帝王院高等学校
春眠暁を覚えずにはごチュー意を☆




…たか



………でたか







ひでたか




「だ、れ」


喉が渇いている。自棄に重苦しい体は血液さえ固まってしまったかの様に、怠く。
ふわふわと、何処かに沈んで生きそうだ。柔らかく蝕まれていく様に、硫酸で練った綿菓子に包まれている様な。

『秀皇』

遠くから徐々に近付いてくる、酷く優しい声音は笑っている様な気がした。

『いつまで寝てるつもりなんだ?早く起きなきゃ、間に合わない』
「何、に…」
『ほら、目を開けて』
「眠いんだ…」
『疲れてるのか。秀皇はいつも無理ばかりするから』

誰かが髪を撫でる。誰かが耳元で笑う。酷く懐かしい感覚、目を開けなければならないのに重たい瞼は全く言う事を叶えてくれない。

『違うか。いつも冷静な癖にお前は、時々考えられない事をするんだ。だからオオゾラがいつも怒る』
「ひろ、き?…大空。私が苦しめた、優しい大空…」

厳しくもあり誰よりも優しい、親友が居た。向けられる友情の眼差しがいつからか変化していくのを知りながら、手放す事も受け入れる事もしなかったのは自分。

『また怒られてしまうぞ。俺は知らないからな?』
「怒、る」
『オオゾラが怒ると凄く怖いんだ』

愛している、と。どうでも良い女になら幾らでも。言える癖に、何故か嘘でも言えなかった。彼はきっと、例え嘘でも喜んだ筈だ。

「眠い、んだ。凄く」
『疲れているんだ。沢山の出来事が、一気にやって来たから』
「秀隆に、会いたい」

優しい優しい、優しいばかりの親友は。最期の瞬間まで優しく、守ってくれた。彼が居なくなった瞬間からきっと、世界の半分は意味を失ったのだ。

『ねぇ、秀皇。覚えいるかい』
「秀隆、に。会いたいんだ…」
『俺はとてもお腹が空いていて』
「秀隆に…」
『知らない人間達から蹴られて、殴られて、押し潰されて…』
「母さん、に。…会いたいんだ…」
『おじいさん達の所に帰りたかったけど、もうおじいさん達は居ないんだって、知ってたから』

瞼が重い。
子守唄の様に響く優しい声音。
もう一人の親友を思い出した。酷く無口な癖に彼は、目元はいつも表情豊かで、

『お前の為なら何でも出来ると思ったよ。君の為なら、あの優しい女性の為なら、俺は何でもしてあげたいと思ったんだ』

抱き締めると太陽の匂いがした。

『お腹が空いていて、とても、淋しかったんだ』
『皆で食べたコロッケ、美味しかったよな』
『学校から抜け出すと、小林副会長が怒るんだ。俺なんかいつも、役立たずって怒鳴られたよ』

ああ、懐かしい記憶が魂の奥底から光を放つ。まるでパンドラの箱だ。暗い暗い、闇の底には光が存在していた。

『オオゾラはね、秀皇が大好きだったんだ』
『シエはね、秀皇を愛してしまったんだ』
『二人はとても似ていたよ』
『だから二人共、俺に沢山キスをした』
『秀皇が約束を破るから』
『秀皇が独りで泣いていたから』
『彼女は沢山泣いて、沢山淋しかったんだ』
『彼は沢山傷ついて、弱音を吐けなくなったんだ』
『俺はシエが大好きだったよ』
『俺はオオゾラが大好きだったよ』

広く暗い宇宙の片隅に、小さな小さな太陽が存在している様に。

『でも、俺は知っていた』

広く暗い宇宙の片隅に、小さな小さな地球のまだ奥底、砂粒程の人間が星の数ほど存在している様に。

『秀皇だって、沢山傷付いたのにね』

この世界はまだ、希望で溢れている。


『だからもう、』


だからもう、


『独りで悲しむのはやめにしよう、秀皇』
「…け、て」
『沢山、傷付いて疲れてしまったんだ。お前は』
「助けて、くれ。俊、を」
『大切な俺達の子供。愛しい、俺達の子供』
「俊を壊してしまったのは、私だ」
『お前は俺に、赤い首輪をくれたね。汚れた俺に、おいでって、言ってくれたんだ』


(その日から俺はお前の)
(例え肉体は朽ち果てようと)
(この魂命は永遠に変わらず、)



