帝王院高等学校
静かな夜は一緒に話をしようか
話をしよう。
何でも良い、その人を知る為には会話する事が一番の近道だ。

眠りを誘う静かな声音に、異を唱える者は居なかった。

ほんの数十分前に不審者を軽々蹴り倒した男の表情は、意思の強すぎる眼差しを除けば、努めて冷静だ。恐怖も不安も全て奪われた人々の目線の先に、男は存在している。

髪も眼も、黒い。
極々平凡な日本人のそれでありながら、何故。彼だけがまるで、違う生き物の様に見えるのか。



武蔵野千景はスケッチブックを抱き締めたまま、頭の中で幾つもの彼を描いた。
けれどそのどれもが、劣悪な贋作にしか思えなかったのだ。




「イチ、泣くのか笑うのかはっきりしたらどうだ?」
「………ぐ…ぐふっ」
「そこで笑うとパヤトが泣くぞ、イチ」
「…」
「…もうよいよ、笑いたければ笑えばあ?」

必死で耐えながら首を振る佑壱は涙目で要に助けを求めたが、どうやら意外にも感動していたらしい錦織要は夢から覚めた様な表情で隼人の横顔を見ていた。その要以上に感動していたらしい愉快なクラスメート達は密かに涙を拭いながら、次々にフラッシュを光らせている。どうやら帝君の影響で皆、撮影に目覚めたらしい。
無言で俊を連写していた川南北緯は、勝手知ったる後輩の教室でパラパラと作り掛けの日誌を読み始めてから、本棚のバックナンバーを漁っている。

時々「モエ」と聞こえてくるが、皆は聞かない振りだ。

「失礼しちゃう。もーユウさんなんか知んない、とっとと愛人のとこに行っちゃえばあ?ボスは隼人君達が幸せにするからあ、ばいばーい」
「わ、悪かった隼人。そんな邪険にすんなや。な?…ぶふっ」
「ボス!ユウさんが隼人君を馬鹿にしてる!怒って!叱って!」
「イイ加減にしなさいイチ、隼人の台詞は間違ってない。それともお前は、カルマを他人だと思っていたのか?」
「…んな訳ないでしょうが!」

ガツンと教卓を殴り付けた佑壱の近くで、バチリと静電気が光った。明るい教室の中で一体何人が気づいたのかは定かではないが、撮影に勤しんでいた一年生達が怯えるには十分だ。

「悪かった隼人。嬉しい時も笑いたくなるもんなんだ。馬鹿にしたんじゃねぇ、そこは信じろ」
「えー」
「ぶん殴るぞ」
「横暴にも程があるんですけどお!」
「ふん、餓鬼は餓鬼らしく友達百人作っとけ」
「はあ?ユウさんだって友達百人も、」
「居ねぇよ。カルマが出来るまで…や、出来ても、か。俺はいつだって宙ぶらりんだった。総長が最上位で、お前らが下。俺はその真ん中で、対等に思える奴なんざ、一人も居た試しがねぇ」

かたりと、立ち上がった俊が教室の中央、机に置かれた懐中電灯を手に取り、灯っていた明かりを消した。

「イチ、さっきの『セントラルライン』と言うのは、中央委員会の事か?」
「え?あ、はい、そうです。総長の所属する左席はクロノスです」
「キィが来た後に、お前が教室が動かせたと言ったな」
「あー、プログラミングは隼人達に任せましたが…今も、少しずつ動いてる筈です。多分」
「あは、誰が考えたか知んないけど色々面倒な仕組みだよねえ、あれ。場所のコードとか判んないからあ、適当にぶっ込んだんだよお。あっちでやらせてるからあ、暫くは捕まんないと思う」

