帝王院高等学校
これぞ口内炎閣下のS級ウィルス
「む。突き当たりか」

腕を組み、凛々しい美貌に妖艶な笑みを浮かべた男は踵を返す。巨大迷路の如く入り組んだティアーズキャノン内は静まり返り、誰の気配もない。

『クラウンスクエアより伝達。コード:マスターナイト、進路を外れています』
「昔はこの辺りに親衛隊の小部屋が並んでいたんだ。ロッカーにいつの間にかぎっしり手紙が、」
『ナビゲーションを開始しますか?』
「…いかん。昔の愚行は墓場に持って行け、遠野秀隆」

迷子。
自動音声でさえ呆れ果てたのではないだろうかとさえ思わせるほど、思い出に浸り決して方向音痴を認めない男は冷静だ。

『再度通達、ルートを大きく外れています。2分直進後Ωエリア左階段を降下、屋外退避して下さい』
「ナビは良い。サラリーマン歴15年の直感を信じる。大検取って定時制大学に通いながら妻子を養ってきたんだ、庶民の大黒柱を舐めるなよ」
『…了解。帝王院財閥嫡男の栄誉と義務を放棄し、出産直前まで働いていた高級取りの妻の給与でヒモ暮らしをした過去のあるマスターナイトの命令に従います』

最近の機械はそんなプライベートな情報まで集めているのかと沈黙した男は、足を止め、誰も居ない周囲を見渡す。

「…山田君、座布団は不要さ」
『遠慮なく僕には羽毛布団を持って来たまえ平課長。ああ、年下の強みで口説き落として駆け落ちした後に「実は隠し口座に二億ほどあるんです」とは言えず、倹約にはりきる妻に養われるしかなかったお馬鹿さんには、羽毛布団なんか重くて持てないかー』

口で勝てた試しがあるか。
いや、ない。遠野秀隆ではなく帝王院秀皇の頃から、何度苛められてきただろう。

『実は生徒会長任されちゃってさー☆』
「ヒィ、左席怖い左席怖い」
『遠野会長の身代わりは、遠野会長が適任だと思うんだよねー』


おいサディスト。
今、何と。











口を塞がれたまま、己の耳を疑う神崎隼人は今、間近で蠢く赤い唇を見た。

「我が名はノヴァたる前に淘汰されし八代男爵、レヴィ=グレアム」

事の始まりは数十分前。


パヤティ、パトロール行かない?

合同親睦会と言うイベント中でも左席の仕事は忘れていなかった男が、クネクネ人気のないヴァルゴ庭園の方へ歩いていくのに従った自分は、間違っていたのか不運だったのか。

人気のない草むら。そもそも人気者の草むらなど聞いた事もない。人の気配がない草むら、と言う事だ。漢字は難しい。

獣も通らないだろう道なき道を掻き分け掻き分け、星グラスを光らせた俊が人間離れした身のこなしで進んでいくのを、死に物狂いで追い掛けた。


…フルマラソンの方が遥かに楽だったろう。
通い慣れた学園内にも関わらず、本気で死ぬかと思ったのだから。

作業着姿の厳ついスキンヘッドと、小柄ながら侍の様に髪を結った剣道着姿のイケメンが本番中だった時は、頭に草やら蝶やら貼り付けたモデルも緊張したものだ。
厳つい体格に、ボロボロな作業着を辛うじて纏う、お世辞でも美形とは言えない坊主男が、涼やかな一重目を上気させた親子ほど身長差がある侍に…それはもうネチっこく攻められている衝撃スクープ。

(うっそー。…何あの腰遣い、神か)
(ハァハァハァハァハァハァハァハァ、しまったァ!フラッシュが止まらない!)


オタフラッシュに気付いた侍は、山田太陽よりまだ小さい体でニヤリと笑い、見せ付ける様に恋人の体を入れ替え…凄まじい敗北感を受けた隼人がバイ●グラ購入を覚悟したとか何とか、それはどうでも良い。

左席パトロールはあくまで性的暴行の阻止であり、愛し合う二人の阻害ではない。
滴る涎を凛々しく拭い、ゲームアプリでメモリマックスな太陽の携帯とレインボーカラーのデジカメをフル稼働させたダサ星眼鏡は、グッと侍に激励の親指を立て、新たなパトロールへと旅立ったのである。

侍は再び男前な笑みを浮かべると、厳つい兎へ獰猛な口付けを与え、男前な愛の台詞を惜しみなく捧げていた。
近頃清らかな生活を送っている蠍座AB型は、心のメモにしたためたのでござる。此処は侍の国ジャパン。


パトロールと言うより自衛隊のサバイバル訓練をリアルタイムで受けた様な心境の隼人に、口元へ指を当てた俊から沈黙の指示が出たのは数秒前だ。
ダサングラスの下、唇を片方だけ持ち上げると言う器用な笑みを浮かべたオタクにビビった瞬間、ガバッと頭を抱き寄せられ、くるっと体勢を入れ替えられた隼人は今、背後から口を塞がれ、俊の膝の上…いや、股間の上に頭を固定されている。

(犯されちゃうー!)

