帝王院高等学校
晴れの日も雨の日も大忙しなのさ
「ごめんよ、避けてー」

慌しい足音と共に背後から掛けられた声、赤縁眼鏡を押し上げた少年は品のある秀麗な表情を曇らせた。

「おや、新歓祭の準備かな?」
「そうなんだよ。知ってる?俺達普通科と体育科だけが土日返上なんだぜ。堪んないよ」

君は委員会?と、段ボールを抱えた生徒が首を傾げながら肩を竦める。捲った袖に付いている埃が、その多忙さを告げていた。

「俺なんか区画保全委員の係員だからさぁ、週番掃除と重なって本気で最悪。然もアンダーラインのダンスホール清掃だぜ?」

国際科専用のダンスホールは凄まじく広い。毎日ダンスレッスンがあり、噂ではスケートリンクもあると言うのだからメンテナンスも大変だろう。

「ラウンジゲートの掃除も大変だと聞くけど、僕はどちらもごめんなのさ」
「しなきゃ委員長から怒られて、したらしたでその時間どうしても拘束されちゃうだろ?痛いの何の、クラスメートの白い目。幾ら俺らが普通科だからって、毎日勉強してるのは一緒なのに…」
「準備に国際科は加わらないのかい?彼ら、普段から踊っているかお茶してるくらいじゃないか」

彼らに聞かせたら怒られそうなものだが、留学生の中には成人した生徒も多数存在している為、最低限度の授業以外は殆どがマナーレッスンやら、ダンスである。英才教育を元々受けているセレブばかりで、比較的ステレオタイプ体制だと言えるだろう。
悪く言えば、ゆとり教育。

「選択科目にソムリエ育成があるのは知ってるかい?毎日ワインのテイスティングだなんて、羨ましいのさ」
「そんな外国のセレブ留学生共に、こんな力仕事させらんないんだろ?ま、せめて工業科くらいには手伝って貰いたいよ」
「手伝わせれば良いのさ。彼らは我が帝王院学園の偏差値を著しく下げている、癌細胞だからね」
「工業科相手に?冗談だろー、そんなSクラスみたいな事…」

漸く目の前の生徒は、溝江の胸元で煌めく金バッジに気付いた様だ。少しばかり青冷め尻込みしながらも、Sクラス相手に逃げ去る事も出来ないらしい。

「Sクラスみたいな事、とは?僕の眼鏡が光ってしまったのさ」
「あ、いや、何でもない…です」
「進学科の僕は、何も工業科を虐げているつもりはないよ。その逆さ。苦労知らずの国際科を蔑視しているのさ」

中等部からSクラスだった為に慣れているものの、やはり気持ちが良いものではない。基本的にメガネーズはセレブなのだ。ステレオタイプに不対等な関係などあってはならない。

「不愉快なものだね。僕は進学科が誇る一年Sクラスさ。我が帝君、遠野俊左席会長猊下の名に懸けて、人類万事平等萌えを推奨しているのさ」
「えっと…」
「とどのつまり、同じ学園で日々学問に勤しんでいる我々は同志であり盟友だと言える。遠慮なく言いたい事を言いたまえ」

バーンと胸を張る男に狼狽えながらも、入学式以降何かと話題のネタになっている天の君は、庶民のヒーロー的存在になりつつある。左席号外と銘打って、全校生徒にアンケート調査を行っている左席委員会は、八割方ホモネタだが残りの二割は学園に関するアンケートなのだ。
購買が高過ぎる、庶民には手が出せない、もっと安くしろ。などと言う、本来ならば中央委員会へ申し出るべき訴えが普通科工業科の過半数票を獲得した。だからと言って、その訴えが可決する筈がないと皆、判っていた筈だ。

「…半額コーナー、出来たよね。最近、購買にさ」

賞味期限二日前になると処分されていた商品が、今では購買の一角で割引販売されている。正式な下院総会を通過した訳ではなく、購買へ直接交渉に行ったらしい。
進学科の、帝君で、左席委員会の会長自らが、だ。

「工業科は科学物理だけなら普通科平均よりずっと上だ。コース別にバラつきはあるだろうけど、人数も多いし。毎年、特許だってバンバン出てる。国際科よりずっと、評価に値すると思う…です」
「理論的なのさ。君はAクラスかい?」
「そうだよ。うちのクラスにだって馬鹿はいっぱい居る。選定考査で弾かれた奴も居るからね、…高野や藤倉みたいに」
「おや?彼らは少なくとも馬鹿ではないのさ。去年までこの僕を差し置いて、3位タイだったのだから」
「確かに他の奴らとは違うよ。でもさ、進学科なんて結局、俺らを馬鹿にしてんだろ?工業科はカルマの三人が仕切ってるからまだマシだ。でも、加賀城君は良い人だし俺も好きだけど、あの二人は何か違うよ。嫌いって訳じゃないけど…」