『さァ、征こうか皇子様』


貴方だけの、騎士。










急停止した車体、強まった雨は最早豪雨に近い。ランチタイムを終えた喫茶店の軒先で、慌てた様に看板を放り込む若者を横目に小走りで向かったのは区立図書館だ。

「ちっ。本格的に降り出したな」

ものの数分で車道に溜まった水位、バイクの不利は目に見えて明らかだった。駐車場に滑り込むなり自販機が並ぶ一角へ走り込み、ヘルメットを足元に転がしながら辺りを見回す。
学生だらけの図書館では明らかに浮いているらしい。この雨の中でも日向に気付くと、黄色い悲鳴が湧いた。

「どっかで拭くもん仕入れねぇと…ケツの中までびしょ濡れじゃねぇか」
「っくしゅ!」

無言だった傍らから響いた小さなくしゃみ。見やれば屈み込んだ佑壱が、己の肩を抱き締めながらもう一度くしゃみを発てた。

「ごほっ」
「寒いのか?」
「…何か、怠い」
「あ?見せてみろ」

俯いている佑壱の覗き込めば、ぷいっとそっぽ向く。ひょいひょい違う角度から覗き込んでも、ぷいぷいチチンプイ、とそっぽ向かれる始末だ。

「近付くな。不必要に顔近寄せんな不細工」
「テメェなぁ…」

どうやら日向とは目も合わせたくないらしい。屈み込んだままフンッと鼻息を荒くした佑壱の横顔が放つ傲慢なまでの自尊心、日向の額に浮かんだ青筋は見間違えではなかろう。

「好い加減にしやがれや、馬鹿犬が」
「っ」

ガシッと顎を掴み、上から覗き込みながら無理矢理上向かせた。見開かれた赤い双眸、それが偽りのものだと知っているからか酷く勘に障る。

「触んなっ」
「煩ぇ。…やっぱな。熱、あんじゃねぇか。テメェ」
「ねーし」
「顔赤ぇぞ」
「目ぇ悪ぃんじゃね?離せっ」

ぱちん、と振り払われた手。この野郎と舌打ちする前に、グラリと傾いた佑壱が崩れ落ちた。

「嵯峨崎!」
「うー…」
「ちっ。起きろ、せめて濡れねぇ所までだな」
「総長に会いたい…」
「判ったから起きろっつってんだよ!クソが、俺様に背負わせるつもりかよテメェ…」
「みんな、おれのこと、いらないんだ」

直接降り込まないものの、地面は徐々に濡れている。こんな所に転がす訳には行かないと佑壱の腕を肩に回し、舌打ちを噛み殺しながら力を込めた。

「んだと?」
「兄様も、母様も、俺のこと要らないって…」

数センチ程度の身長差、体重も恐らく大差ない。その上、全身濡れ鼠だ。半端ない重さに四苦八苦しながら何とか起き上がれば、胸元辺りに埋まり込んだ佑壱がぐりぐり額を押し付けてくる。

「兄様って…ゼロじゃねぇよな」
「兄様は凄いんだ。何でも出来て、何でも知ってる。だから俺、兄様が恥ずかしくない様にいっぱい勉強したんだ」

猫が甘えているならまだしも、一般人離れした力の持ち主が与えてくるぐりぐりは凄まじく痛い。

「算数はどうせアイツに勝てないから、せめてそれ以外だけでも」
「っ、おい。痛ぇぞ馬鹿犬」
「だって!そうしたら兄様だって、あんな後から来た奴ばっか相手にしないで、俺と遊んでくれるって!」
「嵯峨崎っ、痛ぇっつーんだよっ、この馬鹿力が!」
「なのに兄様は!俺だけのけ者にした!アイツっ、セカンドだけ連れてったんだ…!」

胸元を鷲掴んだ佑壱から、ガタガタと揺さ振られた。まるで力加減が出来ていない。押し切られるまま背後の壁にぶつかり、それでも揺さ振る事をやめない佑壱に舌打ちする。


「誰も、俺なんか要らない。…クリスは、ゼロと嶺一だけが大切なんだ」

コンクリートにガツンガツン打ち付けた後頭部がじんじん痛んでいた。堪ったものではない。


「はぁ」

やっと揺さ振る事を止めたかと思えば、日向の胸元を掴んだままぎゅっと額を押し付けてきた佑壱の背中が小刻みに震えた。
何となく溜息を零しつつ、すぐ近場の自販機を見やる。助かった。夏場になればアウトだったろうが、まだホットドリンクの品揃えが悪くない。こうなれば自然乾燥するまで大人しくしよう。

