帝王院高等学校
黒いからってコーラとは限らない
「えっと、じゃ、何か飲み物持って来るから適当に待って…俊、タンス開けても旅人の服は入ってないから」
「ふぇ」

先程までの修学旅行気分は何だったのかと言わんばかり、余りにも重苦しい雰囲気に無意識で胃を押さえた。
クネった俊から尻を掴まれただけで沈黙した隼人が、特に恐ろしい。二葉VS隼人戦は回避されたが。

「お手伝いします」
「え?や、大丈夫ですから。座ってて下さい」
「お邪魔している身の上です。お気遣いなく」
「はぁ」

ベッドの下を素早く覗き込んでいる俊は見ない振りをして、いつもの愛想笑いを浮かべている二葉を従え階下に降りた。
あの重苦しい雰囲気の原因は間違いなく二葉だが、途中聞きそびれた話を自己的に纏めるなら。隼人は元々、カルマの敵だったと言う事だ。

「…」

あんなに仲が良いのに、今では考えられない。何がどうして今の隼人を作り上げたのだろうかと考えながら、真っ直ぐキッチンを覗き込む。

「随分考え込んでますね」
「え?あ、いや」
「結果的に、神崎君はカイザーに従いました。それが全てですよ」
「…」

冷蔵庫を覗き込む。冷えた麦茶を見付けたが、ボトルの半分程しか入っていない。
これでは足りないかと息を吐いて、カーテンが靡びく音に気付いた。隣のリビングからだ。

「これ持ってて下さい。窓が開いてるっぽくて」
「これは?」
「そっちの棚にグラス…って、何で蟹?」
「そこのシンクに置いてありました」
「…しまっといて下さい」

無用心だなと他人事の様に。麦茶のボトルを二葉に押し付け、リビングへ足を踏み入れた。

「今日は雨だってのに…」

ふわり、舞うカーテン。
風に泳ぐ洗濯物、何故か。一部分だけ漆黒に染まったベージュの絨毯に、放置されているのは草刈り用の鎌だった。

「何であんなモン出しっ放しなんだろ?」

とりあえず洗濯物を片付けて、ドアを締めよう。これでは皆をリビングに呼べない、と。
転がる鎌を掴もうと身を屈めたら、何故か足元が滑った。


「うわっ」

どうやら濡れていたらしい。
尻餅を付いた弾みで右手が絨毯に触れ、べとりとした感触を教えた。

「どうかしましたか?」
「あ、いや、何でもないです」

掌が真っ黒だ。
キッチンから顔を覗かせた二葉を振り返り、何でもないと手を振る。
けれど珍しく目を見開いた男は、真っ直ぐ駆け寄ってきた。

「それは何ですか?見せてごらんなさい!」
「え?だから俺、ただ転んだだけで…」

頭が痛い。
鉄が錆びた匂いがする。



「何でもない、んです」


とても良く知っている匂いだと、思うのに。













月ヶ丘商店街と言う古びたアーケードの看板下には、昭和を感じさせるアーケードとは真逆に、煌びやかで小洒落た軒先が並んでいる。

「すいません、ストーンの新しいのありますかー?」
「ありますよー、何ミリにします?」

女子高生が好みそうな輸入雑貨店に、エスニック系の家具ショップ、若者が軒先のハンガーストックを冷やかしているメンズの古着屋、オリエンタルな雰囲気のカフェ。
実に様々な年代の客が、長閑に街並みを歩いている。

アパレルを満面に表した雑貨店の女性店員が財布片手に足を伸ばすのは、商店街三叉路の正面にある一軒のカフェだ。
杉板を打ち付けたテラスに様々な観葉植物を配置し、ちょっとした憩いの空間を演出している。

「もー、遅くなっちゃったっ」
「カウンター空いてると良いね。今日のランチは何かなぁ…看板の文字が赤いって事は、フレンチ!」
「はぁはぁ。テラスは一杯、か。バトウとエリンギのソテーだって。昨日は生ハムのピッツァだったから、今日は魚だね!」
「こんにちはー」

テラス脇の手書きの看板を見やり笑みを深めた女性らは、賑わうテラスの客を横目に白木造りのドアを潜った。目当てはカジュアルなフレンチ気分を味わえる、日替わりランチらしい。

「ああ、いらっしゃいませ。いつも有難うございます、沙恵さん、美由紀さん。席空けておきましたから」
「助かったぁ。榊マスター、いつものお願いします!あと、食後に柚シャーベットっ」
「私もいつものランチで。食後はプチパフェお願いします!」
「畏まりました」