佑壱から仕組みを聞いた一年Sクラス一同は、隼人のお手本を見ていた為、数人がパソコンに張り付いている。

「すいません紅蓮の君、モードチェンジ項目126でエラーが出たんですが、J501って何ですか?」
「あー、確か可変区域の例外部分だ。配管とか、ロックされてる部分は基本的に動かせない。ロック連結されてるエリアを一括で動かす事は出来た筈だが、悪い。俺はそのやり方までは知らねぇ」
「いえ、有難うございます!仮想サーバーでチェックしながらやってみます!」
「任せて下さい!」

プログラミングが得意な生徒らが、眠たげな隼人の代わりに、今も尚、移動指示を出しているのだ。
隼人でもパソコンに十分ほど張り付いて最後は匙を投げたと言うのに、判らない所は佑壱に聞きながら奮闘しているクラスメートらは、着実に理解してきている様だ。パソコンに触れない佑壱はそもそもパソコンの操作が出来ない為、知識があっても役には立たない。

「キィ」
「…モエ。じゃない、はい。何ですか総長?」
「ノーサは風紀役員なのか?」
「え?あ、そっか、総長は覚えてないんだ。そうです、北斗は今、報道部部長と風紀副を兼任してます。風紀副局長は二人居るんで、もう一人、三年の奴がいますけど…名前言っても、総長は判んないと思うっス」
「そうだな。クロノスライン・オープン」
『エラー、声紋認証が完了していません』

教室の全ての人間が目を見開いた。
隼人は『んな馬鹿な』と怒鳴る様に立ち上がるが、立った所でどうなるものでもない。
素早くクラスメートの持ち込んだノートパソコンの一つを奪い、恐ろしい早さでキーボードを叩き始めた。

「イチ、今のはどう言う意味だろう?」
「…俺にも判りませんが、誰かが総長のデータを消したとしか思えません。んな事が出来る奴は一人しか居ねぇ。…でも、そんな筈が…」
「セントラルライン・オープン」
『コード:ナイトを確認、クラウンを起動しました』

佑壱が目を見開くのと同時に隼人の指が止まる。
緩く首を傾げた俊は懐中電灯を握ったまま机に座り、握ったサングラスで頬を掻いた。

「これじゃ、俺は左席委員会じゃなく中央委員会の役員みたいじゃないか。なァ、イチ」
「な、んで…」
「お前の言うルークは、ABSOLUTELYの皇帝の事だろう?確か今の俺は、置き手紙を残して行方を眩ませて、彼から探されていたんだ」
「…そうです。総長が居なくなった日、奴らが乗り込んできました。何が目的かは知りませんが、高坂も叶も、ただの客として来たなんて抜かしやがって…ぶっ殺してやろうかと…」
「そもそも俺は、何で居なくなったんだ?」
「さぁ…多分、受験するからだったんじゃないかと思いますが…違うんスか?」
「自分の事ながら判らない事が多すぎるな。誰が俺の記憶を消したんだろう………ああ、そうか。消えたなら、戻せばイイ」

何の話だと首を傾げている皆を眺め、俊は一人を指差した。

「クラス委員長」
「は、はい、僕ですか?」
「野上君。俺に君の物語を聞かせてくれないか」
「えっ?!」
「幾つもの物語を重ねて重ねて、俺は新しい詞を創る事が出来る。その詞をあの子に歌って貰えれば、消えた記憶が戻るんじゃないかと思うんだ」
「えっと、猊下、あの子って…?」
「俺の影」
「へ?!」

すっとんきょうな声を上げたクラスメートの顔を眺め、遠野俊は首を傾げた。暫くそのまま動きを止め、何かに気づいたのか、軽く頷く。

「ああ、ごめん。これじゃ判らないな。名前は…何だったか。交換条件で忘れてしまった。俺は俺の目的を失って、あの子は本性を失った、筈だ」
「あの…?」
「目を開けば俺の眼が良く見える。目を閉じれば俺の声が良く聞こえる。でもそれは一時的なもので永続しない。俺は俺を忘れている。誰が俺を消した?判らない。目的は何だ?判らない。破れた物語の破片は何処にもない。繋ぎ合わせるには幾つもの物語を重ねて補填するしかない。ヒントは何処にもない。ヒントは全てに存在している。何故ならば世界は全であり個、」
「総長!」

