帝王院高等学校
主は隣人を愛せと仰いました
彼は企んでいた訳ではなかった。と言うより、特に何とも思っていなかった。
好きでもなければ憧れてもいない同級生に抱かれるのは、けれど焦がれてやまない男が手に入らない侘しさを紛らわせるのに酷く都合が良かったから。

踊らされている、とか。
駒だなどと、考えた事はない。全ては自分の意志で、全ては自分の為に行ってきた事に他ならないのだから。
諦めではなく、ひたすら純粋に尽くしたかっただけだ。純粋に、彼の役に立ちたかっただけだ。


二つも年下の男に心を奪われた。
言葉にするのが難しいくらいの覚悟で告白をした。

柔和で優しげな目尻のオブラートに包まれた無機質な眼差しの下、甘ったるい口調のセロファン。恋心と言うフィルターを掛けていても透けて見えたのは、寒々しいまでの「排他」だった筈なのに。

初めてのキスで何も彼もつまらない事の様に思えた。じわりじわり蝕んでいく熱に歓喜して、つまらない現実など必要ないと思えた。
彼の為に、彼の為だけに生きていこうと。ひたすら純粋なだけだった恋心は、いつしか化学変化を起こしていたのだろうか。


「相変わらず残念なお顔ですねぇ」

いつか。
魔王と恐れられている美貌の男が、酷く甘ったるい声音で囁いているのを見た。あれはきっと、彼と自分が同じだから気付いたのかも知れない。
届かぬ人を想う眼差しに、気付いた瞬間から憎悪は始まった。

努力している。
身なりも成績も、彼の為になる事なら何でもするつもりで、実際そうしてきた。なのに彼は近付く所か益々遠い存在になっていく。今ではもう、月に一度のメールすら届かなくなった。

なのに。
魔王と恐れられている美貌の男が、何よりも美しいものを見る目で見つめているのは何の取り柄もなければ、人混みに埋もれてしまいそうなほど特徴がない平凡な少年だ。
細身だがただそれだけで、かさついた唇が何の手入れもしていない事を教えている。


白百合と評される美貌に憧れてはいない。御三家だろうが中央役員だろうが、ただの同級生とさして変わらない認識だった。それは一生変わらないだろう。

なのに。
皆が慕う御三家、つまり学園を代表するに相応しい全てに秀でた男が、だ。あんな何の変哲もない凡人を、他人に容易く悟らせるほど明白な眼差しで見つめていたから。

「幸せになりたいなんて」

急速に。
忘れていた筈の現実を思い知らされた気がした。気付きたくなかった現実を、突き付けられた気がした。
結局、何をやっても愛しい人は手に入らない。純粋に尽くしていると宣った所で、押し付けがましいにも程がある自己満足だ。

「僕は考えた事もない。だからって、自分は可哀想なんだなんて、一度も…」

彼の為に愛してもいない男から抱かれているのだ、などと。悲劇のヒロインを演じていただけ、実際はただのピエロ。


「みんな」

何もせずに愛して貰えるあの凡庸な少年が、羨ましかった。


「…不幸になれば良いんだ」


なにせ。
本当に好きな人には、告白すらしていない。










「おぉ!これはお目が高いですなっ、色男!」
「「あ?」」
「え?」

如何にも怪しげな乱入者に、ラディッシュを凝視していた佑壱と集まってきたギャラリーに紛れていたらしい親衛隊のチワワ達に囲まれていた日向が眉を跳ねた。

「ちょ、ちょっと?困るよ、勝手に…」
「いやいや、やはり色男は見る目が違いますな!どれも自慢の商品です、よってらっしゃいみてらっしゃい!」

日向と佑壱を交互に見つめていた作業着の生徒と言えば、遠慮なくビニールシートの上に踏み込んできた他人に驚き顔だ。野菜にしか興味が無いらしい赤毛は見事なまでの放置プレイっ振りだが、その後ろで左右から腕を引っ張られている男は何処かで聞いた声だと片眉を跳ねている。

「光王子様ぁ、紅蓮の君が本命でも僕は構いませんからぁ」
「柚子姫ばかりご寵愛なさらないで…、以前は可愛がって下さったじゃないですか。もう僕じゃ駄目ですか?」
「後ろのホモ共、うっせ」
「「きゃー!紅蓮の君に話し掛けられちゃったぁ」」

