帝王院高等学校
そのティンカーベルは食べられません!
「あー、うっぜ。…体が痛ぇ。ちぃ」

身体中の間接と言う間接をバキバキと鳴らしながら、セフレの警備員を探している金髪は下手な舌打ちを零した。育ちが良い彼は、舌打ちを台詞で言ってしまう悪癖があるのだ。

「よっさん何処に居んだよ。…ったく、最近ヤらしてくれる奴減ってんだよなぁ」

親衛隊の末端の末端にまで声を掛けて連敗続きだと、面白くないとばかりに吐き捨てる男。誰かに聞かれれば人格を疑われそうな台詞だが、彼を知る者は気にもしないだろう。
王呀などと言う偉そうな二つ名に恥じぬ傲慢さは、悪気がなかった。

「畜生、イーストみてぇに教師にツバ付けときゃ良かった。従順そうだしよ…紫水の君以外はオッサンばっかだけど」

自称ストライクゾーンの広い最低男は、二葉に苛め抜かれたフラストレーションを早く晴らそうと足を早める。いつもは校門に住み込んでいる恋人の一人が、イベント期間中は夜勤で巡回している為、会えないとメールを返してきたからだ。
会えないなら探し出せば良い。後は成り行き任せ、何とでもなる。
ちょちょいと剥いで用を済ませば後は好きにしろ。と、最低男の持論で、メールを返しつつ校舎の裏庭までやってきたのは良い。

「…うぜ、ドイツもコイツも盛ってんのな。セイウチみてぇな喘ぎ声響かせてんじゃねぇ、マジで萎えるわー」

姿は見えねど声はする。
時々西園寺のブレザーと帝王院のブレザーが合体している光景を目撃するのだから、皆、行動が早い。自治会長でさえなければ自由に口説きまくっていたものの、今回は日向も二葉も何故かしらやる気に満ちていて逃げ場がなかった。

特に叶二葉のドS度が格段に跳ね上がっており、風紀委員はいつも以上に戦々恐々としている。川南北斗も睡眠不足からかランナーズハイ状態で、今頃あれやこれや働いているのだろうと思えば、同情しないでもなかった。
然し普段から川南に勝てた試しのない西指宿にとっては、ざまーみろと言わんでもない。二葉の所為で年々サド化しているノーサの八つ当たり対象は、ほぼ西指宿だった。東條は真面目だからだ。

「イーストと俺の何処が違ぇっつーんだよ。…アイツ、寝室の壁と言う壁に桜ちゃんの写真貼りまくってるド変態だぞ?ま、俺の寝室の壁と言う壁にゃ、可愛い隼人で埋め尽くされてるけっど!ぐふふ!」

結婚当初から仲が悪かったらしい両親の所為で、幼い頃から弟が欲しいと願い続けてきた西指宿の望みは叶わなかった。然しどうだ、中等部へ進んですぐに腹違いの弟が居るのだと知った時の喜び。
口さがない社交界の知人から、皮肉か嫌がらせか、父の不貞を聞かされた西指宿麻飛は、ワルツの最中にルンバを踊るほどテンパり、父の秘書や幼い頃から可愛がってくれている代議士からかなり叱られたが、凹まなかった。



全てはまだ見ぬ義弟に心が弾んでいたからだ。
その義弟が帝王院分校に通っており、且つ成績優秀で芸能活動を始めたばかりだと聞いて西指宿は燃えに燃えた。ついでに萌えていた。

母親の目を盗み、愛人だった隼人の母親とよりを戻したいらしい父親の葛藤など、西指宿にはどうでも良かったのだ。幼い頃から居ないも同然だった両親への愛など、西指宿には一ミリもない。
それよりも幼くして一人になってしまった隼人が余りにも哀れで、手を回し本校へ昇校させたらすぐに抱き締めてやろうと、そればかりを考えていたのだ。

