帝王院高等学校
赤毛の評価が徐々に悪化しています
『クラウンラインより探索要請』

意味もなく非常階段を登る。
エレベータの方が圧倒的に早い筈だ。判っていて何故、自分は長い螺旋階段を登る事をやめないのか、判らない。

「コード展開」

目的はない。
何も考えずにただ、時間を浪費したかったのかも知れなかった。迷い込む様に。己を覆い隠す様に。けれどそのどれもが、後付けでしかない事を知っている。

『登録コード:ディアブロを確認』
「…高坂か。構わん、繋げ」
『出るのが遅ぇ』

相変わらず不機嫌な男だと思ったが、言葉にはならなかった。同世代だが今一難しい男だ。単純な様で、そうではない。従弟とは真逆だと、いつか考えた事がある。

『嵯峨崎を逃がした、手を貸せ』
「お前らしからん失態ではないか。手を貸すまでもなかろう、あれは書記だ」
『ステルスが邪魔してんだよ!』
「さもあらん。だから日本へ戻るのであればニューヨークへ来いと言った」
『何年前の話を穿り返してやがる。俺様はアンタの駒じゃねぇっつってんだ、好い加減把握しろ』

煩さに耳を塞ぎ掛けたが、6階の表示を認め足を止めた。最上階まではまだ半分以上、14階は未だ遠い。

「随分愛らしい事を宣う男だ、ステルスに駒はノア以外には存在せん。悪いが、近くに端末がない」
『あ?』
「俺の現在地はエリアA08だ」
『…中央宮の非常階段だと?何してんだ、ンな所で』
「さぁ。俺の代わりに考えておけ」
『訳判んねぇ男だなぁ、相変わらず。とっとと名前消して逃げたつもりか、職務放棄野郎』
「そもそも何故俺がお前に手など貸さねばならん。17歳の子供には理解出来ない悩みがあるものだ、大人には。己の失態は己で拭え、俺様副会長」
『役に立たない腐れ俺様会長の尻拭いを今まで誰がやって来たと思ってやがる!4ヶ月しか離れてねぇだろうが、年上振ってんじゃねぇ。噛み殺すぞ』

煩い男だ。
締切当日まで仕事を放棄しても此処まで騒ぎ立てる事はなかった癖に、あれが関わるとこうも豹変するものか。半ば感心に値する。

「既にファーストの披露は済ませている。今更逃がした所で、あれに真の逃げ場などないも同然だ。何をそう興奮している」
『…こっちにも色々事情があんだよ』
「また俊に負けたか」

短い沈黙が落ちた。
無言は肯定に等しい。非常階段から逸れた、普段は足を運ぶ用もない6階の薄暗い廊下を歩き、掲示板を探せば、見覚えのあるルームプレートを掲げた教室が見えてくる。

「致し方あるまい。お前が俺は勿論セカンドにまで秘めていたカルマへの日参が、皇帝に対する敵対心を多大に含む事など、恐らく本人は知りもしない」

ああ、今は此処にあるのかと僅かに目を細め、三年Sクラスを示す教室のドアへ手を伸ばした。

「返事が悪いな高坂。…ああ、お前の机の上に誰かが薔薇を飾っているぞ。セカンドの机の上には百合か。残念ながら俺の机には、塵一つない」
『…んの話だ、人を混乱させやがって糞が』
「一度は己の教室に足を運んでおこうと思ってな」
『あ?6階か?』
「どうやら椅子が多少、低いか。どれ、俺の勇姿を見せてやろう」

机の天板を開き、内蔵された端末を幾らか操作すれば、黒板代わりのホワイトボードに日向の顔が映し出された。
目を丸めている日向には、教室の一番席に座る自分の姿が映り込んでいるのだろう。余程驚いたのか、返ってくる言葉はない。

「そう驚愕される程の光景ではあるまい」
『足、どうなってんだそれ』
「椅子が低い。机もまた低い。収まらんものは外に出すしかあるまい」
『…』
「言いたい事があらば素直に言え」
『似合わな過ぎて笑えねぇ』