要が荒げた声で皆が飛び上がる。
最も驚いたらしい俊は切れ長の目を丸め、随分面白い表情だ。

「…ん?」
「畏れながら総長、今日は新月じゃありません。俺達以外、に」
「………ああ、そうだった。ごめん要、俺が悪かった。ごめん、許して欲しい」
「俺達以外に、子守唄を聞かせないで下さい。そもそも、俺の話はまだ終わってません。だから…」
「ごめん、俺が悪かった。泣くな、カナタ」

両腕を広げた男の腕の中に、青い羽根と髪が吸い込まれていく。小刻みに震える背を撫でて、タクトを持たない指揮者は双眸を細めた。

「そうだ、全員の話をしようと言ったんだ。カルマは世界の一部だが、全てじゃない。イチ、俺がお前達を嫌う事は絶対にない。だからもう、秘密はやめようか」
「…絶対なんて、ンな簡単に言い切ったら不味いでしょうが」
「俺はさっきお前達に聞かせた話を此処で言える。このクラスは俺のクラスなんだ。もう、中学の時とは違う。それは俺だけではなく、お前も、要も、隼人も、裕也も、…もうすぐ来る、健吾も」
「え?」

足音が近づいてくる。
微かに、微かに。弾かれた様に顔を上げた要が目を向けた先、面倒臭げに立ち上がった神崎隼人は廊下へと足を伸ばした。

「何やってんの、馬鹿猿。集合時間過ぎてんですけどお?」
「っ、せ!はぁ、こっちにも都合ってもんがあんだよ!(ノД`) 何が不審者だっつーの、何処にも居ねぇじゃねーか!つーかここ離宮だべ?!何で中央にある筈のSクラスがンな所にあんだよ!馬鹿か!」
「うっざー、何イライラしてんのお?はあ?つーかオメー、まさか泣いてんの?」
「んな訳ねーっしょ!(ヾノ・ω・`) うっぜ、ハヤト!ハゲて死ね!(*´Q`*)」
「ちょっとお、ちょっとすばしっこい程度で喧嘩吹っ掛けんじゃないわよお、タコがー。てんめーなんざ、ボスから叱られちゃえばよい」
「あん?何言ってんだテメ、」
「健吾」

高野健吾は隼人を見つめたまま、動きを止める。片眉を跳ねた隼人の勝ち誇った笑みを一瞥し、言葉なく唇を震わせたのだ。


「おいで、健吾」

今や自分のクラスではないSクラスのルームプレートを見上げ、隼人を押し退ける様に教室へ踏み込み、目を見開いた。不自然に吹き飛んだ様な教卓の上に銀髪、生徒らが円を描く中心に、要を抱いた黒髪の男が座っている。

「遅かったな、健吾」
「な、にしてんスか、会長?それ、後ろのカツラ、何で…?」
「此処には窓がなくて暗いから、とても心細いんだ」
「っ、は?!」
「実は記憶喪失なんだ。お前の誕生日を祝う前だったのに、気づいたら丸一年経ってた。ごめん」
「(°д°)」

こりゃ会話が通じてねーわ、と、笑顔で吐き捨てた嵯峨崎佑壱の目は笑っていない。赤縁眼鏡二匹に囲まれたオカンはほぼない眉をギュッと潜めた。

「テメーら、その眼鏡、中々洒落てんな」
「有難うこざいます紅蓮の君、良ければ特注品をプレゼント致しますのさ!」
「我ら天の君親衛隊の名誉隊長になって欲しいのさ」
「あ?馬鹿抜かせ、総長の親衛隊は俺らカルマだ。テメーらは末端も末端、舎弟の舎弟みてぇなもんだ。なぁ、健吾」
「…へ?(´°ω°`)」
「みっともねぇ面晒してねぇで、そこらの椅子持ってこい。特別にお前は俺の横に座らせてやらぁ」

