帝王院高等学校
世の果てにでも向かいましょう
キキィ、と言うブレーキ音が聞こえてきた。推測が確証に変わるまで然程時間は懸からない。
重苦しい溜息を飲み込めたのは、これまでの血が滲む様な努力の賜物だと思う事にしよう。

「ご到っ着ー」
「アタシがキター!」
「アタシもキター!」

テラスの観葉植物が稀に落とす枯葉や土埃を掃いていた手をそのままに、伊達眼鏡を外す。今は閉店準備が最重要項目だ。半日後には今以上に散らかる予定なのだから。

「アイウォンチューン」
「アイニージューン」
「アイラービュン」
「「「榊ダーリィン、サランヘヨーン」」」
「悉く喧しい」

テラスの向こう側、ぶるるんと唸るマフラーの音に眉を寄せれば、運転席から顔を覗かせた少年がニヤリと笑った。お揃いのジャージで身を包む彼らに、進学校の生徒たる面影などない。世間を舐め切った表情だ。

「冷静な突っ込みカムサハムニダ」
「パンニハムハサムニダ」
「サンドイッチナルニダ」
「近所迷惑だろうが。アイドリングやめろ」

奴らを相手にしていたら日が暮れる。黙れなどと怒鳴れば、満面の笑みで舞い上がるだろう。スルーが一番だ。

「リーダーからパクったカードでETCぶっ飛ばしてきたんだけど?」
「変な車が停まってんだけどー。新しいバイト雇ったわけ?バイトなんか徒歩で充分だろー」
「榊の兄貴ぃ、何処の餓鬼に無断駐車許してんのー?超ジェラシー」
「俺の知り合いだ。あと30分もしたら帰す」

カフェの裏には車二台分の駐車スペースと、屋根付きの馬鹿広い駐輪場がある。数年前まで下宿アパートだった更地の管理不動産屋が前カルマメンバーの実家であり、カフェの売り上げで去年購入したのだ。

「つか兄貴のレガシィ邪魔だし」
「男は黙ってワゴンR乗れやし」
「兄貴が黄ナンバーとか超ウケっし」
「喧しい。餓鬼は黙って原チャ唸らせとけ」

路地裏とは言え、相場の半額以下で買えたのは一重に、自立した息子の反抗期に悩まされた父親の感謝の証である。未だに毎年お中元お歳暮を贈ってくる不動産屋は、根っからのシーザーファンらしい。

「北緯達と一緒にしないでよー。アタシ免許取ったんだからっ、オートマ限定☆」
「つかコインパーキング超遠いんですけどぉ」
「アタシ300メートルも歩けなーい」

余りの騒がしさに息を吐き、揃いのジャージを纏う少年らを横目に500円玉を取り出した。今日はバータイム休店日なので、実際の営業時間は終わったもののやるべき雑務は山の様にある。

「喚くな、殺したくなる」
「カルシウム足りてないよねぇ」
「欲求不満だよねぇ」
「オヤジのヒステリーこわぁい」

ピンっと弾いたそれは放物線を描き、運転席の少年の手に治まった。現金な子供を黙らせるには小遣いをやれば良い。

「とっとと夜の準備の手伝いしやがれ、3馬鹿トリオ」
「「「まいどありー♪」」」

請求書はこの馬鹿共の上司へ送れば万事解決だ。





「ぶぇっくしゅ!(*´3`)〃」

盛大にくしゃみをカマした男は辺りを見回し、首の裏を揉み解しながら小首を傾げた。
当然ながら見知らぬ他人ばかり。

「迷子っしょ(´Д`)」

知らない女の子から手を振られてスマイルサービスしつつ、腕を組む。
先程、と言っても小一時間前にバスセンターへ降り立ち、喉が渇いたと訴えていた俊を満たす為に小休憩を取る事になった。

トイレを求めて近場のコンビニへ向かった太陽と裕也を見送り、バスの中で自滅を果たした隼人を揶揄えば、ジュースを仕入れる為に自販機へ向かったのは要。

しょぼ暮れた隼人を引っ張ってアニメイトに駆けて行った俊を見送りつつ、漫画でも立ち読みしようと太陽達が向かったのとは別車線のコンビニへ足を向けた。
トイレ渋滞はごめんだぜ、などとニヒルに笑っていたのもその時までだ。たった30分前後、コンビニから出る頃には、他人で賑わうバスセンターに知り合いは一人も存在していなかった。
二葉すら居なかったのだから、最早打つ手はない。訳でもないが。
ポケットの底で沈黙していた携帯を開けば、本当の意味で沈黙していた。八方塞がりだ。昨夜充電した覚えがないので、当然かも知れない。

