帝王院高等学校
お酒はジジイになってから飲みましょう
『血球抗原の作用により、血漿内抗体の濃度が濃いほど成功率も高い事が判った』

何十年前の映像だろうか、と。懍とした声音で無愛想に語り掛ける白衣の男は、酷く懐かしい人物だ。

『最も主流であり、最も安易に分類した場合の血液型は4つ。D抗原の陽陰を鑑みても、人の血液型は大きく8種類に分けられる』

幼さが残る、意志の強い眼差し。

『一般的にO型と呼ばれる生命体は、成功率が高いと思われる。予測されるのはA・B両抗体による抵抗力だ。細菌影響を受け易いO型は、血球抗原を有さないとされている。極端に言うなら、混ざりけがない』

心の底まで見透かしてしまいそうだ、と。

『一時期流行した原虫性マラリア疾患で、O型の患者が多かったのは蚊の一種であるハダマラカが血液を好んだからだと想定したい。この予測から、ABO型で唯一全血液に対する抗体を有したO型の成功確率を割り出した。勿論、これは完全とは言えない』

いつかその威圧感に恐縮した幼い自分を思い出しながら、緩く首を傾げた。

『一般にRh型と言われるD抗原が陽性である場合、成功確率は極めて低い。49.7%の確率で細胞影響を受けるケースが見られた。これは当研究が、遺伝子情報操作によるものである事が起因すると推測される。
  D抗原陽陰による確率的影響の可能性が示唆された被験では、』

かちゃり、と。
何のノックもなく開いたドア、微かな足音が近付いてくる。不法侵入者に気付くのは、もうすぐだ。

「おや?誰かと思えば、師君か」

画面の中の男とはまるで似ていない、そらとぼけた柔らかな声音。振り向かずひたすら懐かしい映像と音声を目で追えば、背後から伸びてきた手がリモコンを取り上げた。

「…随分、不粋な事をするね。まだ途中だよ」
「昔は足音を聞いただけで儂の後ろに隠れておった覚えがあるんだがの?」
「何十年前の話だね、それは」
「この年になれば十年一日。つい最近じゃて」

消されたディスプレイが沈黙する。また短い足音、忽ち芳ばしい香りが漂ってきた。

「グリーンを手に入れたんじゃ。焙煎しておらん生豆の、ニュークロップ。この国ではかなり珍しいじゃろう?」
「物好きな男だね。生豆を素人が焙煎した場合、不快な刺激臭が起こり易い筈だが」
「オールドクロップなら希少過ぎて煎れる気にならんが、ビーンズなら気兼ねする必要はない」

相変わらず人の話を聞かない男だ。既に沈黙しているディスプレイから目を離し、2つのマグカップを携えている相手を向き直る。

「パーチメントのまま保管するのは、相当の気を遣うじゃろう?種子だけなら乾燥品じゃが、実のままなら生鮮食品じゃ」
「御託は不要なんだがね。私からすれば、カレントもパーストも同じただのコーヒー豆だ」
「ロマンがないのぅ。ワインは錆付くほど価値が上がるが、コーヒーは薫りがよい若いものを浅く炒り、カフェインを楽しむもんじゃよ」
「ああ、私はブランデー愛好者でね。白ワインを蒸留すれば飲むが、発酵酒は好まない」

肩を竦めた白衣の男に鼻を鳴らし、カップに口を付ける。ごちゃごちゃ解説していただけ、確かに薫りも味も知っているものとは異なっていた。素直に認めるつもりはないので黙っておくが。

「…」

沈黙。
昔は何の苦痛でもなかった無言の刹那が、年を取る度に重く圧し掛かってくる気がする。言えば誰もがただの被害妄想だと笑うに違いない。

「…陛下は?」
「ふむ、昼寝じゃないかのぅ。昔から寝顔を人に見せたがらないからのぅ」
「彼はまだ理事長室に?」
「安定剤を使ったからのぅ、今は眠っておる。陛下命令じゃ、迂闊に手を出す馬鹿は居らんじゃろ」
「…大きくなったものだ」

何年前だったろうと考えた。
仕事一筋で生きてきた男が、年老いて漸く、一生添い遂げたいと望む女性に出会う前の、気が遠くなるような昔の話。

「そうか。師君は幼きナイトを知っている」
「初めは物珍しさだと思ったんだがね。…いつもの、退屈凌ぎだと」
「よもや他人の、それもただの子供に後継の名を与えるとは考えもせんかった、と?」
「皮肉のつもりかね、シリウス」
「おぉ、その様な裏腹はございませぬよネルヴァ閣下。いや然し、この世は不思議なものじゃ。世界最強の皇帝と宰相が、揃って日本人を寵愛するとはのぅ」