俊の隣に座る佑壱が椅子ごと俊に近寄り、隼人の椅子との間に空間が広がる。嫌そうな隼人は渋々元の席に座り直すかと思いきや、俊の逆隣へ椅子を運び直し、クラス委員長と俊の隙間に無理矢理割り込んだ。

「ちょっとお、いんちょ邪魔。隼人君とボスの間を邪魔する気い?」
「あ、ごめんなさい星河の君。どうぞどうぞ」
「隼人、クラス委員長はつまりクラスで一番偉いから委員長なんだ。謝りなさい」
「あは。ごめんねえ、地味いんちょ」

神崎隼人の笑顔にクラス委員長は乾いた笑みを浮かべた。
困惑げの健吾は、椅子を持ってきてくれた生徒に促され足取り悪く要の隣へ座り、チラッと佑壱を睨む。

「裕也が居ねぇ所を見ると、何かあったのか?」
「…副長には関係ねーっしょ。つーかシロの言ってた不審者はどーしたんだよ、ぶっ飛ばしに来たのに(´Д`)」
「ああ、あれなら俺がぶっ飛ばしたぞ」
「?!」

ビクッと肩を震わせた健吾に、俊はへらっと顔を笑顔で染めた。忽ち全員が真っ赤に染まった教室で、誰よりも真っ赤な顔をしているのは、至近距離からそれを見た高野健吾だろう。
ギリッと同時に歯噛みした要と隼人は羨ましげに健吾を睨んだが、みっともないからやめろと佑壱に殴られて沈黙を貫いている。

「今、皆で話をしているんだ。お前は高野健吾。でも俺の記憶のお前は、右側のピアスはまだ3個だった」
「何、ど、何…え?!(;°ж°)」
「初めまして、俺は遠野俊14歳。いずれお前達を捨てて居なくなる最低男の代わりに、今、謝ってる所だ」
「マジ…本気100%の話なん?(;°3°) 記憶喪失…何で?!どっかから落ちた?!まさか誰かにヤられたなんて、」
「まさか、俺だぞ?」
「っスよね!(´ε`*)ゝ …じゃねぇわ、だったら何で記憶喪失なんかなってんだよ!」

がばっと俊に張り付いた健吾は、素早く身体検査を始めた。益々顔を闇で染めていく錦織要と神崎隼人は目と目でアイコンタクト、今にも健吾抹殺計画を発動しそうだ。然しオカンの恐ろしい目で見つめれ、なかった事にした。

「け、怪我は…ないっぽい?(´°ω°`) もう何、ふざけてんじゃないなら何が原因か心当たり………ある訳ねーってか。記憶喪失だもんよ」
「昨日食べた唐揚げの数は覚えてるが、その昨日は多分、一年前の昨日だと思う。すまない」
「俺以外に何されてんだよマジで!アンタに意地悪すんのは俺…じゃない、そうじゃない、今はそんな事よりっ!もう、何なんだよ!あっちでこっちで何が起きてんスか!マジで訳判んねぇ…!」
「…」
「つか14歳って!こんな老けた14歳が居るわけねーっしょ!どう見ても28くらいにしか見えねーし!(°д°)」
「ぐす」
「………ご、ごめん、総長。今のは俺が完全に悪かったっしょ」

鋭い目付きのままちょびっと涙を零した男に、健吾は素早く謝る。ゴキッと言う恐ろしい拳の音は聞かなかった事にしたかったが、背後から伸びてきた両手にこめかみをグリグリされてしまえば、痛いと叫ぶ暇もなく倒れるしかない。

