帝王院高等学校
泣き虫の目元は赤く染まるものです
「うっ、うっ、ぐすっ」
「良いから泣くな」
「ぐすっ、ううっ、ひっく」

泣き止まない男の腕を掴みシャツを羽織らせて、ボタンを適当に止めてやる。
ジーンズから履かせてやったお人好しはボタボタ落ちてくる水滴に舌打ち幾つか、漸く余所行きの出で立ちに変わった男を眺め、ぐしゃぐしゃの髪へ手を伸ばした。

「追い掛けてぇのは判ったけどな、あのまんまじゃ行けねぇだろうが」
「ひっ、ひっ」
「ああもう、声が出なくなるまで泣くな」
「ど、どぉのに、きら、きら、嫌われだー!」
「おい…」

昨夜から何回泣くつもりなのか、今まで佑壱の涙など見た事も聞いた事もない日向こそが泣きたい。
先程、並木道に現れた眼鏡っ子は止める暇なくロールスロイスに乗り込み、神威だけではなく左席一同を引き連れて走り去って行った。

幾ら何でも神帝を足に使うな、と痙き攣る日向の隣で盛大に泣き出したのは、置いていかれた佑壱である。

曰く、


『サボり魔はお留守番なり』

らしい。
若芽の恨みだと意味不明な台詞を残し、閉められたドアに縋りつく佑壱を置き去りゴーウェイ。
神帝と左席会長の組み合わせは一般生徒の癒しだとか何とか、それを眺めていた生徒の誰かが言うには、


神威×俊←佑壱←日向


…。
実の父親が収集している同人誌を漫画代わりにして育った日向は、己の賢さを呪った。
どうしたらそんな泥沼メロドラマに辿り着くのか知りたい。部下にして報道局長川南北斗曰く、概ねの生徒が佑壱×日向を信じて疑わない為、佑壱の本命は俊だがライバルが神威なので、そこに日向が付け入った説が有力だとか何とか。

怒る気力もなかったその時の光景を思い出し、佑壱の髪を手櫛で整えてやりながら息を吐いた。


「大体なぁっ、いっつもアイツばっか贔屓されやがって!ルークってだけでペコペコされんのに慣れてんだ!ひっく」
「仕方ねぇだろ、跡継ぎだったらよ」
「アイツの所為で俺はっ、」
「俊を取られて、嫉妬してんのか」

ぱちくり。濡れた目元を着せ替えてやったシャツの袖で乱雑に拭っていた佑壱が瞬き、ずずっと洟を啜る。
皆無に近い細い眉がぎゅっと寄せられ、眉間に皺が刻まれた。

「気付かないとでも思ってんのか?素顔を知らねぇ二葉ならまだしも、俺様は14の時からアイツを知ってんだぞ」
「…」
「それこそ、テメェが俊を知る前からだ」

予備動作なしに飛んできた拳を避け、ほぼ全力に近い左フックを佑壱の顎スレスレで止める。寝起きから今まで裸眼の目を見開いた男へ、チェストから取り上げたコンタクトケースを放り投げた。

「いつ、から」
「ほぼ初対面からだ。…テメェがちんけな仕返しなんざしなくとも、死ぬほど後悔した」
「…」
「見た目に騙される様じゃ、俺様もまだまだっつー事だろ」

恐らく佑壱は理解している筈だ。
日課に等しい低レベルな喧嘩で、日向が手加減していた事を。知っていたからこそ毎日、顔を合わせる度に殴り掛かってきたに違いない。

「テメーは、総長をどうするつもりだ」
「イギリスに連れていく」
「巫山戯んな!」
「冗談だと思うか?」

掴まれた胸ぐらを振り払わずに、日向の胸ぐらを掴む手首を握る。

「普通の人間は身が持たねぇ国に、そこらの女を連れていく訳には行かねぇ。いや、違うか。単に惚れてるからだ。あの人に」
「…出来るもんならやってみろ。あの人をテメーなんかがどうこう出来る訳がねぇ。自分を買い被るのも大概にしとけや」

目線だけで殺されそうだと小さく笑い、軽いノックを発てた扉へ振り返った。力が抜けた佑壱の手首は、未だ日向の右手にある。

「失礼致します。お車の用意が済みました」
「判った。すぐ行く」

一礼して立ち去ったバトラーを見送り、軽く佑壱の手を引けばぷいっと顔を逸らした男は片手で器用にコンタクトを着けていた。

「もう着けんのか」
「テメーにゃ関係ねぇ」
「ま、好きにすれば良い」

恐らく今日の佑壱を見た誰もが、サファイアの双眸をカラーレンズだと信じただろう。ハードコンタクトを着けたまま眠った佑壱に、浴衣を着付けてやりながらコンタクトを遠ざけたのは日向だ。

