帝王院高等学校
再会は、怪我と美形と鬼と虎
凄まじい炸裂音を聞いた。
日本人、だろうか。黒髪の、綺麗な顔をした大人がその直前までボードゲームを教えてくれていた覚えがある。
裕福そうな身なり、怜悧な美貌は、然し絶えず滲んだ微笑で柔和な優しさを与えてきた筈だ。

『うちにもね、君達くらいの息子が居るんだよ。此処には一人しか連れて来てないけどね、本当はもう一人』

人見知りが激しい友達は、今にも唸りそうな表情で睨んでいたと思う。初めて見る、沢山の駒を使った遊びはすぐに子供の興味を引いて。
ステージの上で先程までサックスを吹いていた新しい友達と、不貞腐れた表情ながらも傍から離れない二週間目の友達と。柔らかに笑む人の、長い指が操る駒を見ていた。

『父さん、いつまでガキ相手に遊んでんの?さっさと行くよ、フライトの時間だ』

小生意気な子供が吐き捨てた。
唸りそうな表情で睨み付ける傍らの友達を宥めながら、くつくつ肩を揺らしたもう一人の友達がその小生意気な子供の肩を叩く光景を見守って、

『くっくっ、俺から見りゃ、そっちも充分ガキんちょなんだけど?』
『悪いけど、僕より頭が悪い奴は一人残らず馬鹿だよ。気安く話し掛けないで欲しいね』
『うひゃひゃ!きっちーな、俺はともかく、あっちで睨んでる奴はIQ160の天才だぜ?』
『160?ふん、なら僕と同等か。馬鹿じゃないとしても、凡人だ』

炸裂音を聞いたのは、それからすぐの事だったと思う。小生意気な子供を宥める綺麗な日本人の背後に、分厚い黒縁眼鏡を掛けた長身が駆け寄ってきた、直後。

まるで地獄の様だった。
悲鳴の不協和音が鼓膜をいつまでも揺さ振った。



かなちゃん、と。
凄まじい悲鳴を上げた友達が、燃え盛る炎の中で叫んだ気がする。


腹の上に、誰かの背中。
落ちてくる後頭部は黒髪の、赤い赤い何かが、急速に視界を染めていく。



男の人の叫び声を聞いた。
ああ、今までステージの上でタクトを奮っていた、タキシード姿の大人だ。

青蘭と叫んだ黒髪の子供は「兄」だと思う。すぐに抱き締められて、何があったのか把握する暇もなかった。


膝の上に、誰かの頭。
急速に視界を支配していく赤は腹を濡らした。それは、他人の胸元から滴る、赤。



『…怪我、ない?』

凄いね、上手だね、と。
ピアノ、サックスと続いた演奏の直後に、幼いながら純粋に拍手しながら賛辞を伝えた。当然っしょ、と自信に満ちた笑みに照れを滲ませた彼は万更でもなさそうに頭を掻いた。
ムスりとそっぽ向いた友達は、「大した事ねぇぜ」などと呟いたけれど。それはきっと、素直じゃないからだ。


赤い、赤い。世界は薔薇の色。
凄まじい炸裂音、世界が真紅に染まる直前。小生意気な子供は、「凡人」と吐き捨てた直後に、酷く自慢げに胸を張り囁いた。



「兄さんより頭が悪い奴は、凡人さ」

それが何を意味するのかになど、きっと。
二週間目の友達にも、真紅に染まりながら笑う友達にも、判らなかっただろうけれど。










『…取り引き?』

お姫様からしっかりと抱き締められた道化師は、不審者を見る目で睨み据えてきた。傷だらけのお姫様は意識が朦朧としているのか、道化師を抱き締めたまま、ぐったりと。

『君は、適役だ』
『…条件は?』

決して長いとは言えない人生で、こうも賢い眼差しに出会ったのは初めてだったから。至極、気分が浮き上がった覚えがある。

『欲しいものはないかい』
『何が言いたいの』
『美味しいものをより美味しく食べる為のスパイスに、興味はないか?』
『は、…この状況で?』

足元に、異国の大人が倒れていた。
腕の中には眠り姫、月光に照らされた銀糸が煌びやかに、怪しく。幻想的な光を湛えている。


『だ、めだ』

道化師は暫し考え込んでから、何かを握り締めた。聡明な頬を汚したまま拭う素振りも見せず、ぐったりしながらも守る事しか考えていないお姫様を見つめながら愛しげに微笑んで。

