帝王院高等学校
主人の三歩後ろを歩きましょう
「だ、大丈夫ですか?!」

無抵抗の男が警備員達によって拘束されるのを見届け、漸く我に返った少年が躓きながら駆けていく。
弾き飛ばされた眼鏡に構わず茫然と警備達を見ている長身の足元に、金属の塊。

「何で私立高校にこんなモンが?いつからうちはガンナー養成所になったんだ…じゃなくて大丈夫ですか、け、怪我は?!」

恐ろしいものを見る目で足元を睨んでから、狼狽したまま二葉を覗き込む太陽は半ば無表情だ。いつものやる気なげな表情でも、二葉に遭遇した時に見せる嫌そうな表情でもない。

「ってか!あんな所で割り込んだら危ないだろっ!責任感があるのは判るけど、幾ら風紀委員でもただの高校生なんですよ」
「…往生しおすえ。あてがたらかされよるとはねぇ」
「は」
「だだがらいお顔やこと。ほんにえげつない口と違て、かいらしい」

にこり。
陽の光を背後に甘ったるく微笑んだ美貌を見つめ、急速に顔が熱を帯びる。何事だと頬を押さえ頻りに眉を寄せる太陽を余所に、眼鏡と拳銃を交互に拾い上げた男が瞬いた。

叶如きが、と。
言われたのは、日本では初めてではないだろうか。経済上も、家柄でも。日本を代表する帝王院・東雲までは無くとも、加賀城には匹敵する。

「まさか、ね…」

いつの間に居なくなったのか、理事長の姿は無い。遠目に見た時、神威と見間違えたのは秘密だ。
神威を庇うつもりがキングだと判り油断したのも事実。余りにも情けない。

「あ」
「何か?」

弾かれた様に顔を上げた太陽を見やり、一瞬だけその存在を忘れていた事に気付いた。どうやら大分混乱しているらしい。痛みなどない筈なのに、酷い偏頭痛に陥った気分だ。
眩暈がする。

「…けったくそ悪い」
「それ忌々しいって意味ですよねー」
「いや、そんなつもりでは…」
「ふーん」
「あの…」
「ま、いいですけど。それより閣下が京都出身だって今更思い出しましたよ」
「ご存じだったんですか?」

あの何にも興味がなさそうな、常に一人で行動していた様に思う。そんな太陽の言葉に瞬いた。噂話や流行になど、一切興味が無いと思っていたのだ。

「知らない奴のが少ないんじゃない?ご自分の知名度を知った方がいいですよ」
「ふ、聞き慣れた賛辞ですねぇ。私の美しさなど、六法に記されるほど公然の事実」
「確かに美形ですねー」

拳銃だけは警備員が持って行ったが、相変わらず眼鏡を持ったままの二葉からそれを奪った太陽と言えば、何の気なしに呟きながらそのフレームを掴み、

「さっきの毒々しくない笑顔は、可愛かったです」

やはり何の気なしに宣いながら、甲斐甲斐しく二葉の目元を塞いでやる。満足げに一つ頷いて遠慮なく二葉の手を鷲掴み、

「ほら、くいってして下さい。インテリっぽく、くいって」
「は、はぁ」
「そうそうそんな感じ。よし、綺麗ですよ」

天然タラシに目覚めたのか否か、眼鏡を押し上げさせた太陽が満面の笑みを滲ませた。

「何かの撮影だったんかなー」

当の本人は珍しく真っ赤に染まった二葉には目も向けず、混乱が去ったテラス周辺を見渡し初期の着信音を奏でた携帯を開いている。

「はいよー、こちら現場の山田です。そちらは行方不明中の遠野さんですかい?」

ずんずん勝手に歩いていく太陽を、恐らく無意識に目で追っていた男はぶんぶん頭を振り、無言で口元を押さえた。誰も居なかった事だけが救いだろう。

「はぁ?パトロン捕まえた?何かよく判んないけど、了解。今そっちに向かってるから…」

くるりと振り返った太陽が、口元を押さえたまま何処ぞを見つめている二葉の元まで小走りに近付いてブレザーの袖を掴んだ。
掴まれた男は無言無表情のまま混乱しているのか、引っ張られるまま素直に足を動かしている。

