帝王院高等学校
ケンタもマックもファースト的なアレ
一番初めの記憶は、ふわふわ舞い落ちる白い何かと、荒い指が鍵盤を弾き奏でていた悲鳴染みたソナタ。

「お茶のお代わりは?」
「ああ」

自力では起き上がる事も満足に喋る事も降り積もる白へ手を伸ばす事も出来ない乳幼児が、一番初めに認識したのは白髪が目立ち始めた女性だった筈だ。

「テレビでも付けましょうか」
「ああ」
「新聞、もう良いですか?」
「ああ」
「章吾さん、今回は長いねぇ…」

優しさとは違う、かと言って無関心と言う訳でもない女性の言葉はきっと、ただの独り言だったのだと今では思う。彼女の話に短い返事しか返さない亭主は、我関せずと言った風体だ。

「あーう、ううー」
「はいはい、ご飯の時間ですね」

甲高い女の声、男の怒声。

「…少しはこちらの迷惑も考えて欲しいものだね、あの子達は」

何かが割れる音、眉を寄せる女性の向かいで読書に勤しんでいた男は、漸く立ち上がりそうな兆しを漂わせるもう一人の赤子を撫でながら呟いた。




「世間体など気にしとる内は、いつまで経ってもあのまんまだろ」

にまにま、この騒ぎの中で笑っている赤子だけが奇妙だった気がする。










「初めまして」
「…俺の事、覚えてない?」
「何処かであった事があります?」
「あ、はは。そ、そーだよな、一年経つし!」

散りゆく桜を背後に、酷く寂しげに笑う子供を苦々しく見つめ、目を伏せた。傍らには記憶より大きくなかった気がする、『友達』。

「あの、あのさぁ、俺、3組なんだ。そんで、も、もし良かったら、」
「俺は1組です」
「そう、なんだ。…あ、でも、もしかしたら一緒のクラスになるかも知れないし、」
「すみませんが、中等部は進学科へ進むつもりなので。その時またお会いしたら、宜しくお願いします」

なんて酷い生き物だろう、自分は。ただただ悲しげに瞬く少年は、言い返す事も喚き散らす事も、呆れて背を向ける事もない。


「…もう良いだろ」

短い溜息が鼓膜を震わせた。
俯いた少年の肩を叩いた彼は、記憶にはない冷めた表情で一瞥してきただけで、

「入学式が始まる」
「でも、」
「コイツは人違いだって言ってんだ、あんま絡むな。…行こうぜ、ケンゴ」

以降、一度たりとも。
一緒に眠った記憶は、ない。









起き上がれるまでに要した時間は一ヶ月。
意識不明だった期間も1ヶ月、起きては昏睡状態に陥る繰り返し期間はその3倍、いつからか友達期間を越えて親友になっていた少年は、緑色の目で緑の飲み物を毎日貢いできた。


『親父さ』

知っているのはお互いの名前と、一人では眠れないらしい親友の病気と、その理由。

『前に付き合ってた人に子供が居たこと、知らなかったらしいんだ』

日本人だった母親が、目の前で死んだ話を聞いた時。少しだけ羨ましかったのは秘密だ。不謹慎にも程がある。当事者には耐えられない地獄だった筈だ。けれどやはり、羨ましいとしか思えない。
守ってくれる人が居る事が、愛されている証明にすら思える惨事が。とてつもなく、羨ましい。

『っつっても、ババアと結婚するずっと前に付き合ってた人だぜ。ババアが俺を妊娠して、その頃はどっちも有名人だったからニュースになってさぁ』

無口な少年は、静寂のまま会話が無くても平気な様だった。だからと言って、こちらが話し掛けても何の文句も言わない。
静かな時間が耐えられないと言う訳ではなかった。けれど、3ヶ月のタイムラグはそう容易く埋まるものではなかった。

『そのニュース、見たんだろーな』

これ幸いに、まるで黙っているのが辛いかの様に話し掛け続けたのは、意識不明だった三ヶ月の記憶が一切ないからだ。

『ずっと連絡して来なかった隠し子…俺からしてみれば、義理の姉さんって感じ?』
『隠してた訳じゃないだろ。知らなかっただけなら』
『そーだけどさ。とにかく、結婚して子供が生まれたって報告に来たんだ。本当にそれだけで、姉さんには下心とか他意って奴はなかったと思う』

絡まる絡まる、一番初めの記憶は、怒鳴り合う両親。絡まる絡まる、二回りも年が離れた女性を姉と呼ぶには時間が必要だった。年上の甥が居る事を知ったのは、兄弟の様に育った男の子が口にしたからだ。

