帝王院高等学校
願い事は誰にも内緒でこそっと、ね
そこだけきらきらと、輝いて見えた。
真っ暗な世界に、幾つもの灰色の宝石が落ちている。

「これはルビーなのか、サファイアなのか…」

きらきら、きらきら。
玉ねぎを剥いた様なドレスがくるくると回っている。オルゴールの様なそれは、誰が螺子を巻いたのだろう。
ずっとずっと、勝手に回っているのだ。

「いつまで踊ってるんだい、お前さん」
『あはは、あははははは』
「楽しそうだねー」

派手な化粧はピエロ。
口紅で引いたハートが目を塞ぎ、青いルージュの唇は生気がない死霊の様だ。ただただ笑いながら回るピエロの周囲に、欠けた羅針盤。

「俺は今、誰なんだろう」
『あはは』
「俺は消えてしまったのかな」
『あははははは』
「いつも逃げてばかりで、俺が弱い人間だってバレてしまったから」
『初めからお前なんか、誰も求めてないんだよ?』

一粒、握っていた宝石が塵になる。
踊り子の布がきらきらと舞い、ハートの中央、笑みで目を歪めた道化師は至極楽しそうに唇を吊り上げたまま、ひらひらと両手を広げた。
その右手には指揮棒、左手には赤い絵の具だけ落とされたパレット。

「…知ってたよ」
『いいや、お前はなんにも知らない。だって弱虫だから。だって邪魔者だから。お前には誰も期待なんてしてない』
「………うん、そうだね」
『お前の罪を僕は知ってる。だって僕は、お前が産み出した逃げ道じゃないか』

にたり、にたり、笑う声は自分に似ている。
真っ暗な空からバラバラと、幾つもの宝石が降ってきた。どれもこれも全て、灰色だ。

「俊、は」
『あはは、あははははは』
「凄く、優しいんだよ。俺なんかに、手を差しのべてくれたんだ。あの日も、再会してからも。…だから、」
『友達振るなよ。所詮お前なんか、ただの狗じゃないか』
「っ」
『皇帝は平民を友とは呼ばない。お前は一生、空っぽさ。誰かと関われば関わるほど、誰かと会話すればするほど、ほら、虚しくなるんだよ?』

バラバラ、バラバラ。
止まった羅針盤、降り積もる灰色、それだけがただ、きらきらと。

『人を傀儡人形にしてしまう、神原から追放された榛原。灰色の家名が教えてくれる、お前には友達なんか出来やしない。嘘つき。嘘つき。ネイちゃんはお前が操り人形にした』
「っ、違う!俺はそんな事してないっ」
『歌うのかい?それとも口笛?お前の罪深い唇はまた、誰かを支配するんだろ?あはは、あははははは!』
「いい加減にしろ、お前さんはもう、消えたんだ」

ピタリと、動きを止めた煌めきを視たのが最後だ。

『そう、お前が作り出した癖に僕は処分された。嫌な記憶を全て僕に押し付けて、自分はのうのうと暮らしてたんだ。裏切者。…だけど今度は、お前が消える番だよ』
「偽物は本物にはなれないんだよ」
『でも僕はこうして残ってる。優しい皇帝は僕を選んだんだ、だって僕は、彼を助けようとしてるんだから』
「…厚かましいね、流石は俺の『本性』だ。でも、俺の魔法は俊には効かない。あの子はね、不完全な俺とは違うんだ」
『恐い癖に!お前は弟を殺そうとした!お前はネイちゃんだけじゃ飽き足らず、宝石を全部独り占めしようとした!あはは、あはははははっ、』

耳障りな声だけが聞こえる。
悪い夢を見ているようだと目を閉じた。

『ね、見窄らしいカラスとどう違うの?綺麗なものを全部全部集めて、』

かちり。
降り積もった灰色の宝石に覆われて、もう、何も見えない。





『「俺」は、何処に隠したかったんだい?』























突き放されたのか・と。
頭が理解した瞬間、足元から崩れ落ちる音を聞いた。

誰かが自分を呼んでいる。
目の前は真紅から黒へとグラデーションの様に色を変え、今や、真っ暗闇の中。

どうせ諦めていたのだろう。
どうせ心は既にない。
だけど何故、空っぽである筈の体は今、悲鳴を上げているのだ。


「利益、か」

貴方は呟いた。
私の心を握り締め、まるで壊そうとでもしているかの如く、容赦なく。

「俺も安く見られたもんだね」

理性は心に宿るのだ、などと。
本能は肉体に、などと。
信じていたのはいつだった?

