帝王院高等学校
友達ですもの一生ものよ!
『一回聞いてみたかったんだけど』

面白くない表情で書類を流し見ている二人目の息子が、何の前触れもなく呟いた。実の親にも、勿論他人にもにこりともしない息子は、生涯の半身である片割れだけには極めて従順だ。

『何であんな馬鹿女、選んだの』

然し、彼の片割れは彼を疎ましく思っているらしい。衣食住、果ては風呂やトイレまで付いてこられたら嫌になるだろう。

『は?』
『男の責任はともかく、手を出すならもっとまともなの居たでしょ?実際、遊び相手は幾らかマシじゃない』

片割れの気苦労を思い、心中笑ってしまったのに気付いたのか否か。
続けて吐き捨てられたこれが、本当に血を分けた息子の台詞だろうかと瞬く。自分が幼い頃も然程変わりない可愛らしさ皆無の糞餓鬼だった筈だ。

実の父親の不貞を世間話の様な気軽さで暴露する息子、シュールである。

『あのね、母さんを馬鹿女とか言わないの』
『はっ、それわざと?誰も母さんとは言ってないから』

浮気などしていない、と惚けた所で無意味だろう。だから敢えてそれには触れない。鼻で笑った息子は、踏み潰したいくらい若い頃の自分に似ていた。

『ま、否定はしないけど』
『おいー?』
『僕だったら御免だね。何の取り柄もない、ババア』
『怒るよ』

二十代でババア扱いか、と溜息一つ。久方ぶりに帰省した息子へのご馳走作りに慌しい階下を見やり、僅かに肩を竦めた。

『それで凄んでるつもり?』
『…昔は可愛かったよ』
『目、大丈夫?』
『いや、まぁ、特別美人と言うんじゃないけど…じゃなくて、ああ見えて情に弱かったり我慢強くてくよくよしない性格とか…』
『ヤる時にそんな事イチイチ考えてたの?昔から?』
『お前はもうどうしてそんなに俺に似たんだ小学生』
『子供扱いしないでくれる。子供に仕事手伝わせる父親の台詞じゃないね』

ふん、と鼻で笑った息子に苦虫を噛み締める。ふと、一階を望める吹き抜け側ではなく庭側の窓を見やり、破顔した。

『…お前はね、どうしようもなく父さんに似てしまったから。世間一般より大分悪知恵が働くだけの、面白味がない子に育ってしまったみたいだけど』
『なに、説教のつもり』
『育ちが違って好みでもなければ、普通一生縁がない様な相手と出会えただけで幸せなんだよ』

どうやら彼の頭では納得するまでに至らなかったらしい。庭先で学校の友達と遊んでいる片割れを見つけるなり眉を吊り上げ、子供らしく走り去っていった。

絶交されたのではなかったのか。

『元気だなー、小3』

可愛げない息子にはもう目も向けない。可愛い息子の方と言えば、背丈程ある大きな網を片手に。今から蝉取りにでも行くつもりだろうか。

『…うーん』

ふと。
麦わら帽子を外した小さな頭が振り向いた。二階を見上げ、真っ直ぐに。大きな瞳で見つめてくる。





『アキちゃんは可愛いねー』

















あの時、判断を間違えなかったらなどと。余りにも無意味でしかない姑息な事を考えた事がある。直後なんと愚かだと嘲笑ったのは、紛れもなく己自身だった筈だ。

けれどまた、たった今、繰り返している。
今度は嘲笑うより早く考えた。恐らく人はこれを未練と呼ぶのだろうかと。


無言の問い掛けに答えはない。あるのは判り切った自己満足に過ぎない己答だけだ。
至極当然だと伏せていた目を窓辺に向ける。


「…空が騒がしくなって来た」

過去を振り返り後の悔いを繰り返した所で、何ら意味はない。判っている癖に繰り返すからこそ、人は愚かなのだろう。

「雨が近い」

糸が切れたマリオネットの様だと考えて、ふらりと膝を崩した。

「服が乱れているな」

微動だにしない男はソファに深く背を預け、何処か遠くを見つめたまま。乱れた襟を甲斐甲斐しく直し、埃を払ってやっても為すがままだ。
愉快だと思う。余りにも慣れない己の行為も、それを甘んじて受ける男にも。

