帝王院高等学校
合言葉はお願いします閣下様ァ!
血だ。
紛うことなき血が、細く長いチューブの中を駆け巡っている。


『後悔しないかい』

常に白のブレザーを纏っていた気がする親友が、質素なTシャツ姿で覗き込んで来た。
何を後悔すると言うのだろう。

『全て忘れて生まれ変われば、本当に。幸せになれるのかい』
『ソラ』

幼い頃の愛称で呼べば何処かで愛しい人が笑う声。生まれたばかりの赤子が泣いて、また、笑い声。

『君にそっくりな黒髪の男の子だったよ。折角、女の子用の名前も考えてたのにね』
『今度こそ、…間違えたりしない』

細く長いチューブの中を駆け巡っている。赤い赤い、血液が。

『あんなにそっくりでも…後悔しないかい。万一君の子供じゃなかったら』
『…』
『もし君の子供だったら。疑った君は、酷い罪悪感を感じる筈だ』
『何だったか。…ああ、日高陽子。彼女は元気か?何も聞かず住まわせてくれているんだろう。私が用意したマンションの方が、不便はない』

滴り落ちた血液。
引き抜いた針を放り投げれば、息を吐いた親友が目を伏せた。

『そう言う君こそ、マンションには帰ってないだろう?…彼女のお父さん、やっぱり怒ってるんだ?』
『何処の馬の骨とも知れない男に、大切な娘は委ねられないさ』
『言えば良いのに。素性全部』
『帝王院には何の未練もない。だから私は神威が生まれた瞬間から、学園を見放した』

いつか。
あの閉鎖空間から逃げるつもりだったのだろうか、自分は。例え我が子ではないとしても、可愛がれると信じていた幼い子供を見放した、自分は。


あらゆるコネを使い、起業した。小さな食品会社は瞬く間に肥大化し、株式市場にまで上り詰めている。

慎ましく暮らすには十分過ぎる莫大な富を得て、二年振りに会いに行った人へ耐えられなかったから。


会いたかったと言った。
条件反射のプロポーズに彼女は向日葵の様に笑った。
生まれて始めて愛しい人を抱いたこの体は、未来ばかり求めてしまった。

幸せな未来ばかり。

妊娠した、と。
春を待つ冬の暮れに真剣な顔で語った人を抱き締めた。甘す所なく口付けて、幸せな未来ばかり。


考えていたのだ。浅はかにも。



『話したい事があるんだ』

大切な親友と。
三歳になる前の子供と。
生まれ来る赤ちゃんと。
自分と。
愛しい人と、皆で。生きていく幸せな未来が。浮かんで鮮明に脳裏を焼いたから。

『会わせたい子が居る』
『ん?』
『もしこの子が男の子だったら、きっと、仲の良い兄弟になるだろう。…俊、聞こえるか?』
『聞こえる訳ないでしょ』
『はは』


幸せな未来ばかり。



『合致率98.5%。
  後悔、したかい?君が愛したあの人は、疑うべくなく君の子供を産んだんだ』
『そうか』
『自分が憎くないかい』
『死にたいと願った事はないが、殺したいとなら、今』
『殺してしまうの?お得意の催眠術で、自分を』
『幸せな未来ばかり、考えるんだ』

毎日、毎日。
家を捨てて、幼い子供を見放した癖に、それでも。毎日、繰り返し。

『魔法を掛けたよ。帝王院秀皇、帝王院駿河。どちらかを聞いた瞬間、彼女は俺と出会う前までリセットされる』
『な』
『俺に関わる全てを忘れて、ただの研修医に戻れば。万一、グレアムがシエに突き当たっても危害はない』
『…婚姻歴でバレるだろう?そんな事しなくても、』
『結婚はしない。俊の戸籍は俺の元に。…はは、父子家庭だ』
『そんな事、どうやって』
『新しい戸籍を作ったよ。俺が殺した秀隆の戸籍を、俺が奪うんだ』

繰り返し。
夢見てきた幸せな未来には、いつも絶望のピリオドが用意されていた。

『血を調べれば全てが終わる。神が俺に与えたスペルが、神威ではなく俊に引き継がれたと判れば…直ちに』

細く長いチューブの中を駆け巡る血液の果てが絶望だった様に、いつか。

『そんな事はさせない。何も出来なかった時とは違うんだ、もう』
『俺の子…か』
『秀皇?』

全てがぐちゃぐちゃになって、この手を離れてしまうのだろうか。
もしそうなった時、自分は。



『面映ゆいな』


今度は何を。
壊そうとするだろう。







誰にも気付かれずひっそりと。
佇んでいる黒い墓標、ナイトオブナイト、誰が造ったものだろうと興味が沸いたのは帰国直後。
答えは見付からぬまま、僅かばかりの好奇心を残している。

