帝王院高等学校
傷は目に見えるものだけじゃねェ!
自分は人間ではないのだと。気付いた時に、作り物の心の何処が壊れる音を聞いた。

自分は人間ではないのだと。
ならば自分は人間以外の何なのだと。
確かに網膜に映し出された己の指先をただただ眺め、尋ねた言葉はただの独り言として大気に融けた。


恐ろしい事を考えている。
作り物の頭が。作り物の命が。死にたくないと、呟いていた。
何の為に生み出されたのかと聞けばきっと、ただの駒。チェスのポーンの様に、使い捨ての駒。敵陣へ乗り込む前に消されてしまう、歩兵。


死にたくない死にたくない生きていたい生きていた証を残したい消されたくない、だって、生きているのに。


この髪もこの瞳もこの手もこの足もちゃんと、此処に、存在しているのに。



「僕は、生きているのに…」

死にたくない。名前すら与えて貰えなかった僕は、此処に、ちゃんと、存在しているのに。
死にたくない。他の『僕』の様に消されたくない。僕は、生きるんだ。だって、




「…僕は生きているんだ」


恐ろしい事を考えている。死にたくないと作り物の唇が叫んだ。
作り物の心の奥で、悪魔が囁くのは容易い。


作り物の命が生きてはならない理由など、何処に存在している?






「ちょっとこっちに来て」

部屋中に犇めく液晶画面の数々を眺めていた少女が、バスルームから出て来たばかりの片割れを声だけで呼んだ。

「シャワー浴びたばっかなんだから、一服させなさいよ」
「良いから早くっ」

呼ばれた方はフェイスタオルを肩に引っ掛け、少女の方ではなく部屋隅の冷蔵庫一直線だ。

「オタク臭ーい」
「ねぇ見てこれ、変じゃない?」
「またハッキングしてんの?リンと同じ顔で可愛くない事しないでよ、ラン」

濡れた短い黒髪を掻き上げ、下着姿のもう一人の少女は、覗き込んだ冷蔵庫からミネラルウォーター取り出しながら眉を跳ねる。

「一卵性なのに似たのは外見だけとわ…。男ばっかの工科大なんか行くから、」
「リン、お祖母様みたいな説教はやめてよ」
「そんなだから彼氏出来ないの。お化粧くらい出来る様になりなよ。…で、何を見ろって?」
「ほら、此処。これって、変じゃない?」

カタカタと一心不乱にキーボードを叩く片割れを背後から覗き込んで、ボトルを怠惰に煽った。

「何よ、ファーストじゃないの」

映し出されているのは、燃える様な赤毛の青年だ。片眉を跳ね上げた少女は濡れた髪をタオルで拭き直し、ドライヤーを掴みながら「興味ない」と呟いた。

「違うわ。凄く似てるけど、見て。目の色が黒い」
「コンタクトでしょ?」
「拡大するわ。虹彩も瞳孔も、ほら…違和感がない。カラコンだったらもっと不自然な筈でしょ」
「言われてみれば…」
「きっとこれが、クライスト卿の長男なんだわ。プリンスルークに仕えてる、リュミエル執事長の娘を攫った男の…」

薄暗い部屋の中はモニタの光源が全てだ。首を傾げながら相槌を打ったものの、またもやキーボードを叩き始めた片割れに息を吐いた。

「リュミエルー?また何か変なの調べてんの?お金になんない事やってる暇あるなら、お祖母様に気に入られる方法考えたら?」
「…ぶつぶつ………ぶつぶつ…」
「また自分の世界に入ってら。ったく、ファーストの目が何色でも関係ないでしょ。執事の娘の子なんか何の意味があんのよ」
「………嵯峨崎零人…21歳…ぶつぶつ…」
「ああ、実の兄が執事になる可能性があるんだファーストには。何それウケる」
「リン、煩い!」

この機械だらけの部屋も、女子力ゼロのジャージ姿も頂けない。部屋の陰鬱な暗さに比例して、益々気力が抜けてきた気がする。

「リュミエル子爵の娘がクリス様の大親友だったって話、知ってるでしょ。何で親友同士が同じ男を選んだのか、気にならないの?」
「クライスト卿は元々クリス狙いだったんでしょ?身分違いで振られた腹癒せなんじゃない」
「…リンみたいな事するかな、男が」
「あんたねぇ、殴るわよ」
「クライスト卿は悪い人じゃないと思うんだ。絶対、何かある。第一、嵯峨崎財閥の跡取りがリュミエルに手を出すのも…身分違いだもん」

