帝王院高等学校
積み重ねた嘘の崩壊について
『自業自得だ最低野郎』

初めは鏡だと思った。
何の躊躇いもなく近づいて手を伸ばせば、それが勘違いである事に気づく。

『人を手駒だと思ってやがる。報いを受けろ、嵯峨崎零人』

髪が短い。
これは、数年前の弟だ。なのに姿形は今のまま、髪の長さだけが、今とは違う。

「夢の中でも可愛いげがねぇのな、お前は」
『自業自得だ最低野郎』
「悪いか愚弟、俺はお前を守る為なら手段は厭わねぇって決めてんだ。何を犠牲にしたって、構うか」
『報いを受けろ』

繰り返し、繰り返し。
ダークサファイアが囁く言葉は、自分自身の言葉なのか。だとしたら笑い話だ。罪悪感などとうに消えたと思っていた。

「下らねぇ奴らに殺させたりするか」
『報いを受けろ』
「ああ、全部片付いたらどんな罰でも受けてやる。判ってんだろ、そう念を押してくれるな」
『報いを受けろ』

赤。
あれほど最低野郎だと思ってきた父親と同じ、亡き育ての母が唯一好きだと言った、目を引く赤。自分には与えられなかったもの。けれど亡き母が笑顔で綺麗だと誉めてくれたブロンドが、憎い筈もない。

『ゼロ。日に透けると赤くて綺麗な瞳。レイに似たのね。癖のない金髪は私の宝物。大切だから、隠しておかないといけないのよ』

幼い頃は赤毛だと馬鹿にされたと笑い話の様に語った茶髪の人、時が経つにつれて記憶は朧気だ。怒るだろうか、悲しむだろうか、白い手は覚えているのに、顔が思い出せない。

『私の宝物』
『報いを受けろ』
『ゼロ、私の大切な宝物』
『俺はお前を兄だなんて思っちゃいねぇ』

惨い夢だ。これが自分の作り上げた夢ならば、自分は底抜けのマゾなのかも知れない。

『俺はお前を認めねぇ』
「やっぱお前は俺だ。佑壱にゃ、全然似てねぇよ」
『母親を裏切った報いを受けろ』
「悪いな、俺にはママが二人居るんだよ。いつまでも羨んでばっかじゃねぇ。寧ろあんな女装野郎に似なくて良かったっつーの、羨ましいだろ?」
『最低野郎』
「そんな誉めんな」
『あの日、死ねば良かったと思った癖に』

今もし心臓が止まったら、この悪夢は終わるのだろうか。


『死に掛けた弟を笑いながら見ていた、お前は最低野郎じゃねぇか』

それとも。











“積み重ねた嘘が”
“何かの弾みで壊れた時”
“きっと逃げられはしない”
“ピエロのように”

“嘆きながら俺は踊るんだ”



“ST”
















ああ。
ああ。
本当に、煩い。

「…いつまで泣いてるつもり。早く寝たら?」

ゲストルームの隅、体育座りでぶつぶつ呟いている背中に吐き捨てれば、最早目も当てられない顔で振り返り、恨みがましく睨んでくる。

「アンタ、母親が泣いてるってのに、何なのその態度は。優しくしなさいよ」
「夜中に押し掛けてきて喚いてる年増に掛ける言葉なんか広辞苑に載ってないと思うけど」
「かっわいくない!」
「は、誉め言葉として受け取るよ。本気でいい加減帰って。アキちゃんに迷惑掛けんじゃないよ、オバサン」
「黙れ童貞」

何と言う口汚い母親か。
押し掛けてきた瞬間から布団に潜り無視を決め込んだが、やはり相手にするべきではなかったのだ。然しもう数時間経っている。このまま居座られたのでは、満足に眠れそうにない。

「…はぁ。つーか何してんの、父さんは」
「あ。アンタ、大空とこそこそ何企んでんのよ。家に火をつけるなんて聞いてないんだわ、説明しろ」
「僕だって知らされてないよ、そんなの。うちの学校にはテレビもラジオもないから、外部のニュースは届かないの。知ってるだろ」
「ち。使えないガキなんだわ」
「それが息子に言う台詞なの」
「大空に電話しても留守電なんだわ。一ノ瀬常務からは何の連絡もないし…」