それがどうだろう。
隼人は中等部の始業式典に顔を出しただけで、すぐに仕事へ行ってしまった。顔を合わせる暇などほぼなかった。自治会長挨拶を元気に済ませた西指宿の後に、帝君として壇上に立った隼人の帝君挨拶はたったの数分で、西指宿が隼人を間近で見たのはそのたった数分。
花束と大量にしたためた手紙を抱え、寮の入り口で期待に胸を震わせながら、待てど暮らせど、隼人には会えなかった。それはそうだろう、式典が終わってすぐに、可愛い義弟は三日間の海外ロケに出掛けていたのだ。

「にしてもカルマの野郎、何処に消えやがった」

神出鬼没にも程がある。
カルマで最も強い男、総長だから当然の事として、あれは西指宿の天敵と言っても良い。何故か山田太陽と一緒に居た所を目撃した事があるが、あの時から山田太陽が気になり始めたのだ。

叶二葉に喧嘩を売るほど浅はかではないと、彼自身、自分の変化に首を傾げている。中央委員会執行三役の中でも、叶二葉の性格の悪さは抜きん出ているのだ。

「俺、アキみてぇのが好みだったんかな?…確かに腰は細ぇけど、顔は…ないよなぁ。隼人と並んだら霞み過ぎて目が拒否るし…」

太陽が聞いたらデコを光らせそうな台詞を呟きながらボリボリ頭を掻いた男は、そこで足を止めた。
誰も居ない筈の、それこそライトアップもなされていない裏庭の端。やや離れた位置に赤い時計台が覗く森の手前に、ひっそりと佇む人影が見える。

「…アンタ、何してんだそんな所で」

明らかに変な光景だった。
つい声を掛けてしまってから、不味かったかと躊躇ったが、今更後には退けない。
気づいたのが奇跡なほどに、彼には気配がなかった。黒髪、黒いシャツにスラックス。西指宿がスマホを握ったまま歩いていなければ、見落としていたに違いない。

「見たとこ、生徒じゃねぇな。この辺入り組んでんで、迷った?あー、申し訳ねぇけど扶養者の氏名を、」
「此処に」
「は?」
「墓があると聞いてきたんだ。何処にもない」

囁く様な、酷く雰囲気のある声音だ。






















「えっ、と」

何だか初々しい雰囲気の二人が浮いていた。
元クラスメートとクラスで最もツンデレと名高い男が、付かず離れずの位置で何だかモジモジしているのだ。
いつ錦織要の武勇伝が開幕されるのかと、固唾を飲んで待ち構える一年Sクラス生徒らは緊迫した表情だが、このまま放置していると心臓が止まってしまうのではないか。平凡な級長は眼鏡を曇らせキョロキョロと窺い、床に投げ出した足で貧乏揺すりしている神崎隼人の後ろ、大人しく座っている男と目が合った。

「僕、お話ししても宜しいでしょうか、天の君」
「俺に尋ねる必要はないぞ野上氏。そして俺の事は気軽に短足野郎とかアンチ非童貞とか世界の地味顔とか、若干見下す様に呼んでくれて構わない」
「は?」
「無視しろ雑魚眼鏡、総長は混乱してるんだ」

真顔の嵯峨崎佑壱に見据えられた級長は背を正し、恐怖の余り何度も頷く。佑壱よりも圧倒的に目付きが悪い帝君よりも、やはり一学年上の帝君の方が恐かったのだ。

「イチ、俺は腹は減っているが混乱なんか、」
「総長」
「すまん」
「あの、さっき高野君が言ってた話を蒸し返す様で何ですがっ」

カルマ夫婦の不穏な空気に、空気を読んだ級長は声を荒げた。すぐに謝る俊に佑壱が不服そうなのは、こう何度も目撃すれば嫌でも判る話だ。
俊が謝る度に隼人や要、ヘラヘラしている健吾までも佑壱を睨むのだから、佑壱を凝視したまま目を逸らさない川南北緯など、恐ろし過ぎて見たくもない。川南兄弟の恐ろしさは有名な話だ。