「此処も、擦り剥いている。痛かっただろう?そなたに何と惨い事を…。やめろと言っても、暴力を働いた」

職務に従順だっただけだ、と。判っている。誰かが殴り付けた頬が微かに赤く腫れているのを見て、判っているのに腹の奥から暗い感情が湧き出てきた。

「痛かっただろう。もっと早く、あの愚かな人間共を追い払うべきだった。全て、私が須く招いた結果だ」

苛立ちのままに追い払った。
全ての人間が立ち去って漸く安堵した。煩わしい人の気配がなくなると、静寂が世界を満たす。
何も映していない無機質な双眸、微動だにしない体躯。今度はそれに絶望するだけだ。僅かばかりの喜びも、最早存在しない。恨まれていると判っている癖に、数年振りに見た黒髪が招いたのは歓喜だった。それ以外の何物でもなかったのに。

ただひたすら遠くを眺めている双眸は、ぴくりとも動かない体と相まってまるで糸が切れたピノキオの様だ。
切れた糸はもう、戻らないかも知れない。


何か。
積もり積もった憤りでも憎悪でも何でも構わないから、何か。一言でも喋らないだろうか。


「やはり、怒っているか」
「…」
「…13年振りだな、秀皇」

冷たい手を握り、するりと頬を寄せる。

「尤も、そなたは覚えていないだろうが」

最後に見た時よりやつれた様だと眉を寄せて、ソファに投げ出された膝に頭を預けた。

「春先に、そなたに良く似た外部生が加わった。そなたの様に聡明で、今や我が学園の光だ」

囁き続ける。
久方ぶりにこんなに喋るな、と他人事の様に考えた。


「…私は全て知っていた。」

答えはない。
唇も勿論その指先も、ただの一度も動く事なく、ひそり。

「そなたが遠野秀隆と名乗っている事も、そなたが守り続けた家族も、全て。調べさせ、知っていた」

会いに行ったのだ、と。
例えば今、その耳元へ囁いたとしても。目の前の子供は微動だにしないだろう。

「サングラス一つで、そなたは私に気付かなかった。…私が会いに行かないと思ったのか?」
「…」
「死んだと。本気で信じていた訳ではあるまい」

絶望なのかそれすら皆無の空虚なのか、遠くを見つめる眼差しからは窺う事は出来ない。

「けれどそなたは私に何一つ言わなかっただろう。私はずっと、気が遠くなるほど昔から見ていたのに。…悪魔には、頼りたくもないか」

冷たい指先がじわりと熱を帯びる。
ああ、自分にも体温が存在するのだ・などと、酷く馬鹿らしい事を考えた。

「ロードが酷い事をしたのだろう。私が作った駒は、愚かにも私を屠り男爵の座を得ようと足掻いた。そなたがあれを私だと認識しているなら、敢えて否定はしない」
「…」
「いずれにせよ、あれに爵位を譲るつもりなどなかった。いつかそなたを後継に、と。私は常に考えていた」

ロード=ベルセルク。
地下の奥深くから呼び寄せた自分に瓜二つの、子供。命じられるがまま動き、命じられるがまま生きると誰もが疑わなかった。

初めて交わした会話は、ナイトを守れの一言。教育係だった人間が何を言ったのかは知らないが、自分と同じ顔をした子供は兄さんと呼んだ。
だから言ったのだ。私はお前を弟などとは思っていない、と。事実確認の様に、お前はただの駒だと。言ったのだ。

「全ては後付けの言い訳に過ぎぬ。…聞いているか、秀皇」

羨ましかったから。
決して離れられない父から継いだ男爵の椅子、身動き出来ない自分とは違い、自分と同じ顔をした子供は易々飛び立っていけるのだと、羨ましかったから。

「…そなたに子が出来たと聞いて、私は推測した。子に名を譲れば、その赤子は非常に扱い易い『手駒』となるだろう」

永い人生、一人だったから。
年老いた父はまるで他人の様に気高く、だから自分は世界に独りぼっちの様で。愛する家族が消えた日に、世界は灰色に染まった。

小さな騎士が現われるまで。


「私の細胞から作り上げられたクローンにとって、これ以上ない。カイルークは優秀にして扱い易い駒だ」

もし、この世に神が存在するなら、自分は真っ先に神罰を受けるだろう。
もし自分が本当に神だったとしたなら、自分と同じ顔をした生き物が赤い塔の下で血塗れになりながら手を伸ばしてきたあの日、あのおぞましい生き物と同時に、生まれ持ったこの顔を引き裂いただろう。