それが神であれば聞こえているのだろう。
貴方はただの、人間だったのだ。



「約束を覚えているかい」

どうしてこの願いが、届かない?














最期に綴る、親愛なる『神』へと。

Post script: Dear DIABOLOS.









全ては因果応報だったのだと体が先に嘆いた。
心は最早、此処にはない。

祈る前に貴方の元へ置いてきた。それは諦めに似ている。
私は哀れな躯。願う言葉は獣の唸り、祈る心はなく、崇める瞳からはただ、絶望ばかりが血を流した。



聞こえていますか。
利益を求めた人間がご利益に見放された刹那の、慟哭が。






俺は貴方を繋ぎ止める言葉も方法も、何一つ知らなかったのだ。

















「はァ?初詣に行きたい?」

年越し蕎麦は安売りのカップ麺。
に、もやしと豆腐と鶏ガラを大量投入し大幅に嵩増しした「ラーメン入り鍋」を仲良く三等分。
などと言う綺麗事は、弱肉強食の我が家には存在しない。絶妙な箸捌きで鍋を支配せねば、カップ麺一個分の麺を勝ち得る事など出来なかった。

ただでさえ百円均一の徳用箸は、麺を掴むには滑り過ぎる。
割り箸だったら・と、遠い目で呟いた父親が掴み損ねた鶏ガラを素早く奪い取りながら、煩悩を晴らすと言う鐘の音を聞いた。

「んなもん、人がうじゃうじゃ居るわ寒いわ疲れるわお金が懸かるわ、百害あって一理なしざます」
「でも」
「外で冷えた体、出掛ける前はぬくぬくだったおこたは冷凍蜜柑ばりに冷えて、寒さの余り人はお風呂の温もりを求めてしまう訳ょ。そしたらどうなるかァ?!ガス代が増えるのょー!!!」
「でも、神社で温かい甘酒とお汁粉をくれる、って」
「うん。パパも町内会長の三橋さんから聞いた」
「…なァにィ?!」

愛用の半纏を纏ったまま、炬燵でごろ寝スタイルを気取っていた母は、ただでさえスッピンだと救いようがないほど悪い目付きを吊り上げ、まっ平らな胸の前で腕を組んだ。

「む…最低5杯ずつお代わりしたとして、お賽銭は…5円までょ!」
「判った。父、5円ちょーだい」
「すまん、俊。パパのお財布には5円玉が二枚しかない。神様にはママとパパのお願いを聞いて貰わないといけないから、俊は50円玉でお参りしなさい」
「判った」
「ハハン!50円はねィ、『ご縁が遠くなる』って言われてんのょ!」

やはりまっ平らな胸を張った母がしゅばっと炬燵から抜け出し、ビシッと指を突き刺してきた。ただの迷信だ。然し立ち上がると既に母親と目線が変わらない息子は無表情で感電し、母親の半纏と色違いの半纏を肩に羽織っていた父親からガクンガクン揺すぶられる。

「しっかりしろ俊、除夜の鐘と同じタイミングでビクンビクンするな…!シエ、初々しい小一の息子に意地悪をするなんて…パパもたまには叱ります。めっ」
「ふっ。神頼みなど片腹痛い!お参り?神様にお願い?はっは!そんなもんはねィ、努力を怠った人間の逃げょ!」

ちょん、と額を突付いてきた旦那の鼻をビシッと弾いた人は、悶え崩れる旦那には目もくれず、ゴーンと言う音と共にビクンと震えた瀕死の息子を見据え、ぺいっと半纏を脱ぎ捨てた。

「神様が本当にこの世に居るんなら、頑張ってる人を贔屓しないと可笑しいじゃろ?あん?お賽銭を積んだ奴のお願いだけ聞いてくれる神様なんてなァ、こっちから願い下げじゃア」
「………」
「言い返せないと言う事はァ」
「…母が正しいから」
「判ったら返事!」
「………はい…」
「ふ、所詮お子様だぜェイ。5円がないなら1円5枚握っていきなさい。5円は5円ざます。寧ろ枚数が多い方がお徳感があるわょ!一万円より千円十枚の方がお金持ちになった気になるもの!」
「!」

母親よりも荒んだ目付きで産まれてしまった息子は、父親譲りの混ざりっけのない漆黒の瞳をキラキラ輝かせ、無言で何度も頷く。余りにもブンブン頭を振っているので、鼻ピンから復活した父親からまた、肩を揺すぶられた。