「あの…余り口にしたくないんですけど、僕、昇校してから…あ、昇校と言うのは、本校に転入してくる事なんですけど」
「ああ、イイ。判らない事はイチに聞く」
「何でも彼でも俺が答えると思ってんスか総長」
「…ふぅ」

ツンデレなのか。
佑壱がぷいっとそっぽ向いた瞬間、一年Sクラスの駆け出し腐男子一同は頬を染めた。然し遠野俊が深い溜息を零した瞬間、教室は緊張で包まれる。会話の主役である筈の野上は真顔で凍りつき、俊から目を逸らした。

「イチ」
「何スか」
「俺の可愛いイチは、何処に行ってしまったんだ」
「さぁね。俺が浮気してるかも知れねぇって聞いても見当違いな所で怒ってた誰かさんには、見つけらんねぇんじゃないですかねぇ」

成程。カルマメンバーは一斉に、佑壱に生温い視線を送った。佑壱のハニートラップ疑惑に、俊が怒らなかったのが面白くないらしい。怒られたら怒られたで大事件だが、何度も俊から投げられてきた犬にしてみれば、それすらスキンシップ気分なのかも知れない。
ドMにも程があると、錦織要は真顔で呟いた。隼人と健吾が無意識で頷いてしまったのも無理はない。

「浮気したのか」
「した!」
「そうか。俺は構わないぞ?」
「はぁ?!」
「そもそもイチ、お前は彼女が居るだろう?赤いベンツに乗ってる、ケイコさん」

嵯峨崎佑壱は真顔で「誰だ」と囁いた。
その瞬間、俊以外の全員が「最低」と心の中で呟いた。皆の心の声が聞こえていない俊はきょとりと首を傾げ、頭に差していたズレたサングラスを押し上げる。

「ああ、今はもう別れたんだな」
「…え?あ、た、多分…つーか、今は恋人なんか居ねぇっスよ」
「浮気したんじゃないのか?」
「えっ?!あ、そ、それは、その、女じゃなくて…」
「?」
「…」

どや顔で浮気したと宣った男は、しどろもどろと狼狽え、しまいには隼人達へ救いを求める目を向けた。然し可愛い舎弟共は晴れやかな笑顔で「自業自得だ」とばかりに無視。血も涙もない。

「そ、そーちょー」
「もうイイ、野上氏の話の途中だ」
「…はい」
「お前は大人しく俺から可愛がられてりゃイイんだ」
「へ?」
「妬かせたかったのか?」

佑壱とは逆側に首を傾げた俊が、顎を反らしたまま眼差しを細め、手を伸ばした。ぴったり椅子を並べている佑壱の結った毛先を掴み、ぐいっと引いて。

「俺は嫉妬深い男だ。いつも旦那を尻に敷いてるつもりだと、…お仕置きするぞ」
「!」

教室中が、真っ赤に染まった。
俊の足元に座っていた隼人は首がもげるほど見上げ目を見開き、パクパク喘いでいる。犯された町娘の表情だ。
激しいフラッシュを瞬かせている北緯も締まりのない頬を何とか引き締めながら、若干前屈みでデジカメをパソコンに繋げている。息が荒すぎて心配だ。

「母さん、そんなに強く抱き締められると内臓脂肪が口から飛び出ますよ」
「総長ぉおおお!!!もうどうにでもしてくれぇえええ!!!」
「む、つまりどうしろと。…ふぅ、野上氏。イチは少しアレがアレなんだ、許して欲しい」
「アレなら、仕方ないですよ」