重いだろう、とセレブ故のお気楽加減で今更段ボールを一つ奪い、運んであげようと恩着せがましく胸を張る。瞬いた生徒は一瞬黙り込んだものの、勝手に歩き始めた溝江に慌てて口を開いた。

「そっちじゃないって!第二体育館に持ってくの!」
「こっちからでも行けるじゃないか」
「遠回りだろ!あっちの階段のがずっと早いし!」

きょとりと首を傾げた溝江の眼鏡がズレ落ちる。腕に巻かれた風紀のワッペンよりも、金バッジに躊躇っているらしい生徒は段ボールを奪い返そうと手を伸ばしてきたが、ひょいっと避けてエレベーターに向かう。

「だからそっちじゃないって!」
「風紀委員会は9割方進学科の生徒が所属しているのさ」
「んな事ぁ知ってるよ!畜生、ざけんなよ!返せっつーのっ」
「良い調子だね。その調子で下らない仕切りを取り除いてくれたまえ」

無意識に他人を下に見てしまっていた自分を恥じねばなるまい。自分も、追い掛けてくる生徒も。
日本人よりも海外の人間の方がずっと体格も良く、身体能力も高い。なのに国際科の人間は無意識に姫様扱いだ。

「工業科はコース別に、新歓祭の展示品やら機器やらを作っている筈さ。毎日、夜遅くまで残っているよ」
「え…」
「毎晩自主的に校内パトロールをしている僕は、こうでもないああでもないと討論している彼らを知っているのさ。より良いメモリアルにしたいと、彼らは彼らで必死なのだよ。カリキュラムの問題で、僕ら進学科はやりたくても仲間に入れて貰えない。国際科は知らないけれど」

土日返上で準備に勤しむ普通科が正義なのか、皆から不良扱いを受けている工業科が悪なのか、彼らを同等に扱わない進学科が正義なら、他人に干渉せず思うままに振る舞う特殊学科も正義ではないのか。

「高野、藤倉、加賀城の三名が毎晩差し入れをしている。君が言う様に、技能学科である彼らには、奨学金で通っている生徒も存在するのが実情なのさ。校内アルバイトを許されている生徒も居るよ」
「校内のバイト?何だよ、それ」
「リネン室でのクリーニング、排出されるゴミの分別、処分、あらゆる雑務さ。君は全校生徒に与えられた無料シーツクリーニングが、分別不要のダストボックスが。それら全て、神様からの贈り物だとでも思っていたのかな?」
「…」
「区画保全委員会の清掃など、如何に可愛らしいものか」

華やかな帝王院の裏側は決して華やかなものではない。毎日大量に運ばれてくるシーツの山、大量のゴミ。それらを衛生的に処分再生するのが、余り知られていない一般奨学金制度の内情だ。
奨学金とは名ばかりの、アルバイト制度である。

「シーツ1枚洗う毎に幾ら。ゴミを廃棄する毎に時間給幾ら。彼らは、親の脛を噛って遊んでいる訳ではないのさ。だから企業へ個人プレゼンもするし、特許も欲しがる」

エレベーターに乗り込めば、廊下で立ち竦んでいる生徒に気付いた。ああ、そうか。一般生には搭乗許可が出ていないエレベーターだから、彼曰く近道が階段になるのかと息を吐いた。

「早く乗りたまえ、僕の細腕が折れてしまうのさ」
「あっ、ああ、うん…」

こんな些細な権利の有無も、進学科生徒を付け上がらせる要因と為り得るだろう。多かれ少なかれ、弱肉強食を勝ち抜いてきたSクラス生徒にもプライドがある。並大抵の努力では手に入らない立場と権利の代償に、降格した者を待つのは地獄だ。

「でもさ、工業科の奴らは麻雀とか花札とかしょっちゅうやってるじゃん。表向きはパンとかジュースを賭けてるみたいだけど、絶対お金も賭けてるって噂だよ」
「彼らの生活は一重にギャンブルさ、特許出願にはお金が懸かる。学園が面倒を見るのは申請時の手数料だけ。更新料までは知った事じゃない。意味は判るかな?」
「そんな事言われても…」
「辛いのも苦しいのも頑張っているのも、人それぞれと言う事さ。…決して、自分だけじゃない」

