帝王院高等学校
なんだか波乱の予感がしますにょ!
初恋が実る確率が天文学的な数値に等しいとして、諦められる奴が一体何人存在するのだろう。
世界を叩きつける雨粒が威力を増した。僅かばかり見上げた東の空は酷く明るい。同じ世界でも、こうも違うものなのだ。

手を伸ばせば届く距離。
吐息が触れる、鼓動を感じる、そんな距離。


求めるだけで手に入るなら迷わず今にでも、求めるだけで全てが丸く収まるならきっと、人間に悩みなど存在しない。

一目惚れのもたらした余りにも長い片想い、自分は親友を笑える立場ではないと知っている。


あれが欲しい。
あれが欲しい。
あれだけが、欲しい。

初恋が実る確率が限りなくゼロに等しい数値だと知っていて、けれど目の前に愛しい相手が居た場合。諦められる男が一体、この世界に何人存在するのだろう。



他人が笑う声が聞こえた。
午前中の授業を終え、弾む様に帰宅する小学生達の小さな傘が踊っている。



「………心臓が、」

手を伸ばせば届く距離。
この囁きは聞こえているのだろうか?



「壊れる…」


なんて哀れな生き物。
(本当に欲しいものは口に出す事も出来ない癖に。)









「お待たせしました」

数時間振りの再会と言う涙ものの感動シーンにも関わらず、待ち構えていた相手は無表情で顎を反らした。
待ちくたびれたとばかりにわざとらしく息を吐き、漸く口を開くには、

「随分、愛らしい表情だな」

馬鹿にするならそれらしい表情を、例えお愛想だとしても作って欲しいものだ。苛立ちは募るばかり、悟られたら笑い者にしかならない。

「余程、愉しんでいたと見える」
「おや、羨ましいんですか?私は遠野君からポッキーもポテチも分けて頂きましたからねぇ、嫌われ者の陛下とは違って」

ああ、背筋が凍る。
久し振りにこの男が怒っている所を見た。無表情無愛想の権化である人間離れしたこの男は、片手で猫を撫でながらもう片手で人の首を絞める人間だ。喜怒哀楽に乏しい表情に、ありありと嫉妬を浮かべるのは随分珍しい。
いや、初めてではないだろうか。

「俺はあれが欲しい」

囁きが鼓膜を震わせる。
凍り付いた背筋、崩れ掛けた膝に力を込めた。

「帝王院秀皇の血が流れていようと、いまいと」

目を逸らしたら喰われる。呑まれて、自我が保てなくなる。相手は人間ではないのだから。

「…組織内調査部からの報告は、まだ」
「対外実働部を回してある」
「ですがあれは、ネルヴァの手の内ですよ」
「私の邪魔をするならば、手を貸した者を処罰するだけ。何か異論があるか、セカンド」
「…いえ」

艶やかな笑みを微かに滲ませた男から、無意識に目を逸らした。

「尤も、今更キング=ノヴァに手を貸す愚か者は居るまい。既に退位した老いぼれが、我がキングダムを掌握するなど片腹痛い」
「陛下」
「一つくらい、許されるとは思わないか」

寒い。
いつもいつでも、この男の傍は冷え凍えている。鼓膜から精神を蝕む麻薬の様な声音も、精巧なグラフィック染みた美貌も、何も彼も。

「行きたくもないステイツへ渡り、幽閉に近い生活を強いられた。欲しくもない爵位を押し付けられ、何をしても興味は長く続かない」
「我儘を仰らないで下さい。日本に来たのは失敗でしたねぇ。貴方はただの高校生ではなく、」
「全ての興味が、長く続かない。判るか。最早、俺にとってキングへの恨みは皆無に等しい」

通り過ぎる他人がチラチラ視線を投げ掛けてくる。

「私には何一つ、残るものがないんだ。判るか。この身に流れる血液が汚らわしいものである限り。そなたも恨んでいるのだろう?私が存在したばかりに、そなたの全てが狂った」
「やめて下さい」

病院の門前で明らかに日本人ではない神威と、ブレザーこそ脱いでいるものの白いスラックスに黒シャツと言う出で立ちの二葉が顔を突き合わせていれば、確かにかなりの割合で目立つだろう。