『でもババアは、姉さんに遺産目当ての泥棒猫だって言ったんだ。何も言い返さなかったって』
『金目的だったのかよ』
『違う。親父が若い頃、好きだった人は皆が反対したから結婚出来なかったんだって。指揮者として名前が売れてきた頃だったからよ』
『ふーん』
『ババアと親父、政略結婚なんだよ』

苦い苦い。青汁に比べたらこんな話、甘ったるい部類なのだろうか。六歳になったばかりの子供には、それほど理解出来ていなかったのかも知れなかった。

『…いつの時代の話だよ、そりゃ』
『利害の一致って奴かねぇ?十代でコンクール優勝してウィーンに渡ったババアと、ウィーンの交響楽団でコンマス張ってた親父。絶対コネ目的だぜ』

マセ餓鬼、と呟いた親友に笑って、どっちがと呟き返す。純朴な六歳は、マセ餓鬼と言う言葉自体知らない筈だ。

『何であんなババアと結婚したんだろ、馬鹿親父…』
『それはアレだろ』
『ドレだよ。…俺さぁ、多分、親父の子供じゃないんだ』

苦い、と頬を膨らませたら、面倒臭いと言わんばかりに蜂蜜の蓋を外した親友は、スプーン一杯の蜜をグラスに落とす。

『ババアは未だに浮気してるし、親父もそれ知ってる筈なのにさぁ。何で、リコンしねぇのかね』

過度の糖分は体に悪いだとか、蜂蜜はスプーン一杯で30キロカロリーあるのだとか、とにかく親友は口煩い。まだ流動食しか口にしていない自分には、復活したらトーストに山盛りの蜂蜜を掛けて食べるのが密かな野望だ。

そんな事を口にしたら、最近漸く六時間睡眠で満足出来る様になった重症患者の癖に、と睨まれそうだ。ほんの少し前まで、起きている時間の方が圧倒的に短かった。
だから、事故から起き上がるまでに要した時間は、実に5ヶ月。それでも奇跡的な早さらしい。殆ど寝ていただけだから、階段の上り下りすら辛い状況が未だに納得出来なかった。

隠れて食べたカツサンドは美味しくて美味しくて、…吐血する程に美味しくて、地獄だ。
ものを食べる行為が自殺に繋がる状況だと言う事は、身を以て学んでいる。

『あーあ、肉食いてぇ』
『来週からツナなら良いって言ってたぜ』
『ツナってアレだろ、イワシだろ』
『マグロだろ』

早く治ったら。
優しいけど見舞いにすら来てくれない父方の祖父母に別れを告げて、遠くに行くんだ。と、広めのベッドに枕を並べて、毎晩繰り返すのはそんなピロートークばかり。

『かなちゃん、中国に居るんだっけ』
『香港。流石に、オレじゃどうしようもないぜ』
『ヤクザだもんなぁ。俺らが遊びに行ったら、殺されて海に投げられんのかな…』
『どうだか。朱雀の従兄弟ってだけで、オレは殺されっかもな』
『でもさ、スザクも帝王院学園に行くんだろ?ユーヤが行くなら行くっつってたじゃん』
『カナメがもし帝王院に入るっつーなら、カナメの兄貴が朱雀の下に付くだろーよ』
『縦社会って奴ですか。じゃあ、スザクがいっちゃん強ぇの?』
『カナメの兄貴は物凄ぇ天才らしいぜ。…ま、それ以上に凄ぇ奴が居るんだけどよ』
『誰それ』
『親父の上司。…社長の息子っつった方が判り易いか?』
『ボンボンかよ』
『せめてセレブと言え』
『どーでも良いけど!かなちゃんと再会する為に、奇跡の生還を遂げんだからよ!うひゃ、かなちゃんと焼肉パーティー、うひゃひゃ』
『鼻の下伸ばすな。相手は男だぜ』
『馬っ鹿かお前、今時男同士でも結婚出来るんだぞ。おっぱいは手術で何とか…』
『阿呆かよ』

無口な親友は聞いているのか居ないのか、はにかむ様な笑みを浮かべて頷いているだけだ。いつしかどちらからともなく瞼を閉じるまで、繰り返すのは同じ言葉。



『此処から出ていけるなら、何でも良いんだけどな』


二人で、迎えに行く為に。















一体いつ彼らの、仁義もなければ大人げもない戦いのゴングが鳴ったのかは、その火蓋が燃え尽きた今さほど重要な事ではない。
とどのつまり、そんな些細な事を逐一覚えている様では精神に異常を来すに違いなかった。

彼らに言葉のコミュニケーションなど初めから不必要である。
拳と拳で交わす熱い、ともすれば暑苦しい上に馬鹿馬鹿しい力と力の語らいこそが、唯一のコミュニケーションツールだと言えるのかも知れない。