「良く視力落ちねぇな、それで」
「話し掛けんな。テメーは敵だ。改めて判った、テメーは敵だ」
「はいはい、泣き虫」
「煩ぇ!誰かに言ったらマジで殺す!」

眼球を痛めると言えば、物珍しい浴衣に満足げな男は何の感慨もなく吐き捨てた。
網膜剥離程度なら一日で治る、と。

グレアムは血筋ですら人体実験に使うのか、と。
遥か昔、憤った日向に笑った二葉が教えてくれた。佑壱自らが、アルビノである神威の為に名乗り出たのだと。

「さっき外で豪快に泣いてたのは何処のどなたでしょうかねぇ」
「コンタクトがずれたんだ」
「裸眼だった癖に」
「んな事実なんざ、知らなけりゃ意味ねぇ」

ズカズカ、地下駐車目指し歩いていく佑壱が、エレベーターをスルーした事に眉を寄せる。呼び止め掛けて、螺旋階段の手摺りを掴む光景に目を見開いた。

「おい、まさか」
「テメーはちまちま歩いてこい、短足め」

何の躊躇いもなく飛び降りた佑壱の赤い髪が舞う。駆け寄って覗き込めば、見事に着地したのか遥か階下に赤い頭が見えた。
余りに遠過ぎて点程にしか見えないが。



「…人を振り回しやがって、野性児が」


軽快な音を発てて開いたエレベーターに、舌打ち一つ。子供染みた八つ当たりで蹴り付けた箱が、鈍く軋んだ。















「クールダウンっ、クールダウンオッケー?!(´○` )」

飛び付いた健吾が羽交い締めにしたお陰で、漸く足を離した男が眼鏡を押し上げた。
太陽を下敷きにした二葉を余所に、太陽の背中を支えている要が深い息を吐く。

「神帝を足下にするとは…流石です、猊下」
「うーん、そこ褒めるとこじゃなくないかなあ?」
「神崎に一票」

瞬きながら背後の声に片手を上げた。幾ら何でも、足でガラスに人の頭を押し付けてはならない。例えそれが、太陽の髪を引き上げようとした男だろうが。

「す、スんませんでした会長。ちょっとうちの会長の機嫌が悪いみたいで…(;´Д`)」
「お離しなさいセクシーホクロきゅん、僕はとっても上機嫌ですわよ。はい、元気ですとも」

低気圧を巻き起こす黒縁眼鏡は真っ直ぐ仮面の男を見つめている。今の素顔はどれほど恐ろしいだろうかなどと見当違いな事を考えて、いつの間にか離れていた二葉から抱き起こされた。

「怪我はありませんか?」
「へ?あ、ああ、はい、そんなに重くなかったですし…」
「まぁ確かに、私と君は4kgしか変わりませんからね」

瞬いた太陽が痺れたらしい。
身長差は果てしないのに、体重は変わらない。その末恐ろしい現実を目の当たりにし、絶望したのだろう。
筋トレしようと密かに平凡副会長が拳を固めた先、停車したらしい。左側のドアが静かに開き、運転手が恭しく頭を下げた。

「到着致しました、マジェスティ」
「ああ」
「残りの皆様はどうなさいますか?」
「指示通り送り届けて差し上げろ」
「畏まりました」

ゆったりと足を下ろした男に、健吾の脇腹を擽っていた俊が眼鏡を押し上げる。漸く広くなったと喜んだ太陽が左側に腰を下ろしたため、恐らく降りようとしていたらしい二葉が口籠もった。

「はー、やっとまともに座れたー。何かすいませんでした、先輩」
「お気になさらず」

走り始めた車体、巨大な白い建物から遠ざかっていくのを見送りながら、漸く健吾から擽りの手を離した俊が太陽の太股を叩いた。

「ねね、あれ母ちゃんちの病院にょ」
「は?あ、確か病院の家系だっけ」
「ぅわぁ、でも今の遠野総合病院だったよぉ。あっ、遠野って…」

健吾や隼人、要までもが初めて知ったのか驚き顔だ。シートのベッド部分を抱き締めながら振り向いた桜が、興奮げに口を開く。

「じゃ、俊君はぉ医者さんになるの?」
「ならないにょ。だって病院ってばお化けがうじゃうじゃいるのょ!」
「医者になれって言われない?俺なんかさー、母親からいっつも跡継ぎらしくしろって言われるよ」