「テメー、誰の総長が老けてるだと…?」
「だ、誰のって、皆の?(´;ω;`)」
「舐めてんのか糞餓鬼、総長は俺の総長だ」
「「「絶対違う」」」

健吾、隼人、要の声が揃った。
睨み合う狂犬共を余所に、北緯が読み散らしていく冊子を手に取った男はパラパラと中を眺め、真顔で静かに本を閉じる。真顔で遠い何処かを見ているが、真顔が犯罪者にしか見えない為に、誰もが目を反らした。

「………イチちゃん、パヤト、カナタ、ケンゴン。この世には、俺の知らない世界ばかりだなァ」
「は?」
「へ?」
「え?」
「はへ?(?ω?)」

モエ、と言う川南北緯が佑壱と冊子を何度も交互に眺め、

「ユウさんのホスト、あり」

呟いた台詞に、カルマは沈黙した。
賑やかに談笑している生徒らに反し、必死な表情でパソコンに張り付くメカニックな生徒達、がりがりとスケッチブックに筆を走らせてはビリビリ破っていく眼鏡に、がりがり黒板へ何かを書いている赤縁眼鏡が二匹。まさにカオスだ。

「猊下、僕らの様な薄っぺらい人生を歩いてきた人間には語れるほどの話がないのさ。今の所、星河の君の話ほど充実した話は見当たりません」
「5人ほど話が終わったのさ。天の君は聞いてらっしゃらなかったかも知れな、」
「いや、聞いていた。野上君の故郷の話も、東宮君の飼っていた金魚の話も、溝江君の好きなクラシックの話も、武蔵野君の夢の話も、ちゃんと記憶してる」

聖徳太子か、と。
呆れ顔の健吾が呟いて、オレンジの頭を掻いた。何故か円形に並んでいる椅子の一つに座り、教室が馴染まないのか、やや俯いている。

「あー…何っつーか、皆、久し振りっしょ(´ω` )」
「本当に何だかずっと会ってなかった様な気がするよ。久し振り、高野君」
「野上、クラス委員長なんだって?タイヨウ君から聞いたっしょ。…つーか、俺らが降格して怒鳴りに来たのはよ、後にも先にもオメーだけだぞぇwww」

健吾の台詞に皆が地味な野上を見た。
片眉を跳ねた佑壱は無意識で「マジか」と呟いたが、悪気はない。ただ、何処から見てもそんな勇気がある様には見えなかったからだ。

「僕だって進学科の生徒だよ。自分より前の席に座るクラスメートは全部ライバルなのに、一度も勝てないまま戦線離脱されて…納得出来なかったんだもん」
「うひゃひゃ、流石は『やまだがかり』、キモいっしょ!」

俊と佑壱、本を熟読している北緯以外が気まずげに沈黙した。見つめあって同時に首を傾げた俊と佑壱は、俊の腹が鳴った瞬間に違う意味でまた、見つめあう。

「やめてよ、それはもう。…時の君は良い方だよ。彼は被害者なんだ。なのにどうして君達は、」
「んなもん、白百合が贔屓してっからだよ」

中等部で昇校してきた野上クラス委員長は眼鏡を押さえ、健吾の言葉に首を傾げた。腹を撫でながらしょんぼりしている俊に、そわそわしている佑壱は涙を飲んで無言を貫いたが、クラスメートの一人が取り出したクッキーに赤い目を見開く。

「ゴディバのクッキーだと…?!テメー、んなもんで総長を懐柔出来ると、」
「うまい」
「良かった。全部食べて下さい、天の君」
「総長ー!!!俺と言う犬がありながらアンタって人はぁあああああ!!!」
「つーか副長、煩いっしょ(´ω` ) 総長も食ってないで俺の話を聞きやがれぃ」
「「すまん」」