「車を手配しております。とりあえずは、」
「俊が欲しい」
「陛下」

咎める様な声音は、普段の二葉のものとは似ても似つかない。滑り込んできたロールスロイスに向き直る二葉が後部座席を示したが、足を動かす気にはならなかった。

「あれが私を恨んで入学したなら、果たしてやりたい。全てに興味を示すあの瞳を曇らせるのは、嫌だ」
「何を、馬鹿な事を…」
「この病院が」

門の傍らに、漆黒のプレートがある。大理石に刻まれた文字を見やれば、呆れた様な溜息が聞こえてきた。

「俊の血縁が経営する病院だと」
「…」
「…そうか。そなたも知っていたのか」
「つい、先程。彼本人から伺いました」
「遠野龍一郎は既に他界している。嫡男である遠野直江には息子が二人。長女、遠野俊江に婚姻歴はない」
「流石に、調べてらした訳ですか。私に内緒だなんて、水臭い」

漸く乗り込んだ車内ではどちらも沈黙していた。今更ながら肩口が濡れている事に気付き、ああ、雨が降っていたのかなどと目を細める。
霧の様な細かい雨粒が窓の外を濡らしていく。太陽は灰色の空の向こう、ずっと向こう側の空だけ酷く明るかった。


「記憶が」

傍らの二葉が向き直る気配。
極力他人の前では口を開かない様に、と。言われていた事を思い出した。

「曖昧な時期がある」

たった一言がどれだけ効果を秘めているのか、善悪問わずどれだけの人間が『神』の権力を狙っているのか。今はその全てがどうでも良かった。

「曖昧な時期?」
「十年前の、夏だ」

息を呑む気配に、窓から離した目を二葉へ向ける。眼鏡越しに見開かれた双眸、遥か昔サファイアとエメラルドだった双眸の片側だけが黒い。
よくよく見れば、黒ではなく酷く濃度が高い灰色である事が判る筈だ。皆無に等しい視力、美しいエメラルド、奪ったのは、どちらも自分と言う生き物。

「爵位を押し付けられる前か。日本へ五年振りに戻って来た」
「逃げ出した、の間違いでしょう?お陰で、嵯峨崎君まで付いてくる始末。…まぁ、あの一件で彼を暗殺しようと企んだ元老院の役員を一斉処分出来ましたがねぇ」

黒羊。
アメリカでは誰もがそう囁いた。卑しい女の卑しい子供、赤い目の『お荷物』だと、誰もが。
懐いてくる赤毛の子供が煩わしかった。赤い赤い、燃える様な髪が鏡に映る紅い眼差しに似ていたからだ。

「貴方は三ヶ月の入院、チェスの名に拘る保身派の年寄り共からは陛下を傷付けた挙げ句、惨めにも同じく入院する羽目になった役立たずとネチネチ嫌味を言われる始末。私がどれほど、」
「すまない」
「…殊勝なお言葉、勿体ない」
「知っていたんだ。私は、ずっと」

何を、と目で問う二葉から目を離す。



『新しいお母さんが出来るかもねー』

そう、知っていたのだ。
初めから、ずっと。知っていたのだ。

あの人に大切な女性が居た事も。あの人が本当は、自分を邪魔に思っていた事も。きっと、今は幸せなのだと言う事も。



「随分、混んでいる」
「週末ですからねぇ」
「…長い道だ」
「何か仰いましたか?」

自分が憎むべき男の血を引いている事も、本当に憎むべき相手が、


「ロードと言ったんだ」

この世には存在していない事も、全て。





(知っているよ)
(初めからずっと)
(見て見ぬ振りをしているよ)
(光に満ちた笑みを見た瞬間から)
(その唇が名を紡いだ瞬間から)
(灰色の世界が億万色に溢れて、)



(黒羊の毛皮を、あっという間に飲み込んだから)



「………眠い」
「少し休まれては如何ですか?」
「出来るものならな」

押し付けられた爵位。
要らなかったのに手に入れてしまった『ルーク』、きっと、あの子は恨んでいるのだろう。
きっと、あの子は殺したいくらい憎んでいるのだろう。ルーク。全てを奪った、憎むべき名前。



こんなもの、要らなかったのに。









誰かの声が呼んだ気がした。
振り向けば当然ながら誰の姿もなく、弱かった雨も今では本格的に街を濡らしている。

「アニメイトでウインドウショッピングかい。なんか神崎、一気にやつれたねー」
「一回行ってみたら判るよお…女子から目で犯された気分…」
「御愁傷様。」

裕也と仕入れてきたビニール傘を掲げ肩を竦める太陽は、キョロキョロ辺りを見回している裕也を横目にココアを啜っている俊に近寄った。

「はふん。お小遣い貯めてまた来なきゃっ。あれも欲しいこれも欲しい、どれか一つだけなんてとても選べなかったにょ!」
「どれでもハヤトに買わせれば良かったんですよ、総長」