失礼な男だ。
ホワイトボードの日向から目を反らし、無人の教室を見渡しながら、低い机に投げ出した腕で頬杖をつく。背中がかなり曲がってしまうが、今まで一度として座った事がないのだから、無理もない。

『いっぺん言ってやるつもりだったが、良い機会だ。テメェには人としてのあらゆるモンが不足してる。一つも足りてねぇ』
「高々IQ180に説教されるとは、俺も堕ちたものだ」
『測定不能な頭なんざこっちから願い下げだ。アンタの知能指数は0、マイナスでも良いくらいだろうが。自覚しろ石頭、お前は阿呆だ』
「良かろう、お前が嫌がりそうな事を実行してやろうか高坂。誇るが良い、全力で泣かせてやる」
『ゴメンナサイ』
「何を想像したか知らんが、目玉を玉葱の汁で浸すだけだ」

最低じゃねぇか!と、叫ぶ声は聞かぬ振り。

「見ろノイズマン」
『誰が雑音だぶっ殺すぞ』
「本棚もない、山積みにされたコピー用紙もなければ、紙見本もない。…斯くも面白味に欠ける教室に、よく毎日通えるものだ」
『あ?本棚?』
「そうだ。目にした事のない本ばかりが並んでいた」
『今度は何の話だそりゃ』
「向こうで目にした事はあるが、俺は漫画など読んだ事がない。興味すらなかった。それがどうだ、毎日増える。察するに紫水の君が持ち込んでおるな」
『はぁ?東雲?』
「活字を追うのとは訳が違う、目の休まる暇がない。お陰で俺は、就寝時間を読書に削り、昼寝もしていない。誉めろ」
『今の話の何処に誉めるポイントがあった、馬鹿か』
「確かに、一度敗北したが以降はステイルメイト続きの俺では、お前から見れば愚かに見えよう。お前は勝てんと踏むとすぐに引き分けに運ぼうとする、実につまらん男だ」
『自虐ネタかよ。やさぐれてやがる、病んでんな』
「至って健康だが」
『精神的な意味だろうが!判っててほざいてんだろ!』
「笑いの判らん男はモテんぞ」
『二葉発信じゃねぇだろうな』
「山田太陽が宣っていた」
『…忘れろ』

手で顔を覆った日向が唸る様に呟いた。最初から太陽の台詞に賛同していた訳ではないが、敢えて口にはしない。

「そなたらが崇拝せし皇帝から、俺は見限られた。ただの人でありながら神を名乗りあまつさえ人としての何一つ足りない分際で、不相応にも手を伸ばしたからだ」
『判ってんなら反省しろ』

ひんやり冷たかった天板が、徐々に体温へ近づいていく。周囲に気配はない。

「恨む事で手に入るものは、何だと思う?」
『あ?』
「妬み、嫉み、蓄積された憎悪を果たした末路に残るラストパンドラは、真に希望たるか」
『ちっ。知るか、何にせよ碌でもないに決まってる』
「そうか」
『喜びなんざ大してありゃしねぇ、虚しいだけだ』

説得力の有無を問われれば難しい。けれどその時、日向の台詞は正しいと思えたのだ。理由などない。

『本気でイカれてんのか?イってんならイってて構わねぇから、嵯峨崎をどうにかしろ』
「どうにかでは判らん、殺せば良いのか」
『ぶっ殺すぞテメェ』
「何と面倒臭い男だ」
『テメェにだきゃあ言われたかねぇよ、ド腐れが!どんな思考回路してやがる、人の話を少しは真面目に聞け!』
「ステルスのセキュリティは中央情報部を介さねば解除不可能だ。今の俺には面倒臭い手順が、」
『やれ』
「一度聞いておこうと思っていたが、良い機会だ。そなた、私を何だと思っている?」
『糞人格保有者』
「次から次に新たな呼び名が出てくるものだ。聡明な俺様副会長に免じて、この言葉を捧げよう。『嫌だ』」