見上げた空は青く。
赤い塔の先端に青い文字盤を見た。青い枠の、黒い文字盤。ガーデンに埋め込まれた大理石の羅針盤が示す様に、この領域は左席委員会の為に造られたものだ。


議事録に初代左席会長の名はない。
議事録に36代中央委員会長の名はない。
どちらも学園長が除籍処分にしたからだと噂されているが、真偽は定かではない。


「お祖父様は恨んでおいでだろうか」

尤も、挙げるならキング=ノア。あの男を破滅させる為だけに生きてきた事を、誰も知らない。そう、神だけしか。

「お祖母様はお優しい。私を孫と仰る。…彼女が願うなら、全てを叶えて差し上げよう」

優しい人の願い事。
息子に会いたいと言う、些細な願い事。
叶えてやるのは簡単だ。そうしなかったのは紛れもなく、自分。

「神に見付かれば全てが終わる。…と、いつか私は怯えたのだろう。愚かにも」

何の為に生きてきたのだろう。
何の為に生きてきたのだろう。
何の為に生きてきたのだろう。
神を破滅させる為だけに生きてきたのだ。
あの男を破滅させる為だけに生きてきたのだ。
そしていつか殺される為だけに、生きてきたのだ。


『悪魔』と呼んだ、あの人に。


「ステルシリーライン・オープン」
『マジェスティを確認』
「全グレアムへ通達。ノヴァに従う者は宙へ口付けろ」

沈黙した声音に見上げていた空から目を離した。

「昨夜受信した外部電波の位置を解析し、半径10kmを包囲。株式市場会社笑食の株式を掌握し、鷹翼並びに嵯峨崎財閥へ伝令せよ」
『伝令、とは』
「今宵、接見に行く」

庭師達が笑う声が聞こえた。
真っ直ぐ真っ直ぐ突き進みながら、慣れた偽物の黒髪を放り捨てる。

「消されたくなければ無駄な抵抗を控えろとでも言っておけ」

纏っていたシャツも穿き慣れないパンツも邪魔だ。

「リュミエル」
「お呼びでしょうか、陛下」
「服を用意してくれ。後は…そうだな、セカンドが拵えた髪と銀面を」
「畏まりました」

誰かの楽しげな笑い声が聞こえる。
焼きそばがうまいと叫ぶ声、お代わりと叫ぶ声、笑う声。弾む様な三三七拍子の足音が風に乗って、遥か彼方から。


環境が違うのだと。
生きてきた環境が違うのだと。
何処かで誰かの囁く声。

幸せかい、と。
いつか誰かが問い掛けてきた声を思い出した。
幸とは何だ。
何が不幸で何が幸だと呼ぶのだろう。生活に困窮した事はない。不自由だと嘆いた事もない。何一つ、嘆いた事はない。


生きてきた環境が違うのだ。
生きている環境が違うのだ。
あの生き物と自分はまるで違う。
口調も思考も外見も身に流れる血液も、全て。全てが。まるで違う。

兄弟でもなく。
友人でもなく。
まして恋人でもなく交ざり合う事も混ざり溶ける事も出来ない、対極。
暇潰しに最適なペットでしかない、筈だ。



「しゅん」



腹が、痛い。









「お返事がないにょ」
「メール?」
「カイちゃん」

眼鏡を曇らせた俊の口元からキャベツの欠片を取ってやり、ぱくりと頬張れば何故か隼人と要が毛羽立った。
ポトリと割り箸を落とした男に眉を跳ね上げ、落ちた箸をゴミ箱に放り投げながら食べ終わっていた自分のものを差し出す。

「新しい箸がいいなら自分で貰って来て下さい。屋台の兄ちゃん、剃り込みマッチョで怖そうなんですもん」
「…」
「ほら、ホッぺにソース付いてるから。ったく、どうしてこううちの学校の役員は揃いも揃ってルーズなんだろ」