「首がもげてしまうぞ俊、落ち着きなさい」
「む。さっきまでしゃぶってた鳥骨が喉に刺さってたのが取れた」
「何!…良かったな」
「父、1円5枚ちょーだい」
「すまん、4枚しかない」
「な」

再び感電した息子の頭を、父親は無言で撫でた。

「あっ。貯金箱から1円出すと5枚に…」
「そうか、お前も貯金箱を開ける年になったのか」

既に嫁とサイズが変わらない…どころか、嫁より育っている息子だが、初詣に行きたいなどと言い出すアグレッシブな年齢になったのだと、目尻に光るものを浮かべ、

「ママ、可愛い息子の滅多にないおねだりじゃないか。パパも初詣を所望する」
「あーん?だから今、おめかししてるじゃないの〜。ちょっと待っててちょ、アイプチしないとお目めが決まんないのょ〜」

特殊メイクばりの化粧で忙しい妻に笑顔で頷いた大黒柱は、炬燵の上に鎮座している発泡酒の残りをぐびっと煽り、近所のマダムから大量に貰った芋で妻が大量にこさえたポテチをパリッと齧った。

「ふむ。やはりポテチは塩だけの方がうまい。枝豆もそうだな。シンプルイズベスト、俊。ポテチの最後の一枚、食べなさい」
「うまい」
「ママのお化粧が終わるまでに着替えて、何をお願いするか考えておいたらどうだ?沢山の人がお参りにくるだろうから、余り長いお願いは迷惑になるぞ」
「俺のお願いは、ユーコさんが触らせてくれますように、で、決まってる」

近所の飼い猫か。
父の呟きに息子は頷き、普通にしていても難しい顔をしていると言われる厳めしい表情でそわそわし始めた。

「最終的には抱っこしたい」
「そうか。頑張れ、パパは影ながら応援してる」
「かたじけない」

化粧を終えた母親が、ばっちりミニスカートで決めてからぱちっと炬燵のスイッチを消す。父子は半纏の代わりにコートへ着替えただけで、用意するものなどない。

「そーだ、俊。アンタ今の内にトイレ行っときなさいょ。神社まで暫く歩かなきゃなんないから、寒くてチビっちゃうわょ。こんな日に立ちションなんかしたら、出した端からカチカチに凍って…」
「凍って?」
「ちんちんまで凍るかもねィ」
「ヒィ!」

ガタブル、震えながらトイレに走り込む息子をニマニマしながら見送る妻を横目に、リビングの照明を落とした大黒柱は息子の背を追った。
さほど長くない廊下の先、開け放したトイレのドアを覗き込めば、どけちな妻がケチって、消費電力の低い豆電球じみた電球に取り替えたトイレの中、便器に座った息子は可哀想なくらい青褪めている。

「大丈夫だ息子よ。パパが見てるぞ。前のアパートはともかく、流石に冬までゴキちゃんは出ないと思うが…」
「ヒィ!」
「すまん。アレもお化けも出ない。安心しろ」
「で、でも俺はまだ、お化けを見た事がない…!でも聞こえるんだ、誰も居ない所でもいつも、誰かの声が聞こえるのに…!」

ギリギリ、吊り上がった眼尻を益々吊り上げた息子の、勢いの悪い小用はビビっているからかも知れない。チョロチョロチョロチョロ、いつまで出るのか。

「こないだは三組の中田君の泣き声が聞こえたのに、それを言ったら『泣いてない』って筆箱を投げられた。皆から嘘吐きだって責められた。俺は嘘吐きなのかも知れない」
「その中田君はどんな風に泣いてたんだ?」
「『叩かないで』『ごめんなさい』って、何度も叫んでた。でも中田君の住んでる団地は坂の上だ。でも俺は、風呂に入ってる時に聞こえた」
「そうか」
「母に言ったら、風呂に沈められた。怖かった…」

ぐすん。
恐ろしい目付きのまま鼻を啜る息子を撫でようと父親は手を伸ばしたが、その前に立ち上がった俊がパンツを引き上げていたので手を引っ込めた。
ちらりと玄関先で待っている妻を見やれば、話を聞いていたらしい彼女は、呆れた様な表情で髪を掻いている。

