帝王院高等学校
姉に勝てないのは弟の悲しい運命です
「お帰り桜ちゃん、疲れたでしょう?いまお茶を淹れるわね」
「ただぃまぁ、ぉ母さん」

檜造りの戸を抜けて、ボストンバックを下ろす。土産代わりにラウンジゲート脇の購買で買ってきたお取り寄せスイーツを手渡せば、にこりと笑みを深めた着物姿の母親の背後から見慣れた顔が覗いた。

「お帰り桜!…あれ?清志郎は一緒じゃないの?」
「わぁ、本当に桜だー。久し振り、ちょっと痩せたんじゃない?」
「あら、やだお姉ちゃん達。桜ちゃんは年頃の殿方なんですからね」

長女、次女が半裸に近い姿で玄関に並ぶ。困った表情の母親が嗜めたが、OLの長女も来年嫁ぐ予定の次女も、はいはいと気のない返事を返しただけだ。

「セイちゃんは自治会役員だから、そんな頻繁に来れなぃって言ったでしょ、桜子ぉ姉ちゃん」
「あーあ、昔は毎日一緒だったのにさ。ここんとこ、めっきり音沙汰無しじゃん。可愛くないの」
「おー、ご当地スイーツで二位だった奴じゃん。桜っ、一緒に食べよ!」
「わ〜、引っ張らなぃでぇ、美桜ぉ姉ちゃん〜」

女ばかりの仲に男一人、職人気質の父親は日中の殆どを作業場で過ごしている為、隣接しているとは言え居住区には余り姿を現さない。
ともなれば土曜日にも関わらず予定がないらしい日勤の長女も、年明けに控えている挙式準備に追われている筈の次女も、一人息子である弟ととの久々の逢瀬に興奮している様だ。

「清志郎と言えば。清志郎の家さ、最近誰も見掛けないよね」
「前まで清志郎そっくりな銀髪のお母さんが居たと思うんだけど。何年くらい会ってないっけ?」
「桜が帝王院に入る前までは、居たよねぇ?」
「う〜ん、どうだったかなー。私まだ小学生だったもんなぁ」

かしましい二人を横目に、数年前亡くなった祖母の仏前へ土産の一つを備える。関東では余り一般的ではない金仏壇は、浄土真宗である安部河に嫁いできた祖母が広島出身だった為、祖父が用意したものだ。

「マメだねぇ。お祖母ちゃんは桜を可愛がってたから、喜んでるよ」
「お祖父ちゃんなんか、今でも位牌見たら目ぇ潤ませちゃってさ。仕事一筋で家庭を顧みらなかった癖に、死んでから後悔しても遅いっつーの」
「美桜ぉ姉ちゃん、それはちょっと言ぃ過ぎだょ」

灯した線香を立てて、鈴を二回打つ。チンチン軽やかな音色の余韻を聞きながら手を合わせ、大好きだった祖母へ帰宅の挨拶を済ませた。

「そぅだ、ぉ祖父ちゃんは?」
「近所の商工会仲間とグランドゴルフ。ほら、二丁目に福祉施設あるでしょ?」
「あそこジムとお風呂もあるからさ、デイサービスのお年寄りとご飯食べたりして帰ってくるんじゃない?」
「はいはい、お茶が入りましたよ」

いつでもにこやかな優しい母が、盆に湯飲みと茶菓子を乗せて襖を開けた。

「あれ?母さん店に戻ったの?」
「父さんの湯葉八つ橋じゃん。なんで?」
「お父さんが持って来て下さったのよ。桜ちゃんが帰って来るって、伝えておいたから」

旅館の娘だからか、日常的な仕草から女らしい母は近所でも有名な『女性の品格』である。こうなりたい、と母に憧れる女の子が多いのはかなり自慢だ。

「狡い!頼んでも無視する癖に、クソジジイめ」
「これ、桜子ちゃん。お父さんになんて口の聞き方をするの」
「私の結婚式には作ってくれるかなぁ、お父さん。ママからも頼んどいてよ、キンツバと水羊羹」
「あら、でも美桜ちゃん。結婚式は神前じゃなくて教会でしょう?ウェディングケーキの方が相応しいわよ」

顔は似ていても到底母には届かない姉達は、滅多に食べられない店の商品に目を輝かせている。

「ま、桜が作ってくれるならそっちのが嬉しいんだけど!ダーリンも桜のお菓子ファンだし」
「僕なんか、ぉ父さんには適わなぃよぅ」

地方からの予約もあるが生菓子なので全てキャンセルしている安部河は、開店前から行列が出来る和菓子屋としてたびたびテレビに出演していた。
実の娘でも中々食べられない味に、帝王院卒業後は実家の手伝いとして修行予定の桜も苦笑を一つ。

