帝王院高等学校
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「うげ」

マンゴーパフェ、ケチャップ抜きのフライドポテトにカフェオレ。
コーヒーソーサー一つを前に、向かい合った男のオーダーが届くなり眉を潜めた。

「久し振りに見ましたけど、…きっついなー。見てるだけで胸焼けが…」
「あ?俺が何を食おうと、お前にゃ関係ねぇだろうが」

辛いものを食べると甘いものが欲しくなる、と言う相対主義の男は、食事の際にスナックをおかずにする子供染みた所がある。
昨夜から何も食べていない筈なのに、凄まじい満腹感だ。

「塩アイスとか塩キャラメルとかよぉ、出て来るのが遅ぇんだよ。俺なんかスーパーマリオやりながらポテチとチョコ食ってたかんな、餓鬼の頃」
「あはは、僕はドリキャス世代なので…」
「ばったばた出て来たからよ、あんま飯食ってねぇんだよなぁ。朝飯は欠かさず食ってんのに」

初めて見た時は、今正にウェイトレスの様な表情を晒した筈だ。狼狽えなかったのは、あの時同席した秘書くらいだろうか。

「今日は金魚の糞が見えねぇな、眼鏡の」
「ああ、小林君はうちの秘書ですよ。会社に居ますとも」
「ワラショク、でかくなったなぁ」

懐かしむ様な、何処か父親めいた賛辞に小さく笑った。起業したばかりの時は、全くコネクションなど無かったのに、目の前の男は「面白い」の一言で口を利いてくれたのだ。

「有難うございます。一部上場してから、やっと5年経ちました。まだまだ油断出来ませんよ」
「やっと立派な一流企業じゃねぇか、胸を張れ。新卒の希望先でモテモテだろ」
「有り難い話です。出来るなら僕が面接を受けたいんですけどね、本当は」
「組織の頭っつーもんは、でんと構えて下に任せるもんだ」

高坂とこうして直接顔を会わせたのは、嶺一に紹介された一度きりだ。
極道との繋がりが露見すれば世間体のマイナスになる、と何の感慨もなく吐き捨てた高坂は、以降一度も連絡を寄越さなかった。

様々な方面に顔が働く高坂の名には、あらゆる場面で助けられた覚えしかない。
そう考えながら、生クリームをポテトに付けて頬張る男へ改めて頭を下げる。

「んだ、急に」
「本当に、その節はお世話になりました。何の挨拶もせず今まで、申し訳ありません」
「はん、構わねぇよ。無条件で後輩の面倒見るのは、先輩の役目だ」
「でも、」
「煩ぇ。小せぇ事をいつまでも気にするな」

相変わらず、気持ちが良い。
余りの喧嘩っ早さと手の早さに、中央委員会長でありながらFクラスを率いていたと言う男は、歴代中央委員の中で唯一風紀補導歴がある。
高校時代にそれを嶺一が話した時、当代の中央陛下は珍しく声を発てて笑った筈だ。


『私もグレてみようか』


可哀想な、可哀想な男は。
突如現れ義兄を名乗った悪魔に存在を奪われ、命じられるがまま悪魔の仕事を手伝っていた。毎日毎日、夜が更けるまでパソコンの前。
真紅の塔の中、授業に出る事を許されず。外界の誰にも顔を合わせぬまま、気付いたのは。

『下等人種が』

彼の存在が中等部時代から消されている事に、気付いたのは。
それを指摘した人間に、悪魔が牙を剥いた日。


思い出して無意識に己の体を抱き締めた。


「どうかしたのか?」
「あ、…いや、大丈夫です」
「で、帝王院に何かあったんだろ?」

僅かばかり声を潜めた男がカフェオレを一息で煽り、いつの間に取り出したのか、スライドさせた携帯電話を見やる。

「ご存じだったんですか?もしかして、」
「ああ。昨夜、クソオカマからな」
「やっぱり」
「本音言えば、グレアムだか何だか知ったこっちゃねぇんだけどよ。…こっちも事情が変わっちまってなぁ」
「ちょ、禁煙ですって!」
「ちっ」