「シエ」

水を流す音が聞こえた。
トイレから出てきた息子の素足を認め、靴下を履いてきなさいと声を掛けた男は息子が遠ざかってから、妻の元へ近づいた。

「…中田さんって、前から旦那さんの評判が悪いのよねィ。家族でやってるお店の経営が芳しくないみたいで、最近じゃ、奥さんもあんまり帰ってないみたい」
「そうか」
「こないだの授業参観は、お祖母さんが見えてたわょ。でも、人様の家庭に首を突っ込む訳にはいかないでしょ」
「ああ」
「面倒臭いわねィ。児童相談所に通報しても、泣き声が聞こえたくらいじゃ証拠になんないって言われる事もあるんだって。同じ団地に住んでたらともかく、あそこまで1kmはあるんだもの。まともに聞いて貰えるとは思えない」

髪から手を離した妻の右手が、ゴキリと大きな音を発てる。

「でもそれは大人の勝手な都合。俊は黙ってりゃイイのょ。親に殴られてるなんて、大抵の子供は隠したがるに決まってるでしょ?」
「でもお前は助けてやりたいと思ってる」
「やーね、他人の家の事なんか知ったこっちゃないわょ」
「徒歩2分の距離にある神社じゃなく、坂の上の稲荷神社に行くんだろう?徒歩15分はあるな」

ぷくりと頬を膨らませた妻に笑って、ほどほどにしなさいと呟いた。靴下を履いて小走りでやってきた息子を見やり、笑って男は靴を履く。
ちゃりんと、コートの中の小銭が鳴く、音。

「父、5円2枚の音がした」
「正解だ。良い耳を持ってるな息子よ、ママは神様にはお祈りしないんだ。1円五枚は貯金箱に入れてきた」
「母、何故祈らない」
「はァ?祈るなんてのは、」
「努力を放棄した人間のエゴ」
「…そうよ、人間ってのは身勝手に困った時だけ他人に頼るもんなの。笑わせんじゃない、自分の望みが叶わなかったら人の所為にして逃げる為に、保険を掛けてんのよ」

あの人の言葉はまるで刃の様だ。母親にだけは恐らく一生、敵わない。
父親は困った様に笑ったまま、しんしんと粉雪舞う夜空へと消えていく。漆黒のコートを纏う彼はまるで、夜に愛されているかの様だ。

「神様は魔法使いじゃねェんですょ、馬鹿息子。魔法はいつだって、人間の努力が起こした奇跡の事」
「…人間の奇跡」
「願うくらいなら動くしかない、祈るくらいなら一日だって忘れない事。思い続ければ奇跡は起きるなんて甘ったれた考えは捨てなさい」
「だけど、思わなければ奇跡は起きない」

闇の中、白い息が見えた。少しばかり眼差しの鋭さを緩めた母親は、寄り添う様に闇へと足を踏み出した。

「パパの言う通りょ。いつまで突っ立ってんだィ?何アンタ、怖いの?」
「夜は家から出ない」
「アンタ、昔9時くらいまで帰ってこなかった事あったわょ?がきんちょだった癖に、帰ってきた時はボコボコにしたけどねィ」
「そうか」
「パパはお前が死ぬんじゃないかと思ったぞ」
「やーね、しゅーちゃん。簡単に死ぬような子じゃないわょ。アタシの息子なんだからァ」

外へと足を踏み出せば、楽しげな他人の声が鼓膜を震わせる。瞳はすぐに夜に慣れて、笑顔で並ぶ二人を映したのだ。

「父、俺の5円は貯金箱に入れてイイ」
「何だ、お前もお祈りしないのか?」
「願いは自分で掴むものだと俺は学んだ」
「俊…!」

最早前が見えない父はコートの襟に顔を埋め、真っ黒だった。
跳ねる様に坂道を上っていく母親を追い掛けながら、



「この世に魔法なんか、ない」

呟く台詞は白く、大気へ溶ける。















時間はあの日のまま。
約束と言う依存で心を繋ぎ止めている。

それは恋か。
それは愛か。
ただの依存でしかないのか。



私はその答えを知らない。
私はその答えを知らなかった。



全てはあの日のまま。















「この国の日差しの、何と目映い事か」

ざわめく空港の隅、長い足を組み替えた男はサングラスを押し上げた。淡い琥珀色のレンズはまるで、蜂蜜の様にも見える。

「お迎えに上がりました、陛下」
「久しいなセカンド、健勝の様で何よりだ」
「一週間前にお会いした時は、沢山のご婦人に囲まれてらっしゃいましたからねぇ。すぐにお暇しまして、失礼致しました」
「何、別れが辛いと嘆く子猫を憐れんだまでだ。私の最も近くに在る黒猫であるそなたが、引け目に思う必要はない」
「勿体ないお言葉でございます」
「この国の陽光は、そなたの美しさを益々輝かせる。だが私には些か毒が強い」
「どうぞこちらへ、お車を回しております」