「迷子センターとか…あったとしても、無理があんだろ!(//∀//)」

二葉はどうでも良い。寧ろ居なくなった方が清々すると言わせて貰おう。裕也に至っては居ないものと見なしているらしく、端から話し掛けもしない。

カルマで最も畏れ嫌われているABSOLUTELYの貴公子には、つい先日隼人と仲良く惨敗したばかりだ。急場凌ぎのコンビが適う相手ではない事は明白だが、それにしても次元が違う。
何処かであの女顔を馬鹿にしていたのかも知れない、と言う健吾こそ女顔である。

「うーん。副長は置いてこーぜっつったのは、失敗だったっしょ(´Д`)=3」

ガミガミ煩い所を差し引いても、皆のオカンは誰か一人を残して出発したりしない。見た目からは想像も出来ない程にあの男は面倒見が良いのだ。
その佑壱も二葉には一目置いている。光王子コスの西指宿がどう言うつもりで庇ったのかは不明だが、彼の右腕一本で健吾らが助かったのだから奇跡だった。

いつかの佑壱曰く、捨て猫を笑顔で踏み潰す鬼畜が叶二葉だ…とか何とか。

つい捨てられたペットを拾ってしまうカルマ一同は恐怖で震え、榊が神経質そうに見えるシャープな眼鏡を押し上げながら『悪魔め』と呟いた覚えがある。あの隼人ですら、野良に餌をやってしまい佑壱から怒られているのだ。

ならば佑壱にそこまで言わしめる二葉は最早、血が流れていないロボットよりも酷い、つまり鬼畜である。

そんな男が、学園に埋もれた空気以下の存在だった太陽の顔を覚えているのだから、何と言おうか。
ホモには強い筈の健吾が負けるのだから、叶二葉と言う人間は本当に魔王なのかも知れない。


「タイヨウ君ストーキングしてたら、恐ぇな…( ̄- ̄;)」

彼女持ちには大抵負ける健吾の第六感が告げていた。女顔の癖に際限無く垂れ流されている雄フェロモン、近寄らば食うと言わんばかりだ。

「ちくしょーめ、さっきのコンビニで簡易充電器買うか?(´Д`)」

要ほどではないが、携帯依存度が低い為に振られる健吾が呟いた。わざわざそんな浪費をせずとも、最終目的地であるカフェ・カルマへ向かえば事足りる。
だが然し、

「…榊のあんちゃん、人使い荒ぇんだよなぁ(´;ω;`)」

今頃修羅場だろうアジトに、早く向かいたくない。自殺行為だ、普段は保護者的な立場にありながら、俊以外には情け容赦ない榊は例え幹部だろうが扱き使う。
パーティー会場と化す集会場は、榊と佑壱によってビュッフェスタイルに生まれ変わるのだ。食べ盛り46人とブラックホール総長、並大抵の人間では対応出来ない。


「っし、ゲーセンで時間潰すか(*´∇`)」












ビークール、とても海外育ちとは思えない棒読み加減で呟きながら、顔を引き締め外へ出た男は強かに眉を寄せる。
その一角だけが異常に華やかで、群がっていた蝶達は佑壱に気付くなりそそくさと散っていった。

「随分マシになったじゃねぇか」

トレーが2つ。
小さなテーブルに並べられ、狭い椅子に窮屈げに腰掛ける男は今までの表情を一変、いつもの嘲笑混じりの呆れ顔へ変えた。

「…ダッセ、逆ナンされてやんの。尻軽そーに見られてんだな、流石淫乱」
「本気で犯すぞ糞餓鬼。嫉妬ならもう少しそれらしく言えや、可愛げがねぇ」
「誰がテメーなんかに餅焼くか!磨り潰すぞ黄粉頭がっ」
「ムキになってんじゃねぇよ、ただの冗談だろ」
「…腐れハゲが」

どかっと椅子に座り、日向の部屋で見付けたヘアバンドで手早く前髪を押し上げる。勝手に持って来たものだが、向かいの日向が何も言わない所を見ると推測通り彼の私物ではない様だ。
四六時中、親衛隊の誰かがべったり引っ付いているのだから、寝室に連れ込む事も勿論あるだろう。つまりチワワ達の忘れ物だと考え、鼻息を荒げた。

「ハーゲーればーとーぉーとーしー」
「その頭に除草剤撒いてやろうか」
「黙れ乙女座のAB型の癖に」
「獅子座のO型だっつーの」
「いんきんたむしの癖に」
「小学生以下かテメェは」

暫し無言。
痴話喧嘩しながらゴミを捨てたカップルが、諍いながらも並んで出ていく。
スマホを熱心に自慢していた若者は充電切れだと悲壮な表情で嘆き、新たな来客へ向ける店員の挨拶が店内に響いた。


楽しそうな笑い声。
他人の発てる生活音、惨めにも丸裸な国道添いの桜並木から微かに舞い散る萎びた花弁。


いつもいつでも、殴り合うか罵り合うか。この男との記憶に、無言だった時間など殆ど存在しない。
時折、一つしか違わない歳月が酷く深い溝の様に思えるのはこう言う時だ。何としてでも勝とうと全力になる佑壱とは違い、決して本気で怒る事はない、大人。