「想定外と言えば、唯一。己の子がただの赤子ではない事に、愚かなロードは気付いていなかった」

何かの拍子に、いつも。思い出す、黒髪の騎士。下手な英語で、意志の強い目で。

「そなたは何も悪くない」

彼は真っ直ぐ見つめてきた。

「何も持たなかったロードは日本を掌握し、そなたから名を奪おうとした。万一あれにナイトの名が渡れば、あれはそなたを消したに違いない」
「…ナイ、ト」
「そうだ、私はロードを補佐にするつもりだった」

許されるつもりはない。
漸く開いた唇を見上げながら、縋る様に頬へ当てた手に力を込めた。

「そなたの傍に居られない代わりに、あれを代理として。…私はそなたの隣で、ただの人間として在るのだと…錯覚したかった」
「ナイトは、死んだ」

落ちてきた声に顔を上げる。
やはり何処か遠くを見つめる瞳が歪んで、無機質な唇が吊り上がった。

「俺が望んだから、秀隆は死んだんだ。キングと共にマリアを突き破って、落ちた」
「秀皇」
「スコーピオの最上階からだ。助かる訳がない」

くつくつ、小刻みに揺れる肩。急速に冷えていく指先、

「私が殺したんだ。…大切な親友だったのに。何も出来なかった私の代わりに、キングを道連れにした…」

遠くを見つめる眼差しは、尚。
こちらを見る事はない。

「違う、そなたは何も悪くない。全ては、」
「神威が憎かったんだ。そう、あの時、俺は確かにあの子供を殺そうとした。引き裂いて切り刻めば、体の奥から這い上がってくる憎悪が晴れると思った」

弾ける様な笑い声、狂った様に全身を揺らし身を歪めながら笑う男が、ぴたりと動きを止める。


「父上、だと。
  今にも殺されそうな状況であの馬鹿な餓鬼が呟いた。耳障りな声で、血を吸った様な目で。…父だと!」
「秀皇、カイルークはそなたを、」
「秀隆は勇敢だ。弱い俺とは違い、真っ先にあの悪魔を突き落とした。なのに俺は…俺は!秀隆の死体すら見ていない!墓も、供養も、別れの言葉も何一つ、俺は!」

何処で間違えたのかとまた、考えた。漸く焦点が合った眼差しが、真っ直ぐ見つめてくる。


「ひでたか」

にこり、と。
笑ったのは眼差しだけ。子供の頃から彼は、目元だけで笑う大人びた子供だった。

「やっと、悪魔を見付けた。あの時この手で殺しそびれた、金色の悪魔だ」

伸びてくる、両手。
喉に巻き付いたそれを避けるつもりはない。

「漆黒の騎士は私が埋めた。スコーピオの真下に、…ロードを見殺しにした場所に」
「…お前は秀隆に触ったのか。大空にあんな事をしておいて、秀隆にも触ったのか」
「カイルークがそなたに会いたがっている。口にはせずともこの16年、耐えず」
「俺には子供なんか居ない。俺には家族なんか居ない。全部、お前が奪っていったんだ。…ねぇ、帝都義兄さん」

家族を失ったのは二十歳になる直前。親友が居なくなったのはその直後。
独りぼっちになって、誰からも神と崇められて、酷く永い時を過ごしていた気がする。


現われたのは意志が強い漆黒の眼差しと、宵闇を溶かした黒髪。


「そなたを、息子の様に錯覚した。私は常に、一人だったから」
「黙れ」
「カイルーク、は…可哀想な子供だ。私はあれをそなたの代わりにした。あの子には、ノアの継承権などなかったのに…」

何も映していない、漆黒の双眸が霞んでいく。話したい事が沢山あり過ぎて、結局何も言えなかった。

神威が笑っていたのだとか。
これは貰ったスニーカーなのだとか。
駄菓子を食べたのだとか。
会えて嬉しかったのだとか。


沢山、話したい事があった、のに。



『ハーヴィ』


懐かしい親友の声がした。



『お前は本当に、馬鹿だ』
『口下手で、人の感情に疎過ぎる』

勝手に居なくなって勝手に死んだ、龍一郎の声が。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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