帝王院高等学校
主人公に捜索願いが出ています
「随分、難しい顔をしている」

背後から掛けられた声に、ふと顔を上げた。
休日のカフェテリアにはまばらな人影、殆どが教職員である。その内の一人である自分は、配属したばかりなので同伴が居ない。昨夜食い損ねた天むすを前に、腹を撫でた所だ。

「陛…これはこれは、理事長」

長閑な午前暮れの昼口には余りにも不似合いな(一般論ではなく、だ)美貌を見つけ、立ち上がる。陛下と呼ばれるのが好きではないらしい前男爵と言えば、生徒である息子ですら話し掛けないだろうテリアの従業員に「麦茶」と一言、

「ネルヴァ卿が見えませんな」
「理事長室に置いてきた」

つまりまたサボりか、とは口に出さず、微苦笑を零して隣の椅子を引いてやる。素直に腰掛けた男はスラックスのポケットからスルメの様な駄菓子を取り出し、無表情で見つめていた。
相変わらず何を考えているのか謎だ。

「成程。お食事は済まれましたかな」
「まだだ」
「所でそれは?」
「貰った」
「スルメを?」
「駄菓子と言うそうだ」

駄菓子を知らない日本人は居ないと瞬いて、木造の白いテーブルに乗せたスルメを凝視している男を見つめる。息子以上に無表情であるこの男に、早めのブランチを楽しんでいたらしい教職員達が目礼しているのが判る。
数少ない生徒らは滅多には見れない美貌に浮ついていた。

「それで、そのお菓子は誰から頂いたものですかな?」
「天の君」
「おや」

想定外の名詞に口を閉ざす。
まさか、と緊張が走った所で、ウェイターが運んできた麦茶と、先に頼んでいたサラダがテーブルに並んだ。

「この靴も貰ったものだ」
「スニーカー、ですね」
「似合わんと思うか」

疑問符が無かった様な気がして、小さく笑う。生まれながらの貴族は無感動と言うよりは世間知らずな所があるのだ。天才と言う賛辞すらちっぽけに見えるほど、賢い癖に。

「あれは、龍一郎に似ている」
「!」

囁く様な声音に心臓が跳ねた。
これが銀髪相手ならば危ない所だ、と肩を撫で下ろしただろう。けれど、

「心拍数が上がったな、リュート」

懐かしい呼び名に、半ば諦めの境地で椅子に座り直した。生まれつき目が悪かったのは、こちらも同じ事だ。
たがら、耳が異常に良い。

「…何も彼もお見通しか」
「医者だったのだろう」
「ええ。日本でもトップクラスの外科医だったそうですな」
「そうか」

表向き裏切り者扱いになっている冬月龍一郎、つまり自分の兄は死亡扱いされている。弟である自分にも内緒で、日本人と結婚していた。見付けた時には女の赤ん坊が居て、幸せそうに見えた覚えがある。
龍一郎と言う人物は、何事にも物怖じしなかった。両親を失い実の叔父から殺され掛けても、兄だけは。いつもいつでも、凛と背を伸ばしていて。

神と名高い目の前の男に、日本語を教えた教師でもある。

「…儂が見付けた頃には、娘が居りました。40年程昔の話かのぅ」
「娘、か」
「我ら三人の中で唯一、家族を得た兄上が。羨ましかったんじゃ。カミューなど火が点いた様に泣いて、懐いていた兄上を捜し回っていたのに」

青アザだらけの腹を擦り、食べる気が失せた天むすを隣に押し遣る。
こんな所を見られたらカミューが煩いだろうと肩を竦めるが、まだおむつを付けていた頃から知っているのだ。今さら『第一秘書』だからと言って、態度を変えるつもりはない。

ネルヴァ様などと呼べば、あの気難しい真面目男だ。血を吐くだろう。

「研究目的で作った訳ではあるまい」
「我が娘を?…ふふ、まさか。知っておりましょうに、我が女房は生まれつき子を作る事が出来ない体じゃった。儂は女房に負い目を与えたくなかっただけ」

愛した、と言うよりは守ってやりたかった人は、日本で暮らしたいと言い続けて死んだ。ロシア生まれのカナダ人だったから、太陽に近い国に憧れていたのだろう。

「紛れない人工受精。娘を細胞から作る程、儂はマッドサイエンティストではないんじゃ」

但し、何処から知ったのか己の誕生に疑問を持った娘は、15歳で家出した。物心付く前に死んだ母親の話はしていなかったから、男やもめの父子家庭に耐えられなかったのかも知れない。
然程もせず帰って来た娘の腕には、生まれたばかりの男の子が居た。育てるのに疲れたと、やつれた表情で宣った娘はそのまままた姿を消したが、相手が家庭持ちだと知ってどれだけ絶望しただろう。