「とりあえず、俺も聞きたい事あるし今一緒に居るから連れてく。うん、じゃ、グランドゲートで合流ねー、はいよー」

ぱたんと閉じた携帯をハーフパンツのポケットに突っ込み、袖を引っ張ったままの二葉へ振り返った。

「って事なんで、このまま付いて来て下さい。いやまー、八割方理解してないでしょうけどねー」
「…」
「実は俺、今日は実家に顔出す予定だったんです。毎週意味もなく電話寄越す父親が、小遣いくれるって言うもんだからー」
「お父上、ですか。株式会社笑食グループの…」
「何でもよく知ってますね。で、俺は弟に鉢合わせない様にとっとと行ってとっとと帰りたいんですよ」

ずんずん、遊歩道ではなく校舎に入っていく背中を眺めながら漸く意味に気付いた二葉が何処となく身を縮めた。
目の前の小さな背中は、恐らく昨夜の事を凄まじいほど根に持っているらしい。これがA型とB型の違い、だろうか。

今頃、部屋で優雅に寛いでいるだろう日向を思い浮かべ、無言で眼鏡を押し上げた。何故あの佑壱を連れ込んでいたのか聞けずじまいだったが、一発くらい殴っておけば良かった気がする。

「つまり、グランドゲートまで道を繋げろ、と」
「いやー、頭がいい人は話が早いですねー。使えるものは親でも使えって言いますしー、この際使えるものは魔王でも使おっかなーって。あはは」

朗らかに笑う太陽の手が、袖の上から二葉の手首を掴んだ。痛みこそないが、ギリギリ強まる力は判る。

「じゃ、寮を分解した魔王様、今度はそのお力でこのエレベーターを宜しくお願いします!」

Fクラスの領域と名高い端校舎の塔に上がるなり、近場のエレベーターを指差した太陽が晴れやかにドス黒い笑みを湛えた。

「簡単に仰いますが、私の権限ではそう容易く組み換える事など、」
「出来ますよね」
「確かに不可能では、」
「出来ますよね」
「…少し時間を下さい」
「1分以内。吉野家の迅速さを見習いましょう」

ふらふらとエレベーターパネル脇の電子掲示板に近付いた二葉が、腕を組んだハーフパンツの目に睨まれながら指輪を窪みに押し当てた。
こんな事ならグランドゲートまでのショートカットを作っておけば良かった、などと。寮を全解体させた魔王が切ない溜息を吐いている真横、


「ちっ、祭の野郎、大河が居なくなってから調子に乗りやがって…」
「何が馬鹿はFクラスに必要ない、だ。お陰で朝からこちとら補習受けさせられて…だったらテメェこそSに帰れっつーんだよ!」
「どうせ神帝にゃ勝てねぇ癖に…!」
「ふん、全員で一回絞めとくか?李さえ居なけりゃあんな奴、」

今正にそのエレベーターから降りてきた私服のヤンキー達の目が、縮こまる二葉と晴れやかな表情の太陽を睨んだのは気の所為だろうか。

「テメェは叶…っ、って、あれ?」
「あ?そこの男前はまさか…」
「ご、ご主人様?」
「山田太陽様?」

不良を睨まず黙らせたハーフパンツと言えば、白百合を睨みながら片手を挙げた。


「朝から補習ご苦労様です、先輩方」
「「「「ご主人様こそっ、お勤めご苦労様ですっ!」」」」

案ずるなかれ。
Fクラスの反祭派は、スヌーピーの証だ。










『ふーゆよこい♪ はーやくこい♪』

酷く愉快げな幼い歌声が聞こえる。
日差しを避け、今はまだ青い楓の木の上で微睡んでいた瞼を開いた。


『へったくそ』
『あ、ネイちゃん、みっけ』

ぐるんと振り返り、虫取り網と虫籠を抱えたまま見上げてきた零れそうなくらい大きなアーモンドアイが、ふにゃりと笑みを描く。

『ネ〜イちゃん、あそびましょー』

怒鳴り声に近い至近距離からの声音に溜息一つ、飽きずサッカーボールを蹴っている金髪の子供へ一瞥を与え、軽やかに飛び降りた。
つい先日、日向を苛めていた二葉に嫉妬したらしいこの子供は、極道の跡取り相手に泥団子を投げ付けた。それも30個、だ。

泥塗れで呆然としている日向へビシッと指を突き付け、お前さんとは遊んでやらない!と宣言した子供に、友達が居ない日向が豪快に泣いたのは記憶に新しい。
幼稚園児に泣かされた小学一年生は、母親にバレて竹刀で尻を叩かれていた。思わず同情したほどには哀れな光景だったと言えるだろう。