ぱちんと携帯を開いた母親の背中を横目に、掛けていたブランケットを跳ね上げる。

「帝王院側から配布されたチケットあげるから、遊んできたら?」
「チケット?」
「僕らゲストだから、施設利用券が全員に配られてんの」

マンモス校である帝王院学園の生徒数に比べれば圧倒的に少ない西園寺高校は、全学年合わせて300人に満たない。生徒会役員にはゲストルームが与えられたが、他の生徒や教職員はクラス毎に講堂やホールを借りて休憩している筈だ。
西園寺高校の数十倍の敷地を有する帝王院学園の教職員や警備員もまた数多く、ゲスト側である西園寺生徒は自由行動を与えられていた。

「ここ、アンダーラインって言う地下施設になってるそうだよ。国際科の催しが夜通し行われてるって。ジェラートの引換券とか、ドリンク券とか、色々書いてるだろ」
「アンタ一枚も使ってないじゃないよ。友達と行きなさいよ」
「結構だよ、友達なんか居ないし」
「はー?アンタ学校楽しくないんじゃない?アキなんか凄いわよ、友達皆、格好いい子ばっかで!」
「アキちゃんの友達?…ふん、左席委員会か」
「左席?…あ、そう言えば二葉君がそんな事言ってたんだわ」
「二葉だって?」

ああ、全身の毛が逆立っていく。
頭の中で再生されていく光景は、叩きつける雨の中。公園の東屋の屋根の下、血だらけの悪魔が兄に覆い被さっている、最悪の過去だ。

「母さん、アイツに会ったの」
「二葉君?会ったわよ、風紀委員長なんでしょ?真面目で頭良さそうで綺麗な顔してたんだわ。細いけど肩幅はしっかりしてて、」
「アイツだ」
「へ?」
「アキちゃんが肺炎で死に掛けたの、忘れたの?!」

呑気にチケットを眺めながら宣うミーハーな母親が、猫目を丸めて動きを止めるのを見た。泣き疲れて腫れぼったい目尻が徐々に見開かれて、微かに震えた唇が、空気を吸い込む、音。

「僕は行かせるなって言ったのに!アキちゃんに頼まれたら嫌って言えない母さんの所為で、兄さんはあんな目に遭ったんだ!」
「待ちなさいよ!だってあの子の目は、派手な緑と蒼だったじゃないの!二葉って子は、」
「左目、蒼かっただろ」
「…見てない」
「似合わない眼鏡なんか掛けてたからね。ふん、僕はすぐ判った。アイツの顔だけは絶対に忘れない」

兄を取った悪魔だ。
何度も何度も、太陽から逃げられる哀れな弟を嘲笑った、悪魔。

「何の為に僕が、行きたくもない父さんの出張に付き合ってきたと思ってんだよ。言っとくけど僕は、父さんの過去なんか興味ないから」
「判ってるんだわ」
「兄さんがああなってしまったのは、」
「判ってるっつってんでしょ!」

チケットが頬スレスレを飛んでいく。
ヒステリックな女だと眉を潜めれば、母親は凄まじい笑みを浮かべティッシュを鷲掴んだ。乱雑に顔を拭い、みっともない化粧を落としていく。

「…大空から聞いてるわよ。アキには変な力があるんでしょ?そんで、それがなくなったのが、あの肺炎から」
「なければない方がいい。もし兄さんに背負わせてたら、僕は親を許せなかった」
「アンタがそんなに嫌う理由、あの子がネイちゃんだからってだけじゃ、なさそうね。いいんだわ、腹割って話すわよ」
「…母さんには話すなって言われてるんだけど?」
「大空が私に逆らえると思ってんの?」
「逆らえないだろうね。母さんは馬鹿だと思ってたよ、我慢ばっかして。性格じゃないだろ」
「子供を持つ母親を舐めるんじゃないわ。愛されてるのが判ってたから見逃してただけ。クソが他に子供作ってたら、全身の毛を抜いて離婚してる」

見事な説得力に納得し、時計を見た。
行事を楽しむつもりなど欠片もないので、夜更かししようが朝まで起きていようが、困る事はない。ただ、似ていない二卵性双生児と誰からも指摘される顔の中で唯一、兄にそっくりな眼差しだけは、隈など作る訳にはいかないと思う。

「許してアキちゃん、アキちゃんにそっくりな目に隈が出来たら僕は…僕は…」
「鏡見てニヤニヤするんじゃない!」
「煩いな、考えなしの癖に」
「はぁ?」
「叶二葉はステルシリーの人間だよ。無防備にヘラヘラ見惚れてたなんて、馬鹿じゃないの?」
「ステルシリーって、あの…」
「何だ、父さん、思ったより話してるんだね。だったら全部教えてもいいけど、その前に」
「その前に?」
「母さん、左席会長には会った?」