ガマグチの中からハンカチよりやや小さい布を取り出した太陽は、相変わらず呆然としている男に押し付けポケットから取り出した携帯ゲームの電源を入れた。

「俊、バスの時間になったら教えて。歩くのはパス」

焼きそば1パックで腹が膨れたらしい太陽と言えば、ゲームの液晶を磨く布を手に瞬いている二葉にも、そんな二人のやりとりで悶えている俊にも、そんな俊に握り飯の米粒をペタペタひっつけている隼人と要にも構わず、


「うーん。ツンデレフラグ来たー」

どうやらBLゲームに夢中らしい。

「ふふふ二葉先生…!お願いしますお願いしますお願いしますタイヨーを押し倒して下さいませんか今すぐ!」
「…は?」
「お願いします、お願いします!ぐすっ、そんでまずは濃厚なチューから始まって最終的には指で慣らしちゃう所までお願いします!はふはふ」
「何を仰っているのか八割方理解出来ないのですが、」
「はふん!フタイヨー万歳!」


青春を謳歌し唾を飛ばしまくる遠野俊15歳と、着実に口数が減っている叶二葉17歳の、春。









「部長、今朝の記事も好評みたいですヨ」

酢の匂いで充満した真っ暗な部屋の、遮光カーテンに潜り込んだ部員が双眼鏡片手に細心の注意を払いながらズボッと抜け出た。

「ふーん」
「やっぱ、光王子と紅蓮の君のネタは反応が違いますネ。白百合閣下の悪趣味を盛り上げるより、こっちも楽しめますし」

気のない返事をしながら、揺らしていた右手のピンセットを持ち上げ、ひたひたと滴る定着液の匂いに条件反射で顔を背ける。

「酸っぱいの苦手ならデジタルプリントすれば良いのに。今時一眼レフなんてレトロの最高峰」
「煩いな、モノクロは自分で現像した方が断然綺麗系」
「だから、そのモノクロ写真ってのがダサいって言ってんですヨ」

この野郎、と、SクラスでもなければABSOLUTELYでもない一般生徒相手に文句を噛み殺したのは、双子の弟、川南北緯が以前苛めを受けていた時に、この部員が一役買ってくれたのを知っているからだ。
内気と言うよりは、己の殻に閉じこもりたがる北緯は、いつからか北斗にすら何も話さなくなった。降格してから苛められていた事を、知ったのは随分後だ。

「選定考査の下準備はどうですカ?」
「4位の僕が降格する訳ない系」
「5位の弟君も安全圏ですネ」

舐めた喋り方だとは思うが、だからと言って恩が無くとも嗜めたりはしない。相手が留年しているとは言え一つ年上と言う事もあるが、何よりこの何処から見ても態度以外は平凡な生徒が、

「君の叔父さんは大丈夫系?」
「大丈夫なんじゃないですかネ?ボクと違って、叔父さんは天才肌だから」

ふんふん鼻歌を歌い始めた男に息を吐く。殆ど知られてはいないが、目の前のBクラスの生徒と、一学年下の高野健吾は肉親関係にある。

「ある意味、スキャンダル」
「留年した二つ上の甥が居るカルマ幹部って?売れそなら書いても良いですヨ。別にボクは隠してないし、仲が悪い訳でもないのでネ」
「悪い悪くないの前に、関わりがないだけだろ」
「そうとも言います」

しらっと吐き捨てた男に干していたネガを指差し、片付けるよう促す。水洗いした写真を和紙を貼りつけたボードに乗せて、棚の戸を閉める音を聞きながらそうだと頭を上げた。

「この間の話どうなってる系〜?」
「天の君の正体、ですカ?中央委員会総出で判らない事がボクに調べられる筈ない」
「それもだけど、」
「セントラルの正体?」

本当に、見た目だけなら二葉がちょっかいばかり掛ける左席副会長に匹敵する平凡さなのだ。
二年前に北斗が引き継いだ報道部の名簿に記されていた幽霊部員が、今では諜報のエースなのだから判らない。

「ボク、知らなくて良い事と知らない方が良い事は別だと思うんですヨ」
「は〜?」
「部長は弟君と瓜二つですヨ。王呀の君が星河の君の実兄だってのは、暗黙の了解。烈火の君と紅蓮の君の関係以上に、ネ」

扱い難いのが難点だ。
下手したら二葉以上に扱い難い気がするのだが、


「あぁ、今日も愛する陛下には会えないんですかネ」


姿無き神帝親衛隊長の名を、知っているのは恐らく自分だけだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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