抱きついてくると言うより絡み付いてくる巨体の背中を叩きながらほざいた俊に、心優しい野上クラス委員長は頷いた。余りにも羨まし過ぎて若干泣いている神崎隼人は俊から見えない位置で佑壱の足を殴っているが、弁慶の泣き所すら鍛えている筋肉にはノーダメージだ。世知辛い。
でかい犬をブローチの様に張り付けた遠野俊は絞められ過ぎて顔色が悪いが、表情は変わらない。いつでも極悪顔だった。世知辛い。

「昇校してすぐに、僕は皆から『やまだがかり』と揶揄されました。ノートの回収やプリントの配布なんかで、山田君と会話するのは大体、僕だったからだと思います」
「そ、うか。ゲフ。イチ、イチきゅん、ギブ」
「やだ。そーちょー、抱っこ」
「と言うより、あの頃は、山田君が皆を拒絶していたのかも知れません。僕は外から来たばかりで事情が判ってなかったから、何も考えてなかったんです。さっき高野君から話を聞いて、今更気づいたんですが…」

舌足らずな嵯峨崎佑壱をスルーした野上にクラスメートの称賛の眼差しが送られたが、死にかけている俊からは皆、目を逸らす。
諦めない神崎隼人はとうとう佑壱の股間に攻撃を始めたが、握った質感が想像を越えていた為に感電し、信じられないものを見る目で要を見た。が、要は隼人の視線になど気づいてもいない。
健吾は気づいていたが、佑壱と何度も風呂に入った事があるのでスルーした。然し健吾に称賛の眼差しが送られる事はない。

「別に、彼は元々あんな感じでしたよ。俺は話した事もないので実際は良く知りませんが…ハヤト」
「はっ。な、なにー?」
「朱雀とお前が下らない喧嘩をしていた時、山田君が朱雀を階段から突き落とした事がありましたよね」

佑壱の股間の感触を忘れられないらしい隼人は、要から話を振られて眉を潜めた。実の所、その辺りは隼人の記憶にはない。当時のクラスメートと口論中に、相手が階段から落ちたのは確かだ。然し隼人はその時、マネージャーからの電話に出ていた。

「ばか朱雀、あれからすぐに眼鏡のひとに喧嘩売って謹慎して、戻ってこないじゃん。何があったかなんて本人に聞いてよねえ、隼人君は悪くないもん」
「あ、そう言えば朱雀ってば、初等科の頃からたまにタイヨウ君と話してなかったっけ?(´▽`) 友達居なかったもんな、アイツw」
「そんな事ありましたか?俺は覚えてませんが…」
「俺とユーヤは6年間同じクラスだったかんな(*σ´Д`) カナメと一緒になった頃、朱雀だけクラス離れたんだぞぇ。俺ら1組で、朱雀が3組だったべ?」
「あは。何、初等科って組分けなのお?AとかBとかじゃないんだねえ、分校と一緒じゃん」
「ふーん、ハヤトは何組だったん?(´ω` )」
「はあ?6年間1組ですけどお、何かあ?」
「田舎の分校の生徒数を聞くだけ野暮ですよ、ケンゴ」

神崎隼人は笑顔で要を睨んだ。確かに一学年25人しか居なかったが、指摘されるとイラっとするものだ。学年一クラスの何が悪い。然し佑壱を張り付けたまま辛抱強く耐えている俊がそわそわしている事に気づき、隼人は振り向いた。

「ボス、どーしたの?」
「俺は123321のアコーディオンだった」
「アコーディオンって何ー?」
「うひゃw段階踏んでんじゃんかw踏み台昇降みたいスね、総長w」
「流石です総長、クラス分けまで常人離れしてらっしゃるなんて…」
「そーちょー、おんぶ」
「イチ、眠いなら寝なさい」

俊の台詞に飛び上がったのは、朗らかに会話していた隼人と要と健吾の三人だ。何て事をほざくかと反応する前に、俊に張り付いていた赤毛がカクッと力を抜くを見た三人は、面白いほど怯え、素早く戸口まで逃げる。