オネェブームの第一人者でもある航空会社会長にして、近年タレントとしても地位を獲得した男の隠れファンである片割れの台詞は、中々に鼻息荒い。幾らセレブだろうが日本規模には興味がない少女は眉を跳ね、面倒臭いとばかりに腕を組んだ。

「勝手にやってな。…ったく、ただでさえ文仁にネチネチ言われたばっかなのに」

実の娘に俺に迷惑掛けんな腐れカス失せろと無表情で吐き捨てた父は、とっとと姿を消した。何処に行ったのかは言わずもがな、である。

「………ヴァーゴにアポ取れただけでも、万々歳、か」

見た事もない祖父の実家である公爵家。年老いた気難しい女公爵に気に入られる為なら、何でもやってやる。
折角、曾孫可愛さを逆手に取って気に入られつつあるのだ。曾祖父の妾の子供である祖父はともかく、その実妹であるアリアドネは早々家を追い出されているらしい。どんな油断も許されはしない。

「…私は、叶の荷物なんかで終わりたくない」

世界中に恋人を作って遊びまくる母親にも、兄にしか関心がない父親にも、愛想を尽かしているのだから。

「私は絶対、勝ち組になるんだ。ヴィーゼンバーグが手に入らないなら、…お祖母様のお気に入りのヴァーゴに取り入らなきゃ」

叔父だろうが神だろうが何だろうが、目的の為には使ってやる。まずは血縁関係に付け込んで叔父である二葉から、寵愛を得る。最終目標は世界最高にして至宝の男爵、ルーク=フェイン。
彼の子供を産めば、神のファーストレディになれるだろう。もう、何を気にする必要もない。幼い頃から男ばかりの日陰で、血を吐く様な思いをしてきた。使えるものなら何でも使ってきた。実力が物を言う、優しさの欠片もない叶の家で、ずっと。学校にも通わず、外の誰とも関わらず生きてきた。

もう、自由になっても許される筈だ。16年待ったのだから、もう。

「ねぇ、藍。そんなに興味あるなら見に行けば良いじゃん」
「ぶつぶつ………え?何か言った?」
「学園に潜り込むのもベルハーツ殺すのも失敗しちゃったしさ、気分転換も兼ねて」
「出掛けるの?やだなぁ、面倒臭い…」
「根暗生活やめなっつってんでしょ!折角リンと同じ可愛い顔してんだからっ、お洒落してナンパされろ!」
「えー…。別にランは本当はパソコンとネットさえあればどうでも良いし。…男の子も好きじゃないし」
「藍〜?」
「判ったよ。着替えてくる…はぁ」

嫌がる双子の片割れが渋々クローゼットに向かうのを横目に、表示されたままのモニタを何となく眺めた。

「ふーん?嵯峨崎零人21歳。最上学部カルテットシングル、海外渡航履歴無し。…ふん、日本じゃ秀才でも世界で見ればパンピーじゃん」

クローゼットの中から涙声。
どうせまた服の着方が判らないのだろうと洒落っ気0の片割れに溜息を吐き、湿ったタオルを投げた。









「どうも、気分はどうですか山田さん。包帯はキツ過ぎないです?」

点滴が切れ、看護師の処置を受けたのと引き換えに現われたのはスマートな男性医師だ。

「あー、はい。じんわり熱いかな?って思うくらいで、痛みは今のところないみたい…」
「まだ鎮痛剤が効いてますからね。薬が切れる頃、傷口が疼き始めると思います」

痛いのは別段苦手ではない。
サディストのパートナーはマゾが多いと言う話を聞いたが、旦那はああ見えてかなり腹黒いサドだ。執拗い浮気相手と別れる時も、かなり酷い目に遭わせたに違いない。
アンタみたいなマゾ、あの男とお似合いよ!と言った逆恨み電話が今まで何回掛かってきたか。家ではニコニコ愛想好い父を演じているから、タチが悪い。何度イラっとしたか。

「この痛みより、手術中の恐怖が勝ってたと言うか」
「ああ、成程、何と言えば良いか…」
「破天荒な女医さんだと思いましたけど、腕は確かみたい。麻酔なしであんなに痛くなかったもの」
「腕前だけは申し分ありません」