例えそれが。
余りにも低レベルな切っ掛けから為るものだったとしても。


「いらっしゃいま、せ…」

賑やかなファーストフードの店内、スマイル無料サービスで来客に向き直った女性店員が零れんばかりに目を見開いた。

「超イケてんだろ?スマホの新機種だぜ!YouTubeもツイッターも鯨知らずでさー、」
「んなモンばっか買い替えてどうす…って、何だぁ、あの二人組…」
「やだー…、何あれバリカッケー二人っ!」
「おい。いやまぁ確かに…けど、何か傷だらけじゃね?」
「そこがまた良いんだって、馬鹿ぁ」

朝のメニューから、レギュラーメニューへ変わり賑わいが増した店内の落ち着かない雰囲気が、一気に霧散する。
但しそれは、真面目に働く彼女の笑顔が固まった事が原因でも、若い客が新機種の携帯電話を自慢げに友人へ見せびらかしていたからでも、若いカップルの仲にヒビが入ったからでもない。

「うっぜ、あー、うっぜ。これだから年寄りはヒステリックで困らぁ」
「どっかの野良が吠えてやがる。これだから育ちの悪ぃ血統無しは…」
「近寄んな、淫乱が移る」
「うぜぇ、喋んなクソ犬」

滅多に見られないイケメン長身が二人、長い足を持て余しながら、随分ズタボロな姿で入って来る。正に、たった今まで『リアルバトロワ』に参戦していたかの様だ。

「恥ずかしい奴だな、見ろ。皆がテメーを汚物見る目で見てんぜ。よっ、歩く猥褻物。喘げド淫乱」
「本気で一辺犯すぞテメェ、蜘蛛の巣みてぇな髪どうにかしてからほざけ」
「カリカリしやがって、カルシウム不足がちですか魚食野郎。悔しけりゃサザエさん宅のお魚咥えて走ってみやがれ」
「はっ、1+2+3+4+5+6+7+8+9の計算も出来やしねぇ癖にほざくな後輩、DHA採って足りないCPU補え」

片や面倒臭げに鼻に皺を寄せ、片や苛立たしげに舌打ちを発てていた。然しながら片や乱れた長い赤毛、片や頬に引っ掻いた様な跡がある。

「ご、ご注文は…?」
「照り焼きバーガー、」
「フィレオフィッシュ、」
「チキンナゲットとアイスコーヒー、ケチャップ」
「チキンナゲットとアイスティー、マスタード」
「か、畏まりました」
「無理すんなや高坂センパイ、ハッピーセットが良ければ奢ってやっからよぉ」
「気ぃ遣うなや嵯峨崎、精神年齢3歳以下のお前こそハッピーセットが良いんだろう?素直に言えよ」

笑顔で見つめ合う二人に、見惚れている周囲はその目から放たれるレーザー光線にも、弾ける火花にも気付かない。スマイル無料サービス終了を余儀なくされた若い店員だけが、間近で目撃した哀れな被害者だ。

「何もじもじしてんだ、テメェ」

周囲の視線を浴びながら、小さく待ち合い席に座った佑壱が身動ぐ。どの面下げて上がり症と言えるのかは本人のみぞ知る所だろうが、もじょもじょ縮こまる佑壱の耳が赤い理由は一つだろう。

然しながら、佑壱には己がモテると言う自覚が足りなかった。自覚はあるものの、何せ見た目が見た目なので、遠巻きにされてもナンパされる事は余りにも少ない。
夜の街では大抵、傍に歴代彼女が控えている為、表立って近付いてくる者も居なかった。佑壱の彼女は概ね派手な美女ばかりである。

「むむ。何でンなに見られてんだ…テメー高坂っ!無駄にキラキラすんな!」
「はぁ?」

佑壱の上がり症など知った事ではない日向が眉を寄せ、ボサボサの赤毛を呆れた目で見やる。モテる事を自覚しているが、だからと言ってどうだと言う訳でもない日向は周囲の視線に無関心で、不機嫌な佑壱しか見ていない。

「んだよ、その不細工な面は」
「ちぃっとばっかしモテっからって勝った気になりやがってド淫乱がっ」
「おい?」
「コイツはあれだぞ、男でも勃起出来るマルチなホモなんだぞ。………いや、バイか?リバ?ん?何か違う…」
「何ぐずぐず抜かしてんのかは知らねぇが、その情けない頭をどうにかして来い」

カチコチ、ぎこちない動きで素直にトイレへ消えた佑壱に、首を傾げた日向が逆ナン攻撃に遭うまで後5秒。
眉無しヤンキーより、似非紳士の方がモテるらしかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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