首を傾げる母親はアーモンドアイを彷徨わせ、カルマには会ったと宣った。話にならない。

「カルマって芸能人扱い受けてる不良だろ。最近聞かないけど、」
「左席の神崎隼人君と錦織要君に会ったんだわ!あと、あと、さ…何だっけ?何とか佑壱君にハグして貰ったんだわ!」
「嵯峨崎佑壱?中央委員会の次期会長じゃん、良く話し掛けられたね。神経質そうって言うか、偉そうな顔してたけど…」
「はっ!それだけじゃない、シーザーにも会ったんだわ!うっうっ、も、もうこの手は、洗わないんだわー!」
「シーザー?」
「カルマ総長最強!ABSOLUTELYの神帝に並んで強いって噂なんだわ!でも私には判る、シーザーの方が強い!雄のフェロモンがムンムンしてたんだわ!あれは相当な女を泣かしてるわね!」

男を見る目が全くない母親が言うなら、間違いないだろう。天性の面食いだ、女癖の悪い男を好む。

「神帝より強い、か。それがもし本当なら、遠野俊よりそっちの方が使い物になるかも…」
「さっきからその遠野って誰なのよ」
「父さんの雇い主の息子だよ。帝王院財閥の本当の後継者だけど、アイツは信用ならない」
「何で?」
「とんだ世間知らずだからね。弱そうだし、首席らしいけどとてもアキちゃんより賢いとは思えない。現に、僕の命令に逆らえなかった奴だ」
「うわぁ、雑魚臭い…」

此処にオタク=雑魚と言う方程式が成り立った。
何処でも嫌われる主人公である。

「カルマも帝王院に通ってたなんて知らなかったけど、好都合だ。探し出して、幾ら払っても構わないから、仲間にしようよ。ステルシリーさえなくなれば、執念深い父さんの肩の荷が下りる」
「…ふーん、まだ良く判らないけど、いいんだわ。シーザーを見つけろって事ね」
「そうなるね」

母子はそっくりな眼差しを眇め、悪どい笑みを浮かべた。
その悪どい笑みはそう、悪魔も裸足で逃げ出しそうな雰囲気だ。























闇に溶ける男が振り返る。
美形に慣れた西指宿が思わず口笛を吹きそうになるほど整った顔の男は、血の気が通っているのか妖しい表情で真っ直ぐ見据えてきた。
無意識に後退り掛けた足を痙き攣りながら諌め、不格好な笑みを浮かべる。

「此処に墓なんざありませんよ。聞き間違えたんじゃねーっスか?墓っつーか石碑なら、ちょっと坂を上がった先にありますがね。案内しましょうか?何も面白くないと思うけど」
「そうだな。面白くはない」

やはり変な男だ。無防備に見えるのに、ひれ伏してしまいたくなる。一人で話し掛けたのは失敗だったのかも知れない。

「誰が墓を持っていってしまったんだろう」
「や、だから何の話してんスか?俺、今高等部二年なんですけど、こんな所に墓なんかあるの知らねーんですが?」
「オオゾラはあると言ったんだ」
「はぁ?大空?」
「ナイトオブナイト。俺には親友が二人居た。空と、夜の騎士」

頭が痛くなってきた。
こうも会話が通じない相手に出会った事はないと頭を掻いて、思い浮かんだのは銀髪と、もさもさの黒髪。

「空が二人居た」

一人は神で、一人は意味不明な外部生。
どちらが苦手かと問われれば、従うべき総帥よりは圧倒的に、一年帝君の方が苦手だ。あの嵯峨崎佑壱が真面目に顔を出している数学の時間に遅刻してくる事が、最近多い。

先月まで彼が放り込まれていた懲罰棟に、数日前、何故か佑壱が頻繁に通っていると言う噂があった。然し西指宿が噂の真相を確かめに行った時に見たのは、疲労色濃い隼人と苛立ちを隠さない佑壱が懲罰棟に向かっている姿だったのだ。

「心に何か抱えているらしい」
「…あ?何ほざいてんだ、アンタ。とりあえず帰ってくれない?問題が起きても責任取れねーよ」
「中央委員会役員?」
「自治会長の西指宿麻飛。高等部行事で一般人に怪我させる訳にはいかないんで、協力して貰えますか」
「あさひ」
「…いきなり呼び捨てかよ」
「あさひ、ひなた、たいよう」

しりとりの様に紡ぐ声を苛立ち紛れに聞いて、暫くしてから、背に這う何かに気づいた。

「何で、それ」

それは誰から聞いた話だった?
それはつい最近聞いたばかりの、あの、気味の悪い蒼い瞳を持つ誰かから聞いたのでは、ないか?