健吾に叱られて申し訳なさそうに声を揃えたカルマツートップは、ぼりぼりと高級クッキーに舌鼓を打った。夕飯を食いっぱぐれていた嵯峨崎佑壱もまた、空腹だったのだ。

「そーだ、これは総長も知っといた方が良い話っスよ。タイヨウ君…っつっても判んないか」
「山田太陽君の事か。左席副会長、俺の親友」
「あ、一応、知識はあるんスね?(°ω°) そうっス、その山田が何で孤立したのかとか、何で総長になついたのかとか。俺ベースの話になるっスけど、聞いて貰えますか」
「うん」
「うひゃ。どーせこの茶番言い出したの総長っしょ?新月が近くなると話したがりになるっスね、マジ(・ω・)」

にへらと満面の笑みを浮かべた高野健吾は背を正し、隼人と要を見た。何だと言わんばかりに目を眇めた隼人と真逆に、要は他人からは判らない程度の仕草で、目を反らしている。

「…山田が元ルームメートに暴行を受けたのは、中等部二年の始めの頃でした」
「理由は?」
「一年の後期末の進級考査で降格した奴に、逆恨みで襲われたんスよ。ただその程度じゃ珍しい話じゃなかった。なのに山田だけがクラスで浮いた理由は、まず一つ、アイツが他人を拒絶したからなんスよ。無理もないとは思うんスけどね(´°ω°`)」
「そうか」
「でも本当に重大な理由はもう一つあるんス」

高野健吾は唐突に目を擦る。
使い捨てのカラコンに違和感でもあるのか、その場でレンズを外し、黒目に変わった双眸を何度か瞬かせた。

「あー、目薬持ってる奴居ねぇ?くっそ、カラコン着けたまま寝ちまった所為で、眼球がゴロゴロ動いてる気ぃするっしょ(´Д`)」
「あ、高野君、僕の目薬で良かったら。えっと、コンタクト用じゃないんだけど」
「おー。ありがとよ、野上。コンタクトは外したから構わねーっしょ(´ω` )」

目薬を差した健吾の裸眼は、そう珍しい光景ではない。ただそれは、カルマだけの話だ。学園では生まれつきオレンジの瞳なのではないかと噂されるくらい、健吾と裕也の髪と眼が変わる事はなかった。だから一年Sクラスの生徒は人知れず驚いてはいたが、話を遮るつもりはないのか、皆、口を閉ざしている。

「あの事件で山田は、ABSOLUTELYの幹部長に助けられたっつー噂が広まったんです。あっちの用語でセントラルマスター。…総長、流石にコイツは判るっスか?(´ε`*)」
「ああ、彼にはさっき会った」
「「「は?!」」」
「マジっスか!w…っつーか、まさか白百合にヤられたんじゃないっスよね?それは幾ら俺でも、ちょっち仕返し出来そうにねーっしょ(´;ω;`)」

感電した佑壱ら狂犬共の表情が怒りで満ちる中、健吾は涙目だ。少しも表情を変えない俊だけは完食したクッキーの包みを切なげに見つめ、粉まで指で掬い、舐めている。

「で、ABSOLUTELYの幹部長を知らねぇ奴なんかこの学園には居ねーんスよ。カルマのシーザーレベルで有名なんスから。そんで、当の風紀委員長がそれから頻繁に山田に話し掛ける様になった。これで浮かねー方が可笑しいと思いません?(´°ω°`) だから、山田は多分、孤立を受け入れるしかなかったんスよ」
「そんなものか?どうして俺なんかが有名なんだ?足が短いからか?」
「強いからに決まってんでしょーが!(・皿・`)」
「俺は強くない」
「何馬鹿な事、」
「現にお前達をずっと、騙してきたじゃないか」

綺麗な空箱を膝に置いた俊は目を伏せ、広げた掌を眺めた。

「年を誤魔化した。ただの中学生でしかない癖に、皆に優しくされて勘違いした。俺はとても、狡くて弱い人間だ」
「…んな事、考えてたんスか?ずっと、あんだけ、無敵だった癖に…」
「…無敵?お前は何処まで俺を買い被るんだ健吾、いつになっても俺は弱かった。何も話せないまま消えて、きっと、リセットした気になったんだ。俺には判る」
「リセットって」
「言えないなら、せめて近くで。俺には友達なんて一人も居なかった。俺が求めても誰もなりたがない。寄ってくるのは俺を倒そうとする者か、俺を飼い主と呼ぶ、ワンコばかり」