二人は真っ直ぐカウンターに向かい、中央の王冠のクッションと林檎のクッションに腰掛けた。テラスよりもカウンターの方が人気なこのカフェは、シャープな眼鏡を掛けたマスターの美貌による所が大きい。

「いつ見ても良い男だねぇ…」
「至福の一時ってコレだよぅ」

榊と呼ばれた店主は磨いていたグラスから手を離し、無駄のない動作で厨房へ消えた。
アルバイトらしき別の従業員がお冷やグラスを二人へ差し出したが、中々の好青年ではあるがマスターには到底及ばないらしい。彼女らの関心は未だ厨房へ消えた店主に向かっている。

「ごゆっくりどうぞ」
「あ、ねぇねぇバイト君。最近オーナー来た?」
「いえ、僕はお会いしてないです。僕は昼だけのスタッフなので…」
「そっかー、残念」
「君、オーナーに会った事あんの?すっごい男前だよ」
「あ、一度遠くから見た事くらいしか…。最近じゃ仕入れも面接もマスターがやってるんで、多分他のスタッフも会った事ないんじゃないですかねぇ」
「おーい松浦、ランチ上がってるぞ」
「はい、今行きますっ」

厨房から顔を覗かせた甘いマスクの美青年に、残念そうだった女性らが一気に顔を赤らめた。
斎藤のネームプレートを抜け目なくチェックした彼女らは、メニュー片手に手を挙げる。

「すいませんっ」
「ん、追加オーダーですか?」
「そうじゃなくてっ、いつから入ったんですか?昨日は居なかったでしょ?!」
「斎藤さん、新人?何時から入ってるの?」
「いや、俺は店長の知り合いで…。今日は大口の予約入ってるから、助っ人なんですよ」

にこやかに出てきたエプロン姿の彼は、マスターである榊が途中で止めていたグラス磨きを引き継ぎながら微笑んだ。

「じゃ、今日だけなんだー」
「えー、毎日来たら良いのに」
「はは、まだ学生の身ですからね。前は色々バイトもしてましたけど…」
「大学生?」
「いや、コーディネートの専門通ってます。前まで服飾に通ってたんですけど」
「すっごーい」
「デザイナーになりたいんだ?アパレル似合いそー」
「でもこんな綺麗な人と知り合えるなら、カフェも悪くないかな?」
「「きゃー」」

ちゅっと投げキッス一つ。
それだけでマスター目当ての常連客は舞い上がらんばかりの表情なのだから、流石と言えよう。

「お待たせいたしました。本日のランチ、バトウとエリンギのソテーほうれん草和えです」
「わっ、ちょー美味しそう。良い香りー」
「へぇ、今日はオニオンサラダなんだねっ。あたしコレ好きー」
「うちは必殺料理人のオーナーが抜かりなくメニュー考えてるから、カロリーもばっちりですよ」

ウィンク一つ、グラスを片付けてコーヒーを勝手に注いだ男はそれを堂々と一口。

「堂々と職務怠慢か、武蔵野」
「あ痛っ」
「給料から引いとくからな」
「ちぇ」

捲っていたシャツの袖を直しながら出てきたマスターの拳骨を浴び、助っ人スタッフはチロリと舌を出す。

「武蔵野?斎藤君じゃなくて?」
「ああ、コイツは小中時代のクラスメートでしてね。その頃は前の姓だったんで、ついそのまま呼んでしまうんです」
「親が離婚したんですよ。まだ小さかった弟は父親に引き取られたんですけど…って、そんな暗い話じゃないんですって」

ちりん、とドアベルが鳴る。
アルバイトスタッフが席に案内する気配を感じながら、気まずそうに顔を見合わせる女性達にマスターがサービスのコーヒーを出した。

「そうですよ、円満離婚って奴です。武蔵野の家はお金持ちでね、貿易関係なんです」
「なのに一人娘で実家が呉服屋だった母親の夢が、自分のブティックを開く事でさ。祖父が倒れて実家が大変な時に、呉服屋を継ぐって言い出したってワケ」
「うわぁ、じゃあそれが離婚の理由?」
「そ。傾き掛けてた店を持ち直す為にホストもやった事ある。親孝行な息子だろ?」
「良く言う。他店のホストと乱闘騒ぎ起こして三日で辞めた癖に」
「それを言っちゃあオシマイだぜ榊ぃ」
「あはは」
「ねぇ、斎藤君のお父さん怒らなかった?お母さんがそんなコト言い出してさぁ」
「あー、親父は…」
「怒ると言うより、拗ねてましたね〜」