請け売りだ、と従兄弟には鼻で笑われそうな気がする。恥ずかしげに俯いた普通科の生徒を横目に小さく笑えば、僅かばかり赤く染まった耳に気付く。

「何か?」
「アンタ、カッケーよ。やっぱSクラスの人はどっか違うんだなぁ」
「過大評価はよしてくれたまえ。僕達は天の君の教えに従順過ぎるだけであって、己より劣る人間の言い分には耳を貸さない。それは流されているだけの、自主性がない人間である事の証明でもある」
「左席会長ってそんな凄いの?俺には、テレビで見るアキバ系の人にしか見えないんだけど…」

エレベーターが止まり、ドアが開く。失礼な事を言う人間だと眉を寄せつつ、

「天の君がオタクなる人種だと言っているのかね?」
「いやっ、別にそんなつもりじゃ…!ただ何となく、神帝陛下とは違うなぁ、って!」
「僕はともかく、宰庄司の前で今の言葉を言うのは自殺行為だと思いたまえ。ああ、あと武蔵野も」

第二体育館が見えてきた。
賑わいが徐々に近付いてくる。ああ、俊がやりたがった意味が少しだけ判るかも知れない。

「天の君はオタクではなく、オタクでもある腐男子なのさ。似て非なる存在だよ」

汗だくながらも、彼らは皆、酷く楽しそうだ。熾烈な順位争いなどまるで存在していない、余りにも自由な。

「僕は此処で失礼するよ」
「あの、有難う!助かった!」
「お礼はまた後で貰うのさ。
  とりあえず今は、働き者な君達への差し入れを何にしようかで、心の眼鏡が曇ってしまった様だよ」










大気を貫いている時は、風の音が耳を塞いでしまう。凄まじい早さで流れていく対向車線、反してゆっくり流れていく景色、海沿いのテレビ塔が見えた。
フルフェイスを叩く水滴が威力を増したのが判る。剥き出しの腕に冷たい雨の槍、痛みなのか冷たさなのか麻痺した今、何も判らない。

「次の角、左」

何も聞こえない筈だ。
降り始めた雨を凌ぐべく厳重に被ったフルフェイス、背後の人間が囁いた所で聞こえる筈がない。それなのに聞こえるのは、どう言う事だろう。

「そろそろ降りる」

バイパスを途中下車、然程走らせる事無く見えてきたのは5区の終わりを告げる、4区の標識。
一心不乱に走り抜けて、久方ぶりの赤信号でスピードが落ちる。信号の向こう側は、雑居ビル犇めく繁華街の入り口だ。

「おい」

肩を叩く感触、青に灯るシグナルが見えた。はっと我に還ってハンドルを握り、夜には賑わう閑散としたビルの谷間を泳ぐ。泳ぐ。泳ぐ。


無言が続いている。
だから何だと聞かれても、答えに詰まるだけだろう。初めから大した会話などなかった筈だ。
ジャンクフード店を出る頃には、重苦しい沈黙のドン底で。息をするのも辛かった。その理由を言及したくないだけ。

痛い。
降り注ぐ雨粒も、重過ぎる沈黙も、この時ばかりは、レッドシグナルも、全て。


「…r.i.p.か。薬屋の屋号にありゃねぇな」

背後から笑う声。
ぴくりと弾んだ肩を押さえ、喉の奥から溜息の塊を絞り出した。

「あ?」
「Rest in Peace」
「最高にカッケーじゃねぇか」
「安らかに眠れ、の何処がだ。毒しか売ってねぇんじゃねぇか?」
「ただのripだったらカリスマだろ」
「どっちにしろ、ドラッグストアの屋号にゃ不向きだ」
「興味ねぇ」

短い会話が途切れる。
沈黙を愛した訳じゃない筈だ。切り上げたかった訳じゃない、ただ続ける方法を知らないだけ。

「くしゅっ。…あークソ、寒ぃ」
「雨の日にバイクも不向きだな」
「うっせ」

長い長い、赤信号。
車通りは然程多くなく、目前の車線ばかりに車が泳いでいた。

「透けてんな」

冷たい霧雨肌を打つ。微かに笑う吐息が耳に触れた気がする。シャツ越しに背中をなぞる指先、



「ブレイズバードか」

冷たい筈なのに、燃え尽きそうだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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