『早、く…逃げ………』
『私は君達を助ける事が出来る』
『それは絶対に?』
『意地悪だな。絶対ではないが、助けられる様に努めよう』
『いいよ、君の企画を無条件で受け入れてあげる。その代わり、こっちからも条件があるよ』
『平等であるからこそ取り引きだ。…君の望みは?』

道化師は酷く聡明な笑みに、ほんの僅かな殺意を織り交ぜて握り締めた掌を差し出した。
物語が始まる瞬間、全ての下準備が終わったこの瞬間を。きっと、死ぬまで忘れないだろう。例え、嘘を幾つ重ねたとしても。



『裏切ったら、消すよ』









「シェリー!」

聴診器を外したと同時にやってきた第三者の声に、魂が抜けた表情で点滴投与を受けていた患者がノロノロ顔を上げた。
その傍ら、『いやだ俺が代わりに死ぬ!』とつい今し方まで叫んでいた患者の亭主は、患者以上にやつれた表情で簡易ベッドに横たわっている。

「アリィ、病院で大きな声出さないでちょーだい」
「捜し回ったぞ!冬臣の奴め、逃げられたなどと謀りおって…っ、何があったのかと本気で心配した!」

ぎゅむーっ!と、小さい女医に抱き付く長身に、片足をぐるぐる巻きにされた女性が傍らの旦那を撫でながら頬を染める。

「わぁ、すっごい色男だわ。…縫合受けてる私を見て倒れたうちの馬鹿亭主とは大違い」
「だ、だってあんなに血が出てたんだよ?!ああ、…大きな声出したら頭が…」
「山田さんの旦那さん、輸血したばっかなんですから安静に。まァ、重傷だったのは奥さんだけどねィ」

何か言いたげな患者の旦那が口籠もったのと同時に、救急処置室のカーテンをまた誰かが開いた。

「よぉ、トシ。邪魔すんぜ」

患者の女性が小さな悲鳴を上げ、輸血と精神的ショックで倒れた旦那の頭をバシバシ叩く。

「ぃ、色男!やっばい、超好み…!」
「ちょ、痛い、痛いよ陽子っ」
「げ、お主まさか、オマワリかィ?!」
「誰がマッポだよ。懐かしいな、その呼び名」

朗らかとは言い難い、救急処置室の一角の美形率が上がる。未だに頭一つ小さな女医を胸元に抱き締めた美青年が、入ってきたそれ以上に背が高い怜悧な美貌の男に抱き寄せられた。
バッシバシ旦那の頭を連打する女性と言えば、目の前の微三角関係な光景に鼻息を荒くしているらしい。

「はっ、はぁあ!一人の女医を巡った三つ巴?!ど、どっちを選ぶのかしら…?!それともどちらかが兄弟だったりして、はぁあ、泥沼化するのかしらねっ?」
「よ、陽子、陽子ちゃん、母さんっ、痛い、目の中に指が入…っ」
「…おい?もしかして、山田か?」

往生際悪く、女医に手を伸ばす金髪の美青年をぎゅうぎゅう抱き締めた男が、バッシバシ叩かれて涙目のベッドの上を見やる。
ガシッと鬼嫁の連打攻撃を受け止めた男と言えば、ぐすっと洟を啜りながら呼ばれた方向を見やりガバッと起き上がった。

「えっ?ちょ、高坂組長?!」
「デケェ声で呼ぶな」
「し、失礼しました。高坂先輩、ですか?お、お久し振りです。何でまたこんな所に…まさか、もうあの話しが耳に?」
「はっ、抗争カマしても病院に用なんざねぇよ。このチビが幼馴染みなんだ」
「え?」

蚊帳の外の嫁を一瞥し、ふらふらベッドから降りる。さっさとカーテンの向こうに消えた白衣と、一緒に出ていった金髪を横目に声を潜めた。

「…まさか、俊江さんをご存知だったなんてね。隠すなんて人が悪い」
「隠したつもりはねぇよ。アイツがまさか皇子に嫁いでるとは思わなかったからな。知ったのは最近だ」
「そうでしたか…」
「ちょっとお父さん、お知り合い?」

美形に目が眩んでいる嫁に尻を叩かれ、溜息と同時に体をずらした男が手を挙げる。

「ああ、学校の先輩でこちらは高坂さん。うちの株主でもあるんだ」
「初めまして、高坂です。お怪我なされている所、いきなり押し掛けまして失礼しました」

にっこり、極道を微塵も窺わせない微笑と同時に嫁の手を握った高坂を、半開きの目で凝視する旦那には全く構わず、面食い鬼嫁は乙女に頬を赤らめた。
忘れて貰っては困るが、ワラショク社長は決してヘタレではない。ただ、嫁が鬼だっただけだ。