「いやねぇ、お父さんは桜ちゃんが立派な和菓子職人になるって町内会の人達にいつも自慢なさってるのよ?」
「ぁはは、本当に?ねぇ、ぉ母さん。僕、さっきまでぉ友達と一緒だったんだぁ」
「あら、まぁ。連れてきたら良かったのに。清志郎君とは別のお友達かしら?」
「そぅだよ。遠野俊君と、山田太陽君と…他にも居たんだけど、明日遊ぶ約束したんだぁ」

和菓子と土産のスイーツに舌鼓を打ち鳴らしている姉を眺めながら、ふんわり笑みを刻んだ桜が湯飲みを啜る。同じ柔らかな笑みを刻む母は静かに頷き、

「だったらうちに招待なさい。明日は日曜日だから、お店も午後からだもの。お父さん、桜ちゃんのお友達に会えたらきっと喜ぶわよ」
「ぇへへ。ぁのね、太陽君はルームメートで、俊君は帝君なんだょ!一番頭が良ぃのっ」
「え!帝王院の帝君っつったら、女子高生の合コン希望相手ランキング上位じゃないよ!」
「だって帝王院の主席でしょ?!偏差値90越えてんじゃないの?!」
「まぁ、遠野さんは優秀なお方なのね。山田さんとは仲良くやってるの?」
「ぅん。太陽君のぉうちはワラショク経営してるんだって。優しくて、格好良ぃんだよぉ」
「ワラショクって事は笑食?!スーパーの癖にデパート並みの規模でホームセンター業界食い散らかしたあのワラショク?!」
「うっそー、写メないの?!」

ミーハー過ぎる姉達が話に割り込み、溜息を吐いた桜が携帯を開いた。データフォルダから呼び起こした左席集合写真を座卓に置けば、菓子で口元を汚した二人がそれに食い付く。

「どれが帝君でどれがワラショク?!やっばい、どっち選んでも将来安泰!」
「この赤い髪の子、超イケメンじゃない?!やだ、体付き超好みぃ」
「やめなさいな二人共。美桜ちゃんには旦那様が居るでしょう、みっともない」
「だってー、見てよママ。こっちのチャラそうな金髪の子も背ぇ高いし超格好良い!…なんかどっかで見た事ある様な?」

写真中央のオタクにも、桜の隣の太陽にも全く関心がない姉達は、佑壱と隼人に目がハートだ。

「私はこの面倒臭そうな顔してる子の方が良いかも…。くっそー、あと十歳若かったらなー!」
「だって髪の色凄いよ、超緑だもん。それだったらこっちの青っぽい子の方がマシ!」
「お母さんは、こちらの殿方の方が…」

遂には母までミーハー談義に加わる。父も祖父もどちらかと言えば寡黙の部類に入るので、安部河の女パワーに適う男は居ない。寧ろこのかしましさが、男の口を塞いでいるのだろうか。


「…後で父さんの所に行ってみよっと」

暫く返して貰えそうにない携帯を一瞥し深い溜息一つ、残りの姉達が帰って来る前に逃げようと自室へ足を伸ばした。















「これより定例集会を行う」

静寂した図書室の隣、まばらに読書を勤しむ生徒達には立ち入る権利がない司書室内には、委員会役員が揃っている。

「清廉の君、まだ一年Sクラスの役員が到着していませんが…」
「…神崎隼人と安部河桜か。構わない、あの二人は外泊届けが受理されている。このまま進めよう」
「然しこの両名は一度も出席していません。左席委員が免罪符になると言うなら、東條委員長こそ!」

憤る生徒に、何事かと騒めきだった室内。左席委員ではあるが幹部役員とは言い難い隼人と桜は、連日の欠席から委員会の中でも問題視されていた。今日まで不満の声が上がらなかったのは奇跡だろう。