腹を抱えて笑ったが。


『おおー、ネイちゃんせんしゅ、金メダルですー』
『あほか』

ぱちぱち、拍手と共に迎えられながら、幼い体の倍近くあるだろう虫取り網を見やる。そろそろ時期外れではないかとは思うが、口にはしない。

『アキちゃんはあほじゃないもん、あほは坂田だもん』
『ほんまけなりいあっぽや。はんちゃらけに洗うのはおよし、いじましいでぼちんが汚れとるえ』
『うえー、いま何てゆったのー?』
『マジで羨ましい馬鹿だな。中途半端に洗うから、意地汚いデコにチョコレート付いてる』
『えー。あ、ほんとだ。さっき食べたお好み焼きのソースついてたー』
『ソースかよ』

へらへら笑いながらTシャツの袖で額を拭う光景に、もう一度息を吐く。二歳違いでこうも違うものだろうか。
いやまぁ、たどたどしいながらも言い返して来るのだから、ただの馬鹿ではないのだろうが。

『あのね、今日からオボンの用意するからって!パパがお手紙書いてたー』
『オボン?』
『ナスビとキューリでお馬さん!ほんとはねっ、ほんとはねっ、7月15日なんだよー』
『ああ、その盆か。そう言や、そないな行事があらはったなこの国には…』

手当たり次第の木を覗き込み見上げ、徐々に数が減っていく蝉を探す背中を追い掛ける。

『おばーちゃんが帰ってくるから片付けなさいって、おかーさんうるさい』
『散らかすからだろ』
『うえー、ネイちゃん、やすくんみたいー』

幾つか見付けたが、高い所で鳴いているので子供には難しい。バシバシ網で幹を叩いているが、それでは逃げる一方だ。

『えいっ、やーっ、たーっ!』
『…虫取りっつーより、剣道だな』
『ありがとーは、おーきに。いらっしゃいませは、おこしやすー。うんっ、アキちゃんちゃんと覚えたよ!』
『そーかい。…あ、逃がした。あかん、もう何処ぞに退いたわ』
『ちぇ。もも組のハル君はいっぱい捕まえたってゆってたのにー』
『はん。自棄に張り切ってると思えば、張り合ってた訳だ』
『男の戦いですー、負けないもんねー』

あきちゃん、と。
遠くから呼ぶ声が聞こえる。見た目は全く似ていないのに、声だけなら酷く似ているからやはり双子か。
それを聞いた当の本人は虫籠を抱え直し、しゅばばっと逆方向へ走り出した。

『大変だ大変だ、やすくんがもうここに目を付けたっ』
『しょぼい行動範囲がこの公園だけだからだろ』
『ネイちゃん、かけおちしましょー』
『はいはい』

一度だけ、兄曰く口煩い弟に一緒に居る所を見られた事がある。およそ子供らしくない少年はありありと嫉妬を滲ませた目で、臆する事なく睨み付けてきた。

『こないだも内緒でアメリカ行ったくせにー』
『双子なのに弟ばっか可愛がってんのか、父親は』
『アキちゃんはパスポートがないから、駄目だってー』
『作れば良いだろ』
『ネイちゃんはアメリカ行ったことある?あのね、ハリウッドがあるんだよ』
『ロサンゼルスは、少し前に行った』
『ろさん?違うよ、アメリカだよ』
『ロサンゼルス市にハリウッドがあんだよ。っとに馬鹿だなお前は…』
『呼び捨て禁止っ』
『はいはい、お前さん』

以来、どうやらその弟から二葉とは遊ぶなと釘を刺されている様だ。
確かに、高坂の息子と関わりがある二葉に近付いてくる子供は居ない。二葉自身、先程の様に木の上やら物陰やらに身を潜めているから尚更だ。

『セミさん、いないねー』
『冷夏の影響で少ないっつー話だ』
『アイスクリームもあんまり売れないってゆってたよー、おじちゃんが』
『殆ど毎日食ってるお前さんは上得意客だろうな』
『はー、まっちゃ食べたくなっちゃったー』

ポケットを漁る小さな頭を横目に、誰かの気配を感じて振り返る。誰も居ないのを細心の注意を払い窺えば、くいっと手首を掴まれた。

『ネイちゃんってばー』

やはり、この子供にだけは触られても不快ではない。他人なら振り払っていた筈だ。


『いちえん、あったー』
『…買ってやるから、それはしまえ』

それが何を意味するのかを、その時はまだ、考えようともしなかったけれど。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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