちゃったか。初めの頃は俺を高野と勘違いして、膝枕してってさ、かわいくねだった癖に」
「気持ち悪い奴だぜ、マジで…」
「俺は俊が作ったんだよ。俺を王子にしてくれたんだ。ネイちゃんを守る為に。綺麗な宝石を守る為に。サッカーボールを追っかけてばっかのキラキラも、俺のストラップを返してくれないルビーも、小豆入りの抹茶アイスがお好みのエメラルドサファイアも」

裕也には言葉の意味が一つとして理解出来なかった。
鼻歌混じりに背を向けて去っていく姿を、自動的に閉まるドアが覆い隠す。
そして漸く起き上がった仲間達が欠伸を発て、迷う事なくパネルのボタンを押すのを見た。

「うー!いつまで乗ってるんだよっ、ユーヤさん!重いよーっ」
「仕方ねーべシロップ」
「そーだそーだ、いきなりエレベータが止まっちまったんだからよ」
「何はともあれ、動き出して良かったなぁ。ユーヤさん、大丈夫っスか?」

気持ち悪い。
呟いた台詞はただの空気として口から零れた。呆然と立ち上がり、何一つ疑問に思っていない仲間達を見渡し、藤倉裕也は目を伏せる。

「…おい、シロ」
「ふぁい?!何ですかっ?!」
「総長の遺言、他に何かあんのか?」
「「「「遺言?!」」」」
「あー、間違えた。あれだ、預言?他に聞いてんなら、全部教えろや。あれだ、清須会議だぜ」
「「「「清須会議?!」」」」

人間が、あれを作った。
それがもし本当の事であれば、企んでいるのは山田太陽の方ではないかも知れない。何の確証もない些細な思いつきに、裕也は頭を掻いた。

「…つーか、同じ総長でも安心するのと気持ち悪いじゃ、雲泥の差だぜ。織田信長と武田信玄くれぇ違う」
「うぇ?ユ、ユーヤさん?」
「「「何言ってんスか?」」」

どうやら、言った本人にしか判らない例えだったらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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