クスクス、嘲笑とは違う揶揄めいた笑い声に舌打ちを噛み殺す。それこそ皮肉にしか聞こえなかったが、この男からしてみれば何の含みもないのだろう。

「レヴィ・グレアム時代から、か。男爵の血に日本人を好む遺伝通達がなされておるのかの?」
「…何を愚かな事を」
「遠縁とは言え、師君も元を正せばグレアムの分家筋じゃろ」
「何世代も昔の話だよ。年数を数えるのも馬鹿らしい」

まるで息子の巣立ちを見送る父の様に、変にこそばゆい感慨を感じているだけだ。相手にすれば、またいつものしたり顔でのらりくらり躱すのだろう。

「ナイトは美しい男じゃったからのぅ、キングが帝王院財閥の後継に目を付けても致し方あるまい。儂は人の顔の造詣に興味などないが、レヴィとキングが圧倒的なイケメンだと言う事は理解しておる」
「…何を言うかと思えば、貴方は心底呆れる男だね」
「面食いは遺伝するんじゃよ。だがのぅ、ルーク坊っちゃんには遺伝せなんだ様じゃのぅ」

ぬらりひょん、と呟き掛けて、それが日本の妖怪である事を思い出した。喉元で掻き消したのは不幸中の幸いだ。

「現マジェスティを子供扱いするのは感心しないのだよ。彼は若くして我がグレアムの総統だ」
「うーむ、どうも孫扱いしてしまう。儂より大きいのは目で見て理解しておるんじゃがのぅ…」
「老いぼれの戯れ言かね」
「時に、13回忌は来年じゃったか?」

のらりくらり、と。
判っている癖に、こうも反応出来ない。

「七回忌にはお互い顔を見合せなんだと言っておったが、十三仏信仰に反する罰当たりな父子じゃ」
「…貴方には関係ない話だろう。うちの内情に口を出さないでくれるかね」
「目を離すから、己の息子を被験体にしたんじゃろうが」

目の前が赤く染まった。
急速に全身を支配していく殺意、落ち着けと己に言い聞かせながら拳を握る。握り締めたマグカップがカタカタと、憐れな程に。

「…あの子の体に異変は見付からない。毎年の健康診断で、調査済みだ」
「だがのぅ、師君の息子はB型じゃろう?いつセカンドの様に遺伝子異常が現われるか、」
「あの子は正常だ!私の息子に、私の息子にそんな事が起こる筈がないだろう!」

デスクへ叩きつけたマグカップが砕けた。表情を変えない男の、化け物染みた若さを漂わせる頬に、褐色の飛沫が一筋降り掛かる。

「リヒトは正常だ。…下らない懸念は控えろ、シリウス枢機卿」
「儂はもう枢機卿ではないよ、ネルヴァ前宰相閣下」
「…」
「人が後悔を覚えるのは、未練がましいからじゃ。過ぎた過去が如何に幸福だったかを、脳の中で記憶しているから」

見た目だけなら昔から何一つ変わっていない。それが偽りの、作り物だと判っている癖に。

「儂の家内は子供を欲しがっていた。最期になるまで口にしなんだのは、あれのプライドだと思っとるよ。
  兄上に対する反感…早い話が酔狂で結婚した罪深い儂は、あれが息を引き取るまで『家族』の意味に気付かなかった、愚か者じゃからのぅ」
「…」
「兄上だけが、龍一郎だけが儂の家族と呼べる唯一だと思っておった。実の叔父から虐げられ殺され掛けた儂らは、互い以外の家族など必要ないと思っておったんじゃよ。とんだ思い込みじゃ」
「………」
「龍一郎には家族があった。研究漬けで、漸く枢機卿の地位まで這い上がり迎えに行った儂が見たのは。見知らぬ女に寄り添い、生まれたばかりの赤子を抱く龍一郎」
「…私、は」

薬品棚を開き、中からブランデーのボトルを取り出した男が、その棚から新しいグラスを取り出した。

「血が通った儂より、他人を選んだのだと。双子だからこその執着に近い情愛が、憎悪に変化するのは容易い」

デスクの上から滴り続ける褐色の液体にも、真っ二つに砕けたマグカップにも構わず、冷凍庫の氷をグラスに放り込んでいる。

「血が近ければ近い程に、じゃ」
「…私は、恐かったんだよ。彼女が死んだのは紛れもなく私の責任で、…それをあの子に指摘される事が恐かった」
「愛する者が命を賭して守った最愛の息子に、何を恐れる必要がある。刃を向けられ続けてきた師君が、今更」
「…年老いただけ、人は臆病になるものだよ。女は母になれば強さを増すそうだが、ね」
「幸せじゃったのだろう?」

