帝王院高等学校
糠漬けはデンジャラスなカホリ
「あー美味しかった」

仕事に戻ると言って去っていった女性らに手を振り、ランチタイムの賑わいが弱まったカフェの店内は長閑だ。

「ちぃちゃん…」
「兄さん。コーヒーも美味しいんだね、ここ。なんか純喫茶って感じ」
「そら、どーも」

茫然自失の兄を余所に、可愛らしい笑顔でコーヒーを啜った少年へ苦笑を滲ませたマスターが肩を竦めた。たった今まで、ホスト真っ青な手際の良さで女性客を虜にしていた少年に関心半分、呆れ半分と言った様子である。

「さてと、じゃあそろそろ行こうかな。兄さんにも会えたしね」
「もう行くのか?」
「だって、イベント目的なんだもん。頼んでおいたアレ、有難う。夜はうちで食べるって母さんに言っといて」
「千景、せめてもう少し、」
「じゃあマスター、ご馳走様でした。また来ます」

足元の紙袋をひょいっと持ち上げ、にこりと笑みを刻んだ少年はマスターへ一礼するなり背を向けた。名残惜しげな兄が引き留めても振り返らない。

「何っつーか、マイペースな弟だな」
「…親父似で小悪魔なんだ。お袋も俺もメロメロだよ畜生!」
「マゾでブラコンの二重苦か。乙」
「親友を慰めようとする優しさはねぇのか」
「さっき言ってたイベントって何だ?」
「レイヤーが集まるんだと。オンリーって言う、同人誌即売会だ」
「ああ、コミケか。オンリーっつったら、ジャンル別の奴だろ」

何でそんなに詳しいんだ、と異物を見る目を向けた。クールな男と言えば表情一つ変えず、

「ファーザーが失踪する前に話してた事がある。同人誌が何なのかはイマイチ謎だが」
「ヲタ化した榊なんか見たくない…」
「5月の連休はコミケ三昧だ。良く判らんが、執事の格好で女性向けの漫画を売るらしい」
「榊が売り娘?!あの榊が?!執事の格好でって、この榊が?!」
「…何か文句あんのか?あ?」

睨まれて沈黙した。
元ホストは伊達ではなく、高校こそ進学校に進んだものの密かな反抗期を送っていたこの男は、近隣でも有名な一匹狼だったのだ。
修羅場を潜って来ただけあって、去年から忙しい医学部に通いながらも毎日カフェを切り盛りしている。頼まれても喧嘩したくない、豪傑だ。

「凄ぇ量だな。おにぎり、サンドイッチ、タコスに…肉じゃが?」
「つまみ食いしたら殺す」
「あーあ、…千景にすんこが来るって言うの忘れてた」

二時に向かおうとしている時計、バイトがオープンからクローズに変えたドア札を一瞥し、掛けていた伊達眼鏡を外す榊へ向き直る。

「カルマファンなんだよ、うちの弟。それも筋金入りの総長ファン。一時期は追っかけしそうな勢いでさ、」
「お前、アレが中坊だって知ってた癖に黙ってたのかよ」

微かに睨まれ、おにぎりを握り続けている榊に肩を竦めて見せた。この腐れ縁の悪友に俊が知り合いだとバレたのは、ほんの最近の話だ。

「此処にもちょいちょい顔見せてた癖に、他人の振りしやがって。テメェはオーナーの知り合いだとばっか思ってた」
「ふ、俺のコーディネート処女作にして最高傑作さ。クソ生意気な赤毛に奪われた『過去の汚点』を濯ぎたかったかんな」

仕入れを任せたバイトが外へ出ていき、余り物の材料で拵えたサンドイッチで小腹を満たしながら鼻で笑った。

数年前まで8区を仕切っていた不良が、当時13歳の子供に負けたのはちょっとした事件だ。その敗者が自分で、勝者はこのカフェのオーナーである。
当時つるんでいた仲間の幾らかは、カルマと名付けられたチームの初代メンバーになった。高校卒業と同時に引退した者も居る様だが、カフェにはちょくちょく顔を出している。

佑壱に負けた武蔵野はカルマにこそ入らなかったものの、昔の仲間とも佑壱とも仲は良好だ。


「お陰様でお前は長い反抗期を卒業、専門学生になった。感謝こそすれ、恨む義理はねぇな」
「まさかその半年後にケルベロスが負けるたぁな。然も、12歳の餓鬼相手に、だ。可笑しくて涙が出たぜ、隣の家の息子が相手っつーんだからよ」
「8区は狭い、ってか。…色々あったな」
「ジジ臭ぇ。糠漬けなんか漬けてるだけあるなぁ」