「西指宿を消し去るのは簡単ですがのぅ、儂はその頃もう、グレアムに戻るつもりがなかった。手放した権力に縋るのは情けない話じゃ」
「カイルークの件がなければ、か」
「娘を誑かした男の子供でも、孫は手放しで可愛いもんじゃ」

男やもめに小さな孫、では世間体があろうと。次に作ったのは亡き妻に似せたアンドロイド。純粋な孫はそれを祖母だと信じて疑わず、事故後の霊暗室に並ぶ二人の他人の遺体を前に声もなく泣いた。
弁護士を名乗り、姿を変えていた自分は終始傍に居たけれど。じぃちゃん、と縋る様に何度もそう呟く背中を抱き締める事など出来る筈がない。

一緒に連れていけば良かっただろうか。安全な帝王院学園ではなく、アメリカへ。いつ命を狙われるか判らない、アメリカへ。

「ナイン」
「ああ」
「後に悔いても致し方ないと判っていて未練を断ち切ったつもりでも、孫は可愛いのぅ」


昔話を、一つ。
国から殺され掛けた少年は、大切な家族を全て失い人間嫌いになってしまった。彼が唯一愛したのは日本人だったが、それはまだ後の話。

少年は軈て青年になり、大きな企業の取締役になった。幾つもの傘下を得て、後継者が必要だと考えた彼は配偶者を手に入れる。
けれど人間嫌いな彼は、他人に触れるのがどうしても我慢出来なかったらしい。当時まだ実用的ではなかった人工受精で、子供を作った。

一人目も二人目も、人の形になる前に失敗する。三人目から六人目までは、卵子内の成長途中で異変が見付かった。
何年も何年も懸けて、七人目にして成功した子供を妻はとても可愛がったが、アメリカの覇者に成り上がった青年を恨む者から殺されてしまう。

八人目の子供は殺されなかったけれど、三歳になる前に病死。妻はもう、酷く疲れていた。

美しいけれど人間嫌いで冷血な配偶者からは愛されていないのに。愛した子供すら居なくなる。


9人目。
ナイン、被験者として仮に名付けられた酷く聡明な子供は、物心付いた頃に母親から見捨てられた。また失うのではないかと、疲れ果てた女は金とジェラルミンケースだけを持って、祖国であるイギリスへ帰ったらしい。

すくすく育っていったナインが、四歳になる頃。漸く人間嫌いだった父親に愛すべきパートナーが出来た。男だったけれど、それを非難する者は誰も居ない。
何故ならその頃、覇者レヴィ=グレアムは神と呼ばれていたからだ。

太陽の国から来たと言う黒髪の男は、ナインの瞳から奪われていく光に気付いた。
誰もが神と崇めるキングレヴィ=グレアムを罵倒し、父親失格とまで言わしめた彼はまるで本物の父親の様に、他人である子供に優しく、時に厳しく接した。

「ナイトを覚えているか」
「ああ、レヴィ陛下には恐ろしくて近付けなかったがのぅ。ナイトが陛下を殴り付けたり、痴話喧嘩が原因で陛下が不機嫌になると、それだけで皆が痩せ細ったものじゃ」

懐かしいな、と目を細めると、天むすを無言で食したらしい男がサラダにフォークを伸ばしていた。
けして自分は少食ではないが、兄である遠野龍一郎と目の前のこの男は凄まじい大食いだ。

「父上が亡くなった時より、ナイトが亡くなった事実の方が悲しかった様に思える」
「無慈悲なお言葉じゃのぅ、ハーヴィスト陛下」
「ナイトに会いたかった」

無表情で無感動な声音はそのままに、珍しく人間染みた台詞だと眉を寄せる。それはつまり、25年前の話だろうかと考えたからだ。
自分が居ない間に、日本の少年にチェスの名を与えたと言う。半信半疑だった。

「ルーク坊っちゃんに名を与えたのは、学園長の息子でしたかな。哀れなサラには、坊っちゃんを生む前に会ったきりでしたが」
「フェインの娘はそなたに頼んだのか」
「ロードの入れ知恵でしょうな」

かたり、と。
半分ほど減った麦茶のグラスを置いた手を見やる。キングが日本贔屓であるのは恐らく我々双子兄弟が原因だが、近頃は昔より重症だ。
麦茶を飲ませたと言ったら、ネルヴァ閣下の皮肉を浴びせられるだろう。