「そ、そそそ、総長…!」
「あは、あは、ボ、ボス、寝かしたら駄目っ!」
「副長が本気で寝たらヤベーって!起こして!総長、早く早く!(´;ω;`)」
「大丈夫」
「でも!」
「…煩ぇ、起きてりゃ文句ねぇだろうが要。デケェ声出すな」

俊の肩口に顔を埋めていた佑壱が目を上げると、戸口の三人は判り易く肩を落とした。嵯峨崎佑壱の寝起きの最悪さを知らない同級生らは幸せだ。敵味方構わず全力で潰そうとするのだから堪らない。その上、手加減なしだ。

「俺と総長のイチャイチャラブラブを邪魔しやがって。何が山田係だ、そんなもん叶にやらせとけ」
「ぐ、紅蓮の君!白百合閣下の名字は…!」
「呼んではいけない決まりです!」
「はっ!でも紅蓮の君は中央委員会書記でらっしゃるので、良いのかな?」
「ふん、俺が叶に負けてるのは産まれた順番だけだ。あんなヒョロい男に、この俺が負ける訳ぁねぇだろうが」

ほざきおった。
隼人は遠い目で自信満々の佑壱を眺め、要は羨望の眼差しで佑壱を見つめ、健吾は喧嘩トトを開始した。佑壱VS二葉、賭け事に慣れていない生徒らは大半が佑壱に賭け、笑顔の健吾だけがしれっと二葉に賭ける。
目敏く見つけた俊から手招かれた健吾は、青ざめながら俊の元へ近寄り、

「俺は引き分けにワラショク高級明太子を賭ける」
「えっ( °д°)」
「総長?!この俺が叶に負けるっつーんですか?!」
「や、負けないと思うぞ?勝てないだけで」
「どう言う意味だ総長コラァ!俺を見くびるんじゃねぇ!あんな、あんなヒョロ眼鏡に、こ、この俺が…!」
「イチ、」
「黙らっしゃい!男嵯峨崎佑壱、奴の首を今から持って来ますからっ、」
「10000円の30%オフの税込金額は?」
「え?えっと…」

指で数え始めた赤毛に皆が沈黙した。
確かにこれは全然勝てない。毎回理数オール満点の白百合に、主婦が暗算で弾き出すような初等算数が判らないのでは、勝てる見込みがなかった。
喧嘩トトは全員が叶二葉に賭け直した為、払い戻しだ。

「7000円の税込…おい要、消費税って何%だっけ?」
「ユウさん、本気ですか?消費税も理解していないのに買い物をしていたんですか?今まで何の計算もせずに?仕入れと売上の計算は?経費と雑費の出納帳は俺がつけていますが、毎回確かめてますよね?目を通してますよね?冗談が過ぎますよユウさん。給与計算は?フェア予算は?まさか榊さんに丸投げですか?本気じゃないですよね、冗談ですよね、副総長」
「す、すまん」

目が笑っていない錦織要の笑顔で、男嵯峨崎佑壱は背を正した。まさかの丸投げですだなどと宣えば、金銭に関しては佑壱の説教に匹敵する要の説教は、十分程度では済むまい。

「謝れば良いと思ってます?え?経営者がそんな杜撰な姿勢で従業員を抱えていけると思って、」
「ごめんなさい、反省してマス、今後一層の努力を…」
「カナタ」
「はい、総長。…みっともない所をお見せしました」
「饒舌なお説教より話が聞きたい。そろそろ緊張が解れたんじゃないか?」
「…面白い話ではないと思います。それに総長はもう、」
「俺じゃない。皆に」
「判り、ました」

錦織要は安堵した表情の佑壱を横目に、諦めた様に息を吐き、吸い込んだ。一度だけ健吾を見やり、笑顔で頷いた健吾に頷き返して、隼人を睨み付ける。
何故睨まれたのか判らない隼人は片眉を跳ねたが、口を挟む様子はなかった。欠伸混じりに俊の足へ背中を預けて、うとうとしている。

