帝王院高等学校
淘汰を謳う廻旋曲
「思わぬ所から邪魔が入った」

至極不愉快げに囁いた男の台詞に、通話中の携帯電話から笑い声が漏れた。

『だっさーい!だからアンタらじゃ無理だって言ったのよ』
「…甲高い声を出さないでくれ、頭痛が走る」
『馬鹿みたい。守られる立場の人間に邪魔されるなんて。だからアンタ、文仁以下なのよ』

眉間を押さえ、苛立ちを飲み込みながら腹を撫でる。圧倒的に有利だった筈だ。確かに些か想定外だったが、油断していたと言う理由では益々相手を喜ばせるだけだ。
性悪小娘、憎たらしい肉親。

「笑っている場合か。全てお前が書いたシナリオだろう、リン」
『うふふ。だって、行動しなきゃ何も変わらないじゃない』

話に乗ったのは自分だ。親子ほど歳が違う子供の企み、今更辞める事は出来ない。

「失敗は許されない」
『ファーストが消えたら事実上、ルークには叔父様しか残らなくなる。そうすればそっちの思惑通り、アタシら二人がダブルファーストレディに収まるって・ね』

クスクス、耳障りな女の声音に小さく息を吐いた男は、鋭い痛みが走った腹部を撫でた。

『ファーストを憎んでるジジイは幾らでも居るわ。今でこそクリスの手前鳴りを潜めてるけど、アイツが何回殺され掛けたか教えたげようか』

愉快げな囁き。ああ、あの男にそっくりだと思う。やはり叔父と姪だ。血は争えない。

『ファーストの警護っつったって、殆ど形だけみたいね。それより叔父様がベルハーツに付けてる人間のが厄介』

嵯峨崎佑壱、日本人を装う男爵家の現最高後継者が狙いだ。万一ルークに子供が出来なかった場合、キングの妹であるクリスの血を分けた彼こそが次期男爵となる可能性が高い。後継は血筋重視ではないが、今までそれが覆された記録はないと言う。
佑壱が存在する限り、いつまでも二番手である二葉は最終的に戻って来るだろう。子供が居ない棟梁は、末弟を後継と言って憚らない。それを快く思って居ない人間は多いだろう。

「グレアムの息が掛かった人間が相手か。…確かに厄介だ」
『でも、成功したらアンタ、着実に冬臣伯父の後釜に近付くわよ。守矢大叔父は嵯峨崎に付いてて、叶に戻るつもりはないそうだしねぇ』

叶守矢、冬臣達の母親の腹違い弟だ。妾の子供だった為に幼少時代は奴隷同然の扱いを受けた様だが、二十歳で叶を継いだ姉を支えてきた人物である。

「私はあの人になら叶を任せても良いと思っていた」
『あら、そうだったの?初耳よ』
「確かに冬臣は昔から才能があった。然し、生まれながらの後継者故に甘えもある」
『へぇ…何様って言いたい所だけど、そうね。冬臣伯父は弟以外に関心がないもの』
「《自分より劣る弟》だから庇護対象だ。保護者としての感情とは言い難い」
『頭が良過ぎるからよ。伯父様は素晴らしい人だけど、自分達兄弟だけが特別だって思い込んでる』
「…そう言う所が気に食わない男だ」

然し妾腹故に散々な目に遭ったからか欲がなく、自衛隊から警視庁へ就職して以降、姉亡き今、姿を現す機会は少ない。彼を慕う者も多いが、冬臣のカリスマ性に比べれば遥かに劣るだろう。

「守矢義兄さんには別れた女房の元に息子が居る。下手をすれば株を奪われる羽目だ」
『アンタにとっての邪魔者は、文仁と二葉叔父様だけ』

同じ腹違いの子供である自分は、義兄である守矢を慕っていた。甥の冬臣に命令される立場となって、それでも耐えてきたのだ。

『兄至上主義の文仁には欲が無いもの。我が父ながら呆れるったらないわ。伯父様が死んだら確実に後を追うわよ、アイツ』

絶縁同然だった二葉などではなく、自分が。日本裏社会の最高権力者に、と。誰もが。

『とっととファーストを消して、さっささと冬臣伯父様の関心を得なさいな。二度と戻って来ない弟、悲嘆に暮れる甥を慰める優しい優しい叔父。ドラマチックじゃない』
「…お飾りのプリンスによもや邪魔を許すとは。アレが存在する限り、棟梁が私を後継に添える事はない」
『冬臣伯父が天才だって言ってんのよ?文仁にすら適わないアンタに、プリンスヴァーゴを倒せる筈が無いでしょ』