立ち上がり、彼の長い銀糸が舞った。
人々はまるで時を忘れたかの様にそれを見つめたまま、

「暫くお祖母様のケアに当たろうと思う。私が学園に姿を現すのは高等部からだ。こちらの業務は全て、そなたと高坂に任せる」
「畏まりました」

雪の近い師走。
慌ただしい気配の中、彼だけはゆったりと。






















「じゃあ、星河の君のご実家は、誰も住んでないんだね」

ハンカチを握りしめたクラス委員長の呟きに、一年Sクラス一同は静まり返る。零時を回りメイン電源が落とされた校舎は暗く、非常電灯以外に灯りはない。
窓のない進学科の教室は廊下と廊下に挟まれており、唯一の光源は、風紀の見回り用に生徒の一人が携帯していた懐中電灯だけだ。佑壱と隼人の協力により教室ごと移動した今、現在地さえ判らない。

「…あーあ。何でてんめーらに同情されなきゃなんないわけえ?鬱陶しい、しけしけすんのやめてくんない?」
「隼人。友達に意地悪な事を言うな、照れ隠しはやめなさい」
「ちょ、変な事ゆわないでよねえ!隼人君は照れたりしないもん!ばか!デリシャスボスの節穴男!責任取って抱いて」
「ん?おいで」

ボフン!と俊の腕へ飛び込んだつもりだった隼人は、俊の隣に座っていた佑壱の太い腕に収まり、固い胸板で高い鼻を強かに打った。何か違うぞと飛び起きれば、ニヤリと馬鹿にした笑みを浮かべている赤毛が見える。
クスクスとクラスメートらから笑みが零れ、要もそっぽ向いて肩を震わせていた。どうせ暴れた所で力で敵う相手ではないと、神崎隼人は痙き攣りながら力を抜く。

「オメー、最近太ったんじゃねぇか?隼人」
「幾らサブボスでも言ってよい事と悪い事があると思うんですけどお?」
「まだまだ足りねぇくらいじゃねぇか?お前くらいの身長だったら、後20kgはあって良い」
「よくない!」
「然しお前、これじゃ軽すぎる」

隼人をガシッと捕まえた佑壱が立ち上がり、佑壱より大分大きい隼人の体が宙に浮いた。ぱちぱちと拍手が零れ、錦織要が眉を吊り上げる。

「ハヤトばかり狡いです!総長も副長も、贔屓ですよ!」
「あ?お前は幹部長だろうが要。舎弟には優しくしてやれ」
「ちょ、隼人君はカナメちゃんの舎弟なんかじゃないんですけどー」
「俺だってこんな弱い舎弟なんか要りません!」
「通りゃんせ」

ぞくりと、毛を逆立てた佑壱の腕の中で隼人もまた動きを止め、今にも立ち上がりそうだった要は、力をなくした様に椅子へ腰を落とした。
机を壁際に寄せた教室の中心に、円を描く椅子の数だけクラスメートが座っている、筈だ。


「…通りゃんせ」

教卓の前、黒板を背後に座る男の歌声が聞こえる。歌と言うよりはただの台詞、それは決してメロディーではない。

「争う声が聞こえる。それは夢か、現か」
「ち、違います総長、今のはコイツらの、スキンシップみたいなもんス。なぁ、隼人、要」
「う…うん、そんな感じかなあ。喧嘩なんかしてないよおボスー、ね、カナメちゃん」
「…」

照明は円陣の中心、机の上にポツンと置かれた懐中電灯だけだ。
悔しげに口を噤んだ要の表情を見た者は居ない。舌打ちを噛み殺した佑壱は隼人の頭を鷲掴み、投げるように元の席へ叩き付けた。お前の所為だろうがと言わんばかり、半ば八つ当たりだろう。

