帝王院高等学校
本音の叫びってやつですか?
「あれ?東雲先生、居ないんですか?」

Sクラスのバッジを胸元で煌めかせた生徒が瞬けば、職員室でコーヒーブレイクを愉しんでいた教師の一人が頷いた。

「一年Sクラス副担任の先生はお見えですか?」
「副担任は嵯峨崎先生だよ。実習生だからね、週末は大学の講義が優先されている」
「烈火の君ですか。えっと、では東雲先生は何処に?」
「東雲君は進学科一年の担当兼任だから、土日は基本的に寮長業務が主になるんだ。寮長室に居るんじゃないかな?」
「あ、そうなんですか。…困ったな」

年若い部類に入る東雲は、教職員一同の弟的位置にある。または息子、だろうか。
手放しで可愛がられるのは彼の人柄は勿論、現役時代に中央委員会長を務めていた事実が大きく由来しているに違いない。

華々しい経歴を持ちながら、自ら職員面接に応募したと言うチャレンジ精神がまた可愛いと、先輩教師達の胸をきゅんきゅんさせていた。
あの外見で彼女にすぐ振られてしまい、ぐしゅぐしゅ泣きながら自棄酒に付き合って下さいと言われたら、アフターファイブの疲れも吹き飛ぶ。教頭に至っては東雲に彼女が出来る度、早く振られろとエールを送っている程だ。振られたら振られたで、見合い写真の山を抱えて。

悪循環、全ては失恋した東雲からの誘いを待っているのだ。

そこに愛はあるのか。


「急ぎの用なら先生が話を聞こうか。何かあったのかな?」
「はい。これなんですけど…」

だからこそコーヒーから手を離し、東雲の雑務を引き受けてあげようと困り顔の生徒へ向き直る教師は、ただならぬ使命感に燃える。
自分の仕事よりも東雲村崎が優先されてこそ、高等部職員なのだ。村崎の為、と言う台詞に胸をきゅんきゅんさせている教師は、表情だけ真剣だった。

「これは…捨て置けない手紙だね」
「今朝、一年生がダストに捨てていたものなんです。課外に行く途中エントランスで見掛けたんですけど、帰りにダストの下に一枚だけ落ちてるのを見付けて…」
「ふむ。それで宛名は、………これは、大変だ」

真っ赤な封筒、宛名には遠野俊と書かれてある。一気に表情を改めた教師の前で、青冷めた生徒が拳を握り締めた。

「ぼ、僕、光王子閣下をお慕いしていて…先日、仲間内で…とてもお話し出来ない様な事を、言ってて…」
「つまり君は高坂中央副の親衛隊に所属しているんだね?話せないと言う事は、…君達が度々起こしている不祥事の件だと」
「…っ」

制裁、と言う言葉を使い、親衛隊を名乗る生徒らが他の生徒に暴力を奮っているのは暗黙の了解だ。
然しながら、各学部共に生徒自治会が置かれてあり、彼らの業務に教師が仲介する事はまずない。生徒が被害を訴えれば、風紀委員会が介入する為に教師は蚊帳の外だ。

だからと言って自治会役員ぐるみで不正を働けば、全自治会のトップに当たる中央委員会により処罰される。その中央委員会さえも不正を働いた時の為に、最後の手段として非公開の左席委員が存在するのだ。


「僕、怖くなって中を…」
「ああ、確かに封が開いてる」

震える生徒の台詞に頷き、息を呑みながら中の便箋を開く。真っ赤な封筒と同じ、真っ赤な便箋には短い単語が幾つか。



堕天
あと13日




「何だ、これは。カウントダウンに見えない事もないが…」
「判りません。で、でも、13日後と言ったら、西園寺高校と合同の新歓祭がありますよね…?」
「ああ、確かに再来週の土日だ。敷地の広さも生徒数も違うから、西園寺高校の生徒達が学園にやってくる手筈になってる」
「もし、その騒ぎに紛れて制裁するつもりだったら…っ」

有り得ない話ではないと口を噤む。迂闊に事を荒立てれば、親衛隊である目の前の生徒も処分対象になるかも知れない。
いや、密告した裏切り者として、仲間から何をされるか。そちらの方が問題だ。

「どうしたら良いんでしょうか…?僕、山田君にも天の君にも助けて貰ったんです…!二人にもし何かあれば、僕は…っ」
「話は聞いているが、なら君は…」
「僕、僕、中等部の時に…カ、………カンニングした事があっ、て」
「…そうか」
「同級生にそれを見られてたんです…うっ」