俊の声が聞こえる気がする。
そんな筈はないと目を閉じたが、やはり、聞こえる。

俺様攻めだの俺様会長だの、耳障りな台詞ばかりが、脳の中で。

『とっととやれ、テメェに拒否権はねぇ。命令通りこちとら嵯峨崎を取っ捕まえてやってんだ、探せ。呼び戻せ。テメェにそれ以外の価値はない』
「開き直りおって。俺の従弟にハァハァしておるのだろう、変態が。よくもまぁ、あんなものに欲情するものだ。尊敬する」
『死ぬか?』
「残念ながらお前に俺は殺せん」
『本気でぶち殺してぇ』
「俺を心の底から愛している愚かなファーストは悲しみの余り復讐に走るだろう。喜べ高坂、お前が死ねばめでたく心中だ」
『…俺が死んだらどんな手を使ってもアイツは助けるっつー約束だろうが』
「絶対嫌だ」
『な、』
「文句があるなら執務室に来い、階段で」

強制的にスピーカーと映写機の電源を落とした。
今頃怒鳴り散らかしていそうな日向の声だけは拾わない様に、起き上がり、一部だけ温かい天板を再度開く。

ああ。
手の掛かる猫ばかりだ。勝手気儘に振る舞っておきながら、都合が良い時ばかり擦り寄ってくる。自尊心の欠片もない。甘える事に慣れた、愛らしい猫。


『ね、カイちゃん』

判っている。だからこうしてキーボードを撫でているではないか。

『皆が楽しそうだと、何だか幸せな気持ちになるわねィ』

だから、判っている。
余りにも幸せそうに笑うから、幸せそうに眺めているから、その目に映る全てを知りたいと思ったのだ。

躊躇いなく桃色の花弁を頬張る黒髪を見た。
咲き綻ぶ桜並木のベンチに腰掛けて、物珍しげに辺りを窺っていたその黒だけが、世界で唯一、輝いて見えた。

いつからか自分の世界は極彩色を混ぜた混沌に染められて、灰色の世界に光を見つけたのだ。

「ステルシリーライン・インスパイア」
『コード:ルークを確認。現在このコードは日本国内に限り凍結されています』
「知っている。だが少しばかり使わせて貰いたい。認証開始」
『マジェスティナイトのセキュリティにより該当コードの認証は不可能です』
「…だから面倒だと言ったのだ。覚えておけ、高坂」

久し振りに溜息を零したと気づいたのは、息を吐いてから2秒後だ。




















「ぜーったい、やだ!やだったら、やだあ!!!」

でかい男が駄々を捏ねている。
神崎隼人のキャラ崩壊を生温い目で見守るクラスメート達は乾いた笑みを浮かべ、佑壱を見た。
顔を覆っている嵯峨崎佑壱は「育て方を間違えた…」と繰り返し呟いている。

「隼人も結ってやるぞ。その小さなポニーテールも可愛いけど、サイドテールも可愛いんじゃないか?」
「むう。隼人君はいつだってカッコかわゆいもん」
「ああ、ほっぺを膨らませたパヤトも可愛いな。流石は俺のワンコだ」
「好き?」
「好きだ」
「どのくらい?」
「む。えっと、…いっぱい?」

語彙が少ないにも程がある。
困ったように首を傾げながら殺人者の目付きで宣った男は、納得していない隼人の目付きに怯み、おろおろと両手で宙に八の字を描いた。然し8と言うよりは眼鏡の様に横に寝ており、暫くして誰かが「∞」と叫んだ事により、極道顔はコクコク頷く。
オタク時の口数の多さが嘘の様な語彙の少なさだ。ボキャブラリー貧困にも程がある。

