帝王院高等学校
老けてても人相が悪くても気にしない
体、が。壊れる音を聞いた。
薄い皮膚を纏う肉の下、自棄にどす黒い空を見上げていたのは気の所為だろうか。


『………!!!』

雨が降っていた気がする。
誰かが呼ぶ声に紛れて、親友のものでも賑やかしいクラスメートのものでもない、別の誰かの声を聞いたのだ。


『太陽!』
『ひろあき!』

雨が降っていた。
今と同じ様に、『あの日』も。





『アキ!』


誰かが笑っていた。
誰かが泣いていた。
誰かが笑っていた。
誰かが泣いていた。
誰かが『契約しよう』と言った。

迫りくる夜を従えた、魔法使いが。


『正にロールプレイングの世界だ。さしもの、私は敵であり味方になり得るイレギュラープレイヤーか』

誰かが笑っていた。
そうだ、泣いていたのはきっと、自分。

『綺麗な石だな』

大切な何かを取り返そうとした。酷く意地悪な誰かから、取り返そうとした。大好きな人の悪口を言った意地悪な誰かを殴って、取り返そうとした。

『等価交換をしよう。君の望みは、何』

それは何?
あれは誰?


ああ、体が痛い。
薄い皮膚を纏う肉のまだ下、何かが壊れる音を聞いた。気がする。




「…神よ」

暗く染まっていく空は嫌い。
暗く染まっていく空は灰色。

「堕とせと願ったのは、傷つけろとは違う筈だろう?」

雨が降っていた。
ぽたぽたと、全身に降りそぼる水滴は絶えず熱を奪っていく。息も出来ない。守りたかった筈だ。今もあの日もきっと、大切な何かを。



とても幸せな筈なのに。
何故、絶えず嫌な予感がするのだろう。





─────神様。















「ふわ〜あぁ…」


古いだけが取り柄の、今時見るのも難しい木造屋敷の階段は然程踏み込まずとも軋んだ音を放つ。
離れの蔵に面した土間に勝手口から入ってきた着物姿の女性、早い話が母親は、幾重にも巻かれた反物を細腕で三本抱えながら眉を寄せた。

「今頃起きてきたのかい、アンタは」
「おー。良いだろ、休みくらいよ」
「はん、夜遊び癖が抜けないったらないね。みっともない、早く顔洗ってその不様な無精髭どうにかしな、おっさん」

ふんっ、と鼻息荒く背を向けた人にげんなりと息を吐き、明け方まで曰く『仕事』をしていた男は肩を落とす。

「成人式控えた一人息子をジジイ呼ばわりかよ。…だから親父から捨てられんだよ」
「何か言ったかい?!」
「何も言ってねぇよ!」

廊下の突き当たり、休店日である呉服屋の販売部屋から叫んだらしい母親の地獄耳にもう一度を息を吐き、最近リフォームした洗面所ではなく土間の流し場でざっと顔を洗う。
古いだけが取り柄の呉服屋らしい日本屋敷は、江戸時代から殆ど姿を変えていない為、殆どが見た目騙しだ。

中に入れば涙無くして語れない雨漏り被害、軋んだ音を放つ床が抜け怪我の種、縁側の下で野良猫が新婚生活を始め毎晩ハネムーンベイビーが夜泣きする。そこらのボロアパートの方がナンボかマシだ。
高い固定資産税を意地で払い続けてきた母方の祖父には悪いが、頼まれても相続するつもりはない。

「げっ、もう昼近ぇじゃねぇかよー。チカの奴、モーニングコールでお兄様を起こすくらいしろよなぁ」

シャコシャコ歯磨きも終え、背中に背負っていた木の衣装箱を下ろした。何せ出来たばかりの新作だ、タオルで顔を拭う手に否応なく力が入る。

「すんこは昼過ぎに来るっつってたな。ハァハァ、俺の新作コスを着るウエスト54cmの女子高生ってどんな奴なんだろ!」

隣の家、新興住宅地に咲くコンクリート打ちっ放しのデザイナーズ住居で暮らす年下の少年宛てに作り上げた衣装だが、彼にはちょくちょく縫製を頼まれている。
最近流行りらしい腐男子なる少年は、中学時代までは何処ぞのホスト経営者かその道のエリートではないかと言う程の威圧感があった。

何せ親子そっくりなのだ。
無駄にセレブオーラを放つ父親は愛想が良く、言葉数こそ少ないが良く笑っているので好青年と言う印象があり、近所のマダム達の王子様と呼ばれている。
が、その息子である筈の少年は、最早筆舌に尽くし難い威圧感、悪く言えば老け顔だった。


いっそ清々しい程に学ランが似合わない中学生が居る、と。中学時代につるんでいた不良仲間が真剣な顔で宣うので見れば、何度か見掛けた隣の家の息子だったのである。
小学生の時に、当時幼稚園児だった少年一家が越してきた。とても一児の母には見えない若奥さんは、すぐに近所中の人気者だ。何せ見た目は女子高生、中身は50絡みのオッサンなのである。