榊の台詞に小さく笑う。
俊が姿を消し、必死で捜し回っていた佑壱が最後に頼ったのは、時々顔を見せるだけの武蔵野だ。佑壱が頼ったと言うより、俊が見付からない焦りで自暴自棄になっていた姿を見兼ねた為である。

『なに腐ってんだ、カルマの副ともあろうクソ餓鬼が』
『…煩ぇ、失せろ』

殴りあった。
明らかに佑壱の八つ当たり、勝つ見込みはゼロに等しかっただろう。見ていたカルマ達が青冷めるくらい殴られて、殴り疲れた佑壱が舌打ちするまで、殴られて。
今にも倒れてしまいそうな武蔵野の力ない拳が佑壱の頬に当たった。

『…俊の居場所が知りたいんだろ?だったら、教えてやろうか』

力ないパンチだった筈だ。
何でお前が知っているんだと言う眼差しに、耳元で囁いたのは「幼馴染みだから」の一言。

力ないパンチだった筈だ。
崩れ落ちた佑壱が呆然と見上げてきて、縋る様に頭を下げてきた。

お願いします、と。
教えて下さい、と。
助けて下さい、と。
あのプライドの塊の様な赤い髪の、旋毛を見たのはあれが最初で最後に違いない。


「嵯峨崎に勝てんのは、後にも先にも俊だけだよな…。はは、喧嘩のやり方もウィッグの着け方も、俺が教えてやったのになぁ」
「どっちが年寄り臭いんだか。最高傑作が、今や最強傑作だ。素直に喜べよ」
「昔は、見た目ばっか大人びた、大人しい奴だったのに。目付き悪いからなぁ、しょっちゅう絡まれて傷だらけだった癖に…」

懐かしむ様に思い出しながら、サンドイッチを平らげてエプロンを放り投げる。

「朝仕込んだ茄子の糠漬け、そろそろ漬かってんじゃね?」
「まだだな。暑くなったら早いが、梅雨明けまではな」
「帝王院に行くって聞いた時は笑っちまったがな。殴られたら殴り返せとは言ったけど、殴られる前に投げ飛ばす様になっちまった。すんこはアレで中々性格が悪い」
「みんな知ってるよ。だからこそ、あの人が笑ってるだけで俺らは満足なんだ」

カウンターの上に並べられていく料理の数々。何百人分なんだと他人事の様に眺めながら、埃避けのカバーを掛けてやる。

「どっちがマゾだよ。テメーはどっちかっつーとサドだと思ってたぜ、俺ぁ」
「マゾじゃなきゃ従わねぇだろ。ファーザーはマゾの皮を被ってるだけだ。そこらのサドなんざ適うもんか」
「盲目過ぎだよな、カルマって。仲間意識より従属意識のが強過ぎる」
「そう仕向けた飼い主から飼い馴らされた」

笑う声音の隠し切れない喜びを感じ、デザイナー志望は眉間を押さえた。腐れ縁だからこそ昔の榊を知っている彼は、


「お前の親、遠野総合病院の外科部長だったな」
「…だから『わざわざ』グレて、ホストなんかやったんだろ?」

艶やかに微笑んだ男の唇を見つめ、鳥肌を発てた。どちらが性格が悪いのか、答えはない。








「ちょ、押すなって!」
「ぷにょ」
「あっちの席、空いてんじゃね?」

制服姿の乗客、スーツ姿のサラリーマンにOL風のタイトスカート。

「あは。いまお尻触ったの、だれー?」
「むにょ」
「悪ぃ、殿の足踏んじまった」
「おっと。お怪我はありませんか?」
「は、はいっ」

長閑な土曜日ながら、午前中の授業を終えた中学生や、部活帰りらしいサブバックを抱えた高校生に紛れた働く大人が見える。
寿司詰め状態のバスを奥へ奥へ進む太陽、奥の席を発見したらしい健吾に、興奮極まった様な表情の女子中学生から無言で写メを奪われている隼人が続いた。

「素敵…」
「超イケメンなんですけど…っ」

急ブレーキでよろめいた女性客を片腕で支えてやった要に、周囲の女子が頬を赤らめている。ひそひそ押し殺した囁きに気付いているのか居ないのか、最後尾の席に押し流された太陽は、

「何だテメェ」
「なに見てんだよ」

座席で弁当を広げている学ラン姿の少年と、バスの中にも関わらず煙草を吹かしている少年を見た。明らかに友好的ではない眼差しからギッと睨まれ反射的に後退り、背後の誰かにぶつかる。