「そう、無限大。メビウスだ。隼人、お前の可愛さは俺の世界で殿堂入りしてる。何しろ足が長い。俺の倍は長い」
「えー、倍は言い過ぎだけどさあ。まあ、長いか短いかでゆったらあ、ロングだよねえ」
「うんうん」
「天涯孤独なのにイケメン過ぎて設定霞んじゃってるしい、何つったってテレビつけたら1秒で隼人君に出会えちゃう感じだしい、平熱は高めな36.8℃だしい」
「うん…平熱?ん?」
「仕方ないなあ、スーパーデリシャスボスの頼みだもんねえ、貸したげるー。でもねえ、一個だけだよお。星柄の奴はあ、駄目ー」
「有難う隼人、流石は足が長い」
「そこまであるってゆーかあ、えへ」
「…総長、甘やかし過ぎっスよ。隼人、鼻の下伸ばすなや気色悪ぃ」
「はあ?眉毛ない人には言われたくないんですけどお」
「覚えとけ隼人、圧倒的な力の差で潰してやる。一分後に」

見事な手捌きで佑壱の髪を編み上げた俊が、立ち上がって隼人の背後へ回った。
髪が伸びたな、と囁くように一言。隼人の頭についていたシュシュで結ぶ位置を変えた男は、作業が終わると後ろから隼人を覗き込み、

「…ああ、イイ男だ。流石はパヤタ、イケメンだな。サイドを少しだけ編んで結んでみた」
「ボ…ボスには負けるけど、当たり前じゃん。何せこの神崎隼人君はイケメン過ぎるモデルなわけで、」
「最近サボってっけどな(;´Д⊂)」
「一言多いんだよねえ、お猿!」
「あーっ、喧嘩は駄目ですっ」
「ダメダメっ」

クラスメート達の果敢な仲裁により、健吾と隼人の喧嘩は始まる前に終わった。殴る準備をしていた佑壱はブスくれている隼人と健吾を交互に眺め、息を吐く。

「ったく、隼人は殴るつもりだったが仕方ねぇ」
「すぐ殴ろうとすんのやめてよねえ、オーボー」
「今度は俺の話だ。意味判んねぇ奴も居るだろうが、聞き流せ」

そこまで日本語で話してから、嵯峨崎佑壱は突然聞き覚えのない言葉を話し始めた。皆が首を傾げる中、目を丸めたのは隼人と健吾と、不貞腐れていた要だ。

カルマにしか判らない独特な暗号で、淀みなく喋っている。
知っているものの普段使えるほど万能なメンバーなどほぼ居ない、佑壱考案の暗号は長文になると途端に翻訳が難しい。ボーッと聞いている俊は時折頷いたが、本当に理解しているのか、要でさえ疑わしいと思ったほどだ。
同じカルマでありながら北緯は聞いていないのか、ポチポチとパソコンのキーボードを叩いている。

「…ハヤト、あれ判る?教えてくんね?(ノД`)」
「…俺はグレアムの皇帝の妹の息子で、までしか判んなかったあ」
「マジかよ、使えねーっしょ(°ω°)」
「轢き殺すぞサルモネラ菌めえ」

しれっと睨み合う一触即発気味な二匹を余所に、ベラベラと話し終えた嵯峨崎佑壱は満足げである。然しクラスメートは勿論、一人欠けた四天王にも理解出来なかった。

「そうか。プリンの食べ過ぎは気を付けなさい」
「っス」

ボーッとしている様に見える俊が荒んだ目付きで呟くと、佑壱は素直に頷いた。何故かあの二人には会話が成立しているらしい。
流石はカルマだとまたもや沸き上がるクラスメートを横目に、要と隼人は目を見合わせた。

「俺はユウさんの台詞を記憶しました。今から言うので、ハヤトは」
「おっけ、翻訳は任してえ。ゆっくりめにねえ」
「俺は?(°ω°)」
「「ハウス」」
「(ノД`)」