その旦那があんな美形だったなら、人気者にならずして何になると言うのか。


「あーあ、俺もコミケ行きてぇ。可愛い姉ちゃんに俺の作った服着せてさぁ、あわよくば脱がして…むふふ」

黙っていれば好青年に見える彼は、根っからのスケベな元不良だった。グフグフ笑いながら大切に蓋をした木箱を勝手口の隣に立て掛け、欠伸を発てながら真っ直ぐ居間へ向かう。
ギシギシ軋む床をBGMに、優しい祖母が蕎麦茶を淹れてくれるのを見つめ、剃り残しを発見した顎を撫でながら息を吐いた。

「何で朝からナポリタンなんだよ、有り得ねぇだろこの家で。木造で」
「文句があんなら食うな、馬鹿息子が」
「チカが来るっつってたなー、そう言えば」
「夕飯はすき焼きにしようかね」
「扱い違くね?」
「滑り止めの私立も落ちた馬鹿と、帝王院の進学科に通ってる千景を一緒にする筈がないだろ。ほらっ、自分のご飯くらいよそいな!」
「へいへい。…クソババアが」
「何か言ったかい?!」

母親とは何故こうも煩いのだろう。









「か、か、か、母さん、しっかりするんだよ。ぼぼぼ僕が付いてるからねー!おおお俺がっ、俺が代わりに切断するから!足の一本や八本、切って生地の中に入れるがいいさ!」
「たこ焼きかよ。アンタがしっかりなさい」

出血で青冷めながらも担架の上で凛々しく眉を寄せた人は、随分よれよれの亭主が何もない所ですっ転ぶのを認め息を吐いた。

「大丈夫ですか?」
「ああ、はい、大丈夫です」

ガラガラ押し進んでいく担架の上で、年若いナースの猫なで声を聞く。がばりと起き上がり救急救命士の注意を受けながら、ナースの手を借りて起き上がる亭主の光景を見たのだ。

「大空!」
「うわっ、は、はい!」
「私は手術室に行くんだわ。アンタはとっとと会社に帰りなさいっ」
「え?!やだよ、何言ってんのっ?母さんだけ手術だなんて何それ、俺を泣かせたいの?何て鬼畜なんだい陽子ちゃん!」
「煩いんだわ!病院で大きな声出すんじゃないっ」
「奥さん、重傷なんですからお静かに!」

再び救命士の注意を受けた人は漸く口籠もり、ナースには目もくれず駆け寄ってきた亭主に鼻を鳴らした。救急車が門前に辿り着くまで、今思えば恥ずかしいくらいイチャイチャチュッチュやっていた訳だが、今となれば夢の様だ。
おろおろするばかりの亭主が手術着を着た医師と何やら話しているのを横目に、味気ない救急外来の一室で力を抜いた。

「あー…、そう言えば今日、夕陽が顔見せに来るって言ってたわねぇ…」

ませくれた次男は六歳で全寮制の私立に入学し、たまの休みにしか帰って来ない。長期休暇にしか帰って来れない長男よりはこまめに帰って来ては居るが、二人の息子のどちらもが全寮制である為、些細な楽しみの一つだ。
何と言うか、次男坊の亭主に良く似た腹黒さが案外気に入っている。息子でなかったら殺しているかも知れないが。

「あー、茹でようと思って解凍してた蟹…出しっぱなしだわ。くそぅ、独り占めするつもりだったのに…たらば蟹…ヒロキのたこ焼きなんかよりたらば蟹…くすん」
「おんや?たらば蟹ですかィ?」

目を閉じて再発した痛みに耐えながら唸れば、ぬぅっと現れた人影に飛び上がる。にやにや笑う白衣姿の女性が、遠慮なく覗き込んでいた。

「春先の蟹は刺身もうまい。豪勢ですなァ」
「な、何よアンタ…」
「こりゃ失礼、しがない外科医の遠野俊江と申しま。」

しゅばっとポーズを決めた小柄な白衣が、くるりとターンを決めてビシッとボールペンを突き付けてくる。小脇にはカルテ、つまりどう見ても中学生か高校生にしか見えない彼女は本当に医者らしい。

「こ、これはどうも」
「えっとォ、患者さんの名前は山田ヨーコさん35歳?」
「34、です。まだ」
「これまた失礼、女の子はそう言うトコ拘りますからねィ」
「あ、アンタねぇ。自分が若いからって、」
「あ、因みに自分アラフォーらしいっス。自分的には23歳のつもりっス」
「は?」
「因みに生まれた年は、」

さらりと答えた白衣の年に、絶対嘘だろうと口元を押さえる。そんな風には見えないと言う無言の拒絶が窺えたのか、近場の年配の看護士を捕まえた彼女は「これ同級生」と宣った。
どう見ても親子にしか見えない。指差された看護士も渇いた笑みを滲ませている。

「さてお嬢ちゃん、とりあえず傷口見せて貰おうかィ?」

ニマァと極上の悪い笑みを浮かべた人が、放り投げたカルテの代わりに消毒液と刃物を取り出した。

「え?え?何で病室にそんなものが…」
「くっ。…くっくっくっ、くぇーっくぇっくぇ!そんのよぉうなかすり傷など!この遠野俊江様に掛かれば蚊が刺したも同然じゃアアア!!!」
「!!!」

メスが何でこんな所に、と痙き攣った山田家嫁の凄まじい悲鳴は、ヨロヨロ入って来た亭主の心臓を止めたとか何とか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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