「日が登る国には『日』が当たる。あさひ、ひなた、ひろあき、ひろなり。空蝉は空を駆ける。龍、隼、雀」
「ひろなり、って」
「偶然にしては余りにも運命的だと思わないか。秀隆は東に懸けた。でもそれは違う。だから私は、あの警戒心が強い子に招待状を贈ったんだ」

何処かで聞いた名前だと思った。然しその名は、今初めて聞いたばかりだ。何だ、何かが可笑しい。話が見えそうで見えない。
握っていたスマホを男からは見えない位置に隠し、指先だけで操作する。見えない為に一つ間違えたら滅茶苦茶だと、全神経を働かせた。

「君の友達は元気か?」
「友達は…元気だよ。変な事聞くんスね、お宅」
「家族は元気か?」
「もう本気で良いっスか?訳判んない話はヤメヤメ。こっちこそ家族の元に連れてってやるから、」
「俺の家族」
「へ?だからそう言って、」
「それはどちらを言うのだろう」
「は?」
「俊か、神威か」

ああ、その名前だけは判った。
つい先程頭に思い浮かべた神と平民を指す、決して呼んではいけない、帝君の本名だ。

「アンタ、マジで、誰」
「君は警戒心が強いな。兄弟そっくりだ」

目の前がぐらりと回った。

「あの子は秀隆を俊と間違えた。サングラスを掛けていたからか、それにしても聡い。お陰で鈍い父親は、息子が夜遊びをしている事に漸く気づいた」
「何、だ?これ、何…気持ち、悪ぃ…」
「人生の先人から一つ、アドバイスをしよう」

片膝が崩れた瞬間に届いた台詞の意味を、脳が理解しない。何が起きているのかとそればかり考えているが、目の前に近づいてきた足を見上げたまま、静かに見つめてくる双眸を見上げている。

「警戒心が強すぎると掛かり易い。自我が強い人間は、私にとっては敵にはならなかった」
「…」
「君の弟もそう言った記憶がある。悪いな、俺のこれは『剥奪』、拷問に等しいらしい。俊なら完璧に掛かる筈だが…家族でも、得意不得意があるものさ」

声が、遠くから聞こえてくるような錯覚。けれど黒に濡れた瞳は、すぐ目の前にある。

「特定の人間に対する敵愾心は捨てるのが君の為だ」

囁く声と共に手が伸びてきた。視界が漆黒に染まる道程はスローモーションで、黒に塗り固められれば、自分の鼓動すら聞こえなくなる。

「残酷なお戯れをなさいますねぇ。…陛下、可愛い後輩を苛めないで下さいませ」
「…仕方ないだろう、戻ったばかりで安定してないんだ。秀隆ならともかく、自分の意思ではどうしようもない。話し掛けてきたこの子のミスだ」
「もう一度、ご自分に掛けてみてはどうですか?」

確かにその会話は、聞こえているのに。
恐らく自分は忘れてしまうのではないかと考えた。考えるだけで、理解はしていない。

「自分には掛けられない…話した事はなかったか?だから昔の俺は無口だったろう?器用なオオゾラは自由自在に声を調節していたが」
「やはり、便利なものは万能ではないんですねぇ」
「大空と協力して何とか騙し騙し繋いできたんだ。…それに、息子まで巻き込んだ。父親として、息子の敵を減らす事くらいしか、俺には出来ない。情けない話だな」
「…至急、天の君をお探しします。秀隆さんの墓石は後にして、戻りましょう」
「残念だ」

君も帰りなさいと言う言葉に、足が勝手に踵を返した。気持ち悪い、気持ち悪い、ただそればかりを考えている。気持ち悪い、気持ち悪い、何が?

「俊は余程嫌われているらしい。…全く、我が子ながら悪趣味な子だな」
「天才とはえてして、凡人からは理解されないものですよ」





何だった?