カルマで最も記憶力が乏しい健吾は、攻撃指定の暗号も好みのハイドンしか覚えていない男だ。聞くだけ無駄だった。

「…ふー。多分あってる」

北緯が囁いて、余った健吾が北緯の背後からパソコンを覗き込んだ。佑壱の台詞を全て平仮名で書き留め、熱心に単語単語を翻訳していたらしい。

「げっ、こんな事言ってたん?(´艸`) 好みのタイプは完璧な奴って、そんな奴存在しなさげwプゲラw」
「プリンの最高完食数は8個だって。口の中がべとべとしそう」
「プリンは飲み物wマジかwプリン好きすぎだろwwwあの面で甘党とかマジw罪深いwww」
「ユウさんの最近の悩み、見て。俺もう…ちょっと駄目かも、腹筋が」

可愛らしい顔立ちながら無愛想なので今一つモテない北緯が呟き、パソコンの画面を目で追った高野健吾は憤死した。

『俺の最近の悩みは、チャーハンの奥深さを舐めてた自分に対する怒りと、もしかしたら早漏かも知れない事』

もう声も出ない。
一通り悶えていると、同じく翻訳が終わったらしい隼人と要も、同時に崩れ落ちた。がたりと椅子から落ちた二人は、床をバシバシ叩きながら震えている。ツボにハマったらしい。笑っているのに声が出てない。
何を笑われているのか判らない嵯峨崎佑壱の隣で、吊り上がった目をカッと開いた男は、小刻みに震えながら自分の体を確かめている。目を皿にして探してみたが可笑しい所がなく、某総長はちょろりと涙を零した。

「俺の足が短すぎて、こんな事になってしまった…」
「大丈夫っス総長、それは絶対にないんで」
「じゃあ俺の足が臭すぎて悶えてるのか?」
「くんくん。や、臭かったら俺が気づくんでそれも大丈夫っス」
「…」
「疑わしげな目をしない。アイツらはアレなんスよ、頭がちょっとアレなんス」
「そうか、アレなら仕方ないな」

ほのぼのと笑い転げる犬共を見守る二匹の会話は、明らかにツッコミ不足である。いち早く爆笑の渦から復活した高野健吾は咳払い一つ、未だ声なく悶えている仲間二人を横目に、佑壱を見た。

「副長、ちょっと良いスか(°ω°)」
「あ?何だ」
「光王子を引きずり落とすっつー作戦、上手く行ってんスか?(´ω`;)」
「引きずり落とすだと?」

佑壱への問い掛けに、誰よりも早く反応したのは、どす黒いオーラを放ち始めた自称短足だ。自称短い足をしゅぴんと組み替え、荒んだ目付きで健吾を凝視している。
睨まれた健吾は冷や汗を垂れ流し狼狽えたが、真隣で恐怖のオーラを浴びた佑壱は真顔で硬直し、息をしていない気がした。

「や、違、えっと、」
「ケンタ、ちょっとお父さんの前に来なさい。足を匂わせるぞ」
「匂うのは良いけど…んな怒んないで欲しいっしょ!チビりそ!(ノД`)」
「俺はお前達を、人を騙したり苛めたりするワンコに育てた覚えはない」

本気でほざいているのか。
ハラハラしているクラスメート一同は硬直している佑壱に怯み、健吾に負けじと冷や汗を垂れ流した。黒板の前で様子を窺っていた赤眼鏡二匹が、じわりじわりと俊に近づいていく。

「そんな悪い子は俺の靴を、」
「天の君、そんなに足ばかり連呼されると気になってしまうのさ」
「天の君、失礼ながら匂わせて貰うのさ」
「!」

すぽんと脱いだ靴を両手に掲げ、健吾の元へ近づこうとしていた極悪顔の靴下に、赤眼鏡二匹が鼻を寄せた。恐ろしい目付きで硬直した童貞は微動だにせず、一頻り匂いチェックを済ませた赤眼鏡は俊が手に持つ靴を甲斐甲斐しく履かせてやってから、満足げに黒板へと戻っていく。
黒板にカカカッと書かれた文字は『ナイス男の匂い』だった。これに拍手が湧き、固まっていた童貞は恥ずかしげにペコリと頭を下げ、