「サブボス、なにやってんのー?」
「あ、や、席空いてないみたいで…」
「えー?空いてるじゃん、そこー」

ぎゅうぎゅうに押し潰されている俊を胸元で抱き締めている隼人が笑い、太陽の肩をポンッと押した。よろめいた太陽が、他の乗客から遠巻きにされている学ランの少年達の上に倒れ込んだのは、つまり隼人の所為である。

「おわ」
「さっさと座ってよねえ、つっかえてんだからさー」
「何やらかしてんだテメェ!」
「殺すぞ金パがっ!」

小さい太陽よりも、長身で目立つ隼人にいきりたった少年達が噛み付いた。目深に被ったパーカーのフード、身長さがあるからこそ女性達にはその素顔が見えるのだろう。

「はい、ボスもおいでー。隼人君のお膝の上でもよいよー。ムフン!」
「ぷにょん」
「殿が可哀想だろうが、気を付けろハヤト」
「てめぇ!」

がっ、と隼人の胸ぐらを掴んだ不良少年の所為で吹き飛ばされたオタクを、ガシッとキャッチしたのは裕也である。


「はふ、うっ、おぇ」

げー。
オタクが催した吐き気で、裕也の胸元が異臭に包まれる。健吾と隼人が笑顔で学ラン少年の顔を鷲掴み、今にも大乱闘を起こしそうだった雰囲気が掻き消えたのは幸いだ。

「ちょ、俊っ?!」
「うぉ、カナメっ、ティッシュかハンカチ!Σ( ̄□ ̄;)」
「殿を奥に寝かすぜ」

ズササっと居なくなった周囲を余所に、不良二匹を笑顔で追い払った二葉がバスの窓を開ける。

「車酔いでしょうか?ハイヤーではお元気そうでしたが」

どうやら二葉の笑みだけで敗北を悟った不良達もそれを手伝い、運転手に安全運転を訴えていた。頬を染めながら二葉を見つめている所を見ると、美貌に見惚れているのかも知れない。

「とりあえず、掃除しとくぜ」

シャツを汚してしまった裕也がそれを脱ぎ、下に着ていたらしいタンクトップ姿のまま汚れた床を拭く。雑巾と化したシャツを無造作にぽいっと放っていたが、不良達はそのTシャツのロゴを見つめ青冷めた。

「あれ、カルマのTシャツだ…」
「マジかよ…あれ一枚一万だろ?」
「うっ、うぇ、おぇ」
「俊、大丈夫かい?走らせたから気分悪くなったの?もしかして蟹に中ったんじゃ…」
「はふ。………糠漬けの匂いがするにょ」

ぜいぜい荒い息遣いの俊が、また口元を押さえた。糠漬け?と首を傾げた太陽が、足元に転がる弁当箱に気付く。先程、不良の片割れが食べていたものだ。確かに漬物らしき胡瓜が見える。

「これか。錦織、この糠漬けティッシュで隠してくんない?また吐きそうな気配がするから」
「判りました」
「ふぇ。糠漬けの匂いが消えないにょ、おぇ」
「神崎、何か香水持ってない?」
「部屋に置いてきたー」
「ああもう役に立たない。こうなったらファブリーズ、」
「タイヨウ君、バスにそんなん無いっしょ(´`)」

狼狽えた太陽が今にも吐きそうな俊の背中を撫でながら、キョロキョロ辺りを見回した。遠巻きにしている女性達なら何かそれらしいものを貸してくれるかも、と立ち上がり掛けた太陽に、


「ぷはーんにょーん、うぉえ!」

情け容赦なく吐き出した俊の吐瀉物で、太陽のダサTが死亡した。無言で固まった太陽にカルマ共が痙き攣り、同情の眼差しの二葉が息を吐く。

「あらら(;´Д`)」
「山田太陽君、ひとまずお脱ぎなさい。そのままでは外を歩く事も出来ませんよ」

余りの事に硬直していた太陽が、いそいそとTシャツを脱いだ。然しながら裕也とは違い、タンクトップなど着込んでいない太陽は上半身裸である。

「…まさかバスで公開生着替えなんてする日が来るなんて」
「うぇ、ひっく、タイヨー…」
「大丈夫だから、横になってなよ。窓を開けたから、もうちょいの我慢だよ?」

ブレザーを脱いだ二葉が眼鏡を押し上げ、涙目で起き上がろうとする俊を寝かしつける太陽の肩に羽織らせてやった。

「甲斐甲斐しい友情は評価に値しますが、補導逮捕で我が帝王院学園の名を辱めるのは控えて頂けますか?」
「判ってますよ風紀委員長サマ。…俊?まだ気分悪い?」

しゅばっと起き上がったオタクが、汚れた口元をそのままに半裸の太陽を写メったのは言うまでもない。
心配するだけ無駄だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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