「静かに。此処が騒ぐに適した場所ではない事を理解してくれ」

微かに目を細めた男は片手を上げ、皆に静粛を促した。口を噤みながらも納得がいっていない生徒が着席し、口々に隼人と桜への不満を漏らしていた他の役員も背を正す。

「会議の前に、一つ報告したい事がある。昨日付けで、俺は自治副会長へ就任した」

騒めいた室内。
咳払い一つで静まったものの、おめでとうございますと言う祝福の言葉が合唱した。

「実質の業務に変わりはないが、名目上、副会長兼任で委員長を引き続ける事になる。中央委員会召集が第一優先になる為、皆もそれを覚悟して欲しい。良いか、副委員長」
「はい、東條委員長がお困りにならないよう、我々一同、委員長欠席の場であろうと職務全うを心掛けて参ります」
「宜しく頼む」

頭を下げた東條へ拍手が贈られ、先程までの剣呑な雰囲気が霧散した。然し、このまま話を逸らし続ける事は出来ないだろう。
いずれ揉めるなら早い方が良い。

「だが、俺が欠けるとなると益々欠席した二名の召集は難しくなる。左席委員会の業務が中央委員会に並ぶものである事は皆も理解していると思うが、」
「左席委員会の業務など何があると仰いますか!」

今度は違う生徒が立ち上がる。
不満を顔一杯に滲ませ、憎悪に近い嫌悪を隠しもしない。周囲も一気に殺気だった。

「中央委員会は下院を纏める全学部のトップであります!ですが左席委員会は、朝から意味不明な電信を撒き散らし、私用で学園放送を用いています!」
「そうです!一年Sクラスを従属化し、生徒らを奴隷の様に扱っていると聞きます!」
「このまま見過ごすおつもりですか、清廉の君っ」

次々に立ち上がる生徒らに、それまで黙っていた副委員長も困り顔だ。

「奴隷の様にとはどう言う意味だ?そんな問題が起きているなら、風紀に何らかの通報があって可笑しくはない筈だ」
「相手は一年帝君の左席会長猊下ですよ!例え暴行されていても、口外するとは思えません」
「天の君が始終、紅蓮の君と顔を合わせているのは公然の事実。紅蓮の君は中央書記閣下ですよ。このままでは、いつか左席の餌食になっておしまいに!」
「副会長を自称している一年Sクラスの生徒は、降格圏内だと言います。そんな人間が中央委員会三役に並ぶなど、オレは我慢出来ませんっ」

そうだそうだ、と不満を吐き出す皆に眉間を押さえ、狼狽える副委員長を横目に手を叩いた。このままではまともな会議は愚か、迂闊に欠席する事も出来ない。

「小学生ではないんだ。発言するなら挙手を、個人的な感情ではなく客観的に見た納得に値する意見を述べてくれ」

ただでさえ西指宿は自治会の業務を一切しないのに、副会長の肩書きだけで中央委員会の奴隷だ。今までは逃げられた面倒臭い会議へ、これからしょっちゅうお呼びが掛かる。

「神崎隼人、安部河桜が職務怠慢であるのは俺も理解している。再三の呼び出しに応じない両名へは、最終警告に踏み切る事を約束しよう。これで何か反論があるか?」
「…我々は納得していません。星河の君はともかく、高々補佐でも左席委員として大きい顔をしている安部河桜は、Sクラスの中でも平均以下」
「21番の山田太陽に続き、彼は18番です。充分たる降格圏内でありながら、何故あんな奴らが!」
「役員任命は会長権限だ。中央三役を神帝陛下が任命なされた様に、左席役員を任命したのは帝君である天の君に他ならない」

悔しげに口を噤んだ生徒達は、然しすぐに憎々しげな表情へ嘲笑を滲ませる。


「遠野俊には、不正入試の疑いがあるのをご存じですか」
「帝君を呼び捨てにするのは感心しない。発言を訂正しろ」
「あの男はただの凡人!不正でなければ、満点合格など有り得ないんですよ!」

帝君を呼び捨てにするな、と言う警告に首を振った生徒が続けた言葉で、騒めいた室内が沈黙する。

「ど、どうしましょう東條委員長…。このままでは会議が…」

弱り果てた副委員長がキョロキョロ辺りを見やって情けなく顔を歪めたが、

「清廉の君はご存じないのでしょう?遠野俊は、入学以来全ての授業で0点を叩き出しているそうですよ。教諭にも確認を取りましたので、嘘なんかじゃありません」
「そんな馬鹿な事が…」
「すぐに判ります。選定考査を待たず、一斉考査であの外部生は進学科から除籍される。入試での不正が明らかになるのはそう遠くない。そうなれば、」

ぽつり、と。
窓を一粒の雨が弾いた様な気がした。



「左席委員全てを退学処分にする事が出来るんじゃないですか?」

確かめる余裕など、無い。

←いやん(*)(#)ばかん→
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