病院のレストランで堂々と煙草を取り出した男に慌てた。片眉を跳ねた高坂が、半分残ったフライドポテトをそのままに伝票を掴む。

「助けてやりてぇのは、山々なんだがな」

ずんずんレジカウンターまで向かう背中を追って、躓きながら駆け寄った。

「先輩、此処は僕に肩を持たせて下さい。呼び止めたのはこちらですし、」
「阿呆抜かせ、後輩に奢られる様じゃ俺の虎も地に落ちるってもんだ」
「うー、然しそれでは…」
「山田の癖に調子乗んな、素直に払われとけ」
「じゃあ、ご馳走様です」
「コーヒー一杯なんざ安いもんよ」

にっ、と笑った男に渋いぜと敗北感を味わった。認めたくないが童顔の部類に入る自分は、精一杯の努力の結晶で今の「オリエンタルビューティー」を手に入れたのだ。
何の努力もせず大学生と間違われる親友よりは、マシだろうか。

「その代わり、コレ付き合え」

スーツのポケットから煙草のパッケージをちらりと覗かせた男に頷いて、一番近い喫煙所を掲示板で調べる。

「玄関横が一番近いみたいですねー。で、さっきの事情が変わったって何なんですか?」
「あー、あれか。…うちの嫁、さっき見ただろ?」
「あ、はい。イギリスの方でしたよね」
「ヴィーゼンバーグっつー、公爵家に当たる上流階級の娘だ。年の離れた兄貴が蒸発して、本来なら跡継ぎだったんだがな」
「侯爵?公爵?」
「プリンスの方だよ」
「な。じゃ、王宮直下ですか?」
「本筋じゃねぇらしいがな。王宮と血縁関係にあるのは間違いねぇ」

漸く、喫煙所が見えてきた。

「その所為で息子に白羽の矢が立ってんだよ。今度18になるからか、最近マジで煩くてな。それに口利きしたのが当代グレアムって訳だ」
「神威が…」
「叶ん所の二葉はともかく、アレは流石の俺にも扱い難い」

非喫煙者の自分には余り縁がない所だと考えて笑う。数年前まではヘビースモーカーだった癖に。

「あーあ、いつから喫煙者に厳しい国になっちまったんだろうなこの国は…」
「うちの子供達が生まれた頃にはもう、車の中と自宅のベランダくらいがサラリーマンの憩いでしたよ」
「吸わねぇ奴は俺らを病人扱いしやがる。テメェらより多く税金払ってんだ、好きに吸わせろっつーんだよ」
「知ってますか?トイレで新聞読んだら離婚対象になるそうです」
「世知辛い世の中だ。その点、うちはトイレ3つあっからな。浮気さえしなけりゃ、大抵イケるぜ」

喫煙所の椅子にドンッと腰掛け、飴色のジッポーで火を付けた男が満足げに紫煙を吐いた。
セブンスターとは渋いぜと瞬き、隣に腰掛ける。

「一本どうよ」
「頂きます。やめてからそれこそもう5年になるんですけどねー」
「一回、味占めたモンは中々やめらんねぇもんだ」
「正論だなー。所で先輩、奥さんは何で俊江さんと?僕もあの時は大分混乱してたので、彼女と話す機会がなかったんですけど…」
「トシの留学時代に交流があったらしい」

世間は狭いと呟いて、吐き出したばかりの紫煙を見やる。午前の喫煙所には他に誰も居ない。
遠くの空に重苦しい積乱雲が見えた。こちらは晴れているからこそ、凄まじい違和感だ。

「あれが、帝王院の嫁か。この病院に匿われてんだったな、うちの学園長はよ」
「ええ」
「んだ、自棄に覇気がねぇな。まだ何かあんのか?」
「実は、…嫁に浮気がバレてましてね」

何とも痛々しげな表情から見つめられて、ドーナツ型の煙を吐いた。
判っているが、だからこそ何も言わないでくれと言う願いは、



「慰謝料破産だけは回避しろよ?」


やはり果たされなかったらしい。










「お待たせして申し訳ありません、会長」
「お帰り。首尾はどうよコバック」
「小林です。流石に元中央委員会長にして、学園改革の立役者ですね」

車に戻って来た男が運転席に座るなりネクタイを緩め、エンジンを掛けた。

「数は多い様に見受けられましたが、まだ見付かって居ない様です」

赤いバーバリーのストールを頭に被りサングラスを掛けた人は微かに笑い、ファンデーションのミラー越しに背後の様子を窺い肩を震わせた。

「ふふ。発信源が悟られても困らない様に、8区のあらゆる箇所から錯乱信号が放たれてたわけ」
「その様ですね」
「システムを作った張本人が言ったんだもの、ある程度は撹乱出来るでしょ」
「流石、ヤマダエレクロニクスの子息ですねぇ」
「どの道あの子の家が見付かる頃には蛻の殻ってコトかしら」
「抜かりは無いでしょうね」
「でも息子はともかく嫁が居るでしょ?例え皇子の事を口止めしてたとしても、相手はグレアムよ」
「私の情報が確かなら、あの家の所有者である女性は棟梁の元に居ます」
「は?」