母親を思い出したのか苦い顔をした太陽が、健吾経由で回ってきたピンキーを頬張る。
一人居なくなっただけで、この解放感は何だろう。ついこの間までこの世で一番嫌いなのは叶二葉だと自信を持って言えたのに、今やその二葉が天使に見える。

「何にも言われた事ないにょ。母ちゃんが父ちゃんと駆け落ちしたから、お医者さん辞めたんですし」
「何か前にちょっと聞いたよね、それ。お父さんはサラリーマンなんだろ?」
「安月給にもめげない、しがない甲斐性なしのクソ親父なりん。帰って来たらビール呑みながらぷよぷよするにょ」

二葉の目が俊を凝視していた事には、恐らく誰も気付かない。遠くなりゆく病院を窓から眺めていた健吾が、感心めいた息を吐いているだけだ。

「しっかし、でっけー(´△`_) あの病院、確かインフルエンザ掛かった時に行ったっしょ(´∀`)」
「この界隈で最も設備が整っている病院ですからね。勤めている医者も粒揃いだと聞いた事があります」
「医者かあ。隼人くんのお祖父ちゃんも、お医者さんだったってゆってたなー」
「へー、神崎のお祖父さんも医者だったんだ。桜は和菓子屋さんで、俺が食品会社、」
「「「「「ワラショク」」」」」

全員の声が合わさり、何となく頬を染めた太陽がわざとらしい咳払いをした。庶民に愛されているとは思うが、あの親馬鹿甚だしいコマーシャルソングが恥ずかしくてならない。
社長自ら作詞したなどと、経済番組で報道された事もあるくらいだ。コマーシャルで度々放映される一番の歌詞には、太陽の名前が盛り込まれている。

「とにかく、俺と桜が同業者って感じだし、俊と神崎が医者の家系で、錦織は青年実業家」
「実業家、ねぇ」

傍らの二葉が嘲笑めいた笑みを零した。キッとそれを睨んだ要の肩を、曖昧な笑みを浮かべた健吾が軽く叩く。

「今や月収300万っスよ。頑張ってるっしょ、うちのカナちゃん(*´∇`)」
「ケンゴ」
「私の日給と然程変わりませんねぇ。良く頑張りましたね、青蘭」
「貴様…っ」
「錦鯉きゅん」

ぽいっと、要の太股に青縁眼鏡が落ちた。今にも立ち上がらんばかりだった要がそれを見やり、ぱちぱち瞬く。

「それってばお洒落度が高過ぎて僕には似合わなかったにょ。まま、掛けて下さいな」
「あ、ああ、はい、判りました」

気を削がれたらしい要が素直にそれを掛け、フラッシュが瞬いた。

「お似合いです!流石でございます、何だかとっても優等生攻めチック!」
「えー、隼人くんのほーが絶対似合うしー」
「モテキングさんにはこちら、お洒落な中にも輝きがあるお眼鏡をご用意してますにょ」

キラキラ光り輝く眼鏡を恭しく取り出した俊に、健吾と要が揃って吹き出した。余りにも光っているそれは、どうやらラメ加工を施してあるらしい。
レンズが魔方陣染みた六芒星の形をしていなければ、ただ派手なだけだったのだろう。

「うわー、…かっこよいなー」
「ささ、どうぞお使い下さいな」
「神崎、嫌ならちゃんと言わないと立派な大人になれないよ」
「ふぇ?モテキングさんは嫌だったにょ?ふぇ」
「あは、全然いやじゃないよお」

開き直った隼人が眼鏡を纏い、再びドアが開く。大きな屋敷だと太陽が窓の外を見やれば、前の席の桜が振り返った。

「あ、ここ桜のお宅?」
「ぅん。じゃぁ僕、此処で」
「判った。明日連絡するから、遊びに行こ」
「桜餅、ばいばーい」
「ばぃばぃ、また明日ぁ」

春休みに実家へ帰らなかったと言う桜だけが車を降りる。太陽側でそれを見送った運転手が、次の行き先を尋ねてきた。

最終目的地はカルマのアジトでもあるカフェだが、二葉が乗っている今現在、真っ直ぐ向かう訳には行かないだろう。
どうする、と言う目を要達に向ければ、俊が先に口を開いた。

「僕のお家はいつでも大丈夫にょ。お弁当箱持ってくだけですし」
「判った。すいません運転手さん、次は4区でお願いします。緑ヶ丘公園の前まで」

隣の二葉が微かに震えた気がする。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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