「…」

見た目の紳士さとは真逆に、粗野な仕草でハンバーガーへ齧り付いている男の横顔が窓ガラスに映っていた。盗み見たつもりはないがそそくさと目を伏せ、ナゲットを無言で頬張る。
チラチラとこちらを窺ってくる女性客の視線、誰かの笑い声、幸せそうな、他人。

日向は無言が辛くないのだろうか。
窮屈な店内の窮屈なテーブルと椅子、喉に詰まりそうな冷めたハンバーガーも、無言も。嫌気が差さないのだろうか。
そう言えば、絡まった髪を元に戻すまでにかなり時間が懸かったと思う。逆ナンされていた日向を思い出し、いま自分が噛り付いているバーガーの温度に眉を寄せた。

まさか、待っていたなどとは言うまい。
2つ並んだトレーを受け取りに行ったのが日向だとしても、わざわざ佑壱を待つ筈がない。恐らく席に戻る直前にでも話し掛けられたのだろう。基本的に女子供には優しい日向は、英国の血を引いているのだ。

ああ、無言が痛い。
またムカつく顔が見えたら癪だと、外の景色に目を向ける事もない。
愉快げな若者の笑い声も、ファーストフード片手に新聞を広げるサラリーマンも、王子様を見る様な目を控えようともしない女性も、国道添いを駆け抜けて行った柴犬も、それを追い掛けるメタボ気味な中年も、何も彼も勘に障る。

それもこれも、日向に泣き顔を見られた所為だと恨みを込めて目を上げれば、頬杖付きながらアイスティーを啜っていた男と目が合った。

「んだよ」
「別に」
「じゃあ見んな」
「減るもんじゃねぇだろ」
「減る。俺の食欲がめっきり減る」

素早く日向のナゲットを奪い、見せ付ける様に大口を開けて頬張った。瞬いた日向は呆れた表情を浮かべたものの、怒る素振りはない。
チキンの恨みは俊をオタクからジェイソンに変えると言うのに、だ。こんな所が余裕を窺わせてならない。大人の余裕、たった一歳違いの、カルデラ。

「…んだよ」
「別に」

琥珀、深み懸かった飴色の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。居心地悪さに貧乏揺すり一つ、痙き攣りそうな喉を宥める為にジュースへ手を伸ばした。

「それ俺の」
「ぐぶ!ごほっげほっ」

甘さの欠片もない紅茶の味と香り。咳き込みながら睨めば、嘲笑を浮かべた男が片目だけ細める。

「積極的だなぁ、嵯峨崎君」
「笑えねぇジョークはヤメロ、犯すぞハゲ」

ほら、佑壱だけが余裕の欠片もない。鼻で笑った日向は頬杖付いたまま、佑壱の手で握り潰れ掛けた紙コップを奪っていった。

「…」
「…」
「…んだよ」
「別に」
「…」
「…」
「………んだよ」
「別に」
「見んな」
「見てねぇ」

ああ、もう。苛々する。

「じゃあ何見てるっつーんだテメーは!」

マスタードごと日向のナゲットを全部、一気に頬張った。
口腔はパンク寸前だ。頬杖を崩した男の眼差しは未だに真っ直ぐ注がれていて、その長い指が下唇を撫でる感触を認め瞬いた。もごもご、意地汚い唇から放たれる音が言葉として成り立つ訳がない。

「トマト味」

赤い唇から覗く、赤い舌先。僅かばかり細まった琥珀色の双眸。
いつか見た桜吹雪の下のネイビーブルーは佑壱より大分身長が低かった。こんな、目の前の態度も図体もデカい男とは似て非なる別人。だった、筈だ。

「な、んて…恥ずかしい男なんだ!もういっそ死ね!」
「巫山戯けんな」
「どっちが巫山戯け、」
「俺様はファーストフードなんざ食った事もねぇんだよ」

甘い甘い、飴色の。ダージリンに蜂蜜を含ませた様な眼差しが真っ直ぐ射抜いて来る。
何も聞こえなくなった。何も見えなくなった。全身全霊、真っ直ぐ目の前の男に注がれて、また、一雫の余裕すら許されなくなる。


「テメェなんざ見ちゃいねぇよ」


(お前など要らないと言われた)
(大好きだった神様に)
(冷徹で無慈悲な母親に)

(必要とされるなら)
(誰でも良かったのだろうか?)

(でも、きっと)
今度要らないと言われたら、死んでしまう


世界の果てに行ってみたい。
誰も居ない、何も存在しない所に。



「俊さえ手に入れば、良い」


そうすれば、こんな台詞に傷付く事もない筈だろう?

←いやん(*)(#)ばかん→
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