涙ぐむ生徒を促し、聞き耳を発てていたらしい他の教師達に目で合図して、顎をしゃくる教頭に一礼し教頭室へ入る。此処なら少しは話し易くなるだろう。

「ゆっくりで良いから話してみなさい。大丈夫、先生は正しい者の味方だ」
「…降格したくなくて、一度だけ、本当に一度だけ、カンニングしました。ご、ごめんなさいっ、ごめんなさい…っ」
「うん、悪い事だと判ってたんだね。反省したなら、繰り返さなければ良いんだ」

この生徒へは然るべき処分が為されるだろう。カンニング監視は教師の責任であり、見抜けなかった教師にも非があるのだ。

「それから僕、ずっと、脅されてました…。最初はお金だけで、…性的な事も…っ」
「…相手は?」
「去年退学になった人です…。紅蓮の君…嵯峨崎君達と喧嘩になって、………僕以外の子を、強姦してたみたいでした」
「成程。去年と言えば、嵯峨崎帝君と神崎帝君が西棟で暴れ回った件か…」
「でも、首謀者が居なくなると、彼の仲間だった人達から脅される様になりました。もう、生きてるのが辛くて、僕…」

携帯を出した生徒が深く深く頭を下げる。恐らく虐めの証拠になるものが入っているのだろう。カタカタ震えながら、たった一通の手紙を此処まで運んでくるのにどれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。

「…最近は、ずっとFクラスの人達の慰み物でした。一回幾らで、僕みたいな弱味を握られてる子達に、デリヘル紛いな事をさせていたんです」
「なんて馬鹿な事を!恥はないのか、恥は…!………いや、済まない。被害者の君に言った訳じゃないんだ…」
「今になれば、何でもっと嫌がらなかったのかって思います」

抵抗すればそれなりの制裁があり、風紀に訴えた所でカンニングが公になるだけだ。選定考査は不正発覚時の確認も兼ねて、防犯カメラの映像が残される。実際は教師により監視されている為、目で見た現行犯でない限りカメラ映像を掘り出す者は居ない。
だが然し、何年前のカンニングだろうと調べれば判る事だ。

「たった一度でもカンニングはカンニングで、間違ってるのは僕の方だからって。今でもそう思いますけど、…この間の夜、助けて貰ったんです」
「現場を、か?山田左席副と、遠野帝君だね?」
「はい。初めて、初めてだったんです。Fクラス相手に助けてくれる人なんか、居ないと思ってたから、僕…!」

胸元から取り出したのは小さく折り畳んだハンカチ、開いた中にはキャンディーが包まれている。小さな一粒のキャンディーを、涙に濡れた目元で愛しげに。

「抱き締めて貰ったのも、こんな汚い体なのに、守って貰ったのも!は、はじ、初めてだったから!友達でも、仲間でも!親衛隊には、あ、あそこには守ってくれる子なんか、居なかったから…ぁ!」
「落ち着いて、大丈夫だよ、もう、大丈夫だからね…」
「遠野君は!天の君は中央委員会の方々よりもっ、白百合閣下にも助けて貰えなかった僕を見付けてくれたんです!」

誇らしい気持ちになった。
涙で訴える生徒の身に起きた惨事を思えば実に不謹慎だが、それでも。外部生でありながら、学園を陰ながら守ろうとする勇気を持った生徒に、それが左席委員である事に。

「山田君は僕の体が初めてじゃない事に気付いたみたいでした…!風紀室で、カンニングが公になるのが怖くて何も言えなかった僕に気付いていたみたいでした!呆れた風紀の方々が見放しても、天の君はこれを、これをくれて、いつでも部屋に来て下さいって…っ」

誇らしい気持ちになる。
何処の誰にでも胸を張って自慢出来るたろう、うちの学園には素晴らしい生徒が居るんだと。
こんなに素晴らしい、勇気に溢れた生徒が居るんだと。

飴玉一つで人を改心させる生徒が居るんだと、大声で。


「だから今日っ、僕を脅していた子達が山田君と白百合閣下に連れていかれてる所を見て、僕はっ、今まで我が身だけが可愛かった自分が、は、恥ずかしくて…死にたい…!」

立ち上がり、うわぁっと噎び泣く生徒の肩を叩く。益々泣きじゃくる生徒を横目に、戸口で聞き耳を発てていた教頭以下同僚達に呆れながらも親指を立てた。
どんなに賢い生徒だろうが中央委員会だろうが、結局は二十歳前の未成年だ。人生経験では、教師達の方が遥かに先輩である。うんうん頷いている教師達が散り散りバラバラに何処かへ消えたが、彼らなりに何らかの対処をするつもりだろう。