やはり耳障りな声だ。
従兄弟の娘と言う、本来ならば姪に程近い愛らしい存在。片方は可愛いと言えなくもないが、こちらは違う。

「二葉の妻になりたがっている娘の台詞とは思えんな」
『利益重視よ。ルークが最高級だって事は揺るぎない事実でしょ?お祖父様の血が流れてるアタシには、本来ならヴィーゼンバーグの全てが与えられてた筈なのよ!』

余りにも煩わしい関係図。
公爵家の正統後継者であった筈の男は、一目惚れした日本人女性を愛し密やかに子を成す。
行方不明だった後継者を探した前公爵の妻が漸くその足跡を知る頃にはもう、当の本人はこの世から去っていた。

『勝手だ!みんな皆、大嫌い!不幸になれば良いんだ!帰って来ないママも無関心な文仁も、優しいけど残酷な伯父様も!皆っ、大嫌い!』

残されたのは、三人の子供。
どの子供も母親譲りの黒髪、然し次男は亡き公爵に瓜二つ。但し、厭らしい黒目である限り女公爵は二人を許さなかった。

『もう我慢なんかしないわ!アタシ達がイギリスでどんな思いをしてきたか、思い知らせてやる…!使えるものは何でも使って、幸せを手に入れるの』
「…貴葉が生きていたなら、それも叶わぬ夢だったな」
『は?たかは?何、それ』
「忘れろ。つまらない昔話をした」

了解を取らずに携帯を閉じた男は、一向に痛みが消えない腹を撫でる。


「油断、か。…ベルハーツとお前は全く似ていないと言うのに」

つくづくあの公爵家の人間は邪魔だ。血は争えない。水よりも濃い血、憎らしい、血液。


「お前が生きていたら、このつまらない世界を愛しく思えたままだっただろうか」

未練は絶望の向こう側にも続いていく。死んでしまいたいくらいの悲しみも、生きる事への未練と葛藤し続けて、今ではどうでも良くなったのだろうか。

「二葉。…お前の命を奪った憎い子供」

全てを淘汰する事は出来ない。人は常に二者択一を強いられ、片方を淘汰する事で生きている。

「二葉。…お前が命を懸けて守った、生まれ変わり」

どんなに憎くても消したくないものがある。遠ざけるしか方法がなかった。いつか憎しみが愛しさを淘汰し、ただの殺意に成り果ててしまったら。


『聞いて、今度新しい兄弟が増えるんだって!やっとボクもお姉ちゃんだよ!嬉しいなぁ。あっ、ママにお願いしなきゃ』
『大きくなったらお嫁さんになったげる。うふふ。平気だよ、戸籍上他人だったら叔父さんでも結婚出来るんだ。兄さん達はボクに甘いから、反対なんかしないよ』
『パパが居なくなって、ママずっと泣いてたのに。すっごく幸せそうなママ、久し振りに見たよ』
『ボク妹が欲しいなぁ。自分の赤ちゃんは絶対女の子が良いって思ってたんだ』
『いつか赤ちゃんが出来た時の為に名前考えてたんだよ。だから、ママにお願いして新しい赤ちゃんの名前にしたいんだ』
『まだ内緒だよ』
『とびっきり可愛い名前だから、楽しみにしててね』


『きっと、凄く可愛い赤ちゃんだと思うんだ。妹だったら良いなぁ』
『ボクと同じ碧い目だったら良いなぁ』
『もし男の子でも、兄さん達みたいな黒い目じゃなかったらさ。ボクだけのけ者じゃなくなるでしょ』
『楽しみだなぁ、』





『絶対、可愛がるんだ』






願い事がある。
愛しい誰かを幸せにする為だけに、唱えた魔法がある。


「子供5人相手に、大人が大勢」

叩きつける雨は針の様に全身を刺し続けた。ずぶ濡れの魔法使いは酷く柔らかい笑みを浮かべ、顔中真っ赤に腫れ上がった子供を見つめている。

「愚かとしか言えない。己の弱さ脆さを数で覆い隠すとは…」

背中から血を流し続ける子供が、濡れて赤茶に変色した髪を頬に張り付けたまま荒く呼吸していた。有り得ない方向に右腕を曲げている子供は、色違いの双眸を伏せて力なく崩れ落ちたまま。

「誰」
「魔法使い、…だったら素敵じゃないか?」
「魔法使い、ね。だったらそこの大人、全部やっつけてくれない?」
「物騒だね」
「目障りなんだ。…人のものを傷付けた」
「そのお姫様かい」