「要。黙っている間も時間の羅列は虚空へ流される。お前はお前のカルマを知る唯一の主人公だ。例外はない」

何かが可笑しいと、隼人は隣の要ではなく、暗闇に溶けているクラスメート達の足を見た。まさかと目を見開けば、それより早く佑壱が立ち上がる気配。

「総長!」
「…何だ、イチ」
「今日はまだ、新月じゃないっスよ」
「………ああ、そうだった。暗すぎて、間違えのか」
「セントラルライン・オープン、このクラスの電源をつけろ」
『了解』

暗くなった時、何故こうしなかったのか。
人知れず安堵の息を吐いた嵯峨崎佑壱は、明るくなった教室の中、不安げな表情で見つめてきた隼人と要に不格好な笑みを浮かべ、うつらうつらと眠りに落ちる間際の後輩らを見やった。
諸悪の根元は表情一つ変えず足を組んだまま、片手にサングラスを握り、もう片手で頬杖をついている。

「何処まで話したんだったか」
「隼人君の話が終わったとこー。ボス、ちゃんと聞いてたあ?」
「ああ、聞いてたよ。卒業したら実家に帰るんだろう?」
「そのつもり、だったんだけどねえ」
「予定が変わったのか?」
「隼人君のじーちゃん、何か生きてたみたいなのお」
「「「ええ?!」」」

クラスメートから声が上がり、眠たげだった皆の目が見開かれた。麻薬じみた俊の声は、威圧していない時は強い子守唄の様なものだ。どんな不良だろうと、この眼に射抜かれその声に支配されれば、抵抗は出来ない。
奇跡的に抵抗した所で、惨めな敗北が待つだけだ。だから今のカルマに手を出そうとする者など、そうは居ない。

「おい隼人、」
「あは。ユウさんは知ってたあ?保険医のオッサン、理事長の部下」
「あ?…ああ、シリウスか。こないだ俺のマンションに呼んだ保険医は、お前らも会っただろ?」
「ねえ、最初から知ってたのお?全部知ってて、知らんぷりしてたー?」
「知らねぇよ。俺は、とっくに…ルークから逃げてきた人間だ。信じるのはテメーの自由だがなぁ、隼人」
「でもさあ、ユウさんは神様が大好きなんだよねえ?」

真顔で動きを止めた佑壱を見据え、隼人は唇に笑みを刻む。灰色の眼差しは無機質に、まるで観察しているかの様だ。

「従兄弟だから?それとも神様だから?ねえ、それだったらボスじゃなくてもよかったんじゃないの?強いだけならさあ、オージ先輩でもよいもんねえ?」
「…」
「ほら、あの人さあ、いっつも手加減してんじゃん。偉そーだけどお、眼鏡のひとよりは優しいしい。カナメちゃんが泣いてたよお?ユウさんがオージに食べられちゃったって!ねえ、カナメちゃん」

どう反応して良いのか判らない一年Sクラスの一同はびくりともせず、不自然なほど固まったまま耳を澄ませた。頬杖をついている俊は漆黒の双眸を隼人から佑壱へ注ぎ、沈黙している。

「なーんにも言わないのお?さっきボスがゆってたじゃんかあ、黙ってると時間の無駄なんだよお?言い訳とかさあ、アンタ大嫌いだもんねえ。女々しい事全部、大嫌いだもんねえ」
「…」
「でもさあ、それって、自分の事なんじゃないの?」
「テメ、」

隼人の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした佑壱に、隼人は笑みを深めた。ビンゴ?と囁けば、隼人の喉元で動きを止めた手が、ビキッと音を発てる。

「もうさあ、隠すのやめなよ。隼人君は子供じゃないんだよお?汚い大人の嘘なんかに傷ついたりしないしー、イケメンだし賢いし成長期だし、」
「ハヤト、成長期は関係ないでしょう」
「カナメちゃん、人の挙げ足取っちゃう奴ってえ、友達出来ないよー?」
「はっ、お前に健全な友達が居るんですか?」
「あは。恥ずかしげもなくゆっちゃうけどお」
「は?」
「カナメも糞猿ケンゴもド腐れユーヤも雑魚ホークも奴隷シロップも松竹梅も、友達だと思ってましたー。バーカ、バーカ」

べーっと舌を出した隼人の顔は真っ赤だ。
拍子抜けした要は目を丸めたまま、同じく虚を衝いた表情でなけなしの眉を跳ねた嵯峨崎佑壱は意味もなく俊を見やり、ぷるぷると震え始めた。

「こ、これ使って下さい…紅蓮の君…っ」

ハンカチを取り出したクラス委員長の眼鏡が、涙の湖に沈んでいる。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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