8区は目と鼻の先、此処からは歩いていこうと言い出した太陽にかったるいとほざいた隼人を無視し、皆で仲良くビニ傘だ。裕也の奢りなので有難く礼を言いつつ、歩き始めてそろそろ十分程になる。

「俊の家って8区の端だったよね?」
「6区側にあるにょ。カルマは4区側だから、もっとあっち」
「あとどれくらい?」
「ドンキー右に曲がったら、5分くらいなりん」

思ったより近いらしい。ホームセンターやらスーパーやらの雑居ビルの中央を走る公道を横目に、道路標識とは違う看板を見付けた。

「あ。鷹翼ってこの辺にあるんだ?」

左に曲がって1キロと言う表示に瞬けば、有名なコマーシャルソングを奏でるディスカウントストアを通り過ぎる。
看板を見送りながら逆方向へ曲がり、見上げていた頭を戻す。

「っつーか、ホントに信じらんない。鷹翼中っつったら、卒業生の半分が西園寺か高専に行くくらいの進学校だろ?なんで帝王院?みたいな」
「ふん。寄付金馬鹿高い西園寺なんかより、帝王院の方がずっと有意義に決まってるでしょう?鷹翼だろうが西園寺付属中だろうが、我が帝王院の編入試験に比べれば大した事ではありません」
「うーん。高等部が編入試験やってること自体、知らなかったからなー、俺」
「山田も編入だったんだろ?」

不思議そうな裕也の台詞に振り返る。先陣を切る俊とその隣の隼人を横目に、それもそうかと苦笑いした。

「初等部のテストってあんま覚えてないんだよねー。受かった時は母さんがあんま喜ぶから、安心したってのが一番でさー」
「まぁ、中等部からの編入試験に比べれば大した事はないでしょうね」
「錦織君、少しは優しいお言葉をお願いします…」
「満月が近ぇかんな。苛々してんだろ、放っとけ」

面倒臭げな裕也に瞬いた。満月がどうした、と首を傾げて、ああそうかと痙き攣る。二重人格の気がある要が、曰く暴徒化するらしいのだ。

「そう言えば高野が居ない」
「今更かよ。コンビニ出た時から居ねーぜ」
「えっ?迷子とか?」
「どーせゲーセンかナンパだろ」
「ナンパって…神崎じゃあるまいし」
「馬鹿猿と一緒にすんな。隼人君はナンパなんかしないし!」
「えー」
「なにその反応」
「確かにハヤトはナンパなんかしねーな。狂暴化したカナメとケンゴだけだぜ」
「えー」

未だ現場を見た事が無いので余り現実味がないのだが、隼人ですらビビっていた所を思い出すと油断ならない。要が一番の謎だ。

「ね、俊ー」
「なァに?」
「俊さ、あんま昔の話しないよな。カルマの話じゃなくて、中学時代のとか」

ピタリ、と足を止めた俊に皆の足も止まる。一際長身な隼人が肩に乗せた傘を傾け覗き込んでいるが、クネりと振り返った俊の眼鏡が曇っている事に気付いたのは太陽だけだろう。
身長差が為せる技だ。傘の邪魔を受けない。

「俊?」
「おうちの周りに変な人がいるにょ」
「へ?」

先程までのメインストリートではなく、住宅地特有の細い道の電信柱に身を寄せ、恐る恐る曲がり角の向こうを伺っている俊に皆が瞬いた。煙草屋の軒先なので傘を閉じ、俊の背後から覗き込めば確かに、明らかに一般人ではない外国人達が辺りをうろついている。

「何だろ。観光って感じじゃないな」
「あしょこ…斎藤寝具…じゃなくて、斎藤呉服屋のお隣さんが僕のおうちなり」
「あ、コンクリの?」
「どれー?」
「ああ、総長のお宅にお邪魔する日が来ようとは…!」
「退けハヤト、見えないぜ」

押し問答数分、ずべっと転んだ俊へ外国人達が目を向けた。背中を押したのは太陽だが、背後の三人の所為だと言わせて貰っても良いだろうか。


「君達、少々尋ねたい事があるんだが」

だから。
いきなり裕也がその外国人を蹴り付けたとしても、泥だらけの俊にキレた要が集まってきた外国人達を殴り付けても、隼人がケラケラ笑ったとしても、だ。


「餓鬼共…!」

太陽は無関係…だなんて、流石に通用しないだろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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