走る稲光。
夕方とは思えない真っ暗な世界、吹き荒ぶ嵐の終焉は遠い。

「つまり君は騎士なのか。お姫様を守る」
「王子じゃないの?」
「玉座で偉そうに踏ん反り返っているだけの王より、戦場を駆ける馬の方が素敵だろう?」

闇に融けた魔法使いは赤い唇を吊り上げた。漆黒の服を纏い、漆黒の濡れた髪を掻き上げて。
黒い黒い、闇を固めた眼差しを歪めている気がした。

「手を貸そう。俺も今、酷く不愉快な気分だ。自分のものを軽々しく傷付けられて、酷く心を痛めている」

取り引きをしよう、と。
魔法使いは囁いた。とても甘美な威力を伴って、それは鼓膜を酔わせる呪文。

「君はとても賢い人間だ。私の魔法が効かない人は、他に一人しか知らない」
「…声、幾つ変えられるの?喋り方も別人みたい」
「こうすると人は軽い錯乱状態に陥るんだ。俺は騎士でありながら私と言う魔法使いでもある」

腕の中で身動いだ熱。
有り得ない方向に曲がった右腕、痛々しい傷。守る為なら何でも出来る。この大好きな人を守る為なら、何でも差し出せる。

「条件は、何」
「よりドラマチックなエンディングを迎える為に、君の心を奪わせて貰うんだ」
「心?」
「君が言った通り、物語のお姫様と結ばれるのは王子様だよ。騎士である君に、王子になる事は出来ない」

ああ。
嬉しそうな、楽しそうな声だった。時折空を走る稲光、声もなく崩れ落ちた大人達。闇に乗じて容易く白銀の子供を抱き上げた彼は、その眼差しを愛しげに細めて。

「物語は悲劇こそ美しい…シェイクスピアの様に、ね。悲劇だと判りながら藻掻くキャストを、悲劇と知りながら下幕の時まで見守る観客。それこそ俺の描く物語の全てだ」
「…歪んでる。つまり、君は人の不幸を楽しみたいだけ」
「美しいものをより美しく引き立てるんだ」
「判った。今から言いなりになったげるけど、それだけじゃこっちの取り分が少な過ぎる。スターティングベットはイーブンじゃなきゃね」
「ああ、君は最高に素晴らしい人材だ。仏が俺に遣わせた天使だね」
「天使は神様の奴隷じゃないの」

守りたいものがある。
失って恐れるものなど何一つない。失ったなら、取り戻せば良いだけだ。

「で、君の条件は何?」
「言っただろ。賭け事はイーブンじゃなきゃねって」
「ほう。…つまり、俺の心も消せと?」
「嘘偽りなく君が全てを忘れて、それでも脚本通りに運命が進むなら。舞台上で藻掻くピエロになってやってもいい」

笑った。
都合良く何処かに落ちた凄まじい落雷は、とても魅力的にこの笑顔を染めただろう。瞬いた魔法使いの間抜けな表情を白く染め上げた様に。血塗れの王子様と、真紅のお姫様を照らした様に。


アキ、と。
譫言の様に繰り返す綺麗な生き物を照らした様に。


「ああ素晴らしい、益々気に入ったよ。君は、見た目を多大に裏切る男前だ」
「惚れた相手を守るのは男の本能だからね」

キラキラと。雷鳴を反射させる小さな宝石を握り締めた。

「ああ、その美しくも凛々しい希望を奪ってしまうのが惜しいよ。惜しいけれど、それがまた堪らなく美しい」
「歪んでる」

愛しい愛しいと繰り返すこの感情が、もし跡形もなく消え果てたとしても。愛しさを淘汰した果てに残るのがただの憎しみだったとしても。


「では共に征こうか、今から私と君は命運を共にした盟友だ」
「トリッキーとピエロの組み合わせなんて、ロクなもんじゃない」
「目指すは至高の悲劇。誰一人幸せになる事なく、静かに幕を下ろす美しくも儚い物語…」

その憎しみを淘汰し、いつかきっと、果てしないパンドラの底に希望を見つけるだろう。

「御免だね。君には不幸になって貰うよ」
「障害が大きい程、燃え上がる。それこそ雄の闘争心か」
「君の幸せだけを淘汰すれば、皆が幸せになるんだ」
「では、全てを失っても同じ事が言えるか試してみよう」
「はっ、試す?そんな必要ない」





淘汰を謳う廻旋曲
Think expressly selection by Rondo.




「ならば賭けようか。パンドラの箱に残るのが、希望か絶望か」

これはピエロと魔法使いの描いた物語。つまらない賭け事の掛け金が、互いの幸福だっただけに過ぎない、



「「不幸になるのは君だ」」


誰かが不幸になるだけの、なんてつまらない物語だろうか。

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