「あにょ、俺はおちゃんこしてますので、どうぞ、お話しして下さい」

触れ合いが不足していた中学時代の遠野俊と言えば、崇められるか殴り掛かられるかの二択で暮らしていた経緯がある。クラスメートから親しげ(寧ろ変態げ)に足を匂われるなどと言う意味不明なイベントは、一度も体験した事がなかった。
俊の狼狽には気づいているものの理由が判らない自称早漏は、皆無な眉を寄せて考えたが、やはり判らないので意味もなく健吾の頭を殴る事にした。殴られた健吾は涙目で悶え、憎々しげに佑壱を睨んでいる。

「…ハニートラップやってる癖に(/ω\)」
「余計な事を言うんじゃねぇ」
「中央委員会に寝返った癖に(°ω°)」
「判ってたがテメーが一番性格悪いな健吾、もっぺん喰らいてぇか?あ?」
「総長!ユウさんってば拳まで早漏っしょ!すぐイく癖にすぐ殴るんスよ!(*´`*)」
「ん?居候?」
「うひゃ。カマトト総長、本気で判らないの?マジ罪深き可愛さっしょ(°ω°*) どれどれ、俺が一から教えてあげよっか?」
「教えてくれるのか?有難う、お前は優しい子だな、健吾」

悪い顔で俊の肩に腕を回し覗き込んだ高野健吾は、ぶちキレた嵯峨崎佑壱から殴られる前に俊の笑顔を直視してしまった為に、へにょりと腰を抜かした。
油断すると恐ろしい威力だ。穢らわしい我が身が恥ずかしくなる程の無垢な笑顔だ。泣けてきた。佑壱に首を絞められてまた、泣けてきた。

「テメー…!そんな事は俺が総長に教えるから良いんだよ!餓鬼は引っ込んでろ!」
「ギブギブギブ…!(;´ω`;) 本気で死ぬ…!マジで俺召されちゃうっしょ!グフ!(゚ω、゚)」

がくりと落ちた健吾はぽいっと放り捨てられ、心優しい一年Sクラス生徒らに囲まれる。テキパキと手当てを受けながら、健吾は片目を開けて要を見た。

一瞬目が合うも、やはり、逸らされる。
苦い笑みが零れた唇を手で押さえ、ハンカチを差し出してくる生徒を断り、上体を起こした。

「カナメ、そんな俺が嫌ならはっきり言ってくれて構わねーべ?(°ω°)」
「…え?」
「こんな所まで追っ掛けてきやがって、ってさ、オメー、本当は初等部の時から思ってたんじゃね?(´∀`)」

健吾の話に、俊と要以外が首を傾げる。
隼人は勿論、佑壱も想定外だったのか、片目を眇めて顎を掻いていた。気まずい雰囲気は誰もが察した様だ。

「あー、何つーか、違ぇんだよ。や、ユーヤはそうだったのかも知んねーけど、俺はカナメを追ったつもりはなかったんしょ。信じて貰えないだろうけどな?マジごめん」
「何で謝るんですか。俺は、別に」
「でもさ、見たくねーんだろ?カナメが俺と目を合わせなくなったのって、2年の頃からじゃん。クラス違ったけど、体育の時だべ?お前さ、俺の腹、見たんだろ?」

隼人は要の顔色を読み取ってから、俊を見た。隼人の視線に気づいた俊は唇に指を押し当て、割り込むなと伝えてくる。
仕方ないと腕を組んだ隼人は、俊の足元に座り込み、長い足を放り出した。つられる様に佑壱も背を正し、要と健吾を見守っている。
要だけが幹部で最も浮いている事を何となく把握していた北緯は、把握していなかったらしい佑壱の表情を一瞥し、肩を竦めた。俺様な様で空気を読んでいるあの佑壱が把握していないのであれば、仲が悪い訳ではないと言う事だ。