(忘れるなんて有り得ない)
(それなら何故思い出せない)
(目的を奪われでもしたかの様に)





















「最初の友達は、オルガンでした」

呼吸を吸い込む。
肺が空気で満ちる。
錦織要は震えそうになる指先を握り込み、伏せそうになる目を真っ直ぐ持ち上げた。

「俺は香港で産まれたそうです。物心ついた時には日本に居ました。三歳になる頃までは母親と居た様ですが、記憶は殆どありません。一番古い記憶は施設の、調律の悪い古びたオルガンでした」
「ピアノは誰かから習ったの?」
「譜面は?」
「その当時90歳くらいだったシスターから、少し。譜面はシスターが手書きで何枚か書いてくれましたが、彼女はすぐに亡くなってしまいました」

クラスメートから投げ掛けられる質問に、要は一つずつ答えていく。満足に話した事もない幼馴染みとは、可笑しな話だ。
彼らは初等部から共に生活してきたのに。名前すら、照合が怪しいのはやはり、変だろう。

「施設の管理者だった彼女が亡くなり、経営者が甥に変わった頃から、俺は施設外の催しに呼ばれる事が多くなりました。今思えばお涙頂戴の訪問で、寄付金を稼いでいたのでしょう。言われるままついていけば、大勢の前で下手なピアノを披露させられました。才能があるとシスターから言われた記憶がありますが、何度思い出しても恥ずかしいほど下手だった」
「確かに、下手っちゃ、下手だったなー(´▽`)」

健吾がからりと笑い、要は目を向けた。しっかりと目が合い、逸らす前に笑ってしまったのは、自分の唇。

「へえ。今はうまいのにねえ、時代を感じさせるねカナメちゃん。名付けて完璧主義者の不遇の時代」
「洋蘭みたいな事を言わないでくれますかハヤト、殺したくなる」
「馬鹿抜かせハヤト、下手っつっても俺に比べたらっつー程度っしょ(´°ω°`) 何せ俺ってば魔法使いだったんぞぇ、名付けて天才の不遇の今☆」
「あっは、誰が天才なのお?脳内マグニチュード起こしてんじゃないわよお、馬鹿猿ー」
「オメー、友達に馬鹿猿はねーべ?俺泣いちゃうよ?ハヤトに泣かされちゃうよぃ?」
「は?てんめーなんかダチじゃねーし、勘違いしてんじゃねーし」
「マジこの狐顔、ばり性格悪いんですけどォ。引き伸ばしてうどんの具にしてやろっかw」

真っ赤な顔の隼人が勝ち誇った表情の健吾を恨めしげに睨んでいる。似た者同士と佑壱が呟けば、教室内は笑い声で染まった。決して明るい話ではない筈なのに、深刻な雰囲気はない。
好きな時に話して、聞きたくなければ他の事をする。それに誰も異を唱えない。不思議な空気は、カフェで度々見掛けた景色だ。

「老人ホームでの演奏が好きでした。お年寄りは、特に女性はお菓子をくれるんです。見た事もない飴や、時々しか貰えないチョコ。その中でも俺は、酢昆布が好きでした」
「あは。流石はカナメちゃん、渋い」
「待てよ、それって二・三歳の話っしょ?マジで?(; ´艸`)」
「酢昆布が何か変ですか?美味しいでしょう、酢昆布。カリカリ梅や、唐辛子の葉の佃煮も美味しいですね」
「カナメちゃんの好きなラーメンって担々麺だっけ?」
「酸辣湯」
「あーね」

隼人の意味不明なツッコミのお陰で、クラス中が納得した。どうやら錦織要の好物は、刺激物らしい。化物を見る目で要を見つめている隼人は、生粋のお子様味覚だ。刺身のわさびが必ず残る。但し大根のつまはお代わりする。あと海老とマグロしか食べない。

「けれど、それも徐々に苦痛になってきました。シスターはとても慈悲深い方でしたが、甥は血が繋がっているのが不思議なほどに金の亡者だった。そして、典型的な自国贔屓だった」
「も、もう良いよ、錦織君!違う話をしようっ」
「そ…そうだね、そうしよう!誰か、」
「構いませんよ。総長命令です」

皆まで聞かずとも話の結果が判ったクラスメートの数人から意見が飛び交ったが、要は首を振った。少しばかり要に同情した数人が俊を恨めしげに見やるが、俊からの言葉はない。微動だにせず目を閉じて、まるで眠っているかの様だ。