「つまり俊に対する執着心はそのまま、証明依存だった訳か。頼られてると思いたかった。お前が必要な人間だって、自己顕示。自分を慰める為の証明が必要だった」
「違、う」
「納得させたかったんだろ、お前は。こじつけでも催眠でも構わずに、あやふやな自分の存在価値が欲しかった」

ぎゅう、と。胸元を掴む拳に力が籠もるのが判った。それがそのまま肯定のサインである事に、恐らく佑壱は気付いていない。

「はっ、誰でも良かった訳だ。甘やかせてくれる相手なら、シュンじゃなくても。どんだけ尻軽なんだテメェはよ」
「うるさいっ」
「抱き締めてくれる相手なら誰でも良かったんだろ?」
「ぶっ殺すぞカスが!誰が俺より弱い奴なんかに…!」

キッと睨み付けてきた双眸を冷ややかに見返した。たった数センチの身長差が、たった数センチの視線の差を生み出している。

「…巫山戯けんじゃねぇぞ、テメェ。誰でも良かっただと?じゃあ何か?自分より強くて面倒見が良い奴なら誰でも良いっつーのか?」
「な、」
「自分より強い奴には無条件でケツ振って、『貴方様の為なら何でも致します』ってか」

見開かれた眼差し。
怒りで爆発しそうな表情を眺めながら、震える拳を掴んで態勢を入れ替える。

「どっちが淫乱だぁ?尻軽犬が」

ぐっと壁に押し付けて、屈辱に歪みつつも狼狽で揺れている目元を上から覗き込んだ。

「シュンにお前が必要だって、誰が言った?恥ずかしい奴だな、それが勘違いだったらテメェの今までは何だったんだ」
「そ、んな…」
「俊にお前なんか必要ない。実の従兄にも母親にも見放されたんだろう?今更、誰がお前を必要とするんだ?ああ?」
「そんな、こと…」

歪む。歪む。歪む。
屈辱の光が絶望で塗り替えられて、こんなにも容易に崩れ落ちようとしている。
何にも屈しない、傲慢なまでのプライドで塗り固められた生意気な眼差しが、ほら。今にも泣き出しそうだ。


「…だから馬鹿だっつーんだよ、テメェは」

無言で泣かれるのは困る。
滴る雨の所為だと笑い飛ばせればまだマシだったに違いない。いつものどうしようもなく生意気な後輩だったら、とことん追い詰めて嘲笑ってやれるのに。

「俺様はシュンを奪うつもりなんだぞ。んな単純に言い包められんな馬鹿犬、テメェらはそんな簡単な間柄じゃねぇだろうが」
「…」
「帝王院もテメェの母親もどうだか知らねぇがなぁ、シュンが同じだって確証ねぇだろう?騙されんな馬鹿、勝手に思い込んで勝手に傷付いてんじゃねぇよタコ」

溜息を飲み込んで、掴んでいた佑壱の手首を離す。そのまま倒れ込む様に然程変わらない体躯を覆い、微動だにしない耳元で微かに笑った。


「やっぱ熱あんな、お前」

今なら世紀の好機だった筈だ。今なら佑壱を丸め込んで、俊を手に入れる事が出来たではないか。
生きた心地がしないイギリスへ連れていって、不自由ながらもこの世で最も欲しかったものと共に一生、満ち足りた生活を営むのだ、と。

願い望んで来たではないか。


「腹、治ったか?この間、折った奴」
「…治った。あんなん大した事じゃねぇし」
「見せろ」
「あ?巫山戯けんな、離せって…おいっ、高坂!」

濡れたシャツ越しに腹を撫でれば、哀れな程に痙き攣った佑壱に笑った。久し振りにこんなに笑ったか、と暫く笑い悶えてからふと見やれば、呆然と見つめてくる紅を認める。


「…阿呆面。」

阿呆はどちらだと言いたかった。
世界一馬鹿な人間はきっと、目の前に存在している男だ。ただひたすらその馬鹿を見つめながら、阿呆面と言われてもただただ見つめてくるだけの佑壱の首の裏へ手を回す。


背後から誰かの悲鳴が聞こえた。
叩きつける雨、遠くからクラクション、救急車のサイレン、選挙カーが撒き散らすウグイスの囀り、黄色い傘を片手に蛙の合唱で不協和音奏でている小学生。


何て騒がしい世界だろう。



「「あーっ」」

騒ぐな餓鬼共。
文句は目の前の馬鹿男に言いやがれ、


「男同士でチューしてるー!」
「ホモだー!」

見開かれた赤い眼差しに映り込んだ、世界一の大馬鹿野郎に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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