彼女達の背後から割り込んできた声音に、カウンターで頬杖を付いていた美青年が目を見開いた。

「せめて相談くらいしてくれても良いのにって。未だに復縁迫って、母さんから振られてるみたいですよ?」
「お、おま、ち、ちぃちゃん?!」
「久し振り、兄さん。うちに行ったら此処に居るって聞いたから、来ちゃった」

黒縁眼鏡が野暮ったいものの、何処にでも良そうな学生風体の少年が星のクッションに腰掛ける。
メニューを慣れない手つきで開く少年を横目に、余りにも似ていない少年とカウンターの青年を見比べた女性達は、

「斎藤君の弟?!」
「うっそ、ホント?!」
「はい。初めまして、武蔵野千景と言います。千の景色と書いて、チカゲ」

不意に眼鏡を外した少年が、ポケットから取り出したハンカチでレンズを拭う。マジマジと少年の素顔を見つめた女性らが拳を握り締め、カウンターで硬直している兄に親指を立てた。

「やだー、素顔超可愛いぃ!」
「高校生?背ぇ高いねー、何歳?」
「15歳です。あ、今日から16歳なんでした」
「誕生日なのっ?おめでとー、奢ってあげるから好きなもの頼みなよっ」
「あたしも!ちぃちゃん、まだ時間あるなら商店街でプレゼント見繕ったげる!」

すっかり乙女心を鷲掴みにした少年は僅かばかり困った様に首を傾げ、未だ硬直している兄に助けを求めたらしい。

「どうしよう、兄さん」
「千景…、お前…」
「今日のランチはオニオンなんでしょ?どうしよう、玉葱苦手なのに…」

どうやら可愛い顔してあの子、割りと強かだ。
メニューを見つめながら表情を曇らせる少年は、遠慮なくお姉様方の財布を使うらしい。

「でもランチ以外は高価だな…」
「遠慮しないで!ランチが駄目ならハンバーグにしなよ!男の子だもんね、沢山食べなきゃ」
「明太パスタも美味しいよ。タラコじゃないとこが新しいよねぇ!」
「ハンバーグとパスタかぁ。迷っちゃうなー」
「だ、…駄目だ駄目だっ、絶対っ、駄目だーっっっ!ちぃちゃんはっ、ちぃちゃんは俺だけの天使なんだー!」
「喧しいブラコン野郎、倉庫の掃除でもやってこい」
「榊ぃいいいっ、ちぃちゃんを頼んだぞー!」

そんな昼時のカフェの壁には、カルマのポスターが飾られていた。

「あ、カルマだ」
「ちぃちゃん、カルマ知ってるの?」
「不良とはちょっと違うんだけどね。なんて言うか、目立つ人ばっかのチームみたいな」
「同級生なんですよ」
「「え?」」

微かに笑った少年が、マスターから受け取ったグラスに口を付けた。我関せずと言った表情でコーヒー豆を挽いているマスターは、壁ぎわの時計を見上げ目を伏せる。

「ハヤトもユーヤもケンゴも。ああ、此処のオーナーは先輩なんですけど」
「ちょ、ちょっと待って、それじゃ、ちぃちゃん…」
「もしかして帝王院に通ってんの?!マジで?!帝王院だよ帝王院!クイズ番組で全問正解したハヤトが通ってる、あの帝王院っ」
「どの帝王院か判りませんけど、財閥法人帝王院学園の高等部に通ってます」
「「すっごーい!」」

女子供は騒がしい、と心中舌打ちした元ホストである店主は短く息を吐く。
朝からずっと、料理の仕込みに追われていたのだ。まだまだやるべき事は山積みだ。閉店しても気が抜けない。

「…久し振りに顔出すっつーから、準備してんのによ」
「どうかしました?」
「いや、何でもない。あ、後でワラショク行って来てくれないか。上がる前で良いから」
「あ、はい。仕入れですか?」
「片っ端から鶏肉と明太子買って来てくれ。後でカード渡すから」

ああ、本当にもう。
今夜の楽しみがなければ、割りに合わないではないか。


「早く夜になんねーかな…」

重症だ。
フィルターから滴る芳醇なコーヒーの褐色が、コーラに見えてきた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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