過激派名高い日向の親衛隊は、基本的にミーハーばかりらしい。振り向きもせず吐き捨てた佑壱に頬を染め、当の日向に寄り掛かりながら黄色い悲鳴だ。
思わず耳を押さえたくなった日向の両腕には、見た目こそチワワだが男なりの重さがあるので眉を寄せるだけに終わる。

「嵯峨崎、早くしろ」
「煩ぇ、つべこべ言わず黙って待っとけ」

嫌気が差したらしい日向に、やはり振り向きもせず吐き捨てた佑壱は赤い野菜を手に取った。放っておけば良いのに素直に佇んでいる日向は、恐らくその選択肢に気付いていない。

「おぉ、そのプチトマトは太陽の恵みを受けて瑞々しい甘さを、」
「あ?こりゃラディッシュだろーが」
「あ、あはははは〜、そ、そうでした、ラディッシュでした。とにかくっ、それはイチオシの商品ですっ!」

サイズの合っていない作業着は裾が足りず、引き替えにウエストが随分緩い。鼈甲縁の分厚い眼鏡と顔半分覆う目深に被ったキャップ、佑壱の指摘に痙き攣った明らかに怪しい男はくるりと背を向け、突然の乱入者に未だ瞬いている生徒を見つめた。

「…あかんねん、俺は野菜とかそない詳しないんや。名前と特徴は知っとっても、色と形が似とる奴は見分けが付かへん」
「は?つか、アンタ勝手に上がられたら困るよ」
「見逃したれ。俺には為さねばならん仕事があるんや…!」

ぐいぐい不審者の腕を引っ張る店主と、相変わらずチワワからの求愛攻撃を受けている日向を余所に、屈み込んだままむっつり唇を引き結んだ男は、

「高坂ぁ、里芋の煮っ転がしと大学芋ならどっちだ?」
「あ?」
「辛いのと甘ぇの」
「甘ぇのは無理だ」
「んぁ?お前、甘党じゃなかったっけ?」

里芋の籠を持ち上げながら、頭だけ反り返らせた佑壱が背後の日向を見やりなけなしの眉を寄せる。
ついっと目を逸らした日向は、耐えられなくなったのか引っ付いてくる親衛隊一同を軽く振り払い、無駄にわざとらしく咳払いなどしていた。

「じゃ、そっちのラディッシュとパプリカと里芋くれ」
「あっ、はい!」
「おおきにー、ちょいとお待ち下さいな、いま詰めますさかいに!」

いそいそビニール袋を取り出した店主を弾き飛ばし、嬉々として野菜を掴んだ変質者は、今の一瞬で正体がバレた事に気付いていない。
佑壱と日向が痛ましげな眼差しで村崎を見ている事に気付いた尾行部隊と言えば、隼人は目元を覆い健吾は眉間をつまみ、裕也は見なかった事にしたのか明後日の方向を見つめ、要は凍える眼差しで村崎を凝視していた。

「み、みんな…」
「安部河」

キョロキョロと皆を交互に眺める桜の肩を裕也が叩き、無言でふるふる首を振る。いつの間に取り出したのか、裕也の手の中には携帯がある。
メール起動画面には短い一行、



\(´□`)/


「ぇ」

思わず裕也を二度見した桜に悪気はない。
フリーズした桜を余所に、黄色い声が周辺を支配する。何となく村崎に期待した己らの馬鹿さ加減を慰めあっていたカルマが、つられるままに振り返り目を見開いた。


「ンな所で何してやがる、アンタは」

ヤンキー座りのまま肩越しに振り返り硬直している佑壱と、乱れた浴衣を整えながら何とも言えない表情で呟いた日向。俄かに騒めいていた周囲だけが、崇拝するかの様に恍惚めいた表情だ。

「これはまた随分、色気付いた格好だな。連日この俺様にたんまり仕事押し付けやがって」
「随分、活気に満ちているものだ。…耳障りな」

世界を静寂に導いたその静かな囁きは、慣れた日向以外を忽ち従わせる。痙き攣った佑壱の全身から放たれる殺気に気付いたのは、声を潜めながらも騒めく周囲以外だろうか。

「機嫌が悪そうだな」
「つまらぬ事を言う。私は暫し所用で学園を離れる。後は任せるぞ」
「おい、」

グランドゲートまで伸びる並木の煉瓦道を、逆走してくる黒塗りのロールスロイスが見えた。典型的な自己完結で宣った神威が、近頃のオタクめいた変装ではない事に眉を寄せながらも一歩踏み出せば。