「これはさ、オメーの所為じゃないんだって。あの時、怪我人いっぱい出たじゃん。だから偶々その中に鈍い俺が含まれちまったってだけで、カナメは何も悪くねーんだよぃ?(*`∀´)」
「綺麗事を言わないで下さい。お前の運動神経を知らない奴なんかここには居ない。偶然?誰しもその可能性があった?…はっ、そんな訳ないでしょう、だってあの時、」
「だから違うっつってんだろうが!」

教室の中央、今や置いてあるだけの机の脚を、健吾は蹴り飛ばした。床に座り込んだ態勢だった為、少しズレただけだったが、何人かは驚きの余り怯み上がっている。

「助けるつもりなんかなかったんだっつーの!当然だろうがよ、俺ら5歳になる前だったんだぞ?!あんなん大人だってビビるっつーの、足が竦んで何が起きてるか全然判らんくて、でもな!あん時、まともな音なんか一つしか聞こえなかったんだよ!(´°ω°`)」
「まともな音…?」
「お前も聞いてただろうが!カナちゃんって、叫んでた奴が居ただろ!俺ぁその指示に反射的に従っちまっただけなんだよ!仕方ねーだろ、指揮者が『死ね』っつったら、アドレナリン出まくってるハイな時は従っちまうもんだっちゅーの!カナちゃんカナちゃんカナちゃんって、あんまうっせーから…ゴホッ!」

叫んで、咳き込んだ健吾に要は慌てて駆け寄った。
噎せている背中を無意識で撫でながら、理解し切れていないのか、忙しなく瞬いている。

「けほっ。…あーあ、肝心な所で噎せて噛んだ、クソダセーな(; ´艸`) あのさ。済んだ事は良いんだって。いつまでもめそめそされたらよ、俺の狼が泣くぞぃ?つーか号泣よ?全米も泣くべ?」
「…」
「なんてな。…オメーを助けたかったのは俺じゃねぇ。ユーヤだよ、カナメ」

広げた股の間に両手を投げ出した健吾は、要を真っ直ぐ見据えたまま呟いた。

「俺が起き上がれるまで、アイツついててくれたんだ。知ってるかも知んねーけど。だから、カナメを一人にしたのは俺なんだよ」
「俺は、そんな事は…」
「知ってる。お前はいっつも他人に遠慮してばっかなのな。違ぇんだよカナメ。ユーヤはカナメを助けた俺に恩を感じちまっただけなんだ。ユーヤはオメーの事しか考えてねーべ?ユーヤが帝王院に入るっつったから、図々しく付いてきちまってさ。オメー、勘違いしてたろ?」
「…」
「お前の友達取っちゃって、ごめんな」
「俺は、一度だってそんな事を考えたり、は」

唇が震えている。
要の薄い唇を苦笑いで見つめた健吾は肩を竦め、至極簡単に宣った。だから何だとばかりに、

「じゃ、考えちまえ」
「…俺の所為で弾けなくなったのに、本気でほざいてるのかお前は?!あ、あんなに素晴らしい音を出せたのに!ピアノもバイオリンもサックスもっ、ま、魔法みたいに…!」
「魔法?うっひゃ、何、じゃあ俺、魔法使いだったん?(//∀//) やべ、照れるwww」
「真面目に聞いて下さい!俺はっ、」
「うっせ!俺の所為でお前ら他人行儀になってんだっつってんの!いい加減さ、俺を悪者にすんなよ!オメーの所為で俺、今スゲー惨めなのっ!」
「な、んで、ケンゴが惨めなんです、か」
「知るかよ!ハヤトに聞けし!(´°ω°`)」

今にも泣きそうな顔の錦織要に見つめられた神崎隼人は、改めて高野健吾の意味不明な言動に翻弄された。
皆の視線を浴びた神崎隼人の弾き出した答えは単純明快、


「あは、それはあ、…ユウさんに聞いたらよいよ?」

転嫁された責任の丸投げ、である。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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