「陽子、僕はちょっと高坂さんと話があるから、安静にしてなさい」
「判ったわ」

快く首を振った嫁に高坂を上回る晴れやかな微笑を浮かべながら、ぐりぐりと先輩の足を踏み付けた後輩と言えば、

「じゃあ先輩、久し振りですしお茶でも如何ですか?(断ったらテメェんトコの嫁に過去の遍歴バラすぞ、あ?)」
「そ、そうだな」

耳元で囁かれながら踏まれた爪先に耐えた組長は、何故かかあ天下がバレたのだろうと本気で悩んだらしい。



教訓。
鬼嫁の旦那は仲間が判る。








「シェリー、何もされなかったか?」
「何が?」
「昨夜だ。冬臣はああ見えて性格が果てしなく悪いから、心配していたんだ」
「フユオミって、着物の?別に何もなかったぜ?」
「本当か?」

疑わしげに見つめてくる人へ脱いだ白衣を押し付け、ポケットから取り出した小銭を自販機に放り込む。ピピッとコーヒーを二本、取り出し口から引き抜いて一本を手渡す。

「有難う、シェリー」
「どう致しまして。…髪、切ったんだなァ」

ずずっとコーヒーを啜り、高い位置にある金髪を見上げた。最後の記憶ではまだ学生だった筈だ。
写真が好きで、15歳の頃からコンクールで入賞したりカメラマンとして働いていた。貴族だと知ったのは随分後だ。

勘当された、と。
日本にやって来た彼女は随分くたびれた表情で、小さなトランクとカメラを携えていた筈だ。


「本当に、…忘れてしまったんだな」
「自覚はねェけどな。あんだけオマワリが老けてんの見たら、嫌でも納得しちまう」
「シェリー」
「アリィは髪型以外変わってねェし?うちの直江は若い頃から老けてたし、他は知らん奴ばっかだし。冬臣って奴に騙されてんだって、さっきまでさァ」

はぁ、と。
溜息一つ、ごっきゅごっきゅコーヒーを煽った人はぷはーっと息を吐いて、


「俺は、何か忘れちゃいけない事を忘れてんだろ?すっぽり抜けちまった20年の間に、きっと、話し尽くせない思い出があった筈なんだ」
「何も思い出せないのか?」
「なんにも」
「…」
「だから、」
「忘れた方が」

だから教えてくれ、と。
言いたかった人よりいち早く、ぽつりと囁いた人が伏せた目を上げた。

「忘れた方が幸せなら、…私はそれで良いと思う。忘れたいくらい嫌な事があるなら、思い出さない方がシェリーにとっての最善策なら。私は、君の幸せを選ぶよ」
「アリィ?」
「あの男は、君には似合わない」
「あの男って、」
「君は泣いていた。君は何度も悲しんだ。私は何度も君の泣き顔を見た。…くしゃくしゃのチケットを握り締めて泣く君を!」
「ちょ、アリィ、」
「薄暗い新生児室の片隅でっ、私は何度も君の泣き声を聞いた!幾ら乳をやっても決まって夜泣きする我が子の産声は!誰にも頼らず一人で耐える君の声を…っ、健気にも隠そうとしたのだろう!」

悲鳴染みた声で耳を塞ぐように覆った人が、自動販売機に背を預けた。あまりの剣幕にひたすら沈黙を守ったまま、空になったコーヒーを握り締めている。

「羨ましかったんだ!君に会いたくて来日したのに、君はあの男に構ってばかり!だから高坂の軽はずみな求愛を受けた、寂しかったからだ!君がジェラシーを向けてくれないかと、醜い打算から私は…!」
「アリィ」
「なのに君は…!悲愴な覚悟で結婚すると告げた私に、おめでとうと言った!君に祝福されて、私が得たのは…絶望に他ならない」

かつん、と。
滑り落ちた缶コーヒー、何事かと通りすがる皆が遠巻きに目を向けてくる。

「…酷い母親なんだ、私は。我が子より君の泣き声が気になって仕方なかった。だから君が結婚するとはにかみながら告げた時、やっと諦める事が出来たと思った」
「…」
「こんな事になるなら!あの時、私はどんな手を使ってでも君を離さなかったのに…!」

顔を覆った人の滅多に見られない旋毛を見ても、まだ。



『シエ』


あの声の主を思い出す事はない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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