誇らしげに頷く男を見やり随分イケメンな医者だな、と感心げに瞬いた人は、彼の胸元に院長の表記を見つめて目を見開いた。

「あら、先生が院長さん?随分お若いんだわね」
「はは。どうも童顔で、これでももう40歳越えてるんですが」
「遠野直江さん…って、先程の先生のお兄さんですか?確か俊江先生でしたかしら…」
「年子なんですが…あっちの方が姉です」
「嘘っ!ええっ、じゃやっぱり私より年上って話、ホントだったんだわっ」
「…ですよねぇ。弟の俺でも、たまにあの人は化け物なんじゃないかって思いますよ」

カルテに筆を走らせていた人が苦笑を浮かべ、プラスチックに包まれた錠剤をテーブルに転がした。
未だに驚愕から抜けられず、反応が遅れる。

「一週間分の抗生剤と、貼布タイプの傷薬を出しておきます。とりあえず抗生剤だけ飲んでおいて下さい」
「あ、はい。どーも」
「今回5針縫いましたが抜糸の必要はないので、痛みが酷かったり化膿の恐れがあったらまた来院して下さいね」
「どうも。でもホント、搬送されるなり処置室で手術されるとは思ってませんでしたけど」
「重ね重ね申し訳ない。何かありましたら連絡下さい、山田さん優先で診察しますから」

にこやかに去っていく後ろ姿を見送り、後は薬局に向かうだけと松葉杖片手に立ち上がる。

「大丈夫ですか?」
「ちょっとだけ歩き難いです。痛くはないんですけど」
「麻痺状態ですからね。然しこのまま動かさないと、エコノミー症の危険も多少あります。付き添いますから、ゆっくり歩かれて下さい」

運ばれてきた時に着ていた血塗れのジーンズは処分済みだ。借り物のハーフパンツの下は、分厚く巻かれた包帯で膨れ上がった太股。
痛みはまだないが、鎮痛剤の作用か感覚も鈍っているらしく歩きづらい。薬局まで手を貸してくれた看護師に礼を述べ、ベンチに腰掛けてから荷物を漁った。

「はー、何か疲れたわ。バカ大空は何処に行ったんだろ。あ、お財布持って来てたかな…」

混乱した旦那が手当たり次第詰めて持って来たエコバッグには、車のキー、それも旦那の通勤用のものと、ハンカチ、何故かケーブルテレビのリモコンに、メンタムが入っている。

(…男って奴は何でナースに弱いの)

ナイチンゲールのロゴマークに片眉を上げ、旦那に擦り寄っていた若い看護師を思い浮かべて舌打ちしてしまう。破天荒な手術を目の当たりにして貧血で倒れた情けなさを抜きにしても、我が亭主ながら美形だ。
気の休まる暇が無い。

(何でリモコンなんか入れたのか謎だわ)

余程パニックに陥ってたんだろうなと溜息一つ、バックの底に旦那の財布を見付けた。その下に、点滅を繰り返す携帯電話。

(マナーモードにしてたんだっけね。…家に帰って来るって、メール寄越す前に一言言ってけば良いのに)

遠慮なく旦那の財布を開き、ずらっと並んだ札束から一枚抜き取る。恐らく間違えて自分の財布を置いて行ったのだろう。

(確か3千円くらいしか入ってなかったわね、私の財布…)

食事に必要な材料は毎日デリバリーサービスの業者が持って来るし、大きな買い物をする時にはその直前に旦那のカードを貰っておく。大抵家に居る主婦に、お金は余り必要ない。

(あの人、台所の蟹に気付いて冷蔵庫にしまってくれないかしら…)

旦那が軽度の蟹アレルギーだと知っている為、電話でお願いするのは余りにも可哀想だ。だからと言って、旦那の分厚い財布から高いタクシー代を払うのも憚られる。

「この時間、バスあるかしら」

松葉杖を勇ましく抱き締め、薬剤師から名を呼ばれた人は立ち上がった。
幾らセレブだろうが、二人の息子を馬鹿高い私立校に通わせている母に浪費の二文字はない。何せ元々が父子家庭の貧乏育ちだ。


「地下鉄乗り場までニキロ?…何だ、近いじゃないの」

意気揚々と歩き始めた人が復活した痛みに悶え苦しむまで、あと数十分。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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