両脇に俊の両足。
己の長い足は植え込みに突き刺さっている様だが、起き上がる事は出来ない。
後頭部に当たる生暖かく柔らかい感触は…駄目だ、想像したら負けだ。鼻血が吹き出てしまう。南無阿弥陀仏。

「私には些か理解に苦しむ感情だ。我が子に与えた『王』の銘は文字通り、不動なるべき存在として守られし存在であれと願ったもの」

恐る恐る、手を少しだけ伸ばし、ダサングラスの尖ったレンズを掴んだ。舞台俳優が如く饒舌に語る唇はそっぽ向いたまま、隼人を咎める気配はない。


「ハーヴィ、そなたは我が子をどうしたい」

ゆっくり。

「ヤヒトは我が子の幸せを願った。だからこそ私は彼の幸福を望んだ。彼が幸福であれば、そなたもまた幸福になろう。即ち最上の幸福が我が身へ舞い戻る」

ゆっくり。

「カイルーク、そなたは何を望んでいる」

もどかしいほど時間を懸けて、ダサいダサいと批判していたサングラスを見つめたまま。
不思議だ。此処までダサいと逆に胸が熱くなってくる。拳大の大きな星レンズ、太い黄色の縁、木々の葉の隙間から赤い時計台が見えた。

あれは蠍座の象徴だ。

「私と同じ、夜人を求めた同胞よ。全ての幸福を淘汰し自ら絶望を選択せしそなたは、何と哀れで愚かな子供か」

蠍座の男は、夜間ライトアップが空に反射する光景に感嘆する事はなかった。


(あは。なんちゅー夢なんだろうねえ、これ)

うっかり山田太陽伝家の宝刀、現実逃避を発動しても意味はない。
現れた双眸が、黒ではなかったからだ。

「『漁師』は全ての幸を願った。だが足掻いた者にのみ、それは与えられる。…ゆめゆめ忘れるな」



口元を覆っていた凄まじい握力が消えた、気がする。



プチ。
頭の何処かで音がした。

混乱で思考回路の何処かが切れてしまった、にしては、随分リアルな音だった気がしないでもない。


「あ?」

何か踏んだ、と。
木々を猿が如く飛び移っていた男は、何とも奇妙な感触になけなしの眉を寄せた。

「ふにゅー」
「は…隼人?おい、隼人?!何でンな所に…隼人っ」

隼人の胸倉を掴み、ぺぺぺぺぺっと往復ビンタしガクガク揺すってみても、寝顔は案外凛々しい垂れ目が開く事はない。
近付いてくる気配に気を配る余裕なく、あわあわと隼人を抱え上げれば、

「そこか」

ガサッと、植え込みを蹴り分けた銀色が無表情で囁いた声に硬直する。

「…ファースト?」
「ひ」
「そなた、一年Sクラス神崎隼人と何をしている」
「ひぎゃー!!!」

毛を逆立て、半狂乱で叫んだ嵯峨崎佑壱の両腕には、お姫様。ではなく、お姫様抱っこされている隼人。額には27cmの靴跡がくっきり刻まれていた。

「出やかったぁあああっ、うわーっうわーっ、総長ーっ、仏様ーっ、師匠ーっ、うわーっうわーっ、高坂ぁあああ!!!山田様ぁあああああ!!!」

何でも良い。
誰でも良い。
ビビって叫ぶ事しか出来ない佑壱が、チビりそうになるのを必死で耐えて助けを求めた先、恐ろしい威圧感を漂わせる男が無表情で背後を見やる。

「…聞こえたか。呼ばれておるぞ」
「なーにが『聞こえたかか呼ばれておるぞ』だ、偉そうに。お前さん覚えとけよ、年齢詐称及び一年進学科の講義を不正受講した罪でリコールしてやるからな!俊が!いきいきと!」
「耳障りな雑音だ。人が発する周波数とは思えん」
「…んだとー!」