佑壱は無意識で首輪に触れ、要は耳から下がるピアスの羽を掴み、隼人は手首を押さえる。腹の辺りを撫でた健吾もまた、顔をくしゃりと崩した。

「………そっか…」
「ごめん」
「バッカ、総長は何も悪くねーんじゃん。何だ、そんじゃ全部、俺の逆恨みじゃんかよ。うひゃひゃ、恥ずかしっ!(//∀//)」
「逆恨み?」
「何かさ、捨てられた気になったんしょ。…んな訳ねーのに、総長が糞ババアと同じみたいに、思っちまってた。だってさ、実の親だって餓鬼捨てたりするんだよぃ?俺は知ってるっしょ。昨日まで優しかったのに、明日は他人より冷たくなんだ。…実の親でも」
「ごめん」
「だからチゲーって!謝んなし。俺が勝手に思い込んでたの!思春期パワー爆発させてたの!俺が勝手に…っ、総長は俺らが要らなくなっちまったんだって、だから仕返ししてやろうって、そうしなきゃ救われねーとか阿呆な事、思ったんスよ」
「そうか」

俊はふわりと笑みを溢し、頷く。物騒な話を聞かされている事を理解していないのではないかと思うくらい、晴れやかな笑みだ。

「どんな仕返しなんだ?」
「…恥ずかしいから言わねっ」
「イイぞ、お前がしたいようにすればイイ。俺は抵抗なんかしない。好きなように、どうとでも」
「何でだよ!俺がダセーじゃんか!何だよ格好つけやがって、俺はアンタをどん底に陥らせて、やっぱ俺らが居なきゃ生きていけないって思わせるつもりだったんスよ?!(´`)」
「うん」
「だから俺、俺は…!っ、神帝にアンタの情報を売ったんだ!」

要と隼人が目を見開き、佑壱は息を吐いた。想定内だったのは佑壱だけらしい。

「アイツに見つかれば流石のアンタでも負けるかも知んねー、そうなったら頼ってくれるんじゃねーかって、だから俺…!」
「うん」
「ご、ごめんなさい!」
「うん」
「ユーヤはやめろって言ったっしょ!ううっ、ユーヤは何も言ってねーんス!ぐすっ、だからアイツは何も知らねーんス!ぜ、全部俺が…!」
「判った。ごめん、俺が悪かったんだ」
「違ぇよ、馬鹿!お、俺が悪い、ひっく、うぇ、だ、だからユーヤが、ひぐ!」
「あー、もう、男がいつまでもメソメソすんじゃねぇ!」

佑壱の恐ろしい握力で頭を鷲掴まれた健吾は、汚い泣き顔のまま放り投げられた。ぎょひ!っと言う悲鳴のまま、飛び込んだ先は、クッション代わりには到底ならない菓子の空き箱。

「総長、健吾の夜泣きが酷いんで慰めてやって下さい。さっきのアレで」
「判った。健吾、お父さんとキスしよう」
「は、はふぁ?!ヽ(゚ω、゚)ノ」

ブチュっと瞼に吸い付かれた健吾が可哀想なほど固まり、ずびりと鼻水を垂れ流した。もう声もなく怒りに震えている神崎隼人は心のデスノートに健吾の名を刻み、何とも言えない表情で健吾を見ていた要は、それに気づいた俊に手招かれて肩を震わせる。

「おいで、要」
「…で、も」
「お前はずっと、健吾に言いたい事があったんだろう?」

そして黒板へ、高野健吾の名が刻まれた。
物語はまだ、6つ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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