「昔から、俺の周囲にまともな大人は居ませんでした。ただ早く独立したかった。庇護が必要な子供だった事がどうしても許せなかった。大人は敵。無知な子供を騙して利益を貪る、醜い豚ばかりだ」

要の台詞で、神崎隼人は眠たげな目を開いた。

「初めから居なかった親なんて要らない。ましてや兄弟や世話係なんて邪魔でしかないものだ。欲しいのは、醜い大人が居ない何処か。…例えるならピーターパンだけが暮らす、子供の世界。馬鹿みたいな話ですね」

また、要の視線が、こうも強く。


「金目当てに子供を産んだ女が居ました。最後は愛を求めて死んだ、余りにも馬鹿な女が」

判りたくもないのに判る。それは、同族嫌悪だ。


















靴の裏に噛み捨てられたガムが付いていた時、ふと、思った事がある。気づいた時に取り除いておけば、ただの笑い話で済んだのではないかと。
気づかれずに付着した不純物は手当たり次第に巻き込んでいく。人知れず、人知れず。


そして気づいた時には固く固まって、手を煩わせるのだ。


「…あ?」

酷くかったるい気分だと襟足を掻きながら、人の気配に目を細めた。暗さに慣れた目でもはっきりとしない複数の影が、明らかに人気を避ける様に遠ざかっていく。
追うべきか数瞬頭を巡らせたが、出歯亀趣味はない。曰く恋人同士の逢瀬であれば、生暖かく見守れ。が、左席委員会のスローガンだ。

「見逃してやるのが、武士の情だぜ」

単に面倒なだけだ。
何と面倒臭い事ばかりだろう、この世は。情の欠片もない。明日からどう生きていけば良いのか考えたが、どうする必要もないのは判る。
食べて寝て空気を吸って吐いて、人が生きるには最低限、それを繰り返せば良い。何もせずともいつか死ぬ。どんな英雄だろうがいつか死ぬ。善も悪も皆、滅ぶのだ。それだけは初めから決まっている、絶対律だろう。

「やってらんねーぜ。オレだってやんごとなき幸せになりてーっつの」
『クロノスシークレットライン・ATオープン、カルマ応答願います』

離れた所から聞こえてきたアニメ声に眉を寄せた。
自分が壊した携帯は手元にはなく、重ね付けているスピーカーピアスは沈黙したままだ。ならばこれは、自分を呼ぶそれではない。

「応答の仕方が判りませーん♪」
「でも行かなきゃならないんじゃなーい♪」
「だって俺達、キングスペットドッグ!わんわん♪」

聞き慣れた騒がしい声が聞こえてきた。無意識に踵を返した藤倉裕也に悪気はない、筈だ。
然し残念ながら、頭はともかく身体能力はそこそこ、派手なオレンジ色の作業着を纏うやはり見慣れた3匹が植え込みを掻き分け飛び出してくると、裕也の足は珍しく早歩き。然しガシッと肩を掴まれて、無愛想な裕也の頬に、後ろから伸びてきた指が突き刺さった。

「ユーヤさぁん!何このホッペ、固過ぎぃ♪」
「やだぁ!アタシもツンツンしたぁい、こっち見てぇ!」
「素敵〜♪やだ何この人イケメン!冷たい目でアタシを見て…ない。頑なに遠い何処かを見てる〜ぅ♪」
「ちょ、ちょっと兄貴達ってば!ユーヤさんがストレッチしてるよ?!バキバキ鳴ってるよ?!ややややばいよ!」

3匹がアメフトのボールの様に抱えていたデカい何かは、どうやら獅楼だったらしい。ぽいっと投げ捨てられた赤毛が涙目で三人を止めているが、身長が獅楼や裕也と大差ない三人の上級生にとっては、獅楼の見せ掛けの筋肉は何の意味もなかった。