佑壱の網膜に、20cmほどの体格差など物ともせず勇ましい飛び蹴りを放つ、真の勇者が映り込んだ。

「お前さんが俊にした事は調べが付いてんだ!」

然し平凡勇者の攻撃力は低かった。
寧ろ飛び蹴りからの着地を微妙に失敗したらしく、グキッと嫌な音を発てた脇腹を抑えた勇者は、気丈にも下がり気味の眉を精一杯吊り上げ、

「恋愛経験の薄いオタクを捕まえて、何をしたか判ってんのか!人でなし!俺様会長攻め気取りか!」
「面映ゆい事を言う。私が何をしたか、社内回線を通じ皆々に知らしめるが望みならば、好きにするが良い」
「…」

遂に勇者は、脇腹の痛みを抑えた必殺技、サンライズ・ブローを発動。


平凡の頭突きが炸裂した!
神帝の顎に直撃!


ぽとっと隼人を落とした事にも構わず、両手で口元を覆った佑壱は乙女の表情で腰を抜かし、

「総長…!」

きらきらと、瞳を輝かせる。

「イチ先輩!神崎拾って!たった今から俺は、こんの性悪セクハラ野郎を陰険且つ性悪に苛める事に全力を尽くします!」
「へ、陛下、大丈夫ですか?!」
「二葉!そんな奴は放っときなさい!」

無言で顎を抑え屈み込んだ神威に恐々近付いた叶二葉は、ビクッと珍しく肩を震わせる。ぱちぱち形の良い双眸を瞬かせ、

「いいだろう、中央委員会会長!お前さんの挑戦を受けてやろうじゃないかい!勝負は左席会長の提案、親睦会クライマックスでの催し物だ!アンケートで一位に輝いた方が勝ちとするっ」
「や、山田君、貴方は一体何を…」
「理事長!学園長代理!お二人にもお許し頂きたい!」

太陽に言われるまま隼人を抱えた佑壱が植え込みから外へ出れば、地面から無数に突き出た槍の中、牢獄に捕らわれた様な赤い塔の段上に車椅子と金髪が見える。

「お、伯父上」
「無念だファースト。勇ましい若者の表明せし諧謔を把握出来ぬ無念は、そなたが凱歌を奏でるものと期待している」
「…イチ先輩、あれ日本語?」
「親睦会の催し物って何だ、面白そうじゃねぇか説明しろ。…って言ってる」
「凄い、イチ先輩なんて頭いいんですか!ヨシヨシ」

背伸びした太陽から髪を引っ張られ、痛がりながら頭を撫でられた佑壱は、物凄く羨ましげな伯父の視線をチクチク感じた。

「催し物の内容は当日までのお楽しみ!西園寺生徒会、中央委員会、左席委員会の三構成で行います!自慢じゃないですけどうちの会長は違う意味で切れ者なんで、左席委員会が勝つと思います!」
「ほう」
「まぁ…秘密の催し物なんて素敵だわ。帝都さん、私は賛成よ。ルークの悪戯はこの為だったのね。私達の許可が欲しくて、こんなお芝居めいた説得に来るなんて…」

頬に手を当てたご婦人の膝に、いつの間にか戻っていた白猫が愛らしく鳴く。緩く首を傾げた金髪は鉄柵の向こう、頭突きから復帰した白銀と勇ましい黒髪を交互に見やり、頷いた。

「良いだろう。懐かしい父の名を久し振りに聞いた礼だ。そなたらの演目ならば、比類なき有意義であろう」
「有難うございます!そこで理事長!折り入ってご相談がっ」

ピカッと、山田太陽のデコが光る。
近い将来、学園中が恐怖するドエスの合図は、今は密やかに一瞬のものだった。

「ふむ、申してみよ」
「中央委員会が勝てば左席委員会は解散します」
「あら…それは」
「下院解散は上院理事会の決定に準ずるが定めだ」
「いいえ!これは俊…左席委員会長の決定なので、非力な俺には覆せない勅命なんです…!ただの平副会長ですから…っ」

うわ、あざとい。
佑壱と二葉が無言で目を見合わせ、目を細めた神威を窺う。そっと目元を拭う素振りを見せた太陽に、理事長学園長揃って優しい眼差しをしているからだ。
情に訴えたそれにより、ほぼ確実に左席委員会が負けても解散は無くなる。

「まぁまぁ、強引だ事…。若い頃の旦那様にそっくりだわ」
「案じるな。委員会の解散は、理事長の総意なくば認められない。交流行事を恙無く成功させるべく、クラウン・クロノス双方の尽力を期待している」

俯いた太陽が神威へ怪しく笑った光景は、理事長と学園長には見えなかった様だ。


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あきゅろす。
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