「初めからでした。俺は他の子供達とは悪い意味で違った。週一度のおやつがない。誕生日ケーキもない。食事の量も少ない。他の子供達は一緒に食事をするのに、俺だけは他の皆が食べた後で一人でした。寄付された服も余り物を押し付けられる。だから女物を着せられていた事もあります。ああ、そうだ。破れてどうしようもなくなった年長組のお下がりを渡された事もありました」

同情は要らない。ただの事実確認だ。恨んでいるかと聞かれたら、特に恨みはない。雨風を凌げる場所で暮らせただけで、有り難い話だ。

「ひ…酷いよ…」
「日本人にそんな人が居るなんて…許せないよ…」

だから何故、他人の話で泣く者が居るのか判らない。自分が悪いのかと佑壱や隼人を見たが、二人は奇妙な表情だ。同情でもまして怒りでもない、その表情の意味が、錦織要には判らなかった。

「俺は祭美月の父親、祭楼月の血を引いています。母から直接俺を預かったシスターは事情をご存じだったのでしょうね。だから、他国の子供を良しとしない甥や職員から虐げられていた俺を、大人の態度を見て真似る子供達から爪弾きにされていた俺を、気遣って下さった」
「はあ?馬っ鹿じゃない?」
「どう言う意味ですか、ハヤト」
「本気でそう思ってんの?判ってて止めなかったババアでしょお?甥が鬼畜なのに放置して、罪悪感も何もないっつーの。あは。カナメちゃんはさあ、綺麗な思い出にしたいんじゃない?」
「そう、かも、知れないな」
「は?」
「でも良いじゃないか。彼女から屋根裏のオルガンを弾かせて貰ったのは本当なんだ。見窄らしいから外に出るなと言われた俺は、皆と外で遊ぶ事を許されなかった。だけどオルガンがあったから、辛いと思った事はなかった。それの、何が悪い?」
「あっは!マジ受ける、悪いのはカナメちゃんの頭だねえ。何なの本当、馬鹿過ぎて哀れんじゃう。幸せだねえ」
「おい、ハヤト。カナメに八つ当たってんじゃねーよ(°ω°)」

健吾の呆れた声に隼人は頬を膨らませ、俊の太股に頭を乗せる。煮え切らない表情でぶつくさ宣っているが、要以外には何となく隼人の気持ちが理解出来たらしく、苦笑いを浮かべているだけだ。
判っていないのは要だけ。それを理解した健吾は肩を竦め、わざとらしく佑壱の方を見ない隼人の拗ねた顔を見た。

「カナメ、副長が抱っこしてくれるって(´▽`)」
「あ?何を訳の…まぁ良い、来い要。高い高いしてやらぁ」
「結構です」

要に振られた佑壱は目に見えて肩を落とす。うひゃうひゃ腹を抱えている健吾は、要から咎める目で見られて口を塞いだ。空気を明るくしようとして、やり過ぎたらしい。悪い癖だ。裕也が居れば蹴りツッコミが入ったのだろうが、居ないものを望んでも意味はない。

「まぁ、その後は美月が俺を貰い受けてくれたお陰で、香港の別宅で暮らせる様になりましたので、実際、施設にいたのは四歳になる頃までです。祭家に興味はありませんでしたが、食べるものにも着るものにも困りませんでした」
「そっかぁ」
「香港で美味しいものって何だろう?やっぱり中華?」
「麻婆茄子とエビチリはご飯が沢山食べられますよ。それと向こうの烏龍茶は美味しいです。ホットがお勧めですね」

目を閉じたままの男が滝の様な涎を垂れ流した。
素早くハンカチを取り出したオカンが拭ってやる前に、袖で俊の口元を拭ってやった隼人が勝ち誇った笑みで佑壱を見やる。

「テメー…」
「上がり症な上に浮気症なママは、どっかのオージの汗でも拭いてたらどお?安心してねえ、パパには俺達が居るんだからあ」

カツカツ、黒板に要の名前を記した赤縁眼鏡がキラリと光った。隼人を壮絶に睨む佑壱の両肩を二匹の赤縁眼鏡が叩き、嵯峨崎佑壱はなけなしの眉を潜める。

「ご心配なく。シーザーには僕らも居るのさ」
「浮気の話について聞かせてくれたまえ、紅蓮の君」

この二人は殴っても良いだろうか。


「イチ」

ああ、せめて。その真っ赤な眼鏡を叩き割ってやりたかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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