「シロップの癖に生意気なんですけどぉ」
「烈火の君に掘られた癖に生意気なんですけどぉ」
「お兄ちゃん達バイアグラ飲んで泣かしちゃうよ?」
「ひぃいいい、ユーヤさんユーヤさん、助けてー!」
「色合いはユウさんに似てんのに、何でオメーはそんなに残念顔なんだ?オレは悲しいぜ。4Pすんならオレから見えない所でヤれや、吐いちまったらどうしてくれんだ」

すぐに三人から絡まれてつねられている獅楼は、裕也に助けてくれと叫んだ。助けるつもりなど裕也にはない。何故180cmの同級生を助けねばならないのか。何せ藤倉裕也もまた、180cmだ。

「ユーヤ隊長、心配しなくても多分俺達勃起しないんで…」
「流石はシロップ、バイアグラが霞む色気のなさなんで…」
「俺ら集合掛かってるんで、どうぞお納め下さい」
「テメーらぶっ殺すぜ」

押し付けられた獅楼を真顔でクーリングオフした裕也は、短い緑の髪を乱雑に掻いた。やはりさっきのアレは、呼び出しだった様だ。

「あー、何の集合だったんだよ?ケータイねーから、聞いてねー」
「また壊したんスか?ケンゴさんからド突かれますぜ?」
「鬼カンチョーでバックバージン奪われますぜ?」
「あの人、失敗しないんで。カンチョーだけは」
「話が進まねーぜ。オメーら究極に面倒臭ぇ、誰からの号令かだけ教えろ。殴るぜ」

佑壱とは違い、先に殴る宣言をしてから拳を固めた裕也は無表情だが、殴ると言ったら殴る男だ。蹴ると言ってからエルボーを喰らわせてくる神崎隼人よりはまともだと思われがちだが、実際は隼人と大差ない。体力の問題で2分以上追い掛けてこない隼人より、ずっと面倒かも知れなかった。

「やだなー、総長命令っスよ」
「まー、総長は総長でも」
「ちっちゃい方のパパですけど〜」
「リトルダディだと?…プ」

真顔で吹き出した裕也の尖った唇から空気が抜ける。ハイタッチを交わし合う作業着三匹はやり遂げた顔で、先にとっとと行ってしまった獅楼には気づいていない。
自称佑壱隊の獅楼にとっては、四天王は全て恐ろしかった。特に笑いながら苛めてくる健吾と裕也は苦手中の苦手だ。

「つー事は、山田かよ」
「あ、シロップ勝手に行きやがった!」
「不味いんじゃね?ほら、不審者が居るっつーのに」
「ま、不味過ぎんだろ、こっちは完璧に総長命令だべ?!」
「あ?何が不味いって?」

かくかくしかじか。
三匹から耳打ちされた藤倉裕也は久し振りに笑みを浮かべたが、何せ普段滅多に笑わない男であるからにして、その笑みは嵯峨崎佑壱の笑みと並ぶほどに、恐かった。

「「「ひっ」」」
「…やっぱ最高だぜ総長、アンタも全部、視てんのかよ」
「「「ユユユユーヤ、さん…?!」」」
「おい、オメーら先に行け。ケンゴが居るか見てこい」
「は?ケ、ケンゴさんスか?」
「何で?一緒に行けば良いでしょ?」
「あ、携帯壊したからっスか?一緒に謝りますか?」
「煩ぇ、さくっと走れ。ケンゴが居ねーなら、合図しろ。オレは離れてついてくぜ」

訝しげな三人は、然し素直に走っていく。
長い足で小走りに追い掛けながら、藤倉裕也はただただ不気味なほどの笑みを浮かべたまま、

「初めからアンタが負けるなんざ思ってねーよ」

眼差しは夢を見ているかの様に、たゆたうのみ。



「…全部ぶっ壊してオレに新しい世界を見せてくれや、総長」

←いやん(*)(#)ばかん→
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