緩やかに走り始めた真紅のフォルム、明らかに一般人ではない人間達が遠く遠く離されていく。

「内部からの情報なので間違いないでしょう。私を支持する者が居ると言う話はしましたかねぇ?」
「ああ、先代が亡くなって、貴方に後継の打診があったんだったかしら」
「当時私は警察署に居りましたし、婿養子先の妻とも漸く縁が切れた頃でしたから。丁重にお断り申し上げたんですが…」
「良く言うわ。浮気がバレて離婚した癖に」

縁が切れた、つまり養育費を払い終えたと言う話だ。高校時代に良家の娘を孕ましておいて、就職し結婚するなり数年で破局したらしい。

「箱入り娘一人に飼い殺されるのは真っ平でしてねぇ」
「男やもめなんてアタシは真っ平、寿命縮まりそう。ほら美人薄命って言うし?」
「社長は長生きなさいますよきっと」

これが清廉潔白であるべき風紀委員長の末路かと爆笑した覚えがある。

「冬臣の専属は現在、帝王院財閥総帥の元にあります。建前は養生中ですが、事実上、帝王院駿河はぴんぴんしているそうです」
「はー、やっぱりとんだタヌキだわ。流石、学園長」
「私達が中等部在学中に、最上学部を卒業したばかりの若造でありながら就任したんでしたね」

高等部卒業後、単身アメリカへ渡った嶺一は然程会話した記憶が無い。
ただ、あの荒んでいた頃、祖父以外に唯一。鬼の様な赤い目と髪を美しいと言った人間だ。

「低い声で囁く様に喋る人だったわねぇ。何処からか野良猫を拾って来て、猫相手に話し掛けてた」
「初めて知りました。あの学園長のお陰で、我が風紀委員会がどれだけ走り回ったか」
「あの目付きの悪さと無口さを差し引いても、あんな色男見た事ないもの。結婚して子供が出来たって判っても、諦め切れなかったんじゃないの?」
「初代中央委員会長、帝王院駿河ですか。彼の為に建てられた学園が、今やグレアムの手中とはね」
「アタシの所為、かしら。25年前にクリスを誑かした悪人だもの」
「貴方が恨まれているのは、従事頭のリミュエルだけでしょう?遥か高みのキングが目を付けた理由にはなりませんよ」

真っ直ぐインターチェンジを登る窓の外を眺め、判っていながら確認の意味で口を開く。
どことなく暗い雰囲気を払拭させる為だ。

「つか、何で都市高逆走してんの?我が社は東京国際空港の真裏よ、飛行機だらけよ」
「羽田には戻りませんよ。お忘れですか社長、今日は名古屋で招待パーティーに出席予定です」

冗談から言い出したのは自分だが、嫌な事を思い出してしまった。名古屋が嫌いと言う訳ではなく、

「…ゼロのお見合いだったわねぇ。ったく、何処の成金の娘か知らないけど巫山戯んじゃないわよ」
「筆頭株主の一つ、三田村製菓の一人娘が零人さんを見初められたとか。結構可愛らしい女性でしたよ、…世間知らずで頭が悪そうな」
「はっ、甘やかされた馬鹿娘かよ。ま、扱い易いに越した事はねぇな」
「会長、言葉遣いが戻ってますよ。もっとお上品に」
「うーん、それにしてもあの子が素直に会ってくれるかしらねぇ」

パカッと携帯を開く。
長男からの返信は了解の一言だったが、今でこそ大人しくなったものの、昔は手が付けられない程やんちゃだった息子だ。佑壱など可愛いものである。

「零人さんには今のところ、恋人らしき相手は居ない様ですよ」
「ん?あの子に恋人が居た事なんてあったかしら」
「対人恐怖症だった貴方みたいに、初恋相手に童貞喪失なんて無様な真似はなさらないでしょうよ」
「ぐ」
「いやぁ、童貞の癖に一児の父になったのだから逆マリアとでも言いましょうか」

性悪秘書に口で勝った試しがない事を思い出し、息を吐いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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