からん。
ロックグラスで踊る大きな一粒の氷が鳴いた。赤褐色の澄んだ液体が注がれたグラスを見つめ、微かに笑う。

「異論はないらしいのぅ」
「二回り近く離れた女に逆上せていたよ。親子の様だと揶揄う者も居たが、子供が生まれた時は踊り出したいほど最高の気分だった」
「儂は経験がないからのぅ。死ぬまで同居しているだけの異性、としか家内を見ていなかったつまらない儂には、のぅ」
「貴方も、相当哀れな男だね」
「幸せ者の悩みなど他人からすれば三文芝居じゃよ。」

正論だ、と今度こそ腹を抱えて笑った。昔はこんな瞬間が毎日繰り返されていた気がする。遠くなったとばかり思っていた距離が、実は昔からまるで広がっていなかった事に、今更。

「は、はは。…一人残される辛さに、怯えていたんだよ。私は。口では否定しながら、心の何処かであの子の身を案じているからだ。貴方の言葉通りと言うしかない。己の愚かしさを悔い、過去の未練で盲目になっている」
「考えた事はないか?」
「…何を?」
「我々グレアムが数十年に渡り続けてきた計画が、既に成していたら、と」

瞬いた。
喉を通り抜けた冷たいアルコール、マグカップに二杯目コーヒーを注いだ男が布巾を手に取る。

「儂はいつからか考える様になった。龍一郎が置いていった研究を一人引き継ぎ、膨大なDNA実験に没頭し続けている内に。…ある可能性をひらめいたんじゃ」
「どう言う意味かね」
「未だ未完成であるシンフォニア計画、その実験が真の意味で完全な成功を果たしていたとしたら…じゃ」

かちゃり、かちゃり。
割れたマグカップをゴミ箱へ放り、漸くデスクを拭い始めた男の横顔を見ていた。まさかと言う疑念が、確信めいた回答を弾き出すまでに然程タイムロスはない。


「オリオンが…、冬月龍一郎がそれを果たしていたと言うのか?」
「確証は残念ながらない。ただ、兄上が医学界の重鎮であった事、成し遂げてきた様々な施術成功例、関わってきたあらゆる症例、調べ上げる内に限りなく確信に近い予測が成り立ったんじゃ」
「そんな事が現実に起こり得れば、それこそ神に等しい人間が誕生している筈だ。そんな事が有り得る訳が、」
「調べる手段はある。…儂の推測がただの世迷い言か、否か」

屈み込んだ男の旋毛。
床を拭う手の有り得ない若々しさをひたすら呆然と眺めたまま、


「もしも、だ。万一、成功していたなら、…どうなる?」
「セカンドの遺伝通達機能異常、ファーストの副作用、ルーク坊っちゃんの先天性色素欠乏による細胞劣化全てが、無かった事に出来る」
「………そんな、事が…」
「師君の息子、藤倉裕也に起こり得る、もしかしたなら既に発症しているかも知れん被害を回避する、唯一最大の手段じゃ」

力が抜けた。
魂が抜けてしまったかの様に全身から全ての力が抜けると、反して説明出来ない原因不明の気力が漲ってくる。

「確かめる手段は何だ。私に出来る範疇なのかね?私の権限で、それを証明する事は可能なのか?!」
「可能じゃ。但し、少々覚悟を固めねばなるまいよ」
「覚悟などとうに決めているわ!リヒト、我が子を、裕也を救えるなら私の命など惜しむ必要などない!」
「龍一郎の孫じゃ」

身を乗り出せば、真っ直ぐ見上げてきた男が立ち上がる。
静かな双眸が、真っ直ぐ。


「そして、…帝王院秀皇の息子でもある」
「何、だと」
「儂の孫はそれを知らずに交流している様じゃがのぅ」
「…ならば万一、」
「そうじゃ、万一。秀皇が、ルーク坊っちゃん以外に名を継承していたとしたら…どうじゃ」

暑くもないのに汗が流れた。
寒くもないのに背筋が粟立つ感覚、

「つまり現男爵はルークでなく、新たなナイトである可能性が否めまいよ」
「…そんな、筈は…」
「確かにただの想像に過ぎん。が、可能性は皆無ではない。違うか?」
「………」
「儂らはノア男爵に挑む覚悟が必要じゃ。未完成のカイルークではなく、完全体である、つまりは『神』に」
「そ…んな、馬鹿な事が、そんな、有り得る訳が…」
「ああ、想像するのも恐ろしいのぅ。儂の想像がもし現実であれば、最早それは人とは呼べんじゃろう」

頭では否定しながら、唇が吐き出すのは恐怖めいた吐息ばかり。



「帝王院俊、…名実共に『神』である可能性を秘めた化け物はのぅ」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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