何せ、彼らもきっと、誇らしい気持ちになっただろうから。


「君は二年生だね?Sクラスには東條を含め、先生と仲が良い自治会役員の生徒が居るから、心配しなくて大丈夫だよ」
「うっうっ、う、うわぁぁぁっ」

短いノックと共に、見慣れた生徒がドアを開いた。ナイスタイミングだと瞬いた教師を余所に、教師の胸元で泣き続ける生徒は気付いていない。

「あれ?書類提出に来たら呼ばれたんですけど何ですかこの状況、年下甘え攻めを包容力抜群に男らしく受けるおつもりですかGJ、実にけしからんもっとやれ」
「すまん、先生ちょっと東雲先生探しに行ってくるから任せても良いか?」
「判りました、泣きじゃくる攻めを突き放しながらも最後にはほだされてしまうシチュですね。判ってましたよ」

こんな生徒ばかり見ていると、黒縁眼鏡ももっさい髪型も勇者に見えてくるものだ。

「何度も言うけど、先生には女房子供が居るんだ」
「そんなもの僕の妄想力の前では余りにも無力ですよ、先生」

と、去年一年Sクラスの担任だった教師は晴れやかな笑顔を浮かべ、妄想力とは何だと首を傾げた。










『雨だ』

その日、何の前触れもなく雨が降り始めた。いつもなら立ち寄らない少女趣味に飾り立てられた本屋の前。
雨に打たれよたよた歩く犬に手を差し伸べて、煤けた首輪の存在に気付き笑いながら手を振った。

『真っ直ぐ帰れよ』

差し出した右手は数分前まで誰かを傷付けていたもの。
目を細め灰色の空を見上げただけで、黄色い傘を揺らし楽しげに笑っていた子供達が泣き始めた。

『…ごめんね』

どうした事でもない。
日常茶飯事として繰り返されてきた事だ。人目に付く所で眼鏡を掛けていなかった自分が悪い。今更、自分の容姿がどうだと自分評論するつもりもなかった。


にわか雨が勢いを増す。
不良、と銘打たれる生き物から誰もが逃げていく。近付いてくるのは挑戦者と言う名の敵ばかり。
銀のウィッグ、サングラスで姿を偽れば、最早昔の様に人を殴る行為に躊躇う事もなかった。

誰か一人くらい全幅の信頼を寄せられる相手が欲しかった。
誰か一人くらい本音で付き合える相手が欲しかった。


『腹、減ったなァ』

悲鳴を上げるのだ。
皮膚の下で。積み重ねた嘘の重みに耐えられる訳がない。積み重ねた時間の数だけ大切なものが増えて、罪悪感の重みが増していく。

『なんか、寒い…』

誰かに祝って貰いたかったのかも知れない。15本立てた蝋燭を吹き消し、たわいもない事で笑いながら、安いケーキと炭酸ジュースを味方に。

望んでいたのはそんな事。

光輝くブロンドを靡かせ猫の様に笑う屈託のない子供になら、話せたのかも知れないけれど。所詮、あの子は余所様のものだから。

最後に会ったのはいつだっただろう、最後にあの旋毛を見たのはいつだっただろう、なんて。
今頃、あの何も彼もに恵まれた男と笑っているのだろうか、なんて。


つまらない事を考えた。



『…何をしてるんだ』

雨に打たれながら、いつの間にか灰色の空ではなく黒ずんだコンクリートを見つめていたらしい両目を上げる。

『供も無く1人で』

心底羨ましい相手とこんな日に限って出喰わすなんて、笑えもしないじゃないか。

『隠れんぼしてる様にでも見えんのか?』
『…珍しいな』
『んだと?』

胸に刺さる刺、千本。

『いや、…初めてか』
『ぶつぶつ独り言かよ』

ああ、細胞が唸る。
羨望に目が眩んで、



『頭大丈夫かィ、神様よォ?』
『サングラスは、どうした?』


初めて、正当防衛ではない暴力を奮った誕生日。

←いやん(*)(#)ばかん→
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