がさり、と。
ロールスロイスに向かう神威の真横、散り切った桜並木の隙間から植え込みの葉を掻き分け飛び出てきた黒い何かと衝突したのを見た。


「むにょ」

さらり、優雅に靡いた銀糸に絡まるそれは、己の異変に気付いていないに違いない。
目に痛い蛍光カラーのシャツを纏った両腕が、ガシッと掴んだのは漆黒のダブルスーツを纏う腰だ。

「そ……………遠野…」
「何処から出て来たんだよ、テメェ」

呟いた佑壱が、よろよろと起き上がる。何の因果だと思わず天を仰ぎ掛けた日向が迂闊にも心の声を漏らせば、鼻を押さえながら僅かに離れたレインボーカラーの眼鏡っ子が皆の視界を奪った。



「…そなたは、」

誰もがただ何をするでもなく、それを。

「余りにも落ち着きがない」
「ふぇ」
「その息の根を抜き枯らし腸に大鋸屑なりと詰めるか、対の脚幹を切り落とせば」

血の気が通っていないかの様な白い指が、鼻を押さえる俊の頬に伸びる光景を、誰もが。
帝王院神威と言う人間を幼い頃から知っている筈の高坂日向までもが、ただ。

「か弱く囀る金糸雀と成り果てよう」

他の思考を許されず、ひたすら呆然と。我を失った様にただじっと、眺めるしか出来ない。
口を開く事も足を動かす事も息をする事も、全て。


「カイちゃん」

奪われた全ての人間が見たのは、鼻を押さえながら空いた手でズレ落ちた眼鏡を押し上げる黒髪の少年。だった筈だ。
恐らく、この瞬間だけは。

誰かが笑った様な気がした。
誰かが息を呑んだ様な気がした。
誰かが目を見開いた様な気がした。

「みーちゃんに、似てるにょ」

確かめる術は奪い去られる。
ただひたすら純粋な声音で、まるで独り言の様に呟いた男の台詞と。

「お目めの色も髪の毛も違うのに、似てる気がするにょ」
「ほう」
「カイちゃんはヘタレだけど、みーちゃんは、えっと、金髪で濃ゆい青色のお目めで、美人さんです!」

何人が気付いたのかは知らない。ブロンドで濃紺の双眸を持つ生徒がこの学園に何人存在するか、知っている者は皆無に等しいからだ。
未だ微動だにしない佑壱も、我に返った日向も。把握していないに違いない。

「知っているか」
「ぇ」
「悪魔の髪は月の光に酷似したハニーゴールド、夜を砕いた双眸はコランダムの蒼玉石」
「お月様の悪魔さん」
「遥か昔、女王の国で火炙りにされたのは、魔女ではなくサファイアの悪魔だ」
「むむ?」
「天高く灼熱に輝きし彼の星は、悪魔の網膜と皮膚を絶えず焼き続けるだろう」
「マジェスティ」

酷く愉快げな声音は、然し顔半分が金属で覆われていても判るほどに無機質な唇が漏らしたものだ。痺れを切らしたのか、すぐ脇に停車していたロールスロイスから降りてきた運転手が、恭しく後部座席の扉を開けた。

「餓えた悪魔の興味に触れる事を厭うならば、ゆめゆめ忘れぬよう」

緩やかに車へ向き直った長身の腕を、がしりと掴んだのは誰の手だろう。弾かれた様に庭園側から飛び出てきた少年達に、沈黙していた騒めきが俄かに蘇った。

「かいちょ」
「…何だ」
「僕ってば、西洋式お化けはハァハァ対象なんです。どっちかと言ったら妖怪でもハァハァ出来ますにょ」

ひらひら、今にも飛び掛かりそうな隼人らと青冷めた桜を手招いた男はもう一度眼鏡を押し上げ、分厚い眼鏡の下で唇を尖らせた。

「つまり、あんま後輩舐めてんじゃねェぞロン毛野郎…なんてお恐れた事は思ってません」
「しゅ、俊君?!」
「とりあえずダーリン、ちょっとそのセレブなお車に乗せてちょーだい?困ってるオタクを助けたら、眼鏡の日にご恩返しに行くかも知れませんし」

へらっと笑いながら首を傾げた黒縁眼鏡に左席一同が痙き攣った。もう野菜所ではない佑壱と腰が抜けた作業着を余所に、

「主は使える者は会長でも使えと仰いましたにょ。ええ、ご主人公様は」
「…好きにするが良い」
「「「「「かいちょ、やっさしー」」」」」

ぷにょっとクネったオタクと、今にも飛び掛かりそうな狂犬四匹がニタリと笑った。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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