「あれをカイルークに近付けてはならない」
「あれ?」
「ナイトを、カイルークに近付けてはならない」

どう意味かと暫し考えたが、話の流れから帝王院秀皇ではないだろうと首を傾げる。曰く、幼少期を共に過ごした日本人に、神威は酷く懐いているそうだ。
ならば、つまり。

「遠野俊、ですかな」

腹の痛みが再発した気がする。
銀髪金眼の、今や世界の覇者と成った若き男爵の姿を思い起こした。何事にも無感動無表情ながら、何事にも興味を見出だす少年。関心を失ったものへは何処までも無慈悲で、レヴィ=グレアム以上の冷徹さを持つ、神。

「孫は可愛い、と言ったか」
「陛下」
「全ては私の責任だ」
「どう言う、」
「ナイトに会いたかった。死ねば会えるのではないかと、私は」

まさか。
呟いた唇から音は出なかった。相変わらず無表情な男は立ち上がり、開封しないままの駄菓子を目の前に差し出してくる。

「ロードを作ったのは私だ」
「な、んて、事を…」
「そなたに知られれば呆れるだろうと判っていたが、実行に移すより早くあれが現れてしまった」

つまり、帝王院秀皇。

「ナイトに良く似た意志の強い眼差し、黒髪、全てが。まるで輪廻の様に」
「…」
「だから今度は、日本へ行きたかった。叶わぬ夢だと判っているから、代理を送り込んだだけ」
「ならば…」

神とは何事にも平等で、何事にも無慈悲なものだ。けれど、これでは余りにも。

「坊っちゃんはこの事を?」
「カイルークに知られてはならない。私は、あれに殺される為に生きている」
「然しっ、」
「カイルークに遠野俊を近付ければ、あの子は酷く傷付くだろう」
「正当化する為の嘘はやめろ」

酷く近く、から。
聞き慣れない声を聞いた。振り返ればいつの間にか、背後の席に腰掛けている背中が見える。
教職員かと目を細め、一人しか居ないその席を暫し眺めれば、緩やかに振り向いた男が冷え切った眼差しを向けてきた。

「貴様が俺を裏切ったんだろう、キング=ハーヴィスト」

黒髪、黒眼。
凍える程の美貌である事を除けばただの日本人だろうが、明らかに普通ではない。
キング=グレアムの本名を知る者は極限られているからだ。

「師君、理事長を呼び捨てになるとは…」
「良い、シリウス」
「然し、」
「理事長、ねぇ。今年の帝君は、人格崩壊者の神様から嫌われてるらしい」

くつくつ、肩を揺らす男に警備員達が駆け寄ってくる。無意識に感じた恐怖から理事長を庇う様に立ち上がれば、当の本人が「やめろ」と囁いた。

「ご機嫌如何がですか、帝都兄さん」
「…」
「いつまで母さんを人質にするおつもりですか」
「私は」
「は」

かちゃり、と。
響いたのは金属の音、弾かれた様に立ち上がった全ての人間が黒髪の男を凝視している。

「ははは、ははははは!
  私には、もうあの子しか残っていない。判るかキング、お前が何も彼も奪ったんだ。私から、全て」

真っ直ぐ、銃口は金髪の美貌に向けられていた。

「しゅーん、出ておいでー。白百合閣下が待ってるよー」
「いつ私が待つと言いました」
「アンタ本当ぐちぐち煩い。そもそも風紀の奴らが何もしてない俊を犯人扱いするからだろ」
「…それは、返す言葉もありません」
「だったら黙って探して下さい、携帯繋がらない…ん?」

誰一人動けない中、カフェテリアの端、アンダーラインに続く遊歩道からやって来た生徒らが視界の端に映り込む。

「な、え、カイ庶務?!」

悲鳴染みた声、警備員でさえ近付けない黒髪の男を羽交い締めにしたのは、しなやかな体躯。

「校内でトカレフの使用は頂けませんね」
「成程、君は叶の人間か」

初めてではないだろうか。
二葉の出現に安堵を見せた皆の前で、弾き飛ばされたのはシャープな眼鏡。

「っ」
「気安く触るな、叶如きが」

目を見開いた二葉がバックステップ一つ、凍える眼差しで一瞥した男はぽかんと見つめてくるもう一つの視線に気付いて、拳銃を握っていた右手から力を抜いた。


「ああ、…オオゾラそっくりだ」

カランと転げ落ちた金属、漸く男を拘束した警備員達を余所に。
吹き抜けた春の風は、金色を靡かせ神の美貌を覆い隠した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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